妹尾家の客人
「なんでじゃ!」
戦闘が終わって、キキはずっと地団駄を踏んでいた。
「四匹も! いたのに! 一匹も倒せないんだよお!」
「倒したぞ、私が三匹で、リーダーが一匹」
「ちがーう! あたしが倒したかったの!」
「オーガって一匹とは数えないんじゃないの? 戦わずに済んで良かったと感謝しなよ。僕はしてるよ」
「ハイジはゴースト相手なら活躍出来るじゃん! あたしは妹尾一族のリザードプリンセスなのに! 戦いで活躍出来ませんでしたじゃみっともないもん! 海からなんかあんま活躍出来てないしさぁ……! この興奮どこにやったらいいんだよお!」
「戦闘狂め。恐ろしい子供だな」
蒼兵衛の腹をどすどすと殴りつけながら、キキが怒鳴り散らしている。電話をしているときは静かにしてほしい。
「……はい、負傷者無しです。これから帰宅します。はい。後はお願いします」
冒険者センターへ討伐完了の連絡を済ませ、シオンは息をついた。
キキのことは頼りにしているが、自分の思うようにならなかったときのワガママは相変わらずだ。
「キキは前衛じゃないだろ。銃で後衛も出来るんだ。後衛を守りつつサポートするのが役割だ」
「まあ、適材適所だね。普通にメインアタッカーは蒼兵衛だよね」
「なんでじゃあ!」
「いや、シンプルに一番強いから」
「ぐっ……!」
「強くて格好良くてすまんな……ワニ子」
「うるせええ! めっちゃ腹立つ……!」
ウギギギギとキキが奇妙な歯ぎしりをする。戦闘に関してリザードマン戦士のプライドというものがあるらしく、蒼兵衛をやたらとライバル視する。千葉での戦闘で蒼兵衛がスキュラを一人で倒したという話を聞いて以来、余計悔しかったようだ。
「しょうがないよ、大型モンスターを一人で倒せる奴なんて、そういないし。鯛介だって、スキュラを一人でなんて倒せないよ」
悪いと思ったのか、ハイジが宥めた。
「サクラなら!?」
「サクラは……倒せるんじゃないかな」
「そこも気遣ってよぉ! あたしはつまりサムやサクラより弱いってことじゃん!」
「いいじゃないか、お前は家が強いんだ」
蒼兵衛がポンとキキの肩を叩く。
「蒼兵衛さんなんて強さ以外には何も無いんだぞ。こころちゃんを手に入れてから、斬牙の女の子すら気味悪がるし」
「へえ、なにか霊障あった?」
ハイジが興味深そうに尋ねる。ちょっとワクワクしてるように見えたのは気のせいだろうか。
「うむ。霊感のある子が私と話すと、斬られる夢を見るらしい」
「呪われてるじゃねーか……」
はぁ、とシオンは再び息を吐いた。
「もういいだろ、キキ。お前はリザードマンだから、役割が違うだろ?」
リザードマンは強力な前衛で、攻撃力も防御力も高い。集団戦闘では敵の攻撃を受け、パーティーを守る、盾役を担うことがほとんどだ。
が、キキの場合はリザードマンといっても体格は小さな人間の少女と変わりない。同じような活躍は難しい。だから祖父母も銃を習わせたのだろう。
現状では、シオンが盾役をやっている。ただ、攻撃は受けられないので、避けながら敵視を引き付けるというスタイルだ。回避盾などとも呼ばれるが、持久力にも欠けるため、前衛はやはり大型亜人のほうが安定感がある。なので討伐専門パーティーでリザードマンの人気は高く、引っ張りだこだ。
そんなリザードマン一族の中にあり、一族の長の血筋であるキキは、子供でも並々ならぬプライドを持っている。
「キキらしく戦えばいいだろ。お前の小ささは探索で便利だし、素早さもあるし、そもそも別に弱くはないだろ」
「そうだね。キキの頑丈さはやっぱりリザードマンだよ」
「うむ。蒼兵衛さんに射程では勝ってるぞ。おじいちゃんのお金で買った弾丸も強いし、どんな獲物にも噛みついていく狂暴さも顎の強さも私には無いものだ」
「ううー……」
みんなに慰められても、キキの機嫌は治らなかった。元々戦闘で興奮しやすいタイプだが、今日はあまりにしつこい。
(もしかして、こういうのも狂戦士症のせいのなのか?)
そうシオンは思い、キキが背中に背負っているおじいちゃん人形の音声スイッチを押してみた。
『キキちゃん、落ち着くんじゃー』
「落ち着くかぁ!」
駄目だった。
「分かった。また今度、お前が得意そうな討伐任務を受けよう。とりあえず、今日はもう帰ろう」
「ウウウウ……!」
頭を撫でようかと思ったが、噛みつかれそうだったのでやめた。戦いもないのに興奮されては困る。まだキキが人語を話せているうちに、撤収することにした。
「オーガくらいでこんなに気が立つなんて、珍しいね」
「そうだな……」
ハイジの言葉に、シオンも同じことを思っていたので、辺りを見回した。しかし、別のモンスターが近くにいる気配はない。
前にも、山で腹を立てて逃げ出したことがある。トロルのとろおに会ったときだ。あのときも狂暴化した。
「何もいないみたいなんだけどな……」
「このあたりも幾つも人気の無いダンジョンがあるからな。何か変わったモンスターでも棲みついていて、ワニ子には分かるのかもしれん」
蒼兵衛が言った。それも一理ありそうだ。
「紅子がいると、そういうものも寄ってきそうなものだが」
「今日のところは、闇雲に深追いしても仕方ないよ。ダンジョンにまで潜る準備はしていないし」
ハイジの言うことはもっともなので、シオンは頷いた。
「キキ、帰ろう」
「ウウウ……」
まだ唸っている。国重さんに相談しておいたほうがいいな、とシオンは思いつつ、キキの頭をぽんぽんと撫でた。
帰りは地元の猟友会が車を出してくれた。こうした討伐任務だと、地元の人間がバックアップをしてくれることも多い。
「――助かったよ。オーガがいるなんて、気づいてなかったからね。トロルはたまにいるんだが、このへんのは大人しくてね。人里とは距離を保っているから、なんとか共存は出来てるんだ」
竜胆くらいの年齢の男が、ミニバンを運転しながらしきりに感謝を述べていた。
「オーガはほとんど出なかったんだけどね。最近はゴブリンが妙に増えたからかもしれん。あの廃村も、あまりにモンスターがわくから十年以上前に住民が避難したんだ」
「いつの間にか湧き場になっていたのか」
蒼兵衛は鞘に収めた妖刀を抱えている。モンスターがよく湧く地域では、下山までは装備を解除しない。妖刀を嫌がって、キキは離れて座っている。興奮は徐々に治まっているようだ。
「とろお、もう元気かなぁ」
「今度、また会いに行ってみよう。あのあたり、悪くなさそうなダンジョンがいっぱいあるって透哉さんも言ってたしな」
「行く行く!」
山を降りてようやく落ち着いたのか、機嫌を直したキキが両手を上げた。
「りんごいーっぱい持って行ってやろっと!」
「トロル? そういう餌付けって、して大丈夫なの?」
ハイジが懐疑的に尋ねる。
「とろおはいいトロルだから大丈夫! 森の賢者殿も元気かなぁ」
「森の賢者……?」
「山で会った羊亜人だ。世話になったんだ」
とシオンが説明した。
「へえ、フォーンって珍しいね」
「ガルーダも珍しくないか?」
蒼兵衛の言葉はもっともだ。
「フォーンかぁ、懐かしいね。昔はここらにもフォーンが住んでたよ」
運転手の男が言った。
「ここらじゃ森のフォーンは賢人様だって昔から言われてて、尊敬されてたんだ。俺が子供のときに、最後までいたフォーンのじいさんが亡くなってからは一人もいなくなってしまったけどね……」
羊亜人、馬亜人、鳥亜人、蛇亜人などの稀少な亜人種も、昔は今よりずっと数がいて、各地に集落があったと竜胆から習ったことがある。
彼らは人間との関わりを最小限にしつつも、一部地域では互いを尊重し、その土地の他種族と共存していた。そして交流の見返りに、その知恵や魔力や霊力を使ってくれた。
しかしいずれも他の亜人種より繁殖力が低く、特に蛇亜人、馬亜人は独特の生態を持っており、今ではごく限られた地域でしか暮らしていない。
「モンスターの避け方や、近づいちゃいけないダンジョンの特徴とか、森のことをよく教えてくれたよ。昔は皆、じいさんの教えに倣って、冒険者や漁師になったもんだが、そういうことを教えてくれる人もいなくなって、なり手も減って、森やダンジョンの管理も手が行き渡らなくなってさ。珍しい話じゃないけど、ああして棄てた村にはすぐにゴブリンやオーガが棲みついちまう」
そういった話は、シオンが子供の頃からよくニュースで問題になっている。ベテラン冒険者の仕事も、探索よりも駆除がメインになりつつある。
「フォーンのじいさんは、優しかったよ」
懐かしむ運転手の言葉に、シュンのことをシオンは思い出した。フォーンはもっとも心優しい種族とも言われるほど、温厚で、他種族にも親切だ。
「不思議と、じいさんには行っちゃいけないダンジョンとかが分かるんだ。そこには珍しいおっかないモンスターがいたりしてな。でもじいさんは、ただの魔物はまだいいって言ってたよ。怖いのは稀人だからって」
「まれびと?」
「フォーンはそう言うって言ってたよ。魔物みたいな、でももっと異質なものだってな。ゴーストのことかって訊いたら、それとも少し違う。だから稀人って呼ぶんだと。なんか、よその世界から来たものとか、そんな意味らしい。そういうのが、たまにいるんだと」
「その言葉が誤解されて、人間がフォーン自体をそう呼ぶこともあるけどね」
ハイジが言った。
「昔は、彼ら自体が異質だと思われていたんだよ。どこに危ない魔物がいるとか、狩りはいつしたらいいとか、まるで予言者のようだってね。畏怖され、時に異端視されてね。でも本来の意味は違うんだけど」
「ああ、そんなふうにじいさんも言ってた」
男が頷く。
「なんか、山とかでさ、時々、何かに見られてたりするような気がするようなことがあるだろ? そういうのは、稀人が見てるかもしれないから、すぐに離れろってね」
「たしかに、山には神様がいるとか言うが」
蒼兵衛の言葉に、男は妙に神妙に首を振った。
「そんなとも違うらしい。じいさんの言うことがマジに怖くて、俺らも気をつけてたよ。でも急になんか感じるって、ハンターを辞める奴もけっこういたな。でもそう感じて辞められるのも、じいさんのお陰かもな。深入りすんなってことなんだろう。無理してまで危険な場所に住むことはないんだ。あの廃村もさ。人には人の、そうじゃないモンにはそっちの領域があるんだって、いつもじいさんは言ってたよ」
男が教えてくれたフォーンの言葉が、妙に印象に残った。
人には人の、そうではないものにはそうではないものの領域がある。
だとしたら、ダンジョンに巣食う者たちも、自分の領域を必死に守っているだけなんだろうか。
最寄り駅まで送ってもらうつもりが、新宿まで送ってくれた。車でも二時間以上かかるのでさすがに断ったのだが、それだけの仕事をしてくれたからと言われた。
「本当に、討伐に来てくれる冒険者も減ったんだよ。冒険者が好きな、大したダンジョンも無いからさ」
そう言って、本当に感謝しているようだった。人の少ない山奥では、危険モンスターの増加が深刻な問題になっているのだ。
討伐任務は探索に比べて依頼を受けられる冒険者が限られている。理由は単純に、命をかけた危険な肉体労働だからだ。
アウトドア好きが高じて冒険者になる者は少なくないが、討伐となるとそれなりに戦闘訓練が必要だ。冒険者なら誰でも出来るという仕事ではない。
しかし需要はあり、安定した稼ぎになるので、戦闘力に自信のある者は討伐専門のパーティーを組んでいることが多い。シオンもソロ時代、臨時の討伐パーティーによく参加した。危険ではあるが、仕事には困らない。また、怖い者知らずの若い冒険者もよく討伐に志願する。これはこれで事故りやすく、問題もあるのだが。
本来、紅子や蒼兵衛は討伐任務パーティー向きだ。火力の高い魔道士や魔法戦士は重宝される。ハイジも貴重な対アンデッド戦闘の専門家だ。
逆に、身軽で俊敏なワーキャットの冒険者は探索向きだ。しかしシオンはある程度場数を踏んでいるので、センターも討伐任務を幾つか回してくる。
レベルも上がったので、大きな討伐にも参加出来るだろう。
「なあ、これから討伐任務も、多めに入れていかないか?」
車を降りてから、そう仲間達に切り出した。
「魔石探しではなくてか?」
「いいけど僕はアンデッド討伐以外、役に立たないよ」
「さっき暴れたから、キキちゃんに気を遣ってんの?」
「いや、この前、浅羽が倒したシーサーペントの体の中に魔石があったから。あんなふうにモンスターが魔石を飲み込むことはたまにあるだろ?」
「たしかに、魔石を集める性質のモンスターもいるね」
千葉では、天候が荒れ、潮の流れに乗って、レアモンスターのスキュラがアクアリアの沿岸まで近づいた。そのスキュラに追い立てられるように、普段なら遠洋にいるシーサーペントも近海に入り込んだ。
「あれ、偶然じゃないと思うんだ。浅羽は魔力がすごく強いから、モンスターを引き寄せる。特に魔石を飲み込んだやつなら、浅羽が近くに来たら分かるんじゃないか。前に、浅羽が言ってた。近くにいけば分かるって」
時折、紅子は不思議な雰囲気になる。そのときに言った。魔石の近くにいけばその存在が分かると。それは、魔石のほうもそうなんじゃないか。
「スキュラのほうが強いから、普通なら追われたシーサーペントのほうが先にアクアリアに接近してるはずだ。でも、あのとき浅羽がいたからなのか、シーサーペントはずっと沖にとどまってた」
「結果としては良かったな。こちらではスキュラだけでけっこう手を焼いていたからな」
蒼兵衛が言った。
「魔石自体が紅子を見つけてやって来てくれるなら、そのほうが楽ではあるけどね」
ハイジの言葉に、シオンは頷いた。
「浅羽が魔石を見つけるんじゃなくて、魔石のほうが浅羽を見つけるのかもしれない。でも、モンスターには行動圏がある。多分、浅羽がかなり近づかないと、駄目なんだと思う。あのときは天候と、スキュラに追い立てられたから、シーサーペントはよりアクアリアに近づけたんだろう」
「なるほど、紅子が街で暮らす限り、モンスターの行動圏内にいるとは言えんからな。今までの紅子は冒険者ではなかったから、魔石を持つ魔物を刺激することなく、魔石も見つからなかったというわけか」
感心したように蒼兵衛が言う。
「ならば、別に必死に探さずとも、紅子が冒険者になった時、必然と集まってくる代物だったのかもしれんな」
「んん? わざとモンスターに食べさせたりしたかもってこと?」
「その可能性もあるね」
首を傾げるキキに、ハイジが答えた。
「本当に力のある魔石は、かけらでも並みの魔石より力を持ってる。わざわざ食べさせなくてもモンスターが惹かれることは充分にあり得るけど。もし意図的に食べさせたのなら、ある意味、ただ隠すより人の手に渡りにくいだろうね。大雑把だなとは思うけど」
「それを、紅子の一族の誰かがしたってことだよね。なんか、ほんと変わってんなー紅子んちって」
「ワニ子が言うことか? だいぶ変わったご一家だが……」
「どこがだ! うちは由緒正しいリザードマン一家だよ!」
「でもある意味、紅子にだけは見つけやすい隠し方とは言えるかもしれないね、石を護らされた魔物達が無事なら、だけど」
「サクラみたいな強い冒険者にボコされちゃったかもだもんね……」
なんとなく同情するように、キキが言った。
「だがそんなこと、浅羽透哉は今まで言わなかったんだよね?」
「ああ、うん……聞いてない」
ハイジは透哉のことをいぶかしんでいるようだった。
「協力的なようで、そうでもないって感じなのかな」
たしかに、そのくらいの可能性を透哉が考えつかないとも思えない。あまりにのらりくらりとしていて、彼は本当に石を探してほしいのかと思うときはある。
でも、透哉を疑う気には何故だかなれない。何度か一緒に行動したからか、彼のことは信用していいと感じている。紅子によく似た雰囲気だからか、無意識に甘えてしまっているのかもしれない。
「元々、浅羽が石を探すのを、良く思ってないみたいだった」
「ふうん……まあいいよ。とりあえず石探しだね」
ハイジはやはり透哉を疑っているようだったが、それ以上彼については何も言わなかった。
「討伐クエストのことなら、僕は構わないよ。あえて危険なクエストに挑む方が、今までより積極的に探せるかもしれない。それには同意だ」
「ああ、パーティーの戦力も、もう充分高いと思う。協会も認めてくれるはずだ」
シオンのレベルは16。中堅冒険者の中でもかなり実力が認められているレベルだ。それにハイジのレベルと実績、紅子と蒼兵衛が倒してきた強モンスターの数も申し分ない。妹尾組やニコねこ屋などのバックアップもある。
「ただ、危険は危険だから……みんなの意見を聞きたくて」
「あたし平気。リザードマンだもん」
「私も平気だぞ。こころちゃんに血を吸わせなくてはな」
「魅入られてない? さっきも言ったが僕もいいよ。討伐パーティーのほうが慣れてるし」
予想は出来ていたが、みんなあっさり賛成してくれた。こういうときは本当に、頼もしくて、ありがたい。
「それじゃ、討伐パーティーとして登録しておく。みんな、ありがとう」
駅にはすでに妹尾組の車がキキを迎えに来ていた。
みんな一緒に送ってやると言われたが、埼玉の実家に帰る蒼兵衛は逆方向だからと電車で帰り、ハイジもいつも通りタクシーで帰った。
近場に住んでいるシオンも電車で良かったのだが、断る理由も特になく、キキの様子も気になったので、車に乗せてもらった。
「今度、タズサが遊びに来るって言ったじゃん」
おじいちゃん人形を膝に乗せ、そんなことを話すキキは、もうすっかり機嫌を直している。
「ああ」
「タズサ、冒険者センター行きたいって言ってたから、案内してやってよ」
「え? 冒険者センター? なんでだ?」
「タズサは冒険者になりたいんだよ。キキが登録してるとこ行きたいって。社会科見学だと思ってさあ。新宿冒険者センターなら詳しいっしょ?」
「別に詳しくは……まあいいけど」
「タズサ喜ぶよ。リノと会うのも楽しみにしてるし。同じ歳のマーマンとしか遊んだことないからって。まあキキはアイツらよりお姉さんだけどね」
「同じ歳か……あ」
「ん?」
「都合ついたら、もう一人増えてもいいか?」
「いーけど、紅子は忙しいから無理だよ? ハイジには普通にやだって言われたし。原宿大嫌いなんだって。あと笹岡はやだよ。うるせーから」
「笹岡はオレも嫌いだ」
「えっ、そうだったの?」
「間違えた。嫌いなのは原宿だ」
「嘘だろ……間違えんなよ……笹岡かわいそうだろ。いいよ、苦手なら蒼兵衛と二人でそのへんでお茶してて」
「それもちょっと……あ、駅まででいいです」
いつも運転手をしている黒リザードマンに声をかける。
「はいよ」
「家までじゃなくていーの?」
キキがぶらぶらと足を動かしながら尋ねる。
「ああ。コンビニでメシ買って帰るから」
「しょぼ……自炊しなよー」
「練習はしてる」
「おにぎり?」
「だけじゃなくて……野菜炒めたりとか」
「まじ? 今度食べさせてよ」
「嫌だ」
何を作っても、絶対からかわれるに決まっている。
「じゃあさ、たまにはキキんち来たら?」
「なんで?」
「ご飯くらい出したげるし、お風呂広いし、お布団フカフカだよ? 明日センターに報告しに行くんでしょ? 車で送ってやるし。あたしも行くし」
「でも何の準備もしてないし」
「何の準備よ。そのままでいーじゃん。キキんちよくおじいちゃんとこにお客さんくるからいつだって新品の着替えあるし、新品のパンツだってあるよ。あ、リザードマンサイズじゃないよ。色んな種族の人来るからさ」
「でも泥だらけだし」
「でもでもうるさいなぁ。洗濯もしてくれるって。たまにはそーしなよ。よし、決まり! このままうち行って!」
「はいよ」
シオンは何も返事していないのだが、運転手のリザードマンが勝手に頷いた。
行くのはいいのだが、キキの家ではかなりの量の食事が出る。仕事の後は軽くしか食べないので、紅子がいないことがこんなに心細いことは無かった。
妹尾家は、相変わらずの大邸宅だった。敷地だけでショッピングモールくらいの規模はある。家族だけでなく、大勢の住み込みのリザードマンが住んでいるらしい。
「おお、シオンさん! ご無沙汰しております! どうぞどうぞ! ムサ苦しいところですが!」
着物姿の恰幅の良い老リザードマンが出迎えてくれた。キキの祖父の妹尾国重だ。川崎一帯のリザードマンの長であり、見事な銀燐と他のリザードマンより一回り以上の大きな体躯で、老いていても見た目の貫禄は凄まじい。この重鎮がリザードマンの若衆をぞろぞろと連れて歩いている姿は、誰でも道を開けてしまう。
その国重が、屋敷の門のところでそわそわと待っていた。そんな彼の許へ、車を降りたキキがててててて、と走って行く。
「ただいまー! おじーちゃーん!」
「黄々ちゃん! 儂の黄々ちゃんは今日も元気かのう。手足はあるかのう……?」
物騒なことを言いながら、赤ん坊でも抱き上げるようにキキをひょいと抱え上げた。かなり高い位置でキキの手足がブラーンと下がる。
「全部ばっちりついてるよ」
「おお、頑張ったのう! さ、ばあさんが御馳走を用意しておる。いっぱい食べるんじゃよ」
鋭い牙の並んだ口を開け、小さなキキに頬ずりしていると、傍目には食べられているようにも見える。リザードマンの鱗はかなり硬いはずだが、平然としているキキの肌も、多分人間と同じようで強度が全然違う。
「シオンさんもどうぞお気兼ねなさらず。どうぞ我が家のようにくつろいでくだされ」
「急にすみません。お世話になります」
頭を下げると、国重はがははと笑った。
「いやいや、そんなかしこまらずに。今日は他に客人もおりますが、是非シオンさんに紹介させていただきたい」
「客?」
「シオンさんは、初めてお会いになるかもしれませんなあ」
「……はあ」
国重は機嫌良さそうに笑っているが、何のことか分からないシオンはぼんやりとした返事しか出来なかった。妹尾家の客人に、シオンが会ったことがあるはずもない。
「おじいちゃんの友達?」
「そうじゃよ。出雲の白神さんが来とるんじゃよ」
キキを肩に乗せたまま、のしのしと歩いて行く。腰が悪くなったとキキに聞いたが、いつまでも孫娘は抱えていたいらしい。
門から屋敷に辿り着くまでが遠い。よく手入れされた広い庭園は、夜は柔らかいオレンジの光でライトアップされ美しく浮かび上がっていて、歩いているだけでけっこう楽しい。「うちの庭。なんとか文化財なんだよ」とキキが説明になっていない説明をする。
「紅葉の時期には、観光客も来ますのう」
「え、入れるのか?」
「ええ。時期によって開放しておりますぞ」
自宅に観光客が来るとは、さすがスケールが違う。キキが自分をプリンセスと言うのもあながち勘違いではない。
「あ、ポチコロ見る?」
「え?」
「黒犬のポチとコロ。埼玉の廃墟ホテルのダンジョンで、シオンが助けてやったじゃん」
「ああ……ヒュウガの」
「おじいちゃんにすごく懐いてるよー」
広大な庭に犬舎が建てられ、そこで飼っているらしい。中々豪勢な暮らしをしているようだ。行ってみると、犬舎はシオンの部屋より広かった。
「おお、ポチにコロや。客人じゃよ」
犬舎にずんずんと入って行った国重の声に反応したのか、二頭の黒い犬がすぐさま走って来て、国重の足許でぺたりと体を伏せた。
「あれ、ビビってるんじゃないか?」
「すごく打ち解けてるよ。最初におじいちゃん見て、すぐにお腹見せてたんだよ」
「それって降伏のポーズじゃ……」
「おじいちゃんの言うことなら何でも聞くんだよー」
「おお、ポチや、お手じゃ」
国重が命令する前に、ポチ(見た目が同じなので外見での判別は難しい)はすでに体を起こし、見たことない速さでお手をこなした。
「すごい反応速度だな……」
完全に屈している。
まあブラックドッグからすれば、国重のような大柄のリザードマンの前では、竜を目の前にした人間と変わらないだろう。圧倒的な強者で、敵うわけもない相手だ。
当の国重は、よしよしとポチとコロを撫でている。
「専門の魔犬トレーナーについてもらって、訓練中でしてのう。すでに戦闘訓練などはしっかり受けていたようで、飲み込みは早いらしくてのう。前に主人がいた場合、中々懐くことがなかったりするそうですが、こいつらはそうでもなかったですなあ。大人しいもんです」
リザードマンに囲まれたら誰でもそうなるのでは……とシオンは思ったが、空気を読んで言わなかった。
「探索犬になれれば、黄々ちゃんの冒険の役にも立つかと思いましてな」
「ポチコロ、キキには懐いてないからなー。おばあちゃんの言うことは聞くのに」
純粋なリザードマン相手にはそうなるだろう。キキの見た目は人間の子供でしかない。ポチとコロは、キキからリザードマンらしさを感じてはいないということだ。
「ほれ、お前らの恩人のシオンさんじゃよ」
「いや、最初は普通に倒そうとしてたし……なりゆきというか……」
国重が犬達に促すと、シオンは苦笑した。なんならシオンに気付いて牙を剥くかもしれないと思ったが、二頭のブラックドッグはシオンの傍にゆっくりと歩いてきて、ちょこんと座った。と言っても、キキくらいのサイズはある。
「訓練士の先生が、魔犬は知能が高く、恩義も深く感じると言っておりましたぞ」
「恩義?」
「助けてもらったことが、分かるんでしょう」
「そうなのかな……」
「撫でてやると喜びますぞ」
そう言われ、シオンはブラックドッグ達の頭を、一頭ずつ撫でてみた。牙を剥かれたり、噛まれたりすることはなく、大人しいものだった。国重がいたからかもしれないが。
「ほらね、助けてもらったこと覚えてんだよ」
「そんなこと、覚えてるものなのか?」
「犬って賢いじゃん。匂いで誰か分かるみたいだし」
「確かに、探索犬でよく見るな」
トロルのとろおの事件でも、シュンが飼っていた魔犬達に世話になった。彼らも主人の命令にしっかり従っていた。
「シオンも犬飼えば? 探索犬」
「うちのどこで飼うんだよ。訓練とか無理だし」
「猫だもんね……んじゃさ、探索出来るようになったら、ポチコロも連れて行ってやってよ」
「そうだな。頼りになりそうだ」
そう言って撫でると、まるで言葉が分かったかのように、ブラックドッグ達は尻尾を振って応えた。
妹尾家では本当に至れり尽くせりで、風呂に入っている間も若いリザードマンがやって来て背中を流そうかと言われたが、さすがにそれは断った。上がると着替えもちゃんと用意されていて、家で着るようなスウェットが置いてあり、ちゃんと尻尾穴も開いていた。本当に種族別に着替えを揃えているのだろうか。
それから国重達と一緒に食事を、と言われ、断る理由も無いので同席した。
「あれ? キキは……」
「寝ました」
膳を運んで来たリザードマン女性が答えた。
「お風呂入ってご飯食べて先に寝ました。お嬢さんはいつもそうなので」
「あいつ……」
リザードマンばかりの中、一人だけにされた。招待しておいてこれだ。
「長も奥方様もシオンさんがいらっしゃるのを楽しみにしておられましたよ。お仲間の皆様方もまた是非いらしてほしいと」
「あ……はい」
リザードマンは当たり前だが皆大柄だ。女性でも男性並みに大きな体躯を持った者が大勢いる。そして男性同様に働き者で、パワフルだ。かつて女性の一団だけで切り開いた鉱山がいくつもあるほどだ。
彼女達は古風な気質で『女は家を守る』という意識が未だに強く根付いているが、いざというときには家族や一族のために前に立って戦うことも厭わない。
キキは長になるという気持ちのほうが強そうだが、勇敢な気質はリザードマンらしいと言える。子供っぽさが抜ければ、立派なリーダーになれるだろうが、かなり先になりそうだ。
「さあさ、シオンさん、たんと食ってくだされ!」
紅子ほどには食べきれないと思っていたが、シオンの前に置かれた食事の量は、リザードマンや紅子並みではなく、一般的な人間が食べる適量だった。これなら、とシオンはほっとした。
食事の席には国重とシオンと、もう一人の客人だけだった。気を遣わせてしまったのだろうか。キキの祖母の静音もいなかった。
仕事の後は腹が減っていても疲れのほうが先にたってしまい、あまり食べないほうだが、どれも消化に良さそうなあっさりとした和食で楽に食べられた。
「あ、これ美味い……です」
混ぜご飯を食べながら思わず呟くと、茶を注いでくれながら女性が言った。
「後でおにぎりにしますよ。お腹が空いたら、夜食にでも、明日持って帰っても」
「あ……ありがとうございます……」
「朝ごはんのリクエストあったら仰ってくださいな」
「いや、特に……」
「うちはずっと和食でしたが、最近儂はパンも好きでしてのう」
と、国重が言った。キキのせいでリザードマンは魚を頭から齧るイメージしかなかった。
「特にクリームパンが好きなんですが、血糖値が少々……シオンさんは、ご飯とパンではどちらがお好みですかのう」
「あ、別にどっちでも……」
「普段はどんなものを?」
「え……キャラメルとか……」
「ほう? キャラメルがお好きでしたかのう」
「いや、たんにすぐ糖分取れると思って……」
「ほうほう、なるほど」
父親に「何食べてるの?」と聞かれて答えたら注意を受けたが、さすがに他人の国重はそこまで差し出がましいことは言ってこなかった。そのあたりは、器の大きさなのだろうか。他種族の生活にまで頓着が無いだけかもしれないが。
「ワーキャット族は、全体的に食に関心が薄い傾向にあると言いますわね」
と言ったのは、国重でなく、シオンとは別の『客人』だった。
「ほう、そうでしたかな。しかしシオンさんは人間のご立派な御父上をお持ちで、ワーキャット族とはまた少々違った生き方をされてこられておるのです」
「あら、ワーキャットハーフでいらっしゃいますの? 純血種とお見受けしましたが」
黒目の大きな瞳が、じっとシオンを見つめてきた。不躾にも感じられたが、不快では無かった。彼女の雰囲気そのものが異質なせいだ。
「あ、いや、父とは血の繋がりは無くて……」
「ああ、そうでしたの。申し訳ございません。ワーキャットは人間とのハーフも多いでしょう? わたくしの地元では純血のワーキャットのほうが珍しいんですのよ。特にあなた様は、原種に近くていらっしゃるのね」
「原種?」
「ワーキャットの祖先は、毛色が縞模様でしょう? あなた様……小野原さん? 小野原さんも、尾っぽにうっすら縞が入っておりますでしょう」
「原種に近いかは分からないけど、両親は野生の獣堕ちです。オレは赤ん坊のときに父に拾われて、人間の世界しか知らないけど」
「あら、変わった生い立ちでいらっしゃるのね」
「錫さん、シオンさんは長年研鑽を積んでおられる、大変優秀な冒険者でおられます。すでに御父上の許も離れ、立派に独り立ちしておられるのです」
国重の言葉に、スズと呼ばれた女性は、素直に感嘆の声を上げた。
「まあ。素晴らしいことですわ」
「シオンさん、ご紹介遅れましたな。こちら、白神錫さん。出雲から遥々お越しくださった、出雲ナーガ族をまとめる白神家の御令嬢でしてな」
「白神、錫と申しますわ。スズと気楽に呼んでくださいませね」
スズがたおやかに微笑む。
蛇亜人に実際会うのは初めてだ。
見た目では年齢はよく分からないが、シオンよりは年上だろう。
まるで平安時代の女性のように、長い黒髪を後ろにゆったりと流し、下のほうで軽く束ねている。その長さはゆうに腰の辺りまであった。
肌は透き通るような色白で、瞳も髪の色同様に黒い。黒目がちで幼い顔だちに見えるが、きっとシオンよりは大人だろう。
上半身はきっちりと着物を着込んでおり、そこまでは人間と変わりない。裾から下は完全に蛇だ。アイカ達スタンダード・マーメイドのように、ナーガも下半身に亜人の特徴が色濃く出る。
頭に細い鎖のアクセサリーを巻いており、額の真ん中あたりに雫型の石が一つ付いていた。氷のような石粒は、ハイジの杖についていた銀水晶に似ていた。
蛇部分はうっすらと黄色がかった白だった。肌部分は真っ白で、雪像のようだ。そして美しかった。
「妹尾一族の方々には、懇意にしていただいておりますの。本当に、言葉では言い尽くせないほどですわ」
たしか、ナーガはリザードマン以外の亜人とは交流が少ない。ガルーダのように数少なく、一部の集落にこもってひっそりと暮らしている。出雲は大規模な集落があることで有名だ。観光地として見物に行く人間もいるようだが、彼・彼女らはさほど気にせず受け入れているらしい。人間社会と完全に断絶しているわけではなく、リザードマンではなくとも地元民とは例外的に交流する。それは人間達がその土地のナーガ族を神の遣いと信じて古くから崇め奉っていたこともあり、ナーガ達にしてみれば自分達を敬ってきた人間のことはそれなりに好意的に思って、少々のことは大目に見ている、という感覚らしい。
神秘的で、ややもすると傲慢、という印象のある種族だ。
「わたくしは、出雲ナーガ族のまとめ役である、白神石英の第三子にして長女にあたりますわ。父の名代として参りました。本来、父もしくは母、せめて長兄が赴くべきところですが……」
「錫さん、そんなこたぁお気になさらんでくだされ。ちょいと事情がありましてなぁ」
と、後半の言葉はシオンに向けられたようだった。
「まあ、話は食事の後で、ゆっくりと」
どうやら国重は彼女のことで、何か話したいことがあるらしい。シオンは頷き、残りの食事に箸をつけた。
食事が終わり、給仕をしていたリザードマン達に素早く後片付けされてしまうと、国重は改まってスズにシオンを紹介した。
「シオンさんは儂が知るうちで最も信頼出来る冒険者です。幾つものダンジョンに潜って、多くの功績を上げておられます。パーティーの方々も、それはもう実力者揃いでしてな。うちの孫も末席に加えていただき、勉強させてもらっております」
妹尾一族の長にそう紹介されると、さすがに緊張する。褒め過ぎな気もしたが、違います、とも言えないので、シオンはとりあえず黙っていた。
「ええ。そういう方に、是非ともご協力いただきたいですわ」
「何を?」
思わず尋ね返してしまってから、慌てて付け加える。
「……ですか?」
スズは特に気にしたふうもない。ただゆっくりと、悲しげに目を伏せた。
「石英の五番目の子……わたくしの弟が、長らく行方不明なのです」
「弟……」
ということは、ナーガの少年ということだろうが、彼女達の姿を見る限り、自力でそう遠くに行けるとは思えない。乗り物を使えば当然目立つだろう。
「弟は名を琥珀と申します。ある日、家に帰って来なくて、それきりなのです。事故か家出か誘拐か、何も分かりません。居場所は、おそらく関東のどこかだとは突き止めているのですが」
国重も口を開いた。
「琥珀くんは、黄々と同じ歳の男の子でしてなぁ。かれこれもう二年は捜索しておるのですが……」
「二年と四ヵ月ですわ。十歳の時に行方が分からなくなって、本来ならもうすぐ十三になります。……健やかに育っていかれる黄々お嬢さんを見ていると、あの子ももうずいぶん大きくなったと思いますわ……」
スズが俯く。
「無論、儂らも捜索に協力させてもらっておるのですが、関東という以外の手がかりは掴めずでしてな」
「なんで、居場所が関東ってのは分かるんだ?」
「これですわ」
と、懐から小さな袋を取り出す。
封を開けて手のひらに転がしたのは、金とも銀ともつかない不思議な色合いの石だった。
「……魔石?」
「わたくし達、白神一族に伝わる魔石です。本来はもう少し大きな石でしたが、砕いて大きな石と幾つもの欠片に分けられたものです。大きな石は母石と呼ばれ、屋敷の本殿に。それ以外の欠片は一族の者が各々引き継ぐのです。このわたくしの石は、わたくしが生まれる前の年に亡くなった曾祖母のものですわ。これらを、各々肌身離さず身に着けているのです。弟も……もし、今も持っているのなら……いえ、持っていなくても……」
「その石がある場所が、手がかりになるかもしれない」
「はい。魔力を充分に熟成させた魔石……母石から分かたれた石同士は欠片であっても惹かれ合います。ですから、関東にあり、留まり続けているのは分かるのです」
浅羽家の魔石と同じだ。
ということは、紅子が欠片を一つ見つけたことで、より見つかりやすくなるかもしれない。
それを分かっていて、草間はいま修行を詰め込んでいるのだと気づいた。
一つをきっかけに、浅羽の石は、これからどんどん集まっていく。そういうことなのだろう。
「……どんなに強い力を持った魔石でも、文明の栄えた人の街では、石の感知能力は薄まってしまうのです。白神の魔力を蓄え続けた石は、持ち主を我ら白神一族だと認識していて、この石が、弟がこの地に居ることを、確かに示してくれているのに……」
スズの瞳から、ぽろっと雫のような涙が溢れた。
「小野原さんがもし……どこかで弟の……琥珀の手がかりに繋がりそうなものを得られたなら……どうか、ご一報お願いいたします」
袖でそっと涙を隠し、向けた瞳は強い光をたたえていた。
「もちろん、その見返りとして、白神ナーガ族は協力を惜しみませんわ。関東のナーガ集落に口利きもいたしましょう」
「関東の……」
「ナーガ族が独自に管理する特別指定ダンジョンもありますからのう。特に、ナーガが管理するダンジョンは魔素が濃く、並みの冒険者ではアタック出来ないほどですぞ」
国重が説明する。それは願っても無い申し出だ。
「ナーガ族は、魔力の強さでは亜人族随一。魔石や魔具についても我々などよりずっと頼りになりますぞ」
だから国重はシオンにスズを紹介してくれたのか。スズ達の為でもあるだろうが、魔石や桜を捜すシオンの為でもあるのだろう。
それなら利害は一致している。
「オレが出来ることなら……オレも人捜しをしてるから。一緒に情報を集められるかもしれない」
こくりととスズが頷いた。
「ありがとうございます。本当に嬉しいですわ。……正直なところ、覚悟はしております。生死は問いません。もちろん、生きていてくれたらと願ってはおりますが、生きた弟であっても、遺体であったとしても……わたくし達の許へ戻ってきてほしい……そして、父母に会わせてあげたいのです」
深々と頭を下げたナーガの女性は、しばらく顔を上げなかった。
シオンも他人事だとは思えなかった。死んでいたとしても桜を見つけたい。まして、桜のように状況がはっきりしているわけではない。忽然と居なくなったなんて、どんな気持ちなんだろう。
「これを、誓いの証に」
スズが額に着けていた細い鎖の飾りを外した。一粒の透明な石がついた、シンプルなアクセサリーだ。
「蓄魔石ですわ。わたくしが幼い頃より魔力を貯めてきました。小ぶりに見えますが、濃縮されたそれなりの力を持っています。お役立てくださいませ」
「え、それって大事なものじゃ……」
「大切なものです。だからこそ、誓いの証に相応しいでしょう? 返して頂くつもりはありません。遠慮なく、使ってくださいませね」
「でも」
「弟のこと、少しでも分かればよろしくお願いいたします」
シオンの言葉を遮り、スズはシオンの手に魔石を握らせ、その上から手を包み込むように握った。ひんやりとした手だった。
「それから、これを」
もう一つ手渡されたのは、さっきも見た小さな巾着袋だった。
「ここで小野原さんと出会えたのも何かの御縁……これは弟の石と引き合います。もし、手がかりになれば」
「これこそ大事なものじゃないのか……」
「国重おじさまより、色々と伺っておりましたわ。黄々お嬢さんが冒険者になったと、嬉しそうに話しておられました。とっても勇敢なお嬢さんでいらして」
国重のほうを見ると、照れくさそうに頭を掻いていた。きっとキキの活躍がそれなりに盛られていることだろう。
「小野原さんの話もかねがね……ですので、是非お会いしたいと思っておりましたの」
「オレに?」
「ええ。黄々お嬢さんのご活躍、とても楽しく聞かせていただきましたわ。それで、小野原さんに興味を持ちましたの。パーティーの方々も、魅力的な方ばかり。冒険活劇を聞いているようで、夢中になりましたわ。ほら、わたくし達、冒険者には向いておりませんでしょう?」
蛇の下半身を撫で、スズはクスクスと笑った。
「小野原さんは素晴らしい冒険をしていらっしゃる。そのような方は、『引き寄せ』の力があると、ナーガの言葉では言いますわ」
テンコもそんなことを言っていたような気がする。
でも、少し前までは、小さい仕事ばかりしていた。たまにダンジョンでガルムのような珍しいモンスターに出会うこともあったが。
「それは、オレの仲間のことだと思います。特別な力を持ってて、一緒にいると強いモンスターが出たりするんです」
「でも、そのような方と繋がりを持てたのは、小野原さんですわ」
にこりとスズが微笑む。
「どうかお願いいたします」
やんわりと、念を押すように言った。
「もうお部屋に戻りますわね。――わたくしの騎獣をお願いしますわ」
近くに控えたリザードマンの女性に告げる。心得ていたように、女性は頷いてすぐに出て行った。
「自分で動けますけど、わたくしたちが這うように動いては、他の種族の方は驚かれますでしょう?」
訊いてもいないことを、スズはシオンに向かってふふっと微笑みながら言った。
「幼い頃から、わたくし達は自分の騎獣を与えられ、友達や兄弟のように育ちますわ」
騎獣というと、家の中でも動きやすい魔犬が一般的だ。しかし、リザードマンに連れられ部屋の前にやって来たのは、小さめの馬に似たモンスターだった。
「え、馬?」
「麒麟ですわ」
形は馬と言うより鹿に似ている。額に一本角があり、体は鱗で覆われている。長いたてがみは美しく波打つ金色だ。
頭部は東洋竜に似ており、厳めしい顔つきをしている。かつては竜の亜種とも言われていたが、実際には麒麟という独自の種らしい。『麒麟の他に麒麟なし』という研究者の有名な言葉がある。馬や鹿や竜に似ていてるが、そうではなく、麒麟は麒麟であるということで、唯一無二だとか、孤独な存在だとかの意味で使われるらしい。シオンはそう父親から聞いたことがある。
「わたくしの妹、麒麟のペコちゃんですわ」
「ペコちゃん……」
偏見だが、ナーガに抱くイメージと、実際のネーミングセンスがあまりに違っていたので、思わず口にしてしまった。
スズは椅子に座ったまま、傍にやってきた麒麟のペコちゃんの背を撫でた。
「小ぶりに見えますでしょうけど、麒麟の肉体は強靭ですのよ」
ペコちゃんがその場に身を伏せると、スズは下半身をうねらせずるりと椅子から移動した。慣れているのかスムーズな移動で、ペコちゃんもナーガの体重などものともしない様子で、ブルルッと小さくいななきながら、すんなり立ち上がった。
ずっしりとした蛇の下半身は相当重たいだろう。それを物ともしない麒麟は、かなり頑強なモンスターだ。
しかし一番すごいのは、妹尾家の屋敷だ。リザードマンの屋敷だからこそ麒麟が歩いても充分な広さはある。
「……関東にはよく来るんですか?」
「ええ。弟のことがありますから、年に四度ほどはこちらにお世話になっておりますわ。わたくしもペコちゃんも、出雲空港から飛行機で。大型亜人専用のシートなら、わたくしも充分座れますのよ」
麒麟のペコちゃんの胴に、蛇の下半身がしゅるりと巻き付く。まるで一つの生き物になったようで、遠目から見ると馬亜人と見間違うかもしれない。
「協力の件、お任せくださいませね」
ふふ、と微笑み、スズは麒麟の首を撫でてた。それが合図なのか、麒麟がゆっくりと歩き出した。