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迷宮のドールズ  作者: オグリ
三章
68/88

停滞

真波まなみ愛加あいかでーす。本日はよろしくお願いします 」


 女魚亜人マーメイドのアイカは、今日はキャミソールに腰巻スカートではなく、上半身にライフジャケットを身に着け、下半身には短めの腰布パレオを巻いている。その先に伸びるのはもちろん足ではなく尾びれで、陸上を歩行できない代わりに、同行者・・・を連れてきていた。

「クレイ。歩けウォーク

 アイカの穏やかな声音に反応し、茶色い毛並みの大型犬がゆっくりと歩き出した。その背の上で、アイカは長く茶色い毛を指で優しく撫でてやっている。

「おお、いいなぁ……ふわもふ……」

 キキが目を輝かせ、そのそと歩くクレイの尻尾の後ろを、ちょこちょことついて行く。

「ふわもふ……ふわもふ……」

 触りたそうだが、ちゃんと我慢している。仕事中のダンジョン同伴犬に気安く触れてはいけないため、お菓子を前にした子供のように耐えているキキを、シオンは見直した。

 マーマンの多い水の街では生活用水路が整備されているが、陸に上がったときには車椅子か騎獣に頼ることになる。

 最初にクレイを見たとき、毛の塊かとシオンは思った。長い毛は寒さに耐えやすい。泳ぎが得意な海犬シードッグ種で、マーマンと共に長時間海に潜っていても大丈夫らしい。クレイは魚亜人マーマン騎獣きじゅう用に品種改良された魔犬種であると同時に、マーマンの冒険者と共にダンジョンに潜る訓練も受けている、ダンジョン同伴犬だ。

「大人しいんだねぇ」

 クレイの背に乗ったアイカの隣を歩きながら、紅子が話しかけた。

「そりゃね、ダンジョン同伴犬の訓練受けてるからね」

 体同様、長い毛に覆われた顔には、黒い瞳がちらりと覗いている。

「アイカちゃんちで飼ってるの?」

「ううん。借りてるの。お姉ちゃんのカレシ、騎獣用の魔犬訓練士なの」

「へー、マリ姉ちゃんカレシいるんだ」

 キキが言う。

「蒼兵衛がいたらさぞがっかりしただろうね」

 それまでずっと黙っていたハイジが、少し笑いながら言うと、きししとキキも笑った。

 人手が増えたので、蒼兵衛はニコねこ屋と一緒に別のダンジョンに行っている。ニコねこ屋のワーキャットたちは皆ダンジョン慣れしており、なにより蒼兵衛の扱いに慣れている。当の本人は「なんでパーティーでハブにするんだ……」とブツブツ言っていたが、大抵の戦闘は蒼兵衛一人で充分なはずだ。今や妖刀でゴーストまで斬れるようになってしまったので、「戦闘力は四対一でちょうどいいんじゃない?」とハイジが冷たく突き放した。

「やっぱマーマン?」

 とキキが尋ねると、

「ううん、人間。マリ姉、もうすぐ結婚するんだ」

「へー! そうなんだ! 素敵! マリさん花嫁さんになるんだぁ」

「うちの家族は気が早くてさぁ。やっぱり子供はツーテールがいいよねってみんな言ってるけど、お義兄さんは足が無くてもいいって。でも不便じゃない? 居住区アクアリアで暮らすぶんにはいいけど」

「尾びれも素敵だけどな」

「それはこっこちゃんが人間だからだよ。足が有るから。不便だよ、やっぱ。アクアリア以外には簡単に行けないもん。クレイだってどこにだって連れていけるわけじゃないもの」

「そうだ、アイカちゃん東京来るんだもんね」

「うん。大学受かったらねー。受かるかな?」

「大丈夫! 受かるよ!」

 紅子が両手の拳を握って力強く言う。

「東京住むの? 移動とかどうすんの? もふもふも一緒に行くの?」

 クレイの後ろを歩きながら、キキが尋ねる。

「大学は居住区内にあるし水路あるからほとんど困んないと思うけど、居住区外を歩くときは車椅子とか? 騎獣は維持が大変だし、体大きいし、電車とか無理だからさ」

 クレイはアイカを背に乗せても平然とのっそり歩いている。犬というより、小型のポニーくらいのサイズだ。

「でも、もうけっこう出来てるよねぇ、《お台場アクアリータ》。この前近くまで行ったよー」

 紅子が言う。冒険者博エクスポのときだろう。シオンも電車の中から、至る所で工事をしているのを見た。もう何年か前からお台場に大規模なマーマンの居住区を建設しているが、いよいよ完成間近となり、東京にもマーマン人口が増えるだろう、と予想されている。そのあたりに新しく冒険者センターが出来る予定もあるというから、多くのマーマン冒険者がそこに登録を移すはずだ。実は東京湾には海底ダンジョンが多い。深度の高いダンジョンには多種多様なモンスターが潜んでいると言われている。

「アイカちゃん、大学入ったら冒険者やる?」

「うん。一応登録はするつもり。でも別のバイトとかもしたいかなー」

「そっかー。近くなったら遊べるね!」

「遊ぶ遊ぶ」

 探索中、紅子とアイカはこれといってとりとめのない会話を続けていた。ソロ時代、誰かとパーティーを組んでも極力会話を避けていたシオンにしてみれば、よく喋るな……と思ったが、アイカはそれなりに地元のダンジョン慣れしているようなので、ここはのん気に喋ってもそう危険のない場所なのだろう。


 昨日、紅子がアイカと一緒にホテルまで戻ってきて、電話で呼び出されたシオンがホテルの下に赴くと、紅子が水路脇の道で手を振ってきて、水路にはアイカが顔を出していた。

「こんばんは。えっと、小野寺くんだっけ?」

 今までの人生で何度間違われたか分からない。これからも間違われるだろう。シオンは簡単に訂正した。

「小野原」

「あ、ごめんなさい。素で間違っちゃった」

「いい。よく言われるから」

 アイカはキャミソールを着た上半身に、首にはネックレスを下げ、肩にはバッグをかけていた。それがあまりにも道行く人間の少女らと変わりないので、下半身が見えないと人間の女の子が水路に落っこちたようにしか見えない。

「ごめん。小野原、何くんだっけ?」

「シオン」

「シオンくんでいい? また間違っちゃいそうだから」

「いいけど……」

「あのね、小野原くん。アイカちゃんがね、ダンジョンに一緒に行ってくれるって」

 まるで遊びにでも行くような口調で紅子が言った。

「ちゃんと海中ダンジョンに行ける資格持ってるんだって。バックアップ何回もしてるから、大丈夫だって」

 紅子の言葉に、当のアイカも、

「うん、夏休みだし、いいよー。バイト代、ちょっとはくれるんでしょ?」

 と軽く言ってきたので、シオンも、

「あ、じゃあ、助かる……」

 と簡単に答えてしまった。

 アイカはマーメイド族らしいくっきりとした目鼻立ちの顔に笑みを浮かべ、肩下まで伸びた濃い茶色の髪を掻き上げた。髪に隠れていた耳ひれがちらりと覗く。

「んじゃ決まりだね。良かった、バイト見つかって。若い人多くて面白そうなパーティーだし。めっちゃラッキー。ありがと、こっこちゃん」

「こっちこそありがとうだよー」

「いいよね? シオンくん」

 呆気に取られていたシオンは、はっと意識を取り戻した。

「あ、ああ、よろしく……」

「リーダーなんだよね? スマホ持ってる?」

「いや、携帯電話なら……」

「こっこちゃんといい、持ってよ、スマホくらい」

「なんで?」

「便利だから。冒険者でしょ。ケータイとスマホ二台持ちとか普通じゃない。そのケータイって仕事にしか使ってないでしょ?」

「うん」

「ゲームとかやんないんだ。趣味とかある?」

「話……逸れてないか?」

「あ、ごめん」

 アイカが笑いを浮かべる。

 紅子が例外なので忘れていたが、同年代の女子と話すのはそういえば苦手だった。学校でも、挨拶を交わす程度で、あまり話した記憶がない。だが、はきはきと喋る女子はキキやリノで慣れているし、そもそも桜がそうだったので、アイカとはまだ話しやすかった。紅子もそうだが、勝手にどんどん話をしてくれるほうが楽だ。

「とにかくさ、明日アタックするダンジョン、こっこちゃんに聞いてるから。待ち合わせの時間とかも。変更あったらこっこちゃんに言ってよ。メールしてもらうから」

「分かった……」

「じゃあ帰るわ。こっこちゃん、また明日ねー」

「ありがとう、アイカちゃん。ばいばい。気を付けてねー」

「キキちゃんにもよろしくね。タズサが会いたがってたよって伝えといて」

「分かったー」

 とぷんと音をさせ、アイカの尾びれがゆっくり水面に現れ、跳ねた。その勢いですうっと進み、一度ぴたりと水の中で止まって、くるりと振り返って手を振ってきた。

「ばいばーい」

 と紅子も手を振って返した。その顔がとても楽しげだったので、いつも気さくな彼女だが、友達といるときはやっぱりパーティーといるときと少し違うんだな、とシオンは思った。




「ここらのダンジョンは雨が降ると水位が上がって、途中から水没するんだけど、どうする?」

 クレイの背の上で振り返り、アイカが尋ねた。

「あたしが潜って来てもいいけど、一人じゃ時間かかるし、その間ヒマでしょ? それに他の人にとっくに探索はされちゃってるよ。マーマンの冒険者が定期的に調査に入ってるし」

 確かに、せっかくハイジに来てもらっているというのに、ゴーストすら出ない。

「なんも出ないと背中が重たく感じるよぉ」

 大きなリュックに大量の魔銃と槍とハンマーをくくりつけ、歩く武器庫と化したキキが、戦意を持て余すようにはぁと息をついた。

「ゴーストも雨に流されちゃったかな?」

「けっこう詩的なこと言うね。冒険者川柳とか出してみたら」

 キキの言葉に、ハイジが冗談半分で返したのかと思ったら、本当に感心したような顔をしていたので、やっぱりよく分からない人だなこの人も……とシオンは思った。

「お、いいね。帰ったらおじいちゃんと出そう。そうだ、モンスターいないし、ちょっとおじいちゃん補給しとこう」

 物騒な武器と共にリュックにくくりつけられたおじいちゃん人形を手に取り、すりすりと頬を寄せる。

「おじいちゃん……キキちゃん寒いけど頑張ってるよ……」

「あ、じゃあ温かくなる火魔法を!」

「それはいい。火蜥蜴サラマンダーにはなりたくないから」

「うう……」

「こっこちゃんって、魔法下手なの?」

 杖を握り締め項垂れる紅子に、アイカが尋ねる。

 たしかに寒い。夏でもダンジョン内はけっこう冷える。海辺となるとなおさらだ。寒さに弱いのはリザードマンだけではなく、ワーキャットもそう得意ではない。首許のスカーフを巻き直しながら、シオンは紅子を見やった。

「浅羽、何か感じたりしないか?」

「う、うーん……」

 紅子が曖昧な笑みを浮かべる。感じないんだな……とシオンは思ったが、

「感じないなら正直に言っていいんだよ」

 ハイジがはっきりと言った。

「『何も感じないならダンジョンに入る前からそう言えよ』なんて別に思わないから。仮にダンジョンの入り口で君が『ここにはない気がします』って言っても、一応探索はするから」

「は、はい……」

「どうなの? こっこちゃん」

 アイカが尋ねる。紅子は長杖ロングロッドを握り締めながら、乾いた笑いを浮かべた。

「か、感じません……」


 しばらく沈黙があり、耐えきれなくなったのか、紅子がああああと手で顔を覆った。

「ごめんなさい、ごめんなさい……!」

「謝っても仕方がないよ。君のその勘に頼るしかないんだから」

「おじいちゃん、キキちゃん寒いよぉ」

「うううう、ごめんなさい……」

「気にするな、浅羽」

 身を小さくする紅子の肩をぽんぽんと叩き、シオンは言った。

 本音は、こんな探し方でいいのか? と思わないでもない。が、とにかく時間を節約して多くのダンジョンに足を踏み入れたほうがいい、というのが、パーティーが、ひいてはシオン自身が下した決断だ。

 闇雲な探索方法に、アイカは呆れることなく、親身に付き合ってくれた。

 彼女はクレイの首の下を撫で、頷いた。

「じゃ、次いこ」



 四つ目のダンジョンをあらかた探索したところで、おじいちゃん人形を小脇に抱えたキキがうんざりしたように言った。

「はー、海のダンジョンってもっとワクワクすると思ってたよ。最初のハーピィ以外、ろくに戦闘も無いなー」

「キキ、油断はするなよ。国重さん手に持ったままだと、急な戦闘になったら落とすぞ」

「分かってるけどさー」

 と、名残惜しそうにおじいちゃん人形を再びリュックのベルトに挟む。

「僕はそのほうが楽だけど」

 たしかに、海蝕ダンジョンにしてはゴーストが少ないので、ハイジの負担が減るのは助かる。だが、ハイジの表情は言うほど楽そうではなかった。そこに少しだけ緊張の色が浮かんでいるのをシオンは見て取った。

「ハイジ? 何かあるのか?」

「え? ああ、いや……」

 ハイジははっと顔を上げ、彼がよくやる、軽く手を上げて、何でもない、というような仕草をした。

「……ただ、昔、たまに海のダンジョンに来てね」

「それで?」

「不思議とね、大きな戦闘がある前のほうが、静かだったりしたなって。ふと思い出したんだ」

「うう、やめてください……」

 紅子が怯えた顔をした。

 たしかに、紅子が一緒にいると、モンスターによく遭遇する。今回は、ハーピィ戦以外、それほど戦いをしていない。海にはモンスターが多いはずなのだが。

「あたしとクレイが潜って来ようか? このダンジョンは、モンスターもほとんど入って来ないし」

「……そうだな……」

 アイカがクレイの首筋を撫でながら尋ねる。訓練を受けた魔犬も、特別警戒している様子はない、多分このダンジョンにはモンスターはいない。シオンも経験と勘でそう判断したが、首を振った。

「いや、やめとこう。どうせ何も無い」

「あたしには潜らせたくせにさー」

 キキが頬を膨らませる。《鏡ヶ浦残響洞》で妖刀を拾ってきたときのことを言っているのだろう。

「あのときみたいに、気になる感じがオレも無い。浅羽も何も感じてないみたいだし、余計な体力を使うのはやめよう」

「カンで動くパーティーになっていいのー?」

「いいんじゃない?」

 意外とハイジのほうが、こういうときに同意してくれる。

「この子も姉さんも、そういう勘は良い子だった。それに結局は、勘に頼ることも多いからね。冒険者に有利なスキルの一つではあると思うよ」

「カンがぁ?」

 半信半疑な様子でキキが言う。リザードマンというのは堅実な種族で、鍛え上げた自身の肉体と戦闘力を信じ、勘に頼った行動はあまり取らない。

「というより、運かな。僕はわりとシオンは運の良いタイプかなと思っている」

「オレが?」

 シオンが目をきょとんとさせると、ハイジはうっすら色のついたガラス玉のような目を向け、頷いた。

「別に今までの人生で良い目を見てきたとか、そういうのではなくね。特に根拠はないよ」

「そうか……」

 よく分からないが、とりあえず頷いておいた。




 一日回っても成果は得られなかった。

 蒼兵衛とニコねこ屋と合流すると、すぐにユエがシオンに調査結果をまとめたメモを渡してくれた。

「今日下見したダンジョンです。あとでデータも送ります」

「ありがとう」

 さすが、かなりのダンジョンを回って来ている。その中で、『探索の余地有り』と書かれたダンジョンは、下見したうちの三分の一以下に絞られていた。

「おじいちゃん……海ってさぁ、広いよね……」

 おじいちゃん人形を胸に抱いたキキが、遠く広がる海を眺めながら、夕焼けの色に染まった顔を、ふっと歪めた。

「この大きな海で、魔石の欠片を探すあたしたち……」

「ご、ごめん……」

 紅子がしゅっと肩を落とす。

「海のダンジョンに来る人ってそんな人たちばっかだよ?」

 ニコねこ屋の車のシートに座り、窓から身を乗り出したアイカが言った。クレイはその横で大人しく座っている。

「気にするな。今回だけで見つかるなんて思ってねーよ」

 シオンがいたたまれなさそうに俯いている紅子に声をかける。

「そうっすよ、オレらもこれからも協力しますよ。ボスがそうするって言ってるから。シオンさん達には世話になったっすから」

「……オレも、紅子さんには足治してもらったし。仕事じゃなくてもやります」

 リョータとレンがそう言って、ユエは微笑み、ミナはうんうんと頷いている。

「明後日まで千葉こっちにいるんだっけ? まだまだ時間あるよ。そんでも見つからなかったらまた来たらいいじゃん。あたしもバイトでダンジョン来たらついでに探しとくし。ね、こっこちゃん」

 アイカも慰める。

 すると、紅子は感極まったように、ぽろりと涙を零した。

「冒険なんてこんなもんだよ。地味で地道で、成果なんて無くて普通。皆分かってるし、別に迷惑とか思ってないから」

 ハイジも相変わらず淡々とした口調ではあるが、慰めてくれている。

「泣くなよ」

 シオンがぽんと肩に触れると、紅子はこくこくと頷いた。

 蒼兵衛が非難するようにキキを見た。

「あーあ、泣かした」

「あたしっ!?」


 仕事が終わって、シオンはアイカの家族に会いに行った。紅子もついて来るつもりだったようだが、直前に透哉から電話があって、「ちゃんと魔法の勉強をしているのか」と言われたらしく、渋々部屋に戻って行った。一日に一度は長い詠唱を覚えるため、ひたすら詠唱をノートに書き写すらしい。

 優れたソーサラーになるには持って生まれた魔力の高さや才能が不可欠だが、数ある詠唱を記憶し、いざ本番で間違えずに唱えなければならないという、地道さも必要とされる。強い魔法ほど詠唱は長く複雑なものが多い。延々詠唱したあげく、失敗なんてこともある。

「ほんとにいいのかな、こんなので……」

 水上バスの中、シオンの膝の上にはホテルのロビーで慌てて買った〈アクアリア限定・かまぼこ水まんじゅう〉の箱が入った袋がある。傍らに座るキキに小声で尋ねてみた。

 キキはいつものロリータ服ではなく、タズサと交換したままの薄いヒラヒラとした水色のワンピースを着て、頭に同じ水色のフワフワとしたリボンを結んでいた。

 キキはぶらぶらと足を動かしながら、

「地元民に観光客向けの土産買っちゃうところがキキちゃん的には満足だったからいいと思うよ」

「それって駄目なのか……?」

 不安な顔をするシオンに、アイカが横から顔を覗き込んできた。

「地元だからこそ、そういうのかえって食べないから、いいんじゃない? おじいちゃんかまぼこ好きだし、おばあちゃん水まんじゅう好きだよ」

「そうか。良かった」

「混ぜたらダメな気がする」

 ほっとした顔をするシオンに、キキが顔をしかめた。

 蒼兵衛も行きたがっていたが、ハイジが「適齢期のお嬢さんには婚約者がいるらしいよ」と無下に言い放つと、女性不信になって歓楽街に行きたいと喚き出したので、ニコねこ屋に任せてきた。

「あの人となんでパーティー組んでるの?」

 アイカに尋ねられた。

「誰が?」

「あのコートの人」

「蒼兵衛?」

「強いから」以外の言葉が思いつかず、

「強いから」

 結局そう言った。

「見た目は悪くないけど、夏場にあんな長いコートだし、言動も完全に危ないよね」

 まったく否定出来ない。

「……でも、強いんだ」

「ふーん。強いなら仕方ないか。あんまりそんなふうには見えないけど。でも見た目だけだったらわりとマーメイドにモテるタイプだと思う」

「それ、絶対アイツの前で言わないでくれ」

「女好きなの?」

「いや……なんていうか……いま発情期みたいなモンで……」

「ふ、ふーん……そうなんだ」

 言ってから後悔した。アイカはそれ以上何も言わなかった。

 同じ歳で、紅子以外の女子と話すのは本当に久しぶりだ。というか、中学校に通っていたときでさえ、話した記憶がほぼ無い。

 アイカは水路で帰れるのに、わざわざ一緒に水上バスに乗ってくれた。

 ダンジョン探索の後、ニコねこ屋の車の中で紅子はまだ少し元気が無かったので、しょっちゅう「大丈夫?」とか「気にしなくていいって」と声をかけていた。ぎゅっと手を握っていたりもした。最初は若いマーメイドのバックアップなんて心配だったが、今ではアイカが同行してくれて良かった、と心からシオンは思った。紅子のメンタル面のサポート、その重要性を、やえの話を聞いてから考えるようになった。ただ強い、冒険慣れしている、それだけがパーティーに必要な力ではない。あの強かった桜さえ、彼女なりの弱さを抱えていたのだろう。だから、戦闘力で劣っても、最後までやえを必要としていた。

「シオンくんって、真面目だねー。別に挨拶なんていいのに」 

 アイカが土産の袋を見ながら言った。

「そういうわけにはいかないだろ」

「ワーキャットって、もっとチャラチャラしてると思ってたけど、ニコなんとか屋さんだっけ、バックアップの人達も真面目なかんじよね」

「ちゃんとした奴もいるよ」

「他の亜人のことはあんまり知らないんだよね。あたしたちって、ほとんどアクアリアしか知らないから」

 肩下まで伸びた髪の先を、アイカが指に巻きつけるようにくるくると弄ぶ。夕焼けの色が水路の水面に落ち、水上バスが金色の水しぶきを散らしながら進んで行く。

 見た目には普通の少女だが、巻きスカートの下からは尾びれが見える。だがこの街では珍しくないマーマンに、地元の人間は誰も気に留めない。ここでは彼女達がいることが日常の風景の一つなのだ。

「そういやさぁ、もうすぐこっこちゃんの誕生日なんだって」

「へぇ。そうなのか」

「そういやあたしも知らないや、紅子の誕生日」

「シオンくんたちって、仲間の誕生日をお祝いしてあげるような間柄じゃないの?」

「祝うもんなのか?」

「リザードマンはね、子供の時は毎年お祝いするんだけど、歳の数だけ餅を担ぐよ」

「でかいんだろ、どうせ……」

「一升餅っていって、だいたい二キロくらいかな。一歳のときは一つで、毎年一個ずつ増える。キキちゃんは今年の十二月に二十四キロ背負って歩かないといけないんだよね」

「なんかの修行か……?」

「お祝いっていうより罰を与えられてるみたいよね」

「重さが物足りなかったら餅の大きさを倍にしたりするよ」

「もう祝いじゃないだろそれ……」

「修行だね。まあリザードマンはそれでいいと思うけどさ、こっこちゃんは普通に祝ってあげてもいいんじゃない? こっこちゃんまだ十六歳だよ。祝ってくれたら嬉しいじゃん」

「そうか……いつだって?」

「八月三日だって」

「キキちゃんは十二月生まれだよ」

「そうか」

「流すな! 祝ってよぉ!」

「まだ先じゃねーか」

「それもそうか。シオンはいつ?」

「九月。オレのは祝わなくていいぞ」

「またそんな……あ! そっか! 秋生まれだから『紫苑』なの?」

「そうだよ」

 おお、とキキが声を上げる。アイカが小首を傾げる。

「なんで秋生まれだとシオンなの?」

「花あるじゃん。小さい菊みたいなの。あ、お姉ちゃんサクラだ! サクラは春生まれ?」

「うん」

「そっかー、シオンのお父さんロマンチストだなー」

 なぞなぞを解いたみたいに、うんうんとキキが満足げに頷く。

「けっこう物知ってるのね、この子」

「まあこう見えて……」

「おばあちゃんが生け花してるからね!」

 えっへんとキキが座ったまま腰に手を当て、胸を張る。

「シオンくんって花の名前なんだ。可愛いね」

「そうかな。なんか雑草っぽいやつだって姉さんが言ってた」

「そうなの?」

「男に花の名前付けるのはどうかって、父さんに文句言ってたな。しかも雑草っぽいって。父さん傷ついてたけど」

「意地悪なの? お姉さん」

「いや。姉さんは父さんに厳しかったから……。うち母さんいなかったから、母さんみたいだったな。兄さんっぽくもあったけど」

「ふーん……なんか複雑そうね」

「そうでもない。みんな仲は良かったよ」

 シオンの話し方が自然と過去形になっていることを、アイカは何も尋ねなかった。

「ね、冒険者証見せてよ」

「なんで?」

「なんとなく」

 アイカに促され、シオンは冒険者証を見せた。アイカは大きな瞳で、じっとそれを見つめた。

「……証明写真の写りいいね」

「いいとかあるのか?」

「あるでしょ。あたしちょっと目が細くなっちゃうんだよね」

「キキちゃんは口が真一文字になる」

「シオンって字、カタカナなのね」

「ほんとは違うけど、自分の字難しいって思ってるんだよ、シオンは」

「やめろ……」

「ほんとはどんな字書くの?」

「……えーと、紫に……どんな字だっけ?」

 キキが呆れた顔をした。

「バカ過ぎでしょ。紫に、新宿御苑の苑って書いてシオンって読みますって説明するといいよこれから」

「そうする。ありがとう」

「なんかしっかり者の妹みたいね」

「えへん」

「シオンくんは、九月二十日生まれかぁ」

「それ合ってないぞ。オレ、拾われてるから」

「あ、そーなの?」

「父さんが言うには生まれたてくらいだったらしいけど、その日は拾われた日だ」

 カードに書かれた日付を指さすと、へえ、とアイカが頷いた。亜人のアイカは、シオンが拾われたと聞いてもあっけらかんとしている。

「父さんと姉さんは人間だ」

「あー、なんかワーキャットっぽくないのって、それかー。ていうほどワーキャット知らないけど」

 そうだ、父さんにも土産を買って帰ろう、とシオンはすっかり忘れていた父親のことを思い出した。あれでいて寂しがりだから、たまに顔を出せば嬉しいだろうし。

「その歳でレベル11って、けっこうすごいね」

「ちょっと低迷してるけど」

 レベルの話になると、キキはピタリと大人しくなる。若年者の特例冒険者はレベルが上がりにくく、レベルが上がるような仕事も最近していないので、おそらくしばらくはレベル1のままだろう。

「ありがと」

 アイカがカードを返すと、シオンはウエストポーチにしまった。

「とにかく、こっこちゃんの誕生日よろしくね」

「分かった。……って、祝うって、何したらいいんだ?」

「人の誕生日祝ったことないの?」

「家族のしか……」

「家族と同じよ。記念になる物をあげたらいいと思う」

「……ケーキを奢ったほうが浅羽は喜ぶんじゃないか。前も釜飯すごく喜んでたし」

「釜飯?」

 アイカが顔をしかめ、キキは何故だかひどく悲しそうな顔で、ふうとため息をついた。

「ああ、土産にやったんだ。すごく喜んで、器も取ってあるって言ってた」

「……喜ぶかもしれないけど。食べ物より嬉しいものもあると思うわ」

「食べ物ならキキちゃんがあげるからさ……」

「浅羽が食べ物以上に貰って喜ぶ物ってあるのかな?」

「あるわよ!」

「あるよ!」

 両脇から怒鳴られ、聴力の良いシオンの耳にキーンと響いた。 

「……難しいな。考えとく」

「よろしくね」

 何故かアイカが真剣にそう頼んだ。



「お店の表から入って。この時間、おじいちゃんもお姉ちゃんもお店のほうだから」

 と水路からアイカが言い、そのまま家に戻って行った。シオンとキキは水路にかけられた小さな桟橋を渡り、定食屋《まなみ》の戸を開いた。

 アイカの姉のマリが出迎えてくれた。 

「あら、キキちゃん。……と、シオンくんね。アイカがお世話になってます」

 それなりに広い大衆食堂は、店内にも水路があり、その中に椅子代わりの段差と、テーブルが固定してある。尾びれのあるマーマンはそこに腰かけ、足のあるツーテールマーマンや人間は、水路の外に置かれた椅子に座り、一緒に卓を囲むことが出来る。

「ふふ、前に来てもらったときより盛況でしょう? この時間、少し混むの。良かったら、ご飯食べて行ってね」

 マリはウェーブのかかった黒髪を首の後ろで一つに結び、上半身にTシャツ、腰から下には腰巻スカートを履いている。Tシャツの裾は胸の下できゅっと絞って結び、濡れた布が下のビキニの水着に張り付いていた。アクアリアで給仕をしている女性は、大体こういう格好だ。

 隅に一つだけ空いていたテーブルに通してもらった。腰かけた真後ろが水路というのはこの魚亜人居住区アクアリアならではだ。

「本当に今日は盛況なの。狭くてごめんなさいね。キキちゃん、その服とっても似合うわ」

「いやー……あたし的にはしっくりこないかなー……」

「アイカは先に家に帰ったかしら。すぐにお店に出てくれると思うけど。そしたら相手させるわね。タズサも喜ぶわ」

「や、タズサには言わなくていい……」

「あら?」

「こら、キキ」

「だってぇー……」

「ふふ、いいのよ。ちょっとはしゃぎ過ぎてたものね、あの子。ごめんなさいね。同じ歳くらいの子供は、マーマンか人間しか知らないから。リザードマンの子を見るのは初めてだったの」

 まあキキは特殊で、同じ歳のリザードマンを見たことがあったとしても、まず見た目だけで同じ歳とは思わないだろうな、とシオンは内心思った。

「今日はこっこちゃんは?」

「留守番。勉強してんの」

「偉いわねぇ。良かったらあとでお弁当を持って行ってくれる?」

「うん。分かった。涙流して喜ぶと思うよ。ねえ、おじいちゃんとおばあちゃんは?」

「おじいちゃんは料理を作ってるわよ。おばあちゃんは一昨日から体調があまり良くなくて、病院に入ってるわ」

「そうなの? 大丈夫?」

 自分にも祖母がいるキキが、しゅんとした表情になる。

「大丈夫よ。よくあることなの。気にしないで。あなた達も、なんでも食べて行ってね。アイカがお世話になってるんだもの」

 と、メニューを渡されかけたが、その前にシオンは慌てて手にしていた袋を差し出した。

「あ、違うんです。オレはただ挨拶に……アイカ……さんに世話になってるので……」

「あら。気を遣わなくていいのに。雇ってもらってありがたいのよ。こっこちゃんたちのパーティーなら、安心できるし」

「オレたちもすごく助けてもらってます」

「そう。良かった」

 と微笑んだ後、客に呼ばれた。

「あ、はーい。ごめんなさいね。また来るから、ゆっくりしていってね」

 マリは土産の袋を片手に掲げ、浅い水路を器用にすうっと泳いで去って行った。

「忙しいときに来て、悪かったかな」

「おばあちゃん、大丈夫かなぁ……心配だよ。うちのおばあちゃん入院なんてしたことないから……」

「なさそうだな……」

「おじいちゃんはギックリ腰で入院したけど……」

「大事にしてやれよ」

「うん……ちょっとホームシックになってきたんだよね……」

 はぁ、とキキがため息をつく。強がりのキキが素直に家族と離れて寂しいと弱音を吐いたことに、シオンは少し驚いた。

 考えてみれば、キキはこれまで一族から一晩以上離れて過ごしたことがない。埼玉で一泊したのが最長だ。紅子のことばかり気にしていたが、強靭なリザードマンとはいえキキもまだ十二歳の子供だ。

 仲間のメンタル管理。長いクエスト中はそのことも考えなくてはならない。

「帰ったら電話しろよ」

「毎朝と毎晩してる。今朝はおじいちゃんもキキちゃんがいない寂しさに泣いてたよ……」

「そうか……せっかく来たし、なんか食うか?」

 シオンはメニューをキキに渡した。キキは水色のワンピースの裾から、ブラブラと足を動かしながら、うん、と頷いた。


 シオンとキキが食事を終えた頃、店の奥からアイカが顔を出した。

「どお? 夜はけっこう盛況でしょ? このシーズンは冒険者や観光客が多いからさ」

 彼女はマリと同じような恰好に、髪型をポニーテールにしていた。その髪の長さが記憶にある桜と同じくらいで、少し茶色がかった髪の色もあいまって、余計に思い出させた。

 変な顔をしていたのか、テーブルの近くまで泳いできたアイカが、ぱちぱちと目をしばたたせ、顔を覗き込んできた。

「なに? ヘン?」

「あ、いや……」

 シオンは慌てて頭を振った。

「ヘンじゃない。ちょっとぼーっとしてただけだ」

「シオンくんって、わりとぼーっとしてること多いよね」

「そうかな」

「うん。冒険の間とか、たまにぼーっとしてる」

 アイカはテーブルに片肘をつき、手に頬を預けながら、頷いた。

「あー……と、休憩の時は、極力何も考えないようにしてるんだ。物音は聴いてるけど」

「なんで?」

「そのほうが体が休まる」

「そうなの?」

「……そんな気がする。ダンジョンで気を張ってばっかだとキツいからな。だから休憩するときは何も考えてない」

「器用だねー。そんなに切り替えられるもの?」

「どうだろ……ずっとそうしてたから」

「分かっててもダンジョンでぼーっと出来なくない? シオンくんって冒険者向いてるんだね」

「それしかしたことないからな」

「ねえ、ねえ、タズサは?」

 キキが横から口を挟むと、ああ、とアイカが答えた。

「キキちゃんが来てることは言ってないよ。言ったほうが良かった? さっきご飯一緒に食べてきたの。おばあちゃんが入院しちゃって、落ち込んでるからさ。あ、おばあちゃんが入院するのはよくあることなんだけど。あの子、特におじいちゃんおばあちゃん子だからね。両親と話したこともないから」

「そっかぁ……」

 最後に残しておいた魚の頭にかぶりと噛みつきながら、キキは神妙な顔つきになった。

「せっかく来たし、遊んでやろっかな……」

「あ、そうしてくれる? 一気にテンション上がると思うから」

「うん」

 頷き、キキはおしぼりで口許をきゅっきゅと拭いて、ぴょんと椅子から立ち上がった。

「うち、分かる?」

「分かる!」

 と言い、一切遠慮なく、ずかずかと店の奥に入って行った。

「いいのか?」

「マーマン以外は店の奥通らないと入れないんだよね、うち」

 アイカはそう言って、シオンの向かいで頬杖をついたままだ。

「店、手伝わなくていいのか?」

「うん。お姉ちゃんテキパキしてるし、人気者だからさ。お姉ちゃんが給仕したらみんな喜ぶもん。せっかくシオンくん来てるしね。なんか、こうしてじっくり話すことってないじゃない? せっかく一緒に冒険してるのに」

「そうか」

「そうかって、どういう返事よ」

「コラ、アイカ。サボってお客さん困らせてんじゃねえよ」

 と、アイカの背後にいつの間にか老マーマンが立っていた。

「あ、おじいちゃん」

「真波政市です。小野原さん、孫娘が世話になっております」

 小柄だががっしりとした体躯の老人が、短く刈った白髪頭を深々と下げる。マーマンらしく、Tシャツから日焼けした腕が覗いている。多くの男マーマンがそうであるように、彼には二本の脚があった。

 シオンも慌てて立ち上がり、頭を下げた。

「こちらこそお世話になってます」

「いやいや、頭なんて下げないでください」

「そーだよ。楽しくやってるもん」

 アイカがあっけらかんと言うと、政市が窘めるようにじろりと睨みつけた。

「ったく、お前は……」

「分かってるよ。ちゃんと真面目にやりますって」

「ほんとに助かってます。うちの仲間も励まされてるし」

「だといいんですが」

 深い皺の刻まれた顔に、苦笑いを浮かべる。

「アイカから色々聞いてます。ずいぶん腕の立つ冒険者さん方で、先日はハルピュイアイを駆除してくださったとか」

「ああ……探索中にたまたま見つけたんで」

「助かりますよ。奴ら繁殖力が強くて、メロウなんかよりよっぽど好戦的でして。地元民や観光客が、毎年何人か犠牲になるんですわ。探索かぁ、俺がもう少し若けりゃ力になるんですが。昔は俺も家内も冒険者さんと潜ってたもんです。これの姉も海は慣れてるんですがね、いかんせん嫁入り前でして」

「あたしだって嫁入り前だけどね」

「お前はもう少しおてんばを直すこったな。男の一人も連れてきたことがねえんだからよ」

「あたし、マーマンと結婚する気ないもん」

「生意気な娘でして」

 と半笑いを浮かべつつ、政市は軽く会釈をした。シオンももう一度頭を下げた。

「すみません。忙しいときに来てしまって……」

「いやいや! いつでも来てください!」

 繁盛している店の中で、店主を引き留めるのは気が引けたが、気になってシオンは尋ねた。

「あの、この辺りではもう魔石は採り尽されてるって聞いたんですが」

「あー、まあ、昔からトレジャーハンティングのスポットですからね」

「でも、オレたち鏡ヶ浦残響洞で、妖刀を見つけたんです。仲間のシャーマンが言うには、けっこう強力なやつみたいで。そういうの、まだ残ってるもんなんですか?」

「へぇ、そんなものが」

 政市が目を見張った。

「まあ、海の中ですからね。潮に流されて、変わったものが大量に見つかることはありますよ。鏡ヶ浦残響洞か。あの辺りは、けっこう澱む・・からなぁ」

「澱む?」

「潮の流れが複雑だったり、ゴーストやモンスターが集まりやすかったり、要因は色々でしょうが、事故や死人がよく出る場所は、魔素が澱むんですわ。シャーマンじゃなくてもね、なーんか嫌なかんじがするっていうか。でもトレジャーハンターはそういう所をかえってアタックしたがりますけど。人が行きたがらない場所ほど人気なんですわ。地元民は行きませんよ。だから毎年トレジャーハントに来た方が、巣作り始めたハルピュイアイに遭遇っていうのは、まああることですわ。下手打ってヤラれちまうことも多いから、シーズン前に地元の冒険者がパトロールして駆除もするんですが、このあたりは冒険者の数が足りてないもんで」

「そうなんですか」

「若い人は東京行っちゃうもんね」

 そういえば、千葉の冒険者であるリザードマンの鷲尾から、観光シーズン前には海側でモンスター駆除の仕事が多いから稼げると聞いたことがある。仕事に困ったら遠征しようと思ったことがあったのだった。

「トレジャーハントだってどんどん減ってるわよ。ここらじゃもう何十年も大したもの見つかってないもん」

「まあ、この娘の言う通りですわ。トレジャーハントで賑わっていた頃は、モンスターも少なかったもんです。いまじゃ館山の歓楽街に行くお客ばっかりで。残響洞あたりでは最近目立った事故もないもんで、シーズン前の駆除対象になってなかったんでしょうな。なんせダンジョンの数が半端ないもんで」

「たしかに、最奥のハーピィの巣以外は、道中にゴーストが少しいるくらいだったな」

「あのへんなんか、もうずっと昔に採り尽されてる場所だもん」

 そういえばハイジが、妖刀に呼ばれたのかもしれないというようなことを言っていた。妖刀があったあの場所は、一見するとただの湖だった。

「洞窟の中の湖みたいな場所の奥に、子供じゃないと入れないような小さな路があったんだ。うちはキキがいたから、潜って探せたけど」

 体躯の良い冒険者はもちろん、マーマンであっても大人では入り込めない場所だ。

 キキがいたからたまたま手に入った。そう思うのは間違いで、自分が認める使い手が手にするまで、誰の手にも渡らないように、あそこでひっそりと待っていたのかもしれない。誰にも見つからないように。そんなバカなことがあるかと、以前のシオンなら思っていただろうが、今は違う。

 強い力を持つ道具も、それに見合う持ち主を求めているのかもしれない。


 だとしたら、魔石なんてもっとそうなんじゃないか?

 ましてや、それは元々、浅羽家のものだ。


「海中ダンジョンにはそういうとこってけっこうあるよ」

 アイカが言った。

「タズサのほうが役に立つかもね」

「でも流石に危険だから」

「キキちゃんはいいの?」

「キキはあれで一応冒険者だし。特例だけど」

「タズサも早くダンジョンに潜りたいって言ってるけど、おじいちゃんが嫌がってるのよね。あの子いま小学六年生だから、来年には資格が得られるの。あたしやお姉ちゃんのときもそうだったけど。でもいつかは潜るんだから、いいと思うのよね」

「いや、まだ早い」

「これなのよ」

 ぶすっとする政市に、アイカが呆れたように嘆息した。

「ま、もちろん危ないんだけどね。そうも言ってられないじゃない。あの子冒険者志望だから。将来的に冒険者になりたいなら、どうせ危ない目に遭うんだもん。なら慣れた地元で経験積もうって子は、けっこういるのよ。小遣い稼ぎにもなるし。おじいちゃんの時代みたいに観光客もわざわざ宝探しに来る冒険者も減ってるんだから。モンスターは増える一方だしね」

「だから危ないんじゃねえか」

 話を聞いていると、彼女達は若いうちから生活の為に海に潜るのが当たり前のようだ。それは金のためでもあるし、自分たちの住む場所を守るためでもある。

「こういう片田舎に住むってのは、そういうことじゃない。モンスターは増えてくけど、人も亜人もいなくなってくでしょ。便利で安全なところでみんな暮らしたいもの」

「だからアイカは東京に行きたいのか」

「そうよ。だからお金貯めたいの。最後まできっちり雇ってね。がんばるから」

「すいません、本当に生意気な娘で」

「それさっきも言ってたよ」

 じろっと政市がアイカを睨む。アイカは気にしたふうもない。

「おじいちゃん! ごめんなさい、そろそろ」

 別のテーブルからマリが声をかけてきた。一人で注文を取って、料理を作って、出していたようだ。

「おっと。それじゃ、ゆっくりしていってください」

 政市の声に、シオンは慌てて顔を上げた。

「あ、はい」

「アイカ、迷惑かけんじゃねえぞ」

「はぁーい」

「ていうか、店を手伝え!」

「後でねー」

 ったく、と呟きながら、政市が去って行く。なんだかんだ言いつつも、孫娘には弱いようだ。

「優しそうなおじいさんだな」

「うん。なんだかんだね。あたしたちみんな甘やかされてると思う。特に一番ちっちゃいタズサには甘いの。あの子は親の顔も知らないし」

 キキと同じだ。境遇が近いから仲良くすればいいのにとは思わないが、タズサには好かれているようだから、もっと歩み寄ってみればいいのに。リザードマン族であることを誇らしく思うのは良いが、そのせいでちょっと他の亜人を見下してるところがある。

 アイカは頬杖をついたまま、シオンの顔をじっと見つめた。

「ね、ちょっと気になってたんだけど」

「ん?」

「ハイジさんとかいるのに、どうしてシオンくんがリーダーなの?」

 もっともな疑問だ。

「それは……ハイジがオレたちに同行してくれたようなモンだから」

「ハイジさんってガルーダよね。けっこうすごいシャーマンなんでしょ? 普通雇えないよね? 一緒にいてくれるって、すごいことなんじゃない?」

「いや、ハイジはオレの姉さんの仲間だったんだ。だからじゃないかな」

「シオンくんってさ」

「ん?」

「お姉さんの話するとき、過去形だよね。そこ、聞いてもいいとこ?」

「かこけい?」

「……えっと、昔の話するみたいになってるよね?」

「ああ、そういうことか。別にいいぞ」

「亡くなったの? お姉さん」

「死んだのか、行方不明なのか、まだ分からない。だから手がかりを探してる」

「そう。見つかるといいね」

「うん」

「ごめんね、簡単に聞いといて、大したこと言えなくて」

「別に気にしてない」

「そう?」

「ああ。死んでるとか、生きてるとか、そんなの関係ない。それにオレは、気を遣われるよりは普通に姉さんの話がしたい」

「お姉さんのこと、好きなんだね」

「ああ」

「素直だね」

 少し驚いたようにアイカが言った。

「そういうの、男の子ってあんまり言わないもんだと思ってた」

「今だからだ。サクラと話せるうちには、そんなこと一度も言えなかったから」

「後悔してるの?」

 もう一度頷く。

「だから、次に会ったらちゃんと言いたいんだ。明日も会えるなんて、今のオレなら絶対に思わないのに。あのときは、それが当たり前だと思ってた。明日も会える。話せる。そんな日が、ずっと続くって。でも、そうじゃないんだ」

 桜を失って、冒険者になって、目の前で誰かが死ぬこともあった。さっきまで話していたのに。ハイジも、やえも、そうだ。当たり前のように続くはずだった未来を断ち切られて、今も忘れられずにいる。

「だから、なるべく後悔したくない」

「そっか。シオンくんには、目的があるのね。お姉さんを探すっていう。……それって、すごく大事なことだよね?」

「ああ」

「じゃあさ、シオンくんが探しているものと、こっこちゃんが探してるものは、違うわけじゃない? こっこちゃんの為に冒険してて、いいの?」

「それは、そうするって決めたから」

「でも、それがこっこちゃんにはプレッシャーなのかもしれないよ。だってシオンくんの時間を、奪ってるわけじゃない?」

「……別にそんなことないけど」

「シオンくんはそう思っても、こっこちゃんは思うんじゃない? 優しくされたらされただけ辛いときもあるって」

 アイカの言いたいことがよく分からず、シオンは顔をしかめた。

「厳しくしろって言うのか?」

「そうじゃないけど。こっこちゃんは今すごく辛いんじゃないかって、思っただけだよ」

 確かに、どこにあるかも分からない魔石を闇雲に探し続けることを考えたら、気が遠くなるので、シオンはあまり考えないようにしている。コツコツ探すしかない。シオンは冒険者の仕事に慣れているから、それほど苦ではないのかもしれない。でも、紅子にしてみれば途方も無く感じるだろう。

「浅羽は、本当は冒険者に向いてない」

「そうかもしれないけど、それは本人には言わないほうがいいよ」

「そうする」

「何か手がかりだけでも見つかるといいね」

「そうだな。何もなくても、仕方ないとは思ってるけど。浅羽が言ってる魔石っていうのが、まあ三年で一つ見つかればまだマシなほうかなとオレは思ってる」

「気ぃ長っ!」

 アイカが目を見開き、顔をひきつらせる。

「今のままだったらな」

「今のままじゃなくなること、あるの?」

「浅羽は本当にすごいソーサラーだから」

 彼女が求める以上、いずれ見つかるものなんじゃないかと、漠然とだがシオンは思っている。確証はないけれど、ハイジもそう思っているから黙って付き合っているのだろうし、透哉ももう止める気はないのだろう。

「こっこちゃんがすごいソーサラーかぁ。そんなふうには見えないけど」

「見えないけど、オレたちはみんな知ってる。多分一緒にいたら、そのうち分かる」

「ふーん」

 あまり信じていない様子で、アイカが頷いた。




 その日、アイカの祖父も姉も食事の代金をかたくなに受け取ってくれず、挨拶に来たのにただ飲み食いしに来ただけになってしまった。

「かえって気を遣わせてしまった……」

「いいんじゃない?」

 ようやくいつもの服装になったキキが、水上バスの中で足をブラブラさせながら言った。そしてふわあと欠伸をつく。もう十時を回っている。普段のキキならもう眠る準備をしている頃だ。

「帰っておじいちゃんとおばあちゃんに電話して、お風呂入って……」

 うつらうつらとしながら、キキが呟く。

「シオンもさぁ、たまにお父さんに電話しなよ」

「たまにしてる」

「もっとだよ」

「そうだな」

 シオンも父も冒険者だ。明日会えなくなるかもしれない。ホテルに戻ってからシャワーを浴びて明日の準備をした後でも、いつも夜更かしの父親なら起きている時間だ。もし電話に出たら、今の冒険のことや、やえに会ったことも話そう。何かアドバイスもくれるかもしれない。そうでなかったとしても、声を聞けば多分ほっとする。キキにとっては祖父や祖母が、紅子にとっては透哉がそうであるように、シオンもやはり帰る場所として思いつくのは、父親がいる場所だ。

「この旅が終わったら、実家に顔だそうかな」

 ぽつりと呟くと、

「そうしなよ」

 とキキから返ってくるかと思ったが、見ればシオンの肩にもたれかかって、ぐうぐうと寝息を立てていた。


 水上バスの開きっぱなしの窓からは強めの夜風が吹きつけてきた。空を見上げると珍しく雲一つなく星が瞬いている。天気の悪い日が続いていたが、明日は晴れそうだ。それに暑くなると天気予報で言っていた。

 もうここにもあと三日ほどしかいられない。今回成果が得られなかったとしても構わないとシオンは思っている。だがアイカの言うように紅子は責任を感じて落ち込み、また泣いてしまうかもしれないなと思った。

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