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迷宮のドールズ  作者: オグリ
三章
71/88

それぞれの戦い

「えっ! やえさんって、レベル49なんですか!?」

 紅子が声を上げた。床でうずくまっている鯛介がうんうんと頷く。

「当時から高かったんすよ。オレらの中でも一番高かったんじゃないかな」

「ええー、すごい……」

 羨望の眼差しで紅子がやえを見る。

「……魔法系は上がりやすいし、サッちゃんたちとパーティー組んでたらモリモリレベルが上がったからね。あたし生活苦しかったから、色んな人とけっこう潜ってたし」

 やえはボートを巧みに操り、モンスターから離れた場所を疾走する。

「停めたらメロウに襲われるわね。ここらでウロウロしてようか」

「え、こんな遠い……」

 紅子が目を丸くする。シオンが答えた。

「いいんだ。オレたちはまだ状況を把握できてない。すでに戦いが始まってる中に、やみくもに突っ込んでも邪魔をするだけだ」

「あ、なるほど……」

「やえさんはバックアップ得意だから、オレら以外でも強いパーティーにけっこう同行頼まれてましたよね」

 鯛介が誇らしげに言う。

 誰に対しても気の良い彼だが、やえがここに居て明らかにテンションが高い。仲間の復帰がよほど嬉しいのだろうか。リザードマンは感情表現がストレートだからよく分かる。

「ダンジョンガイドの資格取ろっかなーと思ったこともあったのよね。ガイドは冒険者レベル最低40は必要でね。20くらいからでもいいんだけど、それだと入れるダンジョンに制限があるから」

 ガイドの資格はシオンの父親も持っている。協会から非公認でガイドをやっている者も大勢もいるが、公認の資格を取ればそれだけ仕事の幅が広がる。ただ、資格を取るのはけっこう難しく、探求士スカウトへのクラスチェンジも必須だと聞いたことがある。

「もちろん他のみんなのほうが強かったのよ。サッちゃんは強かったけど、未成年は一定以上は上がらないの」

「ハイジさんもあの頃、戦士ファイターで登録してましたしね。あの人、あの頃からシャーマンで登録してたら、もうレベル60くらいにはなってただろうなぁ」

 霊媒士シャーマンは自分をシャーマンと言わないことが多く、あえて戦士で登録する者もいる。シャーマンは数が少なく需要が高いので、言うと面倒だと思っている者も多い。パーティー内での仕事量も増える。

 ハイジは埼玉の騒動でペナルティを一人で負い、現在は25までレベルダウンしているが、本来のレベル50なら誰しもが一目置くだろう。

 やえはメロウやハーピィに襲われない速度を保ちながら、シオンたちに戦場をじっくり見せてくれた。

 特に船が多く集まっているのは、二体のスキュラの周囲だ。

「蒼兵衛さんやハイジさんもあの中にいるのかな……あ、魔法」

 キャビンの窓に顔を近づけ、外を見ていた紅子が呟いた。

 炎の魔法がスキュラの鼻先で炸裂しているのが見えた。上手い攻撃だ。範囲も広く、コントロールも良い。が、紅子を見慣れているせいで、大したことないように見えてしまう。

(浅羽に慣れたら駄目だな……)

 そんなことを思いながら、戦況を確認する。

 大勢の船が、スキュラを上手く牽制している。好戦的なスキュラのほうに多く船が集まっていた。シーサーペントのほうはまだアクアリアからかなり離れている。

「人型って知性が高いと思われがちだけど、スキュラよりシーサーペントのほうが賢いんだ」

 とシオンは紅子に言った。

「警戒心が強いって言うほうが正しいかな。スキュラは獰猛で、好戦的だし、強い。だからみんなスキュラを包囲してる。シーサーペントはそれを警戒して、近づいてこないだろ。スキュラと派手に戦ってりゃ、シーサーペントは逃げるかもしれない」

「う、うん……」

 紅子は海を見ながら頷いた。

 スキュラは上半身は女性、その腹部には獰猛な海犬シードッグの頭が複数生え、下肢はマーメイドのように尾ひれがある、キメラタイプのモンスターだ。普段は海中や岩礁で過ごしている。

「スキュラって怖いなぁ……どうして女の人なんだろう?」

 身を竦めながら紅子が言った。

「昔話の怪物ね。ソーサラーに呪いをかけられた美しいマーメイドが、魔物の姿にされてしまったことで狂ってしまったというのが、スキュラの伝説。本当のところは、メロウはどんな魔物とでも交わるから、海犬シードッグや様々な魔物と交雑して産まれた種だと言われているけど。でも案外、おとぎ話のほうが本当の話かもしれないね」

 やえが答えた。

「……って、ハイちゃんが昔教えてくれたんだけどね」

「あ、なんか言い回しがちょっとハイジさんっぽかったです」

 紅子が笑った。笑ったことで肩からほっと力が抜けたようだった。やえがにっこりと微笑む。

 戦いの前なのに、のんびりと笑っているなんて不思議だ。だが、やえのおっとりとした雰囲気のせいか、シオンもリラックスできた。

 改めて窓の外を見る。

「どの船も位置取りが上手いし、マーマンはさすがに海戦に慣れてるな……」

 見た目はトドの海馬シーホースを片手に持った手綱で操り、ジェットスキーのように猛スピードで動きながら、集まって来たメロウやハーピィを引き付け、もう片手に握った長い銛で貫く。

 特にマーマン戦士が集まっているのは、マーメイドの魔道士ソーサラーたちの周囲だ。マーマンは女性の――特に足の無いスタンダード・テールと呼ばれるアイカたちのようなマーメイドが、最も魔力の素養が高い。

 彼女たちは杖の代わりに、首や耳や腕にアクセサリーとして身に着けた呪具タリスマンを使用し、魔力を高め、放つ。

 彼女達が得意なのは風の魔法や水の魔法だ。

「これだけの海獣が出てそれほど荒れてないのは、あの人たちがいるからだ。周りが戦いやすいように状況を整えるのも、ソーサラーの役割だ。この場で最優先にするのはあの人たちの安全確保だ」

 うんうん、と紅子が頷く。

「つまり、蒼兵衛はあのへんで戦いたがっていると思う……」

「なるほど……」

「でもニコねこ屋に連絡したから。蒼兵衛が一人で出るからバックアップ頼むって」

「じゃあ安心だね!」

 ワーキャットは海上での戦闘は不得手だから、安心かは分からないが、蒼兵衛の扱いは慣れているだろう。連絡をしたとき、「何かあったら妖刀と刺し違えてでも止めます」と電話の向こうで静かに言ったユエが怖かった。

「ハイジさんはどこかな?」

「分からないけど、こういうときに一番事故るのは、ゴーストが出てきたときだ。マーマンは精神魔法にかなり耐性が強くて、《不死者の叫びアンデッドスクリーム》があまり効かないのはいいんだけどな」

「うん」

「ただ、霊術を扱える奴は少ない。〈退魔エクスターミネート〉は使える奴がいるかもしれないけど……」

 退魔弾を持った射撃士ガンナーもいるだろう。だが、戦闘が長引くほどゴーストは増える。

幽霊船ゴーストシップはどうしたらいいのかな?」

「船は物理で壊れるから、リザードマンみたいな大型亜人がいると役に立つんだけどな」

 ちらと鯛介を見ると、彼はうずくまったままニッと笑った。

 だが、やえも鯛介を口出してはこない。この場でのリーダーはシオンということで良いのだろう。

「……たぶん、妹尾組のリザードマンなら幽霊船退治に回るだろう。邪魔だし、なるべくさっさとぶち壊したほうがいい。あれにウロウロされてたら本当に事故る。物にとり憑いた憑依霊ポゼッションはまず本体にダメージを与えてから、〈退魔エクスターミネート〉が効果的なんだけど」

「うんうん」

「出来るなら派手にぶち壊してもいいんだ。解体のショックで憑依霊ポゼッションごと倒せることもある」

「なるほど!」

「けど、でかい魔法を撃つときは気を付けろ。マーマンだって海で戦ってるんだ」

「あう……」

 紅子が杖を握り締め、しゅっと肩を落とす。

「退魔弾持ってるし、キキちゃん連れてきたほうが良かったんじゃない?」

「あいつも役には立つけどな……」

「いやー、邪魔でしょう」

 鯛介がうずくまったまま笑う。

「いえ」

 シオンも、もうキキの戦闘力を侮ってはいない。生来の身体能力、精神力に、今では経験を積み、新しい武器を手に入れ、強くなっている。

「あいつは単独でも大丈夫です」

「へえ」

 と、鯛介が目を丸くした。当然だろう。最初に彼と会ったときは、パーティーに入れてほしいと頼みに来たキキと一緒だった。キキに対し、仕事に真剣味が無いと思っていたシオンは、断固として受け入れるつもりはなく、無下に断り続けていた。

「あいつは頭と見た目は子供だけど、リザードマンとしては一人前の戦士ですから」

 するとニッと鯛介が笑った。

「そりゃそうだ。いずれ妹尾一族の頭を張るんなら、このくらいの戦場一人で切り抜けなきゃいけねえ」

「厳しいのねぇ」

 やえがのんびりとした口調で言った。シオンは答えた。

「キキは、リザードマンですから。リザードマンは亜人で一番強い。よく知ってます」

「いやぁ」

 鯛介がうずくまったまま照れくさそうに頭を掻く。

 キキには詰め所を守れと言ってきた。陸地にモンスターが来るまでには、誰もがカタをつけるつもりだろうが、キキは防衛戦に強い。守るものがいたほうが強いタイプだ。詰め所には友達(多分)のタズサもいる。

「仲間をよく見てるのね、シオンくんは」

 やえが優しく微笑み、口許に指を当てた。

「ところで、シオンくん。一つお願いがあるんだけど、いいかしら?」

「え?」

「ハイちゃんに、渡したいものがあるの」

「いま、ですか……?」

 やえの傍らに、ゴルフバッグほどの長さのバッグがある。船に積まれている釣り具が入ったバッグだと思っていた。やえはそれを見て、言った。

「あの子、しっかりしてるようで忘れっぽいし、冷静なようで無理するし、誰かに必要とされてたら、出来ないなんて言えないのよ。優しくて、お人好しなの」

 やえがバッグのベルトを片手に掴む。

「あの子はあの子にしか出来ないことがあり過ぎるから、なるべく距離を取って、たくさん抱え込もうとしないだけ。でも、結局は抱え込んじゃう。そういう子なの。だから、シオンくんがこれを渡してあげて。そこまではあたしが連れて行くから」

 シオンは立ち上がり、バッグを受け取った。見た目の大きさよりは軽い。

「これ、ハイジの……?」

「うん。でもあの子が捨てちゃったから、預かっておいたのよ」

 そのとき、激しい〈不死者の叫びアンデッドスクリーム〉が轟いた。事前にかけてもらったハイジの〈精神防護ソウルプロテクト〉のお陰で、シオンには無効だが、それでも自然に猫耳がへたりと下がった。

「いまのって……」

 紅子が眉をひそめ、キャビンの外を見つめる。

幽霊船ゴーストシップの〈不死者の叫びアンデッドスクリーム〉だ。普段はただ浮かんでるだけのゴーストだけど、集まって来た他のゴーストたちが干渉して、力が上がってるんだ」

「ど、どうなっちゃうの?」

「激しい〈不死者の叫びアンデッドスクリーム〉はよりゴーストを呼び寄せる。不味いな。思ってた以上にシャーマンや〈退魔エクスターミネート〉を扱えるソーサラーが少ないんだ」

「わ、わたしも〈退魔エクスターミネート〉なら……」

 言いかけて、紅子ははっとした。〈退魔エクスターミネート〉は紅子が不得意とする魔法なため、強い魔力で無理やり形にしているようなものだ。そのぶん、魔力の消耗が激しい。

(あ……そっか……。これって、大魔法……なのかな。私にとっては……)

 埼玉の戦いで分かったのは、〈退魔エクスターミネート〉を使った後の疲労が激しいということだ。〈退魔エクスターミネート〉を使ったほうが良いだろうが、その後にスキュラもまだ近づいてこないシーサーペントもいる。それこそ得意の特大魔法を使って戦うべきじゃないだろうか。

 草間に言われた、「大魔法は三回まで」の言葉を思い出し、紅子は少し冷静になった。

(こういうとき、魔力はやみくもに使っちゃだめなんだ……)

 ふうと深く息を吸い、ぎゅっと杖を握り締める。紅子の魔力を受け、赤い魔石が輝いている。

(この魔石が《たからもの》だったらな……)

 赤い石を何気なく指先でつつく。すると、ビキッと音を立てて、亀裂が入った。

「えっ!?」

「え?」

 紅子が驚いて声を上げると、シオンが紅子を見た。

「どうした?」

「えっ……あ、ううん! 大丈夫! ちょっと見間違いした!」

 慌ててぶんぶんと頭を振り、石をぱっと手で隠す。

(こ、壊れた……? いや、み、見なかったことにしよう……いまはそれどころじゃないし……)

 ハイジから貰った杖をカスタマイズして作った特注品だ。魔石の質が悪いとは思えない。

(まさか、大魔法三回って……杖が耐えられないからとかじゃないよね……?)

 ごくりと紅子は息を呑んだ。そうだとしても、魔力のゴリ押しでなんとかすればいい。というかするしかない。一応、予備の折り畳み杖も持っている。

「大丈夫?」

 やえが尋ねた。

「は、はい! いけます!」

 こくこくと紅子が頷く。そう、とやえが微笑みを返す。

「じゃあ、とりあえず、ハイちゃんを捜すわね。どっか掴まってて。ちょっと突っ込むよ!」

「え」

「へ?」

 シオンと紅子はとっさにソファの背を掴んだ。同時に、ボートのスピードがいきなり上がった。




 それよりほんの少し前の時間。


 詰め所の隅で、向い合せた椅子にちょこんと座ったタズサが、手にしたトランプの束をキキに向けた。

「はい、次キキちゃんの番だよ」

「おうよ」

 キキがトランプの束から一枚取る。

「チッ……ババか」

「次、わたしね。えいっ」

 今度はタズサが一枚取る。

「あーあ、ババだぁ……次はキキちゃんだよ」

「おうよ……」

 タズサがにこにことトランプの束を向ける。

 一枚取る。

「またババ……」

「じゃあ次、タズサの番ね。あーあ、またババだ。はい、次キキちゃん!」

「……おうよ……」

 返事をしただけで、キキはトランプの背をじっと睨みつけている。

「キキちゃん?」

「つまらんわぁ! なんじゃこりゃあ! 二人ババ抜きめちゃくちゃつまらん!」

 椅子からガタッと立ち上がったキキは、がああっと叫んだ。

「キキちゃん……大富豪にする?」

「いやもう二人な時点で面白くない! やめじゃ!」

 床に置いていた大きなリュックを引っ掴み、よいしょと背負う。リュックには銃に槍にハンマーがしっかりくくり付けてある。大人でも苦にする大荷物だ。

「キキちゃん、どこ行くの?」

 タズサが不安げな顔になる。

「キキは行く。よく考えたら最強のリザードマン戦士が、なんでこんな詰め所で待機せなならんのじゃ」

「待って、外は危ないよ」

「危ないから行くんだよ。キキの戦闘力は半端ないんだから!」

「キキちゃんは詰め所の無事を守れって、シオンさんが……」

 ざわついている詰め所では、周囲の大人たちもキキたちのことなど気に留めていない。子供がじゃれ合っているだけに見えるだろう。出て行こうとするキキを止める者などいない。

「だから、モンスターどもが詰め所に来る前に倒せばいいんでしょーが」

「待ってよ、キキちゃん」

「タズサはここに待ってなよ。一般人魚だし」

「危ないし、わたしも寂しいよ」

「お前の寂しさはどうでもいい! 戦士の世界は厳しいんじゃあ!」

 と、入り口に向かおうとしたキキのスカートの裾を、タズサがむんずと掴む。

「ぶべっ!」

 勢いあまってキキは顔面から転んだ。

「なにすんじゃ!」

「えいっ」

 がばっとキキが顔を上げたとき、タズサが椅子の上からぴょこんと一瞬立ち上がったのが見えた。スタンダードテイルでも立てるのか! とキキが驚いたと同時に、ぴょーんとタズサが飛びつき――、

「げぶっ」

 キキのリュックの上に、どさっと落ちてきた。

「いてて、ハンマーちょっと当たっちゃった。こんなの振り回すの? キキちゃんすごーい」

「お前は何を人の上でキャッキャはしゃいどんじゃ!」

「一般人魚じゃないよ。冒険者志望だし。私も装備あるんだよ」

 祖父と漁船に乗っていたタズサは、上半身にパーカー、その上にライフジャケットを身に着けている。ライフジャケットのポケットから、じゃらじゃらとアクセサリーを取り出す。

「なにチャラチャラしてんだ」

「装備だよ。わたしたち、泳ぎながら杖持って呪文唱えるの大変だから、これが杖代わりなの。わたし、一族で一番魔力が強いっておばあちゃんに言われたんだよ」

 言いながら、額にサークレット、耳にピアス、首にネックレス、腕にブレスレットを身に着けていく。

「おお……タズサ、ピアス開けてんの?」

「イヤリングより魔力が通るんだよ。どお?」

 かき上げた長い髪の間で、涙型のピアスが揺れる。

「うーん。ちょっと装飾過剰かな……ファッション的には」

「そっかぁ」

「大体、その服装がダメね。やっぱ基本の装備からよ」

 チッチッチッと指を振る。

「そっかぁ……服は高いから無理だけど、アクセはもっといいやつ買いたいな。東京で」

「東京行きたいだけじゃん」

「えへへ」

 ずるっとタズサがキキの上から降り、キキは上半身を起こした。

「ね、タズサ魔法使えるし、連れてってよ。〈治癒ヒール〉出来るよ」

「キキちゃんケガするようなドジは踏まないけどな……」

「それにね……」

 ちょいちょい、と手招きし、キキの耳元に口を近づけ、小声で囁く。

「船、あるよ」

「マジか」

 タズサの顔を見返すと、にこにこと頷く。ふむ、と少し考え――るフリをしてから、キキはすっくと立ち上がった。

「キキちゃんは現在、本来のパーティーを離脱中……したがって、ここにキキちゃんパーティーを結成しなければならない……」

 言いながら、背中からリュックを下ろすと、くくりつけていたおじいちゃん人形をタズサの背中に背負わせた。

「おじいちゃんを大事にしたまえ、タズサ隊員」

 自分はリュックを体の前に装着し、しゃがんでタズサに背中を向ける。

「乗っかるといい。タズサ隊員」

「うん!」

 ぱあっと顔を輝かせたタズサが、キキの背中にぴょんと飛びついた。

「いや、そこはキキ隊長でしょーが!」

「イエッサー! キキちゃん隊長!」

 タズサがびしっと敬礼をする。

 人魚っておんぶしにくいな……とキキは思った。足が無いのでバランスがとりにくい。

「アンタにはモフモフいないの?」

「クレイみたいな?」

 クレイはアイカが乗って行ってしまった。船を出す祖父について行ったのだ。政市は詰め所にいろと言っていたが、紅子たちだけを行かせた罪悪感か、祖父が心配になったのか、タズサたちに「ここにいて」と告げ、詰め所を出て行ったきりだ。

「借りて来るヒマないし、今はきっと借りられないよ。本当は自分の騎獣をおうちで飼いたいんだけど、一人前になってから自分で飼いなさいってマリお姉ちゃんが」

「手狭なマーマン居住区じゃ、庶民にはマイカーは難しいか……。リザードプリンセスにおぶってもらえるなんて生涯の誉れだからね? 分かってんの?」

「うん! わかった!」

「分かってんのかコイツ……ヒレ、バタバタさせないでよ? 安定しにくいんだから」

「わかった!」

「よし、キキちゃんパーティーも出陣じゃあっ!」

「おー!」

 タズサが腕を振り上げる。

「――風強っ!」

 詰め所を飛び出すと、びゅうと風が吹きつけた。すると、タズサがすっと腕をキキの前に突き出す。腕にはめたそこそこゴツいブレスレット(ファッション的にはいまいち)を飾る青い魔石が煌々と輝く。

「我ら海の眷属なり。古き友、良き友よ、荒ぶることなかれ」

 詠唱と共に、キキの周りだけ風の勢いが和らいだ。

「おおっ! イケるじゃん、タズサ!」

「えへへ。やったぁ。まだあるよ。――古き友、良き友よ、我らの歩みを助けたまえ」

「おおっ」

 風が和ぐだけではなく、キキの背中を押すように、ぐんと後ろから力強い追い風が吹く。

「使えるじゃん! タズサ! 紅子より気が利くかもしれん……」

 紅子の肉体強化は強力だが大雑把で、けっこう反動あるんだよな、後で絶対筋肉痛になるし……とキキは内心思った。あれに耐えるんだからシオンは細っこいくせに根性ある。

 というか、シオンに魔法をかけるときは、他より丁寧になるような気がする。もちろんわざとじゃなく無意識で、恋の力とかいうやつなんだろう。紅子ならシオンが死んでも生き返らせそう……。

 ともあれ良いコンビではあるから、心配はいらないだろう。それどころか手柄を取られるほうが心配だ。

「よっしゃ! 遅れを取り戻すぞー!」

「おー!」

 ガッシャガッシャと武器同士が擦れる音を立てながら、キキはタズサを背負って走り出した。

 



「タズサ、大人しくしてるかな……」

「それをそっくりおめえに言いたいけどな……」

 アイカの呟きに、政市がため息交じりに言った。

「だって、おじいちゃんだけじゃ心配だし。あたしだって、少しは魔法使えるし。戦えるほどじゃないけど、船をコントロールするのは手伝えるでしょ」

「まぁなぁ……」

 そう言いつつ、政市は乗り気ではなさそうだ。

 それもそうだろう。シーサーペントの尾が当たっただけで壊れそうな漁船だ。

「それにこの人、めちゃくちゃ車酔いしてたし。船体を安定させてあげなきゃ」

 クレイの頭を撫でながら、アイカが言う。もっともなので、政市も強く孫娘を追い返すことが出来ない。アクアリアとは無関係な蒼兵衛が命をかけてくれるのに、孫娘には危険だから来るなとは言い辛いのだろう。

「ご老人。行きたいと言うのなら同行してもらおう。ちょっと待て私の下僕共を呼んでやる……」

 懐から携帯電話を出そうとすると、

「誰が下僕っすか……」

 ニコねこ屋のリョータとレンが立っていた。呆れた顔をしているリョータの後ろで、レンがちょこんと頭を下げる。

「おお、パシリ一号」

「誰がパシリすか! シオンさんから連絡もらって様子見に来てみれば……」

「お前はセイのパシリだろう。セイのパシリは私のパシリ」

「パシリはもういいすから! えーと、この漁船に、全員は無理っすね」

 強い風に顔をしかめながら、リョータが漁船を見る。

「お前達……ソウさん一人を戦わせて優雅に留守番を決め込むつもりか? それでも斬牙の仲間か?」

「ソウさん一人で充分強いからいいじゃないですか……」

「あと一人なら乗れるぜ」

 政市が言った。

「じゃあ、オレがいきます。ソウさんの役に立ちたいし」

 レンが小さく片手を上げた。蒼兵衛はその頭をぐりぐりと撫でた。

「レン……お前は可愛い奴だな」

「あざっす」

「じゃあオレは残りますね」

「リョータ、お前はクソだな」

「いやオレも仕事あるんすよ! 港まで道具アイテム運んだり、連絡取ったり、走って伝令回したりしてんすよ! 陸で働ける奴少ないから忙しいんすよ!」

「やっぱりパシリっぽいな。お前に似合う」

「もう合コン連れて行ってあげませんよ!?」

「ふん。不要だ。私はこの戦いで必ずマーメイドの心を射止める。あれだけいれば誰か一人くらいグッとくるだろう」

「自信たっぷりなのにちょっと後ろ向きっすね……」

「それに、こころちゃんもいるしな……フフ……」

「や、刀を撫でながら笑わないでください気味の悪い……」

 腰に差した刀の柄を撫でる蒼兵衛を見て、リョータが嫌な顔をする。その横でレンが腰と足にナイフを装着していく。ワーキャットの武器は大半がナイフだ。身軽さを生かすためでもあり、非力だからでもある。ナイフが大型海獣に通用するわけではないが、丸腰よりマシだというだけだ。

「ハーピィも近寄って来るから気をつけてね」

 アイカが言った。

「メロウの〈魅了チャーム〉も警戒して」

「アミュレットつけてるから大丈夫」

 ニコねこ屋のワーキャットは、対精神魔法用のアミュレットを常に身に着けておくようセイヤからきつく言われている。

 ワーキャットは総じて精神攻撃に弱いが、〈魅了チャーム〉に関してはかかりにくい。

 元々亜人は他種族の〈魅了チャーム〉には強い。同族意識が高いだからだ。〈魅了チャーム〉に一番耐性が低い種族は人間だ。

 レンは姉のユエに、むしろ蒼兵衛がメロウの〈魅了チャーム〉にかからないように気を付けろと言われてきた。でもソウさんは戦っているときは無敵だ。敵を前にしたときは、いつだって容赦がなかった。それよりも、自分がソウさんの足を引っ張らないかのほうが心配だ。

 ニコねこ屋に加わって日の浅いレンだが、バックアップの仕事は何度かこなしてきた。この千葉で幾つものダンジョンを探索した。しかしこんな大規模戦闘は初めてで、しかも苦手な海の上だ。自分で行くと言ったとはいえ、さすがに緊張してグローブの下が汗ばんだ。

 手許をじっと見ていたレンの小柄な背中を、蒼兵衛がぽんと叩く。

「レン。お前は政市老人やマーマン娘を守れ。モンスターは俺がやる」

 蒼兵衛の言葉に、こくんとレンは頷いた。自分のことを「俺」と言うのは、蒼兵衛がまだ《斬牙》にいた頃のことだ。いつもはわがままで自分勝手で寂しがり屋だが、仲間を守って戦うときの強さと行動力は凄まじい、あのときとソウさんは変わっていない。

「やっぱり、ソウさんはめちゃかっこいいす」

「そのセリフをマーメイドに言ってほしい。そのためにここに来た。俺はこの夏に絶対彼女を作るからな。お前も帰ったらセイヤたちに土産話を披露してやるといい。ソウさん、海の伝説篇を――」

「もういい? 行こうよ。おじいちゃん待ってるんだけど」

 アイカが遮った。リョータがレンに告げる。

「お前もあんなふうにビシバシ遮っていかねーと。ソウさんの扱いに慣れてからが一人前のニコねこ屋だぞ」

「リョータ、これを預かってくれ」

 と、蒼兵衛がコートを脱いでリョータに投げた。トレードマークのコートを脱ぐと、上半身は黒いインナーだけの薄着になる。

「え、置いていくんですか?」

「風が強いと邪魔になるかもしれん。でも買ったばかりだから失くしたくない」

「冷えますよ……」

「あー、良かったぁ。間に合った!」

 ワーキャットの女性が、ぱたぱたと走って来た。ミナだ。手には大きなスポーツバッグを持っていた。

「ユエさんが、持って行けって」

 と、ミナが手にしていたバッグを置く。中にはパーカージャケットが入っていた。リョータやレンが着ているのと同じもので、迷彩柄に、ゴワゴワとした手触りの、厚手の防水素材だ。しっかり雨も弾いている。背中にはお馴染みにこにこと笑う猫のロゴが入っていた。

「間に合って良かったぁ。社長は装備には金かけろって、うちの上着けっこういいやつだから、これ着てくといいですよ~」

「おお。お揃いではないか」

 蒼兵衛が嬉しそうに言った。仲間外しにされるのを異様に嫌うので、仲間に入れてもらうと機嫌が良くなる。

「あ、ソウさんはこっちの特別仕様ですよ」

 ミナが手に取ったのは、背中にニコねこ屋のロゴが入ったコートだった。

「おお、トレードマーク……」

「そうですよ、ソウさんと言えばロングコートですもんね。これはうちの女の子たちで作ったんですよ

!」

「そうか。なんかじーんとしたぞ」

 ソウさんガールズお手製のコートにいそいそと袖を通す。心なしか嬉しそうだが、背中のニコねこ屋のロゴの下に、電話番号と【お仕事承ります】と大きく書いてあるので、チラシ扱いされているとアイカは顔を引きつらせた。

「わぁ、似合いますよソウさん!」

 ミナがぱちぱちと手を叩き、

「良かったら皆さんもこちらのノーマルなジャケットをどうぞ! 大丈夫です、経費で落ちるんで!」

 と、政市とアイカにも手渡した。

 ニコねこ屋仕様のコートに袖を通した蒼兵衛が、腰に差した二振りの刀をしっかりと提げ直す。

 一振りは祖父が大事にしている刀で《無我》と銘のついた柊家の家宝で、知られざる名刀である。埼玉の戦いから勝手に借りたままで、怒られるのが嫌で祖父がいるときには家に帰っていない。失くしたら二度と帰れない。

 もう一振りは妖刀《残心》――もとい、こころちゃん。

「うむ。ではゆくか。女性の多そうなところに頼む、ご老人」

 渡し板を渡り、蒼兵衛が漁船に乗り込む。アイカを乗せたクレイも軽やかに船に飛び乗った。レンも乗り込み、港からリョータとミナが手を振った。

「頑張ってくださいね~!」

「なんかあったら連絡してくださいよー」

 船上でアイカが言った。

「アクアリア自警団のソーサラー団がいるはずよ。マーメイドばかりで、戦場を安定させるのに魔力を使ってるから、周りをアクアリア・シーナイトっていう自警団の戦士ファイターたちが守ってるはずだよ」

「そうか。ではそこに近づく敵を片っ端から斬っていくか」

「自警団はスキュラの誘導で手一杯だが、シーサーペントが近づいてきたらたまらねえな。スキュラは動きは緩慢だが、シーサーペントは一気にくる」

 政市が苦い顔をし、孫娘を見た。

「かすっただけでこんな船じゃひとたまりもねえ。そんときは……アイカ、クレイに捕まって陸に逃げろよ」

「海の中にはメロウもうじゃうじゃ集まってるはずよ。クレイじゃ追いつかれるわ。それにおじいちゃんを置いて行けないじゃない。船が沈んだら……どっちみち一緒だよ」

「では、貴方がたには沈まないよう尽力してもらおう。戦いは私に任せておけ」

「メロウの〈魅了チャーム〉には気をつけてね。あと船酔いも。こっちもなんとか頑張ってみるけどさ」

 アイカがクレイの首につけたポーチから、ブレスレットを取り出し、腕にはめた。

「あたし、タズサほど魔法上手くないからね」




 やえが操縦するプレジャーボートが、一番大きな戦場に突っ込んでいく。

「スキュラが一体。ゴーストシップが五艘。シーゴーストに、海にはメロウ、上にはハーピィ……」

 シオンが言いながら、やえから預かったバッグを背負った。ベルトでしっかり締めれば、落ちることはないだろう。動きは多少制限させるが、背中を守れると思えばいいだろう。

 口にしたのは敵のすべてではない。攻撃範囲に入っただろう魔物の数だ。このボートはもうあっちからはいつでも襲える位置にいる。

「ちょっとすみません……」

 外に出るのに鯛介を跨いでいけなければならないのが気まずい。

「小野原くん、立ったら危ないよ!」

 スピートが出ているボートの中でも、平衡感覚の優れたワーキャットにとっては、停まっているのと大して変わりはない。

「強いソーサラーもいるだろうけど、大きな魔法を詠唱するのに、ゴーストがあんなにウヨウヨしてちゃ邪魔だ。それにハーピィも危ない。ハーピィはオレが何とかするから、まずはゴーストだ」

「あ、そっか、私が魔法をっ……!」

 紅子が慌てて立ち上がろうとするのを、シオンは首を振って遮った。

「ハイジの他にもシャーマンやソーサラーが少しはいるはずだ。退魔弾もあるだろ。浅羽は魔力を温存してくれ。そのために――オレはハイジに、これを渡さないと」

 ボートを操縦するやえに声をかける。

「やえさん、ハイジを見つけたら合図するから、オレが腕を振った方向に突っ込んでもらっていいですか?」

「ええ。気を付けてね」

「大丈夫です。――鍛えられたから」

 笑ったシオンを見て、やえは少し目を見開いた。

 血は繋がっていないはずなのに、知ってる笑顔だったから。


 ――サッちゃん、気を付けてね。

 ――大丈夫よ。鍛えてるから。


 やえはすぐに、にっこりと微笑み返した。

「……紅子さんのことは、任せてね」 

 彼が言われて、一番ほっとするだろう言葉をかけた。シオンは小さく頷き、キャビンを出て行こうとしたところで、紅子が声を上げた。 

「小野原くん、待って! 《肉体強化エンハンス》だけでも……!」

「いや、今回は長丁場になる。後でへばったら役に立たなくなる。浅羽の魔法は、もっと大事なとこで使ってくれ」

「もっと大事なところって……でも、そんなのわたしっ……!」

「分かるよ。浅羽なら」

 紅子の言葉を遮り、シオンは外に出た。本心だ。浅羽なら出来る。

 だから、オレもオレのやるべきことをやる。

「……っ!」

 強く風の吹きつける船外で、シオンは苦手な潮風に顔をしかめた。

 しかし、思っていたよりは風も雨も弱まっている。マーマンのソーサラーたちと、それを守るファイターの一団が、海のいたるところに陣取っている。彼らが戦場を戦いやすいくしているのだ。

 それ以外の自警団シーナイトや船で乗り込んできた冒険者たちは、厄介なスキュラをそれぞれ包囲し、鼻先で火球を炸裂させたりなどして、上手く牽制している。必要以上に攻撃を加えないのは、致命的なダメージを与えられないなら、下手に刺激しないほうが安全だからだ。

 スキュラだけなら上手く外界に追い払えるだろうが、遠く沖を悠然と泳ぐ三体のシーサーペントがそれを阻んでいる。それに、漁船やボートにとり憑いたゴーストシップが邪魔だ。《不死者の叫びアンデッドスクリーム》が轟き、ゴーストが呼び寄せられる。ゴーストシップに近づくと、中からスケルトンやゾンビが這い出してくる。

 うっかり下に落ちれば、たちまちメロウに引きずり込まれる。上空のハーピィは、そうした戦闘の犠牲者や、倒された魔物の死骸などを漁ろうと狙っている。

 シオンはプレジャーボートの舳先に回り、辺りを見回した。風の音。波の音。ゴーストの叫び。メロウの笑い声。剣戟。詠唱。炸裂音。怒号。悲鳴。ワーキャットの耳は、複数の音を同時に聴き分け、せわしなく動く。

 一体のハーピィが滑空してきたのを、シオンは腰からソードブレイカーを抜きながら、紙一重で交わした。ハーピィ一体でも、猛スピードでぶつかれば、船体に穴が空きかねない。だからソードブレイカーの爪部分で、ハーピィの脚をひっかけ、軌道をずらして海に叩き落した。

 致命傷は与えられないが、海に落ちて羽を濡らしたハーピィは、海面でバタバタともがいた。滅多にないご馳走に海中からわいてきたメロウが群がり、あっという間に引きずり込んで行った。普段はハーピィがメロウを襲うほうだが。

 ボートの舳先に経つシオンは、ハーピィからすれば小柄な獣に見えるのだろう。ここにいれば引き付けられるな、と思った。

 しかし、いまはハイジだ。シオンは何体か襲ってきたハーピィを叩き落としながら、辺りを見回した。

 ゴーストの多い場所に彼はいるだろうと、ゴーストシップが二艘並んでいるほうを見たが、それらしき姿は見えない。

 だが、すぐに気付いた。

(そうか……ゴーストが多いほうにハイジがいるわけないんだ……)

 ハイジは、発動の早い《即時除霊ターンアンデッド》の使い手だ。その力は広範囲に及ぶ。並みのシャーマンではない。

(ハイジの周りに、ゴーストなんてとっくにいるわけない!)

 周囲のゴーストなど、彼はすぐに昇華させているはずだ。シオンは耳を澄まし、《不死者の叫びアンデッドスクリーム》がまったく聴こえない方角を探り当て、振り返った。

「あっちだ!」

 と叫び、腕を突き出す。直後、ボートがその方向にぐんと向きを変え、シオンは片手でボートの手すりをしっかりと掴んだ。


 遠くの海に、青白い炎のようなものが無数に浮かんでいるのが見えた。

「あ……!」

 鬼火だ。日本やアジアの海全域に出現するシーゴーストの一種で、特に何をするわけではないが、出ればこの世の終わりのようにゴーストが溢れ出すと言われている。

 戦時中、海戦には必ず現れ、被害を甚大なものにする象徴のようなものとして、恐れられたという。その正体はよく分かっておらず、見かけただけで発狂する船乗りもいたほどらしい。

「鬼火が出た!」

 海馬シーホースを駆るマーマンの戦士が、張り詰めた声を上げた。ボートですれ違いざま、彼が顔を上げた方向をシオンは見た。

 ハイジはシオンたちより早く戦場に来ている。シャーマンだ。すぐにどこかの船が乗せてくれただろう。それからずっと戦っているのなら、真っ先に駆けつけたはずのマーマンのシーナイト達も、ハイジの存在は認識しているはずだ。

 咄嗟にシーナイトが見た方向に、ハイジが居る。

 シーナイトに銛で刺され、水面に浮かんだメロウの死骸を、ハーピィが低空を旋回し、狙っていた。その高度がぐんと下がったのと、ボートが接近した一瞬で、シオンは手すりを飛び越えた。


「うそっ! 小野原くん!」

 キャビン内では紅子が絶叫に近い声を上げた。やえも息を呑んだ。鯛介はうずくまっていて何も見えないので、「え? え?」と間の抜けた声を出している。

「お、落ちたんですか?」

 鯛介に答えず、紅子は慌ててキャビンを飛び出した。杖を脇に抱え、離れていくボートの手すりから思いきり身を乗り出すと、ハーピィを踏み台にして、シオンが別のボートに飛び移っていた。

「ひえ……」

 心臓がきゅっと縮むような感覚に、紅子は思わず胸を抑えた。

「な、なんて無茶を……! む、無茶じゃないのかな……?」

 たしか、彼はあまり泳げないはずだ。それなのに平然と、ボートからボートに次々と飛び移っていく。時には滑空してくるハーピィや、メロウを踏みつけにしていた。

 やえはボートをシオンからあまり離れないように走らせてくれてるが、他のボートもいるので、戦場の中心には突っ込めない。

「ど、どうしよう……わたしは……」

 シオンの力になりたいが、もうどこに行ったか分からなくなってしまった。

「紅子さん!」

 野太い声がして、リザードマンの鯛介も外に出て来ていた。すごい形相で、片手に自分の背よりも長く太い槍を持ち、紅子の近くに思いきり突き出した。

「ひっ!」

 その先端から刃の中ほどまで、ハーピィが深々と串刺しになっていた。

「飛び出したら危ねえぞ! ここはソーサラーの攻撃圏内じゃねえ!」

 温厚だと思っていた鯛介が怒鳴り、ぶんと槍を振ると、串刺しになったハーピィの体がばしゃんと海に落ちた。

「……う……」

「いまは吐くな! オレが前に出てくると船体が安定しねえ! ソーサラーなら立て直してくれ!」

「はひ……」

 情けない返事をする紅子の腰を、鯛介が片手でしっかりと掴む。ただでさえスピードが出ているボートで、体重の重いリザードマンが重武器を持っているのだから、たしかに船体は重心が傾き、スピードも落ちている気がする。

 紅子は杖をデッキに真っ直ぐ突き立てるようにして、ぐっと握った。

「安定……船を安定……んーと……まっすぐ進んで……?」

 目を閉じ、ぶつぶつと呟く。イメージが中々わかない。

 こういうときは……。


(ボートで考えないほうがいいんじゃない?)


 透哉の声が脳裏に浮かんだ。

 この場にいなくても、透哉のことを思い浮かべると、不思議と想像の中の透哉が答えをくれるのだ。


(馴染みのないものより、知ってるもののほうがイメージはわきやすい)


 いつも魔法を教えてくれる師匠のしかめ面も浮かんできた。


(直感系魔道士の力は、想像力だ)

(こっこが考えやすいように、やってごらん)


 ダブルで答えを貰い、紅子はうん! と一人で勝手に頷いた。海の戦場では波間をジェットスキーのように駆けるトド――もとい海馬シーホースが縦横無尽に活躍している。


「あなたも、上手に泳いで!」


 紅子の叫びと共に、傾きかけていた船体が一瞬ぐんと持ち上がり、安定した。杖から彼女の魔力がボート全体に伝わっている。突っ込んできたハーピィを、鯛介は馬上槍ランスで叩き落した。


「気を付けろ、メロウの群れだ!」

 メロウの群れが進行方向に見えた。この勢いでぶつかったら、船体にダメージを受ける。鯛介が紅子を庇うように覆いかぶさった。同時に、紅子は杖をどん! と床に突き立てた。

「硬くなれ!」

 紅子が叫ぶと、メロウの群れに突っ込んだボートは、装甲船のごとき強靭さでモンスターを薙ぎ払った。

「いまのは、〈硬化ハードオン〉か! 船全体に!」

 鯛介が興奮した声を上げた。

「すげえ……夜さんよりすげえ……!」

 スピードが出ているのに、紅子も彼女を支える鯛介も、風や雨の抵抗を受けていない。

 それは彼女がほとんど無意識に防護膜バリアを張っているのだ。

 まるで、呼吸をするように魔法を使っている。

「なんなんだ、この魔法……」

 鯛介は息を呑み、紅子を見て、はっとした。

 瞳が赤く染まっている。黒かった瞳が、いまはまるで宝石のようにギラギラと紅く輝いていた。

 

「……ある……。わたしの……」


 紅子のかすかな呟きを聴き取れず、鯛介が顔をしかめた。

「タイちゃん! 大丈夫!?」

 やえが外に出てきた。

「やえさん、操縦は!?」

「利かないのよ、コントロールが」

 やえは長杖を突き立てている紅子を見た。紅子はやえや鯛介に見向きもしない。

「あの子がやってるのね」

「ああ……すげえ力だ。でも……どこ行くんだ?」

 紅子がコントロールしている船は戦場から離れ、悠然と泳ぐシーサーペントの群れに近づいている。

 紅子はぼんやりとした目で、外海を見ていた。やがて、ボートのスピードも落ちてしまった。

「なんだ? こんなスピードじゃハーピィやメロウが……」

没入トランス状態なら、話しかけないほうがいいわ」

「この魔力なら、スキュラも撃退出来るかもしれないのに。なんで離れちまったんだ?」

「この子には、この子の目的があるのよ、きっと」

 言いながら、やえは腰に下げたホルダーから魔銃を抜いた。

「だってこの子たちは元々、何かを探しにここへ来たんでしょう?」

「そうだったかな」

 鯛介もボートの積んできた対大型魔獣ランスを構えた。

 すでに三体のシーサーペントの攻撃範囲内に入っている。スキュラほど好戦的ではないので、極力刺激しなければ積極的に襲ってはこないだろうが、十メートルほどの体長を持つ巨大なシーサーペントたちを間近に見ても、鯛介とやえは動揺もせず落ち着いている。

「シーサーペントがいるから、かえってハーピィもメロウも寄ってこないはず。刺激しなければある意味ではここが一番安全かも」

「この距離じゃ、いつ襲われてもおかしくないですけどね……このボート、借り物なんでしょう? いくらするんすか……」

「さぁ……二千万はしないと思うけど……」

「保険下りないでしょうねえ……」

 巨大な海のモンスターよりも損害のほうが恐ろしい。鯛介は身震いした。

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