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迷宮のドールズ  作者: オグリ
三章
76/88

戦いの後に

 浅羽光悦が迷宮に入って、三日が経った。

 帰って来なくても探しに来るな、というのが師の言いつけであったので、弟子であり娘婿でもある香一郎は、ただ三日間、ひたすら帰還を待った。


 四日経っても戻って来なければ、戻って何事も無かったかのように日々を暮らせと言い付けられていたが、三日目の夕暮れ時に彼は戻って来た。


 何があってそうなったのかは語らなかったが、だらりと垂れ下がった左腕の付け根に香一郎はすぐに包帯を巻き、強く縛り上げた。

「適当で構わん。すぐに治す」

 眉根すら寄せず、光悦はそう告げた。


 光悦は還暦を越えたばかりだが、未だに三十階層を超えるダンジョンをやすやすと踏破し、その体躯は逞しい。

 元々戦闘魔道士の一族で、遺伝的に体格は良いのだと言っていた。

 それだけではなく、彼は一日たりとも鍛錬を怠らない。体術も、魔術も、彼は研鑽を続けてきた。

 三十歳は若いはずの香一郎よりも、冒険する姿は若々しい。


 膨大な魔力に、独特の詠唱式、剣術、体術もよく鍛え、冒険者としての知識も豊富で、何より行動力がある。一度行くと決めると、どんな迷宮でも秘境でも物怖じせず進んでいく。どこから湧いてくるのだろうというほどの活力に溢れた師だった。


「……二人いた」


 ぽつりと光悦が言った。いつもこんな調子だ。

 彼の作った詠唱式はやたらと長いが、普段はそう饒舌ではない。というか、話し上手ではない。

 元より人に説明しようという気があまりないのかもしれない。


「準備をやり直す。一人だけなら回収・・できる」

「……そうですか。二人……双子ですか……」

「男と女。女を回収する。よく育っていた。三日ほど、付かず離れず観察をしていたが、あっちもそうだった。特に、物を食う俺をじっと見ていた。俺を、というより、食い物を、だな」

「餓えているからではないでしょうか」

「餓えはない。母親から受け継いだ魔力と自らの魔力、迷宮の魔素で充分育っていた。それ以外の栄養は、かえって『毒』だ。口にすれば『人間』になるだろう」

「人間――の部分が強い、ということでしょうか」

「女はそうだろう。男は、あれは触れないほうがいい」

「二人を……引き離して大丈夫ですか」

「男女だが、つがいではない。いずれはそれぞれに縄張りを持つ。さほどの執着はあるまい。女のほうが好奇心があった。遅かれ早かれ男を置いて外を目指す」

「外……地上に」

「これまではダンジョン間のみで移動を繰り返していたが、地上に出すと面倒だ。お前には蘇芳と交互に、毎日この迷宮を見張ってもらう。俺はその間に準備をする。一週間もかからない。まだ幼いうちなら、一人を引っ張り出すくらいは出来る。魔力と魔石を多く失うだろうが」

 淡々と語る光悦は、やれるという確信があるのだろう。そうでないと口にしない。そういう男だ。

「そのときは、お一人で?」

「そのほうがやりやすい。俺が外までは連れて行くが、そこから力が残っているか分からない」

「……しかし」

「育てば分からんが、まだ子供だ。それに俺は祖父だ。孫一人、連れ出せないことはない」

 右手で水筒を持ち、左手で蓋を開ける。力無く垂れ下がっていた左手は、もうすでに治癒していた。詠唱すらなく、自分の体であれば自然回復するのだと、光悦は言っていた。


 人間ではないのだ、この男も。人間に紛れて暮らしているだけで。

 本当の化け物は、人間などに正体を悟られたりはしない。書物や記録になどに残らない。そういうものなのだ。そういう化け物が、この世界にはおそらく、人知れず生きているのだろう。未だに未踏の迷宮が発見され、未知のモンスターが発見されるように。


 水をゆっくり口の中に含んで、噛み締めるように飲み下す。

 この男はあまり食事を取らず、水さえもほとんど飲まずに生きられる。完全に捨てることは出来ないが、と以前と聞いた。「これでも人間だからな」と。


「まだ殺されはせん。今はな」


 静かに言った言葉に、香一郎は戦慄した。

 それは、この化け物をいずれ超える化け物が、二人いるということだ。


 そのうちの一人に、名前を付けておこう、と光悦は言った。


「あれなら名を受け入れるだろう。浅羽の色は赤――アカコでいいだろう」


 いくらなんでも雑過ぎる。彼の娘と息子の名を付けたのは、おそらく彼の亡くなった妻だろうなと香一郎は思った。


「だったら、こうこ――紅子こうこはどうですか」


 珍しく、甥が声を上げた。いつも同行しても、黙々とバックアップに努めている、香一郎の甥で、光悦の最初の孫である。


「稀代の女魔道士、浅羽紅葉こうようと、その魔石《紅耀晶》にちなんで。安直ですけど、覚えやすいでしょう」

 力無く笑いながら、それでも少年が何かを提案するのは珍しかった。

 光悦はこの孫にあまり興味が無いようだったが、このときばかりはふむ、と関心を向けた。

「こうこ、か。それなら俺でも覚えられる」


 少年は特に何も答えず、ただ小さく頭を下げた。帰り支度を再開する彼に、香一郎は声をかけた。


「ありがとう、透哉くん。いい名前だ」

「……ただの記号みたいじゃ、可哀相ですから。祖父にとっては、その子を人間として縛る呪でしかないんでしょうけど……」


 光悦に聴こえているかもしれないが、彼は気に留めず、気分を害することもない。 

 透哉の言うことは間違ってはいないし、それを取り繕うことなどしない男だ。


「――紅子。浅羽、紅子か」


 香一郎は呟いた。安直と少年は言ったが、良い名前のような気がした。

  





 いつの間にか雲が晴れ、周囲を覆っていた赤い光は、やがて夕焼けの色に紛れて、遠目からは見えなくなっただろう。


「終わりましたね」

 鯛介が呟くと、やえが頷き、リザードマンの広い背中に触れた。

「ね、タイちゃん……」

「な、なんすか?」

 ドギマギと鯛介がやえを見る。

「タイちゃんさ、妹尾の皆さんと同じ船で帰ってくれる?」

「えっ!? オレだけ!?」

「あたしはこの船で、シオンくんと紅子ちゃんを送って行くから」

「へ? どこに?」

「もちろんアクアリアよ。でも、真っ直ぐ帰らずに別の港に入るから。夜までにはアクアリアに送り届けるわ」

「なんでわざわざ?」

 鯛介が首を傾げる。

 やえは船室をちらと見やった。中には紅子とシオン、それにアイカがいる。

「あのマーマンの子は、どうすんすか? 紅子さんのお友達」

 紅子の身を心配して、やって来たらしい。マーマン族には魔力を持っているから、赤い光の中をやって来るのは辛かっただろうに、船の近くで紅子の名前を呼んでいたから、鯛介が引っ張り上げてやった。

 ニコニコと鯛介が目を細める。

「いい子っすねえ。いいすねえ、こうして旅先でお友達が出来るなんて。こういうの、冒険の醍醐味すよねえ」

「そうね。タイちゃんのいいとこね」

「へ? オレ?」


「友達、か……」

 やえは少し寂しげに呟いた。




「こっこちゃん、大丈夫なの?」

「ああ、疲れて寝てるだけだ」

 シオンの言葉に、アイカは完全に安堵した様子はなく、心配げに何度も紅子の覗き込んでいる。

「なんか、死んだみたいに眠ってるから……」

「力を使い果たしたからだろうな」

 シーサーペントが飲み込んでいたのが浅羽家の魔石なのかは分からないが、紅子の様子からいってそうなのだろう。元はどのくらいのサイズで、どのくらいの量を紅子がその体に取り込んだのかは分からないが。

 魔力が回復して元気になればいいのだが、紅い光をすべて吸い込んで倒れた紅子を見ると、そうは思えなかった。

 一気に力を吸収し過ぎたのかもしれない。

「でも、こっこちゃんのおかげだね。あ、もちろんシオンくんたちもだけど。アクアリアにモンスターが来なくて良かった……」

 はあー、とアイカがは大きく息をついた。人魚の尾ひれで、ソファに腰かけられるのかと思ったが、ちゃんと座っている。

「……良かったよ、ほんとに……シオンくんたちがいてくれて」


 どう答えようかと迷い、結局シオンは何も言わなかった。


 その自分たちがいたから、モンスターがやって来たのかもしれない。シーサーペントに関しては、少なくともそうだ。他のモンスターも、そのシーサーペントに引き寄せられてきた可能性がある。

 そんなことは、言えなかった。言うべきか分からなかった。


(被害はどのくらい出たんだろう……)

 考えると、とてもほっとなんて出来なかった。

 どうして、あちこちに魔石を隠したりなんかしたんだろう。紅子の祖父たちを恨んだ。

 そんなことしなければ、この街に迷惑をかけることはなかった。魔石と紅子が引き合うなら、こんなことが起こるのは分かっていたはずだ。

(……どうなってもいいのか、他人なんて……)


 何より、紅子がそのことを知ったら。

 自分が《たからもの》を求めることが、こんな事態を引き起こすのだと気づいたら。


(魔道士はそうでない者にとって、素晴らしい奇跡を起こすこともあるだろう。だがときに、他者には考えられないほど利己的で、身勝手な振る舞いをする。稀有な力を持つゆえに、そうでない者たちに傲慢で、また自分たちを傲慢だなどと思っていないのだ。人が犬を躾けることを、誰も傲慢とは思うまい)


 冒険者になろうというとき、草間がそう言ったことがある。魔道士には、そういう者が多くいると教わった。


 だが、草間もそうだが、紅子や透哉、ハイジもやえも、自分の周りにいる魔道士たちはそうではない者ばかりだ。ヒュウガのような、狂った考えの持ち主もいたが。


「シオンくん? 大丈夫?」


 アイカの声に、シオンは俯きかけた顔を上げた。


「あ……ああ」

「怪我してるの?」

「いや、オレは大丈夫だ」

「……さっきの光、こっこちゃんには痛くなかったのかな。なんか、チクチクするやつ」


 アイカが横になっている紅子の頭に手を伸ばし、髪を撫でた。

 紅子は深く眠っているようだったが、その口が時折もごもごと動いている。……たぶん何かを食べている夢を見ているのだろうと、シオンには分かったが言わなかった。

「頑張ってくれたんだよね。すごいね。あたしと同じ歳なのに。すごい子だったんだ」

 その声と表情には、尊敬と、少し羨望が混じっているようだった。

 亜人であることを除けば、彼女はごく普通の女子高生だ。同じ歳なのに、紅子はあまりに特別な少女だ。

「なんか、不思議。毎日、毎日、学校行って、勉強して、友達と遊んで、家の手伝いしたり、そういう変わり映えない生活をあたしがしてるとき、こっこちゃんはこんな冒険してるんだね」

「いやここまでのは中々……」

 でもないか、とシオンは思い返した。鬼熊やワイトの群れとも戦ってきた。ヒュウガも稀有な死霊魔道士ネクロマンサーの才能を持っていたが、そうそう敵対する相手じゃない。


「こっこちゃん、これからも大変な戦いするのかな」

「……うん。たぶん」

「そっか……」


 アイカは片手で紅子の頭を撫でながら、片手で頬杖をついた。

「落ち着いたらさ、また遊びに来てよね」

「それは、後で浅羽に言ってやってくれ」

「そだね。……ね、もしあたしがそっちに遊びに行くことがあったらさ、こっこちゃんと東京案内してくれる?」

「いいけど、オレも案内するほど知らない……ていうか、マーマンがどうやって来るんだ。クレイを連れて?」

「水路の無いとこだと、そうなるかなぁ。クレイくらいのサイズの騎獣なら、けっこう色んなとこ入れるんだよ。盲導犬とかと一緒」

「父さんのほうがそういうの詳しいかな……調べておく」

「ありがと。ま、いつかね。お店あるし、おじいちゃんばっか働かせるわけにはいかないし、来年は受験生だし」

「浅羽は喜ぶよ。たぶん、すごく」

「うん」

 にこりとアイカは笑った。

「やっぱり、また来てよ。あたし、アクアリアここにいるから」


 あ、とアイカは声を上げた。


「今日って、何日だっけ?」

「七月……二十九日……だったと思うけど」

「八月三日って何の日か知ってる?」

「八月三日……? いや……」

 何か忘れていただろうかと、シオンはしばらく考えた。

 が、特に思いつかなかった。

「ごめん。知らない。オレ、何か忘れてるか?」

「ううん。そうじゃないの」


 アイカは眠っている紅子の手首を見た。戦いの前に渡したブレスレットが無くなっていた。失くさないように外したのかもしれないが、たぶん、紅子の強い魔力に耐えられず弾け飛んでしまったのだろう。魔石のクズ石を拾い集めて作ったものだったから。


 惜しいものではなかったが、紅子は気にするかもしれない。戦いに出る彼女の、少しは気休めになるかと思ったけれど、かえって悪いことをした。


「……ちょっと、プレゼントはよく考えないとね」

「プレゼント?」


 意味が分からず、シオンは眉をしかめた。




 鯛介は妹尾組の船に移り、アイカにも一緒に乗らないかと鯛介が尋ねると、彼女は自力で泳いで帰ったほうが速いから、と言い、海に戻って行った。


 船体のあちこちに傷を負ったプレジャーボートをやえが操縦し、アクアリアから離れた別の港に入った。

 海はもう穏やかだ。停泊させた船の中で、やえが言った。

「少し、休もっか。紅子ちゃん、まだ眠ってるし」

「はい。……でも、どうして、アイカと鯛介さんとは別に?」

 シオンは尋ねた。

 紅子は相変わらず寝ている。最初は死んだような深い眠りだったのが、いまは穏やかな寝息を立てているので、じきに目覚めるだろう。

「今の紅子ちゃんの状態で、すぐアクアリアに戻っても、彼女が辛いだけでしょ?」

「辛い……?」

「いまのアクアリアは、戦いで傷を負った者で溢れ返ってるはずよ。さっき妹尾さんとこの若い人たちに聞いたけど、沿岸警備隊コーストガードが中々駆けつけられなかったのは、外海にもスキュラがいたから。アクアリアの内海に入ってきたスキュラは、一体だけで良かったけど」

沿岸警備隊コーストガードはそっちと交戦してたのか」

「大きな戦いだったのよ。それだけの人たちを戦いに駆り出した」

 やえが振り返った。

「シーサーペント取り込んでいた魔石、あれは紅子ちゃんの物なんだよね?」

「……どうして分かるんですか」

 やえは苦笑いするように目を細めた。

「ハイちゃんが一緒にいるから。あの子、サッちゃんを救う方法を探してる。遺体を見つけて、ちゃんと弔いたいなんて、嘘よ」

 そう言って、悲しそうに微笑んだ。

「……ハイジは、遺体が誰かに持ち去られたのかもしれないって、言ってた」

「そうね……そうかもしれない。協会が派遣した、腕利きの探し屋シーカーたちにだって、遺体の痕跡はほとんど見つけられなかったから」

「でも、ダンジョンではよくあることだ。モンスターが跡形も無く喰ったって考えるほうが自然だ」

「そうよね。……でも、諦めきれなかった人たちは、あたしたち以外にもたくさんいたのよ。魔道士ソーサラー霊媒士シャーマン探求士スカウトも、多くの高レベル冒険者が、サッちゃんを根気良く探し続けた……禁忌ダンジョンを探索できるような高レベルの腕利きたちばかりが。でも何の手がかりもなくて、それがかえって不自然だって、みんな思ったの」


 シオンの父もそうだ。娘を諦めきれず、未だに捜している。

 息子を果ての無い悲しみに巻き込まないようにと、遠ざけて。

 でも、少しだけ恨んでいた。

 一緒に、父親と苦しみを分け合いながら、桜を捜したって、構わなかったのに。


「ハイちゃんは諦めてない。ダンジョンで何度もサッちゃんの霊魂に呼びかけて、何も返ってこなくて、一番打ちのめされたはずなのに。ダンジョンが再び閉鎖されるまで、毎日、ずっと……」


 霊杖に縋りついて、ハイジは唇を噛んでいた。

 痩せた頬に涙の筋が幾つも出来ていて、目や口の端や鼻の穴には血の痕があった。


(僕は、桜がいたから、冒険者をやって来られたのに……。僕は、彼女に何も返してやれない……)


 そう呟いて、子供みたいに泣いていた。

 誰が止めても無駄だろうから、と夜が言った。


(好きにさせてやれよ。そのうち力尽きる。そしたら、連れて帰ろう)


 そう静かに言った彼は、涙を流していなかった。

 こういうとき、いつもなら必死になるのは夜で、ハイジが冷静に見守っていたのに。


(――桜は帰れなかったけど、俺たちは帰ろう)




「ヨッちゃん……夜は、もう、決めてたのね。サッちゃんのことは、自分だけで追おうって。ハイちゃんはサッちゃんを助けたくて、強い力を求めた。あの子は高レベルのシャーマンだから、その方法しか思いつかなかったのよ」

「どんな……」

「死者を蘇生させる……のは無理でも、死者の魂をこの世に留める術は、いくらでもあるでしょう? もちろん、使い手は少ないけれども……」

死霊魔術ネクロマンシー……?」


 それは禁忌だ。

 死者の魂を他者がどうこうして良いものではない。

 多くの者は、死霊魔術ネクロマンシーに嫌悪感を持つ。


「たぶん、ハイちゃんだって本気でそうしようと思ってない。鳥亜人ガルーダは特に、死と魂を重んじるから。それを思いついたって、抵抗感や忌避感が強いはずよ。だからきっと、迷っている。サッちゃんを捜しながらも、どうしよう、どうしようって、考え続けてるのよ。きっと」

「……だから、浅羽の魔石を……? その石を自分で使うのか……?」


 いや、浅羽一族の魔石は、彼女達の血族しか扱えないものだ。それはシオンでさえ、さっきの戦いを見て分かった。

 ハイジが分からないわけがない。


「それとも、浅羽が力を付ければ、サクラを助けられるって思ってるのかな……」

「そうかもしれない。でも、そこまで利己的になれない子だから……」

「……浅羽は、本当に特別なソーサラーだ……。気持ちは、分かる……」

 毛布に包まって眠っている紅子の寝顔を見つめ、シオンは呟いた。

「一緒に戦えば戦うほど、それが分かる……」

「だから、今はアクアリアには帰せないの」

 やえがはっきりと告げた。

「あの石が彼女の物だってこと、あたしみたいなソーサラーの端くれでも分かる。肌に感じたから。それを、魔石自ら彼女の許に還ってきたことも。だからね、そんなことはないと言ったって、彼女はこの戦いを自分が引き起こしたって思うでしょ?」

「……それは……」


 違うとは言いきれないが――いや、やはり紅子のせいではない。


「魔石を隠したりとかは、浅羽の、おじいさんたちがやったことで……」

「だとしても、家族の責任は、自分の責任だって思うでしょう?」

「……それは……」


 そうかもしれない。もし、自分なら。


「大勢の怪我人を見たら、きっと助けようとするわよね。それが出来る子だもの。死にかけた人だって、救えるかもしれない」

「それは、浅羽なら出来る」

 キキの祖父、国重を死の淵から引っ張り上げた。リザードマンの生命力があったからこそかもしれないが、あれは致命傷と言っていい怪我だった。そのうえ、何の後遺症もなかった。

「でも、駄目なのよ。彼女が力を発揮すれば発揮するほど、救われる人はいるかもしれない。それこそ、ただの治療士ヒーラーよりも、強い奇跡を起こせるかもしれない。でも、全員にそれを施していったら、どうなるの?」

「それは……」

 いくら紅子の魔力でも、すぐに枯渇するだろう。

「この戦いじゃない、過去に起こったことで大きな怪我を負って、後遺症を持つ人がいたとするわね。その人たちまでもが、じゃあ自分たちまで助けてくれって言い出したら? どこまで力を使うか線引きすることや、毅然と断ることが、この子に出来る?」


 やえに厳しい口調で言われ、シオンは何も言えず、黙って唇を噛んだ。


「資格を持った治療士ヒーラーが必要なのは、そういう理由もあるのよ」

 やえが眠っている紅子を見る。

「この子は攻撃が得意みたいだけど、それでもあれだけの戦いをして、こうして眠ってる。それに、治癒ヒールは元々難しい術なのよ。医療の心得も無いこの子が、誰かを救おうと思ったら……それは必要以上に力を注がないと、無理なの」


 それは知っている。

 医学を学び医療の心得のある治療士ヒーラーなら、最低限の魔力で癒すことが出来る。

 そうでない者は、大量の魔力を消費する必要がある。


「素人治癒ヒールが難しいのは、使い手の力もひどく削るからよ。でも、大勢傷ついた人を見て、そこまで冷静に見極められるかってこと。自分のために傷ついたかもしれないと思ったら、なおさら」

「……きっと浅羽は、全員、助けようとすると思う……」

「そうね。でもそれは、これから君が止めてあげて。これほど強い力を持った子とパーティーを組んでいたら、きっと辛いこともたくさんある……そのとき、リーダーが引き受けなきゃいけないのは、彼女と一緒に苦しむことじゃない」

 やえの目がシオンを見据えた。

「あなたが判断して、あなたが請け負うの。誰かを助けるのも、助けないことも。あなたが決めるの」

 そうすることで、術者の心の負担はわずかでも軽くなるから。

 やえはそう言いたいのだろう。

 それが悔いの残る選択だったとしても、あくまで自分は指示に従っただけ。そう少しだけ思える。気休めでも。


 シオンは、相変わらず口を動かしている紅子の寝顔を見つめた。すっかり幸せそうに寝ているから、食事の夢でも見ているんだろう。子供みたいな奴。シオンは小さく笑った。

「……分かってる。オレに出来ることは少しかもしれないけど。でも、ずっと味方でいてやることは出来ると思う」

「そう」

 やえは頷いた。その顔は微笑んでいたが、心からの微笑みではない気がした。

「……あたしに言われなくても、シオンくんはきっと、いいリーダーね」

「それは、まだ経験不足だし、強くもないけど……」

「強いって、自分や仲間を信じられるってことだよ。ハイちゃんが、シオンくんたちと一緒にいるの、分かるなぁ。みんな、強い子達だから」

 やえは笑っていたが、目尻にうっすらと涙が光っていた。


「羨ましいな。あたしは結局、自分を信じられなかったから。あたしも、もっと、自分は強いんだって、桜の隣に堂々といていいんだって、信じればよかった……」


 そう言った彼女は、すっかり化粧の落ちた頬に、涙を幾筋も落とした。


「あたしが、迷わなければ良かった。あの子があたしを必要としてるなら、それがあたしの役割なんだって、胸を張ってれば良かったんだ。あたしの迷いが、ずっとあの子を苦しめてたのね……」

「やえさん」

 シオンはやえの言葉を遮り、首を横に振った。

「やえさんがサクラと最後まで一緒にいてくれて、良かった。あんなのでも、サクラは女だし、よく知らない奴に心開かないとこあるし、ワガママだけど、我慢するとこあるし……それに……」

 言いかけて、シオンは少し恥ずかしげに目を伏せた。

「あ、甘えるとこあるから……弟が言うの、変だけど……すごく気を許した相手には、ガキっぽい甘え方するっていうか……」

「そうだね」

 思い出したのか、やえはくすりと笑った。

「……あと、ほんとはあいつ寂しがりなんだ。母親がいなくて、家族も男ばっかだからかもしれないけど。オレはやっぱ亜人だから、ほんとの両親がいなくても、別に寂しくなかった。父さんと姉さんがいたから、それでじゅうぶん幸せだった。でも、人間はきっと違うんだな。お母さんって、大事な人なんだなって、人間の子供の中で育ったから、なんとなく分かる……」

 紅子も叔母の話をよくする。母親代わりに育ててくれた透哉の母で、いまはあまり仲が良くないらしいが、それでも幼い頃に母親のように慕っていたからか、紅子はその人のことが今もとても好きなようだ。

 そのくらい『お母さん』という存在は大きいのだろう。

 シオンやキキも母親はいないが、亜人はどこか人間より割りきっている。

「サクラ、きっとやえさんに、懐いてたんだと思う。家と違って、思いきり甘えられる人がいて、嬉しかったんじゃないかな……」

 言いながら、シオンも桜のことを思い出し、目の奥が熱くなった。やえの前では一度泣いているので、二度目は気まずい。慌ててこめかみに手のひらを当て、涙が零れないようぎゅっと抑えつけた。


「……やえさんみたいな人が、サクラの傍にずっといてくれて、良かった。あいつ、無茶ばっかだけど、本当は――本当に……寂しがりだから……」


 我慢していたが、じわりと涙が浮かんだ。そういえば自分も、幼い頃はひどく泣き虫だったのだ。そんな弟がいたから、桜は余計に強くなければならなかった。


「だから……仲間でいること、辞めないでくれて、ありがとう……」

「シオンくん……」


 やえは涙を流したまま、ゆっくりと微笑んだ。化粧はすっかり落ちていたが、今までで一番綺麗な顔だった。


「ありがとね、シオンくん」


 桜がもし、いまどこかで一人ぼっちなら。

 早く助けてやりたいと、シオンは心から思った。





 キキと蒼兵衛は、タズサが操るボロボートに乗り、岸に戻っていた。


 元々廃棄寸前だったボートを、蒼兵衛が再び船着き場の隅に繋いだ後、キキはびっと敬礼した。

「あばよ……」

 少し、名残惜しい気持ちで別れを告げる。短い間だったが、激戦を共にくぐり抜けた戦友である。

「世話になったよ。ちょっとでも長生きしろよ……」

「明日には廃棄だろう」

「そういうこと言うなぁ! 持って帰りたくなるだろ!」

 蒼兵衛の言葉に、キキはぴょんぴょんと飛び跳ねながら、尻や太腿を蹴飛ばした。

「犬とか船とか、キリないぞ」

「分かってるよう……」

 ぐ、とキキが声を詰まらせる。自覚はあるらしい。

「キキちゃん隊長は優しいんです」

 蒼兵衛の背におぶってもらい、タズサはどことなく嬉しそうに言った。

「隊長みたいに優しくて強い人には、立派な守護霊がたくさんつくんですよ。すごい人だと守護霊憑依させて戦うことだって出来ますから」

「あ、それ知ってる……」

 嫌そうな顔をし、蒼兵衛は呟いた。

 それから、ふと思い出す。

「そういえば、姉上はどうしたんだろうな。あれだけのゴーストを昇華させて、血を吐いて倒れてはいまいな」

「救護所に行ってみます?」

「うむ……詰め所に戻ってみるか。失神でもしていて起きたときに見知らぬ人だらけだったら、パーティーから置いてけぼりにされたのかと思い込み、人間不信のあまりその場で死霊魔道士ネクロマンサーにジョブチェンジしてゴースト大量召喚してしまうかもしれんしな」

「そんな理由でそこまでの闇に堕ちんのお前くらいだよ!」

 キキが尻にソバットを決めながら言う。

「パーティーとして迎えに行ってやらなければな」

「『別に来なくて良かったのに。勝手に休んで勝手に帰るよ』……とか言われるのがオチだと思うなー。あんましベタベタ構うとハイジ嫌がるじゃん。お前みたいに距離感ゼロ目指してないんだよ誰も。特にハイジはさぁ、ガルーダじゃん」

「ガルーダだと何が悪いんだ」

「悪かないけど、他種族とあんまし仲良くないっていうか。顔の広いおじいちゃんだって、ガルーダの一族とはあんまし仲良くしてないよ」

「リザードマンは繊細さの欠片もないもんな。大口開けて喋るし」

「なにしれっとリザードマンディスってんだ! 許さねえぞ!」

 キキがドコドコドコドコと蒼兵衛の尻に連続パンチを叩き込んだ。

「キキちゃん、マーマンとも仲良くしてね」

「お? うん」

 タズサに言われ、キキは頷いた。

「もちろんだよ。キキは妹尾一族の次の長だから、ここのマーマンとも分厚い信頼関係を結ぶからねっ」

「わーい! やったぁ! また遊びに来てね! ね、ね、他にはどんなお友達いるの?」

「と、友達……? う、うーんと、埼玉のワーキャット……とか……」

「それは私の身内だ」

 うーんとキキは腕組みし、唸った。

「えと、おじいちゃんが昔から仲良くしてるミノタウロスの鬼角さんとか……西のナーガの白神さんとか……」

「ナーガ! タズサ、テレビでしか見たことないよ!」

「ワニとヘビ似てるもんな」

「ワニじゃねえっつってんだろ! もーっ、思いつかないよっ! ハイジんとこ行くなら行こうよっ!」




 タズサが操る船は、人気の無い船着き場にそのまま入った。

 だから、戦闘に参加した船が帰還した港の惨状を、到着するまで知らなかった。


 詰め所は怪我人で溢れかえり、嵐の所為で簡易の救護テントすら建てられず、軽傷の怪我人は野ざらし状態で手当てを待っていた。海が荒れたせいで水路が使えず、病院への搬送も手間取っているらしい。

 怪我をしたマーマンやマーメイド、人間や他種族の冒険者たちが、手当てもままならず地べたに横たわっている様子は、幼いタズサにはショックだったらしい。


「……み、みんなが……」

「大規模な戦いだったからな。何より天候が悪かった。しかし被害は少ないほうだと思うぞ」

 蒼兵衛が淡々と告げる。子供にも配慮というものがない。キキは尻を蹴飛ばした。

「タズサにしてみれば知ってる人たちもいるんだよ」

「私は別にリョータたちがのたうち回ってても何とも思わないからな……」

「いい? お前が他人から距離置かれる理由がそのへんにある」

「えっどこ?」

 キキにびしっと指さされ、蒼兵衛が愕然とした。


「あっ、海獣シーホースたちが……!」


 はっとタズサが蒼兵衛の背の上で首を伸ばす。

 たくさんの船が繋いである港の、傷ついた海獣たちが横たわっていた。


 トドのようなモンスター、海獣シーホースたちは、マーマンの自警団シーナイトたちの騎獣だ。彼らと一緒に戦っていた騎獣たちも、多くが傷ついた。

 しかし騎獣の手当てにまで人員は割けないようで、血を流したまま弱々しく横たわっている個体もいた。

「た、助けなきゃ……!」

 タズサが蒼兵衛の肩をガクガクと揺する。

「ゆ、揺するな……ど、どっちをだ……? 人? 獣?」

「ど、どっち……? わ、わかんない……! どうしよう、キキちゃあん……!」

 パニックを起こしてタズサがぐすぐすと鼻を啜り出した。

「どうするんだ、キキちゃん隊長」

 蒼兵衛がキキを見下ろす。

「な、何故こういうときだけあたしに振る……!? う、うーんと……とりあえず、重傷者は、ここにはいないと思うから……素人の下手な治癒ヒールってかえって良くないとか言うし……」

 キキはきょろきょろと周囲を見回した。


 マーマン族の大半は魔力を持っていて、特に女性マーメイドは優秀な魔道士ソーサラーの資質を持った者が多い。医者や看護士の到着を待つことなく、治癒ヒールの使える者は怪我人を癒している。そのためか、被害は最小限に留まっていた。

 一つの街の防衛戦だけあって、街の住民たちは統率の取れた動きが出来ていた。

 これなら犠牲者はかなり少ないのではないだろうか。


「彼らは深追いする戦いをしてなかったからな。岸に治療士ヒーラーを待機させて、怪我人はすぐに戻って治療を受けていた」

 マーマンたちと共に戦っていた蒼兵衛が言った。

「前線が崩れなかったから出来たことだ。ゴーストや幽霊船との戦いに時間を取られなかったのも良かったな。……いや、それがでかいな」

 大量のシーゴーストが湧く海戦は、長時間に及ぶことが多く、被害が拡大していくものだ。

 状況が良かったとも言える。居合わせた妹尾のリザードマンたちが、幽霊船を力任せに解体していったこと、ハイジがゴースト湧きを止めたことは戦況に大きく影響した。

 それに、スキュラも比較的短時間で片づけられた。シーサーペントに至っては、誰も寄せ付けず紅子一人で抑えきった。メロウやハーピィ退治は、元よりマーマンたちが慣れている。


「んんんん……」

 キキは周囲の様子を確認する。傷ついた者たちは、野ざらしで治療を待ってはいるが、命に別状はなさそうだ。

「重傷者まで外に出されてるってわけじゃないな。思っていた以上に治療はスムーズに行われたのだろう」

「なんか、マーマンじゃない治療士ヒーラー多い……?」

 いずれも近隣の冒険者協会から派遣されてきたのだろうか。

「……わ、すごい目立つ奴いる……」

 黒髪、黒いジャケット、黒いズボンという、全員黒づくめの男だった。何故わざわざすべて同系色で揃える……とそのファッションセンスを判定し、思わずキキは呟いた。

「ブラックジャック……」

 黒づくめは横たわった怪我人の傍に片膝をつき、何事か尋ねながら、体に手を当てていく。逆の手に分厚い手帳らしき物を持っている。するとさほど時間をかけず、それまで横たわっていた者が体を起こし、ぺこぺこと頭を下げていた。

 胡散臭さはともかく、優秀な治療士ヒーラーのようだ。

 次の怪我人の許へ行き、また治療を開始する。ソーサラーではないキキの目から見ても、その治療は手早い。

 彼ほどではないにしろ、他のヒーラーもそこそこ腕が良さげだ。


「……よし、トドいこ!」

 キキは決めて、タズサを背負った蒼兵衛の腕をぐいぐいと引く。

「あっちは大丈夫そうだし、騎獣だって頑張ったじゃん!」

「お前って動物好きだなー……あ、モンスターか」

「いくよっ、タズサ隊員っ! 涙拭いてっ!」

「う……う……」

 鼻を啜るタズサの背中を、キキはぴょんぴょん飛び跳ねながら叩く。

「しゃんとしな! 冒険者になるんでしょ!?」

「姉上は、もう治療を受けたんだろうか? 怪我はなく魔力切れならそのへんに転がされているのかもしれんが……」

 蒼兵衛が辺りを見たが、ハイジの姿は無かった。

「まさかあの人に限って、死に至るほど力を使い果たしたとは思えんが……」

「ハイジなら大丈夫でしょっ! ほらほらっ、トドおたちを助けるよっ!」

「トドお……? 相変わらずネーミングセンス最悪だな」

 眉をひそめる蒼兵衛の腕を、キキがぐいぐいと引っ張る。蒼兵衛は、はぁと息をつき、泣いているタズサを背負って歩き出した。

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