S級魔王様が知恵の悪魔様から奴隷をお召し上げあそばれます
阿附王国を縄張りにしている悪魔ラウムと、魔王バンドールの出会いは、彼が魔法学園の生徒だった頃までさかのぼる。
『扉』がこの世界にふたたび出現するようになったある日、彼は魔法使いの寿命に関するコラムを読んでいた。
「10年か……短いな」
当時、戦争に使役される魔法使いは10年のうちに戦えなくなり、死に至るという統計があった。
人間の体は魔力素がなくても生きていける反面、魔力素に満たされて生活することに慣れていないのだ。
だが、バンドールはどうしても魔法を使わなければならない。
魔法学園の結界の外は、モンスターたちの巣窟だった。
この土地にはびこるモンスターたちから『扉』を保護するには、彼の身体はあまりに非力すぎた。
姿を隠す隠匿魔法に、炎を生み出して相手を怯ませる火炎操作の魔法。
真正面からモンスターと戦う考えはなく、そういう魔法を駆使することによって、彼は命を繋いできた。
それがせいぜい10年しか続けられないとなると、その先の事も考えなくてはならなくなってくる。
図書館で使える魔法がないか、文献をあさる毎日。
そんな彼に話しかけてきた、魔法学園の生徒がいた。
「君もまた、人間の身には過ぎたる力を欲するのかね」
タカのように鋭い目つきに、葬式に出席するような黒服。
指には、鳥の紋章が刻まれた指輪をつけている。
東洋の出身者ではないか、とバンドールは思ったが、彼こそは、生徒の1人に化けたラウムであった。
「だったら、知恵の悪魔に頼るといい」
次にラウムと出会ったのは、バンドールが魔法学園の陰謀に気づき、教員達の魔法を奪った後だった。
悪魔に魂を奪われるとは、なるほどこういう事なのかとバンドールは理解した。
ラウムは、この学園を築いたとされる賢者プルソンの石像の肩に乗って、地面に届くほど大きな漆黒の翼をだらしなく垂れ下げていた。
「僕は切っ掛けにすぎない。与えられた力を人間がどう使おうが、僕には関係のないことだ」
ラウムは、皮肉げに笑って、無人となった学園に1人残されたバンドールを見下ろしていた。
「ただ、人より抜きん出た力を手に入れた人間が奢るのは常のことであるし、力を手に入れた人間を疎外してしまうのも、また人間の常のことだからね。力を手に入れた人間は、こうして魔に堕するのだ。くかかか」
ラウムが語った人間の機微に関して、バンドールはさして興味を示さなかった。
ようは、人間の社会にはもう戻れない、という事だろうと解釈していた。
魔法にしか頼ることができず、悪魔以外に頼る者がいなくなる。
人間であり続ける限り、悪魔の下につくしかない。
「お前の奴隷にならずにすむ方法を見つけた」
バンドールの手には、契約の指輪があった。
彼はその指輪を、自らの手で砕いた。
「魔族に転生すればいい」
そして彼はあっさりと人間であることを捨て、魔族になる道を選択したのだ。
ラウムは、にんまり口の端を吊り上げていた。
「いいぞ、バンドール! くかかか! 君は僕の奴隷にしてやるより、自由にさせておいた方が面白そうだ! この世界を、ひっくり返してみせろ!」
それから、100年の時が流れた。
魔王軍の閣議で、阿臥王国の話題が持ち上がった。
「近年、我が領地の魔族から不満の声があがっている。どうやら人間どもの経済力が上がっているそうなのだ」
大魔族の1人、竜王グレイ・ミストラス卿は、爬虫類じみた目で、ぎろり、と四天王をにらみつけながら発言した。
いまは人間の姿をしているが、本当の姿は300メートルを超える大蛇であり、獣王ベレルリィッヒに親族を討たれてからは、魔王軍の傘下にいる。
いまにも反乱を起こしかねない要注意人物として、緊急時にもすぐ動けるよう、魔王城の各所に兵士が配備させられていた。
だというのに、対する獣王ベレルリィッヒは、ふわぁ、とあくびをかみ殺していた。
竜王の発言に対しては、いつも興味がなさそうにしている。
これは、彼なりのポーズなのだろう、と魔王は解釈していた。
こちらから戦争を仕掛けるつもりはないという意思表示なのだ。
苺鬼ビビルは、ぺらぺら、と資料をめくって、恐る恐る報告していた。
「ええ~とぉ、最近、阿臥王国の経済力が上がりはじめているのは……魔法道具が作られるようになったから……みたいです」
「魔法道具だと? あの辺りでは魔石が産出されないという話だったではないか」
「はい、魔石なんてこれっぽっちも……けれど最近、東西南北ダンジョンが改装された影響で、また魔石が採れるようになっちゃったみたいです」
ダンジョンが強化されるたびに、阿臥王国が新しい素材を利用したアイテムを作るようになったのは、いまに始まったことではない。
だが、今回の魔法道具は、さらなるイノベーションを巻き起こしていた。
ダンジョン探索用のライト、コンパス、素材を保存するための保冷剤など、冒険よりも素材の収集をサポートする魔法道具が冒険者ギルドを中心にして広がっているという。
これらが活用されることによって、大量の素材が市場に流通するようになった。
素材が手に入りやすくなったことで、さらに冒険が容易になり、また大量の素材が街にもたらされる、といった好循環を生み出しているのだ。
こうして阿附王国は、この100年例を見ない経済の成長期を迎えていたのである。
軍師カルツァーデネフは、こほん、と咳ばらいをした。
「いま、阿臥王国は魔族との取引に重税を課しております。実質経済の流通はありません。脅威と捉える必要はないでしょう」
「だが、商人どもは種族の貴賤など問わず、金さえ持っていれば誰とでも取引をする連中だ。いずれ人間どもが取引を再開すれば、経済的な混乱を招きかねない」
「おいおい、だから人間ごときに何を躍起になっているんだ?」
「たかが人間、と侮っているが、本当にたかが人間が相手なら、すぐにでも解決できる話ではないか。魔王軍は、いつまでこの状態を放置しているつもりだ?」
魔王は、腕組みをしてうなった。
(……うかつだった)
魔王がモッチに教えたのは、家庭用の調理器具だったのだが、それをちょっと応用すれば、冒険に役立つアイテムを作られないこともなかった。
モッチならば、冒険者ギルドの役に立つアイテムを作ろうと思い立っても、不思議ではない。
さらに彼女は、知恵の悪魔の力を得ている。
十中八九、彼女の仕業と考えてもいいだろう。
「ご安心ください、魔王殿下。こんなこともあろうかと、すでに対策は打ってあります」
きりっと、眉根をつりあげて、軍師カルツァーデネフは、さらに追加資料をタブレットに映し出した。
(……イラッ)
予想通り、というか、今回もこの軍師の仕業であった。
やけに王国に対してムキになるようになった軍師は、すでにビビルの仕事を奪う形で対策を推し進めていたのである。
「阿臥王国に潜伏中のスパイを通じ、王国に魔法道具の禁止令を出させました。これにより、王国の経済成長はすでにストップしております。まもなく、旧来の水準へと減衰してゆく見込みです」
「うわーい! デネフ、ありがとぅー!」
「もうお前が阿臥王国担当でいいんじゃねぇか?」
場の雰囲気が、緊張状態から一気に和んでいった。
魔王は、鷹揚にうなずいていた。
四天王が勝手な行動をするのは仕方ない。
それを監視するために、こうして魔王は閣議に毎回出席しているのだ。
隣にいる吸血鬼メイドに耳打ちをする。
彼女は閣議の部屋から出てゆくと、水差しとコップを持ってきた。
魔王のために水を注ぎながら、そっと差し出された手紙をポケットに忍ばせる。
吸血鬼メイドは、何も言わない。どうせ詮索したところで無駄だ。
「……しかし、いったい誰が人間どもに魔法道具の作り方を教えたのでしょうな?」
「例の『魔族の裏切り者』でしょうか?」
手紙を渡した直後、議論はすり替わった。
そこで、今まで沈黙を守っていた魔王バンドールは、一言こう漏らし遊ばされた。
「あの土地を担当している知恵の悪魔が教えたのかもしれないな」
この魔王バンドールの発言は、閣議においてとてつもなく重要な意味を持った。
翌日、ラウムは謎の圧力によって担当地区を異動させられた。
それに伴って、阿臥王国におけるすべての奴隷契約が一時魔王に召し上げられる。
軍師カルツァーデネフは、ラウムの奴隷契約書をすべて手元に取り寄せていた。
苺鬼ビビルは、奴隷契約書の山を抱えて、軍師カルツァーデネフの後ろにひっついて歩いていた。
「ラウムは指輪を各地にばらまいて、人間の魔法使いに知恵を与えていたそうです。きっとあいつが魔法道具のことも教えたんでしょう」
「まだまだ、これからです。奴と契約を結んだすべての奴隷を洗い出し、阿附王国に摘発させるのです。スパイに『千里眼』の権能を一時的に解放し、あの土地から魔法道具を根絶するのです」
「うひょおー! デネフさん、さすがです! すごすぎるうう!」
苺鬼ビビルは、ぷるん、ぷるん、と頭の苺をゼリーのように弾ませながら、喜んでいた。
芳醇な香りが強まり、周囲のモンスター達も嬉しげに小躍りしている。
ここまで魔王の計算通りであった。
魔王は、手元にやってきたいくつもの契約書の中から、つい最近むすばれた犬耳娘との契約書を素早く抜き取っておいた。
『千里眼』の権能が与えられるには、いくつもの手続きが必要となる。
さっそく魔王は次の閣議までの時間を稼ぎ、阿臥王国へと向かった。
モッチの店に行くと、彼女は今まさに魔法道具を作成している最中だった。
兵士に隠れてこっそりやっているようだったが、この先それは通用しなくなる。
ふんふん、と鼻でにおいを嗅ぐように作業台に顔をうずめていたモッチの首根っこを掴むと、魔王は『箱庭』への『扉』を開いた。
「開け、『箱庭』。主の帰還である」
「えっ!? ええっ!? なんです!? なんなんです!?」
ごごご、と荘厳な音を立てて開く『扉』に入ると、そこはマイホームの一角。
中にまだ何も設置されていない、離れである。
四面はレンガの壁に囲まれていて、外の風景をうかがうこともできなくなっており、まさか異世界だとはモッチも思わないだろう。
床の上に投げ入れると、モッチは目を白黒させていた。
「きゃうん! ば、バンドーさん!?」
「口を慎め、今日からお前は我の奴隷である」
「はっ……はぅッ!?」
魔王バンドールは、壁から吊り下げられた手錠をじゃらり、と鳴らすと、ぶるぶる震えるモッチの手首に繋いだ。
「ふわぁぁ!? 何を……やめて、やめて……!」
「知恵の悪魔なんぞの知恵より、これを受け取れ」
頭をわっしと掴むと、魔王のその手から数字の形をした光が奔流になって、モッチの犬耳の間に注ぎ込まれた。
尻尾をぶんぶん振って、為すがままになっていたモッチだったが、やがて眠っていた何かが覚醒したかのように、目に不思議な光が宿った。
よし、と魔王はうなずいた。
『千里眼』の能力も届かないここならば、魔法道具は作り放題だ。
「少々、本気で魔法道具を作ろうか」