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S級魔王様は異世界の女神様にぞっこんであそばされます

 ドトール界は、コーヒーの海に沈んだように薄暗かった。

 眠れない夜を過ごす街明かりがいくつか、解け残ったカラメルのように闇の底に溜まって、呼吸をするようにゆっくりと風化していく。


 それらの街を見張るために建てられた、高さ2000メートルの降魔の塔。

 上空に突き出した見張り台には、新品の鎧を身につけたオーク兵と、背の低いゴブリン兵がいた。


 オーク兵は、黄色く濁った瞳を持つ、ブタによく似た頭をもつ下級モンスターである。

 目だった特技スキルは持たないが、ゴキブリのような生命力と繁殖力と雑食性をあわせ持っており、他の種族に嫌われる事に関してはゴキブリ並みに長けていた。

 今も見張りの役割を立派にこなしていると見せかけて、その実、半眼で立ったまま眠っていて、交代に来た兵士たちをイラつかせていた。


「おい、デカいのと小さいの。交代だぞ」


「あ、すみません、先輩! 今日もいい天気っすねぇ!」


 背の低い方は、緑色の肌をしたゴブリン兵だ。

 このドトール界でもっともよく見かける、しわくちゃの顔をした背の低い種族である。

 暗愚混沌の神より知恵を授かり、歪なものしか生み出せない。

 オークよりも知能が発達しており、無益な争いは好まなかった。

 こそこそ逃げ回って、人の顔色をうかがうのが得意であった。


 オークは、ようやく目を覚ました様子で、ごしごしと目をこすった。


「ああ、悪い、あまりにも『暗黒地母神マーラー』の闇の波動が心地よくてよ」


「油断しすぎだ。まったく、100年前の大戦時も知らない若い連中は……」


「ひぇっ、パイセン、ひょっとして『マーラー』のいない100年前を知ってるんっすか!? さすがっすね、パイセン!」


 鎧に身を包んだ兵士、こちらも代表的なドトール界の魔族であるダークエルフは、肩をすくめて息をついた。

 その隣の生ける屍、スケルトンは、カタカタ骨を鳴らして笑っている。


 超巨大モンスター『暗黒地母神マーラー』は、空を覆いつくすほどの巨大なクラゲ型のモンスターである。

 ドトール界の9割を常に暗黒に染めており、地上まで垂れ下がった長い触手からは、モンスターたちの生存に必須な魔力素を放出している。


 この魔力素は、普通の生命にとっては毒ともなる禍々しい力の元素であったが、魔力素がなければ生きていけないモンスターたちにとって、マーラーのいない100年前の地上とは、僅かばかりの水をめぐって争わなければならない、干からびた砂漠のようなものであった。


「いいか、今の世の平和があるのは、S級魔王バンドール様が異世界の魔神『マーラー』をお呼び出し遊ばされ、世界を魔力素で満たされたからだ。もしそうでなければ、魔族同士の戦争は永遠に収まらなかっただろう。お前らが見張り中に居眠りできるような平和な時代になったのも、魔王バンドール様が世界を征服あそばされたお陰なのだぞ」


「まあ、だからこそってのもあるんだよなぁ……平和すぎるっていうか」


 オークは、ごしごしと目をこすって、眠たげに言った。

 魔王バンドールによって世界征服がなされたドトール界は、まさに彼ら魔族の天国であった。


「最後まで抵抗していたドラゴン族も、つい最近、魔王様に降伏したじゃねえか。もうこの世界には魔王様に逆らおうなんて奴はいやしないぜ? こりゃあ、俺たちの仕事がなくなるのも時間の問題だろ。昨日も徹夜で求人情報誌読んでたから眠い眠い」


「さっすがオーク先輩、図太いっすね。見習いたいっす!」


「こんな能天気な奴の事を見習うな。確かに、『この世界には』敵はいないだろう。それに異論はない。だが、『異世界』はどうかわからぬのだ」


 ドトール界には、ときおり異世界の『扉』が開くことがあった。

 それは、まったく異なる次元の世界と、物資や生命を自由に行き来させる通路である。


 ひとたび『扉』が開けば、この世界に何が現れるか分からない。

 伝承によれば、勇者が現れて、魔王を討伐するともいわれている。

『扉』の向こうの様子を知ることは、神にさえできないのである。


「だからこそ、魔王様は世界征服を完了されてなお、『扉』の出現を気にしておられる。油断を怠るな?」


 生真面目なダークエルフの魔族の愚痴を聞き流して、オークは耳の穴をほじっていた。


「へいへい。まったく、『扉』なんて発見してたら、もう見張りなんて仕事やめてるよ?」


「たしか、発見したら賞金が10億コプラースでしたかね? いいなぁ、俺も扉の第一発見者になってみたいなぁ」


「見つけたら山分けしようぜー。ふごふご」


「本当っすね? 言いだしっすからね? げっげっげ」


 そうして、見張りのオークたちがダークエルフたちと交代して、解散しようとしたとき。


「……お、おい、あれ……」


 オークたちは、息をのんで立ち止まった。

 街から少し離れた草原の中に、ほんのりと光る何かが立っている。

 オークたちの目は、そのシャープな輪郭を持つ物体に釘付けになった。


 それは、『扉』だった。


 後ろに建物らしき影は見えないし、扉が倒れないよう、支えとなっている枠のようなものもない。

 いったいどこから誰が運んできたのか、それは草原のただ中に直立している、不思議な1枚のドアだった。


 それを見た途端、オークとゴブリンは、揃って歓喜の声をあげた。


「「と、『扉』だぁーッ!」」


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「魔王様、『扉』が出現しました」


 うやうやしく頭を下げて報告する吸血鬼メイドの言葉を聞いて、書斎で書類仕事をしていたS級魔王様は、お静かにお立ち上がりあそばされた。


 ばばっとマントを翻しあそばされ、自らの足でお出かけになられるご準備をなさった。


「今、行く……!」


『扉』が出現した報告を受けると、魔王バンドール様はかならず自ら現場に急行あそばされた。


 転移魔法によって、ドトール界のあまねく場所に瞬時に移動することができる魔王様は、だが、直ちに現場にお飛びあそばされず、『千里眼』の魔法によって、何やらじっと扉付近の様子をご確認あそばされていた。


 魔王様のご覧になっておいでの場所には、魔王様をお出迎えするための専用の舞台があわただしく準備されていたのだ。


 ――遅い。ちゃんと倍速魔法を使って高速で作業しているのだろうな?


 むろんこんな大事な時に、怠けている者など1人もいないのだが、普段から5倍速魔法を使って政務をこなしておいでの魔王様からみれば、倍速魔法も止まるような遅さなのであった。


 イライラしながらも、部下たちのメンツをつぶさないよう、その準備が整うのをじっとお待ちくださる懐の広さをお持ちなのも、S級魔王様が皆から慕われる理由なのである。


 降魔の塔の管理者から、その土地の市町村の重役があわただしく集まって、ポートに近い順に階級の高いものが整列し、うやうやしく頭をさげていた。


 その準備が整ったのを確認してから、魔王様はゆっくりと歩き始めあそばされる。

 手を指し伸ばすと、雷光と共に空間に亀裂が走り、指先から徐々に空間を突き破り、魔王様のお体は空間を転移あそばされた。


「魔王様!」


「魔王バンドール様! 万歳!」


 万雷のような歓声が響き渡り、体長10センチから4メートルまで、大小入り乱れる怪物の大群が魔王バンドール様を出迎えた。


 ドトール界の300の種族を従え、24属性のすべての魔法を極め、あまねく精霊の加護を受け、今や、神と同等の存在へと至ったS級魔王様。


 その魔王様ですら、『扉』が出現するときは、緊張を禁じ得なかった。


 ならば、魔王様を迎える他のモンスターは、いったいどれほど身のすくむ思いをしていたであろう。

『扉』の管理者である、異世界の女神アステラと対等に交渉が出来るのは、魔王バンドール様しかいないのである。


(ついに……来た……! この日が……!)


 魔王様にとって、この日は特別な意味を持つ日だった。

 魔王様は、とある決意をなさっておいでだった。

 この日のために魔王になった、と言っても過言ではなかった。


 発見された『扉』は、降魔の塔が見下ろす、街の手前。

 なんでもない草原にぽつんと建っていた。

 魔王軍によると見張りのオークとゴブリンが見つけたそうだが、報告するときになぜか『元』見張りのオークとゴブリンだと名乗っていたらしい。


 ともかく、彼とほぼ同時に転移ポートに現れた軍師カルツァーデネフに、魔王様はマントをお預けあそばされた。

『扉』の向こうの世界は、いわば国境を隔てた異国である。


 この世界の行く末を決めかねない異国との交渉に、魔王様以外の一体誰が入ることを許されるだろうか。


「1時間ほどでもどる」


「お気をつけください、魔王様」


 片膝をつき、頭を垂れる魔王軍の重鎮たちに見送られ、魔王バンドールは彼の身長より頭一つ分ひくい『扉』の前に立った。


 滑らかなコルク材のフレーム。

 正面には、チョコレートを思わせる茶色い看板がぶら下がっており、「Welcome!」という異世界の呪文が書かれており、それがこの『扉』をまるでテーマパークのように面白そうな雰囲気にしていた。


 魔王様は、猫の手の形をしたドアノブをぎゅっとお掴みあそばされ、肉球のぷにぷにした感触がするのを頼もしく思いあそばされながら、頭を低くしあそばされて、ドアの向こうに御身を滑り込ませあそばされた。


 扉の向こうは、アステラ神殿だった。

 扉と同じベージュのタイル床は、スペードやダイヤの模様が細かく刻まれている。

 立ち並ぶ無数の円柱はとてつもない高さで、天井や向かいの壁は見えない。

 かわりに、満点の夜空や山が見えた。


 暗いのに、どこか薄明るい、異世界の色彩。

 ここでは、あらゆる物が不思議な光を放っていた。


 夜なのにもかかわらず、闇の気配をまったく感じない。

 みな光の精霊の祝福によって守護を受けているのだ。


 その夜気は、ドトール界とは違った穏やかな空気に満たされていた。


 魔王様は、『扉』の設置されていたその神殿の最奥から、円柱の並びにしたがって歩を進めあそばされ、中央広場へとお向かいあそばされた。


 穏やかな月明かりに包まれた庭園に、翼の生えた美しい乙女、女神アステラの石像が建っている。

 いつみても心を奪われるほど美しい、その女神像の胸には、大きなグリーン・エメラルドのペンダントが輝いていて、魔王が訪れると、猫の目のように、ひときわキラリ、と大きな光を放った。


「ふふっ、また来たのね? バンドール」


 そのとき、アステラ神殿の化身、女神アステラが、自分の像から幽霊のように飛び出した。

 キラキラと輝く大きな瞳、大海の波のようにうねる長髪。


 魔王と並ぶとまるで小さな娘のようにも見える彼女は、翼をはためかせて近づくと、ぎゅっと魔王様の手を握った。


「ぜったいに来ると思ったわ。だって今日は昔の夢を見たもの」


「『扉』が開くのはいつもお前が思い出した場所だ。あの草原にはどんな思い出があったんだ?」


「今は草原なのね。砂漠の王国を旅していた頃の思い出よ」


「いい思い出でもあったのか?」


「ううん。乗っていたラクダに、麦わら帽子を取られちゃったのよ。気を抜くと旅人の荷物をあさっちゃうんですって。すごくお利口さんで、困っちゃった」


「帽子ぐらいくれてやるがいい、きっと背中に乗っているお前が眩しすぎたんだろう。どうしたんだ、お前が自分から昔の話をするのは珍しいな」


「貴方がたくさんお話してくれるお陰で、たくさんドトール界の事を思い出すようになったのよ。いい事も、悪い事も……私ね、どっちの思い出も大切にしようと思うようになったの。聞いてくれる人がいると、ほっとするから」


「そうか、それは何よりだ」


 少女のように笑う女神アステラは、かつてドトール界の偉大な大賢者だったという。

 魔王と同じ、魔法学園の卒業生。


 ただし、350年前に卒業した大先輩だった。

 すべての魔法を極め、魔法使いの頂点に立ち、神と等しい存在となった者。

 むしろ、魔王様が女神アステラの歩んできた道をおたどりあそばされて、今の地位にまでのし上がりあそばされたのである。


「ああ、アステラ、聞いて欲しい事がある。大事な話なんだ」


「なあに? なんなの? ひょっとして、もったいぶってる?」


 さすがの魔王様も、次の言葉をおっしゃるのに、じゃっかん躊躇あそばされた。

 それもこれも、すべてはこの日のため。

 この野望を実現させるため。

 魔王様は、女神アステラ様の手をお取りあそばされると、角付きの頭をお下げあそばされ、ひざまずきあそばされた。


「アステラ、俺も『千夜一夜デイ・クリエタール』を習得した」


 そう、それは新たな世界を創造する、神のみに許された魔法。

 それを体現した魔法使いは、神と同等の存在へと昇華するという。

 300年前、大賢者アステラが証明してみせた、伝説の魔法。


「俺の異世界に来て欲しい」


 それを聞いた女神は、喜ばしい報告を受けたように目を膨らませた。

 アステラ界のあらゆるものがキラキラ輝きはじめ、その年、この世界に生息する可愛い系の動物たちの出生率が50%も上昇した。


 緊張した面持ちを向けた魔王バンドールに、アステラは、いっそう目を輝かせて、頬を赤くした。


「やだ、それってプロポーズ? 私にプロポーズしてるの?」


「うむ」


 そう、確かにこれはプロポーズだ。

 魔王様にも、それ以外に適切な言葉が思い浮かびあそばされなかった。


「ええ、いいわよ」


 それまで陰鬱であらせられた魔王バンドール様のお表情は、ほのかに明るさをお取り戻しあそばされた。

 女神アステラは、魔王様の手を取り、うやうやしく膝を折ってお辞儀した。


「素敵なお申し出、お受けいたします」


 にこっと微笑み返す女神アステラ。


 その年、星々がいっそう輝きを増し、女神アステラと魔王バンドールの周囲を光のスポットライトで照らし出した。


 それ以上に、言葉を交わす必要はない。

 それほどまでに、2人は幾度となく逢瀬を重ねてきた間柄だった。


 魔王様は女神アステラに会うために『扉』を独り占めあそばされ、『扉』を通じて幾度となく出会い、それぞれの思い出を語らい、お互いの事を深く知るデートを重ねあそばされた。

 お互いに相手の事を常に小脇に抱えている本のように愛していた。

 暇を見つけては話の続きをせがみ、目を合わせたくない人物と出会ったときはただ顔を隠すために目を落とし、疲れて眠くなった時は香りを嗅ぎ、枕にして眠った。


 しかし、魔王様にはたったひとつだけ、女神アステラにお隠しあそばされていたことがあらせられた。

 プロポーズを成功あそばされた魔王様は、内心、お呟きあそばされていた。


 ――――とうとう、私が魔王であることは言えなかったな。


 と。

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