チョコミントが溶ける頃に 中
ジェットコースターに乗るため、足をアニモンランドの中へ、中へと進めていく。
やっぱり平日だから家族で来ている人はあまりいなく、カップルや友達同士で来ている人が多い。
お土産を売っているショップもアニモングッズで溢れかえっているのが外からでも見えるし、人も帰り際にと寄っている人がたくさんだ。ポップコーンやチョロスを売っているワゴンもある。
あ、そうだ。
ジェットコースターで少しは並ぶと思うし、何か食べるものを買ったほうがいいのかもしれない。もし沈黙にでもなったら、何かしら食べていたほうが気が紛れる。
「何か食べる?」
「ふぇ?」
ぼくの言ったことを聞いていなかったのか、理解できなかったのかは分からないけど。
間抜けな声が、隣で歩く青みのかかった黒髪の少女――――――生嶋幾羽の口から飛び出した。
「“ふぇ"?」
オウム返しに言って笑うと、生嶋さんは顔を真っ赤にした。
「こっ……これはぼーっとしてて! せ、世尾くん、そんなに笑わないでよ﹏﹏っ!」
ぼくが笑いをおさめると、未だに顔を朱くして唇を尖らせた彼女が呟く。
「……結局、何て言ったの?」
「……何か食べる? って」
彼女はうんうんと頷いた。
「食べる食べる」
ぼくと生嶋さんはワゴンの前で足を止め、立っている小さな黒板に描かれたメニューを見た。
このワゴンでは主にスイーツを販売しているらしい。
こんな寒い中、ソフトクリームを頼むような人はなかなかいないのに、なんで冬でも販売してるんだろう。
そんなどうでもいいことを思って、再び黒板に描かれた白や黄色の文字やイラストに目を落とす。
「私は……どうしよう。滅多に食べれないし、チョロスにしようかなぁ」
「チョロスか……。じゃあ、ぼくもそうしようかな」
ぽつりと言葉を漏らすと、生嶋さんの頬が朱に染まったような気がした。
長蛇の列ってほどでもないけど、人は並んでいたほうだと思っていたのに、スタッフの手際が良いせいかあっという間に順番が回ってきた。
「ご注文はいかがいたしますか?」
「あ、えっとチョロスを一本……」
「お味はどうされますか?」
「へっ!? 味!?」
そういえばぼくたち、味決めてなかったな……。
生嶋さんはあたふたとして、何故かぼくをちらりと見た後、小さく叫んだ。
「シナモンで!」
女性スタッフはおずおずと小さく頭を下げて言った。
「申し訳ございません。こちらのワゴンではシナモンを取り扱ってないんですよ……。シナモンでしたらアニマルコースター近くのワゴンで販売しておりますが……」
「えぇっ!?」
どうされます、と生嶋さんの顔を覗きこんだ女性スタッフは少しびっくりしたような表情を浮かべた。
みるみるうちに彼女の顔が赤に侵食されていく。
慌ててマップを確認すると、アニマルコースターというのはよりにもよってここから一番遠い場所にあった。
そのことを彼女に言うと、
「ここには何味のチョロスがあるの……」
と、ひっそりぼくに囁いた。
さっき見ていた黒板の看板はこの位置からでは見えず、キョロキョロと見回すと、ワゴンの中の上の方に手書きのメニューが書かれている。
なんだ、ここにあったじゃないか。
「ここには苺とチョコがあるみたいだけど……」
「じゃ、じゃあ苺で!」
「――――あ、もう一本追加でお願いします」
ぼくたちのやり取りを見ていた女性スタッフはすくっと笑った。
「かしこまりました。七〇〇円です」
な、ななひゃく……!? チョロス二本で七〇〇!? 高い!
だけどもう注文してしまった後だし、せっかく遊園地に来たのだからいいかな、と思ってしまった。
生嶋さんが代金を支払うために、財布から手を出すよりも早く。
レジ横にある黒皮のトレーに、薄い金色と銀色の小銭を手から落とした。
・・
黒いトレーに転がったのは金色のコインと、銀色のコイン一枚。
「あのー、すいません……あと一〇〇円足りません」
ええっ!! 確かに七〇〇円取ったはずだったのに……! 急ぎすぎて財布の中で落としちゃったのかな……。
かっこつけてすいません。ものすごく恥ずかしいよ……。
ぼくがさっと一〇〇円玉を一枚出すとスタッフが小銭三枚を取り、レジスターを操る。
「七〇〇円丁度、お預かりいたします―――――」
レシートを渡された後、すぐに二本の薄いピンク色のかかった長いチョロスが手渡される。
砂糖がたっぷりかかっていて、まだ温かい。
早足でワゴンから遠ざかり、はい、と一本のチョロスを生嶋さんに渡すと、ありがとうとお礼が返ってくる。
彼女が鞄に財布をしまうと、ぼくと生嶋さんは一緒に歩き出した。
再び、ジェットコースターに向かって。
「ありがとう。……三五〇円だよね? 今払うよ」
「ううん、いいよ。……こんなことしかぼく、できないし」
「…………そんなこと、全然ないのに」
生嶋さんが呟いた言葉を聞いてしまったけど、どう返せばいいのかわからない。
やっと出た言葉が、「……え」だった。
彼女はまた、顔を火照させて慌てているのか胸の前で手を振る。
「あっ、いや、そのー……なんでもない! でも、お金払ってもらっちゃうのは悪いよ!」
無理矢理話が変えられてしまった。まぁ、さっきの話の続きだから、全く関係ない話ではないんだけど。
「ほんとにいいって。気にしないで」
そう言うと、渋々頷いてチョロスをかじった。
瞬間、彼女の顔に驚きの色が広がる。
「おいしい……!」
そんなことを聞いてしまうとこちらまで食べたくなってしまう。
つられてぼくもチョロスの先端を口に入れると、懐かしい、あの甘い味とカリッとした食感が口の中をいっぱいにする。加えて、珍しい苺の味だ。
「ほんとだ、おいしいね」
「ね! 苺味っていうのがまたもう……。……最後にこんな美味しいの食べれてよかった」
「あれ、生嶋さん食べるのこれだけなの?」
「え、あ、うーん……考えとく!」
えへ、と幸せそうに笑いかけられる。
ねぇ、生嶋さん。
君は知らないだろ、ぼくがこんなにも君にドキドキしてること。
「こほっ、こほっ」
不意に、生嶋さんが咳き込んだ。
「大丈夫? ……風邪?」
「う……こほっ、うん、ちょっとね」
彼女は弱々しく微笑みながら小さく息を吸い、胸をとんとんと叩く。
「あ、ジェットコースターもうすぐだよ」
ぼくが言うと生嶋さんは少し顔を上げ、前の大きなジェットコースターの線路を見た。
「ほんとだぁ。あんまり並んでないね」
彼女が言った通り並んでいる人は過去に行った時よりも少なく、待っても一〇分程度だと思う。
最後尾に並び、二人で黙々とチョロスをかじった。
……なんか、気まずいなぁ……。何かネタネタ……あ!
「そういえば、チョロス買う時何でシナモンって言ったの?」
カリッ、と音をたてて食べていた生嶋さんがはにかむ。
「なんかねー……。看板で味とか全然見てなかったし、メニューもどこにあるか分からなかったから……シナモンを言ったんだよね」
その時の光景を思い出して、二人でぷっと笑う。
「でも、世尾くんも恥ずかしかったでしょ」
「……う」
くすりと笑う彼女に対し、ぼくは恥ずかしすぎて記憶から抹消したい話だ。
あまり触れられたくない。――――特に生嶋さんには。
「もう忘れていいからね、そのこと……」
ぼくがそう言っても、彼女は微笑みながら頭を振る。
「多分一生忘れないよ……。ちょっと、嬉しかったし。それに―――――「前も後ろもリア充ばっかりだな……! おのれリア充……。リア充爆発しろ」」
ぼくたちの前に並んでいた女子高校生四人のうちの一人が、周りを苛立たしげに睨みながら大声で生嶋さんの言葉を遮った。
その目は、ちゃんとぼくたちのことも捉えている。
天然パーマの女子が、紫にも、黒のようにも見える髪の大声を出した張本人の口を塞ぐ。
「ちょ、ちょっと真、聞こえちゃうでしょ!?」
心配そうにあたりを見渡す天パの女子。
彼女に対し、黒紫のショートカットの女子はうも〜んと負のオーラを漂わせる。
「元々遊園地みたいなリア充の巣窟になんか来たくなかったんだ……。なのにお前たちが無理矢理と……!」
色々大変そうだった。
彼女に集まっていた視線はもうほとんど他の所に向けられていて、まだ見つめていたのはぼくと生嶋さんだけだ。
「……何か、色々大変そうだね……」
ぽつり、彼女が漏らした言葉に彼女と同じように苦笑いして返す。
「……だね。リア充って言われちゃったし……」
「「!!」」
“ぼくリア充なんて言われるの初めて"と続けようとする前に、二人同時にはっとした。
黒紫の髪の彼女はこちらを睨んでいたから、ぼくたちのこともリア充と言っていたのだと思う。
世間一般で言われる“リア充"とは『リアルに充実している』、友人も恋人も持っている人のことを言う。
でも、大体は友人や充実した生活を送っているかなんてどうでもよくて、恋人がいればだれでも“リア充"に昇格される。
それはつまり――――――ぼくたちがカップルに見えたということだ。
そりゃあ男女で遊園地に来ていたら思われるだろうけど……。
さっきの笑い合っていた時のムードとは一変し、恥ずかしくなって話せない状態になってしまった。
そんなムードのままジェットコースターに乗ると、降りた頃にはジェットコースターの話でいっぱいでさっきのムードは感じさせられなかった。
もしかしたらどちらも意図的にか無意識にかは分からないけど、恥ずかしさを感じる暇もない様に頑張っていたのかもしれない。
その後、お化け屋敷に入ったり、もう一度ジェットコースターに乗ったり、他の様々なアトラクションに乗って疲れてきた頃。
「ちょっとお手洗いに行ってきてもいい?」
ぼくは頷いて、トイレに向かって歩く生嶋さんをベンチに座って見送った。
冷たい風が頬に刃を立て、吐く息は白い。
それでも、遊園地という特別な場所に来た人達が寒さに負けず騒ぐ姿が見られる。
ベンチに座って気付いたけど、……ちょっと疲れたな。
遊園地自体が久しぶりだったけど、ドキドキのしすぎで疲れが二倍。
……でも。
ぼくは鞄からスマホを取り出し、連絡帳を見ると緩んでいく頬を止められない。
そこにはついさっき追加された、『生嶋幾羽』の文字が並んでいた。
それにリア充って間違われたし、今日のぼくは運がつきすぎてるよ。
もし明日お金を無くしても、暴力をふるわれたとしても今日のことを思い出せば頑張れる気がする。
でも……ちゃんと“デート”、出来たかな。
ぼくばっかり幸せそうにしちゃってたらどうしよう!?
ぼくなんかを誘ってくれたのは生嶋さんだから、彼女に楽しい思いをして帰ってほしいのに。
スマホの時計を見ると、時間はすでに六時半を回っていた。
あっという間に時間は過ぎていってしまう。
もし、もう一度生嶋さんとアニモンランドへ来れるのなら……いつか行きたいなぁ、なんて思う。
ぱたぱたと走る音が聞こえて振り向くと、もう隣に横結びの彼女はいて、小さく息を整えていた。
「ごめんね……待たせちゃって」
「ううん、いいよ」
生嶋さんの顔を見ると少し顔色が悪く感じられた。
時間も割とかかっていたし、どうかしたのかな……。心配だな。
ぼくは鞄のポケットに折り畳んで入れたアニモンランドの場内マップを出して広げ、ある場所を探す。
その場所は意外と近くにあった。
「生嶋さん、ちょっと歩くよ。大丈夫?」
すると、彼女はちょとんとして小さく首を傾げる。
「……え? どこ行くの?」
「ん、まぁちょっとついてきてよ」
そう言って、ぼくはいたずらっぽく微笑んだ。
* * *
着いた場所は、フードコートだった。
この売店の近くには、見ているだけで寒くなるような大きな噴水が美しい水のアートをつくりだしている。
ただ、もうあたりは暗くなっていて、噴水も灰色に侵食されかかっていた。
生嶋さんが困ったような顔でぼくを見た。
「どうしてフードコート? ……! も、もしかして気を遣わせちゃってる……!?」
そんな彼女を見つめると、ぼくは頭を振る。
「違うよ、ただぼくが休みたいだけ。……休憩してもいい?」
しばらくの間納得がいかないような顔をしていたけど、頬を朱に染めていいよ、と返した。
ぼくはありがとうとお礼を言ってから、「どこにしようなかぁ……」と座る席を選び始める。
「ここは? テーブルも綺麗だしここでもいいんじゃない?」
「……ここの席は、ちょっとダメかな……。あ、ここの席いいな。ここに座ろう?」
頷いて座ったものの、ぼくのちょっぴりおかしな行動に彼女は戸惑っているようだった。
まぁ、当然だよね……。
スマホをちらりと見て、ほっと一息ついた。
けど、ぼくの心臓はどくんどくんと規則正しく脈打っていて、緊張をこれでもかというほど表している。
何もすることがない、ということに気付いて、はっと前の生嶋さんを見た。
やっぱり可愛いなぁ……生嶋さんは。ほんとに、どうして僕と遊園地に来ているのか不思議になるよ。
初めよりも少し、水色の綺麗な髪が乱れていたはずなのにいつの間にかきちんと整えられている。きっとトイレでセットし直したのだろう。
唇もつやつやしていて、柔らかそうだなぁ――――――。
ぱちっ。
彼女と目が合い、はっと我に返る。
な、な、な、何考えてんだぼく!? 今ヤバイこと考えてたよね!? ぼくって……ぼくって、そんなに変態だったのか……。
目が合った生嶋さんも、驚いたのか顔をぼうっと紅くした。
きっとぼくも、彼女と同じような林檎のような顔をしているのだろう。
それにしても、ぼくから休みたいと言った限りはこの空気をどうにかしないと……。
どうすれば、と思った時、たまたま目に付いたフードコート。
焦ったぼくは咄嗟に口を開いた。
「あ、えっと、ぼく何か買ってこようと思うんだけど……。生嶋さんも何か買う?」
うーん……と可愛らしい仕草で悩んでいた彼女は、髪と同じ色の瞳を幾度かぱちぱちと瞬きした。
「うん、買おっかなぁ……。何かちょっと食べたい気分だしね」
「何買う? ぼくが買ってくるから生嶋さんはここにいて」
「……うん、ありがとう。えっと――――ブチネズミソフトとホットミルクティーをお願い!」
……一瞬、表情に淋しさが混じったような気がしたんだけど……。
気のせい、だったかな?
っていうか……。
「こんな寒い中アイス食べるの!?」
ぼくが驚きでいっぱいの声をあげると、彼女はえへへ、と照れ笑いを浮かべる。
「うん、まぁね。ちょっと食べたくなっちゃって」
「……大丈夫なの?」
「大丈夫だよ! あったかい飲み物があるでしょ」
もやもやした煙を胸に押し込めて、ぼくは売店に食べ物を買いに向かった。
チョロスを買った時のようなことはもう起こらず、普通に会計を済ませると早足で寂しげにぽつんと座っている生嶋さんの元へ急いだ。
そして、ぼーっとする彼女の目の前にネズミの顔につくられたアイスクリームを出す。
「はい、おまたせ」
「あわっ!?」
「その驚き方、面白いね」
彼女の驚き方に笑って、アイスクリームを手渡してからプラスチック製の椅子に腰を下ろす。
彼女の持つ『ブチネズミソフト』はチョコミントのアイスが真ん中に一つと左右上に小さいものが二つ。そしてチョコペンでネズミのアニモンキャラの顔が描かれており、とても可愛らしいアイスだ。
夏場だと人気ナンバーワンのアイスだとか。
ぼくはすっかり冷たくなった体に温かい飲み物を流し込む。あぁ〜、あったか……。
こんなに寒いのにアイスなんて、本当に生嶋さんは大丈夫なのかな……。風邪気味とか言ってたし、余計心配だよ。
ぼくの心配をよそに、嬉しそうに顔をほころばせてネズミの耳をかじる生嶋さん。
「おいし〜い……!」
口の中のアイスが無くなるとホットミルクティーを飲み、またアイスをかじる。
そんな幸せそうな顔で食べられたら、ぼくまで食べたくなっちゃうよ。
ホットミルクティーで体を温めると、彼女が言った。
「私ね、チョコミントが大好きなんだ。アイスでも美味しいし、色合いも可愛くない?」
「そうなんだ。ぼく、チョコミントのアイス食べたことないんだよね」
「ええっ!? そうなの!?」
「うん……」
生嶋さんがショックを受けたような顔をするのでゆっくり頷くと、彼女は飲み物を吹き出させるようなことを口にした。
「じゃあ、あげる! 美味しいから食べてみなよ!」
そう言うなり、アイスをぼくの方に向ける。
え、え、ええ……!?
ちょっと生嶋さん気付いてないの!? 自分がどんなことをしようとしているか、分かってる!?
「チョコミントの美味しさを、世尾くんにも知ってもらいたいな!」
……そんなことを笑顔で言われたら、断るに断れないじゃないか。
目の前には、ニコニコ笑顔でこちらにアイスを向ける生嶋さん。
周りには……きっとぼくらなんかを見ている人なんていないはず。
もし、ここで拒んだら、彼女は悲しむのかな。
そうなんだったらぼくは嫌だ……。うぅ、でも……。
ぼくは拳を握りしめて覚悟を決めた。
「じゃ、じゃあ……いただきます!」
ぱくっ。
ブチネズミの頭をかじる。
冷たくて寒い……そんな感覚はあるけど、羞恥で顔が熱を生んでしまっているから熱冷ましに丁度いいのかもしれない。
アイスは、普通に美味しかった。
ミントのスースーする感じと、チョコレートの甘い風味が混ざり合って不思議なハーモニーを生み出している。
アイスは寒いし嫌だな、と思っていたけど顔が既に熱いし、温かい飲み物があればそれほど寒くは感じられなかった。
「……美味しいね」
恥ずかしさのあまりぼそっと呟くと、生嶋さんは嬉しそうな顔をした。
「本当!? 良かった〜、嬉しい!」
さっき口にしたアイスに生嶋さんの、あの柔らかそうな唇がついていた――――――とか考えちゃダメだ。
ダメダメダメダメダメ。それはせめて家に帰ってからで……。
ぼくはハッとして慌ててスマホの時計を見る。
わっ、あと十秒しかないよ!
引き続きのほほんとアイスを食し続ける彼女を見つめ、恥ずかしさを押し殺して心の中でカウントダウン。
六、五、四、三――――――――。
「……生嶋さん、見て」
ぼくが指で指した噴水は、時計が七時になると同時に至る所から光が漏れ始める。
その噴水を彩る色はクリスマスを連想させるような色ばかりで、まるで光の粒が水と一緒に湧き出ているようだった。
「わぁ……! 綺麗……」
突然ライトアップされた噴水は、今まで素通りしていった人の足を止め、幻想的な雰囲気を醸し出している。
ぼくも思わずほぉ、とため息をついた。
噴水に目を奪われていた生嶋さんが、いきなりぼくの方に振り返る。
「ねぇ世尾くん、このこと知っててフードコート来たの?」
“どうだろうね?”と“そうだよ”。
どちらを口に出そうか一瞬迷ったけど、先程秘密にしたのだからここでは素直に言っていいと思った。
「うん、まぁね」
さすがに“そうだよ”と言うのは恥ずかしくなり、……あんまりかっこよく言えなかった。
彼女は小さく驚いた顔をして、すぐに愛しそうな、そんな表情になって花のように優雅に微笑む。
「ありがとう」
出された言葉はたった五文字だけだけど、その中に色んな想いが詰め込まれているの、分かってるよ。
だって、表情がそう語っているから。
そのままぼくたちは煌めく噴水を眺めながら、購入したものを無事食べ終えた。
途端、また何をするかという話になる。
「どうする? 何か乗る? ……それとも、帰る?」
正直、もう帰るとなると少し淋しいような、もっといたいような気持ちがこみ上げてくる。
密かに帰るなどと言わないで、と願いながら彼女の返答を待った。
考えた間が空いて、彼女は口を開く。
「じゃ、じゃあさ……あの、最後にかっ、観覧車乗りたいな……」
か……観覧車……。
この単語を聞きぼくは一瞬、身体が硬直してしまった。
遊園地に来たのなら、もしかしたら、もしかしたら……と小さな期待を寄せていた乗り物。
まさか、本当に乗ることになってしまうなんて思いもよらなかった。
生嶋さんが上目遣いでぼくを不安そうに見上げている。
――――――まただ。生嶋さんのちょっとした仕草に、驚くほどあっさりと感情が掻き立てられる。
これを無意識でやっているのなら、意外と小悪魔だよ……。
観覧車に乗る姿を想像するのを自制し、ほんのり熱を感じながら頷いた。
「……いいよ、乗ろっか」
「……本当に? ……えへ、ありがとう……」
﹏﹏﹏﹏﹏﹏ッ!
ぼくはこの雰囲気の中に身を投じていられなくなり、椅子を引いて立ち上がった。
きっと、今の自分の顔はとてもじゃないけど彼女に見せられるような顔ではないと思う。……恋愛に慣れていないってことがバレバレだ。
「じゃ、じゃあ行こっか!」
彼女にくすっと微笑まれながら、ぼくたちはこの後ろに見える観覧車に向かって足を進めた。
* * *
夜の時間帯ということもあり、噴水だけでなく園内の様々なものが、イルミネーションによって色とりどりに光り輝いている。
そういえば、入園口にクリスマスツリーがあったっけ。
まだ十二月に入ったばかりだというのに、世間は季節を先取りしすぎだと思う。
そんなことを思いながら自分の周りを改めて見てみる。
すれ違う名も知らない人々の中にはアニモンキャラクターの耳を付けていたり、グッズを身につけていたり。
生嶋さんだったら犬の耳が似合うかな。
観覧車に乗った後、お土産を買ったり少しは一緒にいられるのだろうか。
学校は同じだけど、クラスは違うから話すこともないし、できることといえば見つめることだけ。
このデートが終わったら、ぼくは……。
ううん、まだぼくにその勇気は無い。
だからせめて、アニモンランドに行こうよ、って誘おう。
今度は休日に来て、また二人で楽しみたい。
まぁ生嶋さんがOKしてくれるか分からないし、予定が合うかどうかも分からないんだけど。
観覧車に乗るべく並んでいるのは案の定、カップルしかいなくて、どこもかしかもイチャイチャイチャイチャ……。
カップルもどきのぼくたちはちょっと会話を交わすくらいしかできなかったけど、今日だけは生嶋さんとカップルに見えていたらいいな。……なんて、ぼくの小さな期待。
「それではいってらっしゃいませー」
そんな声と笑顔と共に送り出され、二人が乗った箱は徐々に上へ昇っていく。
彼女は椅子の上で膝立ちし、身を乗り出してここからしか見えない景色を眺めていた。
「すごーい……。すっごく高いし、イルミネーションがキラキラしてて綺麗……」
「だね……」
ぼくも自然と息を呑んでいた。
人がゴミのようとまではいかないが、小さく見える人々を上から見下ろしているというのはなんとも不思議な感覚だ。
ジェットコースターがゆっくり上がっていくのも見えるし、遠くのくるくる回るアニモンのメリーゴーランドも、なんでも見える。
そんななんでも見えるゴンドラの中でも、君の心だけは見えない。
何を思っているのか、何を感じて笑っているのか。
ぼくはこんなにも緊張しているのに、どうして彼女はこんなにも平然としていられるのだろう。
…………あぁ、そうか。
ぼくを恋愛対象として見ていないからか。
あーあ、一人で舞い上がっちゃって馬鹿みたいだ。
デートする前、期待して裏切られたくないから必死で勘違いしないように気を張っていたのに。
上がっていた気持ちが急速に冷めていくのを、自分の身体の中で感じた。
いつの間にか生嶋さんは膝の上に細い手を重ね、真っ直ぐにぼくを見ていた。
さっきまで目も合わせられないくらい緊張していたけど、今ならできる。
ぼくも彼女と同様に、彼女の目をまっすぐ見据えた。
「……チョコミントって、なにかに似てると思わない?」
「……え? チョコミント?」
唐突な謎の質問にぼくは耳を疑った。
彼女はうん、と頷いただけで、微笑を浮かべて今まで通りにぼくを見つめる。
チョコミントがなにかに似ている? どういうことだかさっぱり分からない。水色と茶色の組み合わせのものってあったかなぁ。
・・・・・
生嶋さんが体を少し動かし、綺麗なアクアの髪が揺れる。
――――――ぼくの髪色は、茶色。
もしかして、こういうこと?
ぼくが閃いた顔をしていたのだろうか、彼女が表情を明るくさせて「分かった?」と問いかけてきた。
え、でもこれ言うの恥ずかしいし、間違ってたらもっと恥ずかしいんだけどな……。
笑われてしまっては嫌なので、一度彼女に念を押しておく。
「間違ってたら恥ずかしいから、笑わないでよ」
「ふふっ。どうだろうね?」
えっ。笑わないことを約束してくれないの?
……まぁでも、うん……言うか。
この言葉には、まだ言えないぼくの気持ちが一粒ほど隠し味に入れられている。
「……ぼくと……生嶋さんの髪の色?」
自然と小さくなってしまったぼくの声だけど、静寂が支配していたゴンドラの中では普通に、それどころか良く通って聞こえた。
あぁ、違ったら恥だ……。
絶対「何言ってんのこの人……」っていう目で見られて引かれる。
っていうか、多分違う。九九、九パーセント違う。
恐る恐る伏せていた目を開くと、彼女は――――――驚いてから、とびきり嬉しそうな表情に移り変わった。
これはもしかして……合ってた?
「正解! 世尾くん、よく分かったね」
すごーい、とでも言いたげな澄んだ水色の瞳をぼくに向ける。
「いや、なんとなく……。でも合ってたなんて驚いたよ」
「そうだね〜。正解してくれて、嬉しいよ」
頬を朱く染めながらくすっと笑う生嶋さん。
こほっと咳をして息を吐くと、ゴンドラの近い天井を見上げて喋りだした。
「私と世尾くんはチョコミントに似てる。私ね……恋も、チョコミントに似てると思うんだ」
ぼくは黙って彼女の話を聞く。
「甘くて幸せで、でも辛くて苦しくて……。恋にそっくりでしょ? 簡単に溶けてなくなってしまうのも。そんなチョコミントが私、大好きになっちゃったんだ」
話し終わると生嶋さんは。
柔らかい笑顔でぼくを見、形のいい唇を開いた。
「私、世尾くんのことが――――――ごほっ、ごほっ、けほっ…………」
笑顔が一転、苦痛の滲んだものに変わる。
口を手で抑えた彼女は、自分の手の平を凝視しながら目に涙を浮かばせた。
異様な雰囲気を全身で感じ取り、
「生嶋さん……っ!?」
ぼくが硬い席から立ち上がった時。
ポタ、と音を立てて、赤い液体が彼女の手の間から垂れ落ちた。
ゴンドラの床に一つ、二つと鮮やかな赤く丸い模様が彩られてく。
「ご、ごめ、ゴホッ、ゴホッ……」
その後何度か激しい咳を繰り返し、光に反射して光る涙を流しながら、ゴンドラの冷たい床にバタリと倒れた。
「い、生嶋、さん……?」
ぼくは目の前で一体なにが起こっているのか、状況に頭が追いついていなかった。
なんで生島さんは倒れて動かないの?
さっきまで普通に喋ってたよね。
それに、床に垂れてるこの赤は……。
「――――――――っ!!」
まだ完全ではないけど、頭が必死で追いつこうとしてくれているお陰で状況が徐々に把握できてきた。
「……生嶋さん」
目をしっかり閉じて横に倒れる彼女の顔を見つめ、濡れた頬を指で拭う。
「生嶋さん。生嶋さん! ……っ、起きてよ……!!」
何度彼女の名を呼んでも、状況は全く変わらない。
ただ、観覧車がゆっくりと、変わらず動くだけ。
まだまだ頭がついてこなくて、体が震えて、冷静な対応ができない。
でも、どうにかしなくちゃ、と必死な思いで、ぼくはゴンドラのドアを激しく両手で叩いた。
「開けてください! お願いです!! 早く病院に連れて行かないと生嶋さんが……っ! 早く! 早く――――――――!!」
救急車を呼ぶという選択肢も頭の中にはなくて。
ただ、ひたすら涙を流しながら、両手の痛みが感じなくなるまでドアを叩いた。
このとき救急車を呼んでおけば、運命は少しでも良くなっていたかもしれないのに。
お久しぶりです、皆様。
えっと、今回は短編のはずだった『チョコミントが溶ける頃に 中』をお届けしました。
……短編のはずなのに3つに分かれるって……。
予想外の展開に自分でも驚いています。
多分、わたしは本でなら長い文オッケーなのですが、インターネット上だと短編、どこまで読んだか分からなくなるじゃないですか。
なので文字数少なめなんです。
だからこんなに拡大しているのかも……時間もかかってるし。
こんなチョコミントですが、もうラストスパート書き始めてます!
なるべく早めに、冬休み中にお届けできればと考えていますのでもしよろしければお楽しみに。
ここまで読んでくださってありがとうございました!