第二十話 朝、学校にて
「遅いぞ、兄上」
玄関では有香が怒りを隠そうともせずに待っていた。
父さんの書斎から出てから、教師ってどんな服装すればいいんだろうと考え、スーツで有香の所に言っては普通の服にしてくれと呆れられ、身支度を整えていたら案の定こんな時間になっていた。
「ごめん」
僕は申し訳なさそうに頭を下げると、有香と一緒に家を出る。
後ろから父さんと母さんが大声でいってらっしゃいと声をかけている。
普通に恥ずかしい。
「ほら、いつまでもたもたしているんだ」
急ぐぞと言った有香に急かされるように早足になる。
「ここから学校までってどれくらいの距離あるっけ」
「急げば、ぎりぎり15分ってところだっろう」
腕時計を見ると、確かに間に合うか間に合わないかの瀬戸際だった。
とりあえず、無駄口をたたいている暇があるのなら急ぐのが先決だろう。
僕はそれ以上しゃべるのを止め、学校に向かった。
結構な距離を歩いただろうか。15分というものの歩きなれていない場所では体感的に長く感じる。
やっとのことで着いた学校はなかなかに大きなところだった。
「どうやら間に合ったみたいだな」
とは言っても、周りは登校している学生ばかり。
教員がやってくるにしては遅すぎる時間ではないだろうか。
事務とか朝礼とか会議とか、なんか重要なことがあるのではないだろうか。
「や、悠二先生久しぶり」
僕の横に一人の学生がやって来てあいさつをした。
「あ、あぁ久しぶり」
知らない人に挨拶されるとぎこちなく返事をした。
それが発端になったのか、徐々に挨拶が増えていく。
「あ、おはよう」
僕は挨拶を投げかけてくるみんなに律儀に挨拶を返していく。
「ふふ、相変わらずの人気だな兄上は」
そんな様子が面白かったのか、有香は隣で笑っている。
「これだから、結衣子が嫉妬するんだぞ」
な、結衣子と後ろを振り向くとそこには一人の女性がいた。
「ち、違うよ有香ちゃん。別に嫉妬なんて……」
結衣子はいつの間にかそこに居たのか僕が顔を向けると、慌てたように俯いた。
「してないの?」
有香が意地悪に、けれど楽しそうにそう告げた。
「ちょっと、人気があって悔しいかな……ち、違うんです、なんでもないです」
一瞬僕と目が合うと、一人校舎のほうに走っていってしまった。
「あ、行っちゃった」
僕はそういえば挨拶してなかったと思ったが後の祭りだった。
「あんなに走ったらせっかくのお弁当が台無しではないか」
こっちはこっちで何かわけのわからないことを呟いている。
それよりも、彼女も教師なのかと、当たり前のことを理解した。
確か担当科目は……。
「家庭科。結衣子がもっとも得意とした教科」
僕の心を代弁するかのように有香がそう告げた。
「それよりもいよいよ時間は厳しいな、私たちも走るぞ」
そう言って、走り出した。
「ちょ、待ってよ」
僕は置いてかれないように有香の後ろを追っていった。
「おはようございます」
職員室に入るなり、挨拶を始めた有香に従って挨拶を始める。
初めて職員としての立場で入る職員室に少しだけ緊張した。
「久しぶりですね、おはよう」
年の近い同僚らしき職員から挨拶が返ってきたり、休んでいた期間のことについて冗談を言われたりする。
周りを見渡すとそれほど多くの職員がいるわけではないように思えた。
村でやっているものだからこんなものなのだろうかと自分を納得させた。
有香に案内されるように着いた席に荷物を置いていると、だいぶ歳を取った男が近づいてきた。
「この、馬鹿者めが。かってにどこぞをほっつき歩き追って」
その男が近づくと、いきなり僕に吼えてきた。
「すいませんが休職させてくださいだと?許可も取らないで、手紙だけ置いていきおって」
周りからざわざわと職員らで話し合っている声が聞こえる。
また始まったよ、そのうち血管切れるぞ、これだから頭の固いやつは等々。
僕は有香に視線を向けると隠すこともせずにため息を吐く振りをした。
「それに久々にきたと思ったらこんなギリギリに出勤とはの」
そんなこと言っても散々心配していたくせにと、どこからともなく聞こえた。
「なっ、わ、わしが心配するわけないだろ。だ、誰じゃそんな嘘を言うのは」
なぜか突然慌てだした。周りではそれを面白がってくすくすと笑いあっている。
「教頭、そろそろ会議を行ったほうが良いのでは」
話がいったん止まったのを好機と考えたのか、有香が手を挙げながら僕の前の歳の召された職員、もとい教頭に進言した。
「そ、それもそうだな。では始めようか」
まだ少し慌てていたが、僕を最後に睨むと、離れていった。
「あぁ見えて、実はずっとお前のことを心配してたんだぜ」
そう耳打ちしたのは僕の横にいる男性の職員だった。
胸から掛けられているネームプレートには相川 遼と書いてある。
机に乗った数式の教科書やら定理の本などを見るに数学教師なのだろう。
「それよりも何処行ってたんだ、学校サボって」
気さくに笑いかけているのを見るに仲の良い同僚という間柄なのだろう。
僕は話を合わせることにした。
「ちょっと気になる遺跡を見に行っててね」
そういうと、相川は苦笑いを浮かべた。
「遺跡も良いけど少しは笹草のことも心配してやれよ」
笹草……結衣子のことか。
「余計なお世話だよ」
そんなことを二人で笑いあっていると、会議は始まった。
今日の予定やら少し先に控えているなにかの行事やら。
僕はメモを取りつつ聞いていた。
会議が終わりそれぞれが担当する教室に行く準備を始めたところで、僕は気になる人を見つけた。
それまで結衣子を眺めていたのだが、ふとした拍子に結衣子に近づいた女性に意識が向いてしまった。
「あれは、確か」
昨日の夕暮れに、泣きながら歌っていた女性だった。
僕が始めてこの村に来た際に木の実を落とし、意味深なことを言って逃げ出してしまった女性。
彼女は結衣子と仲が良いのか笑いながら雑談している。
なんとなく絵になるなとしばらく眺めていると有香がやってきていた。
「ほら、兄上行くぞ。ん、なんだ結衣子のことを見ていたのか」
僕の視線の先にいる女性を一瞥すると、笑顔になってしきりに頷いている。
「そんなに顔を見ていたいなら、直接話しをしに行けばいいのに」
結衣子なら大歓迎だぞと背を押してきた。
「そんなことしたら結衣子は慌てふためだろ。それよりもあの横にいる人は誰?」
安易だっただろうか。結衣子と友達なら、また結衣子と友達の人も有香と友達。
僕はそんなことを考えて有香に訊ねていた。
「あぁ、あの女か」
空気が凍ったような気がした。
僕はまずいことを聞いてしまったのだろうか。
有香がその女性を捕らえると、笑顔が消え無表情と化した。
「あの女は英語の教師だよ」
それ以上でもそれ以下でもないと言っているようだった。
「有香はあの人と友達ではないの?」
なんでこんなことを聞いてしまったのだろうか。有香の変わりように混乱していた。
「友達?私から、みんなから大事なものを奪ったあの女が友達?」
そういうと何かを殺すように、自虐的な笑みを浮かべた。
「あいつは存在することも許されないような女なのんだよ。それなのに友達って笑わせないで」
僕はなにも言うことが出来なかった。
「あいつは私の兄を殺したのだよ。颯太を殺したのだよ」
僕はそこで気になる言葉を二つ聞いてしまった。
「兄って?颯太って?」
僕は不可解に思った。
有香にとっての兄は僕のはずだった。それに颯太とは僕の夢に出てくる人物だった。
僕は問い詰めるように有香を見つめると、まるで邪魔をするかのようにチャイムが鳴り響く。
「おっと兄上何をしているんだい、早く行かないと遅れるぞ」
チャイムが鳴り終えると有香はまるで何事もなかったかのように職員室の扉に向かう。
僕はすぐに追いつくと有香の行く手を遮った。
「ちょっと待って、さっきの話は?」
有香は怪訝な表情を浮かべると僕の横をすり抜けた。
「気にするな私怨だよ」
いや、それだけではない筈だ。
「兄上、覚えておいた方がいい。好奇心が何を殺すかということを」
そういうと僕を置いて進んでいった。
そして振り向きざまに有香はいった。
「嫌いなんだよ。あの何もかも諦めて達観した色のない瞳が」
僕は聞こえたような気がした。
嫌いなんだよ。諦めた振りして、諦めれなくて足掻いているその姿が。
そして何より、未だに許しきれていない私がすごく嫌いなのだと。
僕は聞こえた気がしてきた。




