S級魔王様は思い出の薬草畑をお手入れあそばされます
何もない『箱庭』に1人でいると、あれこれ昔のことを思い出してしまう。
あれは、バンドールがまだ人間だったころ、王立魔法学園の生徒だった時代のことだ。
学園の近くにあった薬草畑に研究資材の薬草を摘みに来ていた魔王は、もやしっ子だったので体力がなく、仕事を適当にさぼってのんびり本を読んでいた。
自分以外の人間がいつも半分眠っているように見える秀才で、いつも眠たげな教授の使い走りをさせられるたびにつられてあくびが出そうになったものだった。
そうして、うとうとまどろんでいる時に、彼の目の前に女神の『扉』が出現したのだ。
最初は夢か幻かと疑った。
文献によると、女神アステラが異世界を生み出したのは数百年前。
『扉』がときおり開いて、ドトール界の人々を招いていたという。
しかし、『扉』の出現はここ100年来、すっかりなくなっていたと聞いていた。
100年前は、モンスターの出現とほぼ同時で、世界中が大混乱に陥っていた。
誰も『扉』が出現しなくなった原因の調査ができず、すべては謎とされていた。
科学大好き少年だったメガネ君のバンドールは、知的好奇心が抑えきれずに、おっかなびっくりアステラ神殿の奥へと入り込んでいったのである。
「あのー……どなたか、いらっしゃいませんかー……」
さらに奥の方に呼び掛けてみた。
そのとき、神殿の奥にあった女神像から女の子が幽霊のように飛び出してきた。
古風な魔導士のローブをひるがえし、肩や足に小さな丸い生き物を従えた女の子が飛び出してきて、落下の勢いに任せてモップで殴りつけられた。
「あら、あなた、モンスターじゃないの?」
「……殴りつけてから確認を取るのか?」
バンドールが憮然として言うと、相手はさらに憮然として言い返した。
「その制服、王立魔法学園の生徒でしょ? だったら大先輩の私に大人しく殴られてなさい」
「ええー……」
なんという傍若無人ぶりだろう。
バンドールはあっけにとられてしまった。
いま思うと、バンドールと彼女はまさに同類であった。
そんな彼女こそ、王立魔法学園の大先輩にして、このアステラ界の創造主、女神アステラであった。
噂にたがわぬ美貌の持ち主。
そして平和な世界の主であるらしい。
彼女を守護する生物がどこにもいない。
それどころか、侵入者に対して女神の後ろにちょろちょろ隠れて、女神自身がモップで武装して出迎えたことからも、この世界の種族のひ弱さがうかがい知れた。
第一印象は……意外と可愛い、といったところだ。
だが、もったいないことに彼女は顔をしかめて、いかにも不機嫌そうに怒っていた。
「ああ、嫌だ、嫌だ、後輩にこんな格好みられるなんてみっともないわ。なんで『扉』が開いちゃったんだろう?」
「そうだ、その『扉』、今まで100年も開かなかったんだ。いったい何が起こったんだ?」
「前に、べたべたした気持ち悪いモンスターが入り込んできたのよ。それ以来、なるべくドトール界のことは思い出さないようにしていたの」
「……それだけ?」
「それだけよ? 他に理由が必要なの?」
「ええー……」
どうやら、『扉』が開く原理そのものが単純なものらしかった。
女神アステラがドトール界の事を思い出したとき、この神殿の最奥に、そこへと通じる『扉』が開くらしい。
なんともシンプルな『扉』の真相であった。
「どうしてもっと厳重な『扉』にしなかったんだ? 誰でも開けられない頑丈なカギでもかけておくべきじゃないのか?」
「だって、せっかく作った自分の世界なんだもの、なるべくたくさんの人に自由に見てもらいたいじゃない?」
「そういう発想なんだ」
孤独を好むバンドールに、その発想はなかった。
もし自分が異世界を作るのならば、『扉』はもっとセキュリティを重視したものにしよう、と心に誓った。
ともかく、バンドールは『扉』が100年間開かなかった理由を理解した。
なんともったいない機会損失だろう。
そんなつまらない理由で、究極の魔法、『千夜一夜』の体現者である大賢者にして智慧の女神アステラと語り合う機会を失っていたのだ。
これきり、『扉』が閉じてしまってはいけない。
人類は、もっと彼女の話を聞かなければならない。
そしてバンドールは、最初の作戦を思いついたのだ。
「いま、いい天気なんだ。モンスターもいない」
「だから?」
「だから、行こう、こんなところに閉じこもっていないで」
女神アステラの手を引っ張って『扉』から外に出ると、一面の薬草畑が広がっていた。
王立魔法学園の守護法陣によって、モンスターが遠くに追いやられた、のどかな薬草畑である。
薬草の赤い花にそっと影を落として、女神アステラは、目を細めていた。
「本当だ、いい天気ね」
その横顔を見て、本当に美しい人だと思った。
いま思うと、この時に彼はひと目ぼれしていたのだろう。
「貴方もこの花が好きなの?」
「ああ、好きだ」
バンドールは、花を指先でつまみながら、言った。
「この花は、モンスターが生育できないギリギリの魔素でも十分に育成が可能なんだよ。守護法陣もそれを参考にして、魔素をコントロールしているんだ」
「ふうん」
「中でもフレイメルの神聖薬草は、回復薬の素材や強化剤として使うと非常に高い効果を発揮する奇跡の薬草として、現代まで数多くの論文が発表されているんだ」
「ええ、そうね。知ってる。私が作ったもの」
「そう、例えば俺の好きな論文は200年前の……それは、どういう意味?」
「私が作ったのよ、その花。フレイメルの神聖薬草」
大賢者アステラは、異世界を生み出して女神になる前、極めた魔法でいくつかの実験をしていた。
ドトール界の変革を試みていたのだ。
この薬草はそのとき作ったものである。
この世界から病や事故といった、不幸を根絶するために、と。
「けれど、けっきょく世界の不幸は完全にはなくならなかった。薬草があっても、戦争は延々と続いたし。モンスターまで現れるし。この世界は変なところでバランスが取れちゃっているのよね。だから不幸が最小になる、新しいバランスの世界が欲しかったの」
女神アステラは、このドトール界を見捨てて、新世界に理想を求めたのだ。
その真実を聞いたとき、バンドールはこの大賢者に敬服すると同時に、胸が締め付けられるような痛切な思いを感じた。
これでは王国と同時に、自分も見捨てられたようだった。
自分はちがう、連中とは一線を画した存在なのだと、主張したくなった。
「これを……持っていてくれないか」
そう言って、バンドールは女神アステラに本をつきつけ、無理やり持たせた。
魔法学園の教科書だ。
女神アステラは、ちょっと眉尻を下げて、困った笑みを浮かべた。
「呆れた、女の子に教科書なんてプレゼントするの?」
「すまん、今はこれしかないんだ、君がドトール界の事を思い出せるようなものは……このままだと、君は二度とこの世界を思い出してくれないかもしれないじゃないか」
たぶん、迷惑がられたかもしれない。
これまで魔法の研究ひとすじで、女の子との話し方などまるで不勉強だった。
バンドールは、どんどん顔が熱くなっていくのを自覚しながらも、言い出したら止まらなかった。
「またこの世界の事を思い出してくれ。二度と『扉』が開かないなんて嫌だ。ではな」
そこまで言って、彼は薬草畑を全力疾走していったのである。
良い意味でも悪い意味でも、彼の事は女神アステラの印象に強く残っていたのだろう。
それ以来、少しずつだが阿臥王国にちらほらと『扉』の目撃証言が立ちのぼるようになった。
まさに、この薬草畑から2人の運命がはじまったのだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇
王立魔法学園を卒業してからバンドールが何をやっていたか、女神にはまだ話していない。
その謎の空白期間については、「薬草売りをしていたのだ」、と女神に言おうとしていた。
薬草売りは身分の低い職業であったが、女神アステラは彼の身分など気にしたことがない。
それに、彼女がその理由に思いを巡らせれば、王立魔法学園の薬草畑の事を思い出すだろう。
そうすれば、アステラ界の『扉』の原理に従って、自然とあの薬草畑に『扉』が開くはずだ。
『扉』が開けば、そこで女神と昔のことを語らいながら薬草畑を散歩することができる。
2人が出会うきっかけとなった思い出の薬草畑に、つがいのシカも登場させ、ファンタジーな雰囲気を演出しよう。
ここはあの頃と変わらないな、などと言いながら。
計算高いS級魔王様は、デートプランにもそこまで綿密な計画を立てて挑むのであった。
だが、計算外のハプニングとは、常に起こるものなのである。
(よもや、我が薬草を売ってしまったことが原因で、魔王軍に目をつけられることになろうとは……)
じつは、魔王はこのウソに真実味を持たせるため、実際にアロン王国に薬草を売りに行っていたのだ。
あの国なら、魔王軍の目も届かない辺境であるし、影響などほとんどないに等しいと思っていたのだが。
モンスターが出現するようになってしまえば、何倍も強化した守護法陣を展開しなくてはならない。
もしそんな守護法陣を展開すれば、魔王軍がたちまち殺到してくるだろう。
これでは、デートプランがまるつぶれである。
『箱庭』の薬草たちにじょうろで水をやりながら、魔王は思った。
しかし、どこか腑に落ちない。
魔王が売った薬草は、そんなに多くはなかったはずだが。
◆◇◆◇◆◇◆◇ ◆◇◆◇◆◇◆◇ ◆◇◆◇◆◇◆◇
不思議に思った魔王は、この原因を探るためにアロン王国に向かった。
巻き角は人間からは見えないよう消滅させ、ごく一般的な旅人を装って街中を散策する。
王都の中心部に近く、メイン・モニュメントとしても親しまれている冒険者ギルドに近づくと、街道にそれらしい鎧を身に包んだ冒険者たちの数が多くなっていった。
昼間から酒を飲んでいる者たちもいるが、なぜか不快な感じがしない。
なぜなら、その目は未来への希望で輝いてさえ見える。
決して強いものではないが、モンスターの牙や爪を加工したアクセサリーを首にぶら下げて、それぞれが己の戦果を誇示しているかのように、堂々としていた。
1万人とちょっとの人口を有する、アロン王国の最大の都だ。
ここならば、魔王の顔を知る者と出会う確率はほとんどない。
いざとなれば、気配隠蔽の魔法も使えるため、気負うことなどなにもなかった。
やがて訪れたその店は、冒険者のための携帯食料や、旅の消耗品を取り扱っている雑貨店だった。
冒険者ギルドとは昔からつながりが太いため、賞金首などが近づくのを避けており、割と治安は保たれているらしい。
昔は魔法道具も取り扱っていた気がするのだが、ダンジョンの核が縮小してからは魔石が手に入りづらくなったらしく、今は置いていない様子だった。
ドアを押し開くと、薬草のにおいが染みついた古木の香りが満ちていた。
犬の耳をぺこん、と垂れ下げた女の子が、彼を見ると、ぱっと顔を明るくする。
「あ、バンドーさん! また薬草を売りにきてくれたんです?」
「うむ。15株ほどだが」
「うわぁ! たくさんですね! あー、ひょっとして何か良い事ありました?」
「いや、良い事はあったが……それで気前が良くなっている訳ではけっしてない」
「えへへへー、ウソですねー、顔に出てますよー」
うりうり~、と肘でつついてくるモッチ。
本来ならば、不敬罪として肘を破壊して関節を逆に曲げているところだが、今の魔王はただの薬草売りなので、スルーしておいた。
薬草は、今朝のうちに摘み取り、麻袋に入れて持ち歩いていた。
じょうろでやったばかりの水が滴っている。
回復薬は、日用品として使う効果の低いもので2株、効果の高い手術用のもので3株を使う。
この小さな店舗を独りで切り盛りしている女の子にとっては、それでも多いのかもしれない。
だが、たった15株で作られる量など高がしれているはずだ。
さらに頭に生えている犬耳を見れば分かるとおり、モッチは魔族の混血だった。
人間たちにとっては鼻つまみものだったため、商人同士の横のつながりは限りなく薄い。
この店を築いた両親はすでに他界しており、冒険者ギルドのギルド長が好意で彼女との商売を続けてくれている。
ここに薬草を売れば、身内の冒険者たちにひっそりと消化されて、後にはもうなにも残らないだろう、と計算していたのだが。
カウンターの奥に大事にしまってある金貨袋を取り出し、ひふみのよ、と通貨の数を数えるたびにひょこひょこ上下する犬耳を魔王様はご覧あそばされながら、さりげなくお尋ねになられた。
「勇者プレミールというのを聞いたことがあるか?」
「はい! 私の幼馴染みなんです!」
「嬉しそうだな」
「えへへ、いつも怪我して戻ってくるから、バンドーさんがくれる薬草で、回復薬を作ってあげているんですよ!」
「ふむ、そういう間柄であったか」
「可愛い子ですよ、こんど紹介します?」
「いや、いい」
「構ってあげてくださいよー。すっごく奥手で、女の子としかパーティ組まないから、いつまで経っても恋人が出来ないんですよー」
なるほど、問題の勇者とモッチは、どうやら近しい関係にあったらしい。
となると、魔王が売った薬草と無関係であるとは言い難いのかもしれない。
そう考えていたとき、玄関のドアベルが鳴り響いて、何者かが現れた。
鎧に身を包んだ、きざったらしい冒険者である。薬草の花を指に挟み、整った顔には絶えず微笑みを浮かべている。
最初は男かと思ったが、銀の胸当てが大きく膨らんでいて、女であることを主張していた。
「ふっ……愛しのモッチはいるかい?」
「はいはい、ここにいますよー」
「ここに来ると我が家に戻ってきたような気分になるよ」
「もう、そのセリフ、武器屋の女の子にも言ってたでしょう?」
「お前への愛だけが本物だよ。ほら、薬草摘んで来たよ。クエスト完了かな?」
などと言って、麻袋を渡すついでに、モッチのほっぺたや犬耳をさりげなく触っていた。
もう一度、銀の胸当てが大きく膨らんでいるのを見て、女であることを確認した。
モッチはもふもふ犬耳を触られながら薬草を鑑定し、にぱっと笑みを返す。
「はい、5株ね! じゃあ、回復薬2本と交換してあげる!」
「3本じゃだめ?」
「もう、2本よ!」
「じゃあ、これとこれを貰っていくね?」
などと言って、モッチのドレスの襟をぐいっとひっぱって、胸の膨らみをのぞき込んでいた。
とても昼日中のやり取りとは思えない。
セクハラである。
モッチは笑って、勇者プレミールの腕をぱしん、と叩いていた。
「もう、回復薬よ?」
「わかってる。お前は最高の癒やしだよ、モッチ」
そう言って、今度は犬耳を食べそうなぐらい口を近づけて囁いていた。
モッチはくすぐったそうに笑って返していた。
「はいはい、どういたしまして」
きゃいきゃいはしゃぎながら、じゃれあう二人。
よく見ると、棚には薬草のいっぱい詰まった瓶が飾られていた。
それぞれに、それを採集してきた冒険者の名前が書かれたラベルが貼られている。
なるほど、魔王は合点がいった。
この店で回復薬を手に入れた勇者は、それを元手にどこからか薬草を摘んできて、モッチはその薬草から新しい回復薬を生み出す。
そうして薬草を増やしていく循環が生まれていたのだ。
きっと勇者の他にも、冒険者ギルドに薬草採取のクエストを出しているのだろう。
彼女にそんな商才があるとは思わない。
恐らく、冒険者ギルドのギルドマスターの入れ知恵か何かだろう。
彼女はおじいちゃんと言ってよく懐いているのを、事前に観察していた魔王は知っていた。
しかし、腑に落ちないのはこの勇者だ。
この勇者……いくら女同士といっても、スキンシップが多すぎではないのか?
まるで指先で会話しているのかといった有様で、肩や頬や犬耳、尻尾にぺたぺたと触っている。
「愛してるよ、モッチ。じゃあ、また今度来るね。アデュー」
キザったらしい微笑みをたたえて、店を去っていく勇者プレミール。
犬耳をよだれでベタベタにされたモッチは、ふう、と息をついて、にこやかにそれを見送ったのだった。
「いつまでも子供っぽいんですよね」
「……子供っぽいのだろうか?」
気配隠蔽の魔法を使っていたため、彼の存在には気づかれなかったみたいだが。
2人のやりとりを見るに、子どもっぽいのは勇者のセクハラに気づかないモッチの方のような気がしていた。
勇者プレミールについて魔王が事前に調べたところによると、どうやら冒険者ギルドでは、ある意味で有名人だったらしい。
冒険者たちとパーティを組むときは必ず全員女で、着替えや水浴びをするときは必ず全員参加、過度のスキンシップで逃げられることも珍しくない。
また、旅先では女と見れば種族も身分も関係なく声をかけ、「結婚しよう、なあに女同士でも大丈夫、前世では男だったから」という謎の口説き文句で結婚を迫ってくる、という評判だった。
これが、勇者か……。
初めて見る勇者プレミールという人物に、魔王は眉をひそめていた。
万が一、こういう手合いが女神アステラに近づくのも……かなり危険な気がする。
「モッチ、もっと売る相手を選べ。商売の手を広げるべきだ」
「そうなのです?」
「そうだ、回復薬はこの辺境では滅多に手に入らない、貴重なアイテムなのだからな。もっとましな買い手はいくらでもいる」
「はぁ」
言葉では説得の体をしていながらも、魔王の脳裏には、すでにこのとき、壮大な計画が浮かんでいたのだった。
「ちょっと本気で薬草を売ろうか」
ぽつねん、とするモッチ。
彼女には、彼が本気を出すという言葉がいったいどういう意味をもつのか、まだ想像もつかないのであった。