少女と悪霊
珍しく、ハイジから電話があった。
〈仕事しないか? 関東の心霊ダンジョンを幾つかローラーして、高位のアンデッドを捜索するのが仕事だ〉
「心霊ダンジョン……?」
〈ああ。依頼主は僕の知り合いの霊媒士だ。僕の紹介ならもう一人護衛に雇ってもいいと言っていてね。彼女はお金持ちだし、かなり割りが良いから、どうかなと思って〉
「行く……」
二つ返事で言いかけたシオンだったが、思いとどまった。
「……行きたいけど、オレでいいのか? 心霊ダンジョンなんだろ……?」
〈ああ、霊媒士の手は足りてるんだよ。魔法系以外で、物理的に探索に役立つ人物と言われているから。君は探索に役立つ〉
「魔法系じゃなくても、心霊ダンジョンなら蒼兵衛やキキのほうが役立ちそうだけど……」
〈君無しであの子達を連れて行くのは嫌だよ〉
きっぱり言われたが、フォローも出来なかった。
少し間を置いて、ハイジが言った。
〈……たしかに、戦闘なら蒼兵衛は最も頼りになるし、キキは力がある上に小回りが効く。でも一番探索慣れしているのは君だからね。埼玉のゴーストも千葉の海も、本来君の特性では不得手な敵と環境だった。その中で君は成果を上げた〉
淡々とだが、褒めてくれているようだ。
〈今はもう評価しているよ、君のことを。魔石探しの下見にもなるだろうし、君もレベルが上がったなら心霊ダンジョンにはもっとアタックしたほうがいい。上位の危険ダンジョンは心霊系が多いよ〉
ハイジは経験を積ませてくれようとしているのだ。ぶっきらぼうだが、それが分かって、シオンは嬉しかった。
「ありがとう。じゃあ、頼む」
〈こちらこそ〉
「こちら、公認死霊術士のテンコ。今回の依頼主だ」
そう紹介されたのは、どう見ても子供だ。
小柄で、キキよりは大きいくらいの背丈に、背には大きな鞄――ではなく、棺を背負っている。
だぶついた紫色のロングパーカーに同じ色のキュロットスカート、黒いレギンスを履き、足の間にはふさふさとした黒い尻尾が垂れていた。犬亜人だろうか。すらっとした体は少年のようにも見えるが、名前からいって少女だろう。
猫耳のついたフードを目深にかぶり、黒い前髪にうさぎや花や星などファンシーなヘアピンをたくさん付け、フードを固定している。垂れたサイドの髪だけが肩の下まで流れている。
「ネクロマンサー?」
「ヒュウガとは違うよ。彼女は本来許されざる死霊術士の中で、公的に存在が認められている、特例死霊術士だ。しかも、十三歳という若さでね」
こんな子供が依頼主というのも驚くが、この若さでそんな凄腕のシャーマンだということもだ。そんなシオンの考えを読んだように、ハイジが言った。
「魔道士の能力は才能、それに尽きるからね。シャーマンの家系に生まれた者は、幼い頃から研鑽を積んでいる者が多い」
「ハイジも?」
「空代というのは、ガルーダでは名門の一族だ。僕は直系ではないけど、一族の名に恥じないシャーマンになるべく教育は受けた」
「すごいんだな」
「直系ならね。僕の家は本当に末端だからそうでもない」
特に卑下しているわけでも無さげに、ハイジが言った。シャーマンやガルーダのことはよく分からないが、それでもハイジの腕と経験はすごいとシオンは思っている。
「話が逸れたな。――彼女は、霊を使役する幽鬼遣いという術士でね」
「スプリ……?」
「スプリテイマー。あまり聞かないだろうね。簡単に言うと、霊と交渉したり、捕えて支配下において、使役したりするんだ。それで、まだ除霊されていない高位の死霊を日々探している」
「ワイトとか?」
「ワイト程度なら、彼女一人でも捕らえられるよ。もっと高位のアンデッドだ」
「悪霊であればあるほどいいです」
初めて少女が口を開いた。にんまりと口角を上げている。黒い前髪の間から暗い紫の瞳が覗いている。その笑みはどことなく不気味だが、それを差し引いても愛らしい顔だちをしている。
「ひひっ、ネクロマンサーの躑躅天呼です。本日はよろしくお願いしますです。ボクは仕事の他に週に二、三度は心霊ダンジョンに潜ってます。でもそろそろ、新しい大物を見つけたいです」
「新しい大物?」
「ネクロマンサーには彼ら独自のネットワークがあるんだ。各地で死霊化しているだろう有力な人物を、その生い立ちから全て調べ上げ、SSS級からC級までランク付けしている」
「ボクが言うのもなんですが、ネクロマンサーっていうのは、独特かつ、秘密主義者ばかりです。情報を共有はしても、ほとんどはボクのように単独で〈死霊狩り〉をしてるですよ」
「なんで?」
「そりゃ、獲物を取られたくないですから……ひひひっ……あ、変な笑い止めなさいってママに言われてるんだった……」
「まあ、彼らの話を聞くには、彼らと親しくなり、貸しを作るのが一番早いというわけだ。僕達はテンコのネットワークから情報を得たい。そしてテンコは高位の悪霊を同業者より先に手に入れたい」
「情報……」
「そう。桜の情報。そしてもしかしたら、浅羽家の情報」
「浅羽の?」
「彼女の父親はダンジョン内で還らない人になったんだろう? それに、御祖父も消息を断っている。力のあるソーサラーなら、ワイト以上の死霊になっている可能性が高い」
「あ……そうか」
兄は家まで辿り着いて亡くなったと、紅子から聞いている。葬式も上げたそうだから、ダンジョンでアンデッド化はしていない。でも、父親はダンジョンで亡くなったのだ。アンデッド化している可能性は高い。祖父もその可能性がある。
「死を予感したソーサラーはダンジョンのような魔素濃度の高い場所に死に場所を求めることが珍しくない。死してアンデッドとなったとしても、その死をねじ伏せて、生まれ変わることを信じてね」
「リッチは知性をそのまま残し、強大な魔力を手に入れ、人間と同じように過ごすことが出来ますよ」
テンコの言葉に、シオンは素直に驚いた。
「そうなのか? そんなアンデッドいるのか……」
「リッチは実際に人間に混ざって暮らしてる者もいるですよ。でもさすがに滅多に会えないです。激レアなんてもんじゃないですし、そのクラスだと遭遇しても使役は厳しいです」
「でも、浅羽光悦ならそれなりのアンデッドになっている可能性はある。餅は餅屋だからね、ネクロマンサーのネットワークは欲しい。だから、僕はテンコに協力している」
「よろしくお願いしますです」
テンコはひひっと笑った。
車は鯛介が出してくれた。ハイジが呼び出したのだ。しかもボランティアだという。
「いやー、最近しょっちゅう呼んでもらえて嬉しいっすよ」
シオンからすれば強靭なリザードマン族で、同じファイターでレベル48の大先輩で、しかも桜の仲間だ。運転手にと気軽に声をかけられる存在ではない。だが、当の鯛介は楽しそうだ。
「前はよく、夜中でも姐さんに呼び出されてたなぁ。姐さんって女の子なのに夜のダンジョン好きだったですよね」
「夜のほうがモンスターが出るからね」
「姐さんは探索より、討伐専門でしたからねえ」
昼でも夜でも嬉々として出かけていたような気がするが、仲間にしか分からないこともあるらしい。
「じゃ、俺はここで待ってますんで」
廃墟ダンジョンの傍で車を停めると、鯛介が言った。
「アタックしないんですか?」
そういえば、今日の彼はラフなTシャツ姿だ。
「かなり劣化した崩れやすい廃墟に、巨体の戦士は向いてない」
ハイジの言葉は冷たいように思えたが、鯛介はガハハと笑った。
「ま、そういうことっす。キキはチビだが力はそこらの人間よりある。あの侍の兄さんもだが、でかくなくて強いっていうのは、けっこうな武器っすよ。キキのこと、重宝してやってください。とんでもないバカだけど」
そう言って、ガハハと笑った。
「実際、高レベルのダンジョンはこういう場所が多い。危険度というのは、出現するモンスターの強さだけではない、探索のしにくさにもあるからね」
ハイジが言った。
たしかに、その日に回ったのは崩れやすそうな廃墟ばかりだった。しかし、特に問題なく踏破出来た。シオンが先に進んで安全なルートを確認し、戻ってハイジ達を案内する。アンデッドはハイジとテンコがあっさり倒し、入り込んでいたゴブリンや動物系モンスターはシオンが屠った。
そんな調子で、四時間もかからず五つのダンジョンを回った。ハイペースだが、依頼主のテンコがどのダンジョンも綿密に下調べしていたので、楽に回ることが出来た。
「さすがハイジさんの紹介してくれた冒険者さんです。サクサク進んでくれるから助かるです。ひひっ。掃除には数をこなしたいので」
六つ目のダンジョンに向かうまでの間、嬉しそうにテンコが言った。
「掃除?」
「彼女は廃墟ダンジョンの〈掃除屋〉でもあるんだ。そちらが本業と言えるかな」
ハイジが説明した。
「廃墟は、祓っても祓っても穢れやすい。建物を取り壊せば良いという問題でもない。どうしてだと思う?」
「アンデッドの封じ込め?」
「そう。アンデッドの家とも言える〈湧き場〉がなくなることによって、人の生活圏に彷徨い込んでくる。完全に封殺してしまうわけにはいかない。そこであえて〈湧き場〉は残し、定期的に浄化する。バランスというやつだな」
それは冒険者でなくても、周知の事実だ。だから管理されたダンジョンは安全だと思って心霊スポット巡りをする者もいるが、湧き場には違いないのだ。常に安全が保たれているとは限らないので、事故や事件が起こることも少なくない。
「中には想定を超えて穢れてしまう場所がある。そうすると凶悪なアンデッドや、それらが引き込む獲物を狙って、強力なモンスターが棲みつくことがある。そうした場合、建物は残し、モンスターだけを〈浄化〉する。彼女は公的な仕事として、それをしているんだ。まあ、公務員だね」
「え、子供なのに?」
「言っただろう。シャーマンは実力だって」
「学校は?」
「行ってますよ。行けるときは。ほとんどは通信で単位取ってます」
「大変だな……」
「仕事のほうが好きだからいいです。お兄さんは、そうじゃないんです?」
「え?」
「学校行ってます?」
「いや……」
「お仕事のほうが好きだから、ダンジョンに潜るんでしょう? だって、ダンジョンなんか、暗いし、気味悪いし、いいとこないです。好き好んで、行く場所じゃないです」
「好き好んでるわけじゃないけど……それしかなかったから」
「他にも仕事はいっぱいあるですよ。だから、ダンジョンに潜り続ける人は、みんなちょっとおかしいって思うです。ボクも含めて。いひひっ」
「彼は真面目なんだよ」
ハイジが言った。なんとなくフォローしてくれたのかな、とシオンは思った。
八つ目のダンジョンは、廃マンションだった。
車から降りるなり、ハイジが言った。
「あ、ここ、来てるね」
「え? なにが?」
シオンは思わず尋ね返した。
テンコがぴょんぴょんとその場で跳び跳ね、そのたびに背中の棺桶がガタガタと揺れ、黒い尻尾がふさふさと揺れた。
「ひひっ! いる、いる!」
「いるって?」
「それなりに高位のアンデッドだよ、土地から離れないやつは、シャーマンがすでに浄化してしまっていることが多いんだ。でも移動するゴーストもけっこういるから」
「へー」
「禍々しいものを感じる。うかうかしてると移動してしまうかもしれないから、早く行こう」
シオンは何も感じない。気味の悪い場所だとは思うが、心霊ダンジョンはどの場所もそうだ。かけてもらった〈精神防護〉の魔法のお陰かもしれないが。
かなり昔に朽ちた場所らしく、見た目は物々しかったが、他の場所同様テンコとハイジはさくさくと掃除を済ませていった。頭の無い男だろうが血まみれの女だろうが恨みがましげな老人だろうが無邪気に遊んでいる子供達だろうが顔色一つ変えず呪文を唱え浄化していくのだから、たしかに独特な人種かもしれない。紅子ならいちいち大騒ぎだろう。
「地下があるな」
先行して安全を確かめているシオンが、戻って来て伝えた。
「壊れたエレベーターがあった。階段も崩れてて、降りるのは難しいな」
エレベーターがあった場所には、ぽっかりと穴が開いていた。底まで四メートルはあるだろうが、崩れた階段を足場にして、シオンだけなら降りられそうだ。
ただロープをかけられるようなところがない。どこもかしこも朽ちている。
「あと残ってるのはこの地下だけだけど、ここはオレしか降りられないと思う」
シオンだけなら、突き出した鉄筋を足場にして戻って来られるだろう。
「しかし、いるのはワイトより上のアンデッドだ。君じゃ倒せない」
「どういうアンデッドなんだ?」
「まだ何とも言えないけど、ワイト以上なのは間違いないね」
「誘導出来ないかな。たとえばオレが姿を見せたら、ついてこないか?」
「正体が分からないから断言は出来ないけど、とり憑かれたら九割方死ぬよ」
「じゃあ、距離を取りながら誘導出来ないか?」
「どこから出て来るか分からないゴースト相手に、間合い取ったらなんとかなると思うの?」
「ならないか……」
「試す価値がないとは言わないけど、それは僕らが咄嗟に助けに行ける場所で試そう」
「そっか……あ、そうだ!」
名案を思いつき、シオンは思わず声を上げた。
「テンコならオレでも担げるぞ!」
「……は?」
ハイジが顔をしかめた。テンコも目をきょとんとさせた。
「体重どのくらいだ?」
「そんなこと女の子に訊くです?」
え、とテンコが引きつった顔になる。
「テンコは小さいし、キキより少し身長が大きい程度だな」
「キキ……?」
キキも十三歳で、同世代に比べると小さいほうだ。想像の中のキキと比べてると、テンコは145センチくらいだろうか。
うーん、とシオンは悩んで、
「キキよりは軽いとして……60キロくらいか?」
「えっ!?」
「そんな見た目よりずっしり詰まってるのキキくらいだよ。45キロくらいじゃないの」
「なんで二人して人の体重予想してるんです!?」
「オレは力は無いけど、テンコくらいなら担いで降りられるし、戻って来られる。……あっ、もしかしてハイジってガルーダだから、キキとは逆で骨が軽かったりしないか? それ次第ではハイジも担いで……」
「いや、リザードマンよりは軽いほうかもしれないけど……流石に無理だよ。キキよりは軽かったとしても、君よりは重いよ」
「そのキキちゃんっていう子は一体……?」
「じゃあ、オレがテンコを連れて降りる。ハイジは上からサポートっていうのはどうだ?」
「桜みたいなこと言うね……無茶苦茶な」
「移動する敵なら、準備を整えて再アタックする時間はないんだろ? 急ぐならそれしかない」
「まあね。依頼主はテンコだから、テンコ次第かな。どうする?」
「えー……こんな瓦礫、降りられるんです? 天才ネクロマンサーでも打ちどころ悪いと普通に死ぬですよ?」
テンコのフードの下で、耳がひくひくと動いた。よく動く尻尾からいって犬亜人だろう。疑わしげに、シオンを見上げる。
「オレは自信ある」
「うー、種族で偏見言いたくないけど、ワーキャットの言葉は酸素より軽いって言うですよ……」
「この子、腕は良い冒険者だよ。身体能力は本当に高い。飛んでるハーピーの上を渡れるような子だから」
「その話、今日一番興味深いですけど?」
「もし、ミスって落下しても、テンコのことだけは守って死ぬと思うよ」
「そしたら、アンデッドにして使役してあげますね……」
「それはやだな……」
テンコの背負っている棺は軽かったので、そのままで彼女をおんぶした。ダンジョンで荷物を背負って降りるのと変わらない。
「軽いんだな、その背中の」
「武器が入ってるですよ」
「武器?」
「後で見せるです。……いけそうです?」
「ああ」
「お、重くないです……?」
「大丈夫」
ずっと不気味に笑っていたテンコだったが、今はいやにもじもじしている。
「大丈夫だ、60キロもなさそうだ」
「ないですよ!」
「はいはい、そこまでにして。君達がターゲットに接触したら、ここからでも分かるはずだ。全開で〈呪縛〉を唱えるよ。離れてると効きづらいと思うんだけど、僕なら全力を出せば、階層が違ってもアンデッドの意識を向けられるはずだ。そうしたら術にかかる。どれだけ抑えられるかは分からないけど」
「数秒でも止まれば充分です」
シオンの背で、テンコがひひっと笑った。調子を取り戻したらしい。
「たぶん、降りたらそれだけで崩れ落ちる足場もあると思うけど、崩れる前に次に飛べば大丈夫だ」
「大丈夫じゃないですよ?」
「これ持っててくれ」
ウェストポーチからライトを取り出し、テンコに渡す。
「行くぞ。しっかり捕まってろよ」
どこが崩れそうか、どう崩れるか、足をついた瞬間に分かる。正しい方向に跳んで行けば大丈夫だ。
ハイジに上からもライトを照らしてもらいながら、崩れた足場を降りて行く。時々背中でテンコが「ひええ」と呟いていた。
「はー……アンデッドなんかより怖かったです」
無事に瓦礫を降りきって、テンコが息をついた。
「ここからも足場が悪い。背負って進むぞ」
「ふぁーい……ワーキャットの身軽さは、さすがです……」
「テンコは、ワーウルフだろ? ワーウルフのシャーマンなんて珍しいな」
「ワーウルフだけど、ウルフじゃないし、ドッグでもないです。ボクはフォックスですよ」
「フォックス……狐亜人?」
「ですです。今じゃワーウルフに分類されちゃってますけど。少ないですし」
「初めて会った」
「フォクシーはもう稀少種ですから、ワーウルフってことで暮らしてるほうがいいんです」
「そうなのか」
「珍しいと色々あるんですよ。フォクシーをワーウルフと分類するのは可哀相だって学者や活動家もいますけど、余計なお世話さんです。フォクシー側はワーウルフに統合されることを望んでそうなったんですから」
「そうなのか」
「お兄さん、ハイジさんの紹介だし、真面目そうだから言ったですけど、内緒にしといてくださいよ? フォクシーは珍しいし霊力も高いし、数年前に子供のフォクシーが行方不明になった事件もあったんですから。きっと人攫いだって」
「分かった。言わない」
地下を探索しているが、特に変わった気配は無い。シオンに霊感が無いからかもしれないが、そうでなくても感じる、強いアンデッドがいたときの空気の震えなどがまったく無い。
「……静かだな」
「でも見てると思います。完全に気配を断てるのは、強い証拠ですよ。ひひっ、かなり高位の奴がいますよ……誰かな~……」
「誰とか分かるのか?」
「もちろん。見れば大体当たりはつきます。高位の魔道士の死亡情報、死後の行方、出現しそうな条件、生前の情報まで――ネクロマンサーは常に情報を探してるです」
「使役する為にか?」
「ボクはそうですけど、そうじゃない人もいますよ。単純に討伐したいとか、実験用とか、金儲けの為とか、死者にだって色んな使い道があるです」
そう言って、テンコが道の先を照らしていたライトを消した。
「どうしたんだ?」
「くる」
テンコが急に声を低くし、くうと唸り声を漏らした。
(きてるな)
かすかだが、静謐なダンジョン内で、蝋燭の火がゆっくりと揺らぐような、わずかな震えを感じ取った。もちろん実際に風が吹いたわけではない。研ぎ澄まされた霊感でそれを察知した。
ふ、と息をつき、ハイジは大杖を地面に突き立てた。銀水晶――別名・霊水晶とも呼ばれる稀少な霊玉、翼をあしらった装飾――は、自分が鳥亜人だから、本能的にイメージを委ねやすい。羽のように魔力が広がるイメージを喚起しやすいのだ。
ハイジにとって最も扱いやすい形にした魔力の触媒は、桜とパーティーを組んでいた頃に活躍してくれたものだが、ずっと預かってくれて、手入れも欠かさなかったやえには感謝する他ない。この仕事が終わったらお中元でも送ろう。
「――傷つき、疲れた魂よ。その心を横たえよ」
詠唱が進むにつれ、その背から実体の無いガルーダの翼――霊羽が広がっていく。ハイジの魔力である、銀の輝きを帯びながら。
「目を塞ぎ、思考を閉じ、停止せよ。苦痛に目醒めることの無い、暗く優しき世界に堕ちてゆけ」
大杖を体の前で持ち上げ、杖先をどんっと垂直に突き立てる。地面と杖が垂直であるほど、霊力が放出されやすい。その他にも細かい条件が重なり、それらをクリアするほど真価が発揮される。だから、どんな混乱した戦闘中でも状況化でも魔道士や霊媒は、冷静さを失ってはいけない。
「アア……アア……アアア……ア、アー……」
ふらふらと身を捩りながら、女性の姿をしたアンデッドが呻くような、笑うような声を漏らしている。
宙に浮いた、異様に大きな女の霊だ。普通の人間のサイズではない。顔を見ようとしたが、見ようとすればするほど、よく分からなくなる。さっきまで髪の長い若い女だと思っていたが、今は短い髪の老婆に思える。
「姿見ないほうがいいです。どっちにしても、まともには見えないです。あんまり見てたら気が狂うですよ」
「ハイジが〈呪縛〉をかけたのか?」
「そうです。相手は高位のアンデッド過ぎて、完全に動きは止まってないですが、さすがハイジさんです。一定時間は魔力も使えず、逃れることも出来なくなったはずです」
ぴょんとシオンの背中から跳び下り、テンコがにたりと笑みを浮かべた。
「SSの危険級アンデッド・女教祖《御薬袋氏妙子》に間違いないです。生前に尊敬を集めた女宗教家しか転生しない正真正銘のレアアンデッド、《女教皇》です!」
自分の背丈と同等くらいの大きさの棺をどすん! と下ろす。
「死霊術士的に、絶対欲しいです!」
「知ってる霊なのか?」
「知ってますよ。知り合いじゃないですけど。ネクロマンサーなら知ってます。御薬袋氏妙子、大正十年、静岡県清水市のお医者さんのうちに生まれた治療士の女性です。のちにはカルト教団の女教祖になるです」
「ア、あ、ア」
ハイジの術で縛られ動きを止めているアンデッドが、ただの呻きではなく、反応らしきものを見せた。
「高位の死霊を支配下に置くのは簡単ではないです。死霊の名前、出生地とか、把握している情報が多いほど術の成功率が上がるです。生前の記憶を呼び起こすことで、術者と感応させる効果もあるです」
テンコはにたりと口を歪め、女を見上げた。
「終戦後、治療士であった彼女の許に人が集いました。高名な女性治療士・ナイチンゲールに憧れていた彼女は、弱く傷ついた人達に、食事や寝床や治療を施していたんです。――ですよね?」
テンコの問いに、アンデッドは言葉にならない声しか上げていない。だが、何となく返事めいた響きにもシオンには聴こえた。その声を耳にすると、内臓の中を撫で回されているような不快感を憶える。
(危険ダンジョンじゃなくても、こんなのがいるのか……)
精神防護魔法をかけてもらってなかったら、立っていることも出来ないかもしれない。一応、武器に手をかけているが、何の役にも立たないだろう。それでも、霊とテンコの動きに注視する。
「やがて貴女は、その治癒術や人望を利用しようとする人達に目を付けられるようになってしまった。嫌がらせを受け、騙され、暴力を受け――とうとう貴女は精神に異常をきたした。害した人々を殺めると、多くの信者を集め、カルト宗教団体《夜啼き鳥の家》の女教祖として、長年に渡って多くの信者から魔力と霊力を搾り取った……ですよね!?」
「ア、アアアアア、あ、あ……!」
廃墟全体がビリビリと震える。ハイジの拘束術はまだ効いているようだが、早く破られるかもしれない。だが、テンコは少しも焦った様子はない。
「くふふっ、恨みと妬みと穢れがビリビリきてる……!」
少女は自分よりずっと大きなアンデッド相手に、普通の人間ならその声だけで倒れてしまうような不快な《不死者の叫び》を全身に浴びながら、けろりとしている。どころか、目を輝かせている。
「ひっ、ひひっ! 貴女は死の間際に命を求め、若い女性や子供の生き血を啜り、《吸血聖女》と呼ばれた。死後、SSの危険級悪霊、《女教皇》と化して、今もなおこうして各地を彷徨っている。――間違いないですかぁ!?」
瓦礫だらけの床の上に置いた棺が、バン! とひとりでに開いた。
「さぁ、素敵な器と、おうちを用意しましたですよ……ママが作ってくれた人形、可愛いでしょう? いひひっ!」
棺の中には大きく不格好なぬいぐるみが横たわっていた。大きなシーツに乱雑に綿を詰め、人型にし、頭部に茶色い毛糸を埋めて長い髪にし、目の代わりに大きなボタンを縫い付け、赤い糸で縫った口は、下手くそな縫い目でギザギザになってしまっている。一応ワンピースも着ていて、不器用なのかわざとなのか、見た目はもう立派な呪い人形だ。
その人形の腕がクロスして、胸に杖のようなものを抱いている。テンコはむんずとそれを掴んだ。その先端には草刈り鎌のような刃が付いていた。
一部のソーサラーの間で何故か人気のある、死神の鎌だ。刃があり斬りつけられるが、武器というより魔力の触媒として使う。その持ち手に、テンコは自分の腕ごとぐるぐると数珠らしきものを巻き付けていった。パン! と手のひらを叩くと、蠢いていたアンデッドの動きがピタリと止まった。そして鎌を構える。
「自縄自縛せしその魂、人の世離れ、穢れ堕ち、その未練、怨念は、疫病の如く地を穢し、哀れに積んだ罪と業、もがきあがくその魂、もはや念仏では消えもせず、常世を拒みし魂っは、未来永劫彷徨いて、成仏などは出来もせず、還るところも在りはしない――……」
朗々と紡がれる読経のような詠唱と共に、動けないSS悪霊にデスサイズで斬りつけていく。その一撃一撃で、女悪霊が叫びを上げた。
テンコはただ斬りつけているだけだ。その動きは手練れでもなんでもない。しかし、確実に斬っている。それが普通なら出来ないのだ。ハイプリエステスは物理攻撃も魔法攻撃も耐えるワイトよりも遥かに高位のアンデッドだ。
彼女の力と周到な用意が、その力を上回っているということだ。
「ひひっ、悪霊であっても女性の霊の多くは、何故か子供の術者に甘いんです! 攻撃がよく通る通る! いひひひっ、笑いが止まらないですぅ!」
……中学生くらいの女の子って、みんなこんな感じなのか? とシオンはキキのことを思い出した。
「ふひひっ、ラッキーラッキー……同業者がいないときにエステスをゲット出来るなんて、嬉しいなぁ」
よいしょ、と棺を背負いながら、テンコがにたにたと笑いを浮かべる。鎖と数珠でグルグル巻きされた棺には、札までベタベタと貼られ、その中で何かが暴れているようにガタガタと音を立てている。かなり不気味だ。
テンコは平然とそれを背負い、時々「うるさいですよ」などと言いながら、棺を叩いている。
「途中で、ハイジさんが〈呪縛〉を重ねがけしてくれてたみたいです」
「そうなのか」
シオンに分かる筈もない。元よりシャーマンの攻撃というものは、目に見えないから地味、となどと揶揄されがちだ。
「ハイジさん、絶好調ですねぇ。SS危険級を出会って即、〈呪縛〉一発で決めるなんて」
「大杖に持ち替えたからかな。馴染むって言ってたし」
「ハイジさんと一緒だったから、パーティー組まずに済んだです。本当なら、レベル40以上のシャーマンが三人は必要な相手ですけど、あんま同業者いるとゲットしにくいですから。同じネクロだと取り合いになっちゃって、殺し合いになりかねないです。しかも、レアレアのエステス……これからしっかり使えるようにしないとです!」
テンコはにっこりと、ようやく、普通に見える笑顔を見せた。その背では棺がガタガタ動いているので、まったく普通ではないのだが。
「その霊、どうするんだ?」
ガタガタ動く棺を背負ったテンコを背負い、シオンは瓦礫だらけの来た道を戻った。
「ヤバい悪霊ですからねー、しばらく調教が必要ですけど、使役出来るようになったら、仕事に役立てるです。本来の仕事はダンジョン掃除屋なんで」
うきうきとした少女の声と、ガタガタ動く棺の音が背中から聴こえる。心なしか、行きより重たい気がする。悪霊の体重だろうか?
「シオンお兄さんもありがとうです」
「オレは別に大したことはしてないし」
「昨日、危険級アンデッドの目撃情報を掴んでから、けっこう絞り込んでたとはいえ、一晩でこれだけダンジョンを回れたのはお兄さんのおかげです。同業者も狙ってますから、少しの出遅れが永遠の出遅れになるですよ。それに……」
「それに……?」
「ハイジさんが、彼といると高確率で面白いことが起こるって言ってたの、その通りでした」
「そうかな……」
「お兄さんきっと、『引き』がいいんですね。えへへ、今後ともごひいきにです」
シオンには見えないが、テンコがぺこっと頭を下げた。
「今回のエステスの借りはでかいですから、なんでも言ってください」
「それは、ハイジに言ってくれ。ハイジとオレの目的は同じだから」
「きな臭いことをしてそうなネクロマンサー……ソーサラーでもシャーマンでも、いたら教えてほしいって言ってたですよ」
「じゃあ、それを頼む。ダンジョンで死んだ、オレの姉さんの死体が見つかってないんだ。もし……誰かに持ち去られていたら……」
「気にしてますけど、大体みんなきな臭いし、イカれてるですよ。これっていう怪しい奴は、ハイジさんに全部教えたし……」
「どんな情報でもいい。詳細は自分達で調べるから。もし出来たら、テンコのような死霊を使役したり、死体を集めているような者をもっと知りたい」
「死体集めですか。じゃあ、同業者の間で交換してる、ネクロマンサーのブラックリスト送ります。ボクらの間でも嫌われてる奴とか、ヤバめの非合法とか」
「ありがとう」
少し後ろを向くと、棺が少し開いていた。
「……棺から、手が出てるように見えるんだが……」
「あ」
鎖を押し上げ僅かに開いていた棺の隙間から、人形の手の先が出ている。「ナイフ貸してください」と言ったテンコに、シオンは腿に装着したナイフを渡した。受け取ったナイフであっさり人形の手首を切り落とし、テンコは棺を締めた。それからもガタガタと動き、呻き声が洩れてきたり、女性の声で「テンコちゃん、開けてえ」と聴こえてくる。
「なんか言ってるぞ」
「ママの声です。ママはうちでテレビ観てるですよ。やっぱり念が強いなぁ……寝たら一気に殺されるです。しばらく不眠不休でこれを制圧しないとなんで、連絡出来ないかもですけど」
「ああ、手の空いてるときでいい」
「同業者にも聞いとくです」
「ありがとう」
エレベーターホールに辿り着く直前に、あ、とテンコが声を上げた。
「忘れてた。ハイジさんが、行方不明になった浅羽光悦ってソサの情報、訊いてたですけど」
「こうえつ?」
たしか、紅子の祖父の名だ。
透哉からも話を聞いたことがあるが、あまり良い人物ではなさそうだった。
「です。確認はされてないけど、知ってる人は知ってるソサみたいで、悪霊になってたら捕獲したいって情報追ってた同業者がいたって分かったんですけど」
「本当か? その同業者と、連絡取れるか?」
「それが、行方不明みたいで。別に関係ないかもですけど、一応伝えておこうと思ってたんです」
「そうか……ありがとう」
「よくあることなんで、忘れてました。けっこういきなりいなくなったりしますからね、ボクら」
「一応、後でその人の名前だけ教えてくれ。後はオレ達で調べるから」
「はーい」
「その死んだ同業者ってのは、ネクロマンサーなのか?」
「そうですよ」
「ネクロマンサーなら高位のアンデッドになってるんじゃないか? テンコは追わないのか?」
テンコのフードの猫耳部分が、ぴこぴこと動く。正確にはキツネ耳だが。
「んー、同業者が死んだ案件って、ボクらはあんまり追わないです。なんか、ゲンが悪いっていうか。そういうジンクス、けっこう気にするですよ。追うなら気をつけてくださいです。お兄さん、引き強そうだし」
「オレには何の魔力も無いんだけどな……」
「意外と、隠れた霊力あるかもしれないですよ。ワーキャットって、たまにシャーマンの素質持ってる人いますから」
「知ってる」