06 一夜明けました。
魔界の最深部。死霊の丘を越え、鮮血の沼を進み、瘴気の谷を抜けた先に存在する、巨大な魔王城。
魔王の間での騒動から一夜明け、ルナはガゼルに案内された豪勢な寝室内に設置されたベッドで横になっていた。ガゼル曰く、今後はこの部屋を自室にしても構わないとのことであったが・・・・いささか、広すぎるようであった。バスケットボールのコートが軽く収まる程度のサイズと言えば、分かりやすいかもしれない。
「うーん。昨日は疲れていたのでぐっすりでしたけど、やっぱり少し、落ち着かないですね」
ごろごろと寝返りをうちながら、欠伸を噛み殺す。ルナが目覚めてから既に二時間が経過していた。
窓の外はまだ暗い。起床したばかりの頃はびくびくと怯えながら部屋を散策していたのだが、罠らしきものは一切見当たらず、その内に警戒心も解けて、備付けのシャワールームでリフレッシュした後に、こうしてのんびりとくつろいでいた。
いくら何でも、見知らぬ土地で不用心が過ぎるのではないかという程のだらけ具合である。彼女の適応力、いや、神経の図太さか、ただ単に能天気なだけか。その点に限っては、敵う者はいないだろう。そう、前魔王でさえも。
「私が、魔王ですかぁ・・・・」
仰向けの体勢で天井を見上げ、右手を顔の前に持ち上げる。そして、「ナビゲーターさん、ステータス表示をお願いします」と、一言。
《はい。ルナ様。一応言っておきますが、何度見ても内容は変化しませんよ》
ぶんっと眼前に緑色の画面が出現する。そこに表示されていく白い文字列。ルナはそれを目で追っていった。
『名前:ルナ。種族:兎人族。職業:魔王。ステータスレベル拾参。装備:純白の胸部さらし、高価なバスローブ。保有ノーマルスキル:穴掘り名人、発情期、寂しがり屋、抜け毛。保有エクストラスキル:なし。保有ユニークスキル:脱兎、死神王の太鼓判』
ステータスレベルが上昇しているのは、間接的にではあれ、前魔王を倒したからであろう。無言のまま、人差し指で画面をタッチした。すると、ばっと表示が切り替わり、ステータスの詳細が広がった。深い深いため息を吐く。
「これって、決して強い部類には入らないですよね」
《はい。ルナ様の仰る通り、強くはありません。控えめに言っても、『雑魚』です。野生のスライムの方が強いかと》
「うぅ・・・・」
ナビゲーターの冷徹な言霊がルナの心を抉る。言い返せないのは、図星だからだろう。
『HP:二十三。MP:四十六。物理攻撃力:一。物理防御力:三。魔法攻撃力:一。魔法防御力:二。素早さ:百二十三。回避力:三百八十二。運:十八』
まさに、逃げるためだけに割り振られたと言っても過言ではない能力値だった。
《ちなみに、これは平常時でのステータスになります。ユニークスキル『脱兎』発動時には、素早さ及び回避力に五倍の補正がかかります。また、ユニークスキル『死神王の太鼓判』発動時には、状況に応じて、運に二倍から五十倍の補正がかかります》
ユニークスキル『脱兎』は、攻撃回避時のみ素早さと回避力に固定値の補正がかかるというものであり、『死神王の太鼓判』は、危険を感じた際に限り運に流動値の補正が付与されるという補助スキルだ。
「逃げ足の速さだけが取り柄の魔王って、どうなんですかね・・・・」
《前代未聞でしょうね。吉と出るか凶と出るかは、貴方次第です。私は、後者の確率が非常に高いと思慮しますが》
「ナビゲーターさんは、少しも優しい言葉をかけてくれませんよね」
《そうでしょうか? 十分に慈しみの心を持って接しているつもりですよ》
「私にとっては、鞭と鞭と鞭と鞭にしか感じられません! あと、鞭です!」
頬を膨らませ、ぷいっとそっぽを向く。
《存在しない慣用句を創造しないでください。あと、『あと』の使用方法が誤っています》
「わざとです!」
《はぁ。そうですか。何か意図があってのことなのですね》
「はい。伝わってないみたいですけど・・・・」
《いいえ。きちんと承りました。今後は善処させていただきます》
「ナビゲーターさん・・・・」
《・・・・まだ鞭が足りないとのことですので》
「もう!!」
がばっと上半身を勢いよく起こす。同時に、画面がぶぅんっとノイズを起こし消失した。
「あ、そういえば。ナビゲーターさん?」
何かを思い出したかのように、ぽんっと手を叩くルナ。
《何でしょうか?》
「ナビゲーターさんって、長いので、ナビさんって呼んでも良いですか?」
《・・・・はぁ。構いませんが》
「わーい。ありがとうございます。ナビさん」
ルナは両手を挙げて喜びを表現した。
《本当に、貴方みたいな方が魔王になるとは・・・・》
ナビゲーター改め、ナビはさすがに呆れているようであったが、どこか嬉しそうでもあった。
そこで、扉をノックする音が響いた。
「私です。入室の許可を」
低く落ち着いた声色。どうやらガゼルのようだ。ルナは、「どうぞー」と、気の抜けた声で招いた。がちゃりと、ベッドの傍の扉が開き、タキシードの魔人が一礼をして入ってくる。そのまま洗練された所作で扉を閉めると、「ジャミング」と、短く唱えた。
ルナは、その動作にぴくりと反応する。
「その、今のは?」
ガゼルは、きょとんとしたような表情を浮かべた。
「防音魔法だが?」
「えっと、どうして?」
「どうしてって。他の奴に聞かれたらまずいだろう?」
「まずいって、一体何を? それに、その喋り方は? まさか、また私に乱暴する気じゃ・・・・」
さあっとルナの顔が青ざめる。両手をクロスして、自らの体を隠すようにして縮まった。
その様子を見て、ガゼルは合点がいったようであった。右手で額を抑え、首を横に振ると、かつかつとルナの元へ歩み寄る。
「ひぃぃっ」と、引きつった悲鳴をあげるが、構わずベッドの手前まで移動した。そして、右手の人差し指をすーっと円を描くように動かす。と同時に、数メートル先に置かれた木製の椅子が、ガゼルの背後までスライドした。それに、無言で腰を下ろし、貞操の危機を感じてぶるぶると震えるルナを見る。
「お前が、魔王の器ではないことは、承知しているぞ?」
「へ?」
思いもかけない一言に、間抜けな音が喉から漏れた。ガゼルは真剣な表情で続ける。
「それに、俺はお前のような餓鬼の体に、全くもって、微塵も、毛ほどの興味もない」
おっま。モフモフは政治!
知らない世界の知らない寝室で普通にくつろげるルナちゃん。心臓に毛が生えているとしか思えませんね。
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