365の宣告
寒い冬。
蒼く澄んだ、何処までも広がる空。
真っ白な雲に乗ってみたいと、幼い頃に笑って話した。
「玲くん、雲って乗れるのかしらね」
「姫さま、そもそも雲まではどうやって行くのです?」
「それは、えっと……玲くんがピョンッ!って飛べないの?」
「流石に僕も飛ぶのは無理です。姫さまが月を捕まえてきたら考えておきますよ」
「そんなの月のほうが雲より遠いじゃない!不平等だわ!」
「ピョンッ!っていけるんじゃないですか?」
「無理に決まってるじゃない、人間は空を飛べないのよ?」
「なら僕も飛べませんよ?」
「………玲くんは意地悪だわ」
「ふふ、冗談ですよ。とにかく雲に乗れるのかは今の僕たちには分かりません」
「はぁ…本当に退屈ね、母様も父様も、どうして私を外に出してくださらないのかしら」
「ご両親にも考えがあるのだと思いますよ」
「だからって屋敷の中で飼い殺しだなんて御免よ」
頬を膨らませて顔を逸らす姫さまを見て僕は笑った。
すると怒ったような顔で姫さまがこっちを見て、ふと笑ってる僕に気付いて釣られるように笑った。
「玲くんはいつも無表情だけれど、やっぱり笑ってる顔が一番だわ」
太陽のように眩しい笑顔で微笑む、姫さま。
僕は無意識に自分の頬に触れて、笑ってることに気付く。
いつだって、僕の感情を引き出してくれるのは姫さまだけだった。
「何度も聞きましたけど、なんで僕みたいな捨て子を拾ったんです?」
「だって貴方は屋敷の前にいたんだもの、運命だとしか思えなかったのよ」
「…勝手に拾ってきて怒られて泣いてましたよね」
「何ボソッと言ってるのよ!聞こえてるわよ!恩人に向かってその態度はなんなのよぉ!!」
「姫さまが言ったんじゃないですか、普通に接しろって」
「貶せとは言ってないわよ、馬鹿!!」
「ハイハイ、ゴメンナサイ」
「心を込めなさいよぉ!!!!!!!」
コロコロと表情を変える彼女を、いつしか愛おしいと思うようになった。
そしてそんな彼女と過ごす日々が過ぎるのは、長いようで短い掛け替えのない時間だったのだ。
365の月日が僕の目に焼き付いていく。
365の月日が彼女の元から零れ落ちていく。
―――ただ、その繰り返しだった。
空に浮かぶ雲と月は記憶と重なって
何も思い出せない君はそんな空と重なって
―――1年ごとに姫さまは記憶を失われます。
また君が僕を忘れたとしても
何れ僕が君を置いて行ってしまうとしても
―――〝約束よ、必ず守ってね〟
約束だけは違えない
姫さまが、最初の僕に最後に託した言葉だけは
―――〝必ず、迎えに来てね〟
今の僕は、君の目にはどんなふうに見えているだろう。
永久に変わらない君と、
年を重ねるごとに歳を取る僕。
「爺や」
ああ、君は今までのことを覚えていないのに
僕と過ごした時間は、たったの一年だというのに
それでも、君は、僕を看取ってくれるのかい?
「…最後まで、私と居てくれてありがとう」
その言葉に、思わず、重たい瞼を開けた。
既に視覚も衰えて、やっと見えた君は、泣いていた。
ただ、しゃくりをあげるのを堪えて、僕の手をしっかりと握り締めて、大きな雫を瞳から落とす。
「日記があったの、絶対に、玲くんを忘れるなって」
「ずっと、意味がわからなくて、怖かった、でも、そんな恐怖をかき消すように、玲くんの笑顔が常に傍にあった」
「それが、玲くんが傍にいるのが当たり前だって、思ってたけど、違うんだよね?」
「爺やは、玲くんは、ほんとに、玲くんは意地悪だわ。ずっと私に内緒で、玲くんだけ、ずっと……ずっと、つらい思いさせて、ごめんねぇ…っ、でもね、わたし、じあわせだったから、今度は、わたしが、また玲くんを見つけるから、だから、また、また会えるよね?」
ああ、そんなに必死な顔で、涙で顔をぐしゃぐしゃにして、そんなことを言われたら、断れないじゃないか。
そして、大好きな姫さまに、君に、そこまで言って貰える僕は、きっと誰よりのしあわせものだ。
だから僕は笑って、泣くのを堪えて、必死に言葉を紡いだ。
「…かならず、また、会いましょう」
これは二人の男女の物語。
一年ごとに記憶を失う「姫」と
最後まで姫と共に在った「一人の男」の
永い時間を越えて、
再び巡り合い、
愛し合う、
そんな、運命の物語。