決別の二人
そこはかつてフィオナと初めて会った公園だった。
剣人はアキとの一件の後、真っ直ぐにここ――渋谷テラリウムの公園に向かった。
既に時間は夕刻。明日の朝には青森県区と京都県区の一戦の火蓋は切って落とされる。
本来ならば機体のメンテナンスをしていなければいけない筈だった。
それでも剣人はこの公園で半日待っていた。
フィオナが来るなんて保証は何処にも無い。それならば彼なりにこの公園に来る事で、あの日のフィオナを思い出し、気持ちの整理をつけるつもりだったのだ。
既に夕陽は西に沈みかけ、砂場で遊んでいた親子連れも帰路についた。
公園に残っているのは最早剣人だけだった。
「やっぱ、来ないよな……」
ベンチに一人座る剣人。
まるで魂の抜けた人形のように、両手の拳を絡ませながら項垂れる。
京都県区に配属されてからまだ数ヶ月と経過していないのに、剣人の両手は酷くボロボロになったように思える。ヒビと皮が剥け、黒ずみかけた汚い拳だ。
「何でこんなとこまで来ちゃったんだろうな」
だが、その答えは誰にも分からない。人がどう歩み、何が正解だったかなんて結局最期のその時まで分かる事は無いのだ。
剣人は一人、心の中でそう言い聞かせてここまで来た。
郊外戦争のモジュールアーミーとしての自分。戦二部隊ウィルム隊員としての自分がいる事自体、未だに信じがたい事だった。
戦場で使い捨てにされるパイロット。だが、少なくとも今までの足取りに後悔は無かった。
今一度確かめたい。彼女と話す事で明日の戦いのけじめを彼なりにつけたかったのだが……
「流石にこの時間はもう来ないかな」
そう言って立ち上がり公園の出口に目をやると――いた。
「……フィオナ」
青森県区のエース、フィオナ・ブランシュは公園入り口の車輪止めに器用に腰かけながらこちらを見据えている。まるで迷子になった子供がすねているようにも見えた。
「ようやく気付いてくれた」
そう言ってフィオナは勢いよく車輪止めから降りる。
「いつからいたんだ?」
「ちょっと前から。ケントがずっと悩んでるみたいだから」
対峙する二人。勿論剣人の方が背が高いので見下ろす格好だが、改めて見ると華奢で小さな女の子だった。
こんな人形みたいな少女が戦場では冷酷無比なスナイパーと化すと言うのだ。
数多の県区戦力をフィオナのアヴァランシェが撃破し続けている事実。俄かには信じがたい話だった。気を取り直した剣人は後ろ手を掻く。
「話そう。ハンバーガーまた奢るよ」
剣人が顎で示した先にはいつかフィオナに奢ったハンバーガーショップ。公園の外だが、既にネオンが点灯していて遠目でも煌びやかだ。
もう数時間もすれば辺りはすっかり夜の街に様変わりする。それまでに話をつけなければと剣人は足早に公園を出ようとする。
「ノン。ここで話がしたい」
だがフィオナはゆっくり首を左右しながら提案を拒否する。そして、先程まで剣人が座り込んでいたベンチの隅に座った。
「ケント」
それだけ言ってポンポンと空席のベンチの隅を右手で叩くフィオナ。
隣に座れという事らしい。
「……わぁったよ」
ケントは一つ小さく溜息を洩らすとフィオナの横に座る。
「何故戦うんだ」
並んで座った二人。しばしの沈黙を経て割って出た言葉は、問いかけた剣人自身でも答えの見えない問いだった。
「それが私の存在理由だから」
だが、フィオナは迷い無き声音でそれに答える。
「戦わなければ私は生きられない。そういう生まれなの」
「そんなことあるもんか!」
冷淡に答えるフィオナに剣人は感情を爆発させる。
「来いフィオナ。俺と一緒に。そうすれば抜け出せる」
剣人は横に座るフィオナの両肩を掴み諭す。だが、両肩を掴まれたフィオナは無表情のままだった。
人形の、作り物のガラス玉のように鮮やかなブルーの双眸が剣人の虹彩を射抜く。
「俺の部隊に分かる奴がいる。他県区とも自由に行き来出来るコネを持った奴だ。そいつの助けなら何とかなるかもしれないんだ!」
剣人はリヒターの事をフィオナに伝える。元記者のリヒターなら様々な県区にコネクションがある。懲罰房の剣人に他県区行きのチケットを渡し脱出を持ちかけたくらいだ。
剣人の交渉にリヒターなら乗ってくれる。フィオナを青森県区、郊外戦争そのものから助け出す事が出来るかもしれない。そう思ったのだ。
「ノン。私が安寧を得た所でこの世界は変わるのかしら」
だが、フィオナはそんな剣人の一縷の望みにも似た誘いを呆気なく拒絶する。
「フィオナ……」
「私を救った所で何も変わらない。私の他に何人のチャイルドソルジャーがいると思っているの?」
「だけど……俺は君を救いたい、それだけで良いんだ。これは俺の自己満足なんだから」
それでもフィオナは首を横に振る。
「私はもう戦場に慣れ過ぎた。もう変われない。だからこの理不尽な世界で戦い続けて少しでもまだ引き返せる子供たちを救いたい。そう決めてここまで来たの。私が報酬を得る事で彼らが救われる」
全くの予想外の答えに剣人は言葉を失う。
まさか、フィオナが戦災孤児達に施しを行っているとは思っても見なかったのだ。
「私はねケント。戦い続ける事で分かる事もあるって知ったの。それだけよ」
そう言ってフィオナはポケットをまさぐる。かちゃかちゃと音をさせて出てきたのはベレッタ拳銃だった。
慣れた手つきでグリップを握ったフィオナはその銃口を剣人に向けた。無駄の無い、流れるような動作。それだけで如何に、この年端のいかない少女が硝煙と破壊の世界に生き慣れているかが分かった。
剣人の心と身体から瞬く間に力が抜けていく。
虚脱感、腑抜けになってしまったのはフィオナのあまりに過酷な死生観を目の当たりにしたからか。こんな年端も行かない少女が命を賭す戦場に何の躊躇いも無く赴く。その事実を改めて突き付けられ呆然自失となってしまう。
フィオナは銃口を剣人に向けたまま、静かに言葉を紡ぐ。
「ケント。問答はここまでよ。私の意志は変わらない。私は戦いでしか生を見いだせない。
ケントがそんなに言うなら戦場で証明してみなさい」
そして一瞬だけ視線を逸らしながら、心意気を決めた表情に変わる。
「でないと――これ以上ケントがごちゃごちゃ言うならここで撃つわよ」
そう言って安全装置を解除しようとする素振りを見せつけるフィオナに、剣人は慌ててホールドアップして見せる。
「分かった。分かったよフィオナ」
その様子を見てフィオナも銃を握る手元を僅かに下げる。
「そうか。そうだよな。君にも守るべき者がいるんだな……」
一人溜息をついた。フィオナは銃を下ろさない。じっと剣人の心の内を透かすように見ていた。
まさか、フィオナも自分と同じ事を考えていたなんて。
フィオナを救おうとする剣人。だが、フィオナ自身もまた救いたい命の為に戦いに身を投じていたのだ。
「分かったよ。決戦だ……決着だ。それで良い」
そう答えた所で初めて、フィオナの銃を握る手が緩んだ。
ほっと胸を撫でおろしながら剣人がぎこちない笑みを浮かべた。時計が指す時刻を見て立ち上がる。
「もう帰るわ。これ以上話しても意味はないよな」
「そうね」
フィオナも銃をしまい込んで立ち上がった。
相変わらずブルーの瞳はじっと剣人を見上げていた。
可愛いな。ただそれだけ思ったが、急速に心の中に冷たい物が吹き込んできた。
それは戦意なのだと気づいた時には、剣人は踵を返していた。
「またな、フィオナ」
背中越しに小さな声で、それだけ伝える。
剣人は公園を去っていく。
砂を踏みしめる彼の靴音を聞きながら、フィオナもまた、小さな口を僅かに動かす。
「Merci」
剣人はその言葉で少しだけ歩の動きが止まりかけたが、意を決して歩き続けた。
止まる事も、振り返る事も無かった。




