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第七話 最果てでの選択

 手に持っているK村までの行き方を、電車を待ちながらずっと眺めていた。


 手荷物は軽く。けれど期待や不安が多く詰め込まれたバックが心なしか少し重かった。


 よく晴れた日だった。


 陽の射している日中は、普段外出する時よりも薄着で済みそうだった。


 僕は再度、道順が書かれた紙を開く。


 僕と教授が話した日に、K村を訪ねてみてはどうかと提案されて、僕は興味のまま頷いた。


 書庫の調査ではどうしても限界というものがある。それに集中力だっていつまでも保てるわけではない。


 そう考えると、百聞は一見にしかず。実地調査という提案は書庫で悶々としているよりも遥かに有効な方法だと思った。


 教授はその返答を聞くと、その日のうちに地図と簡単な行先。それにかかる諸々の費用を用意してくれた。義父には僕が村に行くことを初めから知っていたような手際だった。事実予測はしていたのだろうと思う。


 そんな理由で僕はこの閑静な駅で三十分前から立っていた。


 どうやらK村、もとい久留井村に行くためにはこの駅にしかない電車を使うしか方法がないようだった。


「それにしても、こんなところに電車が走っていたとは」


 突きつけられた事実よりもそのことの方が僕には不思議だった。あたりを見回しても僕のほかには誰一人としていなかった。それに僕はこの駅に今まで電車が止まっていたのを遠目ですら見たことがなかった。


 電車で行くことは想定していたけれど、それは大抵の人が利用する国が運営する一般的な電車だと思っていた。


 それに……。


 この紙を見るに電車だけで行けるものではないらしい。


「徒歩はいやだな」


 僕は簡易的な地図を眼で追っていく。電車を降りた後は久留井村までは徒歩のようだ。


 注釈に一本道だから迷うことはないだろうと書いてあるけど、どうもその横に約一時間と書いてあることが疑わしい。


 これは少し困難な旅になるのだろうかと、ため息をつき、僕は電車が来るのを待った。


「それにしても、ほんとに寂れたところだな」


 野鳥の声すらも響かない場所で、白く出る息を眺めていた。





 ガタンゴトンと、電車特有の揺れに身を任せていた。


 あれから駅のホームでしばらく待ってみたところ、一両だけの車両が僕の前で止まった。車掌が何か珍しいものでも見るような眼で僕を見ながら、電話を受けてみればこんなこともあるのだな、と小さく呟いた。


 僕はわけもわからないまま乗り込むと電車を停止した車掌が近寄ってきた。


 切符を確認するよと言われ、それを差し出しながら、僕は居心地の悪いまま座席に座った。


 しきりに感じる視線に悪意はないのだが、どうも気になった。


「あぁ、呪いの村か」


 小さく、とても小さかったので、そう言ったのか分からなかったが、多分そんなこと言っていた。


 僕は車掌から半券だけ受け取ると、窓の外を眺めた。努めて平然を装っていた。


 車掌はそれ以上何も言わず操縦席に戻ると、ドアが自動で閉まり緩やかに進みだした。


 景色は見る見るうちに変わっていった。


 見慣れた景色はしばらくして、たまに見たことのある景色に。たまに見たことのある景色は、見ず知らずの景色に。そして走り出して数十分のうちにトンネルを越え、鬱蒼とした森林のなかへと景色は変わっていった。


 僕は再び地図を開いた。なにも変わることのない景色に飽きてしまった。


 なにか暇つぶしになるように本でも持ってくればよかったと思うが、それは過ぎ去った話。


 ここからどれぐらいかかるのだろうか、と調べてみれば地図には二時間くらいと書かれていた。


 僕は内心では悪態をつきながらも、久々に良い休養になるとでも考えることにした。


 幸いにこの車両にいるのは僕だけ。


 電車の心地よい音と共に暫しの休息を求め目を瞑った。





「お客さん」


 そんな言葉に夢が覚めていく。


 何事だろうと、薄く眼を開いてみれば、誰かが僕を揺すっていた。


 大きな欠伸が零れる。脳が酸素を渇望した。


「お客さん、着いたよ」


 少し呆れたような眼で見られてようやく現状を理解する。


「す、すいません」


 あまりの寝ぼけ具合に恥ずかしくなる。寝起きは強いと思っていたのだが、こんな体たらくだった。


 そういえばと、思い起こせばあの悪夢は見ることはなかった。多分それが深く寝入れたことの原因だったのかもしれない。


 それと心なしか体も軽くなっていた。


「お客さん、そろそろ降りてもらえませんか」


 僕が体のあちこちを見ながら、掌を握ったり開いたりしていることに痺れをきらしたのか、口調は少しきつめだった。


 僕は急いで荷物を引っ掴むとドアから出る。


 ホームに降り立ったと思ったら、少しだけこの場所がおかしいことに気が付く。


「ホームがない」


 そうだった。ここには何もなかった。


 大抵なら駅には、掲示板があり、ベンチがあり、そもそもある種建物の中にホームが存在する。


 けれどここは違った。周りは緑で囲まれた森林だった。建物はおろか、ベンチも掲示板すら存在していなかった。


 世界はそこで途切れていた。線路はそこが最果てだと言っているかのように途切れていた。


 僕のそんな姿に不審に思ったのか車掌が声をかけてくる。


「ここは駅ではない」


 それは分かっていた。言われなくてもそれくらいは分かる。


「何があって君がここに来たのかは分からない」


 僕だってうまく現状が飲み込めていない。僕はこの状態をどう説明すればいいのだろうか。


 そんなことを考え悩んでいると、車掌は再び口を開いた。


「君に残された道はこのまま進むか、このまま何も見なかったかのように戻るかだよ」


 それがどんな事を意味するのか理解できなかった。


 僕はただ久留井村に行こうとしただけ。


 なのに、なんでこんな不安な気持ちになっているのだろうか。


「多分、君がどちらを選ぼうがきっとそれが正解なのだろうと思うけど」


 僕は混乱したまま車掌の顔を見ていた。どうもこの車掌の言葉が僕を迷わせていた。


 冷汗が肩を流れた。


 手に骨が浮かび上がるほど強く握った。


「ははは……」


 僕はなぜかそこで乾いた笑い声をあげた。


 僕は何を迷っているというのだろうか。迷う必要などどこにもないはずなのに。


 僕はここに遊びにきたわけではないのだ。


 後悔しないため。有意義に過ごすため。


 そして、……。


「どうやら無駄な問答だったみたいだね」



 僕の瞳を見て車掌は、ふと笑顔を見せた。あまり良い印象のなかった車掌が初めてそんな表情を見せた。


「ここから久留井村まではそこに見える道をまっすぐ進めば着くはずだよ」


 車掌が指さした先には木と木の間に明らかに道のようなものが出来ていた。


 僕は車掌に一礼すると、歩き出そうとする。


 そんな時だった。


「ちょっといいかな」


 車掌は少しだけ不安な顔をして僕を引き留める。


「別に行くことを止めるわけではないけど、最後にいいかな」


 僕は車掌に振り返り、顎を引くように頷いた。

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