第二十三話 夢、屋上での出会い
これが夢だって気づいたのは、その世界があまりにも狭く感じられたからだろうか。
僕は教室の端に座り、窓から外を眺めていた。
休み時間なのか教室の中では思い思いにはしゃぎ回る子供たちがいたが、僕は違っていた。
楽しそうに話している子供たちの横で詰まらなさそうに外を眺めていた。
僕はその子の中にいた。
人格として存在しているわけではないのだが僕はその子と体を共有していた。
例えるなら霊的なものだろうか、体は自由に動かせないのだが、僕にはその子が考えていることが理解できた。
ねぇ、君はどうして一人でいるの?
僕はその子にコンタクトしてみた。
しかし僕の声は届いていないのか、無視しているのか返事は返ってこなかった。
彼は苛立っているように見えた。
現実にあるもの全てを嫌うように。
誰も僕の気持ちなんか分かってくれないと空に悪態を吐いていた。
その子には暗い影が見えた。
彼の心の底にある何かを見せないように、覆い隠した影が見えた。
何がそんなに君を苛立たせているの?
しかしそれにも答えてはくれず、彼は立ち上がった。
「ちっ」
そんな彼に近づいてくる女の子が見えた。
彼の心が憎しみで灯るのがよく見えた。
「颯太君も一緒にご飯食べよう」
「どけ」
颯太は行く手を阻むように立った女の子を冷めたように見ていた。
「いつもどうしてそんなこというかな」
女の子は彼の凄みに動じる様子もなく、呆れたような顔をしている。
「ほら颯太君って友達いないでしょ、一緒に食べようよ」
ちょうど昼の時間なのか、思い思いの席で子供たちは弁当を広げていた。
この学校には給食という制度は存在していない。
ましてはお金さえも持たない十一、二歳の子供たちは母さんが作る弁当が昼食だった。
という颯太も、弁当を手にしていた。
「いちいちうるさいんだよ」
昼食といっても特に教室で取らなくてはいけないなどというルールは存在していない。
颯太は席を立つと一人で静かに食べれるところに向かおうとしていた。
「僕はあんたなんかと一緒に食べたくない」
颯太の邪魔している女の子は、最近妙にお節介を焼いてくる紗枝莉という子だった。
颯太は紗枝莉を憎んでいた。
それは以前紗枝莉が颯太のお父さんを傷つけてしまったがため。
「なんでいつもそうやって私を避けるの?」
紗枝莉はなにも分かっていない様子だった。
そのなにも分かっていない顔が。颯太をさらに苛立たせた。
「嫌いなんだよあんたのことが!」
気がついたら叫んでいた。
みんなが彼らに視線を向けた。
教室が静まり返る。
「いいからどけてくれないかな?僕も早くご飯食べたいんだけど」
そう言って無理やり教室を出ようとする。
「な……に、よ」
颯太は俯いたまま何かを呟いている紗枝莉を押しのけると教室を出た。
「なによこの馬鹿!」
教室のドアの方から泣き声と共に叫び声が聞こえたが無視する。
また、うまくいかない。颯太の心が少しだけ沈んだ。
どうしてこう、うまいことが言えないのだろうか。
颯太は外に出よう階段を登っていった。
なんだよ。
颯太は鉄の扉に悪態を突いた。
その扉は鍵が掛かっているのか開かなかった。
そもそも外観だけで屋上に出られるのではないかと判断した自らが馬鹿だったとため息を吐いた。
どこか開いている教室で昼食を取ろうと踵を返そうとしたとき、階下から足音が聞こえた。
何事だろうかと彼は階下を見てみれば、僕よりも随分年上であろう女子生徒がやってきた。
この学校は村唯一のため全ての学生が押し込まれている。
だからここに中学生や高校生がやってきてもおかしくはない話だった。
「おや」
その女子生徒は彼に気づいたのか奇怪な声を上げた。
彼女がここに登ってきたときに颯太を値踏みするように見た後口を開いた。
「まだ若いようだが、自殺志願者かい」
彼女は口元を吊り上げるとなにがおかしいのか笑っている。
「あんたは」
「は?」
「あんたは何者だよ」
颯太は彼女の問いかけを無視するとその女を睨みつけた。
「あんたって……今時の餓鬼は口の聞き方も分からないうえ、愛想もないのかよ」
彼女は呆れたように手を上げた。
そして颯太に興味を失ったのか、スカートのポケットに手を突っ込んで小さな鍵を取り出した。
かちゃりと小気味良い音がした後、彼女はドアを開いてその中に入っていってしまった。
颯太はしばらく迷った後、そのドアを押し開けた。
「誰に許可もらって入っているんだよ」
彼女は颯太が入ってきたことを確認すると喧嘩腰にそう投げかけてきた。
「ならあんたは誰に許可とってその屋上の鍵持ってんだよ」
「あんた本当に可愛くないね」
「余計なお世話だよ」
颯太は給水等に背中をあずけると弁当箱を開けた。
そんな様子が面白かったのか、彼女は近づいてきて颯太を見下ろした。
「おやおや、教室でご飯食べないのかな?いじめられてるのかな?」
「あんただって弁当持ってきてるくせに」
それだけ言うと颯太は自分の弁当を食べ始めた。
彼女もなぜか颯太の横に腰を下ろすと弁当を食べ始めた。
「なんで僕の隣で食べ始めるのさ」
「いいじゃん、私がいなければ君は屋上に出られなかったんだから」
しばらく無言で食べ続けていた。
颯太は弁当を食べながら空を眺めていた。
「あんた、何年生?」
「人の聞く前に普通は自分の事から言わない?」
「いちいちうるさいな、私は高校三年の北村 綾香」
さて君は、と尋ねられる。
「……小学一年」
「それで名前は?」
「篠崎 颯太」
「ああ、あの問題児ね」
綾香は颯太の名前を聞くと知ったようにそう言った。
村の噂なんて一日もあればみんなに伝わる。
それは年齢、性別関係なくみんな知ってしまう。
「なんで屋上なんかに来たの?凶暴な問題児が苛められてるってわけないだろうし」
「別に、ただうるさいやつらと一緒に居たくなかっただけ」
狭苦しい世界に押し込められるのが嫌だったから。
「颯太は歳の割に冷めてるわね」
冷めているというより、人より早く大人になりすぎたのだろう。
それよりもなんでこいつはいきなり馴れ馴れしく名前を読んでいるのか疑問に思った。
「あんたは、あんたはどうしてここにいるの」
「あんたって……名前教えたでしょ」
「馴れ馴れしいのは好きじゃないんだよ」
「愛想なさすぎ」
はあ、と隠そうともせずにため息を吐いて見せた。
「私は、眩しいのが苦手なんだよ」
そう言って太陽を遮るように手を掲げた。
「教室内は私には眩しすぎるんだよ。みんなの笑顔が、笑い声がたまに鬱陶しくなるんだよ」
そう言って苦しそうな笑顔を向けた。
なぜか颯太も少しだけ共感した。
「こうしてたまに一人にならないと、理性が保てなくなるんだ」
そう言って彼綾香は立ち上がって、屋上の端まで歩いていった。
屋上にしては珍しく、柵が存在していなかった。
「颯太は、あるかい?」
綾香は颯太に向けて大声で話しかけてきた。
「何が?」
颯太も大声で答えた。
「自殺。自殺してみようとしたこと」
綾香は屋上の縁に立ち、飛び立つように手を広げた。
少しでも風が吹けば落ちてしまいそうなほど危うかった。
「お、おい」
颯太はすぐに立ち上がると綾香の方に向かって行った。
「大丈夫よ」
そう言って、綾香は縁から離れた。
なぜか先ほどの綾香は危うく見えた。
「なんてことしたんだよ、なんてことしたんだよ!」
颯太は綾香に怒りをぶつけた。
少しでも、少しでも風が吹けば落ちてしまったかもしれない。
「あんたは……、あんたは自殺がどれだけひどいことだか知っているのかよ」
久しぶりに感情が高ぶっていた。
綾香が今しがたしようとしたことにものすごく腹が立った。
「なんで、そんなに怒っているの」
綾香は颯太が突然怒り出したことに驚いている様子だった。
「あんたは親の気持ち考えたことあるのかよ。考えてるならあんな行動出来ないだろ。死んでたかもしれないんだぞ」
「心配してくれてるの?」
「ふざけるな。もう二度とあんなことするなよ」
颯太の勢いに押されたのか綾香はごめんと謝った。
それから二人で給水等のところまで戻ると綾香が独り言のように話し出した。
「本当は死ぬつもりだったんだ」
「は?」
「ごめん、怒らないでね。けど本当に死のうと思っていた」
だからあの時、自殺志願者って聞いたのかと思い出した。
「私にはこの世界で生きていくには疲れてしまったの」
綾香は悲しそうな顔をした。
颯太は黙っていた。
なにか深いわけがあるのだろうが、簡単に聞いてはいけない気がした。
「けど、なんでだろう。なぜかさっき死にたくないと一瞬思ってしまった」
あの時、屋上の縁にいた綾香は死ぬつもりだったのだろうか。
「きっと、私は見つけてしまったのかもしれない」
「何を?」
「私にとって眩しくない人」
そう言って綾香は颯太を見て笑った。
颯太はそのあまりにも純粋な目に居心地が悪くなり、目を逸らした。
「お、照れてる、照れてる」
「照れてなんかいないよ」
颯太は左首に手を当てた。
「それよりも眩しくないってなんだよ」
「そのままの意味よ。輝いていないってこと」
綾香は悪戯に笑った。
「はぁ」
颯太はため息を吐くと立ち上がった。
「どうしたのよ、いきなり立ち上がって」
「そろそろ授業始めるよ」
颯太は弁当を包み直すと手に持った。
「明日も、来てくれる?」
屋上のドアを出るときそんなことを綾香は言ってきた。
颯太はその問いかけに答えないまま階段を下りていく。
「来てくれなきゃ死ぬからね」
颯太はその声にも反応しなかった。
「絶対だからね」
それを最後に綾香の声は聞こえなくなった。
颯太は綾香の声が聞こえなくなった所でため息を吐いた。
「輝いていないか」
そう呟いてから、少しだけ笑みを浮かべた。
なぜか久しぶりに心休まる心地がした。
北村 綾香か……。
それは颯太には暖かく響いた。けれど悠二にはさびしく響く。
春の匂いが残る昼だった。
僕たちはこの日を境に少しずつ変わっていくことになる。
それは良い出会いだったのか、悲しい出会いだったのか悠二にも分からない。
それでも夢から目が覚めた悠二は涙していた。
「僕は何かを忘れている」
起き上がって見た屋上の景色は夢の景色とほとんど同じだった。
唯一違うのは、あの日よりも古くなってしまった校舎と。
校舎と空を遮るように、あの日ある筈のなかったフェンスが。
なんぴたりと転落させないように四方を固めている。
それだけがあの日とは確かに違っていた。




