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迷宮のドールズ  作者: オグリ
一章
7/88

約束

「ダンジョンって、どんなところ?」

 オムライスを半分ほど減らしたところで、紅子が尋ねた。

 シオンはもうほとんど食べ終わっている。


 紅子は本当に、よく食べた。ゆっくりと、のんびり、たくさん食べた。

 ランチタイムにはサービスでパンも付くとミサホが勧めてきて、シオンは断ったが、紅子は二つも食べた。


 その姿は、すっかり元気な、彼女らしい彼女だ。


「さっき変じゃなかったか?」

 と尋ねても、目をきょとんとさせるだけだった。

「へ、そう?」

「ああ。なんか、思いつめたかんじだったから……」

「んー、そう見えた? ダンジョンってやっぱり怖いからかなぁ」

 そう言って、オムライスを頬張り、にこにこしていた。よほど食べることが好きなのか、幸せそうな顔だった。

 あまり変だと言うのも失礼かと思い、シオンはそれ以上訊かなかった。

 それに、食事の雰囲気を壊したくなかった。

 彼女が持つのんびりとした、そして明るい雰囲気のおかげだろう。


 思えば、誰かと向かい合って食事をするなんて、久しぶりだ。

 のん気な紅子が持つ穏やかな空気は、シオンに父親のことを思い出させた。

 そこにいるだけで人を和ませ、誰の警戒心も解いてしまう。

 彼女も父も、そういう人間だ。

 他人慣れしていないシオンも、この懐かしい雰囲気に、穏やかな時を過ごすことが出来た。


「小野原くんは、色んなダンジョンに行ってるんでしょ?」

「まあ、電車やバスで行ける範囲だけど」

「どんなかんじ?」

「どんなって……」

 色々ある。

 洞窟。廃道。廃病院。廃学校。

 普通、ダンジョンというと、穴から入って行って、いまにも崩れそうな迷路のような場所、というイメージだろうか。

 そういう意味では、この前の採石場跡なんかは、ダンジョンらしいダンジョンと言える。

 共通しているのは、暗くて、カビと埃の臭いがして、空気が重い。それから、モンスターが住み着いているということ。

 百階層にもなる巨大ダンジョンもあるらしいが、日本で一番狭いダンジョンは、ほぼ一本道で終わるともいう。

 ダンジョンの数は増えたり減ったりしながら、ある一定を保っている。新しく認定されるダンジョンもあれば、認定を外されるダンジョンもある。

 そこに探索すべき理由があるのなら、そこはどんな場所でもダンジョンと言えるだろう。

「行けば分かるよ」

 何の参考にもならない、つまらない返答だが、紅子はふんふんと頷いた。

「やっぱり、モンスターが出たり、トラップがあったり、するんだよね」

「そりゃ、まあ。ダンジョンにもよるけど」

「宝物も、あったりするのかな?」

「あるところにはあるかもしれないけど、無いことのほうが多いんじゃねーかな」

「うーん、そっかぁ……」

 紅子はまたも、ふんふんと頷き、デミグラスソースのたっぷりかかったオムライスを頬張る。

 シオンはトンカツの最後の一切れを食べ終えた。


 隠された埋蔵金だの遺産だのの存在を本気で信じ、財宝探しをしている冒険者というのも、いるにはいる。というか、結構多かったりする。

 噂のほとんどは、正直言って眉唾ものだが、それでも財宝を求め冒険者になる。

 彼らは自らを《トレジャーハンター》と名乗る。

 自ら戦闘をする者もいるが、金を払ってシオンのように戦闘慣れした冒険者を雇い、ダンジョンに潜る者も少なくない。

 実際、戦闘要員として雇われたときに話を聞いた。ダンジョンに潜るたびにいちいち冒険者を雇っていては、赤字になるのではないか、そう尋ねたら、彼らは他に仕事をし、ダンジョンに潜る軍資金を貯めているそうだ。

 シオンとしては仕事がもらえるのでありがたくはある。が、生活のためにダンジョンに潜っている身としては、汗水垂らして稼いだ金で人を雇い、余暇を利用してまでダンジョン探索する者たちは、酔狂に思えた。

「トレジャーハンターってやつか。浅羽は宝を探したいのか?」

「ん、そうなるのかな」

 紅子は頷き、オムライスを頬張った。

 またおかしな様子になるかと思ったら、その目には光が宿っている。

 やはり気のせいだったのだろうか。

「宝に興味あんのか?」

「うん」

「意外だな」

「小野原くんは、無い?」

「宝? オレはあんまり……」

「そうなの?」

「仕事と関係無いなら、無理に手に入れようとは思わないかな」

「小野原くん、えらいね」

「いや、なんか得体の知れないもんって怖いし」

「たとえばね、ダンジョンの中に宝箱があったら、どうする? 開けちゃう?」

「オレは開けない」

「えー、どうして?」

 紅子が目をしばたたかせる。

「どうしてって……自分以外にも人が入ってるダンジョンに、わざわざ宝箱があるっておかしいだろ。イタズラか、なんにせよトラップだと思う」

「あ、そっかあ。そういうこともあるよね」

「そういうことしかないと思うぜ」

「そっか。気をつけなきゃ」

「……気をつけろよ」

 話していて、シオンのほうが恐ろしくなった。

 紅子は良い奴だが、このまま冒険者になるのは、あまりに危なっかしい気がする。

「でも、なにがお宝かって、人によるよね」

「そうだな。何回か、そういう依頼も受けたことあるな」

 そう言うと、彼女は目を輝かせた。

「え、どんな?」

「別に、面白い話じゃねーと思うけど」

「えー、聞きたいよ。聞かせて」

 冒険者志望の彼女は、シオンの体験談に興味があるようだ。黒い瞳が、好奇心できらきらしている。

「宝探し……じゃないかもしれねーけど、そいつにとってはそうだったんだろうな」

「見つかった?」

「ああ。見つかった。一ヶ月くらいかけて、色んなダンジョンに……五つか六つは潜ったな。資金が少ないっていうんで、オレの他に冒険者は雇えなかったけど、そいつ戦闘は全然で………………最後のダンジョンは、けっこうキツかった」

「小野原くん、なんか怖い顔だけど?」

「いや……」

 そんなに険しい顔をしていたのか自分では分からないが、「………………」の間に、当時の苦労が思い起こされていた。

 面倒なわりに報酬が安く、ほとんどの冒険者が蹴っているような依頼だった。

 募集をかけるにも金がかかる。そのせいか、見かけるたびに報酬の額も減っていた。

 やけを起こした依頼者が、一人でダンジョンに突っ込んで死んでは哀れだろうと、協会の受付嬢にすすめられた。シオンとしても、二ヶ月も出されっぱなしの依頼を、見るに見かねた。

 それに、困っている依頼者に付け込む、悪い冒険者もいる。前金で依頼を受けるだけ受けて、当人だけをダンジョン内に捨ててくるような奴らだ。もちろん犯罪だが、ダンジョン内での出来事など誰も分からない。依頼中に死んだと言えば、何のお咎めも無い。

 冒険者、という響きだけならロマンに溢れている。

 が、かなりブラック寄りのグレーな世界である。


「……怖いモンスターでもいたの?」

 黙ってしまったシオンに、紅子がおずおずと尋ねる。

「いや、通路曲がったとこに獣墜ちのミノタウロスが三匹いて……」

 ダンジョンで、複数の獣墜ちに会うのは、最悪だ。

 しかもミノタウロスは亜人の中でも、リザードマンに並ぶ剛力を誇る。そのうえ打たれ強く、生命力が高く、素早さもそこそこある。器用で、武器の扱いも巧い。

 即席パーティーで一緒に仕事をしたときは心強かったが、敵として対峙すれば脅威だ。

 一体一でもきつい。それが三体。しかも足手まとい付きで。極めつけはダンジョンの最深部で遭遇したことだ。一人ならともかく、戦闘が不得手な人間を連れ、入り口まで無事に逃げ切ることは不可能だった。

 やむなく、逃げながら一体ずつ倒したが、最後の一体と戦ったとき、石斧の一撃をまともに食らい、右腕の骨が砕けた。

 依頼者が治癒魔法ヒール持ちだったのが、救いだった。その場で完全回復はしなかったが、応急処置が出来たから、後遺症は残らなかった。あとで専門医ドクターヒーラーに治してもらったが、下手な治癒魔法ヒールであっても、すぐにかけていたことが良かったと言われた。

 ソーサラーの力は、未熟であっても素質さえあれば凄いものだと、そのとき理解した。

 まあ、彼がそれなりに戦闘が出来れば、大怪我する前に倒せただろうが。

「うっ、怖いね」

 怪我のくだりで、紅子が辛そうに顔をしかめた。

「何言ってんだ。冒険者になったら、お前もそんなとこに行くんだぞ」

「うう、そっか……そうだよね」

 怖気づいて辞めると言い出すかもしれないと思ったが、余計に強い意志を持ったようだった。

「甘く見てちゃダメだよね……もっと攻撃魔法の練習もしなきゃ……」

 どうあっても、冒険者にはなりたいようだ。

 シオンは小さく息を吐いた。


「それで、そのときの宝物はなんだったの?」

「ああ、カビだよ」

「カビ? って、ほっといたらお風呂とかに生える、あれ?」

「へえ。風呂に生えるのか」

「前に、うちのお風呂場の天井にぽつぽつと」

「多分、そういう一般家庭にしょっちゅう生えてくるやつじゃねーと思うけど」

 依頼者はカビの研究者だった。特定のダンジョンでしか発生しない稀少なカビを探していたのだ。

 そんなカビの存在も価値も知らない多くの冒険者が踏み荒らしていたダンジョン内で、彼にとっては大切な宝物であるらしいそれを、涙で目を潤ませながら、持ち込んだ器具で採取していた。

 その様子を見ながら、これだけ苦労してカビか……、と思わないでもなかったが、それは専門外の人間の考えだ。ダンジョンを出たあと、依頼者はまた涙を流し、シオンに深く感謝していた。その姿に、宝の形なんて人それぞれなのだとも思った。その発見が、彼にとっては金にも名誉にもなるのかもしれない。

 後日彼が出した研究論文に、協力者としてシオンの名前を載せてくれたと聞いたときは、素直に嬉しかった。


「へえ。すごいね」

 そんなにすごい話ではないと思うが、紅子は感動したようだった。

 目を輝かせる彼女の前には、すっかり冷めていそうなオムライスがまだ少し残っていた。

「私も、小野原くんみたいな冒険者になりたいなあ」

「オレ、宝は探してねーけど」

「ううん。自分の目的の為だけじゃなくて、誰かの役に立てたらいいなって思ったの」

「オレはちゃんと金もらってやってるから、ボランティアじゃないよ」

 そもそもダンジョンでは他人を助ける余裕がないことも多い。

 あまり気負わないほうがいいと思うが、水を差すのも野暮なので、それ以上のことは言わなかった。

「小野原くんは、月に何回くらい行くの?」

「だいたい、週に一回くらい。オレは、ソロだし、長くは潜んないから。ほとんど日帰りで終わるやつしかしないからな」

「日帰りで終わらないのもあるの?」

「そりゃ、あるよ。仕事には色々あるから。一日で終わるようなのは、単日クエとか単日って、冒険者オレらは言うんだけど」

「クエ?」

「クエスト。仕事のことをそう呼ぶ奴もいる。単日は手っ取り早いけど、そのぶん報酬も安いのがほとんどだから、単日やる奴は、週に何個も回したりする。だから仕事が無くなるのが早いんだ」

「だから、早くからみんな並んでるんだね」

 と、また申し訳なさそうな顔をする。

「そう。月曜は更新日だから、仕事を探しに来る奴が多い。割りのいいやつや、簡単なのはすぐ無くなる。基本的には早いもの勝ちだけど、依頼には協会が適正レベルを振ってるから、レベルによっては受けられないやつもある」

 冒険者レベルは、たしか冒険者カードに記載されるはずだ。

 冒険者カードとは、冒険者としての身分証である。

「その、レベルって、どうやって上がるの? 試験とかあるの? モンスター倒したら上がるの?」

「いや、ゲームじゃねーから。仕事しまくるだけだよ」

 こなした仕事の質や量、攻略したダンジョンに応じ、冒険者協会が相応だと判断した場合、レベルが上がる。

「小野原くんは、レベルいくつ?」

「10」

「すごい」

 この二年、手当たり次第に仕事をこなしてきた結果なので、実際にすごいかは分からない。つまらない仕事も沢山したし、手ごたえの無い仕事も多かった。

 パーティーを組んで難しい仕事をこなしていると、ソロよりは上がりやすい。

 極端な話、強いパーティーにくっついて行って何もしなかったとしても、こなした仕事の評価で、レベルは上がる。

 実際の実力に伴っていない場合もあるので、シオンはあてにしていない。

 ただ、ある程度、協会側が効率よく仕事を振る目安として、レベルは必要らしい。

 レベル10を超えれば、中級者以上の冒険者と見なされる。任せてもらえる仕事も格段に増える。

 だから普段意識していなくても、10になっていることは流石に覚えていた。

「レベルが高いと、多少優先的にいい仕事を振ってくれるからな。オレもこないだそれで、協会から仕事をもらった。そのときの報酬が良かったから、本当は休んでもいいぐらいなんだけど。ただ、ヒマだったから、今日は簡単なのでもあればと思っただけだ」

「それは、小野原くんには簡単でも、きっと私だったら、難しい仕事ばっかりだよね」

「そうだな。そういうのはやっぱり慣れとか、人によるから。オレも単日が続けば、週に二、三回は行くときもあるけど、でも基本的には、あんまり続けては行かないようにはしてる」

「どうして?」

「疲れる。特にダンジョンに潜るのはな。慣れてるダンジョンでも、やっぱり潜れば外とは違うからな。空気も悪いし、神経も使うから」

「そっか。そうだよね」

 ダンジョンのあの異質な空気。こればかりはいくら説明しても、頭で分かっても、意味は無いだろう。

「行けば分かるよ」

 と結局同じことを言った。

「ただ、簡単な場所じゃない。簡単に行って帰って来てるように見える奴らは、ほんの一部だ」

 何年も同じ冒険者センターの窓口に通っていれば、よく見かける顔もある。

 それがふと、いつの間にか見なくなるということもある。

 引退したのか、休業しているのか、それとも死んだのかは分からない。

 そういうことが、日常的に繰り返されていく。


「でも、小野原くんも、そうなんだよね」

「なにが?」

「そうやって、毎週難しい仕事して、何年も生きて帰って来てる人なんだなあって……。私と同じ歳なのに、すごいな。ほんとに、すごいね」

 紅子の、真っ直ぐで素直なまなざしに、シオンは苦笑いを返した。

「オレは、難しいレベルの仕事はしないから」

「どうして?」

「死にたくないから。そりゃ、たまたま、えらい目に合うときもあるけど」

 元より自分の力に見合わない、無茶な仕事はしないようにつとめている。

「それでも、いつかは、生きて帰って来れなくなるときもあると思う」

 桜のように。

 紅子の父と兄のように。


「それ、冷めてるんじゃないか? 食えよ」

 すっかり話に夢中になり食事の手が止まっている紅子に、シオンはそう促した。

 皿の上には、まだオムライスが残っている。

 しかし、紅子は、うん、と頷いただけで、まだ何か訊きたげだった。

「腹いっぱい?」

「あ、ううん。違うよ。……あの、小野原くんは、どうしてパーティー組まないの?」

 紅子の言葉に、生前の姉の言葉が蘇った。


(あたし以外の人と、パーティー組まないでね)


 あのとき、どう返事をしただろうか。分かってる、と言ったかもしれない。しかしそれは約束というより、普段の姉の勝手なわがままに、適当に相槌を打ったというだけだ。

 そう言った姉の桜はもういない。果たすべき約束だとも思ってはいない。


 鷲尾からも誘われたように、二年も真面目に冒険者をやっていれば、当然パーティーに誘われたことも、何度かある。

 パーティーを組めば、仕事の幅も広がる。

 受けられる依頼も増えるし、なにより危険が減る。

 自分でも、何かに拘っているつもりはないのに、いつも桜の言葉がちらつく。 


「……まあ、必要でも無いかなと思って」

「そうなの?」

「あ、いや。依頼によっては組むこともあるぜ。その仕事によって、紹介されたりするし」

「パーティー組んだほうが、いいんだと思ってた。でも、小野原くんみたいに一人でやってる人も、けっこういるの?」

「いると思うけど」

 ソロのメリットは、気楽なことと、報酬を分配する必要がないことだ。

 だからといって効率が良いかというと、そうでもない。一人で大きな仕事はそう出来ないし、即席のチームを組むにしても、元々パーティーを組んでいる連中のチームワークの見事さにはやはり敵わない。同じダンジョンを攻略していて、何度出し抜かれたことか知れない。

「それじゃパーティーって組まなくても、いいのかな?」

 紅子に間違った知識が生まれそうだったので、シオンは慌てた。

「悪くはないけど、良くもないだろ。やりたい仕事の内容にもよるだろうし、探索や戦闘のスタンスにもよるだろうし……お前は、ソーサラーだろ?」

「うん」

「なら、パーティーは組んだほうがいい。自分を護って戦ってくれる仲間は、少なくとも最初のうちは、必要だと思うぜ。それに……」

 と言いかけ、シオンは口をつぐんだが、紅子は聞き逃さなかった。

「それに?」

「あ、いや」

「言いかけたら言ってよー」

 と、子供のように口を尖らせる。

「……うん。ソロのほうが、死にやすいからな」

 死、という言葉が、初心者の彼女にはきつ過ぎるかと思ったのだが、紅子はただ真剣な顔で頷いた。

「そっかぁ……。色々教えてくれてありがとう」

 ひととおり納得したように、紅子はそう言った。

 そして、すっかり冷めたオムライスの残りを、片付け始めた。



 紅子が食べ終わるのを待つ間、相変わらず一生懸命食べる彼女の様子や、窓の外の空を眺めたりしながら、シオンはぼんやりしていた。


 桜の言葉が、耳の奥に響く。


(あたし以外の人と、パーティー組まないでね。特に、女の子とは)


 勝手な言い分だ。自分はさっさと冒険者になって、パーティーを組んでいたくせに。

 あんなもの、口約束にすらなっていない。いつもの押し付けで。

 しかも死んでしまったのだから、バカ正直に守る必要は、無いと思っている。

 思っているのに、なんとなく、シオンはずっと一人だった。


(……ねえ)


 あのときの彼女が、いつもと違っていたからだろうか。

 言ってることは普段と変わりない、ただのわがままなのに。

 シオンの指に、おずおずと細い指を絡めて、その指の力が、あまりに弱々しかったからだろうか。


(シオンは、あたしのなんだから)


 勝手にそう言って、勝手に死んだ。

 彼女の命は、彼女が自分で好きに使って、死んだ。

 シオンに残されたのは思い出と、一方的な約束だけだ。


 宝も、名誉も、欲しくはない。

 金も、そんなにたくさんは必要ない。

 欲しいのは、ただ。

 父と、姉と、三人で穏やかな食卓を囲んでいた、あの優しい日々だけだ。



「ああ、美味しかった。ごちそうさま!」

 ついに全部食べ終わった紅子が、にこにこと手を合わせた。

「ごめんね、時間かかっちゃって」

「いや、いいけど。……ああ、そうだ。デザート食うか?」

「えっ、いいよ、いいよ!」

 紅子がふるふると首を振る。

「ああ、さすがにもう食えないか」

「あ、ううん、食べれるけど……」

 食えるのか、とシオンは内心で思ったが、それを言えばきっと女子には失礼だろうと、突っ込まなかった。

「さすがに、悪いから」

「オレはいいけど……」

 とは言え、そろそろセンターを出て、一時間半は経っている。

 とっくに昼時になり、《オデュッセイア》の店内も混んできた。満席ではないのでデザートを食べるくらい許されるだろうが、シオンはヒマでも紅子は違うかもしれない。

 出たほうがいいか、と思い始めていると、と紅子が声を上げた。

「あっ、でも、やっぱり食べようかな。いい?」

「ん? ああ。いいけど」

「んーとね。これ。気になってたんだ」

 と、紅子がメニューを開いて見せ、デザートの写真を指差した。

「これ、可愛いよね。気まぐれラビットのスペシャルバナナパフェ」

「そんなのあったのか」

 デザートのページなんて見たことが無かった。ラビットなんとかパフェの写真には、アイスクリームで飾ったパフェの上部に、縦に半分に切ったバナナが突き立っていて、うさぎの二つの耳に見立てているようだ。

 忙しげに皿や水を運ぶミサホが近くを通ったとき、それを一つ頼んだ。

「ごめんね、なんか私ばっかり」

「いいよ」

 そうシオンが答えたあと、紅子はしばらく黙った。何か言いたそうだが、言わない。そのうち、俯いてしまった。

 もしや、また様子がおかしくなるのではと、シオンは身構えていると、やがて彼女らしくない、小さく、弱々しい声を、ぽつりと漏らした。

「あ、あのね」

 顔を上げた紅子は、可愛らしい顔を真っ赤にし、恥ずかしげに言った。

「もうちょっと、喋りたかったの」

 えへへ、と困ったように微笑まれ、シオンも自分の頬が少し熱くなったのが分かった。


 店を出た紅子が、ぺこりと頭を下げた。

「本当に、今日はありがとう。ごちそうさまでした」

「時間取らせて、ごめんね。でも、お話してもらえて、楽しかった!」

「ああ。オレも」

「ほんと?」

「うん。楽しかったよ」

 中学時代の嫌な思い出が、少し和らいだ。

 嫌なことばかり印象に残っていて、他の事なんて忘れてしまっていた。

「たまには、誰かと話すのもいいな」

 ぱぁっと紅子の顔が明るくなる。

「良かった! 私も、小野原くんと会えて良かったよ」

「そっか」

 シオンもつられて微笑んだ。

「今日はほんとは、朝からすごく緊張してて、冒険者になれるのかなって、不安だったし。でも、今日来て、ほんとに良かった。小野原くんに会えたもの」

「オレも、浅羽に会えて、良かったよ」

 そう言うと、紅子の頬がぱっと赤くなった。

「冒険者になれたら、私もここに通うから。そしたら、小野原くんとも、また会えるね。受かるといいなぁ」

「……ソーサラーなら、大丈夫じゃないかな」

「だといいな」

「あとは、家族の許可くらいだから」

 それに関しても、紅子の話では問題無いようだった。

 シオンとしては、かえって心配になったのだが。

 しかし、冒険者になる事情は人それぞれだ。シオンの考え方だけで、他人の生き方にあれこれ口を挟むことは、はばかられた。


「あの、さ」

 ためらいがちに、シオンは口を開いた。

「浅羽、ケータイ持ってるか?」

「あ、うん。持ってるよー」

 よいしょ、と紅子は学生鞄を抱え、中を開けた。いまどき少し古風に思える革の手提げ鞄だ。そこからピンクの携帯電話を取り出す。

「番号、交換しようぜ。別に連絡しなくてもいいけど、もし、冒険者のことで誰かに相談したいことがあったら、オレに訊いてくれてもいいし……」

 言いながら、自分から人に番号を教えるなんて、初めてだと気付いた。

「本当? いいの?」

「ああ。別に、使わなくても、どっちでもいいけど……」

「ありがとう! すっごくうれしい!」

 紅子はぱっとシオンの両手を取った。鞄がどさりと落ちる。

 その音よりも、人に触れられるなんて久しぶりで、シオンはびくりと身を震わせた。猫に似た耳がぴんと立ち、尻尾を大きく振ってしまった。

「あ、ごめんね。急に……」

 シオンを驚かせた紅子は、慌てて手を離した。その頬にみるみる赤みがさす。

 いったい今日は何度、彼女の赤い顔を見ただろう。

「な、馴れ馴れしかったね。嬉しくて……つい」

「いや……」

 えへへ、と紅子が笑う。



 細く、白い指が離れても、シオンの手にその感触が残った。


 指が離れていくのを、何故か悲しいと思った。

 その感触は、シオンの胸の奥に小さな火を付けたような感覚を生み、鋭い痛みを与えて、消えた。

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