本当の顔
「俺、見たんだよ」
俺、水上、竹達の三人で机を囲む。小学一年生から十三年続く由緒正しい朝の風景だ。小学生の頃は大学生に大人びたイメージを持っていたが、いざ自分が大学生になってみると、大人とやらとは似ても似つかない奴であることにがっかりした。
今朝ひとつめの話題は竹達が提供するようだ。
「何を?」
俺が尋ねる。竹達は得意そうな顔をする。
「あの先生の本当の顔」
水上も竹達の話に耳を傾けている。興味があるらしい。四谷愛先生は我が大学で一番の愛情を持つことで知られる教授だ。小さいながらも一応存在しているこの論理学部からも支持を集めている。しかもありがたいことに、我らが論理学部の担任まで引き受けてくださっている。
竹達によると、その四谷先生が昨日はひどくご立腹だったそうだ。
「まあ、一軍は四谷先生の講義中に好き勝手やってるからね」
水上は軽蔑したように笑みを浮かべる。クラスの中心的な勢力を水上は一軍とかナショナルチームと呼んでいる。逆に俺たちのような日陰者は二軍というわけだ。
ここで考える。四谷先生には優しさに溢れた部分と怒りに任せて荒ぶる部分が存在することがわかったが、果たして本当の顔というのはどちらなのだろうか。はたまた、まだ俺も水上も竹達も知らない顔があって、それが本当の顔なのだろうか。人間の本当の顔。誰かの講義で性善説というのを聞いた。いま目の前にいる二人と共に。
水上はよく人を軽蔑したような微笑を浮かべる。竹達は思考回路のアップグレードが中学生バージョンでストップしている。これまで、俺はこの二人をそう評価してきた。だが、彼らにも知られざる本当の顔があるのだろうか。だとしたら、本当の顔を見ていない俺はこの二人の友達と言えるのだろうか。もはや俺の脳からは、四谷先生に来週提出しなければならないレポートの存在は消滅していた。