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迷宮のドールズ  作者: オグリ
一章
9/88

やりたくない仕事

 紅子とセンターで出会った三日後、彼女から連絡があった。

 シオンは家に居て、夕飯のカップラーメンを啜った後だった。

 

 六畳一間のアパートは、実家を思い出す古さだが、それがかえって落ち着く。畳の部屋の真ん中に背の低いテーブルが置いてあり、食事をしたりとりあえず何か物を置くのに使っている。

 家にいるときは、携帯電話はそのテーブルの端に置きっぱなしだ。それが突然震えて、着信を告げたので、シオンは相手の名前も見ずに、慌てて電話を取った。

「……もしもし?」

〈あ、小野原くん? あ、えっと、紅子です!〉

 勢いあまったような声が、受話口から飛び出す。

「こう……ああ、浅羽か」

〈あ、うん! 誰だと思ったの?〉

「名前見てなくて。仕事かと思って」

 電話がかかってくること自体がまれだし、たいていは仕事絡みだ。

 ワーウルフの笹岡と知り合ってからは、よく飲みに行こうと誘われるが、どう考えても酒だろうから、断っている。亜人とはいえ人間の目から見れば未成年だし、そもそも酒なんて一滴も口にしたことが無い。

〈あ、何かお仕事中? いま、電話ダメだったかな?〉

 電話の向こうから、申し訳なさげな声がした。

「いや、大丈夫だ。何もしてなかったから。ただ、たまにセンターのほうから電話があって、あっちから仕事振ってくれるときがあるから、それかと思って」

〈そうなんだ。けっこう親切なんだね〉

「普通は仕事は自分で取りにいくもんだけど、誰もやらなくて余ってるのとか、やれる奴が限られてる依頼とかは、やってくれる奴を探してるみたいだな。オレはヒマなら大体受けるから、声かけやすいのかもな」

〈へー。色々あるんだね〉

「オレくらいのレベルだと、えり好みしてたら仕事無いからな。多分だけど、レベル10から20くらいまでの間で仕事してる奴が多いんじゃないかな。……話それたな。オレに何か用じゃないのか?」

 もう冒険者になったのだろうかと思ったが、いくらなんでも早過ぎる。

〈あ、ううん。用っていうか。いまね、バイトの帰りなの〉

「バイト? ああ……いま、生活苦しいんだっけ」

 前に《オデュッセイア》で話したときに、デザートを食べながら聞いた彼女の家庭事情について、シオンは思い出していた。

 父と兄が死んでからは、叔父の家に身を寄せているという。叔父夫婦と、年上の男のイトコがいるそうだが、不景気で叔父の給料が減り、生活が苦しいとか言っていた。

〈うん。中学のときからね。新聞配達してたの。それと高校に入ってからだけど、コンビニとファミレスで〉

「三つも?」

 シオンは感心した。

〈あ、新聞配達は先月辞めたから、いまは二つだけ。冒険者になりたかったからね、シフトの都合が付きやすいバイト探してて、ファミレスの面接受けたの。でもそれだけじゃちょっと足りなかったから、近所のコンビニでちょっとだけ。いまはファミレスのバイトの帰りだよ。始めたばっかりだし、まだまだ憶えることいっぱいあって大変だけど〉

 声だけだが、元気そうな様子はよく分かる。

「……えらいな、お前」

〈そんなことないよ。働くのって楽しいし。バイトだから気楽だもの。小野原くんのほうがえらいよ〉

「オレは学校行ってねーから……当然というか」

〈小野原くんは、同じ歳でも私よりずっとしっかりしてると思うな。私はお小遣いが無いってだけで、叔父さんたちのおかげで、住む場所とか食べるものの苦労は無いから、ほんとに自分のためなの。何するにもお金はあったほうがいいでしょ?〉

 たしかにシオンは一人で、つねに生活のことを考えなければならないが、そのぶん誰に気を遣うこともないし、気楽な身分だ。

 離れているが父は健在だし、面倒を見てくれた父の友人もいる。

 紅子の場合は、誰かと住む家があり、一緒に食事を取る家族もいるかもしれないが、気楽な身分というわけではなさそうだ。

〈あ、また話それたね〉

 と今度は紅子が言った。へへ、と笑い声がした。

「そうだな。どうしたんだ?」

〈んー、用っていうほどじゃないんだけど。あのね、あのあと調べてみたら、やっぱり認定に、三週間か四週間はかかりそうなの。いま、四月でしょ?〉

「うん」

〈三月から四月にかけては、学校を卒業したばかりの冒険者さんが多いから、登録数がすっごく増えちゃうんだって。だから、処理にいつもより時間がかかっちゃうんだって〉

「ああ、そういうのは、あるみたいだな」

 この時期はセンターの窓口も混んでいる。

〈特に人間だったら、私みたいに時間がいるみたいだし〉

「でも、そういう冒険者の学校って卒業と同時に認可が下りるらしいから、新規が増えるのはむしろ三月で、四月は少し落ち着いてるって聞いたけどな」

〈あ、そうなんだ〉

「まあ、しばらくセンターが混んでることには変わりないけど。それでも浅羽みたいなのは珍しいだろうから、認定も慎重になるのかもな」

〈んー、そうだよね。私、訓練とか受けてないもん。普通の学校だし〉

 受話口から、残念そうな紅子の声が漏れる。


 訓練の有無は、実はあまり関係ない。親の推薦付きとはいえ、十代であっさりと認定をもらった桜のような例もある。これは桜の才能もあるが、父が実績のある冒険者であったことも大きい。

 紅子の場合も、保護者が承認しているのなら、認定は難しくないかもしれないと、シオンは思っていた。

 実績あるソーサラーの家系というのは、説得力がある。祖父、父、兄が冒険者だったと言っていたし、代々そういう家柄だと言えば、協会もそこは尊重するはずだ。

 その点をクリアしている紅子は、案外早く認可が下りるような気がした。根拠は無いので、言わなかった。


〈……あ、あのね〉

「ん?」

 話が途切れたところで、紅子が上ずった声で、おずおずと言った。

〈あの、ごめんね。ほんと、別に、用は無かったの〉

「ああ、うん。いいけど」

〈えと、あの、私、ちゃんと冒険者になれるのかなって心配になって、色々調べたりして……授業中でも、バイトしてても、そのことばっかり考えちゃって。高校受験の合格発表待ってるみたいな気分でね、毎日ソワソワしてるの。冒険者になれるかな? とか、なったらちゃんとできるかな? とか、考えてね……そしたらね、小野原くんのこと気になっちゃって〉

「オレ?」

〈う……うん、その、あれからね、どうしてるかなあって。それだけなの。この前会ったばっかりなのにね。また色々お話したくなっちゃって。簡単に電話していいのかなって悩んだけど、かけちゃった。ごめんなさい、忙しいのに〉

 電話越しにも、彼女が照れているのが分かる。顔はまた赤くなっているんだろう。正直な奴だ。シオンは思った。別に、用なんて適当にでっちあげてもいいのに。

〈ただ、お話したかっただけなの。小野原くんと〉

 そう取り繕わずに言う紅子に、シオンは好感を持った。

「そっか。ありがとう」

〈えっ? ぜんぜん、お礼言われることじゃないよ?〉

「そうか?」

〈こっちこそ、いきなりかけて、迷惑だったらどうしようかって悩んでたもん。小野原くんって、本当にいい人だね〉

 そう言ってくれる彼女のほうが良い奴だ。

〈ねえ、もう少しだけ、お話してもいい? あの、用はほんと、無いんだけど〉

「ああ、いいよ」

 どうせヒマだ。家では食事をするか、寝るか、ぼんやりしているしか、することが無い。テレビも観ないし、そもそも部屋に無い。

〈えっと、ほんとに話題は何も考えてなかったんだけど〉

「何でもいいよ」

〈そう? じゃあ、小野原くん、いま、なにしてたの?〉

 本当に何も話題が無いようだ。シオンは少し笑って答えた。

「メシ食い終わったから、風呂入って寝ようかと思ってた」

〈晩ごはん、何だったの?〉

「カップラーメン」

〈それだけ?〉

「それだけ」

〈だめだよー。色々食べないと元気出ないよ〉

「そうだな。家だと、あんま食べないから」

〈えー、どうして?〉

「さあ。面倒だからかな」

〈そうなんだ。私はどんなときでもご飯は楽しみにしてるんだけど。小野原くんて、自分でちゃんと料理しそうだね〉

「しねーよ。ラーメンにお湯入れるくらい」

〈そうなの? ラーメン以外食べたくなったらどうするの?〉

「……買ってくるかな。それか、外で食うか。家の近くに行きやすいメシ屋があるから、そこに行くかな」

〈行きやすいって? 美味しいの?〉

「いや、亜人がやってる店で、客も亜人がよく来てるから、なんか行きやすいってだけ」

〈そっかぁ。私はね、バイト先でまかない食べたよー。ハンバーグセット〉

「ファミレスだっけ?」

〈うん。今度、割引券あげるよ。チェーン店だから、他の店舗でもどこでも使えるよ。大盛り無料券使ってね。小野原くん、すごく細いから〉

「そうかな。あんまり重くても動きづらくなるから、このぐらいがちょうどいいんだけど」

〈そっかー、そういうのも考えてるんだね。えーと、ウェイトコントロールっていうの? スポーツ選手みたいな?〉

「そこまできっちり管理してるわけじゃないけど。増えたり減ったりすると、なんとなく動きにくいって感じる」

〈そうなんだ。なんかすごいね。……んと、男の子には体重訊いても失礼じゃないのかな?」

「ごじゅう……」

〈あー! やっぱり言わなくていい! いいです! ごめんなさい!〉

 その急な大声にびっくりして、シオンは電話を離した。

 ちなみに、シオンの耳は人間と違って頭の上にあるので、人間用の携帯電話は受話口と耳の位置が合っていない。亜人用の携帯電話も無くはないのだが、人間用のほうがやはり種類が豊富だし、多少耳から離していても優れた聴力で音は充分拾える。


「びっくりした……」

 思わず呟くと、紅子の慌てた声が返ってきた。

「あっ、ご、ごめんなさい……つい」

 と言ってからも、しばらく電話の向こうで、紅子はうーうーと唸っていた。

「どうしたんだ? ……オレ、そんなに貧相か?」

〈ええっ! ち、違うよ! こ、これは私の問題なの……!〉

「なんかよく分かんないけど」

〈わ、私が勝手に自己反省してるだけというか……今日もセットのライスおかわりしちゃったし……ドリンクバー四杯飲んで、サンドイッチも食べちゃったし……さっきコンビニでお菓子も買っちゃったし……!〉

「いいんじゃないか。浅羽らしくて」

〈うう……またそんな優しい言葉をかけられたら、自分を甘やかしちゃうよ……。あの、でも小野原くんが貧相とか、そういうのじゃないからね!〉

「あ、うん」

〈全然かっこいいよ! 手とか、ちゃんとがっしりしてるもん!〉

「なんでオレの身体の話してんだ。いま、家にいるのか?」

〈あ、え、えっとね、公園。かめのこ公園〉

「何だそれ……」

〈あ、昔からそう呼ばれてるの。おうちの近所の公園なの。池があってカメがいっぱいいるの〉

「なんでまたそんなとこで……危ねーぞ」

 薄暗い公園のベンチで、ぽつりと一人と座る紅子の姿が思い浮かんだ。

 部屋に置いている目覚まし時計を見ると、もう夜の十時を回っている。

〈うん。すぐ帰るよ。おうちからじゃかけづらいから〉

「怒られるのか?」

〈ちょっとね〉

 女子高生が一人で外で過ごすぶんには遅い時間だが、家で友達に電話をするくらいは許されていい気がする。

 他人の家のことなので、シオンが口を挟むことでもないが。

「ケータイ代って、自分で払ってんのか?」

〈うん。叔父さんは、私が携帯電話持つの、反対だったんだけどね。自分で払うならいいって許してもらうまで、説得したんだ。友達と連絡取るのに、おうちの電話使いにくいから、便利なんだ。こうして小野原くんと連絡取れるし〉

「お前って、しっかりしてんだな」

 中学時代は、大人しくておっとりした奴だとばかり思っていたが、芯は強かったのだ。

 クラスが変わっても、シオンに笑顔で挨拶してくれたのは、彼女だけだった。

 いつでも女子のほうが、自分より大人びている。

 桜も、有無を言わせないパワーと行動力は大人顔負けだった。


〈小野原くんは、あのあと仕事見つかった?〉

「いや。あの日は結局、探したけど、何も受けなかった」

〈あっ、そうなんだ。ごめんね〉

「それはもう気にすんなよ。いまは駆け出しの冒険者が多くて、簡単なやつは初心者に回してほしいって、その代わり、あとで違う仕事を回したいって、窓口で言われたからさ」

〈わぁ、小野原くん、信頼されてるんだね〉

「そりゃ、昨日今日冒険者になった奴よりはな。オレがあんまり断らないのもあると思うけど」

〈でも、分かるかも。小野原くんって、ちゃんと話聞いてくれそうだから〉

「なんだそりゃ」

〈だって、いくら人が多いからって、誰にでも頼めるわけじゃないことって、あるじゃない? だから、お仕事を任されるんじゃないかな〉

「ソロでヒマで使いやすいってのもあると思うぜ」

〈じゃあいま、待機中?〉

「まあ、そんなかんじ。でも何もしてないわけにはいかねーし、明日くらいにまた行ってみるよ」

 すると、紅子が神妙な声で言った。

〈私……冒険者になることしか考えてなかったけど、なるだけじゃダメなんだよね。お仕事探すのだって、大変なんだね〉

「それは窓口に行けばいい。それなりの仕事は見繕ってくれるよ。あとは時期による。いまは人が多いし、初心者は出来ることも限られてるから、仕事の奪い合いになってるかもな。簡単で比較的安全なことしか出来なくて、報酬もそんなに高くねーから。はっきり言うと、最初に受けられる依頼は数こなしていかないと、人間ならそれこそファミレスでバイトしたほうがマシかもしれない。装備とか持ってく道具は自前だし、一回の準備にかかる金を考えたら、割りに合わないからな」

 ふんふん、と電話の向こうで紅子はいちいち頷いているようだ。そして、ほうっと感心したような声を出す。

〈そうなんだぁ……〉

「報酬が高いのだと、まあ依頼によるけど、たとえばモンスター討伐とか、危険なダンジョンの探索なんかは、リスクが高いぶん一回の実入りはでかくなるな。そういう派手な仕事ってあんまり無いし、危険だから協会もレベルの低い冒険者にはそうそう任せない」

 手早く終わって高収入、なんて仕事はほぼない。それでなくても条件の良い依頼は、やはりみんな狙っているため、なかなか見つかりにくい。

 大きい仕事をして収入を安定させるためにも、まずはコツコツと実績を作るのが結局一番の近道となる。レベルという名の協会からの信頼度を上げていけば、割りの良い依頼を回してくれることもある。

〈小野原くんと話してると、参考になるね〉

「まあ、一応オレもやってるから。気になることあったら、いつでも訊けば」

〈ありがとう! ……あ、でも、小野原くんもお仕事があるから、こんなふうに簡単に電話かけちゃダメだね〉

「そんなことねーけど」

〈ほんと?〉

「うん。……ああ、ただ、仕事中は、どっちみち、連絡つかないと思う。置いて行ってるか、あっても電源切ってるからな」

〈あ、ダンジョンってやっぱり電波通じないの?〉

 紅子が素朴な疑問を口にする。

「通じるとこもあるだろうけど……そうじゃなくて、探索中に電話取れないだろ。戦闘してたり、敵に気付かれずにやり過ごしたいことだってあるし。そんなときに音立てて、敵に気付かれて死んでもバカだろ」

〈あ、そっか。そうだよね〉

「でもほんとに、そんなことで死んだ奴もいるけどな」

〈え、そうなの? うわぁ……可哀相〉

「可哀相か? さすがに自業自得だろ」

 人の死は痛ましい。シオンも姉を亡くしているし、死んだ同業者も知っている。

 残された者は、一生彼らを忘れることが出来ない。いつかそうなると分かっていて、割り切っていてもだ。


 冒険者になるのが、ただの憧れでも、それはそれで別にいいと、シオンは思っている。金のためでも、ヒマつぶしでも、余暇の楽しみでも、構わないだろう。人にはそれぞれ事情があり、考え方も違う。きっかけはちょっとしたことでも、最初の動機が不純であっても、立派な功績を残した者はたくさんいる。

 しかし、心構えまで甘かったのなら、それはさすがに自己責任だ。

 桜や他の死んだ冒険者たちのように、本気で命をかけ、仕事をしたというのならともかく、携帯電話に気を取られて死ぬなんて、さすがにバカげている。


「ウソみたいだけどな。そういうくだんねーことでも、年に何人かは死んでる。ダンジョンでメール打ってて、敵に気付かなくて後ろからバッサリ……」

〈うわぁ〉

 再び紅子が悲壮な声を上げた。

「……そんなに可哀相か?」






 次の日、新宿冒険者センターから仕事を紹介したいと、電話がかかってきた。

 しかし、窓口で詳しい説明を聞いたシオンは、渋い顔をした。


「これは……オレには、向いてないと思う」

「そうですか? 小野原様に、ピッタリの依頼だと思いますよ」

 受付嬢がそう言って勧めてきたのは、いま「流行り」という初心者冒険者の引率だった。


「いや、向いてるわけないだろ。この、初心者って、何歳くらいの奴が、何人?」

「八名で、専門学校を卒業したばかりの方々です。専門コースのある高校じゃなくて、専門学校ですね。主に二十歳から二十一歳、最年長の方が二十二歳ですね」

 最近増えているらしい人間の若者ばかりの冒険者パーティーは、八名とも冒険者の学校を卒業したばかりだという。

 紅子も言ってたとおり、いまは四月だから、学校を卒業したばかりの新米冒険者が多い。

「オレ、十六なんだけど」

 シオンは窓口に差し出した冒険者カードを手に取ると、生年月日がよく見えるよう受付嬢に見せた。

「ええ。存じております」

「十六の奴の言うことなんて聞くわけないだろ」

「冒険者に、年齢は関係ありませんから」

 と、あっさり言う。

「彼らは全員レベル1。冒険者としての仕事経験は無し。ちなみに今回の依頼は、彼らのご家族からでして、本格的に仕事をする前に、レベル10以上の熟練冒険者の方に、講習をお願いしたいと。小野原様は現在レベル11ですから、この依頼を受けるに充分なレベルに達していると、私は判断いたします」

 淡々とした口調で言ってのける受付嬢に、言いくるめられそうになる。

 いや、でも無理だ。

 大体、若い人間の男女の集団なんて、学校に行っていたころの嫌な思い出ばかり蘇る。

 そんなことを考えていると、ふと別のことに気がついた。

「……あれ。オレ、レベル11だったのか」

 10になったところでそれに関する記憶が止まっているので、知らなかった。窓口では必ずこの身分証の提示が求められるが、そのときも出すだけで、記載されている情報をいちいち確認したりはしない。

「レベルが上がったときには、一言お声かけしておりますが」

 多分、聞いていなかったか、忘れている。


 カードには特殊な技術で個人情報が登録してある。過去にこなした仕事や受けた注意や処罰もこのカード一枚に記憶され、窓口でその情報を読み取ったり書き換えたり出来る。

 そのため、一見薄っぺらなカードにはかなりの情報が蓄積され、失くしただけでしばらく仕事が出来なくなる。それほど大事なものなので、偽造も難しい。

 仕事をこなしレベルが上がると、提出したときに一緒にレベルの表記を書き換えてくれるのだが、シオンはそれをいちいち確認していなかった。


「まあ、それはいいんだけど……とにかく、これはオレはいいよ。他のやつ無いか?」

「この依頼が、いま小野原様にお勧めできる中で、一番良い条件のものですが」

「だったら、オレじゃなくても受けたい奴いるだろ。レベル10でいいんなら。オレだってたかが11だし」 

「流行っている」ということは、需要が高いということだ。需要が高いということは、美味しい仕事だということである。

 ここでシオンが断っても、受けたい者は多いはずだ。

「なんでわざわざオレに頼むんだ。大体、八人も面倒見ろって言うのか」

「ええ。八人パーティーですから」

「多いだろ。なんだよ、八人パーティーって。何かの討伐隊じゃあるまいし」

「何人パーティー組むのも自由ですから。そのあたりはご本人方に尋ねられてみては?」

「だから、受けねーって。人に物なんか教えられねーよ」

 あくまで断るつもりのシオンに、受付嬢は珍しく口許に微笑みを浮かべた。

「そうですか。先日来られた冒険者志望のお嬢様と、かなり親しくなさっておられましたので、あの方が無事冒険者になられたら、小野原様が色々と手ほどきされるのかと思いましたが、違いました?」

「は……はぁ?」

 思わぬことを言われ、シオンはつい間抜けな声を上げてしまった。

 眼鏡をかけた受付嬢が、にこりと笑う。

「浅羽様でしたね。あのとき、私が受付したんです。かなり焦ってパーティー募集まで考えていらっしゃったので、個人的に心配になってご忠告させていただいたりもしたんですけど、どうも小野原様のお連れ様のようでしたので、それなら安心かと思いまして」

「いや、知り合いで、たまたま会ったんだよ……。別に、パーティーってわけじゃない」

「そうですか」

 どうにもあっさりした受付嬢は、それでその話をやめた。

「ですがこの依頼は本当に、小野原様にこそピッタリな依頼なんですよ。小野原様に受けて頂ければ、依頼者もご安心なさるでしょうし。何しろ、先日《北関東採石場跡》の事件で、元凶となったガルムを討伐したパーティーのお一人ですから」

「別に関係ないだろ」

「あら。ございますよ。そもそも、初心者パーティーの引率依頼が急激に増えたのは、あの事件からなんです」


 駆け出し冒険者達には、先日《北関東採石場跡》で起きたガルム事件が、相当に衝撃だったようだ。

 初ダンジョンでの、予期せぬ強敵との遭遇。

 そして何人もの新米冒険者が喰い殺された。

 これから慣れないダンジョンに挑む彼らにとって、他人事ではない。


 どの世界にも、商売の嗅覚が優れている者というのはいる。

 とある冒険者が、ガルム事件の顛末を知り、すぐにこれは金になると踏んだ。

 駆け出し冒険者向けの護衛依頼を、逆に募集したのだ。

 こういった仕事は、今までも皆無ではなかったが、それほど需要は無かった。

 だが、今回はタイミングが良かった。

 ガルム事件に怯えていた初心者冒険者が、これに殺到した。

 高い金を払ってでも、引率者を雇いたい。少しでも安心感を持って、初ダンジョンに挑みたい。人間の冒険者には、心配する家族からの依頼も多くあった。

 そうした波に、多くの熟練冒険者も乗っかった。

 護衛を頼む者と、受ける者、どちらからも大量の募集がかかった。

 この春、もっとも流行っている仕事となったのである。


「でもこれ……けっこう、高いよな」

 報酬額を見て、シオンは言った。

「それは依頼者側の問題ですから。それだけ出したいというだけでしょう」

 これが相場なら、確かにボロいかもしれない。

 話を聞いていると、初心者パーティーにくっついて行って、比較的楽なダンジョンに潜るだけ。そういったダンジョンなら、危険なモンスターも出ない。

 そもそも、いきなりガルムのような魔獣が出るほうが珍しい。

「ダンジョンって言っても、そんなに危ないところに行きたいわけじゃないんだろ?」

「そうですね。依頼者がダンジョンを指定される場合は、ダンジョンによっても相場は変わりますけれど。今回の期日は、できれば日帰り、もしくは二日以内で、その範囲内で比較的安全なダンジョン、ですね。モンスターは多少居たほうが良いみたいですが」

「採石場?」

「流石に、いま不人気ですね。先ほど言ったような大雑把なご希望だったので、こちらで具体的にお勧めしたのは、神奈川県の《ブリリアントヒル・ホテル》、茨城県の《マリンライト鉱山》《白廃墟》、埼玉県の《緑洞》あたりですね」

「《白廃墟》は、オレだけならダメだ。パーティーに霊媒士シャーマンいるのか?」

「おりませんね」

「じゃあパスだな。探索が夜にずれ込んだら面倒になる」

「小野原様ならそうおっしゃるとは思いました。昼なら充分安全ですけど」

「何があるか分からないだろ」

「それ以外なら?」

「問題ない」

「では、そのように」

 と受付嬢が言い、はっとシオンは気付いた。うっかり彼女のペースに巻き込まれていた。

「いや、待て。受けるとは言ってない」

「あら。途中から乗っておられたので、てっきり」

「それは悪かった。でも、他に受ける奴がいるなら、そっちに回してやってくれよ。報酬もいいし、腕のいい奴がいくらでもいるだろ」

「ええ。ですが、事情がありまして」

 かけていた眼鏡のふちを指で押し上げ、冷静な受付嬢は手許の資料らしきものに視線を落とした。少し、声をひそめ、言う。

「いかにも亜人という方は、遠慮していただきたいという条件でして」

 その言葉に、シオンは耳と尻尾を動かしながら、顔をしかめた。

「……オレはいかにも亜人じゃねーのか?」

「耳と尻尾くらいなら許容内でしょう」

 なにげに失礼なことを言う。しかし彼女はシオンをバカにしているわけではなく、客観的な事実を述べているだけである。

 たしかにシオンは、亜人の中では人に近い外見ではある。

 帽子を被って耳を隠し、ズボンからわざわざ尻尾を出さなければ、間違いなく人間の少年に見える。

「……これを、オレが受けたとして、耳と尻尾を隠していけって言うのか?」

「いえ、そんなことは言いませんよ。受けていただければ、依頼者に小野原様がワーキャットであることは告げますし、それで依頼者が嫌だとおっしゃられたときには、小野原様には責任持ってすぐに別の仕事を探します。しかし、ガルム討伐をされた方ですから、おそらく信頼されると思いますよ」

「そんなんでいいのか?」

 シオンは困惑したが、彼女の言うことも、一理ある。同じワーキャットでも、人間の顔を持つワーキャットと、猫の頭を持つワーキャットでは、姿が自分たちに近いほうに親しみを持つだろう。

 別に、見た目が人間とかけ離れていないことと、性格の穏やかさは、特に比例しない。が、それはあくまで正論であって、受付嬢が言うのは感情の問題である。

 一緒にガルムを倒した鷲尾や笹岡や犬井のことをシオンは思い出した。彼らも見かけはいかにも亜人だが、自分より腕は立つし、探索慣れもしていた。一番人間っぽい、というだけで、シオンのほうが人間に信頼されるというのなら、不可解な話である。

 今回はたまたま亜人不可だが、彼らもこんな依頼を勧められているのかもしれない。経験豊富な彼らなら、しっかりこなしてみせるだろうが。


「オレには、つとまらないと思う」

「そうでしょうか?」

「何をやったらいいのか、分からない。オレはずっとソロだったから、パーティーでの戦い方はあまり経験していないし」

「探索の基本だけ教えれば良いと思いますよ。最初から熟達した連携なんて教えてもどうせ分かりません。その辺りのイロハは学校で習ったでしょうし」

 そんなこと受付嬢が言っていいのか、と思うほど、はっきりと言いきる。

「それこそ何年も学校に通ったんなら、最低限のことは一応は分かってるはずだよな。そんな奴らに、何を教えるんだ?」

「かもしれませんが、あくまで、学校の話ですから。学校の演習で行くダンジョンは限られていますからね。ですから若い方の場合、たいていご家族が依頼者なんです。本人たちはやれると思っていても、やはり実戦となると、もう先生もいらっしゃいませんから、ご家族はご不安なんでしょう」

「はあ……。だったら、なんでそもそも冒険者にするんだ?」

「それは、子供の夢は応援したいと思うんじゃないですか?」

 分かるような、分からないような気がするのは、多分、桜が強すぎたせいだ。父もさほど心配していなかった。学校なんてさっさと辞め、初ダンジョンで大量のゴブリンを血祭りに上げてくる初心者は、例外としてみるべきだ。自分の感覚までおかしくなる。

 シオンは自分を月並みの冒険者だと思うが、いきなりダンジョンに潜ろうなんて考えもしなかった。初仕事はキノコを採りに行ったのだ。

「人間の親というものは、一般的に亜人の方々に比べれば、過保護ですから。ようは、気持ちの問題なんでしょうね。初ダンジョンで、出来ることなんてそう多くありません。私の考えですけど、依頼をされる方は、自信を付けたいのだと思います。私は、小野原様なら、根気強く彼らに付き合っていただけると思いますし、実際にガルムを倒した冒険者ということで、依頼者もかなり安心できるでしょう。なによりこちらが信用しておりますので」

「でもなあ……」

 どうしても乗り気になれないシオンだったが、その様子に受付嬢はむしろ柔らかい目を向けた。

「……そうやって、真面目に考えてくださるから、小野原様は安心できるんですよ。腕が良ければ誰でも良いというわけでもないので、こちらとしても慎重になっているんです」

「どういうことだ?」

 受付嬢は、少し疲れたように小さく息をつくと、いっそう小声で言った。

「ようは、駆け出しをぞろぞろ引き連れ、初心者向けダンジョンに潜ればいいというだけの話なのだろうと、そのぐらいの感覚でこの仕事をやりたがる方が多いんです」

 聞けば、教える側の冒険者と初心者の間でのトラブルも、すでに何件か発生しているらしい。

「おもに、教える側の問題なんですけどね」

 依頼を受ける側の冒険者が、初心者をなめてかかっているという。

 そこは、シオンも気になっていた部分だ。


 特に目的が無いのなら、ネットで散々マップが出回っているような有名ダンジョンを、それこそ行って帰るだけになるのではないだろうか。

 でも、依頼者が安全なダンジョンを希望したのなら、仕方無い気もする。

 依頼者の満足度で、依頼を達成とするのなら、どこまでやればいいのかちょっと分かりづらい。そもそもこっちはインストラクターではないのだ。

 これを依頼者側の立場で考えると、受けたからにはそれなりの仕事をしろ、という言い分もあるだろう。これも分かる。


「依頼者と受ける側のトラブルも多く、酷いケースではダンジョン内に置き去りにしてきたというケースもあります。もちろんそういった悪質な冒険者にはペナルティはありますが……」

 適当にダンジョンに潜って、はい終わり、なんて内容では、当然安くない報酬を払う依頼者は不満を持つ。中には、協会に訴えると言うと、腕の立つ冒険者から余計なことは言いふらすなと、脅されたりもしたらしい。

「特に初心者の人間パーティーと、ベテランの亜人冒険者の間では、トラブルが発生しやすいんです」

 受付嬢は、なおも溜息まじりに言った。

「これは人間側に差別意識や、実際にそういった態度、発言があったという亜人側の主張もあります。実際、中の様子は分からないので、確認のしようもありませんが……まあ、少なからずあるようですね」

 話しながら何か書類を作り出した。手許でボールペンをせわしなく動かしている。

「いま、人間の若者の間で、冒険者は憧れの職業になってるんです。ロマンがある、かっこいいから、一攫千金を狙える、そういう認識の方も多いのは、事実でしょう。一方で亜人の方々は多くが生活のために冒険者になる。そのあたりの認識の違いでしょうか。人間の、特に若者は、冒険者をなめてかかっていると思われてしまうんでしょうね。もちろん依頼者側に問題があることもあります。しかし、どんな人物でも依頼者は依頼者です。いい加減な仕事をしたり、ましてや置き去りにするなんて、論外です」

 センターのほうでも色々と苦労はあるのだろう。いつも感心するほど事務的なやり取りを徹底している彼女たちだが、その言い方には珍しく棘があった。

「ですから、小野原様に受けていただけたら、安心なんですけど」

 ボールペンを動かすのを止め、受付嬢がシオンににこりと微笑みかけた。

 紅子の言葉ではないが、たしかに自分は――少なくともこの受付嬢には、それなりに信頼してもらっているようだ。

 内心で、シオンは損得をはかりにかけてみた。

 損はほとんどないはずだ。あるとしたら、自分は口下手で、人に物を教えられるかという自信がないというだけだ。しかもそれはどうやらシオンの考えすぎで、そんな素晴らしい講義などセンターも期待しておらず、ただダンジョン探索に付いて行ってやれば良いらしい。

 人間の若者の集団が苦手、というのもあるが、仕事を嫌がるほどの理由ではない。というより、いい加減吹っ切るべきだと、シオン自身思っている。

 センターの顔もあまり潰したくない。覚えがめでたければ、今後も優先的に割りの良い仕事を回してくれるかもしれない。


 それに、初心者冒険者と聞いたときから、紅子のことが真っ先に思い浮かんだ。

 彼女も、冒険者になったら、初めての仕事に挑むだろう。

 正直言って、シオンはそのことがかなり不安だった。


 ――ついて行ってやったほうが、いいかもしれない。


 実際パーティーを組むという話ではなく、それこそ引率という意味で、そう考えたのだ。

 彼女がそれを望むかは別としてだが。

 でも、もし彼女が受け入れたら、今回の依頼は、シオンにとっても勉強になるかもしれない。

 予行演習と言ったら、今回の依頼者には悪いが。


「分かった。やるよ」

「ありがとうございます。実はお話しながら、もう書類を作っていました」

 書類をシオンに向けながら、受付嬢は悪びれもせず、満面の笑みを向けた。






 その晩、シオンは紅子の携帯電話にメールを送った。

 メールを打つなんて久々だ。

『今週の土曜日、ダンジョンに潜る。一日で帰るけど、その日は夜まで連絡つかないから、何か用があったら、それ以降に頼む』

 なんだか変な文面だ、と自分でも思った。それに、これは果たしてわざわざ連絡するようなことだろうか? と迷ったが、送信した。


 すると、すぐに返事があった。


『がんばってね! 私に言われるまでもないと思うけど、どうか体に気をつけて、無事に戻って来てください! 私も先日、リサイクルショップで目をつけてた、すっごくかわいい杖を買いました! 冒険者の認定はまだ下りてないけど、くよくよ悩んでもしかたないよね。貯めてたバイト代で、前から欲しかったものを買いました! これで少しでも魔法の練習をしておきます!』


 ……杖?

 メールを読んだシオンは顔をしかめた。

 いや、もちろん必要なものだろう。ソーサラーにとって、ファイターの武器と同じだ。魔石をはめ込んだ杖は、ソーサラーの魔力を高め、制御を助けるのになくてはならない。

 しかし初心者の彼女が一体、リサイクルショップでどんな杖を購入したのか、不安に思った。

 とはいえシオンも魔法は門外漢なので、深くは追求しないことにした。


 これはのちに後悔することになるのだが、それはまだ少し後の話になる。

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