荒野の二人
真っ白な雲が流れていた。
テラリウム上空を覆う透過壁越しでは決して見る事の出来ない、澄んだ水色の空だ。
視線を下ろせばどこまでも広がる荒廃した灰色の大地。時折、植物に繁茂され朽ちた摩天楼が混在している。
360度見回しても変わり映えの無い風景。
「いや……違う。この世界こそが正しい形なんだ」
先程まで自分がいたテラリウムこそが異質な存在なのだと、剣人は一人呟いた。
彼方に見える半球状の傘に覆われた街、テラリウム。一度終わった世界に新たに打ち建てられた人工の異物だ。
陽光に反射する透過壁だけが、未だ地上に残る虚しい人類文明を主張している。
彼が短い間寝食を過ごした陸上艦ジャガーノートはかの地に停泊したまま。
剣人は前に向き直る。その動作に名残惜しさは無かった。
決して聖書に登場する聖者のように、修行する為にこの荒野を歩いているのではない。剣人は自身の目的の為にテラリウムを、京都県区軍を飛び出してきたのだ。
あの戦いの後、メディカルルームで数日を過ごしてから剣人は自室に戻った。
が、部屋に入って直ぐにおかしな事気付く。
ドアを閉めた瞬間、はらりと舞った紙切れ。何となしにそれを宙で掴んだ。
紙切れはリヒターが遺していった県区移動の許可証だった。
――あいつまだ許可証の余りを持っていたのか。
恐らくは出撃前に訪れたリヒターが挟んでいったのだろう。
亡き戦友の遺品とも言える思わぬ土産だった。
その許可証を持つ者は新潟県区が管轄するいずれかの施設に所属できるようにする。そのような趣旨が記載されている。モジュールアーミーとして京都県区に籍を置いている剣人に与えられた自由へのパスポートだった。
県機アヴァランシェとの戦いで、アキは剣人に京都県区に残る事を頼んだ。円加の力になってほしいと。
だが、一方の剣人は今すぐにでも逃げ出したい気持ちで一杯だったのだ。そして、アキは最後までその弱気を責める事は無かった。
きっと、彼は今際の際で分かっていたのだろう。剣人はこの戦場から降りたかった事を。
そんな折に、ふって沸いた県区移動許可証。迷った末、剣人は信頼の置けない京都県区から出る事を決めた。
例えそれがアキに死に際に託された頼みを反故にする選択だとしても……
「俺はアンタみたいにそんなに多くの物は背負えないんだよ……」
自分の心の声に従う。それが弱いなりに選んだ剣人の選択。
目指す先は新潟県区が駐留する新横浜のギガフロート。そこまで行って県区軍編入試験を受ける。そうすれば新潟県区への移住すら可能になる。
その後はいい所で除隊して、居住テラリウムで安穏とした生活を送ろう。そう決めたのだ。
「もう戦争はウンザリだ」
渋谷から横浜まではバリウスを失った剣人にとっては途方も無い道のりではあるが、不思議と足取りは軽い。それはあの幾多もの激戦死闘を生き延びた自信故か、分からない。
だが、剣人は青森県区との戦い、かけがえの無い仲間との別れを経て、心の成長を感じ取っていた。
肉体労働だろうがやってやる。確かな決意と共に歩む。
荒野に敷設された道は、大災害後に誰かが作った舗装もされていな粗削りな道だ。各居住区の連絡に使われている鉄道は企業が管轄していて一般人が通る事すら許されない。
公には認められていないこの道を一人で歩くのは危険が付きまとう。
大災害後の日本において、テラリウムの外を歩くと言う事は野盗に襲われても文句を言えないくらい不用心な事だった。それほどまでにこの世界の治安は悪化している。
突然、剣人の背後から甲高い排気音が聞こえる。
反射的に剣人は腰ポケットから拳銃を取り出す。護身用にとジャガーノートの倉庫からくすねてきたベレッタだった。
だが、銃を握る両手は徐々に緩んでいく。
こちらに向かってくる二輪には見覚えがあった。遠巻きに聞こえる排気音も、長く剣人の耳に聞き慣れた物だ。
その二輪は少し離れた所で停車する。
銃をホルスターに戻した剣人が歩き出す。
ゆっくりとしていた足取りは早歩きになっていく。
停車しているバイクは間違いなく剣人が郊外戦争で乗っていた戦闘二輪と同じ物だ。
「おまたせ!」
そう言ってバイクから降りたのはライダースーツに身を包んだ鷲宮円加だった。
「は……?」
呆気にとられる剣人を尻目に、円加はヘルメットを脱ぎ、あざとくウインクを返す。
栗色の髪が風に揺れている。
「はい、これ忘れものでしょ」
そう言って円加はジッパーを艶めかしく開け、胸元から紙切れを取り出す。
剣人に渡した紙切れには、
「離職票?」
「うん。次の仕事まで一応保険が降りるのよ」
ブラック企業にしてはまともな対応をしてくれるものだと、何とも言えない気持ちになる。
剣人の頭上に黒い靄が滞留するが、円加はそれを振り払うような声音で続けた。
「で、ここからが本題」
胸元の更に奥をまさぐる円加。思わず視線が釘付けになる。握られていた紙は剣人が貰ったものと同じ文字がプリントされている。
「私も離職票もらってきたの」
「は? アンタ京都を抜けてきたのか?」
荒野のど真ん中で剣人の声が二度三度木霊した。
円加は全く驚いた様子を見せず満足気に頷く。
「そう。だからこの戦闘二輪は君にあげるわ。私が辞めるついでに買い取ったの」
そう言って誇らしげに胸を張る円加。ライダースーツ越しに彼女の豊かな胸が躍動する。
一瞬目線を奪われかける剣人だが、直ぐに本題が解決していない事に気づき首を振った。
「さっぱり意味が分からないよ! 何で円加まで京都県区を辞める理由があるのさ⁉」
「バリウスを直した所で乗りこなせるのは京都を辞めた君しかいない。なら、君の後を追ってとことんデータを取ろうと思って」
円加はよっこいしょとシートの収納スペースを開ける。中からはひんやりとしたスポーツドリンクが出てきた。
「どうぞ」
「お、おう……」
ドリンクを受け取り身体を潤す剣人。何の悪びれも無く役職を放棄してきた円加に剣人はどう取り合っていいのかわからなかった。
とりあえず、ごくごくとドリンクを一気飲みしてみる。
横目で見る円加の顔は嘘ごまかしなど一切見えない。
「ぷはぁ。なら君は俺についてくる為にわざわざ安定した地位にあった京都県区を辞めたっていうのか?」
「そうよ。京都県区の運営はブラックすぎるし。美央やエレナには話をつけてきたわ。彼女達なら戦闘二輪部隊も安心だろうし……それに彼女も長く続ける気は無いみたい」
「まあ、あいつらなら腕も立つし、例え京都以外に行ったとしてもやっていけるだろうな。それに引き換え俺は……」
剣人は申し訳なさそうにバリウスを見た。
銀色の鉄馬は剣人の懸念など跳ね除けるような程に清冽な銀を放っている。
「円加が俺にこいつをくれるってなら構わないけどさ。俺はアキみたいに強くないぞ? それにもう戦いたくなかったのに……」
「じゃあ次の就職先を見つけるまででいいわ。私にデータを提供してくれれば報酬は弾むわよ」
円加と暫く向き合いながら、剣人はこくんと頷いた。
実際、貯金が底をついた状態で出てきたので最早選択肢は無かったのだ。
「でも、京都の時みたいにスコア稼げるとは思えないけどな……」
伏し目がちな剣人だが円加の表情は明るいままだ
「君はバリウスと組んで県機を倒した。それは全くの想定外の戦果だったの」
円加は靡く髪を押さえながら、だがその面持ちは真剣な物だった。
「私と組みましょう。どうせこのまま新潟県区に行くんでしょ?」
「どうしてそれを?」
「リヒターから聞いていたわ。それにアキも君とバリウスの事を気に掛けてたから」
訝しがる剣人に円加は凛として答えた。
「アキが俺を気に掛けてた……んな馬鹿な」
イマイチ信じ切れない剣人は人の良さそうな困った笑みを浮かべる。
円加は後ろ手に組みながらそんな剣人を覗きこむ。栗のように丸い双眸は剣人の心の裏を見透かすように、
「君は自分を過小評価し過ぎてるわ。リヒターもアキも君が思っている以上に君に期待していたの。だからこそ見極めたいのよ――」
そう言ってバリウスの方に目を向ける。
「私としては……君を気に入ったバリウスの事ももっと研究したいのよ。あの機体にはジーニアスの素体となった少女以外にも様々なシステムが積み込まれている筈だから……」
太陽は間もなく中天に達しようとしていた。
「俺は……」
まだ迷う剣人に円加は畳み込むように仕掛けた。
「それにこんなに美人をほっとくつもり? どうする? 乗る? 乗らないの? 答えて」
そう言って収納スペースに入っていたメットを取り出し放り投げた。
反射的にそれをキャッチする剣人。
青と白のジェットヘルムは剣人が京都県区に入った時、BC250に乗っていた時使っていた物だ。
「これとっといてくれてたのか……でも大丈夫か? このメット一回コケて衝撃を受けてるぞ」
「大丈夫。もうこけないわ」
円加はそう言って自分の持ってきた赤と白のカラーリングのヘルメットを被る。フルフェイスのミラースモークが一度開き、赤縁眼鏡を付け直す動作。眼鏡のライダー特有の面倒な作業だった。
「さあ、行きましょ」
円加は眼鏡を二度三度動かし調節すると、促すように剣人の両肩をバリウスへ向けた。
荒野に留められたバリウス。古めかしい銀のネイキッドと対峙する剣人。
「全く、俺とお前はやっぱり腐れ縁なのかもな」
独り言のように小さな声で剣人はバリウスに語りかける。
数々の激戦をくぐり抜けた相棒は何も答えない。この戦闘二輪に搭載されているであろう有機AIもまた銀のボディに眠ったままだ。
彼女が剣人に何か語りかけてくるのは何時も戦場の命を失う寸前の窮地の時ばかりだ。
出来る事なら聞きたくないジーニアスの声。だが、その声を聴いた剣人は幾度となく窮地を切り抜けてきた。
「仕方ないな。少しの間稼ぐだけだからな」
意を決し大きく頷く。
「決まりね」
円加はそう言ってキーを放り投げる。
「じゃ、行こうか」
片手でキャッチした剣人はバリウスにゆっくりと跨る。キーを回すと、躍るように電光表示が灯った。
「完璧に治ってる。流石は技術家としても知られる鷲宮少佐」
「もう、ただの鷲宮円加よ」
円加は面白くなさそうに肩をすくめた後で剣人の後ろに回り込み、
「しょっと」
少し車体が沈み込み、タンデムシートに円加が跨る。
「あまり飛ばさないでよ? 非戦闘時なんだからね」
そう言いながら円加は剣人の腰にゆっくりと腕を回す。
暖かで柔らかい華奢な腕の感触。
「へいへい」
剣人は照れ隠しのようにぶっきらぼうな返事をするとアクセルを捻り込んだ。
身体全体に響く重い振動を感じながら、
――もしかしてアキも単に照れ臭かっただけなんだろうか?
一人で考えを巡らせた。
円加は誰にでも人懐っこく接してくる。そういった彼女の性格に触れている内にアキはただの戦闘マシーンから仲間を想いやる気持ちを得たのではないか。
今はもう決して知ることのできない憶測に過ぎないが剣人は確信していた。
この先、円加と進んでいけば、きっとアキが見たかった世界に辿り着ける。それはまた、フィオナが見たかった世界でもある筈だ。
今はただ、進むのみ。それしかない。
「行こう。頼むぜ、相棒」
「――ひゃ。ちょっと剣人君!」
思い切り吹かした排気音に円加が小さく声を漏らした。
荒野に巻き起こる砂塵。轟音。
ゆっくりとバイザーを下ろすとHUDが起動され、バリウスのAIが横浜フロートへの最短ルートを表示させる。
頭いいなコイツ。ナビなんてもう要らねえな。
そう思いながら剣人はギアを勢いよく蹴り上げた。
一応一区切りした為、完結になります。
何度も改稿した作品で、まだ改善する必要を感じてはいるのですが一旦終わりとさせていただきます。
キャラの絵は今後も設定記事にて更新していく予定です。
続編の際はまたお読み頂ければ幸いです。
ありがとうございました。




