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アイヴィーの決断は……?

 仮面舞踏会から3日程たち、アイヴィーはカフェで、ジョシュアを待っていた。

 店には、食器を洗う音、飲み物を注ぐ音、そして人々の話声がするのに、何故かアイヴィーには、時計がカチカチと秒針を進ませる音がやけにはっきりと聞こえていた。


 そして、チリンチリンと、鈴の軽快な音がすると、目の前にジョシュアが顔をほころばせて現れ、慣れた様子で、アイヴィーの前に座って、飲み物を頼んだ。


 「待たせたかい?」

 「いいえ、全く待っておりませんわ。」


 アイヴィーが笑顔でそう言うと、ジョシュアが頼んた飲み物が、目の前にサーブされた。


 「それで、お話というのは、この前のお返事ですの」

 「決まったのだね……?」

 「ええ。私、ジョシュア様を許しますわ」

 「そうか……、ありがとう! ――嬉しいよ」


 ジョシュアの顔が綻ぶと、アイヴィーが申し訳なさそうに眉を下げて言葉を続けた。


 「ですが……婚約はもう少しお待ちして頂いても良いでしょうか?」


 アイヴィーがそう言うと、ジョシュアが溜め息をついて、答えた。


 「……どうしてか、教えて貰えるかな?」

 「ジョシュア様が、昔の嘘を私に話して下さったように、私もヴィルベルト様に嘘をついていて、その嘘を許して貰いたいのです。そして、過去を清算して、私の中できちんとけじめをつけてから、貴方の側に行きたいのです」


 アイヴィーは、ジョシュアにとって、酷い事を言っているのだろう、という自覚があった。


 でも、ジョシュアがアイヴィーに告げてくれたように、アイヴィーもヴィルベルトについていた嘘が、重石になっていた。


 例え、ヴィルベルトとの関係が終わっていたとしても、それを清算せずに、ジョシュアの婚約者に成れる気がしなかったのである。


 いつか、そのせいで、ジョシュアを恨んでしまわない為に、アイヴィーは過去を、あの時の気持ちを、燻っている想いを清算したかったのである。


 今まで優しくしてくれたジョシュアと婚約するためにも、それが必要だと思っていた。


 アイヴィーの真剣な眼差しを受けて、ジョシュアは溜め息を零して答えた。


 「それは、どうしても必要な事なのかい? もし、ヴィルベルトが許してくれなかったら、どうするんだい?」

 「その時は――、また、ジョシュア様に慰めてもらいますわ!! どうせ、一度終わった恋ですもの。上手くいくとは思っておりませんの。ですから、戻ってきたら、うーんと、愛して下さいませ」


 アイヴィーは、そう言って、とびきりの笑顔で伝えると、ジョシュアが諦めたかのように苦笑を零して、

 「分かったよ」と告げた。



◇◆◇◆◇


 アイヴィーは約四年ぶりとなる、公爵邸にやってきていた。

 そして、約四年ぶりとなる、サンルームに座っていた。


 アイヴィーは、このサンルームで起こった出来事を回想して、懐かしい気持ちを思い出していた。

 そして、まだ燻っている自身の気持ちが、懐かしさの上に乗って、複雑な気持ちにさせていた。


 「久しぶりですね……」


 目の前に座ったヴィルベルトが、懐かしさに思いを乗せて、アイヴィーにそう言うと、アイヴィーが、

 「そう……ですね」と答え、長い沈黙が、流れた。


 アイヴィーとヴィルベルトが、あの夜別れてから、一切顔を見ることも話すこともなく、約四年の月日が経とうとしていた。


 あの後、アイヴィーはずっと考えていた。考えて、考えて、考えたけど、何故ヴィルベルトがアイヴィーの前から去ったのか、分からなかった。


 思い当たる理由が無い訳ではない、だが、どれもアイヴィーにとっては納得できなかった。


 そして、月日が流れ、気持ちが少しずつ薄らいで、冷静になってくると、ウェンディに言われた、

 『恋に嘘は禁物よ。――ここまで築き上げた貴女たちの恋は、いずれ終わってしまうわ』という予言めいた言葉が、事実になっている事に気付いたのである。


 その時、漸くアイヴィーは納得したのであった。

 だから、ヴィルベルトはアイヴィーの前から去ったのだろう、と。


 そして、長い沈黙を破り、アイヴィーが本題を口にした。


 「実は、私、ヴィルベルト様にお話していない事がございます。実は四年前、ヴィルベルト様とお見合いしたのは、私だったのでございます。ですから、初めから、それこそ最後まで、ヴィルベルト様と会っていたのは、私なのです。ずっと長い間、騙していて、ごめんなさい。許して下さいとは言いませんが、知っていてほしかったのです。私が嘘をついていた事を」


 アイヴィーが一気にそう巻くしたてて言うと、ヴィルベルトは深く溜め息をついて「知っていました」と答えてくれた。


 その返事にアイヴィーは、目を見開いて驚いた顔をヴィルベルトに向けると、ヴィルベルトが、

 「本物のウェンディ嬢に会った時に、分かりましたよ」

 と、苦笑をこぼしながら答えたのである。


 返事を聞いたアイヴィーが、だんだん己の恥ずかしい過去を思い出し、ヴィルベルトに

 「だ、だったら、何でもっと早く言ってくれないのですか!!」

 と、文句をつけると、優しい顔をしたヴィルベルトが、

 「聞かれ無かったので」と、悪びれもせず答えたのであった。


 そうして、二人が再び、顔を見合わせると、どちらともなく、笑みがこぼれて、笑い声が出た。


 「では、私が心苦しく思っていた想いは、思い違いでしたのね」

 「そのようですね」

 「あの時の嘘はもう、許して下さいますか?」

 「ええ、元より嘘というほどのものでも無かったと思いますが、これから先、貴女がその事に煩わされる必要は無いですよ」


 ヴィルベルトが優しそうに答えた。


 そして、アイヴィーは、ハタと気づく。


 昔のように、目の前にヴィルベルトが居るだけでドキドキするという事が無くなっている自分に。


 それよりも、何故あの時、話を聞いてくれずに、別れを告げられたのか、という想いが、許されたという思いを迎えて、再び沸々と湧いてきたのである。


 そして、思わず、口にしてしまったのである。


 「あの時、どうして、私の話を聞いてくださらなかったのですか?」

 「あの時――というと、アヴィーと別れた日の事だろうか……?」


 ヴィルベルトが複雑な表情をしてそう答えると、アイヴィーがコクリと頷いた。


 ヴィルベルトのアヴィーと呼ぶその懐かしい響きにアイヴィーの心がズキリと傷む。


 そして、ヴィルベルトが、苦しそうな、辛そうな、なんとも言い難い複雑な表情をして、アイヴィーの質問に答えた。


 「あの時は――、アヴィー、君に恐怖を与えた事を、約束を守れなかった私を君が許してくれると思えなかったから――、君に別れを告げられたくなくて……私は、君から逃げたんだ」

 「そんなの、信じられません! 私は、あの時、ヴィルベルト様と、一緒に居たい、と! ――そう告げようと!!」


 そこまで言って、アイヴィーは自身の口を閉じ、顔を背けた。


 そして、再び長い沈黙が流れると、アイヴィーが再び口を開いた。


 「……今の言葉は忘れて下さいまし。私が、これ以上、ヴィルベルト様に何か望む事「ジョシュアと婚約するのかい?」」


 ヴィルベルトは、アイヴィーの言葉を聞く前に、突然そう尋ねてきた。


 アイヴィーは、背けた顔を再びヴィルベルトの方に向け、言葉を発しようと口を開くが、しかし、その先の言葉が出てこない。


 何と言えば、良いのか。


 アイヴィーが、嬉しいと思わないわけがなかった。


 この四年間、アイヴィーはヴィルベルトの事を忘れたくても、忘れられなかった。


 そして、誕生日にヴィルベルトから貰ったネックレスをこっそりいつも身につけていた。


 それが、重い女だと、分かっていた。


 だけど――一瞬、ジョシュアの顔が、頭を過ったのである。


 この四年という歳月を、ヴィルベルトの居ない歳月を支えてくれたのは、ジョシュアであった。


 例え、ジョシュアが原因を作ったとしても、その後、何もしなかったのは、アイヴィー自身である。


 アイヴィーは、その事を理解していた。


 『未来は、動いた者にしか変える事は出来ないのよ』そう、ウェンディが言った言葉がいつまでもアイヴィーの心に突き刺さっていた。


 ヴィルベルトの事を考えると、アイヴィーはいつも後悔していた。


 あの時、こうしていれば――、もし、こうだったら――、ついそう考えて、アイヴィーは、その思いを振り切れずに居た。


 だから、今日、こうして、この気持ちを振り切ろうと、嘘を清算して、気持ちに蹴りをつけて、ジョシュアのプロポーズを受けようと思っていた筈なのに――。


 アイヴィーは、ヴィルベルトの質問を目の前にして、言葉に窮してしまったのである。


 何も言わないアイヴィーを見て、ヴィルベルトが、苦しそうに言葉を続けた。


 「こんな事、君の幸せを考えたら、いうべきでは無いと分かっている。けれど、やはり、私は君をこの四年一度だって忘れられなかった。ジョシュアと仲が良いのは知っている。私が不甲斐ないというのも、嫌という程分かっている。だけど、けれど、どうか、どうか――再び、君と一緒にこれから先の人生を歩ませてくれないだろうか?君がそれを許してくれるのなら、私はこれから死ぬまで、どんな罰だって受けよう。アヴィー、君を愛している」


 辛そうに顔を歪ませて、ヴィルベルトはアイヴィーにプロポーズしたのである。

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