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迷宮のドールズ  作者: オグリ
三章
77/88

嵐の終わりに

「――はぁー……お腹空いたぁ」


 第一声がそれか。

 分かってはいたが、シオンは苦笑し、ベッドの上で伸びをしている紅子に声をかけた。


「お疲れ。浅羽」

「あ、お、小野原くん……へへ……あ、欠伸、見た……?」

「見た。でかいやつ」


 紅子は頭を掻きながら、薄笑いを浮かべた。

 ベッドで体を起こした紅子は、ホテルの寝巻きを着ている。

 冒険のときは綺麗に結っていた髪は、すっかり解けてボサボサだったが、眠っている間にやえが綺麗に梳いてくれた。


「……あれ? ここ、泊まってたホテルと違う……?」

「アクアリアじゃないんだ。近いけど、マーマンじゃなく人間が多く住んでる街だ。アクアリアはまだ混乱してるから、やえさんが車で連れてきてくれて。ホテルも取ってくれた」

「えっそうなの?」

「うん。金、返すって言ったけど、受け取ってくれそうになくて……」

「なんか、すごくお世話してもらっちゃったね」


 紅子の着替えや身を清めるのもすべてやってくれた。

 それから「一度アクアリアに行ってくるね」と言い、やえは出て行った。シオンには紅子が起きたとき、傍についてやっていてほしいと頼んで。

「……感謝しないとな」

 彼女は大人で、何もかも判断し、紅子ほどでないにしても戦いで疲れていたシオンに何の負担もかけることなく、すぐにこうして休ませてくれた。

 桜が彼女を頼っていたわけが分かる。戦いの後、何も考えずにすぐに休めたら、どんなにか楽か。


 やえは紅子の体を拭いたり着替えさせている間に、シオンにはシャワーを浴びてくるように言い、その間にホテルの売店でTシャツとジャージを買ってきてくれた。来ていた戦闘用のジャージはボロボロで、返り血がべっとりついていたので、着替えられてすっきりした。


「すごく、しっかりした人だね、やえさんって」

「そうだな」

「……冒険者でいるって、戦闘力が高いだけじゃ駄目だね……せっかく大きな魔法は三回までって師匠が制限してくれて、たっぷり温存出来てたつもりだったのに」

 うー、と紅子が頭を抱えた。

「……結局、終わってから寝ちゃってたら……これがダンジョンじゃ迷惑だよ……」

「ダンジョンならお前だってまた別の戦い方するだろ」

「う、うーん……あんまし覚えてないや……さっきまで海にいたのに、起きたらここにいたんだもん……」

「よく寝てたな」

「……へ、変な寝言とか、言ってないよね……?」

「いや。口はずっと動いてたけどな」

「……あはは……なんか食べてたのかな……夢の中で……」

「腹が空いたんだろ。魔力使い果たしたから」

「使い果たした……?」

 紅子は顔を上げ、目をきょとんとさせた。

「そうかなぁ……? 魔力は満ちてるってかんじだよ。私、あんまり戦ってなかったのかな……?」

「戦ってたよ。シーサーペントはお前が倒したんだ」

「へえ……」

 紅子は半信半疑そうに、首を傾げた。

「あんまり、魔力使ったかんじがしないんだよねえ……」

 自分の両手を見つめ、自分でも何か違和感があるのか、しきりに首をひねっている。

「……魔石を見つけたんだよ。でも、それをお前が全部取り込んだ」

「えっ!?」

 紅子が顔を上げる。

「シーサーペントが喰ってたみたいだ。どっかの海中ダンジョンにあったのかもな。ずっとこの海を漂ってたのかもしれない。でも、浅羽のところに還ってきたんだ」

「はぁ……それ、もしかして、私……食べちゃった……的な……?」

 紅子が笑いを引きつらせる。

「じゃないのか」

「……ひええ……お、お腹壊さないかな……?」

 紅子は自分のへそのあたりを抑え、怯えた顔をした。

「拒絶反応で死ぬんなら、とっくに死んでるんじゃないか」

「ひええ」

「浅羽一族の石だけあって、お前に合ったんだろ」

「た、食べて良かったのかなぁ……?」

「帰って透哉さんに訊いてみるしかないな」

 泣きそうな顔をしている紅子に、シオンはほっとして息をついた。


 良かった。とりあえず、いつもの浅羽で。


 はあー、と深く息を吐き出すと、紅子が恐る恐る尋ねた。

「……小野原くん? 引いてる?」

「いや……」


 それより、還ってきてくれて良かった。

 紅子がいつもの紅子でなくなるとき、このまま彼女は戻ってこないかもしれないと思う。


「……良かったよ。お前が戻ってきて……」

「へ?」

 紅子は目をしばたたかせ、シオンの様子を見つめた。

 自分のことばかりだったが、彼だって戦いの後だ。よほど心配してくれていたのだろう。そしてようやく安心したのか、ぐったりと項垂れている。

 憶えていないが、まあいつもどおり、自分は彼に心配をかけたのだろう。

 そして彼は、いつもと変わらず、一生懸命戦ってくれたはずだ。


 不謹慎だが、シオンに心配してもらえるのは、嬉しい。

(……だめだ、顔が笑っちゃう……)

 紅子はへらへらと緩みそうになる頬の筋肉を、手のひらで支えた。

 みんなに迷惑をかけたけど、石の力が紅子に宿った。それは感じる。

(これで私がおばさんの病気を治せたら、普通の冒険が出来るかな……?)


《たからもの》の魔石。バラバラになった石はまだあるし、全部見つけて、また一つにしたほうがいいんだろうけど、それはゆっくりでもいいだろう。

 優しかった叔母の茶和が元通り元気になれば、叔父さんも元気になる。そしたら、透哉兄ちゃんと、四人で仲良く暮らせる。


 勉強して高校にもちゃんと通いたいけど、小野原くんやサムライさんやキキちゃんやハイジさんたちと、冒険者も続けられるといいな……。

 これまでみんな大変だったから、笑ってちゃいけないけど……。


「あっ……そうだ、アクアリアはっ……!?」


 はっとして、紅子は声を上げた。

 自分のことばっかり考えてへらへらしていたが、迷惑をかけたのはパーティーばかりではない。顔から血の気が一気に引いた。

「アイカちゃんたちは……? マーマンの人たちは……?」

「怪我人はかなり出たけど、今のところ死人は出てない。ずっとラジオ聴いてたから」

「怪我した人が……」

「あれだけの大型海獣が出たのに、怪我人だけで済んだんだ。それにシーサーペントは戦闘区域に近づくことさえ出来ないまま、お前が片づけたんだ」

 励ましたつもりで言ったが、紅子には効果が無いだろう。

「……魔石のせい……なのかな……」

「そう……かは分からない。たまたまかもしれないし。でも、あの海にモンスターが生息してる限り、いつアクアリアを襲うかなんて分からないんだ。元々近くに生息してたんだろうし。いつ来るか分からないモンスターを、浅羽がいたから片づけられたんだ。蒼兵衛やハイジも被害を最小限に留めるために全力で戦ってくれた。……あ、たぶんキキも」

「……うん」

 紅子は肩を落としたまま、小さく頷いた。

「きっと、しばらくこのアクアリアは安全だ。まあ別のモンスターが縄張り広げに来るかもしれないけど」

「え……」

 紅子が顔を引きつらせた。

「モンスターの近くで暮らすって、そういうことだろ。慣れてるよ、マーマンたちだって。それよりこのへんの海を縄張りにしてたシーサーペントやスキュラが今だけでもいなくなったら、この夏は調査の進んでない海中ダンジョンの探索が進むだろうな」

 その様子が気になる、といったシオンに、紅子はまだ気にしているように俯いていた。

「私、治療手伝いたい」

「それは……」

 やえの言葉を思い出し、シオンは一瞬口ごもったが、すぐにはっきりと告げた。

「優秀な治療士ヒーラーをたくさん呼んだってやえさんが言ってたから、大丈夫だ」

「……でも」

「治療は出来るなら専門の人に任せたほうがいい。お前の治癒ヒールは、緊急時だけでいい」

 紅子は自分の言葉なら、ほぼ無条件に納得する。だからシオンはきっぱり言った。ちょっとキツい言い方になってしまったかと、紅子の様子を窺うと、分かりやすいほど顔を強張らせていた。怒られているような気になったのだろう。

「あ、ご、ごめん……責めてはない」

「う、うん……分かってる。なんか、ちょっとお兄ちゃんのこと思い出して……」

 紅子をは顔をくしゃくしゃに歪めた。

「……ほんとのお兄ちゃん……なんだろ、ちょっと思い出したかもしんない……顔はまだ思い出せないけど……」

 石の魔力が満ちたせいか、途切れた記憶も蘇っていくようだった。

「お兄ちゃんが怪我して、治そうとしたら、怒られた……なんか、間違った治し方したのかも……小さかったから……」

「ああ……」

 ただ魔力が大きいだけの子供の治癒ヒールなんて、ぞっとしない。それは紅子の兄に同情した。

「意地悪で怖いお兄ちゃんってだけ憶えてたけど……もしかしたら、こっこが、悪いこといっぱいしてたのかもしれない……」

「悪いこととは言えないけど……まあ、しないほうが良かったかもしれないな」

 慰めようとしてまったく慰められず、紅子は肩を震わせ、ぐすっと鼻を啜った。

 またスランプになって、魔法が使えなくなるかもしないと、シオンは内心焦った。

 が、スランプどころか、目をこすって顔を上げた紅子の目は紅く、紅く煌々と輝いていた。

「……い、今まで、お兄ちゃんのこと、あんまり好きじゃなかったから……」

 ぐずぐずと鼻を啜りながら、紅子は赤い目の端から涙をつうと流した。

「……死んじゃったら、ごめんって言えないんだって、今頃気づいた……」

「言えるよ。いつでも」

「……ん……」

 紅子がかすかに首を横に振る。


「でも……やっぱり、わたし、石を探す……じゃないと、お兄ちゃん、可哀相だから……」



 

 日没近くなり、ようやくアクアリアの厳戒態勢も解かれた。

 集まった治療士ヒーラーの尽力もあり、怪我人のほとんどは自力で家に帰れる程に回復し、重症者はアクアリア内外の病院へ収容された。

 

「……どうしたの? あの子たち」

 騎獣である海犬シードッグクレイの背中に腰かけ、アイカは蒼兵衛に尋ねた。

「ああ、あれはな……」

 タズサが水路の中から、縁に座っているキキと抱き合っていた。

「ううう……キキちゃん……!」

「よくやった……! よくやったよタズサ隊員は……! 泣くな……!」

 うええええとタズサが泣き、キキもぼたぼたと涙を零しながら、その背をぽんぽんと叩いた。

「頑張ったが、数体のトドお達が名誉の戦死を遂げられてな……」

「トドお……?」

「シーホースのことだ。名前なんてすぐに付けるから。これだからガキは。思い入れてしまうだけだ」

 この場にシオンがいれば、自分だって鬼熊の子供に名前を付けたくせに……と言うところだろうが、彼はいなかった。


 アイカは水路まで降り、とぷんと水に入ると、キキにしがみつくタズサをそっと引き剥がした。その体を抱きしめ、頭を撫でてやる。

「そ、シーホースの治療してたんだ。えらかったじゃん」

「……うえっ……えっ……アイカちゃん……」

「お姉ちゃんって呼びなって言ってるでしょ。……訓練された騎獣はね、海面下でメロウに襲われても耐えて乗り手の指示を優先するの。だから、乗り手だって普段から騎獣を大事にしてるし、失うのは辛いんだよ。タズのおかげで、その何頭かは助かったでしょ? よくやったよ。顔拭きな?」

 タズサがひっくひっくとしゃくり上げながら、何度も頷く。

「トドお……なんて健気なんじゃ……」

 ひんひんと泣くキキの後ろに近づいてきた蒼兵衛が、小脇に抱えていたおじいちゃん人形を無言で差し出すと、キキはそれをふんだくり、ぎゅうぎゅうと抱き締めた。

「……せっかく持って来てやったのに……」

「キキちゃんも、ありがとね。マリ姉ちゃんのカレシが、騎獣の訓練士だからさ、タズサもけっこう訓練場で遊ばせてもらったりしてね。だから騎獣に思い入れがあるの。それにあたしたちみたいなマーメイドは、騎獣無しじゃ陸上で生活するのは大変だから」

 アイカの声が聴こえているのかいないのか、キキは目を血走らせながらおじいちゃん人形の頭をガジガジと齧っている。

「キキちゃん……?」

「気にしなくていい。リザードマンの幼体は皮膚の硬い親に噛みついてじゃれたりするそうだ。こうして気を紛らわせてるんだろう……と思う。あまり興奮し過ぎるとバーサー……癇癪持ちだからな」

「大丈夫なの?」

「うむ。戦闘後だし興奮状態なのだろう。トドお達の尊い犠牲を目の当たりにして、やるせない思いと怒りでバーサー……持病が出かけてるんだろう。おじいちゃんのハラワタを引きずり出したら、じきに落ち着く」

「出しちゃっていいの……? それ……」

「グギギギ……」

「コイツは、なりは小さくともリザードマンだからな。他種族に優しい」

「グギャー!」

 飛びかかって来たキキの背中を、蒼兵衛が容赦なくどんと踏みつける。

「ちょっと!? 酷くない!?」

「大丈夫だコイツは岩トカゲより硬い。気を抜くと私の足が喰い千切られる」

 足の下でジタバタともがくキキの頭を、妖刀の鞘でコツコツと叩くと、ひどく嫌がった。

「ギャッ! ギャッ!」

「おお……効いている……こころちゃん、バーサーカーも嫌がる生粋の妖刀か。俺、マジで長生き出来ないかな……彼女が出来ないのも仕方ないな、妖刀のせいだから」

「それは絶対妖刀のせいじゃないと思うわ」

 愉しげにキキを突く蒼兵衛を、アイカは呆れ切った目で見つめ、まだ泣いている妹の頭をよしよしと撫でた。


「そういえば、御祖父はどうされた?」

 蒼兵衛がアイカに尋ねる。

「さっき会ってきた。おじいちゃんはあちこち体打ったから、治療受けたみたい。レンくんのほうが体酷く打ってたけど、若いから治療早かったのかな。もう他のニコねこ屋さんとあちこち走り回ってたよ。すごく働いてくれるよね……あの人たち。ボランティアなのに」

 彼らワーキャットは海戦が苦手なぶん、陸上で治療の補佐をしたり、海沿いの住民の避難や、近づいてきたハーピィを撃退していたようだ。

「ほんと、感謝しなきゃだよ」

「こういうのは持ちつ持たれつだ。埼玉でモンスター大襲撃が起こったときはそっちも助けてくれよ。海は無いが」

「……出来るだけのことはするわ。募金とか。そういえば、ハイジさんは?」

「ああ、姉上か……結局、会わなかったな。ホテルに戻ったのかもしれんな」

 言って、ふむ、と蒼兵衛は少し考えた。

「いや、シャーマンは戦いの後も、何かとやることがあるんだったな」

 埼玉の戦いでも、キキの守護霊を召喚し、その後しばらくリザードマンの墓参りに通っていたと言っていたから、同じ魔法でもソーサラー・マジックと違って、霊術と呼ばれるシャーマン・マジックには色々と制約があるのだろう。


 アンデッドは普通のモンスターと違い、精神体アストラルだから、ただ力任せに滅ぼすということが出来ない。普通の魔法以上に生まれ持っての素養が必要とされるので、彼らはそれを《霊術》と区別する。

 選ばれた者しか持ちえない能力。だから使い手は重宝される。ハイジのような高いレベルの使い手なら尚更だ。


 その彼が組んでいたパーティーなら、おそらく今のパーティーでは受けられないような依頼をこなし、数々の修羅場を乗り越えてきたはずだ。 

 そんな仲間たちとなら、離れてはいても、常に心はそちらに向いているだろう。


 蒼兵衛は穏やかになった海を遠目に見つめてから、足の下で靴の底を齧っているキキをちら、と見下ろした。

「――嫌だろうな、こんなパーティー……。辞めるとか言い出してくれないといいが」

「なに他人事みたいに言ってんの? どう考えてもあなた一番おかしいんだけど」

 アイカが呆れた目を向け、その後、ふっと笑った。

「でも、ありがとう。蒼兵衛さんが強い人で良かった。きっと、あのときスキュラ討伐にいたマーメイドに会ったら、みんな逆ナンしてくるよ。マーメイドは人間の男好きな人多いもん」

「……は、早く帰らなきゃ……逆ナンなんて純情な私には刺激が強い……」

 急に蒼兵衛は青褪め、声を震わせた。

 女好きなのに女が苦手になって可哀相、とアイカは思った。それも妖刀の呪いだったりして。




「さすがというか……手際が良いな」

 ベンチに腰かけたハイジの言葉に、傍らに立ったやえが笑顔を向けた。

「なにが?」

治療士ヒーラーを集めたのは君だろ」

 簡易治療所となっていた港の詰め所を出て、近くの公園で休んでいると、やえがやって来た。

「ハイちゃんのことだから、少し回復したら邪魔にならないように出て行くと思って。でも体力ないから、ホテルまで帰れてないと思って」

 と、そのものずばり行動を当てられた。

 ここにも怪我人が運ばれていたが、日が暮れかける前にはほとんどが治療を終えていた。

「ずいぶん人が集まったものだね

「ここらの冒険者なら、腕利きの連絡先を大体把握してるもの。お店にもよく来てくれるしね~」

「相変わらず交友関係が広いな」

「やえに特別な力は何もないからね。力も魔力も必要ないことくらい、頑張らなきゃと思ったの。それをずっと続けてるだけ」

「君の人徳だよ。……資格を持った、腕利きの治療士ヒーラーをボランティアでこんなに集められるなんて。君にしか出来ない」

「何人かはそのためにツケ漬けにしてるのよ。お店でたっぷり酔わせて、『御代金はツケにしとくからね』ってやるの。あっという間にやえに借りが出来るの」

「……相変わらずというか」

 ハイジは苦笑いした。

「やえちゃ~ん、疲れたよ~。これで溜まってたボトルのぶん、いいのかい?」

 熊みたいなガタイに髭をたっぷり蓄えた壮年の男が、杖を片手に歩いてきた。

「ゴンちゃ~ん、ありがとぉ。無理言ってごめんね?」

 やえは両手を広げ、男にそっと抱きつき、その背中をぽんぽんと叩いた。

「また飲みにきてね~。新しいボトル入れとくから」

「金よりこうやって体で返すほうがしんどいんだよなぁ~」

 甘えた声を出す壮年の男から離れ、今度はその手をぎゅっと握る。

「ふふ、ゴンちゃん赤ひげ先生みたいで素敵だったよ。お店じゃお酒弱くてグデグデなんだもん。かっこいいとこ見れて、やえ嬉しい」

 よしよし、と男の頭を撫でているやえを見て、誰にでもは出来ないだろこれは……とハイジは思った。鯛介がいなくて良かった。


 警報が鳴ってすぐ、やえは知り合いの治療士ヒーラーに連絡しまくったようだ。

 後衛がしっかりしていれば、戦闘員も無理をしなくて済む。元々、ここのアクアリア自警団シーナイトは優秀だ。今回彼らだけだったとしても、大型海獣を倒しは出来なくとも、犠牲者を払いながらでも、外海に誘導することくらいは出来ただろう。


 今回大切だったのは、犠牲者を出さないことだった。ハイジはそう思っていた。だから短期決着を目指して、シオンたちと別れた。

 結果、パーティーは分割されたが、それぞれが最大限に役割を果たした。彼らなら出来るだろうと、この千葉の冒険中に見極められた。その通りに、よく働いた。

 それでも、数名は犠牲者が出るだろうと思っていたのだ。


 壮年のヒーラーを見送って、戻って来たやえがストンとベンチに腰掛ける。

「さっきの、熊みたいなの、かなり腕が良かったな。ヒーラーを優先して集めてくれたのは、本当に助かったよ」

「ハイちゃんがいるなら、ゴーストは絶対に大丈夫だと思って」

 そうやえはきっぱり言った。昔の仲間に変わらず信頼してもらえるというのは、やはり嬉しい。

「それにタイちゃんに連絡したら近くで仕事終わったばっかりだって言うし。妹尾組の人たちも来てるって言ってたから」

「アイツ、近くにいたのか。千葉に行くときは付き合うとか言ってたくせにまったく連絡取れないから……僕が呼んだら来るとか軽口叩きやがってあのブタトカゲと思って……」

「あはは。やっぱりタイちゃん太ったよねえ」

 ぶつくさ言うハイジに、やえは声を上げて笑った。

「千葉に行くってのはキキちゃんから聞いてたみたいよ。それで先乗りしてたっぽいけど、仕事はしてないと落ち着かないんじゃない? 後で褒めたげて。ハイちゃんに褒められたらあの子嬉しいんだから」

「……そうだな。そうだ、やえ。僕の杖、持って来てくれてありがとう」

「やっぱり無いと困るでしょ? 今度こそ持って帰ってあげて」

「……うん。無いと困る」

「血、足りてる?」

「もう大丈夫だよ」

「だいぶ無理したでしょ。ハイちゃんの羽、久々に見た。紅子ちゃんの石がさ、あんなことを引き起こすんだとしたら、犠牲者なんか出したくないよね? そう思ったんでしょう」

「……犠牲は、騎獣が何頭か。マーマンや人間は、重傷者は出たが、今のところ死者は出ていない。……それは正直、ほっとしてる。マーマンたちが防衛慣れしてたのと、君とヒーラーたちのおかげだ。いい駒が揃っていた。蒼兵衛も紅子もモンスター討伐をさせたら高レベルの冒険者に劣らない。リザードマンが大勢いたのも良かった。それに」

「うん」

「……シオンが、僕の杖を持って来てくれたから……」

「そうだよ。ゴーストを浄化出来たのは、ハイちゃんとシオンくんが頑張ったから。シオンくんのこと、よろしくね」

 やえの微笑みに、ハイジが顔をしかめた。

「なんで君まで、鯛介みたいなことを……皆して、シオンを僕に頼むんだよ」

「そりゃ、可愛いサッちゃんの弟だもん」

「僕に頼まなくても、強いよあの子は。紅子も蒼兵衛もキキも、僕よりバカみたいにタフで強いし」

「でも、失敗をたくさんを知ってるのは、ハイちゃんでしょ。あたしたち、たくさんの任務をこなしたけど、失敗もたくさんしたじゃない。ヨッちゃんとか三回くらい死にかけたし」

「四回だよ」

「ヨッちゃんだけに?」

 てへ、と笑うやえに、ハイジはため息を返した。

「そうだね。僕なんか、肝心の霊杖を忘れてきたし……シオンには、礼を言うよ、ちゃんと。認めるよ。桜の弟だからとかじゃなく。ちゃんと、立派な冒険者だよ、あの子は」

「やえにじゃなく、本人にね~」

「言うよ……」

 やえはニコニコと、ハイジの頭を撫でた。こんなふうに気安く頭を撫でられて、腹が立たないのは彼女にくらいだ。桜にもされたことがあるが、さすがに恥ずかしい。

 年上だからか、彼女の雰囲気のせいなのか、頭を撫でられながら、苛立ちや不安や緊張がゆっくり解けていくように感じる。

 ずっと尋ねたかったことを、やえに訊いた。

「……夜も呼んだのか?」

 手を離したやえが、うん、と頷く。

「会ってないけど。来てたかも。会った?」

「会ってない。……しばらく詰め所で寝てたから。起きて外に出たときには、もうほとんど人はいなかった」

「来てたら、話したかった?」

 ハイジは小さく首を横に振った。

「……いま一番会いたくない」

「そんなこと言ったら可哀相だよ~?」

「あいつは、真面目で、融通が利かないし……」

「そうだね。それに、友達想いだし。ハイちゃんもね」

 ね、とやえは優しく微笑んだままハイジの顔を見た。

「僕は、そういうのじゃないよ」

 ハイジはばつ悪げに、顔を伏せた。友達と喧嘩をして帰ってきた子供のようだ。

 というか、事実そうだ。子供のほうがよほど簡単に仲直り出来る。桜の葬式以来、ハイジと夜は会っていない。やえには時折会いに来るが、ハイジの話はしない。


「でも、あの子はきっと来たと思うな。困ってる人がいたら、一番に駆けつける子だったじゃない。そゆとこは変わってないよ。たぶん」

「……他は変わったのか?」

「あー……見た目はね。変わったかも」

「見た目くらい変わるだろ……やつれたんじゃないか、あいつ。真面目で思い込むから……無理するなって、言っておいてくれ」

「それ、ヨッちゃんも言ってたよ。ハイちゃんに」

 やえの言葉に、ハイジは目を丸くした。

「無理するなって、言ってたよ。電話で話しただけだけど」

「……やっぱり、僕のやつは言わなくていい」

「そう? 言わなくていい?」

「いい。やめてくれ」

「伝言ゲームみたいなのやめて、普通に会ったら?」

 やえがふうと息をついた。

「シオンくんたちより、あなたたちのほうがよっぽど子供だね」




 その晩のうちに、アクアリアを経つことになった。

 現在、アクアリアに向かう車は増えている。明日の朝には交通渋滞のピークを迎えるだろうと、ニコねこ屋も妹尾組も提案したからだ。


「私たちは残って、ボランティアとして働きます。港は酷い有様ですし。おって、社長もボランティアを派遣すると言ってましたので」

 見送りに来たユエが言った。

 最近、ニコねこ屋は冒険者協会公認のバックアップ会社になった。

 公認になると、冒険者協会おすすめのバックアップ会社としてリストに載せてもらえるのと、地元のセンターでチラシを置いてもらったり、ポスターを貼らせてもらえるらしい。

 代わりに、こうしたモンスター襲撃時や災害時にはボランティアとして極力従事することが義務付けられている。

 そういったボランティアの人員や物資を運ぶ車や、マスコミや、駆けつけた他県の親族などもやって来るだろうから、明日以降は交通機関が麻痺する可能性があるのだ。

 妹尾組の若衆は、来た時と同じようにシオンたちを車に乗せて、送り届けてくれると言った。


「お前らは、ボランティアしないのかよ?」

 腹から綿の出たおじいちゃん人形をぎゅうぎゅうと抱きながら、時々腹に綿を押し込めつつ、キキが妹尾組のリザードマンたちを睨みつけた。

「姐御なら第一陣はもう派遣準備してますよ。こっちゃ妹尾組所有の船ありますからねえ。横浜港から陸路じゃなく海路で行くから渋滞とは無縁だし、少し休んだらオレらだってまたすぐ来れますから」

 さすが妹尾組……とシオンは思った。

「もうアクアラインは渋滞してるみたいなんで、こっから金谷港まで車で行きます。そこに姐御が寄越した船が迎えに来る予定です」

「ホームシックのお嬢を送り届けたら、また働きますよ」

「ぐぎぎぎ……返す言葉がねえ……!」

 わはははと笑いながら、リザードマンたちがキキを見下ろす。


 目を真っ赤に腫らしたキキは、軽いバーサーク状態から正気に返ると共に、大好きな祖父母とこれ以上離れていることに耐えられなくなったようだ。

 タズサたちと別れ、シオンたちと合流した途端、帰る帰ると泣き喚く醜態を晒したばかりだ。

 甘えん坊のキキにしては祖父母とこんなに長く離れたのは初めてだし、多くのダンジョン探索をし、最後にはタズサの前で気を張り続けていたので、限界でも仕方がない。

 シオンの姿を見た途端、しがみついて泣き出したのだ。


「分かった、分かった、帰ろう。長かったな」

「ええええん……おじいちゃん……おばぁちゃーん……」

 戦いのときは戦士だが、終わったらもうただの子供でいいかと、シオンは腹に顔を埋めてひんひん泣くキキの頭をぽんぽんと叩いた。


 気になったのは、こういうとき一番に慰めてやりそうな紅子が、暗い顔をして黙っていた。その目つきが、少し怒っているようにもシオンには見えた。彼女の目は黒に戻ったり、時折赤に染まった。そのときはまた赤くなっていた。

 いつもの彼女なら、アイカたちのことも心配しただろう。特に友達になったアイカには、帰る前にせめて挨拶をしたいと言い出しそうなのに、何も言わなかった。


 この戦いで、紅子の中の『別の彼女』が、以前より表面化した気がする。

 ホームシックのキキも可哀相だが、紅子のことはより心配だった。彼女も一度、透哉さんのところに返してあげたほうが良いかもしれないと思った。


 本当なら、ボランティアでシオンだけでも残りたかったが、それは紅子を責めることになる気がした。それを察するようにやえから「いいから一度帰んなさい。落ち着いてからでも出来ることはあるから」と言われ、すぐ帰ることに決めた。



「水上歓楽街どころじゃなくなったすね」

 リョータの言葉に、蒼兵衛は遠い目をした。

「……マーメイドは刺激が強いよ……」

「やっぱりすか。そうじゃないかなーと思ってました」

 慣れているのか、リョータがあっさり頷いた。事情を知らないシオンは尋ねた。

「どうしたんだ? 蒼兵衛は」

「ソウさん、これだから合コン行ってもダメなんすよ。好みの年上女性の胸許も見れないんすから、適当な年下かスキュラとでも付き合えばいいんですよ」

「いいんだ、こころちゃんがいるから……」

 そう言って、ぎゅっと刀を抱き締める。

「大丈夫っすよ、ソウさんならいい女見つかります」

「斬牙のワーキャットならソウさんのカノジョになりたい子いっぱいいますよぉ~」

 ため息をつく蒼兵衛に、レンは真面目に、ミナは明らかに面白がって声をかけた。


「ハイジも、いいか?」

 シオンが尋ねると、ハイジは何も言わず頷いた。

「なに目を逸らしてんすか?」

「別に」

 鯛介の言葉にハイジは嫌そうな顔をした。

 やえがにこにこと笑って、ハイジの肩をぽんと叩いた。

「いい? ちゃんと言うのよ~?」

「しかるべきときにね……」

 耳の良いシオンにはそんなひそひそ話が聴こえたが、特に気には留めなかった。やえと一緒にいると、自分たちより年上でずっと大人に思えるハイジが、まるで弟扱いだ。

「こっちでもなにか役立ちそうな情報があったら、すぐに連絡入れるね」

「オレも仕事しながらちょいちょい連絡しますよ」

「お前の言うことは信じられない……」

「やだなぁ。これでも普段、けっこうな深度のダンジョン探索してんすよ? ハイジさんも早くレベル戻してくださいね? 今なんでしたっけ、30?」

「25……」

「あ、それじゃけっこう入れるとこ限られますねぇ。頑張ってくださいね!」

 ガハハハと笑いながらハイジの背中をバンバンと叩く。

 いっ、とハイジは引きつった声を出し、睨みつけた。

「……お前な、すぐ背中叩くけど、気をつけろよ……バカ力なんだから」

「分かってますよ! 仲間なんすから」

 ハイジは何か言い返そうとしたようだが、結局黙った。鯛介とやえはニコニコと笑っている。

 かつての桜のパーティーはこんなふうだったのだろう。ハイジはぶっきらぼうだが、彼らといるときは、普通の青年と変わりなく見えた。


 そうしている間も、キキは妹尾組に、蒼兵衛はニコねこ屋に構ってもらっていたが、紅子だけは停まった車の傍で、一人ぽつんと佇んでいた。

 夜空を覆い隠す雲を、じっと見つめていた。

 シオンは彼女に駆け寄った。

「浅羽、大丈夫か?」

 紅子は近づいて来たシオンを見返した。

「うん? 別に大丈夫だよ?」

 紅子は長杖の入ったバッグを背中に背負っているが、その杖は魔石が壊れてしまったらしい。新調したばかりの杖に、強度の高い魔石を使っていたらしいが、「気に入ってたのに残念」とだけ紅子は言った。ハイジがまた手持ちから譲ってくれる、と言ってくれたが、紅子は魔石の力を欲しているふうではなかった。

 一部での『彼女』の魔石が手に入ったのだから、本当に必要無いのかもしれない。

「アイカに挨拶しなくて良かったのか?」

「したよ? メールした」

「メールって……」

「入院中のおばあちゃんが具合悪いんだって。だから、変にこっこに気を遣わせちゃだめだから。アクアリア混乱してるでしょ。こんなアクアリアの外れまで、アイカちゃんじゃ来られないよ。だから、簡単にだけど、挨拶したよ」

「……そっか」

 紅子らしい気遣いかもしれないが、妙に淡々としていて、シオンは何とも返事がしにくかった。

 アイカはずっと眠っている紅子を心配していたから、メールなんてあっさりし過ぎていると思ってしまうのは、シオンが子供っぽいだけなのだろう。

「離れててもやり取りは出来るし、色んなことが終わったらまた来るから。今度は遊びに」

「……うん。そうだな」

「私、帰ったら……お兄ちゃんのこと、ちゃんと思い出そうと思ってるの」

 すっかり夜も更けた街はずれで、紅子の目が赤い光をたたえている。

 もう見慣れたつもりだったが、魔石を取り込んでからは、より強く、黒と赤の混じり合った不思議な宝石のように輝いている。それが、本来の彼女の瞳のようにすら思えた。

 なんとなく、彼女の瞳の奥から、もっと違う何かに見つめられているような気分だった。


 紅子はシオンの顔を覗き込み、自分の目許を指差す。

「目が赤いんでしょ? 魔力光だよ。私の場合は昂ぶると瞳に出てくるんだって。自分じゃ分かんないけど、……お兄ちゃんも、こっこの顔見てよくそんな顔してたよ」

「そんな顔……?」

 自分の顔なんて見えない。シオンは目をしばたたかせた。


「気味が悪い、怖いって顔」

 紅子はどこか可笑しげに笑った。


「おのはらくんは、どこにも行かないでね?」

「……ぁ……っ……?」

 あさば、と言うとして、声が出なかった。

 手足が動かない。顔も動かせない。


〈小野原くんは、どこにも行かないでね?〉


 あれが、詠唱だ。これは精神魔法だ。抵抗用に多少の魔石は身に付けているが、紅子の魔力の強制力の前ではまったく効果がない。


「こっこだってね、さいしょはお兄ちゃんのことすきだったよ。お兄ちゃんだもん。でも、そんな顔するから。とうやお兄ちゃんはやさしいのに」


 シオンたちは車の陰にいて、皆からは見えない。誰も気づいていない。助けを呼ぼうにも声が出ない。キキが何やらギャーギャー喚いていて、リザードマンたちがでかい声で笑っているのが聴こえる。掠れ声が多少出たところで聴こえもしないだろう。


「おのはらくん、すごい汗だよ?」


 紅子が怖かったわけではない。声が出せず、体が動かないということに、異様な恐怖を憶えた。獣の本能が捕食の恐怖を思い出せた。本能的な恐怖だと分かったが、特に紅子は何をしてくるわけでもなかった。

 不思議そうに顔を覗き込んできて、こめかみから流れた汗でじっとり湿った頬にひたりと手のひらを当ててくる様子は、まるで小さな子供みたいだった。

 それほど身長差があるわけではないので、近づかれると顔同士が自然と近くなる。シオンはワーキャットだが、人間とそう美醜感覚は変わらないと信じている。紅子のことはよく周りが言うように、可愛らしい娘に見えている。


 これまで意識しなかったわけではない。ただ、今は目的があるから、仲間に余計な感情は抱きたくない。彼女の望みを叶えてやりたいからだ。


 叶えてやりたいのは、彼女のことが――


「だいじょうぶ、おのはらくんは、まもったげるよ。すきだもん」


 紅子の両手が頬を包み、見つめる目が細められる。ほんの五、六センチ程度の身長差を、彼女は少しつま先立って埋めた。


 押し付けられた唇が離れた後も、シオンは動けなかった。

 捕食後の獣が付いた獲物の血を拭うように、彼女は自分の唇をちろっと舐めた。

 その唇が動く。


 ほら。

 やっぱり。

 おのはらくんは。


「……なつかしい、においがする」

次回より新章です。

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