004
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靄の様な開いた門から入った迷宮の中は言われた通り洞窟のようだった。
ただ明かりがない現状十メート先すら見えない程の暗闇で天井もみえやしない。
入ってきた背後の靄の様な門だけがそこにぽつんと僅かな明かりとなって見えているくらいだ。
俺は準備しておいたカンテラに火を灯す。
ポゥとカンテラに明かりが灯ると一気に視界が広がりそこがそこそこ広い洞窟の中だという事がはっきりわかる。
天井の高さは恐らく十メートルあるかないか、幅は五メートル位、今の所は目の前に続く道は一本道で奇襲を受けそうな場所は見受けられなかった。
「やれる、やらんきゃいけないんだ」
少し、脚を踏み出すのにためらい、そんな自分に少し苛つきながら言い聞かせるようにそう呟いて一歩を踏み出した。
ザリザリと小石や土を踏みしめる音だけを響かせながら俺は警戒しながら少しずつ進んでいく。
「っ」
歩き始めて一時間も経たないうちに息が上がり始める、ペースはゆっくりだというのに無駄に力が入りすぎ、緊張しすぎているせいか汗も滴り始めた。
予想以上に、怖い。
俺はそう感じながら乱暴に汗をぬぐい、息を吸い込み吐き出していく。
「づぅ!」
そして気合を入れ直せと自分に言い聞かせるように乱暴に頬をパン! と叩けば予想以上に力が入り思わず声が漏れた。
ジンジンとする頬、だがそのお蔭でぐらぐらする様な意識が少しだけ引き締まる。
こんな所で無様に立ち止まっていられるか、力が必要なんだ、前へ前へ進め。
自分の心の内でまくしたてるようにそう声を上げる。
右手に棒を、左手にカンテラを持ったまま再び歩き始める。
「あ」
そして迷宮での初めてのモンスターと遭遇した。
スライム、ノロノロと地面をのたうつ不定形の水たまりの様なモンスターだ。
その中にうろうろと揺れ動く丸い球体が見えている、あれがコアだ。
スライムはノロノロとしながらも俺の咆哮へと進んできているのが見て解る。
カンテラを地面に置き棒を両手で構える。
大丈夫、出来る。
俺は一度二度呼吸を繰り返した後――――。
「づぁ!」
一気に息を吐き出し足に力を込めて全力で前に出ながら棒をコアがある場所に突き入れる。
「くそがっ!」
だがそんな乱暴な一撃がそうそうしっかり当たる訳もなくコアは動き棒はただスライムの水たまりの様な身体に吸い込まれるだけだった。
ダメージが当たった様子が見受けられず、棒が刺さった部分がするっと抜けながらスライムは身体を震わせると同時に俺に向かって飛びかかってくる。
ゴロゴロと咄嗟に地面をころがる。
小石や硬い地面に僅かに痛みを感じながらそれを気にしている余裕もなく直ぐに起き上がり距離を開ける。
焦るな焦るな焦るな焦るな。
言い聞かせるが焦る心が止まらない。
たった一度棒を振るっただけなのに息が荒くなる。
少しだけ怯えるように震えている棒が目に移り、腕を見れば俺の腕が身体が震えているのに気が付いた。
……なんだ、なんだなんだなんだ!?
こんな調子で強くなれるのか? こんな調子で生きて行けるのか? そんなわけがないっ!
「そんな訳、ないだろうがっ!」
ガンと強く地面を踏みしめ、スライムを睨み付ける。
震えが止まる、怒りが心を締め上げる。
思い出すのは過去の出来事、力がないから何も出来なかった過去の出来事。
「動け! やれ! 見ろ! 振れっ!」
動きが鈍い自分の身体を叱責するように声を上げる。
動きづらい、どうしてこんなに動けない!
苛立ちながらまた近づいて来るスライムに棒を振る。
突くんじゃなく叩き付けるように棒を振っていく。
やはりコアは動き外れるが――――。
「あたれっ!」
叩き付けた場所から動いたコアに横になぎ払う様に全力で払う。
救い上げるような形になったその一撃はコアに直撃しスライムが壁に向かって吹き飛ぶ姿が見えた。
コアに罅は入った、それが見える。
やれる、俺はやれる!
それを見てなお身体に力が入る。
少しだけ身体が動きやすくなった。
それに反してスライムの身体は先程よりも鈍くなる、コアが動く速度も遅くなり、これならと棒を狙いを定めて振り下ろせばコアに直撃しパキンという音が響きコアが割れた。
プルプルと動いていた水たまり、それがただの液体の様に広がり迷宮の地面の下へと吸い込まれていく。
そして割れ、小さくなったコアの欠片だけが僅かにそこに残った。
「づぁ、はぁ! はぁ! はぁ! はぁ! やれ、た、俺はやれた! 一人でもやれるんだ!」
しっかりと倒せた、それを確認して俺は荒い息を吐きながらも笑みを浮かべる。
初めてだった、自分自身の力でモンスターを倒したのが初めてだったのだ。
ゴブリンと相対してただの木の棒で立ち向かった事はあった、だがそれはあくまで時間を稼ぐだけ、その後は他の人が簡単にそのゴブリン達を倒していった。
俺は見ていただけ、ただ死なない様に耐えながら見ていただけだった。
だが今は俺だけの力で確かに倒して見せた。
「はぁはぁはぁはぁ、っ! はぁ~、良し、俺はやれる、出来る」
荒い息を整えた後、俺はスライムの欠片を回収し小袋の中に入れていく。
そして背負い袋の外周にそれを結いつける。
置いたカンテラを回収し、棒を再度しっかりと握りしめ先程よりも少しだけ軽い足取りで迷宮の中を進んでいった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
六体目、運が良いのか出会うのはスライムばかり、ゴブリンが出ると聞いていたが迷宮に入ってすでに四時間程だがいまだに一体も遭遇しない。
倒し終えたスライムのコアを回収しながら少しだけ荒くなった息を整える。
立った六体だがそれでも俺は不思議に感じる程に余裕を感じられるようになっていた。
コアをしっかり狙い一撃で倒せる事すら出来るようになっている、確実にではないがそれでも外した後に即座にコアに向けてなぎ払う様に当てていく事位は問題なく出来る。
そして最初は一匹倒すだけで大きく疲れ息も荒れていたのに今では多少乱す程度。
「これが迷宮で強くなれるっていう不思議な現象か」
思わずそう呟いていた。
俺がこの迷宮に来た理由は強くなりたいから、そして迷宮の中でモンスターを倒せば倒す程何故か強くなれるという話しを聞いたからだ。
それを俺は今確実に実感している。
少し重たいと感じていた棒の重さが少し軽く感じるようになり、歩いて疲れる頻度も少なくなっている。
緊張しすぎていたのが解けただけかもしれないが、それだけではスライムをこうも簡単に倒せる様になっている事が説明できない。
確実に強くなっている。
思わず手を握りしめて笑みが浮かぶ。
もっと、もっと、もっとだ。
俺はそう思いながら軽くなった体で迷宮の中を進んでいく。
そして歩き始めた所で前の方から走ってくる足音が聞こえカンテラを置きながら棒を構える。
何かが来る、ゴブリンか?
そう思い緊張感が上がっていく。
だが俺は出来る、強くなっているんだやれる。
その想いが感情が予想以上にうまく体に作用してくれている。
必要以上の緊張を抱かずにしっかりと息を潜ませ棒を構えながら待ち受ける事が出来ている。
「っ! ってなんだ同じアンサーかよ! どけっ!」
前から走ってきたのは五人組の男と女のアンサー達だった。
前を走っていた男が俺の姿を見た後舌打ちをして乱暴にそんな事を告げて来る。
敵か?
そう思いながら警戒して道を開ける、襲ってくるなら全力で抵抗するだけだ、そう思いながら。
勝てない、そんな事は解ってる、だからと言って負けるわけにはいかない、生き残る!
睨み付けるように見ている俺を傍目に無視する様に男と女達は走り去っていった。
暫くその後姿を警戒する様に棒を構えたまま見送っていたが、全力で走り去っていったのか直ぐに足音も聞こえなくなった。
「……何だったんだあれ?」
そして息を吐きながら不思議に思いカンテラを拾い上げる。
逃げて来た? 何からだ? この先は危険なモンスターでも沸いたのか?
五人組が逃げる相手、俺も下がるべきか、そう思いながらも自然と足は前へと進んでいった。
スライムを簡単に倒せるようになって調子に乗っていたのだろう、それをすぐに俺は後悔する事になった。
「っっ!?」
静かに前へと向かっていった先で見えた光景はゴブリンの群れ。
エキサの言葉が思い浮かぶ。
ゴブリンの巣、これがと思いながら視線を這わせる。
カンテラの明かりにゴブリン達は気づいている、こちらを見ているゴブリン達が警戒する様にナイフを棍棒を構えている姿が見える。
「…ぅけぇ……」
そんな見つめ合う様に警戒しながら武器を構い合う俺とゴブリン達、そんなゴブリン達の奥の方から僅かにそんな声が聞こえ漏れる。
視線を外すことなくチラリとその声が聞こえた方を覗けば、ゴブリンに抱えられ、あちこち殴られ腫れあがった顔、ボロボロに破けた衣服、壊れたレザーアーマ―に身を包む女の姿があった。
ボロボロではあるがまだ汚されてはいない様子が見て解る。
いや、女というにいはまだ幼すぎる、下手したら俺より幼い。
まだ十五にすらなっていないかもしれないような少女が涙を流し、助けてと恐らく呟いているのだろう、そんな声を上げていた。
ゴブリン達はそれを楽し気に嗤いながら嬲っている。
地面を叩き大きな音を立て、それに怯えるさまを嗤う。
手加減しながら棍棒で軽くこづくように傷つけ、悲鳴を上げる音に楽しんでいる。
見て解る程にその女の周りのゴブリン達は下半身を盛り上がらせ、息を上げている。
目の前が赤くなる、何処か冷静な部分の俺は早く逃げろと警告を鳴らす。
――――許せるか!
――――生き残るんだろう?
――――盗賊共と同じような奴等を許せるか!
――――突っ込めば死ぬぞ? 生きなきゃいけないんだろう? なら逃げろ。
相対する意識が赤く染まる視界の中でせめぎ合う。
一歩後ずさる、逃げるんだ逃げるんだ逃げるんだ逃げるんだ!
俺は此処で死ねない、生きなきゃいけない、なら逃げろ!
そして辛うじて逃げる方向の意思が勝ち始めた瞬間、少女と視線が合ってしまった。
涙を流し手を伸ばし、小さな声で助けてという声がはっきり聞こえてしまう。
くそくそくそくそっ!?
「くそがっ!」
そして俺はカンテラをゴブリン達に全力で投げつけ、それに少し驚いたゴブリン達に全力で走り寄り棒を叩き付けるようになぎ払う。
『GYAGYA!』
そしてゴブリン達は俺を囲む様に動き始め、少女の近くにいたゴブリンも俺の方へと視線を向ける。
ゴブリンの数は十五匹、俺を囲んでいるのは十匹でその内一匹はフラフラして今にも倒れそうになっている。
俺が殴りつけたゴブリンだ。
何で逃げなかった。
「何でだっ!」
俺は狂ったように叫ぶ、ゴブリン達はそれを見て何だこいつ? みたいな表情で見つめて来る。
知るかっ! 俺が知りてぇよ!
そんな言葉を投げかけたくなりながら囲みながら一斉に襲い掛かって来そうになるゴブリンに先手を打っていく。
ふらふらになっていた奴に全力で棒を突き入れ軽く吹き飛ばす。
そのゴブリンは倒れ、起き上がる事は無かったがその代わりに他のゴブリン達は一斉に俺に殴りかかってきた。
とはいえ精々攻撃が当たる様な位置に殴りかかってきているのは四匹程度。
全力でついたせいで真面に回避行動もとれない俺は、ナイフを胴体に突き入れられる。
「ぐぅ!」
だが予想以上にレザーアーマ―の質が良いのか衝撃だけでナイフが突き入れられた感触はない、これを見繕ってくれた少女に思わず感謝の念を抱きながら棍棒で殴りかかってくるゴブリンの攻撃を左手で受け止める。
その衝撃で吹き飛ぶのに抵抗せずゴロゴロと転がり距離を稼ぎ直ぐに起き上がる。
勝てない、勝てるわけがない、何で俺はこんな事をしているんだ!
自分自身に苛ついている。
思考が訳の分からない感情でいっぱいになっていく、視界はどんどん赤く染まる、その中で倒れボロボロになりながら手を伸ばす少女と母さんの姿が重なり――――。
「がぁぁぁ!」
俺は狂ったように叫び、ゴブリンに殴りかかり続ける。
視界は既に真っ赤だ、怒りで真面な思考等出来てはいない。
ギリギリと握りしめる棒の手のひらから嫌な音が響く程力がこもる。
許さない、許さない、許さない!
貴様ら盗賊は絶対に許さない! 全て殺しつくしてやる、母さんを護って見せる! 奪わせてなるか!
そんな想いが全身に満ちる。
嫌な音が全身からミチミチと聞こえ始める。
「死ねっ! シネシネシネっ!」
全力で振るった棒がゴブリンの頭を吹き飛ばす、その隙に殴りかかってくるゴブリンの攻撃に強い衝撃を感じるが痛みを感じない、だが口から血は漏れる。
それがどうした、こいつらを殺すのに関係あるか? ある訳ない!
「おぉぉぉぉっ!!」
棒を振る、振り続ける、一匹のゴブリンを吹き飛ばし近くのゴブリンと一緒に転がっていく、一匹のゴブリンの頭をまた吹き飛ばした、一匹のゴブリンの胴体に棒が突き刺さる。
俺の身体にもナイフが斬りつけられる、腕を足を胴体だけはレザーアーマ―が致命傷を防ぎ続けてくれている。
棍棒で殴られた場所は腫れあがる、痛みはない。
「全員死ね、いや殺すんだ、俺が殺すんだっ!」
狂ったように、いや、完全に狂いながら俺は雄叫びを上げるように血を吐き上げる。
残ったゴブリン達が後ずさるのが見えた、逃げる? 許さねぇ! 全員殺すんだ!
俺は後ずさったゴブリンに向かって全力で走り棒を振る。
ボキっと右手が折れた音が響く、だらんと右手がぶら下がる、まだだ、左手はまだ動く!
「ぐっっがぁっっ、がぁぁぁぁぁ!」
俺の口から洩れるのは獣の様な叫び声、ゴブリンの数は気付けば残り五匹、目に入る血を乱暴に左手で拭う。
俺を最初に囲んでいたゴブリンは二匹残っている、少女の近くにいたゴブリンは三匹残っている――――少女?
そこで俺は意識が戻る、戻り始める。
戻り始めてしまった。
視界が足元に移る、ナイフが背中に突き刺さった少女の姿がそこにはあった。
荒い息を吐き、腫れあがった顔から覗かせる瞳が色を失い始めている。
白い顔が青白くなり、地面に赤い染みが広がっている。
「たぅ、け、たぅけ、すけ、て」
真面に回らい口で必死に助けを求めている声が聞こえてしまう。
『GYAGYA! GYA!』
そんな俺を見てゴブリン達は逃げ出していくのに気づいた。
俺が視線を外した隙に距離を開け迷宮の奥の方へと逃げ出していく。
「ま゛っ゛ぐぅ!?」
無くなっていた痛覚が一気に戻り、その場に崩れ落ちる。
痛い、痛いという言葉すら生ぬるい程全身が酷い熱と冷たさを持っている。
足が震える、真面に動かす事すら難しい程に、立ち上がれるか解らない程に悲鳴を上げている。
右手は完全に動かない、ぶらぶら揺れる度に気絶したい程の痛みが走る。
左手に持った棒はカランカランと音を立てて地面に転がる、握力が残っていない、棒を持つだけの力も残っていない。
動けない、動きたくない。
全身に広がる痛みで俺はそう感じる。
そして俺はそこに倒れ伏した。