バリウス壱型
戦闘二輪。走行エネルギーをタービンで量子エネルギーに変換させ、戦闘時にはエネルギー装甲を展開させ可変する二輪兵器だ。
その姿はバイクと似て異なる存在。よく見ると後輪は二つの薄い車輪が重なった作りになっており、ホイールの軸には幾何学模様的な刻印が記されている。
「君がバイクに精通していることは履歴書と――昼の実戦でよく分かったわ。だから戦闘二輪部隊に配属したのよ、桐柄剣人君」
円加は穏やかに、それが責務だと簡単に言ってのける。
だが、剣人の心の内ではこれは無理だと訴えている。今すぐに降りろと。
契約期間満了まで最も死亡率が高い配属がこの自動戦闘二輪パイロットだ。その任を郊外戦争未経験で負わなければならないのだ。
だがそれでも彼一人の希望で配属は今更変えられない。円加は事務的に続ける。
「本来ならば君の作戦区域侵入は我が軍にとって大きな損失よ。作戦そのものは中止。お陰で費やされた多大な出費が全て水の泡。依頼主の京都県区から大目玉を喰らったんだからね。私個人的には簡易裁判で君を訴えて全財産ひっぺがしたいくらい」
そして意地の悪い笑みを浮かべた。
「でもこれならどうかしら? 君は失ったバイクの替えを得られるし、活躍すれば追加報酬だって出る……悪くないと思うけど」
哀れな仔羊の答えは一切無い。故に畳み掛ける。
「今は一機でもバイク乗りが欲しいところだけど、今日来た新入りは誰も彼も楽なポジション目当てで露骨に手を抜く怠け者ばかり。やる気が無いなら帰ってもいいんだけど。勿論君もこの仕事が気に入らないなら――」
「いつまでやればいい?」
思いもよらない先方の答えに円加はまくし立てていた小言をつぐんだ。
「俺の契約期間は何時までだって聞いているんだ」
「え? さ……三ヶ月間だけど」
「十分だ、やってやる」
即断する剣人の反応は全くの予想外だった。
体力測定診断を見た円加なら分かる。桐柄剣人は明らかに手を抜いていた。自身がより安定して楽な所属になるために。
侵入事故の始末書を書かされる羽目になった憂さ晴らしに彼をここに呼んだ。終始愚痴って、この最大のハズレくじを拒んだところでクビにしてやろうと思った。
それがまさかの即断。彼はこの命を張る仕事を簡単に受け入れたのだ。
「じゃ、じゃあ説明会でも言ったとおり! 君が戦場で戦死したとしても我が社は一切合財責任は問わないけど……大丈夫?」
「ああ、構わないよ」
「じゃあ! じゃあ――早速戦闘二輪乗りとして登録するけど、本当に大丈夫?」
「勿論、それが規定なら」
「でも君、戦闘経験ないのよね……本当に本当に大丈夫?」
「だから乗るってば」
剣人は焦れたように台座に据えられた戦闘二輪――バリウスに歩み寄る。そして丸みを帯びた銀色のタンクをゆっくりと撫でる。
鈍い銀の輝きを放ちながら悠然と駐機するバリウスに剣人の鼓動は小刻みに加速する。まるで四気筒エンジンの鼓動のように。
「――青陵か……」
剣人は既に存在しない戦闘二輪メーカーの名を口にする。
青陵重工は組織そのものが終焉を迎えた企業統合体だ。
戦闘二輪は実質的に生産中止されて久しいが、剣人の目は子供のようにキラキラとしている。
「親父が昔乗っていたバイクも確か、青陵のネイキッドだった。青陵は見た目よりもスピードを重視していて『走る機械』というバイクの本質に一番力を入れていた。そのメーカーが開発した戦闘二輪かぁ」
剣人のバイク好きっぷりにドン引きしながらも、円加は思い出したように懐のタブレットを取り出す。
「えーと。青陵重工製ZFX250バリウス。同社のネイキッドタイプ自動戦闘二輪の先行量産モデル。郊外戦争において、ごく初期の機体であり、規制される以前の四気筒タービン伝達機構システムを搭載した戦闘二輪。これにより250クラスながら中型車に匹敵する出力を……」
「ああ。400クラスにだって負けない。戦後にヒビキ・エレクトロニクスが復元生産したヤツとも全くの別物さ。大戦中のモデルにこんな所で対面するなんて……!」
剣人は円加には目も暮れずバリウスのフュエルタンクに向けて何か囁いている。もはや彼女の話の内容が頭の中に入っているのかすら怪しい。
「それに見ろよこれ。この馬のエンブレム。後期型とは違う形のエンブレムだ。馬が疾駆しているエンブレムは壱型の物だ。弐型とは違う初期に少量生産されただけの実質的なプロトタイプだよ!」
「どういうことかしら?」
眼鏡を直しながら、円加はとりあえず、目の前のバイク好きの青年に向き直る。
「弐型は戦後になってから青陵の生き残りが復元モデルとして作ったんだけど、所詮は安定性を重視した後期開発仕様なのさ。この壱型には遠く及ばないよ!」
頬を引きつらせながら問いかける円加に剣人は意気揚々と答えた。その顔は歓喜に満ち溢れている。さっきまでの沈みきった顔では無い。
「筋金入りのバイク好きなのね、君……」
円加はやれやれと頭を振る。
生身で戦場を駆ける二輪兵器パイロットは歩兵としてだけでなく、高火力高機動の機動戦闘兵器の重要な戦闘要員だ。
だからこそ、必要頭数は多いのに損耗率が激しく人員は一向に揃わない。
それも相まって彼女の管轄する京都派遣部隊の戦績は低迷。クライアントである京都県区の郊外戦役運営部からも毎日のようにダメだしを喰らっていた。
苦難の日々だった。そしてようやく今日、それは報われた。
口角が上がるのを抑えられない。満面の笑みを貼り付かせた顔の円加。
「じゃあ早速いってみようか!」
テンションも上がり気味の円加が壁のキーボードにパスコードを軽やかに叩き込む。
「うわ!」
バリウスに心酔しきっていた剣人は突如動き出したターンテーブルに身体を崩しかける。
台座はゆっくりと下降していく。それに伴って下層へと続く通路のシャッターが開く。何事かと円加に目を向ける剣人。
「起動テストいっちゃうよ。剣人君!」
桐柄剣人が見る鷲宮円加の瞳は今日見た中で一番輝いていた。
ガレージの下は戦闘二輪専用のラボになっていた。
「戦闘二輪用に改装したテストルームよ。あれでテストを行うの」
円加が指差した場所には巨大なモニタリングの為の端末が設置されている。その中でも目を見張るのがスピードチェッカーらしき巨大な計測機だ。
ランニングマシンを大型化したようなベルト式の動く床の両脇にはモニター付きの端末が据え付けられている。駆動系のテストに用いられる大がかりな設備らしい。
円加はポケットからキーを取り出すと剣人に放り投げる。
それを器用にキャッチしてバリウスに向き直る剣人。
バリウスはコンベアで台座ごと計測機に投入される。
「起動方法は普通のバイクと同じでいいんだよな」
剣人は跨るとハンドル中央のキーシリンダーに差しこむ。
ずるりと入り込んだキーを思いきりねじると赤い可視光線が剣人の双眸目掛けて照射される。
網膜チェックが始まりしばらくすると赤い光線は消え、インジケーター中央のモニターに登録完了の表示が古めかしいフォントで浮き上がる。
「初期設定は終了ね。これでこのバイクは君だけの物よ」
「どこまでも似てるな。バイクに」
「元々バイクに量子タービンを詰め込んだ所から始まったのが戦闘二輪だからね。戦闘用として一から組みあげられてきた他の兵器とは違うわ。操作系統も駆動系も普通のバイクの延長線上にあるのよ」
円加はバリウスに跨る剣人の足元、車輪の軸に据えられた円筒形の機器を指さす。そのモーターのような機器には斜めに細かな溝が走り、ぼんやりと黄緑色の燐光が漏れていた。
「この小さなタービンで量子化や武装展開を行うなんてな」
「量子タービンを運用する最適な大きさがバイクだったの。戦闘機じゃ燃費と折り合いが付かないし車じゃ廃棄都市の戦闘で小回りが効かないし。その点バイクが一番フィットしたって訳」
確かに人一人が跨り自在に操るバイクの特性は瓦礫だらけ、ブラインドオブジェクトだらけの郊外戦争での斥候としては最適だ。
数百年前の戦争ではバイクは馬に代わる足として歩兵部隊に重宝されたと言う事も剣人は知っていた。
剣人が何気なく足下のタービンを足で軽く小突こうとすると円加が釘を差す様に付け加える。
「ちょっと気をつけてよ。そのタービン、バイク本体よりお高いんだから」
それを聞いて足を引っ込め元のペダルに戻す剣人。
「耐久性は昔より上がってるけどね。ま、気をつけてくれたらいいわ。じゃ、そろそろ試験を始めるわよ。エンジン始動してみて」
促されるまま小さく頷いた剣人は恐る恐るセルスイッチに親指をかける。
バリウスは古い年式の戦闘二輪だ。先程のキーシリンダーの感触も、外装の質感も長い月日がもたらす古めかしさを感じる。
セルスイッチを押すと、キュルキュルと言うスターターの回転音が続いた。
「ん?」
……続いただけだった。
「どうしたの?」
円加が不思議そうに覗きこむ。剣人は決まり悪そうに小首を傾げた。
「おかしいな」
ぐりんとアクセルを回し始動を煽るが一向に応えてくれない。
普段からバイクの扱いに慣れている剣人だが、バリウスの手応えは明らかに今まで乗ってきた物とは異なっていた。
一旦操作を止め熟考、ふうと一息付きながらライトスイッチ横のチョークレバーを引く。
再びセルを回し軽くアクセルを捻った。
その瞬間、
「きゃあっ」
一気に鳴動した排気音に円加が後ろ手に尻餅を着いた。
「おっと失礼」
剣人が慣れた手つきで素早くアクセルを絞ると排気音は瞬時に落ち着きを取り戻す。
「ちょっと! びっくりしたじゃない!」
「うーん。古いバイクだからセル一発始動は難しいっぽいなあ」
タイトスカートをぽんぽんと叩きながら円加が抗議するが剣人は気にもしない。
何度か空ぶかしてエンジンの調子を確かめる。
「これは起動成功……したのよね?」
ずれた眼鏡の位置を整えながら円加が剣人の顔の隣からインジケータを覗きこむ。剣人はそんな彼女を横目で一瞥しながら眉をしかめた。
「鷲宮さん……このバイク整備してなかったの? さっき整備顧問も務めてるって聞いた筈なんだけど」
「わ、私はドローン専門なの! バイクは知らないのよ、専門のクルーがいるから……もー!」
「ご、ごめん……」
びっくりしたじゃない。もう一度小言を漏らしながら円加は立ち位置を変える。
テスト装置のメイン操作盤の前でタブレットとケーブルを繋いだ円加は研究者の眼差しに戻る。
「じゃあ、気を取り直していくわよ」
円加はタブレットを小脇で抱えると右手を繰り出し、ピアノの鍵でも弾くようなタッチで操作――連動した巨大なテスト機器が稼働し、低い地鳴りのようなモーター音を上げる。
「走らせてみて。床が連動して動くから」
指示に従いギアを1速へ。青陵のバイクは初めてだったが思いの外自然に動き出した。
排気音が徐々に高鳴り更にギアを上げる。それに伴いベルト状の床の回転も増していく。
「いい感じの加速感だ」
聞いていた通り400クラスにも匹敵するポテンシャルを感じていた。
「回転域安定、変形行ってみましょう。操作方法は……半クラッチにしてそのまま可変ペダルを蹴り上げて」
タブレットにマニュアルを表示させているのだろうか。円加は説明書を読み上げながら指示する。
「可変ペダル……これか」
剣人は足下を注視、シフトペダル前方に折り重なるように据えられたレバーに足を置きかえる。
BC250には無い操縦機構だったので一目で分かった。シフトペダルよりも無骨で見るからに後から増設されたパーツだ。
試しに軽く小突いて見る。見た目も重く太いペダルはギアチェンジの要領で蹴り上げている筈なのにびくともしなかった。
「くッ……そ!」
もう一度、力のままに思いきり蹴り上げる。すると、インジケータ上に浮かぶホログラムに表示が浮かび上がりエンジンがこれまでと異なる駆動を始めた。成功だ。
「やったッ――あれ?」
バイクの加速とは明らかに違う音域の高鳴りが重なる。どこかしこで金属のフレームが組み替わり歯車が噛み合うような音。
思わず振り返ると二枚重ねの後輪が間隔を増し足のように車体を支えていいた。
前輪が衝撃と同時にウィリーの要領で立ち上がる。その頃には後輪はバイクの車幅よりも離れている。
後部の二枚の車輪から成る脚部のみに支えられたバイク。
「ん……くっ」
思わず、耐えるようにハンドルにしがみついた。
車高が見る間に上昇し、ニーグリップしたままの膝下が微妙に伸びる。
前輪は空を斬りながら回転を続けている。前輪搭載の量子タービンの燐光で前方が明るい。
車体胸部にまで競り上がった前輪。その中心で緑色の輝きを放ちながら唸り続ける量子タービンは剥き出しの心臓だ。
最も戦闘二輪そのものを駆動させているのは普通のバイクと同じようにエンジン部なのだが。
「じゃあ次は武装テストね」
上目遣いで見上げる円加の指示に従い剣人はインジケータ上のホログラムをタッチ。
表示されたホロディスプレイには選択可能武装が表示されるが剣人は小首を傾げた。
「何も無いけど」
「ああごめんなさい、まだ本格的に量子化装備を入れてないみたい」
円加がタブレットを手際よくスワイプさせて確認する。
「普段は何が搭載されてるの? 昼の奴らみたいに派手な機関砲?」
「現行の250の戦闘二輪じゃ無理だけどこの車種は大戦前の物よ。恐らくはもっと高火力の支援火器、他に機動戦用の火器と近接装備も搭載できる筈」
「結構入るもんなんだな」
感心しながら剣人は量子のキャパシティ画面を見た。
タコメーターの斜め上に増設されるようにホログラム表示されたそれは人型形態のシルエット脇に幾つかのEMPTY表示を点滅させながら主張している。
「この車種は元は対県機を想定されているみたいだから。大型の量子タービンを搭載した決戦兵器に対抗できるようにキャパシティも出力も大きく設定されてるの」
「県機か……」
県機――日本国内の都道府県区が一機ずつ保有する巨大兵器。郊外戦争を行う47都道府県が持つクイーンの駒だ。
その県機を守り、敵の県機を倒す為に用いられる走狗が戦闘二輪のルーツだった。クイーンを守る役目と言う点でルークにも思えるが耐久性で言えばポーンクラス。
幾多もの郊外戦争で戦二は常に捨て駒のように消費され続けてきたのだ。
「今は県機が戦場に出てくるなんて滅多に無いわ。だから相手の戦二を想定した武装になると思うけど……その辺はまた今度決めましょう」
円加はそう言って表情を改め、物静かな声音で呟いた。
「じゃあ、最後。人型形態の変形テストを行います――始めて頂戴」
その一声で可変ペダルをもう一段蹴り上げる。何かが噛み合い組み替わる感触が伝わり、前方インジケータのホログラム表示が目まぐるしく変動する。
「ギアを一気に下げて量子装甲を展開して、後はバリウスのAIが勝手に構成してくれるわ!」
「ジーニアス?」
聞きなれない言葉に戸惑いを覚えつつ言われるままに画面をタッチ。
黄緑色の光芒が機体の各所で輝き、透き通った六角形で構成された基本骨子が展開、トップまで上がっていたギアを一速まで落とすと目に見えて変化が現れる。
二本脚のタイヤで走行する人型バイクの挙動がガクンと落ちたかと思うと各所で構成されていたポリゴンのような量子装甲が具現化し始めたのだ。
剣人の跨るシート周りからも量子装甲は展開され外界から遮断されていく。
外の状態を窺うが半透明の光の層を通して見える視界は目まぐるしく動き回っていた。フレームが上下降して人型の形態へと変形していく。その過程を初めてのアトラクションに乗っている子供の感覚で眺める。
「よし、可変機構は良好。後は量子演算プログラム……あるぇ?」
円加の素っ頓狂な声。何か問題が起きたのかと剣人はそちらに視線を向けるが、
「うわ、何これ」
それまで剣人の首元まで埋め尽くしていた量子装甲の光は突如霧散。直立していた人型の原型を崩し一気に元のバイクに戻ってしまった。
「ぐあ……何が起きたんだよ!?」
四隅の柱が発する耳触りなブザー音。四方から殺到する警報音に困った表情で端末を操作する円加。
「失敗よ。バリウスに組みこまれたAI――ジーニアスシステムが貴方と人型への変形を拒んだの」
吐き捨てるような円加の一言。
「AIが……?」
剣人の顔にも曇りが立ち込める。これまでバリウスの操作を行う上で一切伝えられなかった要素だ。恐らくは操縦者の補助をするプログラムだろう。ドローン兵器にも搭載されているので知っていたが……
「AIが搭乗者を拒むのか?」
剣人の不安げな表情を読み取ったのだろうか。円加は取り繕うような笑顔で端末を操作、ブザー音を停止させる。
「ああ、大丈夫よ。君のバリウス担当は変わらない。AIの調整は実戦までに仕上げておくから心配しないで」
「ジーニアスって……なんなんだよ、それ」
「高度自律成長プログラム。まあ、簡単に言うとバイクそのものに意志を宿らせてるの。この子は規制前の物だから県機を倒す為にちょっと荒っぽい気性のプログラムが組まれてて……それが貴方の騎乗を拒んだって訳」
「バイクが意志を持っているっていうのかよ」
円加は苦い笑みを浮かべながらバリウスの元に歩み出る。
「元々クセが強くてね。気に入ってくれればきっとスムーズに動かせると思うから……」
「気に入ってくれればって……」
言葉を濁す円加を問い詰める剣人。円加は決まり悪そうに笑うだけだ。
「とにかく場数を増やすしか……この子と仲良くやっていけるように何とかするから」
そう言って円加はフュエルタンクを優しく撫でる。
剣人にはその光景が機嫌を損ねたじゃじゃ馬を宥めているようにも見えた。