遠い銃声
暗い闇は突如として開けた。
「あ……」
視界一杯に見える曇天からは絶えず雨粒が落ち続けていた。
割れたバイザーから雨垂れが染み出していた。
剣人の口許まで伝って来る水滴。だが、痛さと疲労感でそれを拭う気すらも起きない。
「……ぐ……うう」
呻きながら身体をもぞもぞと動かす。全身が砕けたようだ。
剣人は大の字でコンクリート片だらけの駅ビルの最上階に寝そべっていた。
高層階特有の吹きつける風音はまるで竜の咆哮のように聞こえる。吹きざらしになった駅のガレキの床は、各所から煤煙がたなびいていた。
灰色の空からはぽつぽつと出し惜しみのような雨が落ちてくる。その中で、
「……終わったのか」
剣人は四肢に力を込めて身を起こそうと試みる。
「く……」
が、パンパンに膨張したパイロットスーツに動きを阻まれる。
「クソ……この……」
仰向けになった亀のようにしばらくジタバタしていた剣人は溜息を一つ吐くと、腕のスリットに隠されたスイッチを思い切り押し込んだ。
空気の抜ける音と感触を確かめながら剣人は身を起こす。
崩落しかけたビルの縁。ぎりぎりの所にバリウスは転がっていた。
ゆらりと歩み、愛機を確認するがうんともすんともしない。
「流石にダメかな……」
優しくタンクに手を当てて労をねぎらう。
後で治してやらなくては……このバイクの中に封じ込まれた彼女の魂に申し訳が無い。
そんな事を考えていたら、
「そうだ……」
剣人は巨大な質量の気配に感づいて振り向く。そこには頭を垂れ沈黙している県機アヴァランシェ。重粒子砲は原型の留めぬ程に損壊していて、肩部から背中に繋がる巨大な円筒状のタービンも爆発で溶解して元の滑らかな形状は失われていた。
「倒せた……俺が県機を」
剣人は呆けた顔で大破したアヴァランシェを見上げた。
と、不意に思い出したように、
「……フィオナ。フィオナ!」
剣人は走り出す。そして、鉄塊と化したアヴァランシェに辿りつくと、何度もよろめきながらごつく巨大な脚部をよじ登る。
焦燥に駆られていて疲労感も痛みすらも感じていなかった。
膝から崩れた体勢もあって、コクピットが設置されている胸部にはすぐに辿りつく事が出来た。が、黒こげになった鋼板を見て剣人は絶句する。
所属部隊のマーキングや青森県区のエンブレムは最早判別不能だ。
「クソ……クソ……」
剣人は最後の力を振り絞ってコクピットと外界を隔てる鋼鉄の板をこじ開ける。
「ロックされてやがる、チクショウ!」
両端に留められたビス状のロック。剣人はそれを恨めしく睨みつけながら、思い出したように懐をまさぐる。
手にしたのは支給品のベレッタ。
安全装置を解除し思い切りスライドを引き絞る。最初の訓練で銃の取り扱いを習っただけだったが剣人は迷いなくそれらの動作を行う事が出来た。
何度も何度もロックされた金具を狙って撃ちまくる。両手で力を込めて撃っているのに衝撃で顎を打ちそうになる。酷く滑稽な様だったがそんな事をいちいち気にする余裕は無い。
目一杯撃ちまくった所で、ようやくビスの片方が弾け飛んだ。
外した跳弾も奇跡的に全て剣人を逸れ――やがて二つ目のビスも撃ち砕く。
「……フィオナ! 無事か!」
剣人は上体で支えるように鋼板に手を掛け、一気に持ち上げる。
重苦しい鉄の音が徐々にずり上がり、その先に満ちていた闇が日の光に当てられ内部が明らかになっていく。
ガコンという開閉音が静寂の中に響き、ようやく剣人はコクピット内のフィオナと対面したのだが、
「フィ……オナ……」
内部は酸鼻極まる光景だった。
あちこちで砕けたコンソールのガラス片や鉄の欠片がコクピットに座していた少女を直撃していた。
六点式のベルトでしっかりとシートに固定されたフィオナ・ブランシュはそれら凶器となった破片を避ける自由すら与えられなかったのだろう。パイロットスーツのあちこちが破れ鮮血の溜りが足下に広がっている。
「……」
剣人はしばらくコクピットの前で呆然と立ち尽くしたまま何も言う事が出来ない。
カアカアと鴉の鳴き声が空に木霊した。
「ケント……」
どれくらいその場に立ち尽していたのだろう。
驚くべき事に先に口を開いたのは重傷のフィオナの方だった。
「フィオナ。お前大丈夫なのかよ!」
我に返った剣人がコクピットに足を踏み入れる。
「私のマケね……」
片言の日本語も絶え絶えにフィオナが上目遣いで苦笑している。
笑っている余裕など無いのに。剣人は己の無力感で胸が締め付けられるのを覚えた。
「フィオナ……今助けてやる。そこから出してやるからな!」
小さな彼女を縛り付ける六点ベルトの拘束を解こうと試みる。
が、衝撃で明後日の方向に歪んだ銀色のロックはなかなか外れない。
「クソッ! クソッ! なんで外せないんだよ⁉」
「……ケント」
苛立ち紛れに剣人が叫ぶと、それまで眠りかけたように瞼が下がり朦朧としていたフィオナの表情が途端に恐怖に歪む。
「痛かったか⁉ すまん……ちょっと待ってろフィオナ。今すぐに――」
苦痛と恐怖に怯えるフィオナ。剣人は静かに声をかけると再び拘束を解こうとする。
しかし、
「もういいわ。ケント」
ロック部分をがちゃがちゃし続ける剣人の手の上に血まみれになったフィオナの小さな手が折り重なった。
怒りに取りつかれていた剣人の表情が軟化し、途端に力無く身体が弛緩していくのを感じた。すんでのところで立ち止まり、
「くそッ……諦めんなよフィオナ。たかがこんなベルト」
「違うわ。ケント。私はもう助からない」
フィオナの視線の先を剣人が追う。そこには……
「……フィオナ」
身体を僅かに傾けるフィオナ。真正面からでは見えなかった脇腹には砕けたコンソールの欠片が突き刺さっていた。
「大丈夫だ。こんな傷。今の医療技術なら――」
言いかけた剣人の口許をフィオナの人差し指が押さえた。血の匂い、迫りくる死の匂いを嗅がせられながら、
「実はねケント。もう私には貴方の姿が見えない」
「フィオナ……」
視線は合っている筈なのに、フィオナの青い双眸は虚空を見ていた。
――もう間に合わない。
全てを悟った剣人の目の端から涙が伝い始めた。
滴はフィオナの指先に落ちて、反応するようにフィオナの輝きの失った瞳が微かに震えた。死に瀕した筈なのに、フィオナの顔はどこか安堵を浮かべているようにも見えた。
「私はもういい。十分戦いを楽しんだ。これはその報いよ」
「ダメだ、死んじゃダメだ。諦めたらダメだよフィオナ」
剣人は必死にフィオナの手を握り締める。いつか見た雪のように白い手は、今はどす黒い血糊に塗れている。
「私に勝つなんてミゴトだったわ。ケント……」
そして、何を思ったか宙を泳いだフィオナの右手。行き着いた先は剣人の腰元に据えられたベレッタだった。
「フィオナ何を……」
戸惑う剣人。だがフィオナは何も言わず背中をシートに預けると鷹揚に両手を広げた。
「私を撃ちなさいケント。これで戦いは終わるわ」
「ダメだ――!」
フィオナの意図を瞬間的に察した剣人は真っ向から拒絶する。
「何で君みたいな女の子がこんな下らない事で死ななきゃいけないんだ。俺は君みたいな子を殺す為にモジュールアーミーなんかになったんじゃない!」
「けど私も今まで何人も殺してきたわ。戦場に身を置く以上……何時かは死ぬわ」
フィオナは息も絶え絶えに続けた。
「それは……今」
もう声を発するのも辛いようだった。
剣人は何も言わずに何度も首を左右に振り続けた。
「ダメだよフィオナ。俺にはそんな事出来ないよ」
「ノン……ケント、お願い」
そこまで言い切った所でフィオナは一際大きくせき込む。
ああ、もう助からないんだ。思考が否定していても本能がフィオナの確実な死を剣人に知らせてくる。
脇腹に突き刺さった破片。床に向かって生えているその先端からは今も尚鮮血が滴り続けている。
「終わらせて。ケントに負けたのなら後悔なんてもうないわ……」
「……ダメだ。もう残弾数が無いんだ」
「ウソよ」
フィオナは更に大きく呼吸をしながら小さく呟く。
「さっき銃声を聞いていたの。その銃ならまだ残弾数は一発だけ残って……」
剣人の肩がびくりと震えた。
フィオナの鋭さと戦場での経験の厚さに戦々恐々とする。やはり彼女は本物の兵士だと剣人は今更ながら思い知らされる。
同時にあまりに無力で中途半端な自分。決して敵わない筈のフィオナに勝ってしまった事実と、後始末をつけなければならない義務感。
近衛技研に務め大きなプロジェクトを背負った時よりも遥かに重いプレッシャーが剣人の両肩を押しつぶそうとしてくる。
「ケントが最後の敵。ケントに負けたのなら私はもう悔いはナイ……」
不意に、ガクンとフィオナの頭が垂れこんだ。
「フィオナ!」
反射的に剣人がフィオナの口許に顔を寄せる。
フィオナは小さな声で、
「オネガイ……」
それだけ呟いた。
――全て。お見通しか。
心が瞬間的に冷却していく。これは自分自身を乗り越える為のシステムが働いているんだ。
桐柄剣人と言う個を捨て、戦場に順応した存在に書き換える為のシステム。フィオナが身に付けた術と同じ物が今まさに自分自身に備わろうとしているのを感じながら……
「ああ、分かった」
小さく息を吸って、今一度吐いた。
剣人は自分をどこか客観的に見ている事に気づき心の中で自嘲する。
彼の胸に去来しているのはモジュールアーミーとしての任務を達成すべき使命感と、フィオナ・ブランシュに対して成すべき事。一人の人間としての義務感だ。
――やるしかない。
意を決した剣人は再び立ち上がる。
「すまん……フィオナ。」
「謝らなくてイイ」
剣人はベレッタを持ち上げる。
「俺は銃がヘタクソだ。至近距離ですら外すヘタクソなんだよ」
一人呟きながら剣人は銃口をフィオナに向けた。
だが、照準がブレる。ガタガタと震え続ける両手はまるで自分の物では無いみたいだ。
「フィオナ。短い間だけだけど俺も君に会えてよかったよ……君のような――」
言葉の先が出てこない。これ以上の言葉は無意味だと悟りゆっくりとトリガーに指をかける。
「……ウィ……ケント」
苦しそうに身体全体で呼吸を続けながら、ようやく重そうな頭を上げたフィオナ。その表情は安堵と幸福に満ち溢れた優しい笑顔だった。
「Merci.」
輝きを失った青い瞳。
その美しい少女の相貌がゆっくりと微笑んだ瞬間、冷たい銃の発砲音が響いた。




