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第八話 呪いの村

 あたりは木々が覆い尽くし、光も差さないくらいの場所だった。


 薄暗さが奇妙で本当にこの道で合っているのかさえ不思議だった。


 時折後ろを振り返ってみる、何もないのに何かに後をつけられていると感じるのは気のせいだろうか。


 しきりに振り返っては、何もないと自分に言い聞かせる。


 僕は少しだけ怯えていたのかもそれない。


 車掌の話が頭をよぎった。





「あれはもう十年以上前の話になるかな」


 村に行くため歩き出そうとした僕は車掌が止めると開口一番に遠い眼をしながら語りだした。





「この線路が廃線になる少し前のことだった」


 戦前に鉱山の運搬のために使われていた線路は時代とともに、人を乗せるものに変わっていった。しかし元々人の移動に適した場所に造ったわけではなかった。


 この路線を使うものなど一日に一人いればいい方で、週に一回なんてことはざらではなかった。


 その日も客の来ないまま一日を過ぎようとしていた。


 発進準備を終えると無人のまま物資だけを詰めて走り出そうとした。


 その時だった。一人の男性がこちらに向かって駆け出してきた。


 その男はこの電車は久留井村の近くまで行くのですかと尋ねてきたので、私は頷きました。


 直接代金をいただくと、彼を乗せて走り出しました。


 彼は電車に乗っているときに暇だったのか、しきりに操縦席にやってきてはああでもない、こうでもないと、世間話を始めました。私も良い退屈しのぎになると思い、彼につき合っていました。


 初めは取り留めのない天気やら世界の情勢の話になり、仕事の話をしたりしました。


 彼は私の仕事に興味を持ったのか操縦席についてあれこれと質問してきました。私はこんな体験が初めてで、少し調子に乗って彼に色々と電車について教えてあげました。


 暫らくそんな話で盛り上がっていると、彼はある夢の話について切り出してきた。


 彼はある種、病気のものを抱えているのかもしれないといっていた。


 彼は毎夜毎夜、悪夢に苛まれ、日中ですら幻覚症状に襲われるらしい。


 なるほど、言われてみれば、頬がこけているようにも見えた。もちろん生きているうちに手を出した薬物は風邪薬しかないのだがね、と笑いながら冗談を言えるほどには元気があったのでそれほど気には留めていなかった。


 私は彼に久留井村に行くのはなぜですか、と半ば話の経過上軽く切り出したのだが、彼は私の顔を見るとしばらく考え始めた。私はその顔に何かまずいことでも聞いてしまったのかと思い、謝罪して話を終わらせようとしたのだが、その前に彼は静かに口を開いた。


 男はひどく不思議なことを話した。私にはそれがまったく理解できなかった。


「久留井村は私の故郷なのかもしれません。いや、そうでもないのかもしれません」


 彼がそんなことを言ってきたものだから、私は彼が持っている病気は記憶障害なのかと思いました。だがそれも先ほどの世間話から記憶障害である線は薄いとすぐに思い直しました。


「例えば、あなたが持っている記憶。それは本当にあなたが持っている記憶なのでしょうか」


 言いようのない不安とはこういうときに使うのでしょうか。私は彼の言葉に、表情に、鳥肌が立つのを感じました。


「あなたは記憶をどこかで落とさせられませんでしたか。どこかで無理やり拾わされませんでしたか」


 彼はそこで一息つくと今までの無表情な顔から少しだけ生気が戻った。私は少しだけ安心しました。


「私は、自分が狂ってしまった根源を探しているのですよ」


 そしてそれはこの先の村にあるだろうと言った。


 そんな時に電車は終点の、私が最果てと呼ぶ場所に止まった。


 彼は降りる前に道中ありがとうございましたと、礼儀正しく頭を下げて来ました。私はそれに対して、こちらこそ良い退屈しのぎになりましたよと笑顔で送ったとき、どこからか獣の雄叫びのようなものが聞こえました。


 私はそれに気を取られていると、彼が電車を降りながら、話しかけてきました。


「いいですか、これから私が見えなくなったら、すぐに電車を走らせて下さい」


 私はその言葉に頷くが、彼は二度と振り返りませんでした。


「あなたの行き路に幸有らん事を」


 彼はそう言うと森の奥に消えていった。


 私も少なからず、名も知らぬ君の行く末の無事を祈りました。


 しばらくそんなことをしながら、電車の整備をそこで行っていました。彼がすぐに電車を走らせなさいと言ったのは別れを惜しむためではないかと勝手に解釈したからです。


 気のいい客にしばし心が浮かれていたのかもしれません。私は操縦席からこの男との会話を忘れまいと書に刻み込んでいました。


 そんな心持ちだから気付かなかったのかもしれません。一人の男がいつの間にか電車の前に立っていました。


 その男は私を見つけるなり、ドアを死に物狂いで叩いてきました。


 窓は全部閉めていたはずなのにしきりにその男の叫び声が車内にこだましました。


 タスケテクれ、タスケテクレ、タスケテクレ、タスけテクレ、タスケテクレ


 タスケテクレタスケテクレタスケテクレタスケテクレタスケテクレタスケテクレ


 私は男のみすぼらしい姿に恐れをなしました。そしてなぜあの時に、彼のいう事を聞いて電車を出さなかったのか後悔しました。


 男は狂っていると思いました。男の眼はどこを向いているのかさえ分かりませんでした。


 手の震えからか、窓を石で打ち付ける音に気が殺がれ発進準備に手間取っていると、男はこれまでと違った叫び声をあげ始めました。


「クルッテイル。ナニモカモがクルッテイル。人がヒトをクッテイル。人がヒトをコロシテイル」


 耳を塞いでしまった。けれど男の声はいやでも耳に入ってきました。


「血のウミだ。ムラは血であふれている」


 背中に冷や汗が流れました。このままだとこっちが狂いそうでした。


「ユキコはどこだ。ユキコはどこにきえた」


 やめてくれ。やめてくれ。やめてくれ。私はそう叫んでいました。


「そうだ、ユキコは殺された。違うオレがコロシタ」


 そして男の奇妙な叫び声が響いた。


 その時なんとか発進準備が整いました。


 もう男の身の心配などしていられる状況ではありませんでした。


 発進準備が整うと男が車両に捕まっているのも構わず走り出しました。


「呪いだ。あの村はノロワレテイル」


 死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね。


 私はそのまま耳を塞いで、目を瞑った。


 もしこれが夢ならば早く覚めてほしかった。


 けれどそれは夢なんかじゃないのだと、ドアに貼りついた手形が私を苦しめた。


 




 あれから十数年たった今でも、あの時の叫び声がまだ耳に残っています。


 そしてこれがあの時の、手形。


 車掌が示した先には、薄っすらとそれは呪いのように、自らの存在を残すように、その手形は時を経てもそのまま残っていた。

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