訪問者
家に入るとまだ線香の匂いが立ち込めていた。シオンは仏壇の前に座り、蝋燭の火を一本灯し、新しく線香を上げた。
手を合わせながら、姉が死んだとはまだ思えていないのに、こうして帰ると線香を上げてしまうのが自分でも不思議だ。
線香に上げに来た夜は、どんな気持ちだったのか。
彼は、すでに桜が死んでいると思っているのだろうか。
「紫苑、晩御飯何食べたい? それとも食べに行くかい?」
顔を出した父親に、逆に尋ねる。
「夜さん……て、何しに来たんだ?」
「え? 桜に会いに来てくれたんだよ」
「命日でも無いのに?」
「仕事が一段落したから、って言ってたな」
「仕事?」
「そこまで聞いてないよ。仕事なら守秘義務もあるだろうし」
「そっか……」
「でも、真面目な子だよ。前に会った時より、随分やつれてるけど」
たしかに、記憶の中では怖そうなイメージだったが、話してみるとそんなことはなかった。やつれたからか、目つきがますます悪くなっていたが。
「今は、ソロなのか?」
「どうだろうね。腕の良い人だから、ソロでもやっていけるだろうけど。彼なら引く手数多だろうし、完全なソロってわけじゃないかもね。お姉ちゃんも冒険者になってしばらくの間は、色んな人と仕事してたからね。大きい仕事は夜くん達とばかり組むようになったけど、仕事によって違う人を入れたりもしてたし」
「違う人か……」
「お姉ちゃんも顔が広かったからね」
「父さんのほうがサクラの友達とか……人間関係には詳しいよな」
「そうだね、あの子の足取りを追って、調査もしたから」
「それ、俺にも教えてくれ」
「構わないよ」
あっさり言われ、少し驚いた。入り口に立っていた父が傍にやって来たので、向き合って座った。
「父さんは、嫌かと思った」
「桜を追うことを? 昔の君ならね。でも君はもう立派な社会人だし、情報の扱いも分かるだろう。僕と離れてから、大人と対等に仕事をしてきた。僕よりずっと、今の君のほうが冒険者だよ」
人間の年齢的にはまだ子供だけどね、と付け加えつつ、父はシオンを一人前として認めてくれているのだと分かった。働いている大人と同じように考えてくれているし、今のシオンを尊重してくれている。
「ただ、どの人も冒険者だから、調査しても足取りを追いきれなかったり、亡くなった人もいる。けど、現役の冒険者には君のほうが顔が利くだろうからね。僕としてもお願いしたいくらいだ」
「父さんが?」
「ああ。桜のことを、少しでも知れたら……今でもそう思っている。だから、協力してくれると嬉しいよ」
そう言いながら、父親の手がシオンの頭を撫でた。口では大人扱いしてくれていても、これでは子供と変わらない。でも懐かしくなって、シオンは少し笑った。
最近ずっと考えていたことを、相談してみてもいいかもしれない。
「さて、ご飯どうする? 出前でも取る? たまには鰻でも食べようか。あ、何でもいいは駄目だよ。一番悩むからね。」
「あのさ、父さん」
「うん。何かリクエストある?」
「いや、会ったら話そうかと思ってたことがあって……」
「うん。何?」
言葉を切ると言いづらくなると思い、一気に告げた。
「オレ……また、学校に行こうかと思ってて……まだやることあるから、ちゃんと決めてないし、行くなら金も貯めないといけねーから、すぐにじゃないけど……」
父親は特に驚きも反対もしなかった。
「学校と言っても色々あるけど、高校の普通科?」
「あ、いや、出来たら、冒険者のことも勉強出来る学校がいいんだけど……」
「というと、お姉ちゃんが行ってたようなところかな。冒険者の学科がある高校はあまり無いから、よく調べて……」
話を進めようとする父親に、シオンは慌てた。
「いや、すぐじゃないって。それに、仕事は続けたいんだ。この前、センターで調べたら、夜の学校もあるって……」
「夜学か。多くはないけど、もちろん無いわけじゃない。でも仕事やりながらだとしんどいよ? でも、いきなりどうしたの?」
少し前までは、学校の話をするだけで気が滅入っていた息子を、竜胆も内心心配しないでもなかった。だが、本人が行きたいと言うなら、止める理由も無い。
「……もし、怪我をしたりして、冒険者を続けられなくなったら、他の仕事をしないと駄目だろ。そのときは、中卒より高卒のがいいと思って」
「それは否めないけど、そんなこと考えるなんて、何かあったの?」
「いや……本当は」
シオンは目線を落とし、畳を見つめながら言った。
「この前、オレ、キキに学校に行けって言って……」
「シオンが?」
「そのときは、そのほうがいいと思って……でも、キキは怒って」
「まあ、そうだよね。家族でもないのに」
「うん……それで、なんでそんなこと言ったのかって考えて……オレ、自分が出来なかったこと、キキにやらせようとしてたのかなって……」
「うん」
「……オレは、ちゃんと中学を卒業出来ずに終わったこと、ずっと悔しいのかもしれない……キキにキレられて、なんであんなことキキに言ったんだろうって考えたら、自分をキキに重ねてたんだって、気づいたから……あんときだって、今の自分なら、もっと何とか出来たんじゃないかって」
「やり直してみたいの? 学校生活を。それなら、昼の学校のほうが良くない? 冒険者コースのある高校に通って」
「あ……いや、だから、仕事は続けながらやりたくて」
「それだと大変だよ?」
「体力のほうは大丈夫だと思う。頭のほうは……難しいかもしんねーけど……でも時間が経つとどんどん難しくなっていきそうな気がする」
「まあ、歳を取るほど敷居は高くなっていくしねえ」
父はうんうんと頷いた。
「うん。昼か夜かはさておいて、父さんも調べておくよ。入学試験の内容とかも含めて」
「あ、ありがとう……」
「亜人の多い学校のほうがいい?」
「あ、それは……どっちでもいい。別に、人間も亜人も変わらないと思うから」
「そう?」
「うん。どっちでも嫌な奴は嫌な奴だし。いい奴だっているし。それも今はちゃんと分かってるから……」
「そうだね。……あ」
父親がはっとした顔をした。
「あ、そういうこと? 浅羽さん、いい子だもんね」
「は? なんで浅羽が……」
「浅羽さんとまた会えて良かったね」
「だからなんで浅羽が……」
何か嫌な勘違いしているような気がしたが、父はうんうん、と頷いて、勝手に納得してしまった。
「そういうのって、世界が変わるよねえ」
「なんの世界……?」
立ち上がりざまにぽんぽんと肩を叩かれた。父親のこういうとこ嫌だな……と思ったが、こういう空気になったら変に話を続けない方が良いので、黙っておいた。
「で、何食べる?」
「何でもいい……」
実家にはまだシオンの部屋があって、幸い物置にもなっていない。
寝る前に、迷ったが紅子にメールを打った。
文面に悩んだが、結局大した言葉は思いつかなかった。
〈誕生日、おめでとう。遅くなってごめん。連絡しようか迷ってた。修行頑張れ。オレも頑張るから。返事はいらない〉
ベッドに寝転んでいると、電話が鳴った。着信があると思っていなかったので、驚いてはね起きてしまった。
〈……もしもし〉
〈ご、ごめんね!? 返事いらないって書いてたけど、お礼言いたくて!〉
紅子の緊張した声に、再会したばかりの頃を思い出し、シオンは少し笑った。
「いや、誕生日、過ぎてるよな。ごめん。勉強や修行の邪魔したくなかったから、タイミング分からなかった」
〈えっ、あ、いいのいいの、今日が誕生日で!〉
「良くはないだろ」
〈ていうか私、小野原くんに言ったっけ? も、もしかして無意識にアピールしてたりした……?〉
「アイカに聞いた」
〈あああ……アイカちゃんありがとう……〉
しばらく小声で紅子がぶつぶつと「ありがとうありがとうありがとう」と繰り返していた。少し不気味だった。
「プレゼント、今度渡すよ」
〈プッ……!〉
「あ、大したものじゃないけど」
〈えっ、どんなものでも大事にするよ!〉
消耗品とは言いにくくなった。また別の物を探しておこうかな……とシオンは思った。
「修行、どうだ?」
〈え、あっ、修行!? うん、厳しいよ!〉
「そうか……大変だろうけど」
〈厳しいけど、ちょっと楽しいよ。海行くとき、スランプだったでしょ? なんか今は快調なの〉
その言葉に安心した。
「体、大丈夫か?」
〈体? うん。調子いいよ。お腹めっちゃ空くけど〉
海で砕けた魔石の魔力を吸収していたから、体に障りはないかと思ったが、紅子には何の自覚もないらしい。
〈次の冒険決まったら行きたいなぁ、役に立てると思うんだー〉
珍しく自信を持っている。
「週末、仕事入ってるけど、浅羽は無理だよな?」
〈えっ、そうなの? いいなぁ。修行入ってるからなぁ……師匠に頼んでみようかなぁ〉
「いいんだ。でかい仕事じゃないし。それに透哉さんが時々手伝ってくれるから助かる。色々知ってるし、頼りになるな」
〈そうなの? 一緒に冒険したことないから知らなかった。でもいいなぁ。お兄ちゃんばっかりずるい〉
「仕事の合間に手伝ってくれてるから、大変だと思うけど」
〈まあそうだけど……なんか体力すごいあるんだよね、透哉兄ちゃんて〉
「ちゃんと訓練受けてきた戦闘魔道士ってすごいんだな。あ、オレまたレベル上がったんだ。16になった」
〈えっ、すごい! ……すごいよね?〉
「すごい……と思う。短期間だったし。15を超えるのが目標だったから嬉しい。でも、もしかしたら人手不足だからかも。夏って仕事多いから……モンスターも増えるし、特に外来種が」
〈そーなんだ〉
「ゴブリンの繁殖期……があるのか分かんねーけど、春から夏にかけて爆発的に増えるって言われてる」
〈どこから湧くんだろうねえ〉
「色々説があるけど……あんまり生態が解明されてないらしい」
〈ゴブリンって昔からどこにでもいて、けっこう身近なのに不思議だよね〉
「でも、きっと、浅羽達とパーティー組んだお陰だ。仕事の幅が広がったから」
〈そんなの、私は助けられてばっかりだよ!〉
「浅羽といると、なんかすごいモンスターよく出るし」
〈そ、それって、それだけ私が危険な目に遭わせてるってことでは……?〉
「でも金にも評価にもなるから、オレ達冒険者にはありがたいんだよ」
〈そう……?〉
「うん。本当に」
――本当に。
紅子と電話で話していると、時間が経つのが早いような、遅いような、不思議な感覚がする。その時間はとても心地良くて、楽しい。
中学時代、虐めてくる人間はいたけれど、心配してそっと声をかけてくれるクラスメイトも、皆無ではなかった。ずっと、嫌な記憶のほうが頭と心にこびりついて離れなかったけれど、今は人間も亜人も関係ない、好きな奴のことは好きだと思えるようになった。
それを成長だと、多分、思ってもいいんだろう。
「ありがとう、浅羽」
〈え? 私、なんかしたっけ?〉
「いや、浅羽に会えて良かったと思って」
〈ぶっ!〉
リアクションが大きいところも、すっかり慣れた。シオンは笑った。
「草間さんがいいって言ったら、簡単なダンジョンでもいいから行こう」
〈うん。行こう行こう。私、けっこう便利な魔法も覚えたよ〉
「本当か?」
明るい声に、すっかりスランプは脱したのだろうかと、シオンも嬉しくなった。
〈千葉から戻ってずっと調子いいんだ。もっと、《たからもの》の石を見つけたいな。そしたら私、今よりずっと上手く魔法が使えるようになると思う〉
「そうだな。浅羽がいない間は、オレ達がダンジョンに潜る資金を集めながら、下調べをしておくよ。良さそうなところもいくつかあったんだ。ダンジョンって短期間で増えたり形が変わる期間が、不思議とあるんだって」
〈そうなの?〉
「うん。生き物みたいに……実際、色んな生き物や、霊体だって棲みついてるからな。何年とか何十年とかの単位で、ダンジョンが活発化する時期があるんだって、父さんに聞いた。今はその周期なんだろうな」
〈へー。ダンジョンも生きてるんだね〉
「関東で魔素の強いダンジョンを事前にピックアップして、浅羽とアタック出来るように」
〈うん! お願いします〉
明るい紅子の声を聴いているうちに、シオンは安心した。安心すると眠たくなってきた。
「……じゃあ、そろそろ寝るよ。またな」
〈うん。おやすみ、小野原くん。またね〉
通話を終えても紅子は幸せな気分だった。彼からのメールがとても嬉しい。彼が自分を気にかけてくれていることも。仲間として見てくれていることも。自分の為に一生懸命になってくれていることも。
彼の為に自分も何かしてあげたい。便利な魔法を覚えて冒険を楽にしてあげたいし、強いモンスターは怖いけれど、それを倒すことで彼のレベルが上がるなら、もっともっと強くなりたい。
「お兄ちゃん」
扉を開けると、ベッドに腰かけて本を読んでいたらしい透哉が、呆れた顔を向けた。
「ノックくらいしたら」
「なんで本読みながら汗かいてるの?」
「さっきまでちょっと腹筋を……今は休憩中」
「なんの本? 〈関東に分布する魔草を網羅〉……?」
本の帯に書かれている宣伝文句を読んで、紅子は顔をしかめた。
「最近小野原くんの手伝いをするからね。こっこも読んだほうがいいよ」
「う、うん……腹筋も?」
「小野原くん達に同行する為だね。体を鍛えておかないと。なまってるし」
「お兄ちゃんってほんと真面目だね」
「一緒にしてもいいんだよ? お前も体力もっとつけたほうがいい。ソーサラーだって資本は体力だよ」
「師匠に言われた訓練はしてるもん。毎日。腹筋も腕立て伏せもストレッチも」
「ならいいけど」
透哉は微笑みながら、赤く染まった紅子の目を見返した。
自分の瞳がいま赤く輝いていることに、紅子は気づいていない。だが、自分の内に無限にわき上がりそうな魔力のことは知覚出来ているだろう。自然と昂ぶって、眠れなくなってしまったに違いない。
「小野原くんから連絡あった?」
「聴こえてた?」
「いや。でも、まあそうだろうなと」
「お誕生日おめでとうって。プレゼント、今度くれるって!」
「ああ……」
いつぞやの、ドラッグストアで買った栄養剤か……と透哉は思い出し、苦笑したが、知らないふりをしておいた。
「良かったな」
「うん。優しい……私も小野原くんの誕生日に何かあげよう……小野原くん九月生まれなの」
「だからシオンなのか」
「へ?」
「秋の花だろ?」
「あ、そっかぁ。すてき。お花屋さんにあるかなぁ。それでいつもお部屋に飾るの」
「怖いよ」
「私のこういう発言、小野原くんには言わないでね……。ねえ、プレゼント何がいいかな? ずっと大事にしてもらえそうなものってあるかなぁ……」
「消耗品が一番喜ぶと思うよ。グローブとか」
「うう、消耗品か……」
「現実ってそんなもんだよ。タオルとか、装備を手入れする布とか、何枚あっても嬉しいとおもうけど。刺繍とかは入れなくていいよ。使い捨てしにくくなるから」
「うう……」
「まあでも一番は、こっこが強くなることじゃないかな」
言って、ぽんと頭を撫でる。
「しっかり魔法を覚えてね。彼がこっこの為に色々とやってくれるぶん、彼の役に立ってあげないと」
「それはそうだね……浮かれてる場合じゃなかった……」
急にしおらしくなる紅子に、透哉はにこにこと追い打ちをかけた。
「そうそう。しっかり勉強して、体も鍛えて」
「ううう……」
「……んで、紅子は今日も特訓してんの? 海以来会ってないけど」
キキに尋ねられ、シオンは頷いた。
「してるだろ。でも、学校の勉強もヤバいって言ってたな」
「紅子要領悪いもんね。あ、サバの頭ちょうだい」
重箱からひょいとサバの塩焼きを摘まみ上げ、口に放り込む。別にいちいち断らなくても、魚を頭からバリバリ食べるのはキキだけだ。
「兄ちゃんは要領良さそうなのにね。イトコだけど」
「透哉さんか」
「もっとモヤシっぽい兄ちゃんかと思ってたら、まあまあ体力あるよね」
まあまあどころか、かなり体力があった。荷物を担いで山を登っても、平然としていた。非冒険者なのに。
「戦闘魔道士ってやつだっけ」
「そんなこと言ってたな。ルーンファイターみたいなものか? あんただって一応はルーンファイターだよな」
蒼兵衛を見ると、彼は心外そうな顔をした。
「広義にはそうだろうが。そもそも魔法戦士は、冒険者協会が定めたあまりに大雑把な分類だ。魔法を使えて自身も戦える者というだけで、扱う武器で区別されているわけでもない。私は侍なのに……」
「いやいや、ルーンファイターという目くらましは大事にしときなよ? サムライなんて合コンで言っちゃったらモテねーから」
と、キキがぽんと蒼兵衛の肩を叩いた。ちら、と蒼兵衛が目を向けた。
「……マジ?」
「マジマジ。ルーンファイターで通しな。機動魔法戦士とかどう?」
「悪くはないが、それは格好良いのか?」
ルーンファイターと言えば、夜に会ったことをシオンはまだ誰にも話していなかった。ハイジに話そうか迷ったが、やはり黙っているわけにもいかないだろう。
いま切り出そうか躊躇していると、
「この卵焼き、美味しいね」
そうハイジが言って、卵焼きを箸で摘まみ上げた。それを見た蒼兵衛がえっと声を上げる。
「と、鳥の卵だが……!?」
「何が言いたいの……? 普通に食べるよ。僕は鶏じゃないし」
「そうか……それでは私は衣たっぷりの唐揚げを食べたい気持ちを抑えて、おひたしだけ頂くか……」
蒼兵衛が遠い目をし、ほうれん草のおひたしをもそもそと食べる。太りやすい体質なのでストイックに食事管理している姿は、可哀相だが立派だ。彼は自分で茹でた鶏のささ身が入ったタッパーを持って来ていた。
妹尾家が持たせてくれる重箱の中身は、家政婦らの心づくしの品々だ。蒼兵衛はその中で、カロリーの低いものだけ選んで食べている。
「そこまでストイックになる必要あるの? 戦士でもない僕が口出すことでもないけど、全然太ってないじゃない」
ハイジの言葉に、蒼兵衛はキッと顔を上げた。
「私は自分に甘いので、一度許すと止まらなくなるんだ」
「なるほど。自己認識は確かだね」
「動いているぶんエネルギーを採るのは無論構わないのだが、完全に精神的な問題だ。一回から揚げの味を思い出したが最後、帰ってすぐに『お母さん、山盛りのから揚げ食べたい』と言い出すのは目に見えている。そしてお母さんは喜んで沢山作ってしまうだろう……幼少期、私をふくふくに育てたのは母だからな」
「ソフィーママのご飯めっちゃ美味しいもんね」
蒼兵衛の母にたっぷり可愛がられたキキは、懐かしげに言った。
「まあな。母も皆に会いたがっているから、また柊道場に来てやってくれ。ついでに入門してくれてもいいぞ」
「ママには会いたいけど、入門は絶対やだよ。ナントカ流」
「柊魔刀流だ。門下生いつでも大募集中だ」
「そんなに門下生いないの? そもそもどういう剣技?」
ハイジが尋ねる。
「うむ。魔力が無いなら体力で補おうという合理的な魔剣技だ。なのでひたすら体を鍛える。子供のお稽古や、運動不足の大人にフィットネス感覚で通ってもらうにも最適だ」
「まったく最適じゃないし魔剣じゃない気がするんだけど。脳みそゴリラ向けじゃないか」
ハイジは物腰穏やかなようで、やはり桜の仲間だ。口が悪い。
「完全ゴリラではいかんぞ。魔力はあるのが前提だ。〈硬化〉の魔法のみ使えたら体一つで出来るのでお手軽だ」
「その体一つが普通にハードル高いし、初心者向けの剣技とは思えないけど。〈硬化〉だけで戦うって、つまり普通に戦ってことだろう」
「刀が硬くなるだけの魔法だもんね」
うんうんとキキが頷く。
「そういうことだ。そうだ、魔力ほぼ無しで体力お馬鹿のお前に向いてるぞ、ワニ子」
「やんねーわ!」
「とはいえワーキャットのような魔力無しなら普通に実戦剣術を教えるし、姉上なら刀でズバズバゴーストが斬れるようにも指導するぞ」
「今は遠慮するよ。老後に体力が落ちてきたら考える」
「おお、体力作りも丁寧に指導するぞ」
紅子はいないが、四人もいると賑やかだ。シオンは黙って皆の話を聴きながら、周囲の物音にも気を配っていた。ワーキャットは音を聴き分ける能力に長けている。周囲が煩くても問題無い。
廃墟には皆の話し声だけがずっと響いている。これだけ騒いでいても、特に何の魔物も出てこない。
探索なら極力音を立てず行動するが、今回は廃村での討伐任務だ。ゴブリンと幽鬼の定期駆除でやって来た。
すると、村の至るところに食人鬼の痕跡があったのだ。
オーガは好戦的かつ、人間や小型の亜人を捕食する。人里離れた廃村や廃墟にはゴブリン同様すぐに棲みついてしまう。発見した場合、即通報することが義務付けられているが、腕に自信のあるパーティーならそのまま倒すこともある。シオン達もオーガ討伐は初めてではないので、冒険者センターと地元警察に通報したのち、そのまま探した。討伐出来たら危険モンスター討伐報酬がある。
が、見つからなかった。
そのうち腹も減ってきたので、特に痕跡の濃かった廃学校で、あえて弁当を広げて昼食を取ることにした。人を襲うモンスターは人やその食べ物の匂いを嗅ぎつけてくる。といってもオーガはそれほど鼻が良くないので、適度に騒いだほうが寄ってきやすい。よく花見やピクニックをしている団体が襲われ、一人で黙々と登山などをしている者が襲われにくいのはその所為だ。オーガは匂いより音で獲物を探す。
「ゴブリンの数も情報より少なかったし、喰う獲物が減ったことで拠点を離れたのかもしれんな」
蒼兵衛が言った。
「元々、ゴブリンの駆除が仕事だ。オーガのことは通報したし、仕事を終えてもいいと思うが」
「もう少し待とう」
シオンは答えた。
「拠点を持ってるオーガは、餌が少しでも残ってる限り中々離れないはずだ。まだゴブリンがいたから、戻って来る可能性のほうが高い」
そーそー、とキキが頷く。
「どうせ暇だろ、サムは」
「うむ。暇だ。もちろんオーガまで倒しても構わんぞ」
「僕はどっちでもいいよ。ただ、オーガ退治には何の役にも立たないから、退避させてもらうけど」
「姉上は霊力以外では少しも戦えないのか?」
「そこはもう絶対に何も期待しないで」
「サクラのパーティーでもそうだったの?」
「あの時は……この杖を手に入れるまでは、魔石を埋め込んだ槍を使ってはいたけど」
「ほう、姉上が槍術を」
「昔習った、護身術程度のものだよ。ガルーダの戦士は、長物をよく使うから……でも僕は女の子より弱かったからね。この杖を作ってからは、ますます後方支援に徹したよ」
と、傍らに寝かせた、長杖に見やった。
「それに、戦士には恵まれていたしね。桜も、鯛介も……」
ハイジは一度言葉を切り、そのまま言うのをやめるかとシオンは思ったが、少し目を伏せ、言葉の先を呟いた。
「……夜も、強い戦士だったからね」
「夜って、まだ会ったことない人だっけ?」
キキが首を傾げた。
「ああ。僕はもう連絡を取ってないけどね。やえや鯛介なら連絡も取れるだろう」
「そいつ、どんくらい強いの? サムよりは弱いっしょ?」
「どうかな。夜は桜や蒼兵衛と同じ、剣士タイプのルーンファイターだが、戦闘スタイルはまったく違う。桜は典型的な肉体強化型、蒼兵衛は武器付与型だけど、夜はそのどちらでもない。剣も魔法もかなり使える……いわゆる万能型だ。オールマイティーと言う人もいるね」
「それってファイターより剣使えなくて、ソーサラーより魔法使えないってことじゃん」
「どちらにも特化していないぶん、中途半端になりやすいのは確かだな。しかし、両方の水準が高い戦士も皆無とは言えん」
キキの言葉を、蒼兵衛が訂正する。
「戦闘魔道士とやらもそうだろうが、一流のソーサラーが本気で体技も身に着けたと考えてみろ。互いの足りない部分を補える。場面により、力、技、魔法を切り替えられるのだから、戦術次第ではかなり有利だ」
「……ふーん?」
「例えば、私が体を鍛え剣を極めんとしているのは、少ない魔力のリソースを刀を強化する〈硬化〉のみに振っているからだが、私にもっと魔力があれば硬化した刀に熱や電気を帯びさせることも可能だろう。過酷な鍛錬をせずとも、肉体強化で体を強化も出来る」
「なるほどな。つまりサムは、元々のスペック低くて苦労してんだな」
「聞いてほしかったのはそこではない。小野原桜の場合は、本来振れないような大剣を肉体強化で振るっていた。これは身体能力の底上げをすることで、パワー、スピードも格段に上がる。大剣のような武器は付与せずとも簡単に壊れはせんしな。エンハンスは強力で、短期決戦向きだ。デメリットは、魔力が切れると重たい武器を振るうことも出来なくなる、動きも格段に落ちる。つまりエンハンサーが気を付けるべきポイントは、魔力の配分、持続だ」
蒼兵衛はシオンにも目を向けた。
「ワニ子もだが、リーダーも覚えておくといいぞ。エンハンサーとの戦いは、極端な話、魔力を切らせれば勝ちだ。が、相手の魔力が高かったり配分が上手いと、非魔道士の力が先に尽きるがな」
「そんぐらい分かるよ」
キキが頬を膨らませる。
「そこで、体力切れを待つより、先手を取ることをお勧めするな。エンハンサーはまず心臓を中心に、内臓を強化させ、それから血管、骨、筋肉、と外殻に向かって強化させていく。練度の高い者はそれを一瞬で完了させるがな」
「先手必勝! すれば外側はまだもろいってこと?」
「それもあるし、練度により全身強化にかかる時間が違う。心臓から外側に向かって強化されていくので、初手にぶん殴るならこことかここだな」
と、顎と頭を指さす。
「でもそれは、純粋なエンハンサー相手の場合だね」
ハイジが付け加えた。
「魔力の高いルーンファイターは、強力な肉体強化に加えて魔法攻撃も使ってくる。さらに剣の腕まで立つと厄介だ。まあそれほどの使い手は少ないけど」
「そういうことだな」
蒼兵衛が頷いた。
「そんな相手にも便利なのが柊魔刀流だ。とにかく体を鍛えるから体力切れも中々しないぞ。〈硬化〉は防御にも使えるので、ワニ子向きだ。どうだ? 入門……」
「しねーわ!」
「しっ」
シオンが制すると、全員ピタリとお喋りと動きを止めた。
廃村に自分達以外の足音がした。人間にしては軽い。大型の亜人か、オーガだろう。亜人なら、通報を受けてやって来た冒険者か自警団かレンジャーか。獣堕ちかもしれない。
「……オーガだ」
大型亜人なら武器を持っている筈だ。しかも重量級の。それよりは足音が軽い。
「……三、じゃないな、四?」
指で方角を指し示す。
「あっちもオレ達を探してるんだろう。ゴブリンを喰いに戻って来たのかもしれない」
腹を空かせて、捕食できる動物を探している。空腹時のオーガは好戦的だが、逃げられるより討伐はかえってしやすい。
「偵察してくる。蒼兵衛は周囲を警戒してくれ。キキはハイジから離れるなよ」
「らじゃ」
シオンはベルトから武器を抜いて、姿勢を低くしたまま動きだした。
キキが銃器をどさっと足許に置いた。
「僕本当に戦えないから、絶対守ってよね」
「いちお、護身用に好きなの貸したげる。魔弾だから撃てるっしょ。勝手に使っていいから。紅子の魔法ほどの威力は出ないけどさ」
と言って、リザードマンお得意のハンマーを担ぎ、尖端がドリルかというほど太い槍を手にする。
「オーガにはやっぱこれだね」
「そういうのに〈硬化〉使うといいんだぞ」
蒼兵衛は二振りの刀を腰に差したまま、特に構えるでもなく、いつも通り殺気すら出していない。この状態でいきなり戦闘態勢に入れるから、やはり近接戦闘では一番だ。
「要らんわ。リザードマン族の武器加工はケンタウロスほどじゃないけど、中々の良品質なんだから。リザードマンが踏んでも壊れない耐久実験してんだからね」
いかにも無骨、いかにも鋼の塊、といったおもむきの槍とハンマーは、並外れた筋力を持つリザードマンでないと上手く扱えないだろう。
「そうか。ではワニは姉上を守っていろ。私はそっちにもリーダーにすぐ駆けつけられる位置で警戒しておく」
「おっけー」
「オーガ四体を倒しきれなくても、リーダーならやられることはないだろうがな」
オーガは縄張り争いをしない為、別グループと狩り場を共有することもある。オーガの狩り場で討伐をするときは、他のグループが現れることを警戒しなければならない。討伐の最中に別グループに乱入されて全滅した、という事件は年間に何度も起こっている。
ただでさえオーガは耐久力が高いし、並大抵の魔法には耐える。確実に討伐を頼むならリザードマンやミノタウロスなど大型亜人のパーティーが適しているが、大型亜人はそう数が多い種族ではないので、人手が足りないのだ。
「最近外来種も増えて、モンスター討伐の手が足りないらしいね」
ハイジが呟いた。
「討伐に失敗した者がアンデッドになり、アンデッドの駆除も追いつかない。今年は特に魔素濃度が高いらしいから、討伐パーティーにとっては稼ぎ時だけどね」
懐かしげな、複雑そうな表情のハイジに、キキは訊ねた。
「サクラとは、討伐専門でやってたんだっけ?」
「自然とね……皆強かったし。やえと僕は後方支援だけど、他の三人は本当に強かった」
「過去形みたいに言うと、鯛介死んじゃったみたいなんだけど?」
「特に、夜はアンデッドにも強かった。桜とタイが物理攻撃、僕がターンアンデッド、夜は物理も魔法攻撃も、ターンアンデッドも出来たから。バランスが良かったんだ。討伐パーティー向きだった」
「うちのパーティーだって、今はアンデッドけっこう強いじゃん。蒼兵衛が呪われちゃったから。こころちゃんはアンデッド斬れるもんね。キキも退魔弾惜しみなく使うし。おじいちゃんのお金で。それにサクラパーティーには、紅子みたいなスーパー魔法使いいなかったんでしょ?」
「あんな魔力タンクみたいなソーサラー普通いないよ。でも、夜はかなりソーサラーの才能があった。そっちを極めてたら、かなりの魔道士になってると思……」
話しているときに、ハイジが急に後ろを振り返ったので、キキも思わず槍を構えた。
「どしたの?」
もっともオーガの気配なら、ハイジよりキキのほうが先に気が付く。そうでないということは、ハイジがガルーダ特有の霊的な感覚で察知したということになる。
「いや……なんか、紅子がいたような気がして……」
「超怖いこと言わないでよぉ」
「そうだね……でも、似たような魔力を感じた気がしたんだ」
「こ、紅子の話してたからじゃない?」
「そうだね……」
〈遠視〉などの稀少な魔法で、離れた者の魔力を感じることはあるというが、紅子には使えなかったはずだ。たしかあれは、遺伝要素の強い魔法だ。紅子の叔母が〈遠視〉の才を持つ血筋らしいが、紅子とは血の繋がりがない。
キキには軽く返したが、本当に背筋がぞっとした。強いモンスターになんて、何度も遭っているのに。そんなものではない。異質な感覚。
(紅子の叔母が? いや……)
もしくは、それに近しい血縁者か。
(一瞬だったな……)
兎亜人や蛇亜人のように魔力感知能力が高ければ、もっと確信が持てたかもしれないが。
「ねえ、まだ感じる?」
「いや……ごめん、気を散らして。オーガを警戒しよう。誰かが魔法を使っていたとしても、害意はないだろう」
ハッとキキが顔を上げた。
「紅子があたし達覗いてんじゃないの!?」
「まさか」
「分かんないよ。シオンへの執念すごいもん」
「確かに……」
この場に紅子がいたら泣いてしまいそうな言葉に、ハイジは頷いた。
「いつもの紅子じゃない紅子だよ。紅子の中に、別の紅子がいるかんじするじゃん。ハイジもするよね? だってあたしよりそんなの分かるでしょ? すごい魔法使ってるときの紅子は、おかしいじゃん」
「強い魔道士はトランス状態になることもあるからね」
「じゃあ、夜って奴もそう?」
「え?」
「だって、強い魔法使いなんでしょ? そんで、サクラのこと好きで、今も執着してるんでしょ? 紅子に似てるかもって思ってたんだよね」
「トランスはしてなかったと思うけど……でも、サクラがいなくなってから、人は変わったかもしれない。ちょっとバ……呑気なとこある奴だったんだけどね」
「バカって言いかけた?」
「人の話も聞かずに、去ってしまった。そんな奴じゃなかったんだけど、仕方ないか……」
「ハイジも似たとこあるからさぁ。ハイジはシャーマンだけど、シャーマンの霊力だって元々は魔力じゃん。強い魔法使いって、執着すごいんだよ」
「そう言われると、紅子をとやかくは言えないな……」
「ハイジも、サクラのこと好きだったんでしょ?」
「えっ」
手にしていた杖をゴトッと落とし、慌てて拾い上げるハイジの、分かりやすい動揺に、キキは呆れた。ガルーダらしい色白の顔が一気に赤くなっていた。
「な、何故そう思うの?」
「思われないと思ってんのがすごいよ」
「わ、私……いや僕は」
「いいよそれ以上は……誰にも言わないからさ。とにかくさぁ、そういう気持ちの強さみたいなもん? それが、魔力の強さに関係あんのかなーって」
「ど、どうかな……ガルーダの霊力は単なる遺伝の要素が強いけど、人間のソーサラーには因果関係があるかもしれないな……」
動揺のあまりか早口になった挙句、息が詰まったのかゴホゴホと咳き込みだした。ガルーダは純情と聞いたことがあるが、もう言わんとこ、とキキは思った。
「ご、ごめん……『想い』は、言いかえれば『執着』だからね。君の考えは正しいよ。その想いが人の傷を癒したり、時に蘇生を成功させることもある。アンデッドを生み出したり、自らをアンデッドにしたりもする……」
「ね、それって大体のことは何でも出来るじゃん。いくら腕力が強くたって、人を生き返らせたりなんか出来ないもんね。魔力ってずるいなー。重い武器いっぱい持たなくてもいいもんね」
「強い魔力があればこそだよ。誰もが紅子みたいに無尽蔵に魔力があるわけじゃ……」
「あっ、戦闘始まった!」
呑気な雰囲気が一変する。オーガの唸りや地面を蹴る音などが聴こえてきた。
「ウガー! 乗り遅れた! あたしらもいこ!」
「ええ……守ってくれるんじゃなかったの?」
ハンマーを背負い、槍を構えたキキが走って行く。小柄な体なのにドスドスと音がするような気がする。
「あっ! しかも銃器を置いて行って……! 奪われたらどうするんだ……! 僕じゃ守りきれないよ。弱いんだから……」
銃器ごと置いていかれたハイジは、はあとため息をつき、重たいそれらを抱え上げた。
「……同じリザードマンでも、鯛介とは大違いだよ……こっちは猪突猛進なアタッカーばかりだな……」
昔のパーティーを懐かしみ、ハイジは寂しさを覚えた。同時に、少しほっとする。
(もうあの頃みたいに、誰かと仕事は出来ないと思っていた……)
なのにまだ、笑うことも出来る自分に驚く。あの時間だけが永遠だと信じていたのに、思っていたより自分は薄情だったらしい。あの記憶もいつか薄れるのかと思うと、たまらなく寂しく、恐ろしくなる。けれど、安堵もしている。いま一人ぼっちではない自分に。
そんな安堵を覚える自分に、また寂しくなった。夜に会いたくないのは、自分は彼ほど強くはないし、軽蔑されたくない。
だが、彼がいまも一人なら、何とかしてやりたい。そう思えるのは、多分いま自分が一人ではないからだろう。