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迷宮のドールズ  作者: オグリ
四章
86/88

協力者

「本当にありがとうございますでした! せっかくハイジさんいるし、朝まで粘りたいと思ってたんですが、お陰でスムーズにゲット出来たです」

 鯛介が乗って来た大型の4WD車の中で、彼女の背負っていた棺はシートを一つ占領し、ベルトをしっかり締められていた。まだガタガタ動いていて、時々テンコが叱るようにベシっと叩いている。

「うるさいですよ。おうちまで我慢するです」

 中にいるのは強力なアンデッドだ。封印されてもまだまだ元気そうな霊に、心配になってシオンは尋ねた。

「それ、大丈夫なのか?」

「大人しいほうですよ」

「女の霊って子供に弱いからね」

 ハイジが言った。シオンは耳をぴくぴくさせた。興味深い話だ。

「さっきもそう言ってたな」

「ですです」

 テンコはぴっと両手の人差し指だけを立てた。

「絶対じゃないですけど。霊にも大まかな傾向があるです。男の霊は男性より女性の前によく現れるとか。逆に女の霊が男性の前に現れるかっていうと、そうでもなかったり。ボクが捕まえた霊も、強いのほど女性が多いです。男性の霊って厳しめなんで」

「へー……」

「子供の霊は言うこと聞かないし弱いですけど、子供の霊持ってると、女性の霊が気持ち優しくなったりするです」

「優しいと言っても、悪霊の話だからね」

 とハイジが注釈を入れた。

「並みのシャーマンは真似してはいけないよ。霊を使うのは本当に危ないから」

「真似しようと思って出来るものじゃないと思うけど……」

「もうちょっと男性のすごいやつが欲しいですけどねえ……ひひっ」

 また不気味な笑い方をしている。

「欲深いのがいいですねえ。散々恨みを買って私腹を肥やしながらも無事に天寿をまっとうしたような奴が……ひひ、生前思うように生ききった下衆のほうが、死んでもなお良い目を見たくて、現世に縛られるんですよぉ……いひひっ、いい情報出たらまた付き合ってくださいです」

「もちろん」

 とハイジが答えた。

「その代わり、ネットワークのほうよろしくね」

「はいです。いひひ」

「笑い方気を付けないと、お母さんに怒られるんじゃない?」

「あっ……そうでした。ママはこんな笑い方してたらお友達出来ないって言うですよ。どっちみち仕事しかしてないですけど。ママはテンコにお友達いないの気にしてるです」

「テンコの能力は求められてるからね」

「勉強は通信でも出来るですから。学校に行ったとしても、まともなお友達が出来るなんて思えませんけどねー、ひひっ」

「そんなことないと思うけどな」

 とシオンは言った。変わったところもあるが、普通の子供らしいところもある。霊には強くても、瓦礫を足場にして降りたときには、怖がってきゃあきゃあ叫んでいたし。

「あ、お兄さん、連絡先教えてくださいです。さっき言ってたやつ、分かったことあったら連絡しますです」

「ああ、分かった。頼む」

 するとテンコが肩掛けバッグから小さなケースを取り出した。中からカードを一枚取って、シオンに手渡す。

 黒いカードに白い文字で『テンコ』と書かれている。それだけのカードだ。

「これは?」

「ボクの名刺です。カードの裏にURLが書いてあるです。そこにアクセスしたらかわゆい兎のアイコンが10匹並んでるんで、ピンクのやつをクリックして飛んだページのURLの最後に『tamagokakegohan』と付け足してください。それで跳んだページにあるフォームにメールアドレス入れて、メッセージ欄は何も入力せずに送信ボタンだけ押してもらったら、自動でメールが返信されるです。そこにボクの電話番号載ってます」

「たまごかけごはん?」

「ボクの好物です」

「名刺に直接書いたらダメなのか? やっぱり簡単に知られたらマズいのか」

「いえー、趣味です。電話番号くらい別に知られてもいいですよ。なんか秘密稼業みたいでいいと思って」

「しゅ、趣味……?」

「深く考えなくていよ。テンコの連絡先なら僕も知ってるから、後で教えてあげる」

「あ、そうする……」

 ハイジの言葉にほっとして、シオンは再び名刺を眺めた。

「テンコのは特殊だけど、名刺あると便利だよ。冒険者の大半はフリーランスだから」

「名刺か……たしかに仕事してたらけっこう貰うな」

 今まで一緒に仕事した人から、貰ったことは何度もある。妹尾組の国重、ニコねこ屋のセイヤ、今でも時々連絡している魔獣の専門家の香坂、鯛介、やえからも貰った。やえの名刺はスナックの名刺だったが。そういえば透哉からも貰った。あれも会社員のものだったが。

「意外と廃れないものだよね。名前は文字で見た方が印象に残るしね」

「シオンさんも作ったらいいすよ。センターに印刷業者のチラシとか置いてあるし、チラシに割引券とかついてたりしますから」

 運転しながら鯛介が言った。

「今は100枚くらいからでも作れて便利っすよ」

「へー……100枚も使うかな」

「どんどん配ったらあっという間っすよ。戦士職は多いぶん、仕事取り合いですからね。ちゃんとやればリピーターもしっかりつきますから。あ、レベル書き込むときは上がったら無駄になるんでちょっとずつ刷るといいっすよ」

「お前、最初に大量に作って、レベルが上がったら横線引いて書き直してたじゃないか」

「ハハハ……だから、その失敗を踏まえてのアドバイスじゃないすか……」

「お兄さん、名刺作ったらボクにもくださいです」

「あ、うん……」

 作ると決めたわけじゃないが、あったら便利かもしれない。次にセンターに行ったら、チラシを探してみよう。

「あ、そうだ、ハイジ。今度の土、日にみんなで仕事入れてるんだけど……護衛と討伐」

「みんな? 全員揃ってるの?」

「あ、いや、浅羽はいないけど……ここんとこ、毎日修行と宿題らしくて」

 シオンからの電話やメールも控えている。

「君と蒼兵衛とキキか。充分バランスが取れてると思うけど」

「あ……無理ならいいんだ。どっちも初めて行くダンジョンだけど、三人でもなんとかなると思う。でも、声はかけとこうと思って」

「日曜日なら構わないよ。土曜日は仕事が入っている」

「……え? いいのか?」

「いいよ。レベル上がったんなら、行ってみたいダンジョンは幾らでもあるだろう。僕が行ったことのある場所なら、教えられることもあるかもしれない」

「あ、ありがとう」

「それにしても、けっこう仕事詰めてるんだな。今日は誘って良かったのか? 休み?」

「いや、帰ってひと眠りしたら、採取だ。単日だから大丈夫」

「大丈夫?」

「大丈夫、けっこう寝れる。近場で、慣れてるやつだから。今日は明け方くらいまでかかるって聞いてたから、思ってたよりは早く終わった」

「そう。無理はしないようにね」

「大丈夫だ。キキもいるし。今日、明日採取の仕事したら、休みを入れてるし」

「元気だね」

「まだ若いっすもん。ねえ」

 と鯛介が運転しながら言った。

「ボクは採取とかしたことないです。やってみたいです」

「草があるだけだよ」

 とハイジが言った。

「ハイジさん、採取嫌いっすもんね」

 やっぱり採取は誘わなくて良かったとシオンは思った。




 休みになって、新宿冒険者センターに行った。

 仕事の為ではなく、印刷所のチラシでも貰って来ようと思ったのだ。行けば仕事を探したり、パソコンを借りて情報を探したり、それなりに時間を潰せる。休日に、他にすることも思いつかなかった。

(これなら今日も仕事入れても良かったな)

 今週は、月曜日にセンターに行き、その晩にハイジの仕事を受け、火、水、とキキと採取をして、木、金は休み、土に護衛、日に討伐、というスケジュールでやってみたが、休みを一日減らしても大丈夫そうだ。採取がそれほど苦ではない。

(やっぱり、ソロより楽なんだろうな)

 遠い場所なら妹尾組や透哉が車で送ってくれるのもありがたい。今度の土日は蒼兵衛が加わるから、ニコねこ屋がバックアップをしてくれる。

(助けてくれる人もずいぶん増えたし……たしかに、繋がりって大事なんだな)

 妹尾組はキキが、ニコねこ屋は蒼兵衛がいるから、快く力を貸してくれる。ハイジはやえや鯛介やテンコのように、強い冒険者と繋がっている。

 名刺印刷のチラシを見つけ、手に取ったところで、こういうとき一番声をかけられたくない人物に声をかけられた。

「おっシオンくん! とうとう名刺作るのん?」

 肩からぬっと鼻先が突き出てくる。

「……でかい……」

 顔が。

「あんまりじゃない?」

「本当に……すごくでかい顔だと思って……」

「フルヘッドだもーん」

 ワーウルフは現在では《犬亜人》と書くが、笹岡は元々の由来になった狼亜人だ。日本ではあまり多くない種で、外国人のように体躯が大きく、身体能力も高い。

 日本の猫亜人ワーキャットは小柄だが、外国には大柄な者もいる。羨ましい。

「昨日散髪したんだけど、どう? ちょっと短くなってるしょ?」

 言われてみると、前に会ったときより毛が短い気がする。でも暑そうには変わりない。

「ダンジョンなら寒くなさそうでいいな」

「そーね。ダンジョン涼しいから。一緒に遭難したらあっためてあげるね」

「そのときは頼む」

「真面目に答えないでよ……もっと気持ち悪がってほしかった……」

 はぁ、と笹岡がわざとらしいため息をついた。何だか分からないが、笹岡の思い通りにはならなかったらしい。

「いじる方向性変えよ。名刺作んのか?」

「決めてない。でも、作ったら便利かと思って」

「笹岡さんのあげようか?」

「あるのか?」

「ありゅよ。ほれ。渡すのけっこう忘れるけどね」

 Tシャツの胸に斜めがけにしたボディバッグを開き、ケースを取り出し、名刺を取り出して渡してくれた笹岡に、シオンは尋ねた。

「そのバッグって、心臓守ってるのか?」

「ブフッ!」

 笹岡が吹き出した。違うらしい。探索用の装備かと思った。

「最近は名刺もオンラインでやり取りしてっけど、年配の人は紙のが安心すっからまだまだ使えるぜ」

 渡された名刺を見て、シオンは顔をしかめた。

「〈笹やん〉……?」

「〈笹岡一郎〉より印象に残るじゃん。シオンくんも〈猫たん〉とかにしたらインパクトばっちりよ」

「そうか? ワーキャット多いぞ」

「だから真面目に返さないでよ。ま、冒険者の名刺はタクシー運転手さんの名前が入ったポケットティッシュと同じだからな。次も頼もうって思ったとき、名前なんてけっこう覚えてないもんなのよ。若い人は電話やメアドの交換すっけど、年配の客向けに持っとくといいぜ。年配の人は金払いもいいしね。ダンジョンガイドの仕事、笹やん好きよ」

「ガイドか。オレは苦手だけど……確かに金はいいかも」

「今度一緒にやる?」

「いいのか?」

「お、意外と食いついた」

 ガイドは苦手だが、笹岡と一緒なら、喋らなくて済みそうだ。

「シオンきゅんと一緒なら、イケメン好きなおば様たち集めて若メンワーキャットと行くダンジョンツアーなんてやるのもいいね」

「やっぱりいい」

「またそう言う。冒険者なんてワラワラいるんだから、特性で売ってかないと」

「特性?」

「フリーランスって言えば聞こえがいいけど、不況のあおり喰らったら即仕事無しだよ? 魔法も使えない、専門知識もない、オレらみたいなファイターはしっかりリピーターつけとかないと。人脈作り大事よ?」

「人脈……」

「そうそう。俺とかふざけてるけど顔は広いじゃん? それってやっぱ、この愛される性格という特性を生かしてるからで」

「オレの特性って……なんだ?」

「そりゃ猫じゃん?」

「ワーキャットなんていっぱいいるぞ」

「ソロ専でコツコツ経験積みたがるワーキャは少ないだろ。レベルそこそこんとこにソロのワーキャあんま見ないからな。ソロでやれてるってことは、ある程度腕は保証されてるし、それを証明してくれんのがレベルじゃん。だから名刺にはレベル入れんのも有り。レベル上がるたびに作り直しだけど、そこは好き好きだな」

「そうか……」

 笹岡のこういう話はためになる。パーティーメンバーや父親には何となく相談しにくいことも相談出来るので、冒険者の先輩としてはありがたい。すぐからかってくるが。

「あと、シオンくんには考えらんないかもしんないけど、どうせ腕同じなら見た目イケてるほうがいいって選ばれる可能性は充分あんのよ。特にガイド関係の仕事はな。ライトワーキャで若くてイケメンなのはウリになるから、大事にしてこーぜ」

「そうか……オレって、そんなにイケメンなのか?」

「ブフッ!」

 これがかなりツボに入ったらしく、今度は長いこと腹を押さえて震えていた。あまりにしつこいので、シオンはブルブル震えている笹岡の足を蹴飛ばした。

「なあ、名刺の作り方教えてくれよ。作ったことあるんだろ」

「う、ウン……ブブッ……!」

「しつけーな……このシンプルなやつでいいんだけど」

 チラシのサンプルを見せる。

「この印刷屋ならすぐそこだから、直接行けば教えてくれるって」

「なんだ、そうか」

「お兄さんがついてってあげよっか?」

「いい。うるせーから」

「頼るくせに冷てーなぁ……名刺に顔写真入れるとかも出来るよ。加工も出来るからちょっと目とか大きくして口ちっちゃくして小顔にして」

「それするといいのか?」

「ウーン……このまま話が進むと胸が痛む」

「よくないなら言うな」

「ゴメンネ」

 笹岡がぺろっとでかい舌を出した。

 

 結局、笹岡について来てもらって、センター近くの印刷屋で名刺を頼んだ。冒険者の客はやはり多いらしい。用意された画像に名前を入れるものが人気だと言われた。

「冒険者さんの職種に合わせてデザインしたものがあるんですよ。ファイターの方だと、たとえばこの剣をあしらったロゴを配置したり」

 デザイナーだという女性が丁寧に接客をしてくれた。

「一目で職業が分かって印象に残りますし、デザインを選んでいただいてロゴはお任せ配置にしていただければお値段もそうかかりません。ただいまキャンペーン中でロゴは一つまで無料で、二つ以降は250円の料金がかかります」

 カタログや、サンプルの名刺を色々と見せてくれたが、見れば見るほど迷うような気がする。それを察したのか、笹岡が口出した。

「とりあえずタダでやってくれるロゴ一個だけ付けて、お任せ配置にしてもらえば。職業と種族が分かるデザインにしたら?」

「ワーキャットのファイターでしたら、こちらのロゴなんかいかがでしょう」

「おー、いーじゃん」

「いいか……?」

 勧められたのは、猫が剣を持っているイラスト風のマークだった。

「こ、これ……?」

「いーの、若いんだからキャッチーにしときゃ。こっちの短剣持ってるニャンコがいいな。フォントも可愛いかんじにしてちょ」

「細丸ゴシックでいかがでしょう?」

 デザイナーが手許のパソコンを素早く操作し、モニターを回して仮デザインを見せてくれた。

「お、いーね。あとはー、シオンくんパツキンだし、ベースは黄色にして、白文字でヌくかんじでどう?」

「フルカラー印刷にしていただければ、基本料金内で出来ますよ」

「髪の色関係あるか?」

「あるある。本人とデザインのイメージが結びつくじゃん。印象に残す為のアイテムなんだから、単なる白地に黒で名前並べてるだけなら名刺なんていらねーと俺は思うよ」

「じゃあ任せる……」

「フルカラーで100だとちっと割高だな。300枚くらい作っとくか」

「300!? それは多いだろ!」

「会う奴にポンポン配ってたらすぐなくなるって。んじゃ少し預かって俺が配ってやろーか?」

「そんなチラシみたいに……」

「フリーランスの名刺なんてチラシだって」

「そういうもんか……?」

「だいじょーび。信用出来る俺の得意先とかに渡しといてやっから」

「え、でもアンタの得意先だろ。仕事盗っちまうことになるかも……」

 遠慮して言ったのに、笹岡はゲラゲラと笑った。

「なるわけねーじゃん! お前に盗られる仕事ならとっくに他の奴に盗られてるって! 俺は俺の得意分野でやってから心配すんな。お前みたいなおチビに頼みたい仕事もあんだろーし」

「チビってほどチビじゃないだろ……」

「拗ねんな拗ねんな。俺からすればワーキャットやワーラビットって大体チビだからよ。まーワーウルフも小せえ奴は小せえけど。チワワかオメーみたいな奴いるし」

 ワーウルフは最も多種多様な種族だ。笹岡のような本来の狼亜人ワーウルフもいれば、テンコのような稀少な狐亜人フォクシーも犬亜人として分類される。外国にはコヨーテやハイエナの血が入った者もいる。シオンが住むアパートの管理人の西沢はレトリーバーに似ているし、笹岡が言うように小型犬のような者はワーラビットのように小柄だ。その上で人間に近い半頭種ライトミクス、獣に近い全頭種フルヘッドまでいるので、犬亜人の種類は何百も存在していると言われている。

 全体の気質として他種族に非常に友好的で、気性の穏やかな者が多い。陽気で人当たりが良く、細かいことはあまり気にしない。犬の特徴がある種族は犬亜人でいい、ということで、あっさり統一されたという。

 名刺は早ければ明日にも出来ると言われたが、急いでいないので三日後の受け取りにした。そのほうが少し安かった。一週間後ならもっと安かったが、忘れそうな気がした。

「出来て良かったじゃん」

 ほとんどは笹岡の指示で作ったが、お陰であまり悩まなくて済んだ。デザインを見る為に作ったサンプル品も貰った。それをシオンは受け取り用の伝票と一緒に、大切に財布に仕舞った。

「うん。ありがとう」

「可愛いやつ出来て良かったじゃーん」

「それは、可愛くてなくて良かったけど……」

「若いんだからいーのよ。ソロの仕事は続けるんだろ?」

「ああ、いつもパーティーで動けるわけじゃないし。ソロの仕事も好きだし」

「意外と他人とやってけるよねシオンくんは。そーいや鷲尾の子供の出産祝い、結局どーした?」

「あ、タオルでも贈ろうかと思って……」

「あー、無難でいんじゃない? 付き合おっか?」

「いや、今度誰かと行く」

「おっ、女の子かな?」

「父さんとか」

「父さんと出産祝い買いに行く男子……まあパパと仲良いのはいいことか。じゃ、メシでも食う?」

 付き合ってくれた礼に昼食を奢ると言うと、東口に連れて来られた。少し歩けば美味いランチを出す店がいくつかあるらしい。シオンは詳しくないので、彼に任せた。

「ここ、夜はバーなんだけど昼はランチやっててさー、ステーキ丼やローストビーフ丼が美味いのよ」

「ふーん……」

 浅羽が好きそうだ。でも一食じゃ足りないだろうな、とシオンは思った。元気に食事をする紅子の姿を思い出したら、少し笑ってしまった。

「なにニヤついてんの? 女子のこと考えてる? 浅羽ちゃん? 女子ウケのいいお店とか色々教えてあげよっか?」

「食べ放題とかおかわりできるとこにしてくれ。安めの」

「そんなとこに女子連れてって喜ぶと思ってんの?」

 食事をしながら、笹岡から色々な情報を貰った。今どこのセンターに良い仕事が集まっているかとか、今年は関東のどこでモンスター湧きがありそうだとか、新しく見つかったダンジョンだとか、腕の良い新人冒険者の話だとか、笹岡はそういうことに詳しい。わざと忘れた振りをしてぼかしたりもするが、本当に大事なことは教えてくれる。

「あれから南房のほう穏やかみたいね。シオンくんの話聞いて千葉にいるダチに聞いたけど」

「スキュラの血が流れたからかな」

 スキュラの血にはメロウやハーピーなどのモンスターを寄せ付けない効果がある。魚は平気なので、この夏は漁業がより盛んになるだろう。

「シーサーペントが沿岸に迷い込むのはたまにあるって訊くけど、スキュラは珍しいよね。大体は沿岸に近づくかなり前に捕捉されて沿岸警備隊コーストガードに誘導されてくか討伐されっから」

「うん。初めて見た」

「聞いてるとかなりでかい個体じゃん。そういうのあんまり陸地に来ないけどね。シーサーペント食おうとしてたんかな」

「そうかも」

 そのシーサーペントから、魔石の欠片が見つかった。海のダンジョンにでも隠されていたのか、隠された歴史のどこかで海に流れたのか。それを喰った魔物が、まるで魔石を返しに来るかのように、紅子のところにやって来た。そんなふうにも思えた。

 でもそうなると、紅子の所為でアクアリアに危機が迫ったことになる。それをシオンは紅子本人には言えなかった。

「でも、怪我人だけで済んで良かったな」

「ああ、居合わせた人が、すごい人ばかりで……」

 蒼兵衛とハイジという凄腕の冒険者が一緒にいてくれたのは大きい。蒼兵衛はスキュラを倒し、ハイジは集まったシーゴーストをほぼ一掃してしまった。何より、紅子自身の魔力の強さで、シーサーペントを離れた場所で討伐出来た。

 個々の力が発揮出来たのも、アクアリアの自警団シーナイトが優秀だったのと、千葉の冒険者達や漁師達が船の扱いに慣れていたからだ。そこに妹尾組のリザードマン戦士が幽霊船ゴーストシップを叩き壊してくれたこと、やえが腕の良い治療士ヒーラーを多数呼び寄せてくれたことも大きかっただろう。

 集団の統率力の強さ、個人の能力の高さ、手回しの良さなど、全てが良い方向に動いた。

「騎獣もいたろ? シーホース。トドみたいなの。あれも強いかんね。メロウくらいぶっ殺しちゃう。メロウキラーって別名があるくらい」

「へー。大人しそうだったのに」

「元々マーマンのいる海沿いの街って防衛戦に強いんよ。ソサ多いし。男はほとんど足あるから陸上でも戦えるし、海中でも強いし。昔は発展途上の港街なんか積極的にマーマンの居住区を誘致してたくらい」

「へえ」

「マーマンは他種族に友好的だかんね。リザードマンとかもそうなんだけど。川崎とか浦安とかリザード誘致して周辺の市町村ガンガン開発したからでかい居住区があるわけ。成田もでかい集落あんのは、空港作ったときのね」

「笹岡さん……もしかして頭いいのか?」

「冒険者でずっとやってくなら歴史や風土学身に着けとくのはとーぜんだろーが」

「そうなのか……」

「リザードやマーマンみたいな亜人はけっこう土地についてっから、住んでる場所の歴史知っとくとそれなりに気性も分かるしな。ナーガ、ケンタなんかもそーだな」

「へえ……」

「気難しいって言われてるけど、ケンタ意外とそーでもないぜ」

「会ったことない」

「ま、職人気質ってかんじ。羊亜人フォーンのが独特なとこあるな」

「あ、フォーンはこの前初めて会った。いい人だったぞ」

 とろおの事件で会ったシュンのことを思い返しながら言った。元気だろうか。

「すごい魔法使いだったな」

「フォーンはそもそも魔力量が多いし、未だに自然信仰が根付いてんのよ。だから自然に干渉する魔法がめちゃくちゃ上手い。霊的な力もけっこうあるしね。ナーガも魔力は強いけど、より神的な力って言われてるな。それはナーガが完全に感覚で魔法を使うからなんだけど」

「うん……ん……?」

 だんだん理解が難しくなってきた。それを察したのか、笹岡が捕捉した。

「感覚で魔法を使えるってのは、詠唱とかを極力減らせるんだよ。それは分かる?」

「うん」

 紅子の詠唱が短いのは、本人の才能と適正だということは分かる。紅子は理屈より、感覚で魔法を使っているのだろう。

「ナーガってスタンダードテール・マーマンみたく足が無いだろ? 不自由って言ったらあれなんだけど、あんま積極的に動かないから、めちゃくちゃ思考的なんよ。自分にある魔力って、雑念が無い状態でよりよく感じることが出来るかんね」

「笹岡さん、魔力あるのか?」

「ねーけど。魔力ある奴は大抵そー言う」

「そうなのか……」

「ソサってわざわざ人が居ないとこにこもったりするじゃん」

 草間のことを思い出してしまった。単に人の多い場所が苦手なのかと思っていたが、そういう理由もあるんだろうか。

「世俗に染まるほど、魔力が弱くなるって迷信もあったくらいよ」

「せぞく……」

「俗世間のことね。んー、いっぱいの人の中にいるとってこと」

 それはピンときた。

「人の中にいないほうが、強いソーサラーになれるってことか?」

「一概には言えないけど、そういう見方もあるよね」

 だから、幼少期をダンジョンで過ごした紅子は、子供時代から強かったのだろうか。透哉の言葉を思い出した。


(あるとき、祖父と叔父が、紅子だけを見つけて、連れだした。いや、紅子自身が、ダンジョンから出たがったのかもしれない。彼らは紅子に呼ばれたに過ぎない。あのときのことは、僕も良く覚えている。家に連れて来られたあの子は、すぐに外の世界に馴染んだ。僕たち家族に懐いた。美味しいものを食べて、遊ぶのが好きだった。魔力が強い以外は、普通の子供だった……)


 あの話をしたとき、透哉は泣いていた。涙を流していたことに本人も気づいてなかったようで、少し驚いていた。

 シオンの知る限り、彼はいつもにこにこしていて、どんなときも動じたりしない人だ。でも、あの時は戸惑っていた。自分の感情を掴みかねているように。


「……オンくん、シオンくん、おーい、シオーン」

 笹岡の声に、シオンははっとした。気づけば、目の前にローストビーフ丼があった。

「まーた女の子のこと考えてたん?」

「あ、いや、今のは男の人のことを……」

「オレというものがありながら……」

「あっ、いつの間にかメシ来てたのか。美味そうだな」

「ツッコんでもくれない……」

「いただきます」

 箸を割って、器を手に取る。自称グルメの笹岡が連れて来てくれただけあって、安いのに美味い。

「しかしシオンくん、フリーでやる気満々だな。パーティー作って仕事ガツガツ入れて名刺まで作っちゃって。確定申告とかちゃんと出来てんの?」

「あ、それは父さんが……」

「パパにしてもらってんの? ん? 扶養じゃないよね」

「いや税理士さんに頼んでおくから、依頼書とか経費のレシートとかだけ実家に送ってくれって……あと怪我したとき病院で払った分の請求書とか……」

「シオパパが税理士雇ってくれてるかんじか」

「冒険者になったとき、税金とか保険とか、初心者講習会とか全部出たけど、あんま分からなかった」

「ああ、講習ちゃんと受けたのね。偉い偉い」

「結局何も分からなかったけど」

「今度パパに訊きなよ。税理士代とか出してもらってるってことじゃん」

「あ、そっか……」

 そういうことは考えたことがなかった。

「今日は暇だし家に帰ろうかな」

「そうしとけ。俺も、あんまり親父に会ってなかったからさ。もっと会っとけばよかったって、今になって思うぜ。いつでも後悔しないように、会っとけよ」

 ふ、と笹岡が目を伏せた。

「笹岡さん……アンタの父さん、もういないのか?」

「いや、元気だけど」

 ぺろーんと舌を出されて、箸を握る手に思わず力を込めてしまった。いや、いちいち怒るだけ無駄だ。

「やっぱ、アンタの父さんも、犬……狼なのか?」

「当たり前じゃないの。何から産まれたのよ笹岡さんは。まあその産んでくれたおかーさんはチワワなんだけど」

「えっ! そうなのか!?」

「いや嘘だけど」

 またぺろーんと舌を出され、箸をへし折りそうになった。

「なんでそんな何回も騙されんの?」

「分からない……でも騙すほうが悪くないか?」

「それはそーね。正論だわ」

「なんで他人事なんだ? アンタが騙そうとしなければいいって話なのに」

 食事が終わると、笹岡がさっさと伝票を持ってレジに行き、支払ってくれた。奢ると約束したのにシオンだった。そう言うと、

「笹やんおにーさんが、小さいシオンくんに出させるわけないでしょーが」

 今日何回目かの舌ぺろーんをした。

 小さいは余計だと思ったが、なんだかんだ面倒見が良い。情報を回してくれるのもありがたい。

「ありがとう、いつも」

「どしたん改まって」

「いや、いつ会えなくなるかなんて分からないし」

「やめてくんない?」

「情報は助かるし、アンタが紹介してくれる仕事は、依頼人がちゃんとしてて、報酬も悪くないし……あ」

「あ?」

「笹岡さん、アンタ顔広いよな。怪しいソーサラーとか、ネクロマンサーとか、そういう関係の情報あったら、回してほしいんだけど」

「怪しいソサにネクロ? 怪しいって、非合法の研究や仕事やってるとか、ヤーさんと繋がってるとか、そういうの? 知ってどうすんの?」

「……それは……」

 笹岡に姉のことを詳しく話したことはない。小野原なんて名字はそうないから、有名な冒険者だった小野原桜がシオンの姉だというのは、笹岡もすぐに分かったようだが、深く話はしなかった。お喋りでお節介な笹岡が、そのことには触れなかったことが、彼と気安く付き合えた理由ではある。

「……死んだ姉さんの、遺体が見つかってなくて。オレは、姉さんの遺体が、誰かに持って行かれたんじゃないかって……いや、もしかしたら……」

「死んですらなくて、生きてるかもしれないってことか?」

「……なんか、見るまで信じられなくて」

 んー、と笹岡は鼻をひくつかせ、バンバン! とシオンの背中を叩いた。

「いて!」

「わーった。それっぽい情報に気を付けとくわ。でもさ、一個いい?」

「うん?」

「それ言い出したん、お前じゃないよな?」

「え?」

「最近アクティブな理由は、浅羽ちゃんと組んだことだけじゃなくてそれもあるんか。出会ったときは仕事出来たらどーでもいーって感じだったし。パーティー作って生き生きしだしたけど、そんくらいでそこまでアクティブになっかなーとは思ってたんだよな。仲間出来たくらいで活力漲るなら、最初からあんなに死んだ魚の目してねーわな」

「死んだ魚?」

「誰かに、もしかしたらそうなんじゃないか? って言われたんだろ。姉ちゃんは生きてるかもしれない、死んでても、誰かに遺体を利用されてるかもしれないって」

 チャラチャラしていても、笹岡のこういうところはやっぱり鋭い。

「それで頑張ってんだったら、納得いったわ。いっこ聞いときたいんだけど、お前の周りにすぐ頼れる大人ってどんくらいいる?」

「……え? 大人……?」

 唐突な質問だが、考えてみた。父親、それから草間、キキの祖父母、若いがセイヤもよく力になってくれる。香坂は今でも電話で相談に乗ってくれる。鯛介、やえ、ハイジ、透哉……。

「なにそのむちゃくちゃ難しい顔」

 蒼兵衛を入れるかで悩んでいた。

「……まあ、10人くらい……」

「分かった。んじゃそこに、俺も入れといて」

 言って、笹岡は人差し指を顔の前に立てた。

「そんで、俺のことはその人達には言わねーこと。そしたら協力しちゃる」

「なんで?」

「それは笹岡お兄さんが、シオンくんだけの味方だからよ」

「……どういう意味だ?」

「こういう仕事してっと、色んな奴を信頼してたはずなのに、たまに本当に誰を信用していーのか分かんなくなるときあるじゃん。そういうとき、笹岡さんに話してみってこと。情報はシオンくんに流すけど、匿名希望提供者でしくよろ」

「分かった」

「違法の遺体回収やってる裏冒険者は思い当たらなくはねーな」

「本当か!?」

「ああ。遺品回収屋やってる奴ん中でも評判悪いのとかは、そっちに手を染めてるのもいるらしいから」

「そうか、遺品回収屋もいたな……」

 遺体や遺品の捜索を専門にしている冒険者や業者もいる。合法なものから違法な回収まで、様々だ。

「思い当たらないん?」

「オレはあまり知らないな」

「マジ? センターの喫茶店よく行くのに?」

「喫茶店? 《オデュッセイア》?」

「まーいいや。オレが知り合いの回収屋に聞いといてやるよ。それっぽい話あったら連絡すっから」

「本当か? ありがとう!」

「ホントにナイショよ? 笹やんネットワークはこの人当たりの良さで何年もかけて構築したんだから」

「ああ。幾ら払ったらいい?」

「金はいーよ。別に情報屋じゃねーし。そんかわし、こっちも協力してほしいことあったら頼むわ。体で払ってちょ」

「そんなんでいいのか?」

「いいよー。動けるからなお前は。シオンくんとは繋がってたほうが、お得だと思ってっから」

「そうかな」

「鼻がいいからね、笹岡さんは」

 笹岡がにんまりと笑った。それから、頭をぽんぽん撫でられた。

「ま、笹岡さんみたいな奴に騙されないようにって話よ」

「騙すのかよ」



 それからセンターで仕事を幾つか受けて、実家に向かった。父親の話をしたところだし、ちょうどいいから顔を見に帰ろうと思った。

 一晩泊って、翌日は姉の墓に行って、掃除をしてから帰るつもりだ。

 実家から紅子の家は近い。電車の中で、紅子にメールをしてみようかと思ったが、修行中だと透哉が言っていたし、邪魔になってもな、と思ってやめた。紅子も頑張っているのだ。気を散らしたくない。夏休みの宿題も進んでいないと言っていたし。

 公認ネクロマンサーのテンコと繋がったこと、笹岡に協力を頼めたことは良かった。でも笹岡が協力していることは誰にも言うなと口止めされたし、テンコのことも吹聴しないほうがいいだろう。

(あ)

 紅子に誕生日プレゼントを買ったものの、渡していない。さっき邪魔をしないと決めたばかりなのに、持ってくれば良かったと思ってしまった。

(しばらく一緒に仕事する予定も無いし……今度透哉さんに渡しておこうかな)

 紅子には勉強や修行に専念してもらい、ダンジョンの下見などはシオン達でしたほうがいい。

(オレのレベルも上がったし、元々高レベルのハイジもいる。危険度の高いダンジョンを申請してみてもいいかもな)

 申請しても許可が下りないこともあるのだが、魔法系が多くパーティーにいると申請が通りやすい。

(ハイジがいれば大丈夫だろ。レベルダウンしてても、元50のシャーマンだしな。どんなダンジョンでも許可が下りそうだ)

 ハイジだけではない。やえも、鯛介も、みんなすごい冒険者だった。

 それが皆、姉を慕っていたパーティーのメンバーだ。

 今のシオンと同じ歳だった姉を。

(……全然、適う気がしない……)

 はぁ、とシオンは息をついた。




 家の近くまで帰ると、線香の匂いがした。

 誰か来たのか、とシオンはすぐに思った。

 父親だけなら、普段は月命日くらいしか線香を上げないはずだ。

 古びた一戸建てに近づくほど、線香の匂いが強くなる。さっきまで新宿にいたせいか、家の周りは静かに思えた。夕暮れは蝉の鳴き声もどこか大人しい。

 門は錆びていて、手入れが行き届いていない。墓参りは今度にして、明日ペンキ買ってきて塗り直そうかな、と思いながら手を伸ばすと、ガララッと音がして玄関の引き戸が開いた。

「あ」

 と思わず声を上げてしまったが、家から出て来たのは見覚えの無い男だった。

「あれ、紫苑。おかえり」

 男の後ろから、父の竜胆も顔を出した。客を迎えていたとは思えない、よれよれのシャツに色褪せたジーンズに、サンダル履きで外に出て来る。

「ただいま……」

「ちょうどお客さんお帰りになるとこ」

 男がシオンを見て、小さく会釈した。若い人間の男で、髪も服装も真っ黒だった。夏なのに上下黒のスーツは暑苦しそうだ。眼鏡をかけていたので、なんとなく最初は編集者かと思ったが、背が高く、服の上からでも鍛えているのが分かった。多分、同業だ。顔は痩せていて目つきが酷く悪かった。

よるくん、息子の紫苑」

 父親が男に声をかけた。

「存じています」

 男がボソッと答えた。眼鏡の奥から、ジロッと睨むような目線を向けられた。見覚えの無い男だと思ったが、この視線には憶えがある。

「紫苑、入っておいで。紹介するから」

 父親がやって来て、門を開いた。驚いて固まったままのシオンの背を押し、さぁ、と促す。

「お線香上げに来てくれたんだよ。桜のお友達だった、夜くん。紫苑も会いたがっていただろう? 連絡しようかと思ったんだけど、そんなに引き留めるのもなと思ってね。今日たまたま帰って来るなんて、ちょうどいい偶然だったね」

「俺に?」

 夜が抑揚のない声で言った。癖なのか、喋るたびに眉間をしかめるので、不機嫌そうに見える。

「ああ、桜の仲間に会いたいって言ってね」

「……そうか。申し訳ない。俺のほうは、会わせる顔も無いと思っていた」

 そう言って、夜は深々と頭を下げた。

「え、……いや」

「謝ることないよ。夜くんが悪いわけでも、誰が悪いわけでもないんだから」

 頭を下げたままの夜の背を、竜胆がぽんと叩いた。

「紫苑も僕も、そんなこと何も気にしちゃいない。勝手かもしれないけど、気兼ねなく桜の話をしてくれたらいいと思ってる。それに、君達の人生はこれからも続くんだ。忘れてくれたっていい。もう随分、君達も苦しんでいるだろう」

 頭を上げない夜に、父親は落ち着いた声をかけ続けていたが、シオンは何も気の利いたことが言えなかった。シオンもずっと姉の姿を探しているから、きっと同じことをしている彼や、ハイジの気持ちは分かる。分かるから、止めようとも思えない。

「夜くん、もう顔を上げて。紫苑も困ってるから」

 そう促され、夜はようやく頭を上げた。

「良かったら、中に入らない? 息子も帰って来たし。食事でも」

「いえ、今晩仕事があるので、おいとまします」

「そうかぁ、残念だね。彼は優秀な冒険者だから、紫苑も色々話を聞きたかっただろう?」

 咄嗟に何も言えず、ただ頷いた。それを見て、夜が背広の内側に手を入れた。

「それなら、これを」

 小さなケースを取り出したかと思えば、名刺入れだった。一枚取り出し、シオンに渡してくれた。

花垂はなたれ よる〉と名前が書かれ、〈冒険者/ルーンファイター〉と小さく書かれていた。

「名字が好きじゃないから、必ず下の名前で呼んでくれ。必ずだ」

 二回言った。よほど嫌なのだろう。

「連絡を入れてもらえたら、そのときは出られなくても後で必ず連絡をする」

 いかにも真面目そうな人だと思った。

 昔、桜を迎えに来たパーティーを、よく遠目に見た。もっと若々しくて男前だったと記憶している。黒ずくめの装備だった彼は、いつも一目で分かった。見送りに出たシオンを、遠目からいつも睨んでいたから、何となく嫌われているのかと思っていた。

「困ったことがあったら連絡してくれ。桜の弟の頼みなら、出来る限り何でも聞きたいと思ってる」

「あ……どうも……」

 思っていたよりずっと良い人のようだ。そういえば、目つきが悪いだけだと鯛介が言っていた。

「紫苑も、なんか連絡先渡したら?」

 父親に言われ、名刺のサンプルを持っていることを思い出した。財布を取り出し、それを渡す。サンプルなので、本来の名刺よりペラペラの紙だが、連絡先は載っている。

「あれ、名刺なんて作ったの?」

「うん。いま作ってるところだから、これはサンプルだけど……」

「へー、見たい」

「見なくていい」

 興味津々で覗き込んでくる父親を押しのけ、シオンは夜に名刺のサンプルを手渡した。

 ほとんど笹岡がデザインしたも同然の、短剣を持った猫のロゴが入った、黄色地の名刺を、夜は黒縁眼鏡ごしにじっと見つめた。また眉間に深く皺が寄っている。

「夜くん、度が合ってないんじゃない?」

「……ええ。少し見えづらいくらいのほうが、仕事にはいいんで」

 笹岡はこれでいいと言ったが、渡して見るとけっこう恥ずかしいな……とシオンは思ったが、300枚も作ってしまった。若干後悔していると、夜がシオンを見て、真面目くさった顔で言った。

「この猫だが、すごく可愛いと思うぞ」

「あ、そうですか……オレは要らないかと思ったけど……」

「いいと思う。俺は犬派だが」

「そうですか……」

「……蚊に刺されたかもしれない」

 首の後ろを、夜がポリポリと掻き始めた。

「あっ、ごめんね。庭の除草してなくて」

 父親が慌てた。しとけよ……とシオンは思った。庭のある家が欲しいなんて言って買ったのに、昔からすぐに手入れを忘れる。父親の悪い癖で、最初は凝り性で綺麗な庭を作るのだが、一度怠ると面倒になるのか、すっかり構わなくなる。子供の頃は姉と二人、ブツクサ言いながら草むしりをしたものだ。明日は庭の除草をしようと決めた。

「じゃあ、そろそろ行きます。何かあったら連絡してくれ。桜の弟なら、何でも力になりたいと思ってる」

 夜が真っ直ぐに目を向け、言った。

 目つきが悪いだけで、嫌われていると思ったり、勝手に怖いイメージを持っていたことを、シオンは申し訳なく思った。

「あ、そうそう。この子ね、ハイジくんとパーティー組んでるんだよ。言い忘れてた」

 竜胆の言葉に、立ち去ろうとした夜が、動きを止めた。

「ハイジと?」

「やえちゃんから聞いてない?」

「いえ。千葉で遠目には見ましたけど。やえが呼んだのかと……」

「千葉?」

 シオンが尋ねると、夜は小さく頷いた。

「やえに呼ばれて、あの戦闘の負傷者を治療ヒールした。君のこともそこで見たが」

 言いながら、夜の顔が険しくなった。彼はシオンに向き直った。

「……ハイジには気を付けたほうがいい」

「気を付ける?」

「そうだ。桜もハイジを特別に頼っていた。他の奴が出来ないことが出来たからだ。そして、桜の為なら何でもする。自分の為の欲は何も無い。だから、桜に全部預けてしまった。桜を取り戻すまで、きっとどこにも心が無い。だから、何でも出来る」

「心が無い?」

 よく分からず、シオンは首を傾げた。ハイジは気難しいところもあるが、いい人だ。笑いもするし、泣きもする。何度も助けてくれた。そんなシオンの気持ちを汲み取ったのか、夜が言い直した。

「すまん、言い方を変える。悪い奴と言っているわけじゃない。ただ、アイツには……ハイジには、あの頃から、桜が全てだった。それ以外何も無かった奴だ。だから今でも、桜の為なら何でも出来る、そういう覚悟が誰よりもある。そういう意味だ。あいつは、桜の為なら何だって捨てる。何でも捧げるし、何でもやってやると、あのとき言った」

「娘が死んだ日のことなら、混乱してたんじゃない?」

 竜胆が宥めるように言ったが、夜は軽く頭を振った。

「だから俺は、待っていろと言ったんだ。桜の行方は、俺が探すって」

 彼は極力、冷静に話そうとしていたようだが、時折声が震えていた。本来は熱い気性なのだろう。かつての仲間想いだった姿が、容易に想像出来た。

 でも、それならどうして、とシオンは思った。

「なんで、一緒に探そうって、言わなかったんだ……仲間なのに」

 シオンが思わず呟くと、夜は一瞬目を見開いた。

 待っていられるわけがない。だからハイジなりに、桜を必死に探している。それがまるで、夜には悪いことのようだ。ハイジが悪い方向に進むと決めつけているようだ。

「そんなにハイジのことが心配そうなのに……それなら、一緒に探せば良かったのに。きっとハイジだって、一人で探したかったわけじゃない……」

「紫苑、よしなさい」

 父親が制するように、シオンの肩にそっと手を置いた。

 余計なことを言ったのかもしれない。シオンは、ハイジが可哀相だと思ってしまった。

「あ、すみません……」

「……ケンカを」

 夜が、ぽつりと呟いた。

 伏せた睫毛が小さく震えていた。それを隠すように、辺りはどんどん暗くなっていった。

「ケンカをしたから……」

「え?」

「あの日、ケンカをして……それきりだ……」

 夜の声は震えていたが、シオンにはそれが何故か分からなかった。

「ケンカくらいで?」

「紫苑、喧嘩だってするよ」

 やんわりと父が咎めた。

「彼らもまだ若い。あの頃……二十歳はたちくらいの子らが、仲間を失って、本気で喧嘩して、そのまま別れて――戻りたくたって簡単に戻れないんだ」

「そんなの、連絡すれば」

「出来ないこともあるんだよ。そのぐらい、本気で桜のことを想ってくれてたんだ。離れていても、夜くんもハイジくんも、鯛介くんもやえちゃんも、ずっと桜のことを忘れてなかった。今も苦しんでる。それを、彼ら同士の問題まで、紫苑が責めちゃいけない」

「いや、言う通りです」

 夜が言って、小さく鼻を啜ったようだった。

「……たかがケンカです。それを思い出しました。あれからハイジと一緒に行動するなんて、考えもしなかった。でも、本当にそうだな。ただ、仲直りすれば良かったんだな……」

 線香の匂いがいつの間にかしなくなっていた。

「もう行きます。時間なので」

 夜はそう言い、深々と頭を下げてから、去ってしまった。

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[良い点] めっちゃ面白いです! 緩急があって笑いがあって。 キキめっちゃ好きです。 [気になる点] 昔話はちょい長いかなぁと感じましたが、登場人物に思いがあるんだなぁと感じます。 [一言] ま…
[良い点] 笹岡さんもだけどこの作品の冒険者さんのちゃんと頭使って仕事してる感じ好きです 冒険者というと既存作品では昔の傭兵みたいなその日暮らしでちゃらんぽらんしてるイメージあったけれど、この作品だと…
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