龍神湖のStorry 1
湖の水面に夏の暑い太陽があたりその反射光が
徹の目に入ってきた。湖の周りには樹木が生い茂っていた。以前見た風景と変わってはいなかった。
湖の近くに車を20台ほど停めることのできる駐車場がある。そこに車を停め少し傾斜の強い山道を10分ほど登ると突然視界が開け湖が目に入ってきた。
戻ってきたんだ。もうこの湖を見ることはない 徹はそう思っていた。初めてここに来たのは学生時代の最後の年だった。徹は今年で28歳になるから6年ぶりである。山道を登りるきると その山道は湖を一周できるように右手と左手に分かれていた。徹は迷わず左手に進んだ。5分ほど歩くと湖の畔の樹木に隠れるようにそのカフェは建っていた。
徹は大学を卒業すると地方都市の社員30人ほどの不動産会社に勤めた。もう5年になる。一週間前のことだった、徹は上司から7月31日から一週間休みをとるようにと言われた。
この会社には入社して5年を経過した社員で成績の優秀な社員に一週間のお休みと金一封がでる制度があった。しかしここ4年は厳しい条件をクリアできる社員はいなく、徹はその制度のことも忘れていた。
徹には予期していない休みだった。入社して2年目の頃、この特別休暇の制度を先輩社員から聞いて もし自分がその対象者になったら学生時代の忘れ物を捜しに行こう。そう思ったことを思い出した。徹は忘れ物を探しに行こう、迷わずそう決めた。
6年前の7月29日の記憶が徹の脳裏に蘇ってきた。徹は進路について悩んでいた。やりたいことがなかった。これからの人生の目的もなかった。目的もなく社会に放り出される不安もあった。
ある日、その不安から逃れるように徹は車を走らせていた。目的地はなかった。もう三時間も車を走らせていた。気がつくと山の中を走っていた。見通しの悪いカーブが続いていた。しばらく走ると湖の案内看板が見えてきた。看板に誘導されるようにハンドルを切ると駐車場があった。
車を停めてあたりを見渡したが、湖はみえなかった。よく見ると駐車場から伸びる細い道があって湖への矢印が出ていた。湖の名前も書いてあった。
みどり湖と書かれてあった。
山道を登りきると深い緑の湖面が見えてきた。湖の周りは樹木で覆われていた。山道はみどり湖にぶつかると左右に分かれていた。左の方に歩いて行くと樹木に隠れるように建っている建物があった。その建物はカフェであった。湖畔の椅子と店名が書かれていた。徹はその建物のドアを開けた。
白いひげを蓄えた60代くらいの男性がカウンターの中にいた。その横に女性が立っていた。黒い髪を後ろで束ねていた。控えめな笑顔で
「いらっしゃいませ」 と徹の顔を見て言った。
それが奈々子との出会いであった。彼女はオーダーを取りに来た。徹はアイスカフェオーレを頼んだ。しばらくすると注文のアイス カフェオーレを菜々子が持ってきた。テーブルの上におくときにおしぼりを退けようと動かした徹の指と彼女の指が微かに触れた。
カフェの中はゆったりと時間が流れていた。そしてピアノのジャズが空間の中に溶け込むように流れていた。店の中には徹の他は老人の客が一人いるだけで ときおりポケットから虫眼鏡を取り出して新聞の文字を確かめて何か独り言を言っていた。
いごこちのいい空間であった。気がつくと1時間半もたっていた。徹は勘定をすませて店を出た。 後ろから彼女の声がした。徹は彼女の呼び止める声に振り向いた。車のキーを忘れたようだ。菜々子が近くまで来てキーを手渡そうとしたとき徹は無意識にこんな言葉を言った。
「僕は、生まれる前からあなたを探してました」
「僕は、生まれる前からあなたを愛していました」