07 知力のガゼル 私、早くも退任の危機です。
「貧弱だな。HPが二十三。攻撃と防御に至っては一桁か・・・・素早さと回避力だけがずば抜けて高いが、何か特殊なスキルでも所持しているのか? この数値では、あの異常な回避能力の説明がつかん」
ガゼルが、じろしろと舐め回すように観察しながら呟く。ルナは、少しでも距離を取ろうとベッドの端っこまで後退していた。
「どうして、それを?」
震える声で尋ねる。
「俺は『知力』を冠する上位魔人だ。この瞳は、対象のステータスを観測することができる」
そう告げて、こんこんと、右手の人差し指で自らのこめかみを突いてみせた。
「そんなぁ」
魔王として、今後どうやって日々の業務をやり過ごそうかと考えていた矢先の出来事に、ルナは落胆した。魔王業二日目にして、早くも解雇の予感が漂う。職を失うこと、居場所を無くすことに恐怖する彼女の脳内に、前世で経験したケーキ屋でのアルバイトの記憶が蘇る。
(あの時は何をやらかしたんだっけ? 確か、手を滑らせて常連さんの頭にケーキを落としてしまったり、躓いた拍子にショーケースへ突撃して破壊してしまったり、レジで返した千円札のおつりの中に誤って一万円札を混入させてしまったり・・・・記録は、三日だったかな。店長から、「このままだと店が潰れてしまう。頼むから退職してくれ」って懇願されたんだよね。今回は二日か。また、記録更新だよ・・・・)
自分の不甲斐なさに、しゅんと耳が垂れ下がった。
ちらっとガゼルの顔色を伺う。何かを言いたそうな表情だ。きっと、解雇通告だろう。もしかしたら、『一身上の都合』で辞表を強制してくるかもしれない。退職したら、たった一人でこの世界をどうやって生きていこう・・・・ルナは、視界が真っ暗になるように感じた。
だが、彼の対応は良い意味で予想を裏切るものだった。
「何を勘違いしているのか知らないが、このことは他の奴には秘密にするつもりだ。だから、防音魔法を使用したのだぞ?」
ぴんっとルナの耳が立ち上がった。
「え? どういうこと、ですか?」
「どうもこうもない。お前には、このまま魔王を続けてもらう。何の為に、昨日必死で英雄になるのを阻止したと思っているのだ」
「それってつまり、私をまだ必要としてくれているという、そういう事でしょうか?」
おずおずといった感じだ。ぴくぴくと耳が痙攣しているのは、次に来るのであろう言葉を期待しての反応だと思われた。ガゼルは、特に表情を変えることもなく頷いた。
「・・・・まぁ、そういうことだな」
ルナの瞳に光が宿る。
「こんな、私でも?」
「あぁ。そうだな」
「店長!! 私、頑張ります!!」
その言葉を聞くや否や、自慢の脚でガゼルの眼前まで跳躍し、腕組をしている彼の腕を無理矢理に引き抜いて、両手でしっかりと握りしめた。きらきらと目を輝かせる。そこには、痛い程のやる気が漲っていた。先程までの警戒心は一体どこへ行ってしまったのだろうか。バカンスで海外にでも旅立ってしまったのか。
予想外のリストラ回避に興奮しきっているようではあるが、彼が止めなければ今頃『英雄』になれていたという事実は、その狭すぎる思考からは除外されているようであった。
「俺は、店長ではない。むしろ、お前の方が俺の雇用主だろう? 本当に、お前と接していると調子が狂う」
ぶんぶんと右腕を振り回され、無垢な笑顔を容赦なく浴びせられる。明らかに困惑しているようであった。
「して、私は一体何をすればいいのでしょうか?」
ぴたりと両手の動きを止めるルナ。
「そのことなのだが」
ガゼルは、好機とばかりに覆いかぶさるふかふかの両手を払いのけ、解放された腕を所定の位置に戻した。その拍子に一本の白い毛が抜けて宙を漂う。それは、互いの視界をゆっくりと横切っていった。十分な溜を作った後、ガゼルが口を開く。
「お前、転生者だろう?」
「ふぇ? どうしてそれを?」
ルナは、ぱちくりと瞼を瞬かせる。
「やはりそうか」
「もしかして、貴方も?」
「まさか。転生者は稀な存在だ。そんな、ほいほいといるものではないさ。昔、世話になった奴が詳しくてな」
「そうなんですか・・・・あの、可能であれば教えて欲しいです。恥ずかしながら、自分が何を分かっていないのかでさえ、分かっていない状況でして」
「もちろんそのつもりだが? お前には、魔王として俺達を導いてもらわなければならないのだからな」
「ガゼルさん・・・・もっと、怖い人だと思っていました。意外に優しいんですね」
そう言って尊敬の眼差しを向ける。しかし、当のガゼルはそれほど嬉しそうではなかった。
「つい昨日は、変態と罵っていたというのにな。あと、他の連中がいる時には『さん』付けで呼ぶのは止めておけ。魔王としての威厳に関わる」
「はい、すみましぇん」
「はぁ。先が思いやられるな・・・・そうだな。まずは我々のいる魔界についてなのだが、各世界へのポータルとなっている。魔界を通じてのみ、各世界間を行き来することが可能だ」
「はい。先生。すみません。いきなり意味が分かりません」
「・・・・魔人の話は最後まで聞きなさい。そうだな。ひまわりの花を想像してみろ。」
出鼻を挫く質問に、嫌な顔をするガゼル。
「ひまわり?」
だが、ルナは気にしていないようであった。悪びれた様子もなく、人差し指を唇に当て首を傾げる。
「真ん中の丸い部分を魔界だとすると、外側の花びらが各世界だ。全ては魔界を中心として繋がっているのだ。そして、各世界にはそれぞれ勇者が存在している。もちろん、勇者毎にその強さは異なる。」
「なるほど・・・・って、勇者さんは一人じゃないんですか!?」
「あぁ。昨日お前が見たのは、ちょうど中間位の部類だな。中には、前魔王でさえ手も足も出ないような化物も存在する。特に、お前のような転生者が勇者となっている場合はかなり危険だ。転生者は、総じて強力な力を持っているからな。お前は、もしかしたら例外なのかもしれないが・・・・」
「うぅ、私については、なんというか、ごめんなさい。出来損ないの転生者で・・・・」
「ちなみに、複数の世界が存在するという真実を知っているのは魔界の住人だけだ。だから、太刀打ちできないことが明白な世界には今まで少しもちょっかいを出してこなかった。触らぬ神になんたらと言うやつだな。下手に手を出さない限りは、向こうもこちらの存在に気付かないようだから、あえて火中に飛び込むこともないだろう」
「っ!! ちょっと待ってくださいよ。ということは、私の居た世界にも行けるってことですか!?」
話を聞いて、ふとそんな疑問が浮かんだ。前のめりになってガゼルに問いかける。居ても立ってもいられない。そんな心情だった。
『魔界と様々な世界が繋がっている』
それは、ルナにとって一滴の希望に感じられたのだ。元の生活に戻ることは不可能でも、母や友人の元気な姿を見に行く。それだけでも十分であった。
ガゼルはというと、話を遮られた事に対して眉を顰めはするが、何回も文句を言うつもりはないらしい。
「それは無理だ。転生者の元居た世界には、そもそも勇者や魔王という概念が存在しない。つまりは、全く別次元の世界だ。残念だが、魔界と繋がることは絶対にない」
その代わりに、ルナの希望を秒で砕いた。
「そうですよね。そんなに上手い話なんてないですよね。とほほ」
不可能は承知でのことだったようだが、あからさまに肩を落とす。ガゼルは、構わずに続けた。
「そして、ここからが本題だ」
大きく息を吸い、ごほんと咳ばらいをした。
「各世界には、『生命の容量』というものが存在するのと同時に、その調整機能が備わっている。転生者もその機能の一つとされているが、他には天災や疫病、強力な魔物の出現等が挙げられる。これらは、生命が多くなり過ぎた際等に、バランスを取る為に働く機能で、基本的にはこれに任せておけば問題は生じないのだが、たった一つだけ、これが想定していない生命増加の原因があってな」
「??」
突然繰り出された専門的な内容に、貧しいルナの頭脳がショートする。ぽかんと口を開ける彼女をちらりと視界に捉えるが、後から再度説明してやれば良いだろうと考え、話を継続することにした。
「それが、魔界を通じての生命の世界間移動だ。一人や二人なら、気に掛けるほどの事ではないのだが、これが数千、数万単位でのものになるとどうなるか? 単純な話だ。大きくなり過ぎた花弁はその重量に負けて剥がれ落ちる。容量を超えた世界は自然に消滅してしまうのだ」
「???」
ルナは、理解しているような理解していないような微妙な表情を浮かべていた。
「問題はそれだけではない。滅んだ世界を起点にして『歪み』が広がり、隣接する世界、そして我らが魔界でさえも消滅する可能性だって考えられる。道連れを食らうかもしれないのだ。ここまで話したら、もうお前の果たすべき使命は理解できるだろう? 歴代最強と謳われた前魔王のいない今、お前は俺の影成る指導のもと、立派な魔王として、軍隊を率い、魔界の秘密を守り抜くことで、世界の均衡を保つのだ!」
そしてガゼルが、芝居がかった仕草でばっと両手を広げる。呆けた表情で話を聞くルナの額を、ぶわっと力強い風が撫でた。前髪が揺れる。
「私が、世界を・・・・」
どこまでの内容を理解したのかは不明だが、少なくとも自らに課せられた使命についてだけは把握したようだった。
「そうだ・・・・そもそもこの魔界に転生者が現れること自体が未曽有の出来事だ。しかも、それが魔王になるなど、何の奇跡だろうか。もはや、運命としか考えられない」
そこで、静かに目を瞑り、天を仰ぐ。しばらくそのままの格好で何かを思考し、うんうんと頷くと、勢いよく目を見開きルナをまっすぐと見つめた。
「お前は、魔界が生んだ唯一無二の転生者だ。宿命により、なるべくして魔王となった。この偉大なる魔界に選定された魔王なのだ!」
そこまで興奮気味にまくし立ててから、広げた腕をゆっくりとたたむと、少し恥ずかしそうにタキシードの襟を正した。わざと視線を外し、ぼそりと呟く。
「二度と口にすることはないと思うが、正直、転生者であるお前にはかなり期待をしている。例えまぐれであったとしても、前魔王を倒した張本人だ。きっと、見た目からは計り知れない程の力を秘めているのだろう」
褒めることに慣れていないのか、ばつが悪そうに顔を赤くして、折れた角の先端をいじる。ルナは、一人で勝手に盛り上がる彼を見て、引きつった笑みを浮かべた。
(うわぁ。何か、盛大に勘違いをされている気がします。ここに転生したのだって、たまたまのことで、もとはといえばナビさんの不注意によるものですし、秘めたる力と言われても、確か攻撃系のスキルや魔法はもう覚えられないらしいので、期待にそえるかどうか・・・・)
じんわりと変な汗が噴き出す。居心地の悪さにもじもじと体を揺すった。
(まぁ、言えないですけどね)
「ま、任せてくだしゃい」と、どぎまぎしながら決意表明をした。大事な場面で噛んでしまったことについては、自分でも気づいたのだが、言い直すような心の余裕は持ち合わせていなかった。
(いつボロが出るか分からないので、魔王業を務めながら、別の仕事もこっそり探そう・・・・)
意外にも堅実的な将来設計を考慮したルナは、ガゼルに聞こえないように小さくため息を吐き、腹を括った。少なくとも今は、ドジで役立たずの自分が必要とされているのだ。できる限りのことはやろう。一生懸命頑張って、魔界の皆の為になるように努めよう――――と。
ガゼルは、とても上機嫌のようであった。にこりと満面の笑顔である。うん、似合わない。ルナはそう感じた。
「まぁ、現在我らが魔王軍に切迫した脅威は確認されていない。当面の間は、お前の好きなようにすると良い。と、その前に、私以外の四天王とも一度会っておいた方が良いだろうな」
「四天王?」
「あぁ。魔王直轄の精鋭だ。勇者との戦いの際に一人欠けてしまったが、俺の他に『権力』のグリムと、『腕力』のゴルダンがいる。昨日、グリムは自室にこもっていたし、ゴルダンは武者修行に出かけていたから、まだ面識がないはずだ」
(えぇー・・・・勇者さんが攻めてきていたのに、自由過ぎないですか? ド〇クエだったら、一大イベントですよ。四天王総出でお出迎えしないと)
「すぐに召使いに衣服を準備させよう。お前の身仕度が整い次第、奴らの元へ案内してやる」
そう言って、ガゼルは立ち上がり、扉の方へと歩いていった。ルナは一抹の不安を覚えながら、その背中を見送るのであった。
おまー。モフモフは真理。
今回は、頭が良い設定のガゼルによる説明回でした。読みにくかったらすみません。
〇評価、感想、レビューなんて頂けたら、嬉しさのあまり昇天します。