出撃前夜
ブリーフィングが終わり、剣人は艦内のガレージにいた。
作戦開始は明日とだけ通達されている。それまでに機体状態を万全にするべく、バリウスのメンテを手伝っていたのだ。
広大なガレージの中は剣人だけでなく、他の多くの戦二乗りでごった返していた。
実戦で不調を起こしたら命取りになりかねない。そう言った意味でプロの整備士が控えているのだが、彼らの大半は元々バイクをこよなく愛する連中だ。一応自分の目でチェックしないと気が済まないのだろう。
元々BC250を乗っていた剣人はバイクの取り扱いには慣れている。
戦闘二輪と言う物々しい名前だが、基本はバイクと同じだ。量子タービンのパーツ以外の電装系やバイク本体の足回りなら剣人でも見る事が出来る。
チェーン、ワイヤー、他に計器類のチェックを順番に済ませていく。
「よし。これで仕上げにしとくか」
マイ工具セットから取り出したウェスでタンクの汚れを拭き取っていたら、
「おい」
不意に声を掛けられる。
振り返るとウィルム隊の指揮を務める久澄秋鷹の姿があった。
工具の満載した腰袋をぶら下げている所を見ると、彼もまた愛機のメンテナンスに勤しんでいたらしい。
普段他人には興味も示さないアキの方から話しかけてくるのは珍しい。驚きに満ちた顔の剣人に対し、アキは無表情で睨み返す。
「最初に言っておくが、根拠の無い言い分を聞いてもらいたいなら納得させるだけの結果を出してみろ」
アキはぶっきらぼうに言い放つ。相変わらず感情がこもっていない顔をしていると思った。
「……言われなくたって」
「出撃は明日の0800時だ。せいぜい今からよく寝ておけ」
剣人の言葉には反応も示さず、言いたい事だけ言ってアキはその場を去っていく。
周囲で整備を行っていた他の面々もアキの剣幕には完全に臆してしまっている。先程まで怒鳴り散らしていた整備長も口を真一文字にして押し黙る。
誰もがピリピリした空気に気まずそうに沈黙して固まる中カツカツと響く踵音。
「今から寝ておけ――って言われてもさ。まだ夕方の六時だろ」
アキに入れ替わるようにツナギ姿のリヒターが現れる。
「そっちの整備は終わったのか?」
「いんや」
リヒターはスパナをクルクル器用に回転させながら、向こうを指し示す。
見ると、リヒターの愛機の周りには数人の技師が囲いこむように整備している。
「いいのか?」
「タービン周りは整備士任せって決めてんだ。それよりも剣人――お前はこの作戦どう見る?」
そう言って急に神妙な面持ちになるリヒター。
「どうって……」
回答に困る剣人。しばらくじっと凝視していたリヒターは再び表情を緩めると、
「だよなあ」
それだけ言って天井を仰ぐ。
「でも県機クラスの戦力が確認されてるって、今回は絶対ブラックなミッションだぜ」
そう言って口を丸めて真上に向けて溜息。リヒターの前髪が靡く。
「俺はとにかく生き残る事だけを優先させるよ」
リヒターは小さく頷き返す。
「そうだな。その方が良い」
夜も更け、艦内の誰もが寝静まった頃――剣人は夢遊病患者のような足取りで艦内通路を歩いていた。
早く寝たつもりが途中で目が覚めてしまったのだ。
透明のパネルで吹き抜けのようになった天井を見上げると、満天の星空が見える。
小さな頃、大災害の余波で故郷の街全体が数日間停電になった事がある。剣人は父に連れられ家の外へ――その時見上げた時と同じ満天の星空。
今や人類の生活圏は殆どが荒野に点在するテラリウムや洋上のギガフロートに集中している。これまで地球上を埋め尽くしていた人類文明の灯りは今や大広間にぽつんと置かれた蝋燭の灯のように散在している有様だ。
人類文明の弊害でもあった明るすぎる夜。
そのせいで見えなかった星空は、今は燦然と輝いている。
――古代人が見た光景と同じ空。見えるのに見えなかった夜空の本当の姿だ。
「小さな頃は星空を見るだけで心が救われたなあ」
剣人はぼんやりと独りごちながら通路を進む。
やがて透過壁に覆われた区画は終わりを告げ、再びひんやりとした艦内通路に変わる。それと同時に感慨に耽っていた剣人の心境も引き締まっていく。
階段を降り、立ち止まった先の大扉は開放されたまま、気がつけば夕刻訪れたガレージの前に立ち止まっていた。
ぐるりと辺りを見回すがもう誰の気配も無い。
そのまま足を踏み入れる。剣人が履く安物のサンダルの、踵を引きずる擦過音だけが暗いガレージに響いた。
「誰かいるのかい?」
いきなり浴びせられた野太い声に剣人の背筋が思わず縮こまる。
恐る恐る声のする暗がりを進むと、
「よっ」
黒のトップスにカーゴパンツと言う出で立ちの初老の男性がパイプ椅子に座って手を振っていた。その前では折りたたみ式のテーブルが展開され何故か菓子とポットが置かれている。このガレージでお茶でもしていたのだろうか?
男の顔には見覚えがあった。
「確か今日会議で――」
ブリーフィングで運営委員に真っ先に質問していたのは彼だった。
たしか、剣人と同じウィルム隊に属する戦車チームの……
「鹿杜だ。まだ名前を言ってなかったよな坊主」
そう言ってベテランの貫禄漂う戦車長、鹿杜は、手招きし自分の隣に来るよう促す。
「……ッス」
剣人は軽く会釈すると彼の椅子まで近づく。そして、無造作に積まれた木箱に腰掛ける。
鹿杜はテーブルのポットを手繰り寄せる。ポットの口からは白い湯気が立ち上っていた。
「部屋で淹れてきた。まだ熱いから飲め」
そう言って慣れた手つきで紙コップを取りコーヒーを注ぎ剣人に渡す。
僅かな光が挿し込むだけの薄暗い空間。その中で一筋立ち上る湯気からほろ苦い香りがした。
今これを飲むともう眠れないだろうが――剣人はぐびりと紙コップをあおった。
「はは、やはりお前も寝れなかったのか。しっかし――」
鹿杜は『大変な事になっちまったな』と、小声で付け加える。
二人はしばらくコーヒーの入った紙コップを持ちながら、ぼんやりと窓から広がる荒野を眺めていた。闇に染められた丘陵は人間の営みの灯一つ見えない。
まるで月面の砂漠のように、文明が拓かれる前の原初の姿だけがそこには広がっていた。
「で、調子はどうだい?」
「まあ、ここの医療技術は大学病院並みらしいんで、もう何ともありませんよ」
同じ戦場にいたので怪我の事も知っているらしい。剣人は大げさに肩を回しながら答えるが、鹿杜はニコニコしたまま無言で剣人を通り越した先を指を差す。
「え――」
何を差しているのか分からない剣人だったが鹿杜が指差す先には多くの戦闘二輪が駐輪されている。
そこまで確認した所で初めて、バリウスの事だと気づき、
「バリウスの方ならもう問題はありません。けど――」
そう言って紙コップを両手で持ちながら口ごもる。
「この前の作戦で、あいつは俺の言う事をロクに聞かなかった……」
「ほう……」
二人とも黙りこくったまま、暫くコーヒーを飲みかわす動作だけが続いた。
「……俺はな。坊主と同じ期間契約でここに来てる」
「えっ」
沈黙を割るように、突然身の上を話し出す鹿杜に剣人は視線を奪われる。
てっきり県区の正規の兵士だと思っていただけに意外だったのだ。少なくともそう思うだけの風格が彼にはあった。
モジュールアーミーと呼ばれる期間契約の兵士は稼げればいいというスタンスを持って他と馴れ合いたがらないヤツ、すぐ逃げる臆病者など様々だ。
どこか矜持や責任感に欠けた立ち振る舞いを見ればどことなく分かるのだが、彼の場合は違った。既に円加やクルーとは打ち解けていて信頼関係が構築されているのが目に見えて分かる。
「ここに来てからもう随分と長いがな。初期の郊外戦争も知ってる。バリウスは昔っからの戦闘二輪だ。今でこそドローン同士を操作してドンパチする戦場だが昔は違った。俺も昔はたくさん戦二乗りや戦車乗りの知り合いがいたが随分と死んだよ」
そう言って遠い目で窓に映る青い闇に染められた大地を眺め続ける。
「ここに来て長いんですか? 俺は戦闘二輪自体、目にした事もこれが始めてなんです」
息を吐きながら鹿杜は皺まみれの目を見開く。
「その割にはいい戦いぶりだったが」
「アレはAIのせいなんです……」
そう言って口ごもる。
「戦闘二輪か……坊主のバリウスは初期のモデルだ、AIに胡散臭い細工でもされているんだろうなあ」
「あいつは……バリウスはAIなんかで片付けていい範疇の物じゃない。あいつは俺の意識に入り込んできて乗っ取ろうとして来た」
乗ったからこそ分かる剣人の直感。
あの時の剣人は比喩ではなくまさにバリウスに意識を侵食されていたのだ。
「それなのに円加は……何も俺に教えてくれない。バリウスは一体何が……まるで誰かの魂が宿っているみたいだったんだ」
剣人の脳裏にあの時聞いた女の声が蘇る。何度も何度も呪詛のように剣人に戦いと破壊を煽る女の声。それを思い出しただけで怖気が走る。
剣人はそんな得体の知れない者がもたらす不安を振り払うかのように熱いコーヒーを一気に飲み干した。
一方の鹿杜はそれを聞いている間もちびちびとコーヒーを飲みつつ、落ち着いた様子を崩そうとしなかった。無言で剣人にコーヒーを継ぎ足す。
「え?」
――まだ飲めって言うのか?
思わず剣人はきょとんとするが大先輩のススメを無碍にも出来ない。二杯目に口をつける。
「あのバイクに何が積まれているかは分からん。だが、昔は特に今と違って見境無かったからな。非人道的な方法でなんとしても相手に勝ろうとしたものさ。どこの勢力も」
歴戦の戦車兵は幾つもの兵器や兵士を戦場で見てきたのだろう。剣人の主張する意識を乗っ取るバイク兵器にも全く驚きも否定もしない。
「県機なんてバケモノ兵器があるせいで戦は県機の潰しあいになった。県機の戦闘能力は例えるならクイーンの機能を持ったキングの駒だ。失えば即敗北に繋がるからどこの県も他の県機を倒そうと躍起になった」
コーヒーをもう一口含み、鹿杜はカップでバリウスを差す。
「戦闘二輪は県機を倒すために作られた特攻兵器みたいなもんだ。坊主のバイクに積まれているシステムも県機に勝つ為の何かだろう。搭乗者の人格を歪ませて戦闘単位になりきらせるんだ」
チクリと、昼話したフィオナとの会話を思い出す剣人。
彼女もまた同じ事を言っていた。
自分自身から個としての感情を削ぎ落とし、戦闘単位になりきると。そうすれば上手くいくと。
まさか、その為のシステムがバリウスに積まれたあの女の声なのだろうか?
「そんな事をしなければならないほどに……県機って強かったんですか?」
鹿杜は驚いたような顔を浮かべた後に髭まみれの笑みを作る。
「強いってもんじゃない。戦争の勝敗はアレ一機で決める事すら出来たよ。一機で軍隊一個分。今でこそ戦争の主役はドローンやら有人の戦闘歩行機や戦二だが、どこの県も自前の県機を持ってた頃はそりゃもう戦場は地獄だったよ」
郊外戦争の初期がどんな風だったのか、剣人は知らない。
だからこそ一騎当千で戦場を駆け無数のドローンや有人兵器を破壊したと言う戦場の主役の存在はおとぎ話のように感じられる。
「明日の作戦。敵は県機を持っていると言っていました。戦いはどうなると思いますか?」
ふむ、と鹿杜は髭面をじょりじょりと擦りながら、
「勝ち目か……全く予想もつかんよ。だがここだけの話――」
そう言って剣人に耳打ちする。
「実は明日の作戦。運営側も県機を派遣するらしい」
「何だって!?」
思わず跳び上がりながら叫ぶ剣人。危うくコップのコーヒーを零しそうになる。
鹿杜は人差し指を口元に当てながら念を押す。
――いいか。誰にも言うなよ。
そんな無言の圧力に剣人は唾を飲み込みながら、ゆっくりと頷く。
「相手の反体制勢力が『流れ』の県機を保持しているのだけは確かだ。だからこちらも県機を出して当たらせる」
「県機同士が戦う戦場か。俺は生き残れるでしょうか……」
「なぁに。俺だって県機の戦場に出るのは久しぶりさ」
そう言って鹿杜は自分が乗る二○式戦車に目を向けた。
暗がりの中で鈍色の砲身の先だけが月光に照らされかろうじて見る事が出来る。
鉄の巨体は明日繰り広げるであろう激戦に向けて英気を養い眠っているようだった。
「俺は何だかんだで今日まで生き残れた。だが明日はもう死ぬかもしれん。そう思いながら今日まで来た」
「生き残る上で何か必要な事はありますか。県機の戦場で」
何をバカな事をと思われただろうか。剣人は自分の発言の浅はかさに気づき、思わず口ごもる。
が、鹿杜は少し考え込んだ後に、思い出したように人差し指を立てた。
「まあ、敢えて言うなら……『運』かな?」
「は、はあ……」
拍子抜けした剣人を他所に、
「さて……と」
おもむろに立ち上がった鹿杜はコーヒーセットの片付けを始める。
「さあ明日は早いんだ」
コーヒー二杯も飲ませといてよく言うぜ。
剣人は心の中でそんな事を思いながらも重い腰を上げる。
「四つの県区軍が別方向から侵攻する作戦だって聞きました。でも、もし俺達が県機とやる事になったら」
眠れなくなるような不安を感じている剣人は声に出さずにはいられない。これを言った所で明日何が起きるかなんて目の前の古参兵は知る訳が無いのに。
「県機は県機で対抗するしか術は無いからな。迷わず撤退すべきだろう……少なくとも俺はそう思う……でもこれは生き残ってきた弱気野郎の戯言さ」
コーヒーセットを抱え込みながら、鹿杜は自嘲気味に髭面を歪ませた。
しかし、一方の剣人は真剣な眼差しのままだ。
「生き残ってナンボだと俺は思います。死んだ後に語られるだけの名声なんて俺は興味ないです」
死んで英雄になった所で馬鹿にしてきた連中を見返す事は出来ない。剣人は心の中でそう言い聞かせる。
鹿杜は剣人の心の内などしる由も無く、
「エレナ嬢ちゃんみたいな事を言うな。坊主は」
そういって剣人の肩を叩いた。
「まあ、エレナは明日の戦場。面白くないだろうな……ハイリスクの癖に稼げないだろうからな」
そう言ってゆっくりと格納庫を後にする。
剣人もカフェインでギンギンに覚醒された自身に辟易しつつ鹿杜に続いた。




