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迷宮のドールズ  作者: オグリ
三章
73/88

スキュラ討伐

 羽ばたくような光が戦場を駆け抜けた。

 直後、斬りつけようとしていたゴーストが跡形もなく消え、勢いよく空だけを斬ってしまった蒼兵衛は、慌てて態勢を立て直し、きょろきょろと辺りを見回した。

「いまの空振り……すごくかっこ悪かったのでは? マーメイドの皆さんが見ていたのでは……?」

 船の周囲にいるマーメイドのソーサラーたちは、魔法で風や波を安定させ、戦場を管理するのに手一杯だ。そのうえ、アクアリアへ近づこうとするスキュラやハーピィに牽制の攻撃魔法もしかけている。

 当然、蒼兵衛を見ている暇などない。

 この戦場で最も守らなければならないのは彼女たちで、そして――マーメイドは人間から見て美人揃いである。ワーキャット女性に勝るとも劣らない。

「大丈夫です。空振りでもソウさんは決まってます」

 ニコねこ屋の少年・レンが駆け寄ってきて、真顔でフォローした。

「そうだろうか? 幻滅しなかっただろうか……あの中にもしかしたら将来の奥さんがいるかもしれないのに……」

「見てないんじゃない? みんな忙しくて」

 アイカが呆れた顔を向けた。

 蒼兵衛はコートの内側から懐紙を取り出し、刀の血を拭った。レンは心得たように使用済みの懐紙を受け取ると、ゴミ入れ代わりのウエストポーチにしまう。

「さっきのすごい光、魔法ですかね?」

「姉上の大霊術だろう。眩しかったが、羽ばたくような光の翼が一瞬見えた。あれは霊羽れいはといってな。ガルーダは強い魔法を使うとき、断羽した背から魔力光を発する。こういうマイナー亜人マメ知識は、キキのほうが詳しいんだが……しかしズルいよな、あれは。目立ち過ぎる。私の見せ場はこの刀が届く範囲しかないというのに……」

「ちょっと、危ないよ!」

 ため息をつく蒼兵衛目がけてハーピィが滑空してくるのを見て、アイカは声を上げた。

 彼は少しも動じることなく右足を軽く後ろに引き、同時に刀も引くと、その刃に自ら身を投じるように、ハーピィが斬り裂かれていった。まるでハーピィのほうが刀に飛び込んで来ているみたい、とアイカは眉をひそめながら思った。

「……にしても、グロい……」

 あっさり両断されたハーピィの体がまだ船上で暴れまわっている。それをレンが何の躊躇もなく取り押さえ、海に蹴落とした。

 亜人というだけで、アイカは普通の女子高生だ。戦場には慣れていない。こっこちゃんは偉いわ……と心から思った。

 戦いの場は、血なまぐさくて、気持ち悪い。だけど、思っていたより冷静でいられていた。理由は分かっている。

(あの人がいると、死ぬ気がぜんっぜんしない……)

 蒼兵衛を見ると、彼は相変わらず海の中のマーメイドたちを気にしている。

 ダンジョンではシオンやキキのほうがよく働いていた。

 蒼兵衛はいつもだるそうで、愚痴っぽくて、うるさいだけの男だと思っていた。

(あんなダンジョンで、戦う相手なんかいないわ……強すぎるもの)

 シオンやキキも強かったが、多分、そういうレベルじゃない。

 さびれた海のダンジョンで、本気で戦うほどの相手なんていなかったのだ。時折戦っていたときも、危なげなく刀を振るってはいたが、さほどすごいとは思っていなかった。

 それは彼が全力など尽くさなくても、大抵のモンスターを倒せるからだと、いま分かった。

「クレイ、歩けウォーク

 アイカがクレイの背をぽんと叩くと、クレイがとことこと蒼兵衛に近づく。

「さっきの光、ハイジさんがやったのよね? ハイジさんはシャーマンでしょ? つまりゴーストを全部倒してくれたってこと?」

「とりあえずゴースト湧きは収まったようだな。モタモタしてるとまた湧くだろうが」

「じゃあ、今ならゴーストに邪魔されずに戦えるのね?」

「そういうことになるなぁ」

「のんびりしないでよ! スキュラはまだ暴れまわってるんだから!」

 やる気のなさそうな蒼兵衛に、アクアリアが攻撃されている焦りもあって声を荒げるアイカに、レンが声をかけた。

「ソウさんはこういう人なので、やる気が無いわけではないんです」

 ニコねこ屋チームの一人で、一番年若いワーキャットの少年は、シオンより少し下くらいだろうか。他のワーキャットが大体そうであるように、整った顔だちをしているが、まだ幼さがある。

「マーメイドさん、船長に頼んでほしいんですけど」

「おじいちゃんに?」

「はい。ゴースト湧きがおさまってる間に、スキュラに近づくようにお願いします」

「へ? スキュラに?」

「ソウさんなら、スキュラを倒せますから」

「あんな大きいやつを?」

「スキュラか……」

 当の蒼兵衛は気のりしない様子で、そう距離の離れていない巨大モンスターを見やった。

「た、たしかにこの人は強いけど、刀じゃ無理じゃない……? こっこちゃんなら、スキュラを倒せないかな? こっこちゃん、ソーサラーだし、大きな魔法使えるんでしょ?」

「その肝心の紅子がどこにいるのなら分からんからな。それに、この状況ではあの娘も魔法は撃てんぞ」

「どうして?」

「味方に当たるからな。この混戦の中で、あの娘の攻撃魔法は強力過ぎる。おいそれと撃ってはこれんだろう。それが判断出来ないほどうちのリーダーは馬鹿ではないし。シーサーペントがまったく近づいてこないから、牽制でもしてるんじゃないか」

 淡々と蒼兵衛が告げると、アイカはがっくりと項垂れた。

「そっか……こっこちゃんならって思ったんだけど……」

「あの娘ならスキュラもぶっ飛ばせるかもしれんが。ちょっと今の状況では難しいな」

「じゃあ、やっぱりスキュラもこのまま牽制だけして、アクアリアから離れるのを待つしかないの?」

「シーサーペントが邪魔で、外海に誘導は難しいだろうな」

「じゃあどうしたらいいの? このままじゃ、みんないつかやられちゃうよ」

「そうだな。一応、ずっと見て考えていたんだが……」

「何を?」

「スキュラの倒し方に決まっているだろう。おっぱいを斬るのは気のりはせんが、この状況なら私がスキュラを斬らんとな」

「スキュラを斬る……?」

 アイカは顔をしかめ、スキュラを見た。

「そんなこと、出来るの?」

「海の怪女、スキュラ。マーメイドやメロウに似た姿だが、個体によってはかなり巨大になる。海は広いからな。太古の呪いによって生まれた伝説のモンスターだとか、海で死んだモンスターの肉体と魂が融合して産まれるだとか、雑交配を繰り返し産まれた変種だとか、好きなように言われているが、それは捕獲される個体数が少なく研究が進んでいないからだ」

 相変わらずの面白くなさげな顔でぺらぺらと語る蒼兵衛に、はあ、とアイカは気の抜けた返事をした。

「海のモンスターに詳しいのね」

「冒険者なら普通のことだ。特に私は戦闘を主とする冒険者なのでな。千葉に来る前に、遭遇しそうなモンスターのことは一通りな」

「スキュラなんて普通遭遇しないわよ」

「……絵付き図鑑だったので、女性型モンスターのところは貪るように読んでました」

 ぼそっとレンが耳打ちし、アイカは顔を引きつらせた。

「未確認だが、雄もいるのではと近年では言われている。人目につかぬ場所で一頭の雄を中心とした群れを形成しており、多くの雌が餌を獲りに人前に姿を現わすのだという説だ。私はこの説が面白いなーと思っている。それに、男を囲っているハーレムの女かもしれんと思うと、斬れる気がしてきた」

「ほんとに大丈夫なの? この人」

「私情で一番力を発揮するので大丈夫です」

「よく見てよ。スキュラってあんなにでかいのよ。獰猛過ぎて生け捕り出来ないから、研究も進まないし、第一生け捕りに出来るサイズじゃないし」

「小さいビルくらいありそうですね」

 レンの呟きに、アイカは頷いた。

「あるわよ。海の中に足があるの。それを合わせたらもっとおっきいわ。マーマンのヒレと、タコみたいな足がいっぱい生えててそれがけっこう気持ち悪い。生理的にくるかんじのやつ。前におじいちゃんと遠くまで漁に行ったとき、見たことある。遠目だけど。大きいから、かなり遠くにいても分かるのよ」

「顔はけっこう美人なのにな」

「昔の海賊は遠目にスキュラ眺めて、美人だってそれを肴にお酒が飲めたっていうから、あなたなら海賊になれるんじゃない?」

 アイカも蒼兵衛の性格には慣れてきたのか、呆れつつ答えた。

「でも攻撃対象にされたら一巻の終わり。どこまでも追いかけてきて、船を沈めるの。狂暴だし、しつこいのよ。だから海賊は、もし襲われたらわざと何人か海に突き落として、その人たちが食べられている間に逃げてたんだって。戦うときもあったみたいだけど。魔法には耐性があるんだけど、物理攻撃は有効だよ。大砲とかあると追い払えるんだろうけど……」

沿岸警備隊コーストガードが来たとしてもシーサーペントに阻まれてこっちまで来るのに時間がかかる。このままじゃ消耗戦になって不利です。ソウさんがスキュラと戦っている間、ハーピィはなんとかしますから」

 レンが言って、船に積んでいたニコねこ屋の大きなバッグから、大きな武器を取り出した。

 ボウガンだ。

「え、使えるの?」

「社長に言われて、練習はしてきました。対ハーピィ用に。慣れてはないけど、上に撃つなら味方に当たることはないと思うから」

「色々と買ってるなぁ、セイの奴。ちょっと趣味も入ってるだろ」

 蒼兵衛が感心したように呟いた。

「バックアップは色々やらないといけないですから。海でのバックアップがどんな感じか、しっかり勉強してこいって。海でも仕事取って来れるようになったら、社長も楽になると思うし」

「ほう。社会人らしくなってきたな、レン」

 蒼兵衛の言葉に、レンはぱあっと顔を輝かせた。

「はい! 任せてください!」

 この子、蒼兵衛さんを尊敬してるのかしら……とアイカは内心思った。まあ、あの強さに憧れるのは分かる。アイカだって、彼の強さをすっかり信頼している。相変わらずやる気はなさそうだし、人間性には疑問は残るが。

(ううん。性格とかどうでもいい)

 蒼兵衛ならスキュラを倒せると、レンは言った。そして蒼兵衛は、面倒くさそうには見えるけど、出来ないなんて一言も言ってない。

「……待ってて。おじいちゃんに言ってくる。クレイ!」

 クレイはアイカの言葉を理解しているかのように、船室に向かって走り出した。



 ふう、と蒼兵衛は息をついた。

「少女に期待させてしまって……。倒さないと、ダサいぞこれ……」

「倒せますよ、ソウさんなら」

「……うむ……」

 少年の真っ直ぐな目を見返しながら、なんでレンが来たんだ……と蒼兵衛は思った。リョータあたりなら面倒くさいだとか海に落ちたら格好悪いだとか、だだをこねながら戦えるのに。元斬牙のメンバーの中でも本気で自分に心酔していたタイプなので、やりづらい。

(いやいや、いくら最強のソウさんでも、武器は刀だからな? 近距離限定・小型中型モンスター専門だぞ完全に。俺の魔力程度で硬化した刀じゃ、折れるんじゃないか……? そもそもこの小さな漁船で近づいて大丈夫か? スキュラの脚が当たっただけで破壊されてしまうのでは……?)

「あっ、ヤバいですよ」

「へっ?」

 ドキッとして変な声が出たが、レンは気づかなかったようだ。ボウガンを構えながら、スキュラのほうを見て言った。

「マーメイドのソーサレスたちを狙ってます」

 スキュラの猛攻に、海馬シーホースを駆るマーマンの自警団シーナイトたちも力尽きてきている。何人か薙ぎ払われ、取り囲んでいた船の一つがとうとう破壊された。

「いかん。包囲網が崩れた」

 包囲網の一番外側にいるのは、非力なマーメイドのソーサラーたちだ。彼女たちの悲鳴に、蒼兵衛は着ていたロングコートを脱ぎ、レンに押し付けた。ソウさんガールズお手製の、背中にニコねこ屋ロゴと電話番号が入ったコートだ。

「海に落とすなよ」

「あ、はい!」

 レンが背負っていたバックパックの中にコートをしまいこむ。

 冬のコートには内側に鉄板を仕込んでいたが、夏のコートは薄手なので、代わりに直接篭手を着けてきた。ちょっと野暮ったいし、黒いインナーに籠手、グローブというのはものすごく格好悪い気がするが、仕方ない。

 武器は打刀だけではない。シオンのように六振りのダガーを隠し持つようなことは出来ないが、黒いインナーの上からベルトで短刀を一振り、左腿にもう一振り固定している。

 下半身はいつもと同じズボンにコンバットブーツという出で立ちで、このほうが普通の冒険者らしい。

 腰のベルトには彼にとって何よりも強力な武器――二振りの刀を差している。

「あ、そっちのがカッコいいよ!」

 戻って来たアイカが言った。

「絶対、コートないほうがいいよ」

「駄目だ。没個性になる。普通の格好良いお兄さんになってしまう」

「普通のカッコいいお兄さんでいいじゃん」

「昔、シリンが『ソウちゃんはコートが似合って格好良い』って言ってくれたし……」

「それより、スキュラに接近するよ。いいんだよね!?」

「う、うむ」

「いま一瞬どもらなかった!? 大丈夫なんだよね!? ほんとに突っ込んじゃうよ!?」

「ソウさんなら大丈夫だ」

 レンが代わりに力強く言った。アイカがじっと蒼兵衛を見る。コートは脱いだが、やる気充分というようには見えない。むしろ、より面倒くさそうにさえ見える。

 でも、まあいいや、とアイカは思った。

 死ぬかもしれない強敵を前にしても、あまりにも緊張感が無いので、アイカも恐怖感が薄らいでいた。

 変に気合を入れられていると、かえって不安になったりするけれど、蒼兵衛といると不思議と落ち着いていられる。異常なまでにやる気のなさそうな態度が、この状況ではむしろ良いのかもしれない。

 とはいえ、戦闘経験の無いアイカにとって、過酷な状況には違いない。クレイの背をしきりに撫で、残った小さな不安を紛らわせながら、ぽつりと呟く。

「あたしたち……死んだりしないよね?」

「死なんさ」

 力強くもなく、適当ささえ感じる口調で、蒼兵衛が答えた。

「私と一緒にいて、死んだ奴はいないからな。……私が半殺しにしちゃった奴はいるが、そいつらは悪人なので大丈夫だ。この十一代目柊蒼兵衛、未だかつて仲間を死なせたことはないぞ」

「……めっちゃ力強いじゃん、サムライのお兄さん」

 アイカは小さく笑った。その背を、蒼兵衛はぽんと叩いた。

「だから、言ってるだろ、ソウさんは強いって」

 ボウガンで近づいてくるハーピィを射抜き、レンが言う。

 おお、と蒼兵衛は感嘆の声を上げた。

「お前、ボウガンの才能あるんじゃないか?」

「あざっす。けっこう練習しました。あと少し……一緒にダンジョン回ってるときに、シオンさんに色々教わって」

「シオン? あいつボウガンなんて使えたか?」

「いえ、ワーキャットの戦い方を。どんな戦場でも、聴こえるって。色々な音が。風とか自然の音、モンスターの唸りや、足音や、羽音や、人間や亜人が立てる音、全部違うんだって。まだちょっと、全部は聴き分けられないすけど……」

「なるほど。けっこう面倒見が良いな、あいつ」

 ふ、と蒼兵衛は口許を緩めた。冒険者が受けられる仕事には様々なものがあるが、シオンは新人冒険者の引率を一番嫌う。が、けっこう向いている気がする。

「ハーピィはうるさいので、次の挙動が分かりやすいです。いけます」

「矢は大丈夫か?」

「まだ充分にあります」

「上空は任せるぞ」

「はい」

 蒼兵衛はグローブをぎゅっとはめ直した。

「……久々に、死に物狂いで良いところを見せるか。婚活のためにもな」




 政市のボロ漁船がスキュラ包囲網に近づいていく。

 さっき大破した船が守っていた場所がぽっかり空いている。そこから包囲網の内側に入った。

「でかっ」

 スキュラを間近にして、レンが声を上げた。スキュラが巨体を揺らめかせるたびに、大波が起こるのを、マーメイドたちが魔法で抑えている。だが、彼女たちも大きな魔法の使用で体力を消耗しているのか、だんだんと力を失ってきている。スキュラの腰から生えたシードッグの頭が獰猛に唸りを上げるたび、ボロ船はいまにも引き裂かれそうに揺らいだ。

「どこまで近づけばいいの!?」

 船のへりに捕まりながら、アイカが叫ぶ。

「ギリギリをすれ違ってくれと、ご老公に伝えてくれ」

「分かった!」

 アイカが船室に向かって叫ぶ。

「ギリッギリで横を走り抜けて! おじいちゃん!」

「そうしたらそのへんに捕まっていろ! レン、お前もだ!」

 叫び、蒼兵衛は腰の刀に手を添えたまま、船尾まで走って行った。

「――我よ、刃となれ。刃よ、我となれ!」

 船がスキュラの横を全速力で駆け抜ける中、最接近したときに、蒼兵衛は船から身を翻し、刀を抜いた。

 シードッグの頭の一つが気づき、威嚇の牙を剥いてきた。構わず蒼兵衛は刀を振り抜いた。

「あああああああっ!」

 気合の声を上げるのは久々だ。それほどの気迫を込めて、シードッグの口に刀を滑らせ、上顎と下顎を両断した。

 そのままの勢いで、他の頭も妖刀が切り裂いていく。

硬化ハードオン〉の魔法を応用した魔剣術だけではない、妖刀の切れ味があまりにも良過ぎた。

「くそっ、止まらん!」

 左手に妖刀を持ち、右手でもう一振りを抜く。

 最後に斬ったシードッグの頭にそれを突き立て、なんとか勢いが止まった。スキュラの胴にだらりとぶら下がった状態になった蒼兵衛は、すぐに懸垂のように体を畳み、動かない魔犬の頭部に足をかける。

「こころちゃん、素晴らしい斬れ味だが、今は抑えてくれ」

 妖刀に語りかけ、スキュラの体から刀を抜くと、再び上方に向かって突き立てる。

 大型のモンスターは痛覚が鈍いというが、さすがに犬の頭をすべて潰されて何も感じないわけがない。激しい叫びと共に、脚の触手が激しくうねって暴れたが、蒼兵衛はしっかりと二振りの刀の柄を握り、刃をスキュラの体に突き立て、ロッククライミングのように登っていく。

 祖父が見たら卒倒しそうな刀の使い方だ。〈硬化〉させた刃は折れることはなく、二振りの刀は二本の杭となり、さながらロッククライマーだ。

 刀は強化されているが、ロッククライミングをしている蒼兵衛自身は何の強化もされていない。蒼兵衛は魔法戦士ルーンファイターだが、〈肉体強化エンハンス〉の魔法は一切使えないので、純粋に身体能力だけでそれをやっている。

 肉体強化は出来ない反面、魔法に頼らない強い肉体を作り上げた。それが蒼兵衛の強みだ。そのために毎日のトレーニングを欠かさず、厳しく食事管理をし、一日千回の腕立て伏せも欠かしていない。

「あまり、格好良くはないがな……!」

 スキュラはなおもいきり立って暴れている。絶叫マシンにベルト無しで乗り、しがみついているようなものだ。スキュラが海の中で暴れるたび、大波を頭からかぶり、海水が滝のような勢いで蒼兵衛を引きずり飲み込もうとする。そのときはじっと耐え、落ち着くとまた突き立てた刀を抜き、更に上のほうに突き刺し、少しずつ登って行く。

「結局……剣士対怪獣になると、こういう地味な戦いになるんだよ……刀を硬くしたって、サイズがこれだけ違うと、一刀両断とか無理なんだよ……ソーサラーとは違うんだよ……くそ、疲れる……」

 派手な魔法を撃てる紅子や、身一つで建物を駆け上がれるシオンとは違う。

「漫画じゃあるまいし、駆け上がれないからな、私は……重いし……こうして地道に登って……」

 ブツブツと文句を言う蒼兵衛の周囲を、数体のハーピィが旋回している。奴らは暴れるスキュラを恐れはしない。その犠牲になる獲物を狙っている。

 蒼兵衛の近くにいたハーピィが、襲ってきそうな様子だったので、スキュラに突き立てた刀から片手を離し、胸のベルトに差した懐刀を握る。

「我よ、刃となれ。刃よ、我となれ」

 まるでからかうように近づいてきて、ぎゃっぎゃっと威嚇するハーピィの、こめかみから首筋までを短刀で引き裂く。

 悲鳴を上げてのけぞったハーピィの背を、下から飛んで来たボウガンの矢が貫いた。見事な射撃だったが、いきなりだったのでちょっとびっくりした。

「レンめ。ハーピィは任せるとは言ったが、初心者のくせに俺の近くを撃ってきやがって……」

 かと思ったら、別のハーピィが、魔法弾を受けて後方に吹き飛んだ。立て続けの攻撃に、他のハーピィも慌てて散り散りになる。

 たぶん、アイカだろう。威力は大したことの無い魔法だが、狙いは正確だった。威嚇には充分だ。

 見れば、マーメイドのソーサラーや、マーマンのシーナイトたちも、魔法や銛で攻撃をしかけている。おかげで、スキュラの注意が蒼兵衛に集中せずに済んでいる。

「がんばれー!」

「登れー!」

 マーマンたちから声援まで聴こえてくる。

「カッコいー!」

(なに!)

 可愛らしいマーメイドの声らしきものが聴こえて、思わず手から力が抜けかけた。

(いかん、いかん。落ちたら格好悪いぞ、柊蒼兵衛……)

 短刀をしまい、再びロッククライミングを続ける。スキュラが身をよじっても、ひたすら腹に力を込めて耐える。

 刀がすっぼ抜けないのは、蒼兵衛が使う〈硬化〉の魔法がただの〈硬化〉ではなく、柊流に伝わる応用魔法だからだ。刀と身を一体とし、戦っている間はまるで手に吸い付くように刀がその手から離れない。握る力も最小限にすることが出来る。そして、魔力の媒介となった刀を通して、貫いたものに魔力を流し込むことも出来る。突き立てた刀身をその周りの肉ごと〈硬化〉しているのだ。

 刀はもはや蒼兵衛の体の一部も同然なので、意識的に魔法をオンオフしなくても、引き抜くときは簡単に抜け、突き立てたときは抜けない楔となる。

 日常でも修行で長時間刀を振るのは、この魔術を身に馴染ませるためだ。ひたすら地道に、十数年、幼いときから毎日欠かさず鍛錬してきた。

 柊魔刀流は、一朝一夕では強くなれないが、年月を重ねるほど強くなれる。

 ただ日々の努力を怠りさえしなければ。


「そういう、頑張り屋さんの、凡人向けの、剣術なんだよ……!」


 言いながら、辿り着いたスキュラの首筋に思いきり刀を突き立てた。なんとなく妖刀で突いたが、思っていた以上に深々と刺さった。

 もっと肉と、もっと血をと求めるように。刀を握った手から、脳天を貫くような衝動が走る。破壊したい。血を吸いたい。肉を断ちたい。命を奪いたい。

「……っ!」

 さすがに妖刀と一体化していると、精神が強く揺すぶられた。だが、このくらい癖の強い武器でなければ、この先を戦い続けられない。

 さすがにスキュラも絶叫を上げ、血しぶきと共に頭を振り回した。蒼兵衛は突き立てた刀の柄に手をかけたまま、その肩にしっかりと足を突け、踏ん張った。スキュラが頭を下げたとき、妖刀だけを引き抜き、飛び上がると、自分の胴より太い首筋に刃を振り下ろした。

「柊刀流奥義――」

 下ろした頭を持ち上げようとする動きに反し、刃を上から下に食い込ませる。

「何でもいい!」

 技名が咄嗟に思いつかなかったが、どうせ誰にも聞こえないので、適当になった。後で考えよう。

「落ちろ!」

 肉も骨も無視して、刀が空を切っているかのように落ちていく。スパッと最後に硬い皮のような皮膚を断ち切ったとき、スキュラの首が落ちた。


 妖刀から、笑い声が聴こえたような気がした。




「スキュラの首が落ちたぞ!」

 レンが叫び、近くにいたアイカの腕を引き、船室に駆け込んだ。扉を閉めたとき、まるで近くで爆弾が落ちたかのような衝撃と高波が小さな漁船を襲った。

「きゃあ!」

「アイカ!」

 クレイの背から滑り下りた孫娘を、祖父が抱き締める。その上にレンが覆いかぶさった。

 船体が激しく軋み、ガタガタと音を立てた。

 背中を打ち付けたのか、レンが呻き声を上げる。

「……ってぇ……船長、大丈夫ですか……?」

「お、おお……なんとかな……兄ちゃんは……?」

 そう言う政市も、老体を強くぶつけたようで辛そうに喘いでいた。

「二人とも、大丈夫……?」

「オレより、船を……」

「そうだ、蒼兵衛さんを迎えに行かなきゃ! 海に落ちちゃう!」

「ダメだ、この船じゃもうこれ以上耐えられない……! ソウさんを拾いに行って、船が壊れたら元も子も無い。退避してください!」

「何言ってんの! 蒼兵衛さん置いてっちゃうの!?」

「仕方ねえだろ! 戦闘員を助けに行って民間人を死なせたら、それじゃ何にもならねえんだよ!」

 それまで真面目に振舞っていたレンが、口調を荒げた。アイカは一瞬息を呑んだが、言い返した。

「でも、スキュラを倒したって、ハーピィや、海の中にはメロウだってうじゃうじゃいるのよ……! どんなに強くても、海の中じゃ引きずり込まれちゃう!」

「ソウさんはオレたちの中で一番強くて、戦いには慣れてる! かえって足手まといになるだけだ!」

「でも、強くたって、海の中じゃ……」

「いいから! 逃げてくれ!」

「言う通りに、しよう、アイカ」

 政市がよろよろと立ち上がる。二人を庇ったレンは、まだ起き上がれないようだ。

「この船で助けに行ったところで、二次災害が起こる……まだなんとか、引き返すだけの力は、じいちゃんにもこの船にもある」

「じゃあ、先に逃げててよ! あたしが行く!」

「アイカ! 海にはメロウもいるんだぞ!」

「だからだよ! あたしが迎えに行って来る! クレイ!」

 祖父の制止を振り切って、アイカはクレイによじ登ると、船室を飛び出した。外に出ると、ギシギシと軋んでいる船のへりを掴み、滑り込むように濁った海にダイブした。




 海に落下して、すぐに全身を何かに絡め取られた。

(メロウか……!)

 スキュラと違ってサイズのちょうど良い、美しい女性が、何人も蒼兵衛の体にまとわりついて、クスクスと笑った。

(……メロウって、優しい顔してるんだな……)

 一人のメロウが、蒼兵衛と向かい合うように正面にやって来て、腕を伸ばす。

 おっとりとした笑みで、とても獣堕ちとは思えない。この街で最初に出会ったマーメイド三姉妹の、長女のマリを彷彿とさせた。

 ――おつかれさま。もうやすんでいいのよ。

 そんなふうに言われているような気がした。水の中はふわふわと全身の力が抜けて、ついでにふわふわとした感触が胸板に押し付けられ、うっすらを目を開けると、濁った海の中で美しい女性がにこっと微笑んだ。

 彼女だけではない、全身を柔らかい女性の裸体に包まれて、このまま眠ってしまったら気持ち良いだろう。

(――いかん! それじゃ死ぬ!)

 片手に握ったままの刀を振るうと、水中なのに紙でも切り裂くように動いた。

 さっきまで優しく蒼兵衛を見つめていたメロウが、牙のびっしり生えた口を開け、ビクビクと身を震わせた。その体を蹴飛ばし、上に向かって泳ぎ出す。

 怒り狂って追いかけてくるメロウたちを無視し、水面に向かって泳ぐ。メロウたちが警戒しているように感じるのは、たぶん、気のせいではないだろう。

(……こころちゃんか)

 妖刀《残心》は、まだ蒼兵衛と一体化していた。柄を握っている感覚も無いのに、刀のほうが勝手に手に吸い付いているかのように離れない。

(俺……長生き出来んかもしれん……)

 妖刀の異様な気配を、メロウも察しているのだ。それでも本能で蒼兵衛を追って来る。

「蒼兵衛さん!」

 上から声がした。その方向に向かって、蒼兵衛は水を蹴り、腕を伸ばした。

 ドプンという音と共に、マーメイドの少女がすごい勢いで水の中を進んできた。マーメイドの泳ぐ速さは、人間の水泳選手などとは比べものにならないというが、あっという間に蒼兵衛の腹の下まで潜ってきて、そのまま体を掴み、ぐんと上昇した。

「――ぶはっ!」

「落ち着いて息して!」

「わ、分かっている……別に溺れちゃいない……」

 アイカに支えてもらいながら、蒼兵衛は止めていた息を吐き出した。

 水面まで追ってきたメロウは、周囲にいたシーナイトたちが銛で仕留めてくれた。

「すごいな、君!」

「ありがとう! すごい腕だな!」

 シーナイトたちに讃えられる蒼兵衛を、マーメイドのソーサレスたちがあっという間に取り囲んだ。

「ほんとすごい! お兄さん、どこから来た冒険者?」

「後できちんとお礼をしたいわ。お名前なんておっしゃるのかしら?」

「もー死ぬかと思った! ありがとう剣士さん!」

「カッコよかったー!」

 マーメイドに囲まれている蒼兵衛に、アイカが小声で言った。

「いま、モテてるんじゃない?」

 元よりマーメイドは惚れっぽく、他種族婚にも強い興味を抱いている。特に、人間の男性と結ばれるケースは多い。

「良かったじゃん。みんな、お兄さんのことカッコいいってさ。……蒼兵衛さん?」

 黙って俯いた蒼兵衛に、アイカが訝しげな顔を向ける。

「え? 血出てない……? 怪我したの……?」

「……いきなりの供給過多は、刺激が強くて……興奮して」

「えっ、ちょっと、なに鼻血出してんの!?」

「だって健康的な美人が多過ぎて……どうしよう……おっぱいは遠くで見るものだな……あ、君のじゃないぞ。私は年下は守備範囲外でな。なあ、ティッシュ持ってないか?」

「無いわよ! こーやって止めりゃいいじゃない!」

「いてててて」

 テュッシュ代わりに、アイカは蒼兵衛の鼻をむんずとつまんでやった。

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