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5/16

S級魔王様は一度決めたデート計画は必ずご完遂あそばされます

 魔王バンドールはしばらくの間、阿臥王国の宿屋にご逗留あそばされることになった。


 書類を半分ほど前倒しで片づけ、あとの半分は郵便局にトラブルを起こさせて書類の配送を遅らせ、来期に再提出させるという裏技を使い、放り出してきた。


 こうして魔王城の職務を放り出していられるのも、もって5日間。

 いつまた戦争を起こすともしれないドラゴン族が出席する閣議には必ず立ち会わねばならない、その結果次第ではモンスターたちの統治機構そのものが破綻しかねなかった。

 その後も数々の仕事に忙殺される予定である。


 1日目、魔王バンドールは宿屋で優雅に寝そべって、タブレットをいじっていた。

 本を読むことはいまでも日課だったが、情報収集の一環として、阿臥王国の各地に潜ませたガーゴイルを操作しているのだ。


 ガーゴイルは、空を飛ぶ翼が生えたゴーレムの一種であり、その視界が捉えた映像はタブレットに映し出されるようにしつらえてあった。

 魔王ならば『千里眼』を使うこともできたが、ガーゴイルに見張らせておいて、何か動きがあれば向こうから連絡を送らせる方がなにかと便利である。

 とにかく、四天王が潜ませたというスパイの目があるお陰で、いままで通りの身動きが取りづらい。


 2日目、東西南北ダンジョンの核は手も付けられないまま放置され、地上部に氷の迷宮を生み出すほど成長していた。

 ダンジョンから地上に進出したモンスター達は、ついに『迷宮都市』の包囲を突破し、逆に都市の方を囲い込みはじめていた。


 唯一の抵抗勢力であったAランク冒険者たちは街への籠城を余儀なくされ、あふれ出したモンスターの脅威は、次第に魔王のいる阿臥王国へと迫っていた。


 3日目、小さな村がモンスターによって蹂躙され、家を追われた村人たちが王都に避難してきた。


 4日目、モンスターの脅威から逃れてきた避難民のテントが王都の至るところに築かれ、王都を囲う城壁は彼らの最後の砦となっていた。

 王都の人々も明日は我が身かもしれず、震えながら日々の生活を送っていた。

 しかし、魔王バンドールはこれと言って行動を起こす事もなく、じっと静観を決め込んでいた。




 5日目、絹を裂くような悲鳴が魔王の耳に聞こえてきた。


「誰か! 街の中にモンスターが! 誰か、助けて!」


 どうやらとうとう、王都にまでモンスターが現れたようだった。

 助けを呼ぶ声が、街中に広がっていく。

 魔王は『千里眼』の魔法を使い、街の様子をのぞき見た。


 そこには市場に乱入したモンスターのウルフに追われ、逃げ惑う人々の姿があった。

 避難民はテントを破壊され、無我夢中でわめくか逃げ惑うかしている。

 民家は残らずぴしゃりと扉を閉じ、冒険者達もこそこそと顔を背けて逃げ出していった。


「ひはーッはぁーッ! 俺のウルフから逃げてみせろぉ、人間どもぉーッ!」


 いったいどこの誰かは魔王も知らないが、たしか閣議で資料を見たことがある。


 獰猛なウルフにまたがっているのは、野蛮なゴブリン。

 この周辺の中ボスモンスター、ウルフ・ライダーである。


 魔王城にいるモンスターたちとは比べるべくもない弱小の蛮族だったが、核が強化されたおかげで力をつけてしまったらしい。


 素早い身のこなしのウルフの背から、剣や弓矢による素早い攻撃を繰り出してくる。

 ただの獣を超えた頭脳と戦闘力をあわせもっており、街にいる低級冒険者では、とても太刀打ちできない相手だった。


 懸命に立ち向かう者たちも、次々と手傷を負わされていく。

 そのとき、ウルフ・ライダーの皮の鎧に、赤いリンゴがぶつけられた。

 立ち止まったウルフ・ライダーの澱んだ目がとらえたのは、一人の少女である。


「……待ちなさい! それ以上、暴れると、ギルドマスターを呼ぶわ!」


 魔王は目を剥いた。果敢にも、モンスターに立ち向かっていたのは、なんと買い物帰りのモッチだった。


 舌なめずりをする獰猛なウルフ、その上にまたがったウルフ・ライダーも、にたりと口の端を吊り上げて笑っていた。


「げっへっへぇ、脆弱な人間どもが、俺たち魔族に逆らえるとでも思ってるのかぁ!?」


「きゃあッ!?」


 ウルフ・ライダーは腰から剣を抜き放つと、その切っ先でモッチの衣服を切り裂いた。

 どうやら蛮族のくせに魔法剣なんぞを装備しているらしい。

 刃に匹敵する切れ味をもった突風が吹き荒れ、真っ赤なスカートをリンゴの皮剥き器に入れたように引き裂いていく。


「ふぐぅ~ッ!」


 モッチは縦に裂けて翼のようになった布の服をおさえ、その場にしゃがみこんでなにやら唸った。

 あらわになった真っ白い背中は、呪文を書き込むもよし、奴隷の焼き印を押すもよし、の素晴らしい背中である。

 さらに帽子がふっとび、左右の犬耳がみょんみょん、と飛び出した。


 ゴブリンは、剣を振り回していた手を止めると、その犬耳を見て大いにはしゃいだ。


「おおっとぉー! よく見ると混血かぁー! こいつは高く売れそうじゃねぇか! ひぇっへっへっへ!」


 辺境の蛮族は、他の魔族に対して仲間意識をもちあわせていない。

 部外者には常に敵対心を抱いており、憂さ晴らしの対象として、血統種の奴隷は高く売れる。


 同じ獣耳に反応したのか、ウルフはいまにも牙を突き立てんばかりの勢いではしゃいでいる。ゴブリンは手綱を引っ張ってそれを強引に制していた。


「こらっ! 食うんじゃねぇ! 売るんだよ! けどまあ、綺麗なままよりどっかに傷のある方が、ゴブリン的には受けるんだよなぁー!」


 下卑た笑みを浮かべて、迫っていくゴブリン。

 モッチは、すっかり蒼白になってその場に固まっていた。


(なるほど)


 魔王は、モッチのことをちょっとだけ見なおしそうになった。

 ひょっとすると、モッチは自分の商品としての価値を知っていて、あえて他の人たちを逃がすおとりになったのかもしれない。


 その場ですぐに殺される可能性がもっとも低いのは、奴隷としての価値をもつ彼女だけだ。

 これは命を張った時間稼ぎ。


 ……だと思ったが、違った。

 彼女はそんな計算ができる女の子ではない。

 捕まる気など、さらさらなかったのだ。


「怖くない……! 怖くない……! 怖くない……! 怖くない……! 怖くない……!」


 モッチは震える手を握りしめて、ただ懸命に相手を睨みつけていた。

 睨みつけているだけだ。

 雑貨屋で毎日店番をしているだけの娘に過ぎない彼女だったが、生まれたときから王都の石畳を闊歩する英雄たちの背中を見て育った。


「この街にいる冒険者は、あなた達なんかには、決して負けない……ッ! 本当はみんな強いんだから……ッ! だから、怖くない……ッ!」


 モッチの決死の気迫に、ウルフ・ライダーによって手傷を負わされた下級冒険者たちは、歯がみしていた。

 相手は中ボスモンスター、本来ならBランク以下の彼らが敵う相手ではない。


「ちくしょう……薬草さえあれば……!」


 薬草さえあれば、ランクの壁など問題はなくなる。

 この町の冒険者達は、身の安全を確保した上でのそんな冒険に、すっかり慣れきってしまっていた。


「さがってな……にわか冒険者ども」


 モッチの時間稼ぎが功を奏したのか、やがてその場にAランク冒険者の姿が現れた。

 大勢のAランク冒険者が『迷宮都市』に向かった中、その冒険者だけは阿臥王国にとどまり続けていたのだった。


「私がウルフ・ライダーを倒したのは、Fランクの時だったよ……投げつけた薬草にたまたま毒草がまじってたんだ。おかげで剣なんて子どもにも負けるのに、一気にAランクにのしあがっちゃってさぁ、いやぁ、女の子にモテるのは悪い気がしなかったけどね」


 この街の冒険者たちが安全マージンを取った戦いにすっかり慣れきってしまったのは、なにも回復薬だけのお陰ではない。

 それ以前の草分け時代、ランク分けによる任務の適正などそもそも明確になっていなかったころ。

 その時代の冒険者とは、勇気ひとつで荒野に飛び出していった、文字どおりの冒険者だったのだ。


 だが、その冒険者はいま、片手に酒瓶を持っていた。

 ふらふらしながら壁に手をついて、ようやく歩いている、といった様子である。


 魔王はおろか、他の冒険者たちも絶望した。

 唯一、彼女に絶対の信頼を置いているモッチだけが、ぱああっと顔を明るくした。


「勇者プレミール!」


「なんだぁ!? 貴様は!」


「ここのハーレムの主、とでも名乗っておこうか?」


 そう言って、しゅらり、と2メートルもある長剣を抜き放った。

 その目はすっかり酒気をはらんで、艶っぽい。曲がりなりにも女である。


「この街の女の子は、たとえネズミのメス1匹だろうと渡さん……2人で仲良くやってろ、ウルフとゴブリン」


 ウルフ・ライダーは、臆病なゴブリン族にあるまじきことに、すっかり相手を侮っていた。

 どう見たところで、たかが人間。しかも酔っ払ってふらふらである。


「ひゃはははぁー! 恐るるに足らずッ! まずは貴様から街の入り口に吊し上げてやるぅー! 」


 ゴブリンは剣を8の字に振り回すと、左右の靴底にぶつけて火花を散らした。

 魔法剣の効果が発動し、火炎をはらんだ旋風があたりに吹き荒れる。


 勇者プレミールは、「ふっ、綺麗な花火だ」とでもいうようにそれを眺めていた。


「……おぐぅッ!?」


 そのとき、ゴブリンはとつぜん立ちのぼった爆炎に包まれ、身をよじってウルフの背から落下した。

 どこからか攻撃魔法が放たれたのだ。

 低級だったため、強化されたいまのゴブリンに大事はなく、すぐに立ち上がった。


「くっ、人間ごときが、この俺に――おぶぅッ!?」


 再び爆炎。ウルフ・ライダーは、地面を転がっていった。

 周囲の冒険者たちには、あたかも勇者プレミールが魔法を放っているかのように見えるが、このとき彼女はただ立ったまま、半分眠りかけていた状態だった。


 この魔法を放った者は、彼らのはるか上空にいた。

 魔王バンドールが放ったガーゴイルである。

 ガーゴイルは魔法を放った余波で、カラスのようなくちばしから火の粉を吹いていた。


「むう、やっぱり、素材の魔力素を薄くしすぎたか……」


 むろん姿を見えなくするなどの工夫はこらしているが、万が一、四天王のスパイにガーゴイルが捕獲されたときの事を考え、誰でも作られるようにわざと雑に作っておいたのだ。


 性能が低いのはしかたないが、魔王様はイライラしながらうずくまるウルフ・ライダーを指でクリックしていた。


「おうッ! おげぇッ! うぎぃッ! あがッ! おごッ! えげッ! ぎゃあ!」


 謎の魔法の猛攻を受けるウルフ・ライダー。

 その間に、勇者プレミールはふらふらとモッチの所に歩み寄り、その直前でばったりと倒れた。


「プレミール! だ、大丈夫!?」


「なかなか大胆な恰好じゃないか、モッチ」


 モッチは、衣服を切り裂かれた自分の身体を見下ろした。

 白い肌が勇者プレミールの鼻血によって染まっていったが、モッチはそんな事を一切気にしていなかった。


「勇者プレミール、しっかりして! 薬草は持ってるの!? 採りに行ったんでしょ!?」


「はは……」


 勇者プレミールは、鼻を押さえて力なく笑った。


 薬草畑に薬草を採りに行った勇者プレミールだったが、冒険者の仲間が金を持って逃げたため、パーティは途中で解散し、クエストは失敗に終わっていた。


 冒険者という生業すら成り立たない、それが女神アステラの見捨てたこのドトール界の現実である。


 しかし、勇者プレミールはそのことをひと言もモッチには言わなかった。

 冒険者などという単なるならず者たちのことを、心から信じてくれるモッチには。


「薬草は、取れなかった、けど。……お前さえいれば、私たちはいつでも冒険者になれる。私にはそれで十分だと思うんだ」


 勇者プレミールは、モッチに花を差し出した。

 薬草畑に行く道すがらに咲いている、魔力などこもっていない花だ。


 だが、この荒れ果てた世界で健気に咲いている。

 勇者プレミールは、モッチの髪にその花を挿した。

 それぞれに手傷を負っていた冒険者たちも、力なく笑っていた。


「それ、僧侶のアシュレーにも言ってただろ?」


「うん、言った」


「酒場で口説く時の常套文句だよな?」


「ふえっ!? もー、何それー!」


 彼らの間に、朗らかな笑い声がもれた。

 モッチは、呆れたようなため息をついた。


「本当に、いつまでも子どもなんだから」




 やがて、ウルフ・ライダーをクリックして消し炭にする作業を華麗に終えられた魔王様は、タブレットを脇に抱えてお立ち上がりあそばされた。


 これで、この町に魔法使いが潜伏している、ということは、王城に潜んでいるスパイにも伝わったはずだ。

 しばらくスパイの目をこちらに向けさせておかなければ、このあと冒険者達を素直に活躍させてくれるとは思わない。


 魔王がマントを羽織り、宿屋から立ち去った直後、ガーゴイルたちから、次々と異変を察知したという連絡が送られてきた。


 行動を起こすならいまだが、あまり時間は残されていない。

 じつは魔王は、王都までモンスターが現れるこの瞬間を待っていたのだ。


 彼は、街のすぐ裏手の草原を歩いていた。

 瘴気の漂いはじめた土地をじっくりと眺め渡し、土を指先でつまんで、ほろほろとほぐしていく。


(……よし)


 モンスターが進出してくるほど、魔力素が高まっている。

 ならばそれは、薬草の育成に必要な環境になりつつある、という事でもあった。


 土を耕し、種を播き、そして仕上げとして、水をやる代わりに、魔王バンドールは雨を降らせていた。


 しとしとと降り続く冷たい雨に守られて、静まりかえった王都を振り返った。

 魔王バンドールは、その安息のひと時を妨げないように、ひっそりと呟いた。


「こいつは売り物ではない。くれてやる、人間ども」


 そして転移魔法を発動すると、そのまま街を去っていたのだった。




 翌日、冒険者ギルドに久しぶりの討伐クエストが出された。


「聞け! 本件は、王国の大臣カノッサ様からの直々の依頼だ!」


「大臣様……?」


 最近は、もはや誰も掲示板など見なくなっていたため、ギルドマスターが声を荒げて読み聞かせ、その辺に座り込んでいた冒険者たちに聞かせていた。


「街の裏手に、先日、不審な魔法使いの姿が発見されたそうだ! ウルフ・ライダーの襲撃となにかの関係があるやもしれん! この魔法使いを捕獲した者には、金貨5枚の報償が与えられる!」


「金貨5枚……ああ、ありがてぇ」


「最大40名まで、参加する者を募る! というかお前ら、何があっても絶対参加しろ!」


 手傷を負い、今後の仕事も危ぶまれていた下級冒険者達は、みなギルドマスターの提案に賛同した。


 モンスターの被害にあったモッチのためにも、確実にこの事件を終わらせたい、という思いもあり、その場で40名もの大所帯となる合同チームは結成され、こぞって街の裏手へと歩んでいった。


 霧の立ちこめる草原の一角に、確かに、両手を広げた何者かの人影が見える。

 意を決してそちらに向かった冒険者達は、じっくりとその人影を見据えて、拍子抜けをした。


「なんだ、案山子か……」


 そこに立っていたのは、ただの鳥よけの案山子であった。

 地面から引っこ抜き、ため息をもらした。

 この辺りは本来、耕作に向かない土地であり、一体だれが何のために立てた案山子なのかなど、疑問は多い。


 だが、その案山子の向こうに広がるまばゆい色彩の渦を目の当たりにして、冒険者たちはそんな疑問など吹き飛んでしまった。

 そこは確かに、つい先日までただの草原だった場所だ。


 だが、いまは40名の冒険者たちの視野をすべて埋め尽くしても余るほど、広大な薬草畑がうねうねと続いていたのである。


 150万トンでは足りない、彼らが一生を冒険に費やしても使い切れないような、そんな薬草が群生していたのだ。


「こいつは……なんてことだ。俺たちは夢でも見ているんじゃねぇのか」


「まさか、大賢者アステラさまが再臨したんじゃねぇのか」


「誰だ?」


「知らないのか? この薬草を生み出した、偉大なる大賢者さまだ!」


 この世界の不幸を憂い、手を尽くして改善を試みた魔法使い。

 しかし、最後にはこの世界を諦め、異世界に引きこもった女神の名を、彼らは思い出したのだ。




 それから数日間、魔王は政務にかかりきりになり、阿臥王国の様子がどうなったかもわからなかった。


 そして息つく間もなく閣議に出席すると、苺小鬼のビビルは、信じられないといった面持ちで報告した。


「え……と……阿臥王国の……東西南北ダンジョン……ですが……こ、攻略、されました……すみません……」


 軍師カルツァーデネフは、メガネが多少ずれているのを直す気力もなさそうに、資料に目を落としていた。


 がたっと、獣王ベレルリィッヒが椅子を蹴って立ち上がった。

 鉄の鎧を身に着けたA45でさえ、ピコピコ妙な電子音を頭から立てていた。


 閣議に出席した者たちはみな、同じような呆気にとられた顔をしていた。

 唯一、魔王だけが淡々とその報告を聞いて、軽く聞き流していた。




 ダンジョンの核が破壊された事によって、阿臥王国は今後100年間はモンスターの出現域から解除されるだろう、という予測だった。


 さらに薬草はありあまるほど豊富にあたえておいた、しばらくは、思い出の薬草畑に近づく冒険者もいないだろう。


 ようやく溜まっていた政務の片付けを終えた魔王バンドールがまず向かった先は、王都でも、薬草畑でもない。


 アステラ界のお洒落なバーで、隣にはいつ見ても美しい女神アステラを伴っていた。


 泡の妖精が作ったスパークリングワインを飲みながら、魔王バンドールは言った。


「じつは、私の仕事だが……薬草を売っているんだ」


「そうだったの?」


 目を丸くした女神アステラに、魔王バンドールはうなずいてみせた。


「魔法学園の生徒だったら、王宮魔法士のお仕事があったんじゃない?」


「ああ、途中で魔法学園が廃園になってな……あの辺りはもう誰も住んでいない」


「そうだったの……」


 女神アステラは、複雑な表情を浮かべていた。

 じつは、あの魔法学園はまだ健在だった100年前、薬草の研究に王国から多大な支援を受けるため、東西南北ダンジョンの核を強化してモンスターに人々を襲わせていたことがあった。


 女神アステラがこの世界を去る理由となった、嫌な記憶のひとつであった。


 それを知ったバンドールは、ダンジョンの核の魔力を吸い取ってほとんどを自分のものにすると、計画に加担していた学園理事長らが持っていた魔法をかけらも残さず奪い取り、魔法学園を廃園に追い込んでいた。


 そして彼は王宮魔法士の道を諦め、獣王ベレルリィッヒを伴い、『扉』を探す旅に出たのだ。


「薬草を売りながら、世界中を旅してわかった事だが……お前がドトール界に生み出した薬草は、いまも世界中の人々の傷を癒し、お前の功績は人々に感謝されている。お前が世界を良くしようとやってきたことは、けっして無駄ではない」


 どうか、世界改革を半ばで諦めた彼女にも、その事を知ってもらいたかったのだ。


 さらに魔王バンドールは、薬草売りの苦労話や、育成で困った事などを語った。

 この話にリアリティを持たせるために、実際に薬草を売っていたのである。


 女神アステラは、グラスの縁に乗っかったサクランボの柄で、微笑みを浮かべた唇をつつきながら、じっと魔王バンドール見つめていた。


「一生懸命考えてくれたところ悪いけど、それはウソよね?」


 熱弁をふるっていた魔王バンドールは、両手を広げた姿勢で固まってしまった。


「ウソ?」


「だって、あなたすごく楽しそうに話しているじゃない?」


「楽しそう? 楽しそうだったか?」


「ええ、そんなに薬草を売る仕事が楽しいのなら、仕事の方に熱中しちゃうでしょう? だったら魔法を極めてしまうほど魔法に打ち込める時間なんて、本当はないはずじゃない?」


 女神アステラはにっこり笑って、指摘した。

 魔王は、ウソを見破られたことよりも、自分が楽しそうにしていた、という事が意外だった


 楽しそう……。

 ひょっとして、楽しかったのだろうか?


 魔王は、短い時間だったが、辺境で薬草を売っていたときのことを思い出していた。

 確かに、そうかもしれない。

 うかつだった。

 女神は、小さく微笑みを浮かべていた。


「いいわ、言えるようになるまで、待っててあげる」


 目論見の外れた魔王バンドールだったが、女神のひとことに救われた。

 そして、ふたたび自分の職業について女神にどう説明するか、頭を悩ませはじめるのだった。

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