魔法使いの弟子
東京都西多摩郡の《秘境》と呼ばれる場所。
近隣の村とも10キロメートル以上離れている、山中の一軒家。
鬱蒼とした森の中にあるには、あまりにもごく普通の戸建て住宅。
タカオホームの家だと、透哉が言っていた。住宅展示場でよく見るらしい。「地震に強いんだよねえ、こういう家に住みたいな」なんて。
そこが魔道士・草間青藍の家である。
「書き出せ」
千葉から帰って来て、一番に草間から言われた言葉だった。
「はへ?」
いかめしい顔つきの師を前に、紅子は間の抜けた声を出した。
青藍は剃った頭にバンダナを巻き、いつもTシャツにジーンズという格好だが、顔も体も無駄な肉をすっかり削ぎ落としたように痩せていて、黒く長いローブを着せたら、いかにもファンタジー映画に出てくる魔道士! になるだろうと、紅子は思っている。
「表を作っておいた。日付ごとに書くように。ここがダンジョン名、ここが使用した魔法を書き込むところだ」
「マ、マメですねぇ……」
机の上に、草間がどさっと紙の束を置いた。パソコンで打ち出ししたのだろう。
日付を書く箇所が一つ、表の中にダンジョン名、状況、使用した魔法、遭遇したモンスター、備考などと、細かく項目が分かれている。
「これは……もしや……」
筆箱からシャープペンを取り出し、紅子はごくりと息を呑んだ。
「千葉の冒険中に、何の魔法を使ったかを書き出す表だ」
「ヒィィ……やっぱり……!」
「覚えている限りでいいが、出来る限り書き出せ」
「こ、これ、行く前に渡しておいてもらえたら、向こうで一日の終わりに書いたりとかですね……!」
「先に言っておくと、冒険中にもそのことを考えて気が散るタイプだろう、お前は」
「あう……そのタイプです……」
「憶えている限りでいいが、出来る限り思い出して書き出せ。冒険を一から振り返るのも修行のうち。記憶力を養うことも魔道士の訓練の一つだ」
「あああ……仰る通り……」
うむ、と草間が頷く。
机に突っ伏していた紅子は、はっと顔を上げた。
「あっ、そういえば、千葉にいる間に使っていい大魔法三回なんですけど、よく考えたらどっからどこまでが大魔法なのか、聞いてなかったなぁと思いまして……」
「あれか。聞いていかなかったな」
「お、お気づきでしたか……」
「電話ででも訊いてくるだろうかと思ったがな」
「ひぃ……その手があった……」
「どのタイミングで使った?」
尋ねられ、紅子は頭の後ろを掻いた。
「いやぁ……それが、悩んでいるうちに、ずっと使えずじまいで……皆も強いもんで、あんまし使うこともなく、最後の最後で一気に……」
「そうか。それでいい」
「それで……え? それでいい……? よ、良かったんですか?」
「ああ。どうせ適当に言っただけだ」
「てっ! 適当……!?」
紅子は唖然とした。
「わっわたしっ……けっこう悩んで魔力を配分したりですね、攻撃魔法で援護したいときもあえてしなかったり、皆が頼りになるので何もあんまりしなかったり……!」
「それでいい。その皆が出来るうちは、しなくていい」
「しなくていい……!?」
「短い間ではあるが、お前を教えていて分かった。お前は、考えて行動出来る魔道士ではない。好きなように動け」
「え……ええー!」
なんか投げられた気がする。紅子が愕然とした。
「ただし、配分はしろ。最後の最後まで、絶対に魔力を使い果たすな」
「さ、最後の最後……?」
「最後とは、どのタイミングだと思う?」
「んーと……今回で言うと、最後の海戦かな?」
「その後にまた戦いが起こる可能性もある。いいか。家に帰って来るまで、魔力を使い果たすな。それが魔道士のすべきことだ」
「温存が、ですか……?」
「そうだ。使わずに済むなら、それでいいのだ。今回、お前が最後だと言った海戦で、残っていた魔力を全て使いきったのなら、それがお前の大体の魔力量だ。次回に生かせ。その為に、これを書き出す」
とんとん、と草間が机の上の紙を叩く。
「とりあえずざっとでいい。終わったら、一日目から順を追って冒険を振り返っていこう。俺もお前の記憶を一緒に手繰っていく」
「し、師匠も、一緒に……?」
「ああ、流れを追っていきながら、細かい箇所は俺のほうから尋ねる。今回の冒険をトレースしながら、振り返っていくことで、俺とお前で反省会をする、ということだ」
「……師匠……!」
大量のプリントを目の前に置かれたときには、夏休みの課題を重ねてしまったが、普段にこりとも笑わない師に、「一緒に問題を解こう」と言われ、紅子はすっかりやる気になった。
よく見たら、勉強用に用意されている紅子の机に、新品のペットボトルのお茶が置いてある。不器用な草間なりの優しさを感じた。
「うう……師匠だいすき……」
「やめろ……」
嫌な顔をされてしまった。
「あ、そうだ。師匠」
「なんだ」
「お土産があるんですよ! 千葉で買いまして……」
不機嫌なお坊さんみたいだと紅子がひそかに思っている顔が、珍しく驚きと困惑に満ちた。
「……俺にか?」
「ですです」
「そ、そうか」
紅子は椅子の横に置いているトートバッグから、土産用にラッピングされた紙袋を取り出した。
「自分で言うのも何ですが、師匠に似合うと思うんですよ!」
「似合う……?」
「はいっ!」と渡された紙袋を、草間はおずおずと受け取った。
草間はいつも髪を剃り上げた僧のような頭に、バンダナかタオルを巻いている。理由は剃ってはいるが坊主が似合わないから、ということらしい。
そのバンダナが、ほとんど無地であることが、紅子は気になっていた。
紅子がじーっと紙袋を見つめていたので、草間は尋ねた。
「……今ここで、開けたほうがいいのか?」
「出来れば」
こくこくと紅子が頷く。
「師匠は見た目若いんですから、もっと派手にいきましょう!」
「別に自分が老けていると卑下したことはないが……一体何を……」
若い娘の期待に満ちた目が怖い。
開けると、南国を思わせる色鮮やかなバンダナが三枚入っていた。
「三枚セットでして……」
安売りワゴンの中で、というのは言わなかった。
「バナナの柄が特にオススメです。師匠は黄色似合うと思うんですよ」
「……そうか。ありがとう。だが気を遣わなくていい」
「いえいえ、お世話になってるので、このくらいは。これからもご当地バンダナを見つけたら買ってきますよ!」
「ご当地……?」
「さっそく着けてみてください!」
「え」
笑顔の弟子に、草間は眉をしかめながら、バナナの他の柄を確認した。
「ううむ……これなら」
海を思わせるマリンブルーのバンダナは、折り畳まれていたので一見すると色が鮮やかなだけの無地に見えたが、アニメ調のイラストで、イルカとマーメイドの柄が入っていた。
「これは……これはいかんだろう……」
愕然と草間は呟いた。何故これが自分の頭にチョイスされたのか、動機は知りたくない。
「でもアクアリアでは外国人観光客にすっごく人気らしいですよ、ジャパニメーション柄。痛車みたいでいいかと……」
「何故俺の頭を痛くしようと……?」
「アクアリアご当地キャラクターのまりあんちゃんと、イルカのピッキーです。知る人ぞ知る人気だとか……」
「そうか……掃除をするときに着用させてもらおう……」
「元気でちゃいますね!」
「……そうだな」
紅子の笑顔に押しきられ、最後の一枚も開く。いかにも南国風のオレンジや赤色のパッショネイトな色合いに、くちばしの大きな怪鳥の絵が入っていた。
「これはアマミノスチュパリデス……」
「アマミノ……」
「奄美大島原産の怪鳥だ。ご当地と言っていたが、南房方面に行ったのではなかったのか? どこのアクアリアに行ったんだ?」
「ち、千葉です……」
日本南方原産の鮮やかな怪鳥は、南国風イラストのモチーフとして人気がある。が、千葉のご当地では決してない。
しかし一番マシだったので、草間は頭に巻いていた紺一色のバンダナを外し、アマミノスチュパリデスの姿が見えるように巻いた。
「わあ、似合います! カッコいいですよ!」
「……そうか」
「いやー、師匠はやっぱり派手な色がいいですよ! 色白だし!」
紅子がぱちぱちと手を叩く。拍手の音を何かの合図と思ったのか、隣にのっそりとまぐろが歩いてきた。
「あ、これはまぐろに!」
トートからもう一つ袋を取り出し、自分で開けると、大量に泳いでいる魚が描かれているバンダナを、まぐろの首輪の上に巻きつけていく。
「それは……いわしではないか?」
草間の紅子の笑顔が引きつる。
「はい……いわしの魚群ですね……まぐろ柄はなくて……」
魔犬のハーフであるまぐろは、されるがまま大人しく座っている。
「そういえば、アクアリアで海犬をいっぱい見ましたよー。尾っぽの人魚さんを乗せて歩いてました」
「スタンダードテイル・マーメイドが地上で暮らすためには、欠かせない騎獣だな。海犬にも種類が様々あり、大型であれば小型の牛くらいのサイズにもなる。二人乗りも出来る」
「へぇ~クレイはそんなに大きくなかったな。あ、お友達になったマーメイドの子が乗ってたんですけど」
「スタンダードテイル・マーメイドや蛇亜人のように、居住区以外で暮らすには不便な種もいる。騎獣や訓練士の需要は高まっているな。ナーガは数少なく、積極的に居住区を出ないが、マーマンは社交的だからな」
「へぇー。アイカちゃん、クレイと遊びに来てくれるといいなぁ」
まぐろの頭や顎の下を撫でながら、紅子がクレイの姿を思い出す。アイカは紅子より少し小柄だったが、彼女を乗せていたくらいだからクレイはけっこう大きかった。
「まぐろより大きかったかな~」
「まぐろも騎獣の訓練をしているぞ」
「えっそうなんですか!?」
「魔犬は長く生きる。そのぶんゆっくり成長していく。そのまま家畜化するには気性が荒いため、家畜とするため品種改良を繰り返し、様々な品種があるわけだが、騎獣とする魔犬は最低サイズでも今のまぐろくらいはあるな」
「今のまぐろ、とは……もしや、まぐろはもっと大きく……?」
「まぐろには巨大犬の血が入っている。環境を整えいくつかの条件を満たして育成すれば、ゆっくりとではあるが、かなりの大きさになる」
「なんと……まぐろはそんな雄大に……?」
「育て方にもよるがな。それに時間もかかる。今のこいつでは、子供くらいしか乗せられんが、歩行補助犬の資格はすでに持っている」
「まぐろさんは……社会人……いや社会犬だったんですねぇ……」
きょとんとした赤い瞳を見て、紅子はその頭を撫でた。
「師匠は、騎獣の訓練士だったんですか?」
「いや、多少のしつけは出来るが。ただの里親だ。幼獣の頃に預かって、一度は訓練士に戻した。元々まぐろは、ナーガ族の騎獣になる予定だったんだが、適正試験で落ちてしまってな、俺が引き取った」
「適性試験?」
「ナーガ族は、羊亜人と並び、亜人でトップクラスの魔力を多く有する種族だ。また兎亜人に並び、魔力感知能力もトップクラスだ。能力のほとんどを魔力に振り切ったような種族だ。ゆえに、魔力消費量も絶大であり、ほとんどが〈魔力喰い〉の特性を持っている。彼らの場合は種族固有の特性で、ほぼ全員がそうであるため、魔力喰いと呼ばれることはないがな」
草間は愛犬に目線を落とした。
「彼らの騎獣をつとめるには、並外れて魔力保有が可能な犬種か、逆にまったく魔力が無いほうが良いのだ。まぐろは、魔力保有量でやや規定値に足りなかった。素養はあるので、成長すれば魔力保有量が増えることもあるだろうが」
「ほー。でも、それに受かってたらまぐろはナーガさんとこで働いてたのかぁ。私はまぐろに会えて良かったよー」
紅子は大人しく座るまぐろの頭をよしよしと撫でた。
「ナーガかぁ。マーマンはあちこちに居住区があるけど、ナーガはあんまし聞かないですねえ」
「鳥亜人ほどではないが数が少なく、関東に居住区は少ない。彼らは魔力を多く持つゆえに、古来から面倒ごとに巻き込まれることが多かった。未だに人間の魔道士をあまり好ましく思っていない者も多い。好戦的でもないが、保守的な彼らのほうから友好的に接する種族は、リザードマン族くらいだろうな」
「なんでリザードマンだけ?」
「その大きな魔力や、非常に奇異な容姿のため、歴史ではたびたびナーガ狩りがあった。リザードマン族はあのように正義感が強く、同じ爬虫類と混じった亜人だからな、昔からよくナーガを守ったのだ。まあ、親戚のような感覚かもしれないな。本当は全然違う種族なんだが」
「へー」
紅子がやや興味を失くしてきたようなので、草間は彼女が好きそうな話題を取り入れた。
「……男の多いリザードマンと、女の多いナーガでは、恋愛関係になることもあり、各地に悲恋の伝説もあるんだが……」
「あ、そういう話好きです! でも、なんで悲恋なんですか?」
「似ているようで、まったく違うからだ。リザードマンは非常に頑強な種族だが、他種族との間では子供出来にくい。また、ナーガは同種族同士ですらあまり子を成せない。加えて、魔力の無いリザードマンと、魔力量の多いナーガの間では、更に子が産まれづらい。父譲りの器に、母譲りの大きな魔力を受け継げなかったり、逆に母譲りの器に、魔力のまったく無い子が産まれてしまうのだ。自ら魔力を産み出せないナーガの子は、他者や魔石から魔力を供給することでしかその肉体を維持できなくなり、短命となる。産まれてくる子のために、彼らが添い遂げることはほとんどないのだ」
「そんな……ううう……」
「話を聞いているだけで泣くな」
「……に、人間とワーキャットで良かった……」
涙を拭っている紅子が、小声で何か言っていたが、聞かないふりをした。幼い頃から知っている友人の息子と、まがりなりにも弟子である娘との関係に、あまり言及したくない。
「……さて、亜人の授業に切り替えてもいいが、今のお前には特に有益ではあるまい」
「あ、そうですね……ワーキャット学には興味ありますが……」
「今度な……」
草間は派手なバンダナの上から、頭を抑え、ふうと息をついた。
「とはいえ、ナーガの魔力循環能力は、魔力喰いのお前が学ぶ部分もあるが……。まあ今度だ」
「ふーむ。体内魔力循環かぁ……お兄ちゃんにもよく言われるけど」
「お前の場合は自力でなく、他者から強制的に魔力を『吸収』する素養がある。それと何よりも、『放出』の制御だな」
「はい……」
「難しそうな顔をするな。気構えなくていい。お前は圧倒的に経験が足りないのだから、これから学んでいけば良いのだ。そのためにも千葉の冒険を振り返っていく。一人でやらずともいい、俺も多少の導きは出来る。これでも、元・冒険者だからな」
「し、師匠ぉ……!」
「しかし、お前の兄……従兄か。彼は、そういうことにも手を出さないんだな」
「はぁ……自分が何か教えて、変な癖がついてはいけないからって、よく言ってました」
「それは、まあ間違いではないんだがな」
これほど才能のある娘なら、少しは指導してやりたくもなるだろうに。
世俗を断った草間でさえ、彼女の才能から目を離せないというのに。
「透哉お兄ちゃんは、自分は、純粋な魔道士ではないからって」
「戦闘魔道士か」
魔力と肉体を駆使し、歴史の授業では主に、傭兵を生業としていた魔道士のことを指す。
大抵は秘匿された一族の中で育てられ、独自の厳しい訓練を受ける。
「ほんとのお兄ちゃんのほうが、強かったって言ってましたけど。ほんとのお兄ちゃんのこと、こっこはあんま覚えてないし。こっこ……私が物心ついたときには、透哉兄ちゃんはただのサラリーマンだったし。強いかとかよく分かんないんですよねー」
「戦闘魔道士の強さは、魔力の強さに頼らぬところがあるからな」
「お兄ちゃん、足が長いんですけど、よく自分のサイズを忘れて、目測を間違って小指をどっかにぶつけて苦しんでるっていう、鈍臭いとこがあって……」
鈍臭そうな娘に鈍臭いと言われる男に、草間は同情した。
たしかにのんびりした雰囲気で、大した魔力も感じない。常に物腰柔らかく、慇懃だが、どこか自信を感じさせる堂々とした態度の男。
浅羽光悦の孫と聞いて、どこか納得した。知る者は知るマイナーな魔道士だ。
草間の知る魔道士ネットワークでは、浅羽光悦の人柄を知る者は少なかった。語る者により、寡黙だったとか、饒舌だったとか、印象も違う。
それがどこか、透哉の姿を思い出させた。彼は常ににこやかで、同じような振る舞いをしているが、それだけではない何かがある。
「でも、私、先生は、草間師匠で良かったと思ってますよ」
紅子があっけらかんと言った。
「……そうか」
「師匠は、すごい師匠ってかんじですもん。お顔がすごく絵本とかに出てくる魔法使いっぽいし。私、魔法使いの弟子とか憧れてたんで」
「魔法使いの弟子……」
「知ってます? 児童書で、《魔法使いとひよこ弟子》っていうシリーズがあって、ひよこが魔法使いの弟子になって、色んな魔法を使うんですよ。アニメにもなってて、私それ大好きで」
「児童書は詳しくないな。調べておこう」
「あ、そういうとこですよ!」
「ん?」
指を指され、草間は顔をしかめた。
「師匠って、どんな話でも真面目に聞いてくれるじゃないですか。師匠、優しい人だし。そういう人、私、大好きですよ」
「……あまり言われたことはないが」
「そうですか? それって、こんな山奥で人に会ってないからじゃないですかね?」
「……どうだろうか……」
「そうだ、たまには師匠も一緒に冒険とかしましょうよ!」
「私とか?」
流石に驚く。昔から近寄りがたいタイプだと言われていたが、こんな軽く冒険に誘ってきたのは、シオンの父の竜胆くらいだ。しかも、生徒が師匠を誘うとは。
紅子ののん気さに、草間はついふっと笑ってしまった。それを見た紅子が、はっと目を見開く。
「えっ!? 師匠いま笑ってました!? ちょっと待ってください、記念の写真でも……」
「よせ」
携帯電話を取り出そうとする紅子を、草間はしかめ面で遮った。
「紅子を迎えに来ました」
夕刻、いつものように迎えに来た透哉は、出迎えた草間ににこりと微笑んだ。
「いつもありがとうございます、先生。これ、良かったら」
と、ケーキの箱らしきものを掲げた。
人間の顔の造形にさしたる関心はないが、美形と言って差し支えないだろう。笑ったときの目の細め方が紅子と似ている。顔立ちも、角度によってはかなり似ている。だが、性格はまるで違うようだ。おっとりした雰囲気は似ているが、裏表の無い紅子と違い、彼はいくつも見せない腹を持っていると草間は思っている。
「入りたまえ。たまには茶でも出そう」
「いえ、お気遣いなく」
「独身の中年男に一人で菓子を食わせる気か。紅子と一緒に食べてから帰ってもいいだろう」
「そうですね。では、お言葉に甘えて」
透哉が長身の背を屈め、ぺこりと頭を下げる。
長く冒険者と魔道士をやってきた勘で、こういう男のことは知り過ぎないほうが平和に過ごせると分かっている。
魔道士には『胡散臭い者』がいる。表の世界で生きていない者など、沢山いる。
そういう場所に引きずり込まれてしまうと、否応なく面倒なことになる。ほんの少しの好奇心や欲に負け、不幸になった知り合いも多く見てきた。
だから、一線は踏み越えない。最低限、自分と、自分が大切にしているごく狭い範囲にいる者だけ、見える範囲に置いておければいい。そして、何事も無く生を全うできれば。
草間がそういう男だから、浅羽透哉は彼女を預けるのだろう。
大切な――彼ら一族にとって、大切な娘を。
「せっかくなので、紅子がどのくらい魔法を理解しているのか、知りたいですね」
廊下を歩きながら、背後で透哉が言った。振り返らずに草間は返した。
「座学はそれなりに熱心にやっている。実戦で生かせているかは――私は直接見てはいないが、シオンに聞く限りそれなりに活躍しているようだ」
「だったらいいんですが。小野原くん、優しいからな」
透哉が笑いながら言う。草間がリビングに続く扉に手をかけたとき、背中にぽつりと呟くような声がかかった。
「……先生が、黙ってあの子を預かってくれて、感謝しています」
「それは別に。私の癖がついていいのなら」
草間が振り返ると、透哉は少し寂しげに笑った。
「僕の癖がつくよりはいいですよ。……才能が無いので」
「教える能力はまた別だと思うが」
「浅羽の魔術は、紅子に合わないんです。というか、男魔道士の間に伝わって来た戦闘魔術しか残っていない。浅羽の女魔道士は、感覚的に魔法を使う者がほとんどだったので」
「感覚と言うよりは、彼女の場合は感情というように思うが」
「そうですね。それが正しいと思います」
「愛着の深い娘だとは思う。良くも悪くも。そういった点では、外の世界を知ることは悪くない。彼女の魔力は、豊かな感受性に深く起因していると私は考えている」
「はい。あの子は自分の為よりも、好きな者の為に動く方が、目的意識が高まる。まあ、食欲だけは別ですが」
「魔力喰いの体質上やむを得ない。それに、食欲の強さは、彼女の生い立ちにも起因しているのだろう?」
透哉は微笑んだだけだった。それが肯定だと草間は悟った。
「私があの子に教えられることも少ないが、創造魔法が向いているのではないかと思っている」
言って草間は扉を開けた。
リビングには帰り支度を済ませた紅子がいた。その足許で犬が寝ている。
「あれ? お兄ちゃん。帰んないの?」
「買って来たケーキを、一緒に頂こうと思ってね。先生のご好意で」
「えっ、ケーキ! やった」
紅子の顔がぱあっと輝く。
「お前の為に買ったわけじゃないけど、先生に感謝しなよ」
「ああ……先生大好き……」
「やめろ」
草間は顔をしかめた。素直で人懐こくて可愛い生徒だとは思う。情が湧いていないわけではない。出来れば不幸になってほしくはないが、しょせん人の子だ。
彼女には強くならなければならない理由があり、それには透哉以外の人間が関わることが必要なのだろう。
自分は愚鈍ではない筈だが、臆病だ。逃げもしないが、踏み込みもしない。浅羽透哉か、もしくは彼以上の存在が描いている計画の上で、与えられた役割を演じれば、それでいいのだろう。彼らが真っ当な魔道士一族とは言えないのは間違いないが、自分もそうだ。紅子の成長を見届けたい好奇心が強い。
「茶を出そう。コーヒーもあるが……私は飲まないからインスタントしかない」
「ああ、どちらでも」
「あ、私淹れます! お兄ちゃんは何でも飲めますよ。好き嫌い無いから」
紅子がトートバッグを肩から下ろし、ばたばたと台所に向かった。茶は何度も淹れているので勝手知ったるだ。平然と戸棚を開けているのを見て、透哉は目を細めた。紅子にはここも居心地の良い場所になったようだ。
そこで、あ、と透哉は思い出したように言った。
「そうだ、先生。今日のバンダナお似合いですよ。奄美大島に行かれたんですか?」
「……いや」
帰りの車の中、紅子は思いっきり本音を漏らした。
「あー、私も冒険したいなぁ!」
「こっこは勉強が足りないと思うけどね。今日は先生から色々聞けて良かった。それに怖がりのくせに、冒険しても震えてるんじゃないの?」
運転しながら、透哉が見透かしたように言う。
「う……それは否定しないけど……」
紅子は助手席ではなく、後部座席を広々と使っている。草間との授業の後は、とても疲れるからだ。座学は苦手だし、集中を要する訓練も苦手だ。
「でも、小野原くんたちと一緒に仕事したいな……夏休みが終わっちゃうよ」
「山菜採りにお前の力が必要とは思えないけど。その間に勉強して、魔力をしっかりコントロール出来るように訓練するほうが、よっぽどみんなの役に立つよ。いざというときにもね」
「一理しかないけどさぁ……」
「小野原くんといたいだけだろ。お前は昔から、好きになるととことんだから、小野原くんも大変だな」
「……ねえ、そういうこと、小野原くんには絶対言わないでね?」
「言わないけど」
「お兄ちゃんお喋りだから……」
「言っても小野原くん、そんなに気にしないと思うけどなぁ。あの子、真面目だよね」
「そうなんだよね……真面目で優しくて格好良くて……」
長くなりそうなので、透哉は話を遮った。
「そんな小野原くんの役に立つ為にも、勉強したほうがいいと思うよ?」
うえ、と紅子は声を漏らした。それから頬を膨らませる。
「なんでもっと小さい頃から英才教育してくれなかったの?」
「しても言うこと聞かなかったと思うよ。昔のお前は魔力が強すぎて、当たり前のようにそれを使ってたからね。教えようとしたって、言うことなんて聞かなかったよ。なにせ手足を使うより、魔法を使うほうが楽で自然なくらいだったんだから。四足歩行する猿を二本足で歩くようにするのだって、けっこうな労力を要するんだよ」
「おサルさんに例えないでよ」
「よく、人間になったと思うよ。もっともお前は影響受けやすいから、どんどん人間らしくなっていったけどね」
「お兄ちゃんはいつもそう言うよね」
「本当の話だよ。お前を育てるにあたって、方針も割れたしな」
「ふうん? それっておじいちゃんとか、お父さんとか?」
「あと、僕の母とか、お前の兄さんとか」
「……なんで?」
「魔道士としてよりも、人間らしく育てるか、バリバリの魔道士に育てるか、何も縛らず自由に育てるか……とか」
「ふーん……透哉兄ちゃんは、どうだった?」
「僕は、母寄りだったかな。ある程度は普通の女の子として育ったほうがいいんじゃないかと、思ってたよ。でも、魔力が強かったから、そのコントロールくらいは出来たほうがいいとも思ってたかな」
「ふわっとしてるね」
「決めるのは結局お前のお父さんや、じいさんだったからなぁ」
「こっこのお兄ちゃんは、どうだったの?」
「茜とは、その話はあんまりしてないけど、ちゃんと魔道士として育てたほうがいいって思ってたみたいだよ」
「ふーん……」
「でも言うこと聞かない子だったからなぁ、お前は。うちの母が好きで、その母が魔道士として育てるの嫌ってたから、お前も魔法に興味は持たなかったんじゃないかな。人形遊びとか、ままごととか、そっちに夢中だったよ」
「叔母さん、最近ちょっとこっこに優しくなったんだよね。ちょっと前は、こっこ見たらあっち行けとか言ってたじゃない? 最近は、お人形持って来て、こっこちゃん遊ぼうって言ってくれたりするんだけど」
「まあ、記憶の混濁が酷くはなってるかな」
「うん……でも、もっと元気なくなってる気がする。たまにこっこのこと、透哉兄ちゃんと間違って呼ぶし」
「昔に戻ってるんだろう」
「それって、良くなったとは言えないよね?」
「言えないだろうけど、仕方ないよ。元々、母の一族は精神を病む人が多かったんだ。母もそうなんだろう。色々あったしね。なにせ、あの日のことを〈遠視〉で見てしまったのに、なすすべもなく、お前の父さんも、茜も死んでしまったからな」
「……そうだけど」
「仕方ないよ。母さんには僕がついてるから、お前があまり焦ることはないよ」
「そりゃ焦るよ。早くなんとかしたいもん」
はあ、と紅子は大きなため息をついた。
「話聞いてると、昔のこっこのが強かったみたい。子供の頃のほうがさ」
「うーん……でも、分別なかったし。好き勝手に魔法を使ってたからなぁ。それこそ子供だったよ。あのまま育ったら、まともになったかは怪しいかな」
「そうかなぁ」
「そうだよ。何度吹っ飛ばされたか……」
「そっか……ごめんね」
「でも昔も今も、お兄ちゃんはこっこが好きだよ」
「え、なに気持ち悪い……」
「本当だよ」
ははは、と透哉が笑う。紅子は顔をしかめた。
「そういえばお兄ちゃん、最近仕事以外でも小野原くんと仕事したり、筋トレしたり、大丈夫? ギックリ腰って、若くてもなるんだって」
「大丈夫だよ。僕も少しは鍛え直しとかないとね」
「戦闘魔道士ってやつ?」
「うん……言っておくけど、元々大して強くはないよ?」
「無理しなくていいのに」
「浅羽の魔石を、小野原くんばかりに探してもらうのは、申し訳ないからね。妹尾さんとこやニコねこ屋さんほどじゃなくても、バックアップくらいは出来るようにしておきたいんだよ」
「えー、大丈夫? お兄ちゃん、冒険者じゃないし……」
「大丈夫だよ、元冒険者だから」
「昔でしょ……? しかも弱いっていつも言ってるし」
「弱いけど、悪運はすごくいいんだよね、昔から。大怪我してもけっこう大丈夫だったし、治癒魔法もそこそこ上手くなったし」
「お兄ちゃん、鈍臭いから、こっこ心配だよ……」
「お前が言うなよ」
透哉は呆れたように笑った。
「お兄ちゃん……」
「なに?」
「夕飯の前に、ラーメン食べたくない?」
「どんな理屈だよ……いいけど」
「やった。帰るときにいつも見るラーメン屋さん、行ってみたくて」
「お前、小野原くん達といてもそんなこと言ってるの?」
「まさか。そんなこと、お兄ちゃんにしか言えないもん」
「いいけど……ほどほどにしてくれよ」
紅子にとってラーメンは味噌汁と同等なので、幾らでも入ってしまう。食べ放題にでも連れて行ったほうがよっぽど燃費が良い。お金あったかな、と透哉は懐を心配した。
紅子が勉強に明け暮れてる間、シオンは平日も休日も仕事を入れ続けた。夏は仕事が多いのと同時に、仕事を受けたがる者も増える。供給があれば需要もある。
大抵はキキと一緒だった。蒼兵衛は最近ニコねこ屋に紹介された割りの良い仕事をしているらしい。ハイジは忙しいだろう、と勝手に決めつけて誘っていない。
「呼んだら案外来てくれるんじゃない?」
とキキが言った。
シオンとキキは、新宿冒険者センターで、番号札を持ってソファに腰かけている。
「呼ばれないと拗ねるかもよ。ハイジ、なんだかんだ言って付き合ってくれるじゃん。冒険者博も来たし」
「でも単日の仕事だと、山菜採りや外来種駆除くらいしか出来ないし。ハイジ呼ぶ意味ないだろ」
「ハイジいたらゴーストバスターズしたらいいじゃん。そっちのがお金になる」
「アンデッド討伐か……オレ達が役に立たないから、ハイジに負担かけて悪いんだよな」
「レイス攻撃出来ないのシオンだけじゃん。キキちゃんは退魔弾あるもんね」
「おじいさんの金で買った弾だろ……高い弾なんだから、遠慮しとけよ。……あ、順番だ」
番号が呼ばれシオンは立ち上がった。キキも慌てて立ち上がる。
「はい、小野原さん向けの依頼はこのへんだと思いますが」
いつも担当してくれる受付嬢の岩永が、心得たように資料の紙を渡してくれる。飾り気の無いきっちりとしたまとめ髪に、眼鏡をかけた美人だが、相変わらずの無表情だ。
「それから、レベル16に認定されました」
「えっ、本当に?」
声が変に上ずった。
「いいなー」
「もっとかかると思ってた……」
この前、千葉から帰って14までしか上がらず、悔しかったのもあって、小さな仕事を入れ続けたのが良かったのだろうか。
「以前のレベルアップで、15にしても良かったくらいですからね。年齢を踏まえていったん保留になったのだと思いますが、次きっかけがあれば上がると思ってました。良かったですね、15以上だと出せる仕事も全然違いますから」
仕事を探す為に預けていた冒険者証が返ってきた。すぐにレベル表記を見ると、さっきまで14だったのが16と印字されている。
「16……」
嬉しくて思わず呟いてしまった。
「こないだ頑張ったから当然じゃん?」
レベルが上がってシオンは嬉しかったのだが、キキに水を差された。
とうとう15の壁を越えた。この前11から14に上がったときより嬉しい。
「キキは? 千葉で頑張ったんだけど」
「レベル1のままですよ」
「なんでじゃ!」
「特例冒険者のレベルはそう簡単に上がらないですよ。それにこの前の事件もありますから……」
岩永は言葉を濁してくれたが、キキは思わず大声を上げた。
「とろおのときのか! あれはっ……キキちゃんは悪くない……です」
あまり蒸し返すと、警察に逮捕されると思ったのか、キキはすごすごとシオンの後ろに隠れた。キキのほうが毒殺されかけたということで、特にお咎めはなかったのだが、複数の人間が死ぬところだったので、「気持ちは分かるけど、さすがに殺したら面倒だからね」とセンター長から不謹慎な忠告をされたらしい。
キキは今、狂戦士症を克服とは言わないまでも、ある程度コントロール出来ないか、祖父母と訓練中らしい。病気なのに訓練でどうにかなるのだろうか、とも思うが、まああの家なら当然懇意の医者とも相談してるだろうし、なんとか出来るならそれに越したことはないだろう。
「思ってたより色んな仕事あるなぁ」
「それはまあ、小野原さんならドタキャンもしませんし、完遂率は高いですから。ご紹介出来る仕事は多いですよ。15も超えましたし」
貰った仕事の申請書を眺め、シオンは日程のかぶらない仕事をピックアップし、岩永に渡した。
「じゃあこれ、全部お願いします」
「沢山受けて下さって助かります」
と言いながら、岩永がカウンターに並んでいた滋養強壮剤を二本掴み、シオンに差し出した。
「……これは?」
「現在、新宿センターでは、《夏の依頼達成率伸ばそうキャンペーン中》なので。一度の受付で三件以上の申請をしていただいた方には、こちらを差し上げています」
「はあ……」
「去年、秋葉原センターに登録者数を抜かれてしまったので」
「へえ……」
「ビルごと改装したばかりで、広くて綺麗なんですよ、アキバセンターは。地階にはアニメショップや書店やCDショップ、メイドカフェやアニメのコラボカフェなんてのも最近は人気らしくて」
「へー」
「あっ知ってる! こないだ、職員さんのコスプレデーやってたよね。テレビで観たよ」
「ええ、まあ……」
岩永の顔が引き攣る。真面目そうな人だから、そういうのが嫌いなのかもしれない、とシオンは思った。
「岩永さんも美人だから似合いそう。あ、もしかしてした? 他のセンターの人も一部応援に来てたって、インタビューで観たよ」
キキの質問に、岩永は眼鏡のフレームをくいと押し上げただけで、何も答えなかった。したのだろうか。ちょっとシオンも気になった。
「……アキバセンターが発行しているフリーペーパーなんて、冒険者ではないマニアな方々の間でも人気ですよ。うちにも少し入れてますが、すぐになくなってしまいますね」
「うちの衆、オタク多いから誰か持ってそう。岩永さんのコスプレ探すね」
「やめてください」
「色んなセンターがあるんだな」
「新宿センター、面白味ないもんね。ビルもボロだし、一階のお店だってどこもいつも閉店セール中だもん」
「登録、移さないでくださいね」
念を押しながらも、岩永はパソコンを扱う手は止めず、シオンが申請した仕事を登録してくれた。
「採取、採取、護衛、討伐かぁ」
一週間のうち四日、受けた仕事の内容を見て、キキはうへえ、と舌を出した。
「《オデュッセイア》でメシでも食ってくか?」
「食べる!」
キキは返事をし、クリアファイルに戻した書類をシオンに返す。冒険者センターの受付は新宿冒険者センタービルの二階にあり、階段を下りると、一階には閑散とした飲食店や装備品を売っている店、コンビニなどが並んでいる。
「週の後半には蒼兵衛が参加出来るらしいから」
「だから護衛と、討伐かぁ。護衛嫌いなのに、珍しいじゃん」
「依頼の数は多いからな。護衛って実績の低い冒険者は受けられない仕事だから、取り合いになることも少ないし。それにけっこう人を選ぶ仕事だから。こっちも稼ぎたいから、好き嫌い言ってられないだろ?」
「顧客がついたらけっこう美味い仕事だってサムが言ってたよね。あいつ、完全に選ばれないほうの人間だと思うんだけど、なんか護衛好きでやりたがるよね」
「強いからな。強いだけじゃ駄目だけど、やっぱり強さは一番大事だ。死なせたいことが大事だからな」
「でも気に入らない依頼人ボコったりするじゃん」
「それは、相手が悪いことが多いから……本人真面目だから、けっこう……」
「考えてみたら、あいつが逮捕されてないんだから、キキちゃんが逮捕されるわけがなかったんだよ」
「たしかに」
二人は馴染みの喫茶店に向かった。
「そーだ、夏休み終わる前にさぁ、タズサが遊びに来たいって言ってるんだよね」
「タズサが?」
千葉で出会った人魚三姉妹の末っ子だ。キキの一つ年下だが、キキよりしっかりしている。シオンや紅子は同じ歳のアイカとよく話していたが、キキはタズサと仲良くしていた。
「アイカも?」
「やー、それは分かんない。遊びに行きたいとしか聞いてない。来るならうちに泊まっていいよって言ったけど。うちお風呂おっきいし、三つあるもん」
「え、三つあるのか? 風呂が? すごいな」
「でも別に布団の上で寝れるんだって。尻尾乾いてもいいんだって。だから、キキの部屋にビニールプールとベッド置いて、一緒に寝るんだ。あと、リノも一緒に原宿行くんだ。約束したから」
「良かったな」
「何が?」
「友達遊びに来て」
「……や、リノとタズサはキキちゃんのファン二号と三号なので……」
「なんで認めないんだ……友達は大事にしろよ」
「またそういう説教臭いことを言う……」
嫌な顔をするキキに、シオンはふうと息をついた。
「……たしかに、浅羽以外の友達がいないオレが言うことじゃないな……」
「……いや……それは……まあ事実だけど……なんか……ごめん……」
「うん……」
「でも、いない友達は大事にしようが無いから、シオン悪くないよ……?」
「うん……それもそうだな」
「納得すんのかよ」
キキは顔をしかめた。
「でもシオン、中学では運悪かったかもしんないけどさ、いま作ろうと思ったら友達出来ると思うけど?」
「そうかな。チャレンジしてみたくないな……」
「その気持ちは分かるよ……」
キキが腕を伸ばし、シオンの背中をぽんぽんと叩いた。
「あ、タズサ遊びに来るときは、シオンも仕事入れないで、一日くらいは遊んでやってよ」
「いいけど……」
そう返事はしたものの、東京で魚亜人ってあまり見ないな、とシオンは思った。南房総の街でもそうだったように、彼らのほとんどは海沿いや湖畔など水源の豊富な居住区で暮らしている。世界的にもマーマンの居住区として有名なイタリアのヴェネチアのように、道路ではなく水路の張り巡らされた街は限られている。東京だと、お台場周辺に大型居住区計画が進んでいる。数年かけて一つの街が完成するらしい。
「店とか移動手段とか調べておいたほうがいいな」
「おっさすが真面目だなー」
「お前こそ調べておけよ。仕事だって下調べが大事で……」
「はいはい」
「いやほんとに、マーマンが東京を移動するのは大変だぞ」
「一緒に移動したことあんの?」
「ないけど……足が無いんだから大変だろ」
「そこはキキちゃんがなんとかするって」
根拠のない自信を発揮するするキキに、シオンは不安しか覚えなかった。
「しっかし、タズサの奴、サムに会いたいって、変わってるよ」
「蒼兵衛に? そういや、マーメイドにモテてたな」
「タズサ、あいつのファンなんだって。あたし連絡したくないからさぁ、シオンしといてよ。タズサ会いたがってたし」
「いいけど」
「マーメイドって変わってるよね」
「そうか? スキュラ倒したの蒼兵衛だしな。あの状況なら誰でも感謝するだろ」
「確かに強いけど……戦ってるとき以外は奇行の限りを尽くすじゃん」
「だから、戦ってるところを見たんだろ? マーメイドは」
「なるほど……」
キキは納得したように頷いた。