後始末
全てが終わった戦場を踏みしめるくぐもった足音。剣人はまるで夢遊病患者のように灰色の大地を歩き続ける。
既に雨は止み、厚い雲に僅かに生まれた隙間からは陽光が差し込んでいた。天上からの光が幾筋も戦場を照りつけている。それはまるで雲上へと伸びる天使の梯子だった。
だが、剣人はそんな、美しく幻想的な光景には目も暮れず歩き続ける。
大通りに転がる乗用車だった鉄塊。その隅に存在する気配に気が付き足を止める。
ゆっくりと視線を乗用車の後ろへ。そこには、
「……よう」
横倒しになった自動車の腹部を背もたれにしながら、アキが座り込んでいた。
一瞬眉を寄せる剣人だが、強張っていた顔中の筋肉はすぐに弛緩していく。
フィオナとのやり取りを経て既に見慣れた光景だったからだ。
瞬時に理解した。彼はもう助からない。
「遅かったじゃないか……」
アキ――久澄秋鷹はヒビ割れたヘルメットを被ったまま朦朧としていた。
あちこち裂けたスーツからは赤い血肉が見えている。右足の先はあらぬ方向を向いていた。そして何よりも、アキが剣人を見る瞳はフィオナと同じように、既に輝きを失っていた。
意を決し進む剣人。
フィオナよりもあからさまに酷い状況だ。すぐにでも彼に迫りくる確実な死がはっきりと見える。
気力だけが残り少ない命と繋がっているようだった。まだ途切れない意地と言う名の生命力の糸によって、ようやく生かされているのだ。
剣人はアキの前に立つがどう切り出したらいいのか分からない。沈黙したまま、ただ呆然と見下ろすしか無かった。
「元気か?」
だが、アキはそんな状況で尚、皮肉っぽい言葉を掛けてくる。
「……ああ。そっちはあまり元気そうじゃないな」
剣人は精一杯の冗談めいた返しを試みる。声が震えていた。
今まで見てきたアキからは遥かにかけ離れた弱々しい姿だった。常に最前線で淡々と冷徹に任務をこなすエース。それが剣人が見てきた久澄秋鷹と言う男だった。
だが、今の彼は身体中血まみれで息をするのでさえやっという有様だ。
「ハッ……笑えねえ」
口を歪めながらアキが笑い頭を垂れる。もう一度見上げた時にはその唇からは血が垂れていた。
「すまん。外してくれないか?」
一瞬何の事を言っているのか分からず返答に困る剣人に、アキは自身のヘルメットを小突いて見せた。それでようやく意味が分かった剣人が動き出す。
「ああ。今楽にしてやる」
アキの前に進み出て屈む。ヘルメットをそっと両手で掴んだ。負傷した身体に極力苦痛を与えないよう慎重に脱がす。
クッションで首元を密着させたヘルメットの着脱には難儀したが、何とか外す事に成功した。
「はあ……はあ……」
アキは所々出血で赤く染まった銀髪をかき上げながら、
「奴をやったか?」
一言、苦しげにそれだけ呟く。額から伝う赤い血液は鮮やかで、明らかに命に関わる出血だと見て取れる。
剣人は唇を噛み締める。
「ああ……やったよ」
「そうか……そりゃよかった」
アキは剣人に支えられ姿勢を変える間もずっと、痛みを押さえる為の呪文のように何度も『そうか。お前が……勝ったのか』などと繰り返す。
まるで剣人の勝利、京都県区の勝利を自分に言い聞かせているようにも見えた。
アキと円加から全てを奪い尽くした因縁の県機。
彼がこの戦いの勝利にどれだけかけていたか。剣人にもそれが痛い程に分かっていた。
群馬を追われ仲間を全て失ったアキにとって、アヴァランシェは憎むべき仇だ。アキが生き、戦い続けてきた理由の全てだった。
アヴァランシェを撃破する事こそ亡き戦友への手向けであり、アキ自身が次に進む為のステップでもあったのだろう。
それは剣人が近衛技研での暗い過去を越える為、自らが製作に関与したアヴァランシェに挑んだ理由と似ていた。
「仇を取れて嬉しいか?」
さぞかし嬉しかったろう。これでアキは報われるだろう。
剣人は少しだけ思案してアキに問う。
今のアヴァランシェに乗っていたのはアキの過去とは全く無関係なフィオナだ。アキの悲願成就と引き換えに彼女を死に追いやってしまった。
その事実だけが言葉を発した剣人の胸をチクリと刺す。
「全く感慨もねえな」
「そうか」
全くの予想外の感想に剣人は言葉に詰まった。
アキはその勝利すらさして大した意味は無いと言い放つ。
言葉とは裏腹に暫く感慨深そうに上天を見上げるアキ。
少しだけ俯くと直ぐに元の仏頂面に戻る。
そして、普段見せるような人を突き放す口調で、
「クソみてぇな人生だったよ――」
憎まれ口を叩く。
だが、剣人は理解していた。これは本心からの言葉では無いと。
暫く何も答えないままアキを見ていた。ひゅうひゅうと鳴っていた風が止むと、アキは観念したようにその声音を優しい物に変えた。
「――嬢ちゃんは生かせたか?」
「いや、ダメだった――」
反射的に答える剣人。
復讐ばかり考えている筈のアキが、フィオナの事まで気にかけているとは意外だった。
ブリーフィングの後に戦いだから私情は捨てろと剣人を殴りつけたアキからは予想もしなかった言葉だ。
「……」
フィオナの死をそれ以上語ろうとしない剣人。その様子を見てアキは諦観にも似た安らかな笑みを浮かべ瞑目する。
「仕方ねえよ。これは戦いだ」
「――けど、とどめを刺したのは俺だ」
だがしかし、アキは俯いたまま、それ以上答える事は無かった。
弱々しい呼吸の音だけが沈黙の荒野に響いた。
常に身体全体を上下させて呼吸する様は苦しそうで見るに耐えない。残った生命力で酸素という酸素を吸わんとする消え入る命の最後の意地だった。
先程、フィオナの死を見届けた筈なのに――これっぽっちも人の死に慣れる気がしなかった。
「ほんと……戦争ってやつは――」
そう言いかけてアキはずるりと横に倒れる。
「アキ!」
背もたれ代わりにしていた車にべっとりとこびりついた血の痕。灰色の地面に横たわったアキに思わず駆け寄り身を起こそうとする。
「助けを呼ぶ……円加を」
首元の通信機に手をやる剣人。だが、衝撃の影響か通信機は全く反応しない。
「無駄だよ。俺もお前も通信機が壊れてるみたいじゃないか」
クツクツと乾いた笑いを漏らしながらアキが苦しそうに大きく息を吐いた。
救護班を呼べないどころかアキの死に目に円加を引き合わせる事も出来ない。剣人は悔しげに顔を歪ませる。
「彼女に伝える事があるのなら」
アキに顔を近づける剣人。だが、アキは鬱陶しそうに首を微かに振って見せた。
「伝える事は何も無いよ。ま、せめて言うなら――お前が俺の代わりに円加を助けろ。この先、彼女の力になってやってくれ。それが俺の唯一の望み……」
「何言って……俺に戦い続けろって? そんなの無理だよ。お前がやってやれよ……」
アキはもう助からない。剣人は確信していたがそう言わずにはいられなかった。
「……剣人!」
突然アキが剣人の首元を強く掴んだ。
「アイツを救ってやってくれ。俺や……のように……ではなく……この世界がまだマシだって事を教えてやるんだ……ぐッ」
一際量の多い血反吐が地面を汚す。いよいよもって彼の命は風前の灯だった。
「すまん、もう時間のようだ……」
急激に弱まる声の勢い。同時に腕の中のアキの重みが一気に増していく。
「アキ!」
剣人は支えながら叫ぶ。
「お前、俺が弱いって知ってるだろうが――」
その声は涙声で震えている。
「バカが……県機倒しといてよく言うぜ」
アキが意地の悪い笑みを浮かべた。だが剣人にはそれが精いっぱい作った表情だという事が痛い程分かっていた。
アキは口許から血を零しながら笑う。
「今すぐにでも逃げ出したいんだろ? じゃあな相棒……何年先になるかは分からんが、上で……待ってるぞ……」
ガクンとアキの頭が剣人の腕の中に沈んだ。
それ以上、彼の身体が動く事は無かった。それまで必死に酸素を供給しようと躍動していた身体が嘘のようにピタリと静止した。
「……じゃあな、隊長」
再び吹き入る風の音、コンクリートジャングルに根付いた蔦葉のさざめきが耳朶を打つ。こんなにもこの空間は『動』に溢れていたかと思い知る。
「俺はアンタみたいに強くない……」
アキの身体を灰色の地面に横たわらせる。
剣人の目の端に沸々と込み上げる物は涙だった。
それはアキの死を悲しむ物では無い。フィオナの死を嘆く物でも無かった。
ただただ悔しかった。こんな世界に何故自分はいるのか?
今の剣人を支配しているのは後ろ向きな諦観でも無い。
何も出来ない、何一つ変える事すら出来ない無力な自分自身への憤りだけだ。
県機を倒した? 誇れるのはそんな事じゃない。
幾ら人が剣人の戦果を称賛したとしても、決して彼の心は満たされない。
「クッソオオオオオオオオ!」
剣人は三度上天を扇ぐと力の限り咆哮した。
行き場の無い怒り。
千切れ雲を棚引かせる夕空は――しかし、何も答える事は無かった。




