魔女
「タズサはすごいな。こんなボロいボートなのに、ほとんど波の影響を受けてない」
古いボートの上で、シオンは感心して呟いた。
シーサーペントが近くで暴れているというのに、ほとんど波の揺れを感じない。
「へへ。タズサは立派な冒険者になりたいから。スクールにも通って、いっぱい練習してるんです。水の中で暮らしてるから、水の魔法ならうんと練習すればちょっと魔力でも手足みたいに動かせるんだって、先生が言ってた」
他の種族ではこれほど上手く船を操れないだろう。常に水の中で生活するマーメイドならではだ。とはいえ、言うほど簡単なことではない。
「アイカちゃんはそれより普通の勉強をして地元を出た方がいいって言うけど」
「立派な冒険者か。なれると思うぞ」
「ほんとですか?」
「ああ。特に、優秀なソーサラーは色んなパーティーが欲しがる。そのまま魔法を勉強すればいい」
「よーし、頑張ろっと。それで、おっきくなったら、キキちゃんのパーティーに入れてもらうんだぁ」
「そんときは改めて入隊審査するからね。腕磨いておかないと、キキのファンだからって贔屓はしないよ?」
「お前何様なんだよ……」
「はい!」
シオンは呆れたが、タズサは素直に頷く。
「でも、攻撃魔法はちょっと苦手で」
おっとりしてるもんな、とシオンは内心で思ったが、その心を読んだかのようにタズサが言った。
「性格の問題とかじゃないんですよ。大事なのは《攻撃対象の認識》なんです。銃で狙いを定めるのに似てるんだけど、それを意識でするのが魔法です。こっこさんは、それが上手なんですよ。きっと」
「シオン燃やしたことあるけどね」
「あれは火力と経験不足の問題だろ」
「このまま紅子に任せてたら大丈夫じゃない? いや活躍はしたいけど、無事に帰れるならそれでもいいよ」
「お前な」
呆れた目を向けると、キキは肩を竦めた。
「海落ちたくないじゃん……」
「まあな」
船はやえが操舵していたはずだが、いまも完全に静止はしていない。小さく動いて位置を変えている。ボートであんな動きが出来るのかとちょっと驚いた。紅子が攻撃しやすいように位置取りをしているのだろう。
妹尾組の《轟音》もよく機能していた。シーサーペントの警戒が増し、移動域が狭まっているようだ。
「これは押せるんじゃない?」
キキの言葉に、シオンは小さく頷いた。
「そうだな。でも……きっと、決定的な一撃が決まらないんだろう。初めての海の戦いで、距離が掴みにくいってのもあるだろうし、シーサーペントは動きが速いし、海蛇みたいにグニャグニャ動くだろ?」
「もっと上手い説明ないの?」
「ウネウネ動く……?」
「そこじゃねえよ」
「でかい体だけど、大事な臓器が詰まってる部分は少ないんだ。ほとんどの場所は魔法が少し掠めたくらいじゃ致命傷にならない」
「それに、ブレスです。時々だけど、こっこさんの魔法に合わせて、ブレスを当てて相殺してる。二体いるから、一体がブレスを吐く時間が充分あるんです。でも、逆にこっこさんが魔法を放ち続けてるから、ブレスを止められてる」
アクアリアに向かってくるシーサーペントを、紅子がその場に留めてくれているのだ。たった一人で。
「すごいです……普通出来ない。ソーサレスが一団でやろうとしても出来ないかもしれないことを、なんで一人で出来るんですか?」
タズサが驚嘆の息をついた。
シオンは答えなかったが、本当の理由を知っている。
透哉が話してくれた特異な生い立ち。
母親の胎内で一族に伝わる魔石の力を与えられ続けた子。
そんなことで天才魔道士が簡単に生まれるなら、とっくにこの世は天才魔道士だらけだ。
きっと、紅子がこの世に生きて産まれてきたのも、奇跡だったに違いない。
(……ん?)
ふと、一つの考えが頭をよぎって、シオンは額に手のひらを当てた。
「どした? 頭痛い?」
キキが顔を覗き込んできたが、意識に入らなかった。
何か引っかかる。いま、ものすごく確信的なことを、思ったような気がする。
(……たからもの……)
優秀な魔道士一族に伝わってきた魔石なら、それは価値があるだろう。その一族にとっては、とても強力な宝であるはずだ。
《たからもの》として大切にしたり、奪い合ったり、探し求めたり、紅子の祖父や父や兄が命をかけた意味も、分かる。
分かるのだが、何か引っかかる。
「……でも、石は石だ。ただの道具だ」
「は?」
キキが変な声を上げたが、シオンは苦手な思考を続けた。
片手を額に当てたまま、もう片手に持ったソードブレイカーを見つめる。
これはセイヤに貰った武器だ。扱いに慣れてきてそれなりに気に入ってもいるが、失くしたり、買い替えるときもくるだろう。
足のベルトに付けている六振りのナイフも、透哉に加工してもらってとても気に入っている。でも、これも失うときが来るだろう。
惜しいけれど、また代わりの物が手に入る。道具とはそういうものだ。消耗品だと最初から思っている。
魔石だって、本来は消耗品だ。目的の為に存在しているものであって、時間はかかってもまた別の魔石に力を溜めれば、何十年何百年かかったとしても代わりは作れる。
浅羽一族の魔石は彼らにとってはすごい物のようだが、シオンにとってはいまいちそんなふうに思えなかった。
そんな道具よりも、紅子のほうがよっぽどかけがえの無いもののように思う。
(本当に大事なものって、魔石じゃなくて……一族の《たからもの》って)
――あいつ自身なんじゃないか?
「でもさぁ、シオンこそ大丈夫なの?」
「……え?」
キキの言葉にシオンは我に返った。
「や、だって泳げないじゃん。ネコだし」
「……戦いの話?」
「戦いの話」
「……得意じゃないけど、オレだから出来ることもある」
「ふーん。泳げないんだから、無理すんなよ?」
「泳げるよ。耳に水入るだけ……うっせーなぁ、集中させろよ」
「何のよ?」
む、とキキが顔をしかめた。
「考えてたこと分からなくなっちまっただろ」
「なにおう! 戦闘中に考えごとするな!」
ガァッとキキが声を上げ、シオンははっとした。言う通りだ。
「ごめん。そうだな」
「へ? な、なによ……やけに素直な」
「オレが悪かった。今のはお前が正しい。戦いの途中だ」
「そうだけど、いつもこっちが怒られるほうだから、気味悪……」
「見てみろ」
不気味がるキキの頭にぽんと手を乗せ、ぐいと引き寄せると、シオンは目線をシーサーペントのほうに促した。
「シーサーペントは耐久力があるし、動きも素早い。でも胴体がでかいから、攻撃は比較的当てやすい。並みの武器で倒すのは無理だけどな。魔銃なら上手く当てれば戦える。蛇に似てるけど、口のとこは魚みたいに尖ってて硬いんだ」
「戦ったことあんの?」
「無いよ。このへんに出そうなモンスターのことは調べてきた。基本だろ。それより見ろ。でかくて当てやすく見えるから、ガンナーは無駄に弾を使っちまう」
キキは派手好きで、雑なようにも見えるが、それは近接戦闘だけで、遠隔から銃の無駄撃ちはしない。遠距離射撃は苦手らしいが、中距離なら狙いも悪くない。
戦闘種族のリザードマンだけあって、敵の動きをある程度予測して弾を当てるくらいの戦闘勘と一瞬の集中力はある。
「胴体はでかい鱗に覆われていて、かなり硬い。たぶん魔弾じゃダメージはそう与えられないから、口を狙うんだ。的確に」
「でもけっこう動くよ。口ってめちゃくちゃ当てるとこ少ないのに」
「ブレスのタイミングで当てたらいい。そのときだけは顔の動きは固定されるから」
シーサーペントは時折ブレスを吐くが、どんな態勢からもそれを放つ。特定の挙動は無いようだった。ブレスを吐くモンスターは、胸を膨らませたり、頭や体を後ろに引いたりすることが多いのだが、シーサーペントにはそれがない、とシオンは説明した。
「じゃあいつブレス吐くか分かんないじゃん」
「今なら浅羽の魔法に合わせて吐くだろ」
「あ、そっか」
「シーサーペントのブレスのタイミング自体は図りにくいけど、浅羽と戦ってる間ならブレスの予想は簡単だ」
「でも紅子の魔法が飛んでくるタイミングが分かんない。攻撃してから撃っても間に合わないし」
「オレがあっちの船に行って、浅羽の横で詠唱を聴いて合図する。近くで見れば、ブレスの癖も分かるかもしれない」
シオンはポーチから、懐中電灯を取り出した。買ったばかりの愛用品だ。そのスイッチをカチ、カチ、とオンオフさせて光を点灯させてみる。
「これで合図する。詠唱の終わりに合わせて5、4、3、2、1で点灯させてカウントするから、そのタイミングで撃て」
「どっちを?」
「交互にブレス吐いてるから、大体分かるだろ」
「どうやってあっちのボートに乗り移るの?」
「走って行く」
「……まさか、……右足が沈む前に左足を出せば海の上走れると思ってんの? ワーキャットってそこまでなの?」
「タズサ」
キキの言葉は無視して、シオンはボートの上で立ち上がった。それでも少しも揺れないボートに、タズサの魔力の安定感が分かる。
「ここからあっちのボートの間、ほんの少しでいい。波を硬く出来ないか?」
「えっと、条件にも寄りますけど……」
されたことない注文に戸惑いながら、タズサは上目にシオンを見上げ、ヒレ耳をひくひくと動かした。
「体重どのくらいですか?」
「50㎏」
「紅子が聞いたら倒れそう」
キキが小さく言った。
「装備もあるから、もう少しあるか。邪魔なら全部置いていく。こっから距離は……50メートルもないと思うから。三秒だけでいい。船が停まったタイミングで頼む」
位置取りをした後、船は一定時間動きを止めていることがある。多分、紅子が詠唱に集中出来るようにだろう。
「こっから、三秒……んと、最後ちょっと足りないかもです」
「分かった。それでいいから頼む」
「カチカチにしなくていいですか? 幅も短くていいですか? 硬くしたとこ、目じゃ見えないと思いますけど。真っ直ぐ、平均台くらいの幅になっちゃうけど」
「狭っ」
キキが顔をしかめる。
「それなら、装備したままで大丈夫です」
「真っ直ぐって分かってれば大丈夫だ」
「大丈夫なのぉ?」
「真っ直ぐ走るだけだろ。オレたちには難しくない」
この程度の距離、一直線に駆け抜けるくらい、ワーキャットには動作も無い。不可能ではないはずだ。そこに見えない道があるという確信を疑いさえしなければ。怖気づいて踏み出すことを躊躇えば紅子の許へは辿り着けない。
「えっと、こういうの、理論上ではって言うのかな、出来る……と思います。でも、そんなの頼まれたことなくて、やったことないからちょっと自信ない……です」
タズサが自信無さげに身を小さくする。その肩をキキががしっと抱き、自分がシオンにそうされるように、ぽんぽんと頭を撫でた。
「いける! タズサならやれる! 何故ならキキちゃんパーティーの一員だから!」
「キキちゃん……うんっ!」
タズサがぱあっと顔を輝かせた。淡い水色の瞳がキラキラと光を帯び、それが彼女の魔力の色合いなのだろうと分かる。紅子も、ハイジも、強い魔力をその身に帯びたときはそうなる。紅子は一層顕著で、人間とは思えないくっきりとした赤い瞳になる。
《大魔道士の瞳》というのだと、ハイジに教えてもらったことがある。魔力の強い人間に稀に現れる。シオンも何度か見た。真っ黒な瞳にだんだんと赤が混じり、気づけば赤い宝石のように輝いている。
いまも、彼女の瞳にその光が宿っているのだろうか。
「大海よ、命を産み、育みし母よ、我の声、娘の願いを聴け――」
タズサが両手を広げ、小さな体で、朗々と詠唱を始める。きっとシオンは彼女にかなり難しい要求をしたのだろう。それなりに長い詠唱だった。術の難しさは、詠唱の長さに比例することは知っている。しかし紡がれた言葉と高まった集中のぶん、そして使い手が強力であるほど、その魔法は強度を増す。強固になる。
持って生まれた魔力と、ある程度の理論は必要となるものの、結局は想いと願いの強さなのだと、草間から聞いたことがあった。
(魔法使いはすごいな……)
その強い祈りと、並外れた集中で、幾度も幾度も奇跡を起こす。
「よし、いきます!」
タズサがひときわ声を張り上げた。
「――お願い、おかーさん!」
それが長い詠唱の完成のようだった。母――というのは、彼女たち魚亜人にとっての海なのだろう。幼いタズサらしい呼びかけだが、そのほうが海も応えてくれるような気がたしかにして、シオンは口許を緩めた。
同時に、ボートのへりを蹴って、タズサが腕を突き出し指し示した方向へ、一直線に駆けだした。
見ているキキたちからすれば、あっという間にシオンは海の上を駆けたように思えただろう。シオンは素早く、それでも慎重に、見えないが直線上に一気に走り抜けた。ワーキャットは泳ぎが苦手というか、泳ぎに適した体をしていない。大きな耳に水が入るし、尻尾でバランスを取って動くことも出来ない。特にシオンはほぼ無意識に、尻尾で体幹を細かく調整している。それが封じられるのは足をもがれたも同然だ。両足かもしれない。
だから、水の中に落ちるのは、どうしても本能で忌避してしまう。こうして海の上で戦闘するのだって、ほんとうは嫌だ。だが、それ以上にやらなければという強い意思が、陸上と変わらぬ戦いをさせていた。
ワーキャットだから出来ること、オレしか出来ないこともある。
どんな場所でも、きっと戦える。彼女の許へ、駆けつけられる。
(役に立たなかったとしても、オレが傍にいて、それだけでいいのなら――……)
そう信じて駆けた。わずかな躊躇いもなく、真っ直ぐ走りきりながら、次の動きに備える。ボートが近くなってきて、その船体が立ちはだかっても、シオンはスピードを緩めず、そのまま船体を駆け上がった。
「シオンさん!」
鯛介の声がして、太い腕が伸びてきたので、咄嗟に掴んだ。同時に、力強く引き上げられる。その勢いで鯛介の頭を飛び越え、豪快な一本釣りのようになってしまった。
船室の上に着地し、ダンッと大きな音がしたが船は揺れず、強力な魔法で固定されているのだと分かった。
降りると、鯛介が大きな声を上げた。
「びっくりした! ワーキャットは海の上走るんすか!?」
「いや、魔法で……それより戦況はどうなんだ!」
慌てると普段気にしている言葉遣いをつい忘れるシオンだったが、鯛介は気にしていないようだった。むしろ、嬉々としているように見える。
「おお、そうでした。いやあ、海の上走ってくるから、びっくりしちゃって。姐さんが見たらはしゃぎそうだなって」
「その話は後で!」
「あ、はいはい。シオンさんが出て行ったあとは、紅子さんが魔法で一気に船を動かしてここまで来て、そうしたらシーサーペントが急に興奮し出して、このボートの周りグルグルしたり威嚇したりしてましたけど、すぐに襲ってくるってかんじじゃなかったんで、放っておいたんすよ。でもスキュラが倒れたあたりかなぁ、また興奮し出して、船体にぶつかってきたんすけど、紅子さんがガンガン魔法撃って、今は距離取ってますけどね。一体ヤッたんで、逃げ出すかと思ったら、やたら好戦的で」
シーサーペントが潜って、船の底から回り込んでくるかもしれないと、鯛介は後ろを警戒していたらしい。船首側には紅子とやえがいる。鯛介は後ろで、船体のバランスを取っていると言った。
「さっきまでちょこちょこやえさんが操縦して、停まったら援護に回ったりしてて。シオンさんが飛び乗ってきたときもそうだったけど、一回停まると、でかい船みてえにビクリとも動かねえ。紅子さんが魔法で安定させたまま、ガンガン攻撃もしてるんす。無尽蔵かってくらいの魔力すよ」
歴戦の冒険者である鯛介さえ、興奮して言った。やっぱり浅羽ってすごいのか、とシオンは改めて思った。紅子より上手い魔法使いは幾らでもいるだろうが、膨大な魔力での力押しは、たしかに並外れた才能がなければ出来ない。
「……草間さんの言った、大魔法は三回までって言いつけを、浅羽は考え過ぎて結局ずっと温存しちまってた。だからいまは魔力もほぼ満タン状態で、このくらいの魔法ならあいつにとっては大魔法でもなんでもない……」
鯛介には意味が分からないだろうが、シオンはそう口にしていた。
「やえさんがいまはついてます。シオンさんも紅子さんのサポートしてやってください。後ろはオレが守りますんで。ていうかオレまで前行くと船が無駄に傾くんで!」
がはははと鯛介が豪快に笑った。頷き、シオンは船の前方に回った。
紅子と、傍らにやえがいた。片膝をついて身を屈めている彼女の傍にはライフルタイプの魔銃が転がっていた。弾はとっくに尽きているようだ。
「シオンくん。シーサーペントが二体残ってる。このへんにいたハーピィやメロウはほとんど仕留めたけど」
彼女はシオンがどうやって戻って来たかなど尋ねることもなく、すぐに状況を教えてくれた。
「彼女、急に何を呼びかけても応えなくなって、それからずっと敵を攻撃してくれてる。このままでいいの? この状態は、いつもこうなるの?」
「強い敵を前にしたときや、危機的な状況ではいつもそうだった……」
紅子はシオンに見向きもせず、片手に長杖を持ち、海上だけを見つめていた。
シオンがやって来ても気に留めないということは、すでにいつもの紅子ではない。
腕を前に突き出し、杖でシーサーペントを指す。
「弾けて」
魔物の傍で、火球が爆ぜた。
前触れの無い攻撃を避けることも、ブレスを撃つことも出来ず、シーサーペントの頭が半分弾け飛び、ゆらりと海面に倒れた。
「倒した……のか?」
もうキキの援護は要らないかもしれない、と思ったが、残る一体はものともせず、ブレスを吐き出した。シーサーペントは体の中に溜めた水を鉄砲魚のように鋭く吐き出す。体の中に魔力が溜まりやすい性質の魔物で、吐き出す水は早く鋭く撃ち出される魔弾となる。
「……っ! 速い!」
シオンが叫ぶより早くブレスが船体に直撃した。紅子は魔力は強いが、反応速度は並みの少女だ。ブレスが吐き出されたのが分かっても、そのときには着弾していた。
「なんだ、今の速さ……! シーサーペントのブレスってあんなにすごいのか?」
本当に弾丸だ。それに、うっすらと赤い魔力光を帯びていた。
よく見ると、鱗全体がうっすらと赤く光っているような気がする。
「……あんな色だっけ……? 亜種……か?」
「いいえ。亜種でもあんな色は確認されていないし、あんなすごいブレスは吐かないはずなのよ」
やえが言った。
「それでも、けっこう紅子ちゃんが守ってくれてるのよ。ブレスは何回か船に当たってるけど、穴は開いてない。今のところはね」
きっと船体はボコボコだろう。
「あれ、シーサーペントなんですか……?」
「見た目も動きもそうだと思う。冒険者時代に戦ったことあるし。でも、ずっと強いし、頑丈なのよ。他の二体もそうだった。魔法も銃も中々効かなくて、引き付けておくのがやっとだったの。それでも体力を削って削って、ようやく二体目が倒れたってとこね」
さすがにやえの表情にも緊張からか疲労がある。
「あの子の集中はすごいわ」
「浅羽は特別だから……」
紅子はシオンたちに目もくれない。トランス状態のときは、何を言っても聴こえない。
「やえさんたちは無事ですか?」
「ぜんぜん無事。こっちに飛んで来たぶんは、紅子ちゃんが反魔法で打ち消してるのよ。多分無意識にだろうけど」
攻撃しながら、船を安定させながら、ブレスを撃ち消している。
「彼女の魔力は膨大だけど、三つの魔法を同時か交互に常に行っているから、一つ一つに大きなソースを振り分けられないのね。常にこの船を安定させてるだけでも大変なのに」
おそらく、攻撃と防御にはあまり力を裂いていないのだろう。船へのダメージは無視し、最低限自分たちだけ守っているのはそれでだ。
それでも、シーサーペントを二体は仕留めている。普通のソーサラーなら、戦士に守られながら攻撃するだけで精一杯だろう。
「彼女は……いえ、後で話すね」
やえが眉をしかめ、何かを言いかけ、やめた。シオンは頷いた。いまは戦闘中だ。
彼女は一言だけ呟いた。
「あなたが来てくれて良かった。ありがとう」
紅子はぶつぶつと口の中で何か呟いていた。次の詠唱に入っている。
いまの彼女に声はかけられない。かけたとして、聴こえないだろうけど。
しかしよく聞くと、それは詠唱ではないようだった。シオンは耳を動かし、よく聴いた。
「大魔法は……三回……三回だけ……」
驚いた。こんな状態になっても、師匠の言いつけは覚えているらしい。
暗示にかかりやすい性格なのかもしれない。というか、思い込みが強いのか。
「……お兄ちゃん……まってて……もうすこし……」
手の中に懐中電灯を握り込みながら、シオンはキキたちのいるほうを見た。タズサが位置を変えたのか、ボロボートの距離が少し近づいていた。キキはしっかり銃を構えじっとしている。上出来だ。
「おのはらくん……」
声をかけられ、紅子の横顔を見ると、彼女の口端がゆっくりと吊り上がり、笑みが浮かんだ。
「あれ……わかる? 見える? わたしの、魔力」
紅子が嬉しそうに言った。
指差す先には、対峙している魔物と、すでに死んで波間に揉まれている魔物。
「もってきてくれた……かえしてもらわなきゃ」
「浅羽……何を」
「でもね、じょうずに当たんないの。なかなか死なないの」
幼児のような口調で、紅子が口を尖らせる。
「わたしの魔力で、つよくなってるの。ずるいよ。かえして。わたしのだよ」
「浅羽の魔力って、魔石のことか?」
紅子は答えず、子供のようにぷうと頬を膨らませた。
そして、杖をきつく握り締める。
「ああ、もう、だいきらい。おじいちゃんも、おとうさんも、おにいちゃんも。こっこからぜんぶとりあげた! ぜんぶ、ぜんぶ、ぜんぶ!」
戦いの中で髪留めが外れたのか、紅子の長い黒髪が海風になびいている。それがぶわっと広がった。髪の先にまで、紅子の赤い魔力が宿っていた。
「わたしの魔力、かえしてくれない、いじわるな子はね……きらい!」
怒りの叫びと共に、漂っていたシーサーペントの死体が爆散した。
それを見たシオンの背中に悪寒が走った。
破壊魔法。最強の攻撃魔法だ。
単純に、何もかもを破壊する。膨大な魔力を生物の内側に発生させ、外側に弾けさせる。
だが、相当に高度な術で、特に自分より大きな生物を破壊することは血管一つ傷つけることすら難しい。生きているものは、すべて体内に魔素を持っている。動物も、虫も、魚も、植物も、人間もモンスターももちろんそうだ。その魔素が魔法をほぼ無効化してしまう。だから、内側からの破壊は無理だ。死体だから干渉できたのだろう。それでも、さっきやられた死体にも、まだ魔素は残っているはずだ。
彼女は普段、モンスターを傷つけることすら躊躇う。
その紅子が、残念そうにあーあ、と呟いた。
「生きてる子はやっぱだめ。うまく力が入んない。今ので、おっきいまほうひとつ、終わっちゃった……」
「浅羽、一人で戦うな。みんなで戦おう」
シオンは紅子の肩を掴んだ。一瞬、身の毛のよだつような痺れが走った。彼女の魔力が体の外まで漏れているのだ。それが他人には、異質に感じる。
だが、肩に手を置いたまま、シオンは続けた。
紅子はいつもの彼女じゃないが、シオンの話はまだ聞いてくれるようで、きょとんと目をしばたたせる。
「浅羽も疲れてる。あのシーサーペントはちょっと変だ。だから」
「シオンくん!」
やえの声が飛んだ。話している間に、シーサーペントが接近していた。しまった、とシオンは思ったが、遅かった。咆哮と共に、巨体が船体にぶつかった。
「浅羽!」
紅子の体ががくんと揺らぎ、シオンは彼女の体を抱き留めた。そのまま自分の体をクッションにして、床に転がる。海に投げ出されるのだけは避けられた。やえも伏せてやり過ごしたようだ。
「やえさん!」
鯛介の声が後方からした。それにやえが答える。
「大丈夫! タイちゃんは動かないでね! そのまま後ろにいて!」
体重の重い鯛介に移動されてはそれこそ船が傾く。やえが叫ぶ。
「真下に潜ったかもしれない! ひっくり返されないように動いて!」
「んな無茶な! やるけど!」
船がグラグラと揺れている。キキの火炎弾が跳んできたが、潜ってしまったシーサーペントには当たらず、船体に当たった。
「アホキキ!」
鯛介の悲鳴が聴こえた。幸い、船のどこにも引火しなかった。
「浅羽、浅羽」
シオンの腕の中で、紅子は驚いたのか目を丸くして、船の安定など忘れている。
「浅羽、大丈夫か? 怪我してないか? 悪かった。オレが話なんてしたから……」
紅子の赤い瞳が、シオンを凝視した。
「とうやにいちゃん……? じゃない……」
「帰るんだ、そうじゃないと、透哉さんに会えないぞ」
「……おにいちゃん……どうしちゃったの?」
「透哉さんは家にいる。家にいるよ。だから帰るんだ。戦わなきゃ帰れない」
「かえる……?」
しっかりしてくれ。お前が頼りなんだ。お前しか出来ない。そんな言葉が浮かんでは、口に出せず消えていく。
目をまたたかせる紅子に、シオンは悔しげに顔を歪め、その体を抱きしめた。
「……いつも、戦わせてごめん」
絞り出すような声が掠れた。
「結局、浅羽に頼りきりになる。オレに出来ることなんて、偉そうに言ったって、そんなになくて」
蒼兵衛やハイジのような戦闘力もない。戦士としてはただすばしっこいだけで非力だし、囮や雑魚退治が役割としてはせいぜいだ。
ずきりと足首が痛んだのは、紅子を庇って無理な体勢になり、捻挫でもしたのだろう。
足を少し怪我しただけで、足手まといになる。
ちっぽけなワーキャットである自分が、悔しくてたまらなかった。
また船底が突き上げられ、片側に激しく傾いた。だがこの状況で、どうしようも出来ない。紅子を抱えて、せめてどこかにぶつかって怪我をしないように守って。とにかく落ち着かせて。安心させてやって。そして――また、戦ってもらわなければならない。
どんなに悔しくても、シオンには力が無く、紅子にはある。
「お前を守るなんて言ったって、結局いつもそうだ。お前が強いから……お前に何とかしてもらってる……」
紅子は目をきょとんとさせたまま、泣きそうな顔をしている男の子を見上げていた。
――この子、にゃんこみたい。トラタ、元気かな。おうち帰って撫でたいな。それから、早く、おばさんの作った美味しいご飯食べたい。今日のご飯はなにかなあ。
「……泣いてるの? かわいそう」
紅子の指が、シオンの目尻に触れた。泣いてはいなかったが、細い指先がシオンの下瞼を拭うように撫でた。
「あなた、お父さんとお母さんが、いないんだね。わたしもそう。にてるね、わたしたち。あなた、迷宮の匂いがする」
紅子はふんわりと笑った。子供のようだった口調が、今度は母親が子供に言い聞かせるような優しくいたわるような声音になった。
「わたしもそう。そこにいたの。弟とね、いっしょに。ずっと、ずっといたの」
「お……とうと……?」
シオンは目を見張った。透哉はそんなこと言わなかった。
「泣かないで。もう大丈夫だよ。お姉ちゃんが助けたげるね」
紅子の手が、シオンの痛む足首に触れた。
「痛いの痛いの飛んでけ」
足の痛みが引いていく。
「もう大丈夫、怖くないよ。じっとしてて。すぐに終わるから」
紅子は微笑み、体を起こしてシオンから離れた。
「硬くなあれ」
紅子が床に手をつく。船自体に強力な〈硬化〉がかかったのか、ガンガンと船底を突き上げてくる感覚はあったが、船はもうびくりとも揺らがなくなっていた。
「じゃあ……そろそろ返してもらわなきゃ」
紅子が笑みを浮かべたまま呟く。船への攻撃がピタリと止んだ。
「あ……逃げちゃう」
それまでいきり立って攻撃していたシーサーペントが、船から離れた。その方向が、キキたちの乗ったボートのほうだったので、シオンは声を張り上げた。
「キキ! まずい!」
だが自分にはどうすることも出来ない。
「ええと……せっかく温存したのになぁ……逃げちゃだめだよ」
紅子が残念そうに言って、杖も持たず、ただシーサーペントを指差した。釣り針に引っかかった魚のように、ビクンビクンとシーサーペントが海面近くで跳ねだした。
「〈拘束〉……?」
やえが驚いたように呟いた。
距離のある対象――しかも体躯が大きく、魔力を多く宿しているモンスターを、詠唱とも言えないような短い言葉だけで、魔石も杖も持たず、その動きを止めたのだ。
「これで二回目……もうあと一回しか使えないや。同じくらい大きいの使ったら、空っぽになっちゃう」
高度な魔法ではあるが、普段の彼女なら大魔法というほどではない。だが、杖や魔石という補助具もなく、相当な力をいま使ったのだろう。
最後の一発で、仕留めるつもりだ。
だがシオンは叫んだ。
「待て、浅羽……!」
シーサーペントが暴れながら、やたらめったらにブレスを吐いている。シオンたちの船には着弾する前に紅子の魔力が自動防御で掻き消しているが、キキたちのボロボートにまではその力が及んでいない。
「あの船を守ってくれ! 攻撃はこっちでやるから!」
紅子が首を傾げ、波間に漂うボロボートを見やる。いまの紅子がキキを憶えているかは分からない。シオンは必死に懇願した。
「仲間なんだ! 頼む! 俺とお前の仲間だ!」
シオンの言葉に、紅子は頷いた。
「いいよ。分かった。――打ち消して」
紅子が両手を広げる。弾丸のようなブレスは、放たれてすぐにすべて掻き消えてしまっていた。
シオンは咄嗟にポケットにしまっていた懐中電灯を取り出し、シーサーペントに光を向けた。ブレスに大きな予備動作は無いが、このシーサーペントは強い魔力を宿している。それが鱗を赤く発光させているから赤く見えるのだ。その発光の強さで、タイミングを計ることが出来た。
暴れる様子を見ながら、ブレスを撃つタイミングを見計って、その光を点滅させた。
5・4・3・2・1――。
「キキ! 撃て!」
かなり接近していたシーサーペントの口に、火炎弾がぶち込まれた。かなりの爆炎が上がったのは、タズサの魔法の補助があったのかもしれない。そのまま二発、三発、四発と、どんどん弾が撃ち込まれていく。
「いいぞ、そのまま全部撃て!」
シオンの声が聴こえたのかどうか、キキなら自ら判断しただろう。その攻撃の手を緩めないのは、正しい。
赤い光を放って暴れるシーサーペントのブレスは、もはや吐き出すことも叶っていない。その赤い魔力の光は、すべて紅子のほうに流れ込んできていた。紅子はそれをすううと息を深く吸い込んで、口の中から体内へ吸収させ、ぺろりと舌なめずりした。
「ごちそうさま。ああ、美味しかった」
ほぼ同時に、シーサーペントの胴体が真っ二つに分断された。
紅子の魔法ではない。
蒼兵衛がアイカと共に近づいてきているのがシオンには少し前から見えていた。だから、紅子に絶対防御を任せ、キキと蒼兵衛の二重の攻撃で倒せると思ったのだ。
妖刀で一刀両断にされ、最後は咆哮の一つも聴こえなかった。
もう、本当は死んでいても不思議では無かったのだろう。紅子の言ったように、届けにきたのかもしれない。そう思うと魔物が哀れに思えた。
二つに分かれたシーサーペントの胴体から、血しぶきと共に赤い光が溢れ、それは魔力の無いシオンの目にすらくっきりと見えた。
きっと、この海を見ていた誰もが目にしただろう。
解放された赤い光が、繭を破った蝶の羽のようにはためき、鱗粉をまき散らすように海上を赤く染めていった様子を。
「……この光……痛い、なんだかチクチクするかんじ……」
やえは両腕で肩を掴み、顔をしかめていた。だが、シオンにとっては馴染みのある感覚でもあった。
何度か、紅子に助けてもらった。体を癒してもらったときのことを思い出す。
これは、彼女の魔力と同じか、それに近いものだ。
当然、他の魔法使いにとっては、異質だろう。
「あの子にしか、受け入れられないものなのね……」
やえの呟きに、シオンはかすかに頷いた。
紅子は降り注ぐ光の粒の中で両手を広げていた。なんだか血を浴びているように見えて、シオンは痛々しく感じた。でもその中で、紅子は目を細め、微笑んでいた。
「かえってきた……かえってきた……」
そう何度も呟きながら。
――見つけたのか。
船のへりにもたれかかり、ハイジは赤い光に包まれた遠海を眺めた。
「あれは、魔力光か? あんたが出した羽みたいな……」
坂元が尋ねた。
「いや……さあ、分からない……」
幼稚園児よりも嘘が下手、と何度も桜に言われたことのあるハイジだったが、明らかなはぐらかしに、坂元はそれ以上何も尋ねることもなく言った。
「俺はさ、今より強くなりたいとか、すごく稼ぎたいとか、そういう望みは持っちゃいない。ただ、俺と家族が生きていけて、年に二回くらい皆で旅行にでも行けたらいいんだ。だから、あの光が何なのかとか、あんたらがどうしてそんなに強いのかとか、そういうことは、知る気も無いし、知りたくもねえから……やっぱ何も答えなくていいぜ。訊いて悪かったな」
そう言って、疲れた顔をした中年冒険者は船室に戻って行った。
(……海中ダンジョンにでも隠していたのか……どっちみち、あの子の許へ還るものだったんだろう。あれだけ探したのは徒労だったのかな……)
ふうとハイジは息をついた。
(いや、長い間滞在したからなのか、たまたま近くまで来ていたのか、条件が分からないんじゃ、結局また闇雲に探すしかない)
それにしても、とハイジは曇天の下で輝く赤光を見つめながら、ぼんやりと思った。
(あの子の傍にいる限り、これから先もこのレベルの戦いがあるのか……)
この冒険の間にすっかり薄くなった腹をさすった。
旅の前から、節制を心がけていた。ガルーダは元々大して食事を取らずとも良い。そのほうが霊力が安定することもある。ハイジの場合はそうだ。だから、今日もほとんど食べていない。
だが、とりあえず戦いが終わったと意識した途端に、腹の奥からぐうと音が鳴った。腹が空いた。霊力の枯渇より、そっちのほうで倒れそうだ。
「ちょっとー! なんでアンタがシーサーペントまで斬っちゃうの!? スキュラ倒したんでしょ!? キキの獲物だったのに!」
「こっちのセリフだ。なんで私がスキュラを倒して更におまけの一戦までやらないといけないんだ」
ボロボートの上からぎゃんぎゃん喚くキキに、蒼兵衛は恨みがましい目を向けた。
「なにがボートだ、ラクしやがって。私なんか泳ぎだぞ」
「捕まってただけじゃない」
アイカがすかさず突っ込む。
「お前今回まったく体使ってないだろう。ワニみたいに短い手足バタバタ動かして潜って水中から敵の腹喰い破る活躍くらいしろ。何の為にワニとして生まれてきたんだ?」
「ワニじゃなーいっ! リザードマン! リ・ザ・ア・ド・マ・ン!」
「私なんてごくごく普通の人間だぞ。ボートに乗せろ。お前は泳げ」
「どこがだっ! 絶対乗せんなよタズサっ!」
ボートに乗って来ようとする蒼兵衛の頭を、キキは手にした槍の柄でゴツゴツと押し返した。
「愚かな」
その槍を逆に取られ、ボートから引きずり落とされる。
「ぎゃあああ!」
「キキちゃーん!」
「わははは! ざまあないな! 今日の英雄の頭を殴るからだ!」
頭から海に落ち、手足をばたつかせるキキの額を、蒼兵衛がぺちぺちと叩く。
「くっそおおお! 次! 次活躍するからな! 見てろっクソザムライっ!」
「いてっ、いてっ、なんで私に喰いつくんだこのワニ!」
「がぶがぶ……」
体にびったりと張り付き、腕や肩に齧りついてくるキキを、蒼兵衛は引き剥がそうと躍起になって頭を叩いた。当然鉄頭のキキには効いておらず、逆に手が痛む。
「やめなよ、大人気ない……」
タズサが心配そうにボートのへりから身を乗り出し、アイカが呆れた顔をした。
「ねえ、タズサ。こっこちゃんたちは無事なの?」
アイカがタズサを見上げ、訊ねた。
「わ……分かんないけど、大丈夫だと思う……」
辺りは赤い光に包まれている。そこから、タズサはボートを操り、距離を取っている。だから紅子たちのほうには近寄れないでいるのだ。
「分かんないけど、この光、変なかんじするから。タズサたちは先に帰ったほうがいいと思う。なんか、他のソーサラーは触っちゃいけないものって気がする」
ぶるっとタズサが身震いする。アイカは顔をしかめた。
「……あたしはアンタほど魔法使えないから、そこまでじゃないけど……だったら、こっこちゃんは大丈夫なの? そんなとこにいて」
「分かんないけど……」
分からなくて当然のタズサは、姉に詰問され、困ったようにふるふると頭を振って、泣きそうに唇を噛んだ。
「またあんたはすぐ泣く。ベソかいてちゃ分かんないでしょ。こっこちゃんたち、ボートが壊れて動けないのかもしれないじゃない。魔法を使い果たして、動かせないのかも。それを置いてくわけにはいかないでしょ?」
魔力では強くても、立場では自分より強い姉に責められたように感じたのか、タズサはうるうると涙目になっていた。
「アイカちゃん、幼い妹を責めるのは大人気ないぞ」
「責めてないし、蒼兵衛さんにだけは言われたくないんだけど……」
「おサムライさん……」
助け船を出した蒼兵衛に、タズサは縋るような目を、アイカは冷たい目を向けた。
「ともかく船はすぐに沈む様子もないし、動けないのなら後で救助に来てもらえばいい。沿岸警備隊も来るだろうし。私たちがこのボロボートで助けに行っても仕方ないだろう……って、聞け! これだからガキは!」
蒼兵衛の言葉を聴き終わらないうちに、アイカはとぷんと音を立て、潜ってしまった。
少し離れたところで顔を出し、アイカが声を上げた。
「あたし、そこまでこの光は嫌じゃないし。ちょっと見てくるよ! 先に帰ってていいよ!」
「おいこら! ……ったく、これだから女子高生は嫌なんだよ……奔放で……やはり女性は年上に限る……」
蒼兵衛がブツブツと文句を言うと、ボートのへりからタズサがちょこんと顔を出した。
「あのぉ~……年上じゃないとだめなんですか?」
「ん?」
「すごーく年下とか……」
「がぶがぶ……」
タズサがもじもじと長い髪の先を掴んでいじり、首を傾げる蒼兵衛に、とうとう肩車のように乗っかったキキが、その頭に一心不乱に噛みついていた。