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軍用派遣会社メメントモリ

 二ヶ月前の事だ。

 埼玉県区、大宮テラリウム。北関東随一の収容人数を誇る傘の下に剣人は住んでいた。

 休日はアパートに引きこもり畳の上で大の字に寝転がるだけ、朝から晩まで自問自答していた。

 ひょんな事から勃発した対人関係のいざこざで会社を辞めた剣人は、再就職先にありつくこともままならず日雇いのバイトで凌いだ。

 無論、マンションの家賃払いは見る間に滞った。

 貯金も尽きた今、いよいよ安定した収入を得る仕事に就いて再スタートしなければならない。


 圧迫面接を終え、その日も剣人は肩を落としながら外縁行きの電車に乗った。

くたびれたスーツ姿のまま最寄駅を降りる。

 外縁部らしく都市機能の中枢はその区域には殆どなく、歓楽街と住宅地が雑然と混ざり合う街。

 剣人はそんな見慣れた界隈を歩いていたがふと足を止める。

 見上げると両脇をオフィスビルに挟まれた古めかしい雑居ビル。ガラス扉の横のプレートには階毎の店名、社名が並んでいるのが常の筈だが、このビルに至ってはどの階も空白だらけだ。

 ドアの向こう、暗いビル内の廊下には看板が置いてあり、剣人はじっと目を凝らす。

 そこには本日面接企業と書いてあり、軍用モジュール派遣会社メメントモリという社名が手書きで記されていた。

 剣人は何を思ったのか、吸い込まれるようにそのビルに消えた。


 ススで汚れた黄色いランプ。エレベーターの古い表示灯が四階で止まる。

 扉から出た薄暗い廊下はビル特有のカビ臭さに包まれていた。隣に景気よさそうなオフィスビルが建っているので日当たりが悪いせいだと思いながら歩を進める。

 多くの門戸は固く閉ざされていたが、隅の一室だけは扉が放たれ蛍光灯の光が漏れている。

 剣人の足取りはどこか力が抜けている。覇気がないのは肉体的にも精神的にも疲労困憊しているせいだ。

 その光景は傍から見ると、夜の街灯に引き寄せられ弱々しく飛び回る羽虫のようだった。


「お、来たか」

 部屋に踏み入れ目が合った瞬間、ワイシャツ姿の男はスポーツ新聞を折りたたみ眼鏡をずらす。どうやら彼が面接官らしい。

空っぽになったタバコの箱が机に投げ出されている。ガラスの灰皿にはくしゃくしゃになった短い吸殻が黒い灰と共に盛られていた。

 今すぐ出て行きたい気持ちに駆られる剣人を余所に、男は引き止めるように手招いた。


「じゃ座ってよ、すぐ面接始めるからさ」

 そう言って長机の上に散らばる私物を片付け出す。

 何とも杜撰。こんなにいい加減な面接会場見たことがなかった。

 だがしかし――

 ま、いっかと思いながら剣人は、先程受けた面接で突っぱねられたばかりの履歴書を取り出し、促されるままパイプ椅子に座った。

 面接官は剣人が渡した使い回しの履歴書を一通り流し見る。


「ふむ、前職は近衛技研、いい会社じゃないの」

 面接官は履歴書の左ページを見て興味深そうに頬杖を付いた。


「君、バイクの免許持ってるんだね」

「はい、一時期新聞配達のバイトをしていたので」

「じゃあ簡単な物資運搬は可能だね」

 にやりと笑みを浮かべながらまじまじと凝視してくる面接官。その値踏みするような視線に剣人は思わず目をそらしかけ、相手の額を見るよう心がけた。

 面接の時に相手の目をじっと見続けるのは気まずかったからだ。


「あ、でも大丈夫。君みたいな未経験者に戦争行為はやらせないからさ」

「はあ」

 そこから先はプライベートな雑談に終始した。休日の過ごし方、前職の事、大学でどんな事をしていたか。

 ついさっきも面接を受けてきたので立て板に水の如く受け答えが出来た。そんな問答がある程度続いたところで、


「じゃあこれあげるねー」

 面接官はひとつ頷くと一枚の紙を剣人に寄越す。

 それには郊外戦争期間従事者募集要項と大きく書かれ、その下に細かな待遇や勤務内容が記されていた。


「これは……」

「ああ、いいのいいの。流してくれて。これは皆に渡してるから」

 話の意図が追いつかないまま面接官は続ける。


「大丈夫大丈夫。さっきも言った通り、君みたいな戦闘未経験者を前線で使おうとは思わないよ。あるとしても戦闘前に行われる地形の観測とかさ。経済活動としての戦争だからドローン動かしたり銃ぶっ放す以外にもいろいろする事あるんだよね」

 はあ、と溜息と共に漏れる返事。それを聞いているのかいないのか、面接官は剣人にもう一枚プリントを渡す。

 受け取ったそれには赴任地の地図と赴任日時が記されている。


「あの……これ面接なんですよね?」

 何か、おかしい。

 まるでもう決まりきった合否に向けて進行していくような――明らかに剣人がこれまで受けてきた面接と違う流れだ。

 そんな剣人の疑念を察したのか面接官が取り繕うように畳み掛ける。


「じゃあ結果は一週間後、こちらの住所に郵送でってことで……」

 形式ばった口調で言ってみせる。トントンと書類が整えられた後に面接官の堅苦しい表情がくしゃっと崩れた。

 満面の胡散臭い笑みが皺だらけの顔いっぱいに広がる。


「ようこそ、軍用派遣会社メメントモリへ!」






 面接の時と同じ言葉で赴任手続きは締めくくられた。

 剣人は今、メメントモリ管理下の陸上艦ジャガーノートにいる。

 赴任手続きに集められたのは剣人を入れて十名程度。若者からオッサンまで様々だった。

 最初に説明を受けたが、やはりこの仕事は派遣会社の社員として戦争を行う傭兵のような業務内容らしい。

 と言っても現在の主戦力は無人兵器のドローンだ。殆どは安全な拠点から遠隔操作によって運用されている。

 直接戦場に赴く作業員の大半は非戦闘区域に退却してきたドローン兵器の補給、整備などを行うだけだと聞いていた。

 だが、懸念材料はまだある……


「前線だけは行きたくないよなあ」

 隣の椅子に座った男が呟いた。

 不精髭に眼鏡姿。お世辞にも清潔感があるとは言えない顔だ。

 剣人はこの男と言葉を交わし、この窮屈な空気を紛らわしていた。


「兵士も最低限いないと上手く回らない。そいつらのバックアップで無人機の行動パターンが成立するからな」

「前線配属なら特別手当と出来高でプラス報酬も付くけど……やりたくはないな」

「とりあえずさっきの体力検査は思い切り力抜いたけど。あー物資補給がラクなんだよなあ。ドローンの操作も出来高で収入増えるけど」

 椅子の上で仰け反る男。剣人も先程行われた体力測定を振り返る。

 集められたメンバーは次々に反復横飛び、握力測定、動体視力を判別するテストなどを行った。この手の検査は適性を見るためだ。

 体力テストで好成績を残すと適性――前線での配備率がぐっと高まるのは明白だった。

 だからこそ剣人はあからさまに手を抜いた。

 これならば恐らくはドローン操作、オペレーティング補助、運が悪くて現場での物資補給担当くらいだろう。


 そう思っていたら、電動ドアの開く音がした。

 パイプ椅子に座っていた剣人を始めとする軍用モジュールとして召集された契約兵士が視線を上げた。

 説明会が終わって久しい会議室に入ってきたのは女。

 首から下げられた札を見る限り本社の人間らしい。赤縁眼鏡にカールがかった茶髪のロングヘア。

 女はぐるりと面々を見渡し、剣人に照準を合わせる。


「初日から郊外戦区に迷い込んだ挙句ぶっ倒れた桐柄さんですね。貴方を呼びにきました。それとお体の調子はどうですか?」

「え、まあ……何とか」

「そうですか。では、こちらへ」

 呆気に取られる他のメンバーを尻目に剣人と女は部屋を後にした。



 病棟のような乳白色のタイルに埋め尽くされた通路。かつかつと床を叩くヒール音とぺたぺたしたスニーカーの足音だけが規則的に響く。

 この陸上艦ジャガーノートは旧米軍の原子力空母並みの大きさだ。その中に居住区から管制室、戦闘兵器のガレージまで揃えられている。

 そして今、剣人が案内されている区画は艦内での生活機能が集められた部分だった。

 至る所に事務室、会議室、医務室と思しき部屋の扉が並び、売店、食堂が続く。廊下の曲がり角にはベンチや自動販売機まで用意されている。

 ここが郊外戦争を執り行う戦艦の中だとは到底思えない。


「身体の調子はどうですか?」

「お陰様で」

「そう、それなら良かった」

 女は事務的に言葉を交わすとまた押し黙る。

 剣人はそんな女の横顔を見ていた。

 歳は24の剣人とどっこいか或いは上か――大きな目は猫のような愛らしさがあるが言動と雰囲気から何となく性格はキツそうだった。

 だが、剣人はこうも思った。事務的ではあるが綺麗な女だと。

 外に出てしまったらあっという間に溶けてしまいそうな程の雪のように白い肌。病弱そうで神経質、だがその顔立ちも体型もモデルのように整っていた。

 170センチと日本人成人男性の標準サイズの剣人に匹敵する長身。ヒールを履けば目線は殆ど変わらない物となる。


 ちらりと視線を向ける剣人の事など気にもせず彼女は歩く。

 通路は曲がり角の先で終わり、そこにはエレベーターがあった。ロック機能付きの無機質な銀色の扉。

 女は写真付きの社員証を扉横の端末に滑らせる。電子音から数秒遅れで解錠音が鳴り、重い鉄の扉が開いた。


「どうぞ」

 一足先に踏み込んだ女は手で剣人が立つべき場所を示す。

 ごくりと生唾を飲み込みながら剣人はエレベーターの中、女の隣に歩を進める。

 セキュリティロックが施された特別仕様のエレベーターは一体どこに向かうのだろう。

 到底、いい予感はしない。そんな不安にまみれた沈黙の意図を見通したのか女が口を開いた。


「今向かっているのは下層区のガレージです。そこに貴方のバイクがあります」

「俺のバイク……」

 剣人は三年間乗り続けてきた愛車BC250を思い起こした。光沢が清々しいスカイブルーのタンク。昔ながらのネイキッドタイプ。

 排気音はスピード狂が愛好する爆音では無いが、低く品があって耳心地が良いと思っていた。


 不意にフラッシュバックのように甦る昼間の出来事。

 スローモーションのように吹き飛ばされた愛車は転がり地面にぶつかる度にどこかから部品が飛び散り見る見る鉄塊に成り果てた。

 どうみても廃車だな……肩を落としながら、それでも命あっての物種だと自分を慰める。


「寧ろ拾ってくれただけ有難いです。色々愛着あったんで、あのバイクには」

 隣の女性社員に礼を言う剣人。


「え、違うわ。あのBCは置いて来たし」

「えっ……」

 漂う沈黙に妙に気まずい空気が流れた。

 女は一つ、わざとらしい咳払いをして見せる。


「君が乗るのは違うバイクよ」

「それってどういう……」

 女は質問には答えず、無言で胸元の社員証をこちらに見せ付ける。

 顔写真付きの社員証には彼女の役職と名前『メメントモリ京都県区派遣軍少佐 鷲宮円加』とだけ書かれていた。


「少佐……」

 見た目からは想像も付かない途方も無い階級に卒倒しそうになる。

 ただの女性社員だと高を括っていた剣人はどう反応すればいいのか非常に困った。


「こんな物どうせ肩書きだけだから。気にしないでいいわ」

 円加は諸手を振りながら取り繕ろうとする。態度と肩書きのギャップが妙に可愛らしい。


「で、さっきの話だけど。君のバイク修復不能だから棄ててきちゃった。せっかくバイクの免許持ってるから、おあつらえ向きの仕事用意してたのに勿体無いよね?」

「はあ……」

「で、妥協案なんだけどウチに一台余ってるから君に上げるわ……代わりにそのバイクで戦区を駆け回って欲しいの。そういう仕事はどうかしら?」

「補給とか偵察ですか?」

 まくしたてるように迫る円加に剣人はたじろぎながら答える。

 正直やりたくないなと思った。どうせなら危険の全く無い屋内の仕事がしたかった。


「大丈夫、手当ては管制よりぐんと上だから」

 円加はこちらの心中を察してか、務めて明るくこちらの気分が乗るよう声色を上げる。


「お金貯めたいわよね? うってつけの仕事よ……てかもう決めちゃったし」

「え、今何て?」

「いいの!」

 円加のトーンが上ずり、それに重なるようにチン、と言うチャイム音。エレベーターが止まった。


「じゃあこちらへ。君の新しい愛車を案内するわ」

 扉が開いた先は薄暗いガレージだった。前にも増していい予感はしない。

 軽い足取りで進む円加とは対照的に剣人の足取りは不安と不審感で鉛のように重かった。

 ガレージの中は薄暗く、空調の関係かひんやりとしていた。

 

「桐柄君、郊外戦は初めて?」

 眼前を歩く女史、鷲宮円加は背中越しに声をかける。彼女の声はこのガレージに良く反響した。


「今まで製造業やってたんで」

「その割には慣れてるって感じよね」

「前に兵器の製造ラインにいたので、戦車も無人兵器も見慣れてますから……動いて実弾撃ってるのを見たのは今日が初めてですけど」

 冗談交じりに答えた剣人。それに対し円加もくすりと笑いがこぼれる。

 回廊のように広かった空間は狭くなっていく。何個か空のターンテーブルめいた丸い台座を通り過ぎた先で円加は立ち止まる。


「桐柄君、君はこれに乗ってもらうわ」

 そう言っておもむろに壁のスイッチレバーを倒す。バツンという荒っぽい音と共に電熱光が眩しく灯る。


「これって……」

 剣人は驚きを隠せないといった表情で円加を凝視した。それに対し赤縁眼鏡の才女は微笑のままにこくんと頷く。


「そう。自動戦闘二輪。青陵重工社製ZFX250バリウス。これが君の新しいバイクよ」

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