龍神湖のStorry 4
時計を見ると18時を少し過ぎていた。
徹は奈々子のバイトが終わるのを待っていた。待ちながら徹は昼間のことを振り返っていた。不思議な感覚だった。自分が自分でない何かに動かされているようだった。それは何かわからない。
カフェに入って奈々子を見たとき 確かに遠い昔に会ったような気がした。
いつもなら徹はコーラとかの炭酸系の飲み物を頼むのになぜかアイスカフェオーレを頼んだ。あのカフェに入った時から自分の中で自分でない何かが動き出していた
カフェを出て奈々子に呼び止められたとき その何かが、このままでは行けない。やっと会えたんだ、ずっと昔から探してたんだと、徹に語りかけた。
徹は輪廻天性と云う言葉が脳裏に浮かんだ。奈々子が崩れるように倒れそうになり手を差し出したとき 今度はしっかりと捕まえた。
[今度は]てなんで思ったのか?
奈々子とは初めての会ったのに不思議な感覚だった。
そして奈々子が徹の腕の中に身を任せたときのその感触は 懐かしい感触だった。遠い昔の感触だった。
18時を過ぎた。マスターの大野は
「ななちゃん、あがってくれていいよ」と奈々子に声をかけた。
「ありがとうございます。お先に失礼します。」
大野に軽く会釈すると奈々子は徹との待ち合わせの駐車場に向かった。
戸惑っていた。まだ彼のことを何も知らない
どこの誰かも年もそして名前も知らない
ただわかるのは徹の腕の中に抱かれた時の安心感、あの安心感がすべての不安を打ち消していた。
真夏の太陽はまだ容赦なく照りつけていた。駐車場に着くとすぐに徹の姿を見つけた。
「お疲れ様です。あそこの木陰のベンチに座りましょうか?」
少し浅黒く焼けた肌が徹をより逞しく見せていた。
「お待たせしました。」
奈々子は徹から少し遅れてベンチの方に歩いた。二人は多少感覚を開けて座った。
「今日は突然あんなことを言ってすみませんでした。振り返った瞬間、僕の意識よりも早く言葉が出てしまって。」
「はじめて会った気がしなくてなぜか長く長くあなたを探していたような気がしてあんな言葉になってしまいました。」
湖面の向こうに赤くなった夏の太陽が沈もうとしていた。
菜々子が口を開いた。
「私も何故か遠い昔からあなたを知ってたような気がしてそれで・・・」
「あなたのことをもっと知りたくて」
徹は自分のことを話し始めた。今年で22才になること、苗字は福西といい、地方の高校を卒業して都内の大学に入り四年生になる。高校、大学とラグビーをやっていて高校三年のときには花園まで進みんだこと。
ここに来たのは 卒業してからの進路についてやりたいことがなく、将来のことが不安になり 気分転換に少し車を走らせるつもりがいつの間にかこんな遠くまで来ていた。湖の案内が目に入り、少し休憩するつもので湖まで行ったことを話した。
奈々子は静かに聞いていた。
ベンチの上においていた奈々子の手のひらの上に徹の手が重なった。重なった手の平からも徹のたくましさが感じられた。
奈々子は手の甲で徹の体温を感じながら自分のことを話した。
名前は小杉奈々子、年は徹よりも五つ上で今年26才で、1年前にこの町が土石流の被害にあったときにボランティアでこの町に来て気に入って引っ越してきたことを話した。
そして徹の手が載っている手の甲をくるりと回した。徹の手に力が入りしっかりと奈々子の手を握った。奈々子も握り返した。
奈々子が握り返すと徹の手が奈々子の背中に回り奈々子の体は引き寄せられた。徹の厚い胸板が奈々子の乳房と軽く触れた。汗の匂いがした。
奈々子は徹を見つめた。軽く頷くと徹の唇が近ずいてきた。男らしくたくましい外見と違って柔らかな優しい唇の感触だった。唇が重なり合ったのは2~3秒の短い時間だったが奈々子は もっと長い時間に思えた。
そのあと暫く、沈黙が続いた。
今日初めて出会ったのは客観的な事実だ。しかし、その事実を否定する何ががあることも受け入れなければいけないと徹も菜々子も思った。
「菜々子さん、もし 人間の記憶に表の記憶ともう一つ裏の記憶があるとすると、普段は封印されている 裏の記憶が今日の出会いによって表舞台にほんの少しだけ表れて その記憶が僕たちを動かしている。そんな気がするんです」
「僕はその裏の記憶が何なのか知りたいです。」
太陽が沈んだが夏の夕暮れはまだ闇に包まれることはなく菜々子から徹の顔がはっきりと見えた。
「湖まで戻りませんか? 少しお話ししたいことがあるのですが、夜の湖を見たくなって。」
菜々子は少し申し訳なさそうに言った。
二人は湖の方へ歩いた。ところどろに外灯があり山道をぼんやりとてらしていた。少し傾斜がきついので視界に入るのは山道の両脇に伸びた雑草だけだった。山道を上りきると視界が開けた。東の空に三日月が昇っていて湖の湖面を仄かに照らしていた。仄かに照らされた湖面はゆらゆらと揺れてどこか幻想的であった。
また澄んだ空気が一つ一つの星たちの姿をくっきりと浮かび上がらせていた
「星が綺麗ですね」
「そうなの。夜、空を見上げて星を見てると嫌なこととかも忘れるの」
「私がこの町に来た理由の一つがこの星たちに癒されるからなの」
奈々子はぽつりと言った。
「星を見ると嫌なことも悩みも忘れてしまうの」
「あの星を私たちは見ることはできるけど、あの星から私たちはもちろんみえないと思うと地球ってずるいですね」
「いま私たちが見ている星の光は、私たちの生まれる何百年も前にその星を出て いまやっと私たちに届いてると思うと神秘的な感じさえするの」
「徹さんと会ったのも初めてだしここに二人で来たのも。もちろん初めてなのに、あの星からいま私たちの見てる光が放たれた何百年も前にも見ていたような気がするの」
徹も同じことを感じていた。はじめてではない、遠い昔にこんな感じで奈々子さんと話した。そう感じていたが、奈々子には言わなかった。
あたりがすっかりと暗くなって夜空の星が輝きをしていた。
菜々子は少し躊躇いながら
「もう一つこの町に来た理由があるの」
菜々子は、徹に話し始めた。
ここに来た一番の理由は、私は二年ほど前にお付合いしてる人がいたの。結婚まで考えてた人なの。その人が交通事故にあって亡くなったの。以前、住んでた街にいると その人との思い出の場所がたくさんあって、もう戻らない人のことを忘れたくてこの街に来たの。
菜々子はここまで説明すると大きく息を吸った。徹の方を見ると目線を自分の足元に落としていた。
湖の水面は相変わらず三日月に照らされてゆらゆら揺れていた。菜々子がゆれる湖面を見てると そのゆれが次第に大きくなり いまにも龍神さまが出てきそうな錯覚がした。
「言い難いのですが、今日、徹さんがカフェに入ってきたとき2年前に亡くなった彼にそっくりで・・・」
「オーダーを取りに行ったとき、アイスカフェオーレを頼んでくれたとき、飲み物の好みまで彼と同じだったの」
そこまで聞いたとき 徹が口を開いた
「違うんです。いつもの僕は今日みたいに暑い日は必ずと言っていいぼど炭酸系のコーラとかを頼むんですよ。」
「だから自分の意思で頼んだ気がしなくて。」
「亡くなった人はいくつだったんですか?」
「私より5つ年上だったの」
もし 人は生まれ変わると仮定しても徹と その亡くなった悟とは年も10歳くらいしか違わないし、悟が亡くなってから徹が生まれたのなら 生まれ変わりという仮説がなりたつのだがそうでもない。となると偶然が重なっただけなのか、それとも悟の魂が徹の体を借りたのか?
徹は一度冷静になって整理しようと思った。
湖に目を向けると湖面が三日月の明かりを映して幻想的だった。時計を見ると20時半だった。外灯が21時に消えることを菜々子から聞いていたので二人は駐車場まで戻った。
この時間なら東京まで帰れないこともなかったが無理して帰る必要もなかったので 菜々子に
「今夜は泊まっていきます」と言った。
続けて
「以前菜々子さんが泊まった民宿を教えてもらえないですか?」
菜々子は徹に「自分の都合で遅くなってすみません」と言うと民宿に電話をかけ、空きを確認すると民宿まで徹の車の前を走り案内をした。
「明日は午前中ならカフェを休めるので、徹さんが明日の午前中時間があるのなら休みます」
菜々子は民宿の玄関までついてきてくれた。
民宿の女将と顔を会わすと懐かしそうに話しかけていた。
徹が宿泊の手続きが終わると「明日の朝、迎えにきます、9時でいいですか?」と聞かれたので
徹は「お願いします」と言ってぺこりと頭を下げた。
菜々子は女将に挨拶をすると徹にも会釈して帰って行った。
徹にとっては長い一日だった。