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遠き日の夢の跡

新章になります。

 初戦を生き残って一週間後。

 剣人達を乗せた陸上艦ジャガーノートは中野テラリウムから渋谷テラリウムに移動していた。

 複数存在する東京県区内の居住テラリウムの中でも渋谷は繁栄の絶頂にあった。

 かつて栄えた新宿副都心は度重なる災害でライフラインを修復不能な程にまでズタズタにされ、復興計画も頓挫したままだ。

 放棄された傘を支えるための外壁だけが今でも残されている。

 多くの市民や中枢機能は渋谷テラリウムに移管された。

 

 東京の中でも随一のテラリウムとなった渋谷は経済界の大物や企業重役が居住し、今や持てる者による贅に溢れていた。

 そして渋谷は束の間の安寧と富を求め、持たざる者が形振り構わぬ稼ぎを求めて集っている。

 持てる者と持たざる者。両者から搾取するピラミッドの頂点部に君臨する極少数の人々。そんな数多の思惑が交錯するきな臭い界隈を宛ても無く彷徨う。

 それもこれも今朝の、円加の一言のせいだと思いながら。


『剣人君。青森県区との戦いが決まったわ。だから明日から三日間休暇ね』


 医務室に軟禁され、モルモットのようにメディカルチェックを繰り返す毎日だった。

 今日もまた同じように一日中拘束されるのかと覚悟してベッドから身を起こした矢先、告げられた言葉。

 どうやら戦闘があるから休んでおけという計らいらしい。


「これが終わったらまた戦争か……」

 剣人は自らの足に行き先を任せ渋谷の界隈を歩き続ける。


「よう兄ちゃん、可愛い女の子と遊びたくないかい?」

 路地裏に入って間もなく、チンピラや胡散臭い男達に声をかけられた。

 稼げる仕事がある。この世知辛い世の中から一瞬だけでも抜け出したくないか?

 かけられた甘い言葉は全て胡散臭い。それらを肩で流しつつ交差点を横断する。


 すると、華やかなファッションビルに取り囲まれた中に突然、緑の空間が現れた。


「公園……か?」

 騒がしい雑踏の中に突如現れた緑のオアシス。

 剣人は迷う事無く銀色の車止めをすり抜け公園に足を踏み入れる。

 公園の中は子供向け遊具が点在し、ベンチと街灯が一つずつ設置されているだけだった。

 面積も狭い。この公園は渋谷がテラリウム化する前から存在しているのだろうか。剣人はどことなく懐かしい感情を覚える。


 それは故郷の――幼かい頃友達と遊んだ公園に似ていたからだろうか。

 ベンチに腰を下ろし、しばしの休息を愉しむ。

 公園の外周を覆うように木が植えられていて、外界と遮断されている。

 車の騒音が遠まきに聞こえるだけ。公園内は人も殆どおらず、時折若いカップルやサラリーマンが行き交う程度だ。

 梢から漏れる正午の空。その遥か先には街全体を覆う傘があるはずなのだが、安らぎと懐かしさで胸が包まれていく。


「はあ……」

 陸上艦での生活が続き、長く疲労と緊張に圧迫され続けてきた剣人は気が抜けてしまうのを感じた。

 そのままベンチに深座りしながらうたた寝に落ちていく――






 夢を見ていた。遠い昔、幼い頃の情景だ。

 剣人は母と手を繋ぎながら夕焼けに染まる跨線橋を歩いていた。

 既に亡くした大切な人が目の前にいるのに何の疑いも無く受け入れられているのは夢のせいか。


 生まれ育った街――大災害という言葉すらまだ誰も知らなかった平和な時代。

 第三次世界大戦と言う言葉がまだ遠いテレビの先の話だった頃。


 跨線橋の中ほどで剣人は立ち止まる。

 眼下の線路は今まさに貨物列車が通り過ぎている所だった。


「いち、にぃ、さん、しー……まだまだくるよ。母さん」

「ふふふ、そうね」

 嬌声を上げる剣人、うら若い母は慈愛に満ちた笑みを浮かべている。

 記憶の中の剣人の母はもういない。そう分かっているのに。

 今、この身を置く優しい世界が疑いない現実なのだとしか思えない。

 だからこそ、母の表情が背後の夕陽で陰になってしまっても気にも留めない。


 眼下のレール上では列車がガタンガタンと揺れながら進んでいく。

 一両の貨車には同じく一両の戦車が規則正しい配置で積まれている。

 モスグリーンの迷彩を施した陸上自衛隊の一○式戦車だった。

 日本国政府が行った特別派兵は数年後に小学校の歴史の授業で学ぶこととなる――まだ先の話だ。


「ねえねえ、母さん。あの戦車はどこまで行くの?」

 戦争と言う行為が何であるのか『この時の剣人』はまだ何も知らない。

 だから、幼い子供特有の――剥き出しの好奇心を母にぶつける。

 剣人の母は大人だ。

 幼い剣人がはしゃぎながら見つめる戦車が何を成す為に作られた物であるかも知っている。

 だが、子供に噛み砕いて説明した所で何も分からない。

 なぜ? なに? どうして?

 子供が大好きな終わらない質問責めが繰り返されるだけだからだ。

 だから――


「お山の向こう側まで、ね」

 母はそう言って、夕陽が沈みかけた山の端を指差すだけだった。







「はっ」

 ガクンと、身体が落ちるような感覚に襲われ覚醒した。

 何の事はない。ここは渋谷テラリウムの公園――時間は夕刻。

 腕時計を見ると、ここに来てからまだ十分と経っていない時刻を表示している。

 随分と長い間寝ていると思った。そう錯覚する程に見ていた夢の体感時間は長かった。


「俺、泣いてたのか?」

 目の端に涙が滞留していることに気づく。

 それは最早記憶の中にしかいない母のせいか。

 当時あれほど彼の心をワクワクさせた戦車は今では恐怖の象徴だ。まさか自身が戦場に身を投じてあんな鉄のお化けみたいな兵器とやりあうなんて思ってもみなかった。

 今の辛い現状がまるで夢に思えてくる。

 もしかしたらこの世界こそが夢まぼろしなのでは――

 きっと、本当の世界では、剣人の母は生きていて今頃は夕食の支度を――


「だめだ」

 まだ寝ぼけてるのかと己の心に喝を入れる。

 懐かしさと、決して戻らない時に浸っていた感傷か、剣人は泣きながら夢を見ていた。


「公園でかよ。恥ずかしいな俺……ん?」

 そこまで巡らせた所でようやく違和感――すぐ近くから注がれる視線を感じた。

 見ると、隣には先程までいなかった少女が座っていた。興味深そうに剣人の方を見ている。

 歳は小学校高学年、或いは中学生だろうか? 

 いや――分からない。

 なぜなら彼女は外国人だったから。

 妙に大人びて落ち着いているのに容姿の幼さがアンバランスだ。

 歳の頃が判断できない。

 雪のように白いプラチナブロンドと鼻梁の整った人形のような顔立ち。

 瞳は淡いアイスブルー。宝石のように鮮やかな青だった。

 少女は剣人を見つめ続け、


「泣いてるの?」

「泣いてない」

 剣人は真っ先に否定し返した。


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