第十四話 詩い人
しばらく二人で料理について討論を繰り広げていると、外は次第に赤く染まっていった。
そんな様子に気づいて僕は彼女と座っていたベンチから立ち上がり伸びをする。
まだ体感としてはそれほど時間がたっていないと思っていたが、時間を忘れるとはこういうことなのかと実感する。
「外はこれから夜にかけて冷えるから、風邪ひかないうちに戻ろうか」
僕はもう少し結衣子と一緒にいたい気持ちもあったが、夕食のしたくをして待っている家族を想像すると、彼女らのために早く帰ってあげたい気持ちもあった。
「そ、そうですね。こんな時間までごめんなさい」
彼女が謝ることに慣れたとはいえ、さすがにこの時まで謝れるのは違うと思い、訂正する。
「ううん、今日は楽しかったよ、ありがとう」
僕は心の底からそう言うと、彼女は何を恥ずかしがっているのか、顔を赤くして伏せた。
僕はそんな彼女が可愛らしくて仕方ないと思った。
それと同時に、違和感はいつものように付きまとう。
あれほどこの世界で感情を表現することが乏しかった僕が、この村に来てから少しずつ変わりつつある。
何にも興味を示せなかったはずなのに、僕は家族に親しみを持ち、結衣子に好意を持っている。
「どうかしましたか、悠二さん」
僕が何かを考えているのを不思議に思ったのか彼女が問いかけてくる。
「ううん、なんでもないよ。それじゃあ、今日は楽しかったよ」
「私も、今日は、その、ありがとうございました」
それだけ言うと結衣子は家の方に走って行ってしまった。
本当に恥ずかしがりやの子なのだなと、少し苦笑いが出るが、僕も家路についた。
夕暮れを見たのはいつ以来だろうか。
僕の最近は図書館で日が暮れるまですごし、考え事が常に頭を渦巻き、外を見ている余裕などなかった。
夕陽がこれほど綺麗なものだったとは、しばらく忘れていた。
夕陽の紅はこの世の果てを僕に思わせた。それは夕暮れが友達と別れて家に帰らなくてはけないからか、はたまた、夕暮れの後に闇夜が広がるからか。
どちらにせよ夕陽は少なからず僕を感傷的にした。
そしてその感傷は僕の心の奥で少しだけ痛みを引き起こした。
渦巻く疑問と、今日一日で芽生えたこのまま流されてしまいたいと思う気持ち。
僕は少なくともここまで楽しいと思う一日は僕の記憶がある限り初めてだった。
そう、家族というものがここまで素晴らしいという事を知った。知ったら手放せなくなりそうだった。
僕は今の義父に拾われるまでの記憶が曖昧だった。覚えているのは何かを怖がって狭い所にいる自分や、なぜか血まみれになっている自分。その記憶から推測するに、僕が義父に拾われるまでの生活はひどいものだったのだと思う。
だから、僕は今の久留井村での家族というものが偽物だと思えてしかたがなかった。僕に残っているわずかな記憶と、久留井村の家族は比べるのはおこがましい。
そう結論づけると、やはり、悲しくなってくる。
溜息を吐くと、白い息が浮かび上がった。
次第にその息は外気に混じるように消えていく。
僕は寒さからか手をポケットに入れると、なにか手に当たるのを感じた。
それは木の実だった。
僕はそれを取り出したときにようやく気付いた。
「そういえば、あの女の子の名前、聞けなかったな」
この村に入る前に出会った女の子。黒い艶やかな髪をなびかせていた女の子。純粋で儚げな女性。
そんなことを思い出していたからだろうか。僕はどこからか聞こえる歌にしばらく気付けなかった。
この気持は届くことはない。
闇夜に流れる一瞬の星のように。
気づいた時には終わっている。
想いを募らせれば募らせるほど、傷つけ。
想いを募らせれば募らせるほど、傷つき。
二人は一生、重なることはない。
希望もいらない。
優しさもいらない。
だけど私は想い続ける。
それが、二度と叶わない願いでも。
それが聞こえてきた歌の一節だった。
その歌は悲しい歌だった。まるで、僕が伝記で読んだ物語の男の心情のように。
僕はその歌を奏でる人の顔を見ようと気付かれないように近寄る。
僕は息をのんだ。その人物は村の直前で出会った女性だったからだ。
僕はしばらくの間、彼女の邪魔しないようなところで悟られないように聞いていた。
彼女は嗚咽をこらえるように、泣きながら歌い続ける。
僕ももらい泣きしてしまったのか、知らず知らずのうちに涙を一滴流していた。
君の影を探し続ける。
いつまでも、いつまでも。
その笑顔が見たくて。
けれど、君はどこにもいない。
どんなに叫んでも君には届かない。
どんなに叫んでも君は見つからない。
二人は一生、重なることはない。
それでも君を見つけるその日まで。
私は歌い続けるよ。
それが、二度と叶わない願いでも。
それを最後に彼女は泣き続けた。
僕はそれ以上いたたまれなくなると、木の実の入った袋を彼女の近くに置いて走り出した。
なぜか僕の目からも涙が止まらなくなっていた。
走っている理由さえもわからなかった。
けれどなぜか悲しいと思ってしまったんだ。
もらい泣きしたのとは違う。
自分自身の心が、その詩に共鳴していた。
それは僕の知らない、僕の中にいる誰かが、必死に何かを叫んでいるようだった。




