S級魔王様は有能な部下達にお怒りあそばされます
雑貨店から持って来た工作机の前に座ったモッチは、犬耳をピコピコさせて、むーん、と唸っていた。
これから魔法道具を作るにあたって、必要な資材を考えているみたいだった。
「知恵の悪魔によると、魔力の伝達を最適化するためには魔銅、魔銀、魔金の素材による魔術回路が必要です。ですが阿臥王国では手に入らないので、銅や錫を代用していました」
「よし、では作るか」
「作る?」
魔王バンドール様は、彼女の言葉にしたがって、『箱庭』の一角に魔銅、魔銀、魔金の鉱山をお生み出しあそばされた。
絶賛稼働中のゴーレム達がそれぞれの原石を削り出し、ゴーレム工場へと運び込まれたそれはすぐさま加工され、使いやすい繊維状のものから板状のものまで、さまざまな形に生まれ変わる。
その一部をモッチの牢獄に運び込ませれば、部屋はあっというまに素材だらけになった。
素材が部屋に運び込まれるや、モッチは、凄まじい勢いで溶接機やヤスリを使い、魔法道具を作り始めた。
いままでアイデアだけ溜まっていて、実現のできなかったことがいくつもあったのだ。
「モッチ、出来上がった魔法道具はどうやって勇者に渡すつもりだったのだ」
「冒険者ギルドに、秘密の伝手があるんです」
こうして出来上がった魔法道具は、モッチが冒険者ギルドに直接もっていって、勇者プレミールに渡してもらっていた。
どうやら、魔法道具の取引をする地下組織ができていたらしい。
「製造と販売は禁止されていますが、じつは単純所持は見逃してくれることが多いんです。冒険者の場合は魔族から奪ったり、ダンジョンで拾ったり、色々な入手方法がありますから」
「摘発しても、キリがないということか」
冒険者も命がけの仕事をしているので、簡単には禁止令に従わない。
王国の兵士達もそれをわかっているため、むやみに奪ったりしないのだ。
それにモッチが作ったものは、いずれも禁止されている魔法道具のリストにはないものだ、摘発される危険は少ないだろう。
照明弾、焼夷弾、ハンドガンに通信機、鑑定魔法を発動するスキャナー、魔力素の量を探知する探知機、素材からその場で回復薬を合成するタイマーつき携帯用錬金釜、鎧の下に着込む防弾チョッキ、ヒートテックのインナー、足の負担を軽減するゴムシューズ、垂直の壁に張り付くスパイク付きシューズにグローブ、好きな長さに切って使える無限に伸びていくロープ、5000冊にもおよぶ魔導書の内容がすっかり保存されたタブレット、驚異的な収納力を持つアイテム収納ボックスに、歩いた場所が自動的に記入されていくマップ、モンスターやアイテムの位置を把握するレーダー。
気が付けば、勇者は魔王軍の現代装備にも匹敵するハイテク機器の塊になっていた。
勇者のための装備一式を一気に作り終えたモッチは、すべての力を出し切ったように呆然としていた。
「お店番をしている間……冒険者には何が必要かって、ずっと考えていたんです。あの時に、なにがあったらあの人は無事でいられたか、そんな事ばかり考えてしまう……」
「……予想を覆してくれる女だ」
これを勇者プレミールに渡せば、目的は容易に完了しそうだったが、魔王バンドールは、少々やりすぎたか、と不安に思った。
万が一、四天王にこれらが見つかれば、騒ぎになりかねない。
だが、今回ばかりは日程の都合上、自分が現場に行くことはできない。
「……少しばかり、様子をうかがわんとな」
魔王は後回しにしていた書類仕事を書斎でこなしながら、『千里眼』の異能を使って様子を探っていた。
隣には吸血鬼メイドが控えているため、タブレットを使うことはできない。
緊急時に手出しができるよう、常にガーゴイルを近くに配置させておいた。
阿臥王国では、王位継承権を得るために代々王子が試練を受ける。
そのひとつが、東西南北いずれかのダンジョンにもぐってゆき、それぞれの試験官が持っている王家の紋章を手に入れてくる、というものである。
100年以上前は本当に命がけのもので、王子も命を落とすことがざらにあったという。
なので、若いうちに冒険者ギルドに預けられ、鍛え上げられるという風習があった。
モッチと王子イリヒサは、その時に出会ったのだろう。
だが、核が縮小してモンスターが弱体化していたここ100年、この儀式はすっかり形式的なものとなっていた。
ダンジョンの道のりは平たんなものが選ばれており、モンスターはほとんど現れない。
腕の立つ試験官が危険をあらかた排除してくれているのだ。
さらに、今回は勇者プレミールの装備が違った。
王子の護衛も活躍する機会はほとんどなく、後半はおしゃべりなどをして、かなり打ち解けた様子だった。
「いやぁ、助かったよ。ところで君は、冒険者なんだってね?」
「……ふん」
多くが騎士の士族だったりするなかで、冒険者である勇者プレミールの存在はひときわ浮いていた。
しかし、どんな男に声をかけられたところで、男では取り付く島もない。
男たちを無視して、どんどん歩いていってしまう。
「……おいおい、あの女はやめとけ。なんでも王子の……」
「えっ、そうか、そりゃあ残念」
「相手が王子でなければ、諦めなかったんだがなぁ」
大活躍しながらも、いつもクールな勇者プレミールに、憧れの眼差しを向ける王子。
気持ちはわからないでもないが、プレミールにとっては迷惑きわまりなかった。
じっさいに、彼女がいまだにいい異性と巡り会っていないのも、王子の存在があったためである。
勇者プレミールのいら立ちが、魔王には手に取るようにわかった。
彼女が先日、日記を記しているところを、魔王は『千里眼』で見ていた。
(ああ、女の子と遊びたい……女の子とエッチなハプニングが起きないダンジョンに潜る価値なんてない……なんだこのパーティ、男ばかりじゃないか……)
ともあれ、このまま順調に任務を完了してくれることを祈るしかない。
魔王の計算によると、この先にいるモンスターと戦うには、このぐらいの装備は必須だろう。
やがて、ダンジョンの雰囲気が変わってくる。
一行は、ぴたり、と足を止めた。
どす黒い煤に覆われた床の上を、何かの生き物が這いまわっている。
ワンダー・バジリスク。
目の退化したヘビで、呼吸器官から熱を感じ取ることで地形を把握するため、首をきょろきょろと左右に動かしながら蛇行している。
魔王領でも地方のボスに指定されているモンスターである。
それらが、うぞうぞと無数に這いまわっており、一同はうめき声をあげた。
「なんだ……このモンスター……」
「……おい、こんなのが試練だなんて、聞いてないぞ! 用意しておいたモンスターはどこにいった!」
「たぶん、あそこだろう」
王子は剣を抜くと、異様に膨らんでいる腹を示した。
この様子では、試験官も無事ではあるまい。
だが、どうやらこの王子は、正体不明のモンスターとやりあうつもりである。
「おやめください、王子!」
「プレミールに、いいところを見せなきゃね」
「そんなことを言っている場合ですか、逃げましょう! おい、勇者プレミール! 王子の代わりに戦ってくれ!」
勇者プレミールは、凄まじく嫌そうな顔をした。
男のことなどどうでもいい、といった顔つきである。
かとおもうと、険悪な表情を一変させた。
きゅらーん、と目を光らせ、両手をぎゅっと胸の前で組み合わせた。
女の子のようにくねくねと身体をよじった。
「王子、私ヘビ恐いよぅ」
「ははは、相変わらず弱虫だな、プレミールは。よし、見てろ!」
「王子――ッ!?」
さすが勇者プレミール、汚い。
利用できるものは全て利用するタイプだ。
魔王バンドールとしては、王子イリヒサにここで死なれると困る。
阿臥王国のスパイをごく自然に追放するには、彼を王位に押し上げるのが一番の近道なのだ。
だが、魔王軍は誰一人としてそんな事を考えてはいないのだった。
とくに、四天王は魔王の考えと真逆だった。
「おっと、そのボンボンに逃げられると、俺様としては困るんだよなぁ!」
見ると、黒いタテガミをなびかせて、岩の上に獣の男が立ちはだかっていた。
首に下げているのは、七王の牙の首飾り。
魔王のいら立ちは、臨界点に到達しようとしていた。
獣王ベレルリィッヒだ。
いったい、なぜあの男がここに。
「あれは……伝説に聞いたことがある、100年前の阿臥王国に君臨していた、獣王……!」
「まさか、蘇ったというのか……!」
100年も昔にこの土地を統括していた魔族の主のことを、人間たちが知る由もない。
だが、獣王の装備も当時の文献にあったものとまったく同じだった。
大亀の甲羅の鎧を身につけ、巨人の骨から削り出した巨剣を肩に担ぎ、大きく裂けた口から牙を剥いている。
さらに、彼の体から放たれる魔力素の波動を浴びて、誰もがその異様な迫力に慄然としていた。
「やめろ! 王子に近づくな!」
「ったく、たまたま休暇中に里帰りしてみたら、なんだか俺様のダンジョンで面白そうな事をしてやがるじゃねぇかよ!」
いや、たまたまである訳がない。
竜王の配下である超級モンスターを大量に引き連れ、さらに昔の装備まで身につけて、自分が獣王であることを思い出させようとしていた。
おそらく、部下に任せると恥をかかせると考えた彼は、自らの手でこの問題を解決しようとしたのだ。
魔王バンドールの気づかない陰で、こうして健気に働いている忠臣たち。
その姿を目の当たりにして、魔王はなかなか複雑な心境になった。
「俺様の方も、ちょっと訳アリでなぁ……くくく、なあに、王子にはこれからひと働きしてもらわねぇと」
「何を……企んでいる……?」
「阿臥王国には、これまでどおり魔族と敵対関係でいて欲しいってことだよ! 魔王軍が好きなように操ってやる……阿臥王国を見る影もなく衰退させてやるぜ、ふははははー!」
(……イラッ)
さらに、自分と獣王の目的がだだかぶりしていたのを知って、魔王バンドールのいら立ちは一瞬で臨界点に到達した。
隣にいた吸血鬼メイドは、豹変した魔王の様子に目をむいた。
黒檀の机がガタガタと震えている。
彼を中心にして、光が暗黒に染まっていくのだ。
そのとき、直下型の大地震が魔王領全土を襲った。
その地響きはやや遅れて、辺境の阿臥王国まで到達していた。
とつぜんの地面の揺れに、獣王ベレルリィッヒは、一瞬手を休めた。
「ん……? こ、これは……!」
盟友である彼にはわかった、この揺れは魔王バンドールの『怒り』だ。
魔王バンドールの怒りの凄まじさたるや、地底の炎竜の眠りを妨げ、数百年ぶりにこの大陸に地震を引き起こしていた。
この地震によって大陸プレートの移動距離が通常の数倍に高まり、ミスティア大陸とドゴン諸島を数キロ近づけ、1000年後の世界大戦の勝敗を決するほどの影響をこのドトール界にあたえていた。
S級魔王様がお怒りあそばされるということは、そういう事なのだ。
そんな天変地異に、周囲の生きとし生けるものはおろか、精霊たちまで逃げ惑い、世界の物質は魔力をうしなって、心なし薄暗くなっていった。
ワンダー・バジリスクたちもその例にもれず、びくっと震えあがったかと思うと、いそいそ、とダンジョンの奥へと逃げていった。
「お、おい……! お前ら、落ち着け! 任務の最中だろうがよ!?」
S級魔王様の威光の前には、獣王の命令さえただの犬の遠吠え、超級モンスターももはやただのヘビである。
まるで天敵に遭遇したかのように怯え、穴に潜り込んで、とにかく逃げようとしている。
その隙を、勇者プレミールは見逃さなかった。
「ふっ……隙を見せたな、獣王ベレルリィッヒ!」
弾力性に富むシューズで地面を蹴り、装備した者の動きを妨げない防刃スーツを操り、剣を迷いなく振りかぶると、なんと獣王ベレルリィッヒに一太刀を浴びせた。
「ぬぅぅッ!?」
彼女の装備していた剣は、切りつけると同時に超振動することによって、軽い力でも物体を切り裂くことができる、いわば強力な電動ノコギリであった。
本来ならば、槍や魔法でさえ突き通すことのできない獣王ベレルリィッヒの堅い獣毛を貫き、その片目を奪っていた。
予想外の痛手を負った獣王ベレルリィッヒは、怒りにぷるぷると震えていた。
彼の怒りも魔王に劣らず、激しいものである。
「てめぇ……この俺様に傷をつけるとは……ッ!」
とても人間とは思えないほどいい動きをする勇者プレミールを前に、獣王は戸惑っていた。
恐らく、魔法道具によって強化されているのだろう、獣王には、相手の戦闘力がまるでつかめない。
こいつを相手取ると、いったい何時間足止めされるか分からない。
だが、魔王に異変が起こっているというのに、こんなところで遊んでなどいられようか。
彼は武士である以前に、魔王の忠臣であった。
魔王バンドールの怒りを鎮めることができるのは、もっとも長い間彼の隣にいた自分しかいないのだ。
「ちぃ……ッ、完全に裏目じゃねぇか……ッ!」
そう言い残し、ベレルリィッヒは狼の遠吠えのような咆哮をあげると、さっとその場から逃げ去った。
普段から虫けら同然と見下している人間たちに対して、怒りに我を忘れるようなことがあってはならない。
獣王の見事な撤退である。
獣王がいなくなったダンジョン内は、急に空気が軽くなったような心地がした。
奥の暗がりに転がっているのは、試験官が持っているはずの王家の紋章だった。
王子はそれを拾い上げると、構えていた剣を鞘に収め、ふう、と息をついた。
「プレミール、僕の華麗な剣さばきを披露できなくて残念だったよ」
「………………」
「どうだろう、この後、僕と一戦を交えてみないかい」
「断る」
「ぐっ、ぐふぅ!?」
「王子!?」
「王子、しっかり! お気を確かに!」
勇者プレミールは、王子達をその場に残して、スタスタ、と立ち去っていた。
そうして王子たち一行は、無事に試練を突破した。
このときの勇者プレミールの功績は、獣王と王子を一刀両断した勇者として、阿臥王国全土に知れ渡ることになるのだった。
だが、その噂はまもなく王になった王子イリヒサによって箝口令が敷かれ、阿臥王国の外にまで漏れることはなかった。
そうするように仕向けたのは、魔王バンドールであった。
魔王バンドールとしても、獣王ベレルリィッヒの面目を護る必要があったのだ。
片目を失った獣王ベレルリィッヒは、魔王バンドールの前に跪いていた。
魔王は、淡々と書類仕事をこなしながら、獣王の方をちらりと見やった。
震えている。
怒りにか、それとも魔王の面目を失わせたことに対する、恐怖によってか。
彼は阿臥王国から8日をかけて走って戻ってきた。
本来なら1ヶ月はかかる距離を、飛竜のような速さである。
片目の傷は走っている間に塞がってしまい、もう元に戻りそうになかった。
魔王に対して、むやみに発言することは許されない。
かつてはお互いが気心の知れた仲であったとしても、いまのバンドールは魔族を超え、魔神になった至高の存在である。
いったい、彼の気を鎮めることができるのは自分だけだ、などと、どうして思い上がっていたのだろうか。
今は怒りを鎮めたように見える魔王に対して、獣王ベレルリィッヒは、かたくなに口つぐんでいた。
そのとき、吸血鬼メイドが、獣王ベレルリィッヒのそばにかがみ込んだ。
「これを、ベレルリィッヒ様」
メイドが差し出したのは、眼帯である。
丸い円盤と、それを結ぶ紐を取りつけただけのものだ。
さきほど、魔王が急いで取り寄せさせたものだった。
「ベレルリィッヒ、お前とはかれこれ100年になるな」
「そうだな……あっという間だ」
獣王ベレルリィッヒは、眼帯を顔につけた。
失った片目を覆ってくれるそれは、シンプルだったが驚くほどしっくり彼に馴染む気がした。
「お前には、これからも汚れ仕事を頼まなければならんだろう」
「バカヤロウ、俺様が好きでやっていることだ」
獣王ベレルリィッヒは、鼻で笑った。
魔王は、人知れずため息をついた。
S級魔王様にとって、人一倍いい働きをする忠臣ほど扱いにくいものはないのだった。