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迷宮のドールズ  作者: オグリ
三章
66/88

マーメイドの娘

「おかわり!」

 茶碗を突き出しながら、キキが声を張り上げた。

「あたしのじゃないよっ、紅子の!」

「……は、恥ずかしい……」

 紅子は顔を赤らめ、俯いた。

「おう、食え食え! 食いっぷりの良い娘さんだ」

 ちゃぶ台を挟んで、老マーマンの男性が大声で笑う。ハーフパンツから覗いているのは鱗とヒレの生えた二本の足だ。男性のマーマンは基本的にツーテール――足がある。

 かつてマーマンたちは海で暮らしていたが、海は陸よりも多様なモンスターがいて、あまりにも生存競争が激しかった。やがて彼らは生息域を陸上に求め、その形状も進化していった。水際で暮らすマーマンたちは、男は陸上で活動出来るように尾びれが足となり、水中で子供を産み育てる女には、尾びれがそのまま残った。

 しかし男でも尾びれを持つ先祖返りや、人間と交配を繰り返した結果、女でもツーテールが産まれることもある。

 マーマンはかつて亜人十二種族に数えられていなかった。環境適応力が高く、驚くべき進化速度で陸上に上がってきたマーマンたちは、その生息域が海であったころはモンスターとして扱われ、人を海に引きずり込み貪る魔物として船乗りたちに恐れられていた。海には未だに彼らの獣堕ち――メロウが多く生息している。獣堕ちは、人と共存するという進化を拒んだ者たちでもある。

 ともあれ人間や他の亜人に害意の無い種族として受け入れられたのは、それほど古い時代の話ではない。


 ……と、歴史の授業で習ったとは思うが、紅子は歴史が古典の次に苦手な教科なので、その知識に自信は無い。この前のテストも赤点スレスレで、「おかしいな。一族の誰に似ても馬鹿にはならないはずなのに」と、透哉から本気で首を傾げられてしまった。


「そんだけいっぱい食ってくれると、気持ちがいいな!」

 肌はよく陽に焼け、白い髪を短く刈った老マーマンが、嬉しそうに言った。

 彼は麻梨まり愛加あいか多寿沙たずさたちマーメイド三姉妹の祖父で、真波まなみ政市まさいちという。紅子とキキが訪れた定食屋《まなみ》の店主でもある。

「すごく美味しそうに食べるのねぇ」

 と言ったのは、三姉妹の祖母で、政市の妻である老マーメイドだ。彼女は露子つゆこといった。

 老いているといっても女性の美しさで知られる彼女たちは、歳を重ねてもその美貌は衰えていない。プールの中の椅子に腰かけ、おっとりと微笑むこの老女も、品の良さげな貴婦人といった風情だ。薄手のガウンのような涼しげな衣装を身に着け、ひらひらとした裾と共に透き通った尾ヒレが水の中に広がっている。

 男は二本足、女は尾びれという形状であるため、マーマンたちの家は部屋の半分がプールとなっている。彼らが言うには尾びれは乾いても問題無いが、やはり水の中のほうが負担が少ないようだ。

「政じいちゃんの料理、ウマイな!」

 キキが焼き魚を骨ごとバリバリ噛み砕きながら、満足げに言った。

「だっておじいちゃん、東京で板前さんの修業したことあるんだよ。居住区アクアリアに戻って定食屋を開いたの」

 キキの食べっぷりを楽しげに眺めながら、タズサが言う。

 マーマンは男が進んで料理をする。単純に水の中で暮らすマーメイドたちは、火を扱うことが不得手だからだ。彼らは掃除や洗濯などもある程度自分でこなす。結婚していても男女はそれぞれの生活をしていることが多い。

「サムにはマーメイドとの恋愛はムリそーだな……」

 魚の頭を噛み砕きながら、キキは呟いた。

「うちのおじいちゃんは、おにぎり一つ握れないよ。ぎゅーってし過ぎて石みたいなの出来ちゃう」

「リザードマンのおじいちゃん会ってみたーい。すっごく大きいんでしょ?」

「ふふん。キキのおじいちゃんはめちゃくちゃ大きくて立派だよ。リザードプリンセスのおじいちゃんだからね、まぁリザードキングってやつかな」

「すごーい! ねえねえ、キキちゃんのおじいちゃんはどんな鱗の色してるの?」

 プールのへりから身を乗り出し、タズサはキキとのお喋りに夢中だ。両親がおらず祖父母に育てられたという境遇が同じため、最初はタズサを避けていたキキも、すっかり気を許したらしい。

 タズサはキキの言うことを何でも「すごいすごい!」と言って聞いている。キキには気分が良いだろう。お友達が出来そうで良かったと紅子は思った。

「ごちそうさま! 政じいちゃんありがと! 久々にバリバリ出来てキキちゃんの顎も満足……」

 キキがきちんと手を合わせて、ぽこりと頭を下げる。政市がはははと、露子がうふふと笑った。

「キキちゃんは礼儀正しいのねぇ。おうちで立派な教育をされてらっしゃるのね」

「さすがリザードマン一族の長のお嬢さんだな」

「えへん」

 キキが偉そうに胸を張る。ここに他のパーティーメンバーがいたら顔をしかめていただろうが、誰も突っ込む者はいなかった。

「ね、早く遊ぼう。キキちゃんもこっちおいでよ。お水汚くなんかないから」

「え」

 タズサがプールの中から腕を伸ばし、キキの腕をぐいぐいと引っ張った。

「うおっ、タズサ力強いな、けっこう……」

 マーメイドたちは水中と陸上の両方の環境で過ごしているため、身体能力が高く、筋力も強い。海で冒険者たちの手助けをするマーマンたちは、その大半が女性である。

「あ、あたしはいいよ。水着持ってきてないし……」

「そんなの、わたしの貸してあげるよ」

「いやいやいや、いいよ、いい。庶民の服はキキちゃんのお肌に合わないから……」

 筋金入りのジジババっ子であるキキは、政市と露子には遠慮がちだ。彼らに庶民という言葉が聞こえないよう、一応は配慮しているのか、キキが小声でタズサに耳打ちする。

「じゃあ一番お気に入りのワンピ貸したげる。〈エリーデル〉のワンピ、買ったばっかだよ。この前のバーゲンで半額だったからお姉ちゃんが買ってくれたの」

「半額でも高かったけどね……まあバーゲンのときくらい、いいけども……」

 にこにこと話を聞いていたマリが、ぼそっと言った。女の子が三人もいると、お洋服代とかも大変そう、と紅子は思った。特にマーメイドは可愛くてお洒落好きな子が多いから、紅子のように安売り衣料品店のワゴンセールのお得意さんというわけにもいかないのだろう。

「あー、そういうフェミニン系はキキちゃんの好みじゃないっていうか……」

「もしかしてキキちゃん、泳げないの?」

「泳げるわい! キキちゃんのリザード泳法は海中に沈んだ妖刀を持ち帰れるほどの……」

「すごーい!」

「……なんかアンタ適当に聞いてない?」

「ねぇねぇ、キキちゃんのその服って、〈アリスヴェロニカ〉? いいなぁ、すっごく高いよねぇ」

「キキんち来たらいっぱいあるけど……」

「いいなぁ! ゴスロリって可愛いけど、高いんだもん。マーメイド用なんて、耐水魔糸製だからもっと高くて絶対に買えないもん」

 羨望の眼差しを向けるタズサを、キキはふんと鼻を鳴らしながら見やる。

「あたしは火にも水にも強い最高級品しか身に着けない主義だけど、替えは持って来てるから、別に貸してやってもいいよ」

「ほんとっ? じゃあお洋服取り替えっこしよ! ねぇ、タズサの部屋来てよ!」

「いててててっ! 引っ張るなぁ!」

 キキの腕を掴んだまま、家の中を水路を泳いで移動しようとするタズサに、キキは怒鳴った。




「そうなの、学校に行きながら、冒険者をやっているの……大変ねぇ」

 紅子の話を聞いたマリが、ほうと息をつきながら言った。

 冒険者をやっていて、夏休みを利用して千葉にやってきた、と簡単に説明した。一族に伝わる〈たからもの〉を探しているとは言わなかったが、力のある魔石を探しているとは言った。

 地元の人から、何か情報を得られないかと思ったのだ。

「魔石か……まあ簡単に行けるようなダンジョンは、なんもかんも採り尽くされてるからなぁ」

 顎に手を当てながら、政市が言った。

「そのへんはばあさんやマリのが詳しいぞ。ばあさんは昔、海女さんをやりながら、冒険者のバックアップもしてたからな。マリもそうだ」

「そうなんですか」

「ええ、アワビやテングサなんかを獲っててね。私が海に潜ってた頃は、もっと景気が良かったわねぇ。たくさんの冒険者がこのあたりにやって来て、館山の歓楽街なんて大賑わいだったし。漁が出来ない時期は、彼らのお手伝いをしてたわ。もっとも、慣れない海のダンジョンではたくさんの冒険者が死んでしまって、あまり楽しいお仕事じゃなかったわね……」

 水の中で椅子に背を預けながら、露子が懐かしげに目を細めた。

「海辺のダンジョンには魔素がよく溜まるのよ。魔石といえば、高名な魔道士の方もよくいらしてたわね」

「ええっ、そうなんですか?」

「魔石の研究をしてるっていう方をご案内したこともあるわ。紅子ちゃんのように、魔石を探しに来たのかと思って、そう尋ねたら、『探すんじゃなく、隠すんだ』って言ってたわねぇ」 

「か、隠す……?」

 その言葉に、紅子はどきりとした。

 ダンジョンに隠された魔石の伝説――そんなものはありふれていると、透哉も師匠の草間も言っていた。それほどによくある話なのだろうか。

「そう。魔石に宿る魔力を高めるために、適した場所というものがあるんですって。幾つかのダンジョンをご案内しただけで、結局何処に隠したのか、それは教えてもらえなかったけれど。そういうことは何度かあったわねぇ」

「実際に、後になって見つかった例もある。隠した者が何らかの事情で回収できずに時が経ってな。何十年か前にも、貴重な魔石が偶然見つかったんだ。トレジャーハントをしている冒険者が発見した」

「そ、それって、どんな魔石だったんですか!?」

思わず紅子はちゃぶ台に身を乗り出した。

「えーと、たしか、強い魅了の力を持った石じゃなかったかしら?」

 マリの言葉に、それなら自分が探しているものとは違うだろうと、ひとまずほっとする。

「それが新聞やテレビのニュースで広まってよ。その年は我もと冒険者がわんさか押し寄せたもんだ」

「今でも紅子ちゃんたちみたいに、そんな隠された宝を求めて、トレジャーハントしに来る冒険者が多いのよ」

 マリが言った。言われてみれば、ホテルでも明らかに同業者であろう者達をよく見かける。

「バックアップが必要なら、良かったら手助けするわ。キキちゃんにはタズサと遊んでもらっているし」

「えっ、そんな、ありがたいですけど……」

「お金なんていいのよ。タズサすごく喜んでるもの。両親の顔も知らない子だから、つい私たちも過保護になってしまうの。あの子と仲良くしてもらえると嬉しいわ」

 無償でいいとは魅力的なワードだ。が、紅子は首を横に振った。

「わ、私一人じゃ決められないです。ええと、リーダーは小野原くん……ワーキャットの男の子なんですけど」

「ああ、あの可愛い子。今日は一緒じゃないのね」

「いま、出かけてて……」

「マリ、俺はそろそろ店のほうを開けてくっから。紅子ちゃんたちにはゆっくりしてもらいな」

「あ、ごめんなさい、おじいちゃん」

「いいさ、どうせこの雨じゃ客なんてほとんど来やしねえし、レストランや洒落たカフェにずいぶん客も取られちまってるしなぁ」

「美味しいのに……」

 たっぷり食事をさせてもらった紅子は、心底そう呟いた。味も量も申し分ない。アクアリアにやって来た観光客は、地元の定食屋でわざわざ食事など取らないのだろう。冒険者を相手にするにしても、薄味なのが彼らの好みではないのかもしれない。

「紅子ちゃんたちのお陰で、今日仕入れたぶんが無駄にならなくて済んだぜ」

「あの、ちゃんとお金払います」

「いいさ。そのままにしといても、この季節じゃ腐らすだけだ」

「昔はお店も繁盛してたんだけどねぇ」

 悲壮にならないようにか、微笑みながら露子が言った。

「なに、もう少しすりゃ、もっと多くの冒険者がやって来る。その時期には店を閉めちまうんだよ。そんときゃ俺もバックアップのバイトをすんのさ。店を開けてるよりそっちのがよっぽど実入りがいいっつーのは、悲しい話だけどな」

 あくまで明るく、政市も笑って言った。亜人たちと触れ合ってきた紅子が思うのは、彼らはあっけらかんとしていて、強いということだ。仕方ない、という状況を、後ろ向きにではなく、前向きに受け止めている。

 そんなとき、水路をすうっとマーメイドが泳いで、居間にやって来た。

「あー、もう、タズサがうるさいから、ぜんっぜん勉強になんない」

 顔をしかめ、肩まである濃い茶色の髪を掻き上げる。

「アイカ。紅子ちゃん来てるわよ」

「紅子ちゃん?」

 まるで以前からの友達のように、マリが妹にそう言う。ますます顔をしかめるアイカに、紅子はやや緊張しつつ、ぺこっと頭を下げた。

「こっ、こんにちはっ」

「……ああ、タズサの友達とおんなじパーティーの?」

「あ、浅羽紅子ですっ! 家族や友達はこっこって呼びます!」

「ふーん」

「アイカ、ご飯は?」

「ダイエット中だからいい。アイスちょうだい」

「そんなもんじゃ頭に栄養入んねえぞ」

「暑いんだもん」

 冷蔵庫の傍まで泳いで行って、プールのへりに腰かけると、腕を伸ばして冷蔵庫を開ける。マーマンの家は、水路に添って家具や生活家電が配置されている。

 アイカは棒つきのアイスキャンディーを二本取り出し、紅子を振り返った。

「こっこちゃん、食べる?」

「あっ、食べます!」

「なんで敬語? 同じ歳くらいだよね?」

 アイカは袋を破って取り出したアイスキャンディーを口に咥え、一本を手に持ったまま泳いで紅子の傍までやって来た。

「紅子ちゃん、ゆっくりして行ってね。アイカ、私とおじいちゃんはお店のほうに行くから」

「ほーい」

 マリの言葉に、アイカがアイスキャンディーを舐めながら答える。

「私もそろそろ、部屋で休もうかね」

「そうね、おばあちゃん。お天気も悪いし、少し横になって」

 露子も椅子から腰を上げた。その体をマリが支え、彼女は紅子のほうを見てにっこり微笑んだ。

「紅子ちゃん、ゆっくりしていらしてね」

「あ、は、はいっ!」

 そういえば、マーメイドたちは水中で過ごすことが多いが、眠るときは人間のようにベッドで眠るという。この前の冒険者博で、マーマン用の簡易ビニールベッドを見かけたことを紅子は思い出した。美しいマーメイドがゆったりと寝そべっている写真が一緒に飾ってあった。

 マーメイドたちはワーキャットの女性たち同様に、みな整った顔立ちをしている。アイカたち三姉妹もみんな美人だし、祖母の露子も若い頃は相当に美人だったのだろう。


 居間でアイカと二人きりになってしまった。人見知りなほうでは無いが、同世代の亜人の少女と話すのは初めてで何故か緊張する。

 何を話そうかなと、アイスキャンディーの袋を開けながら、紅子は話題を探していた。

 するとプールのへりから身を乗り出し、アイスキャンディーを舐めていたアイカが、じっと紅子の顔を見て、言った。

「こっこちゃんって、何歳?」

「あ、高二……」

「一緒だ。こっこちゃんってさぁ、めっちゃ可愛いよね」

「えっ!」

 いきなり容姿を褒められ、ソーダ味のアイスにかぶりつこうとしていた紅子は、びっくりして顔を上げた。

「みきりんに似てない?」

「ど、どなたで……?」

「テレビ観ないの? でも東京の子ってもっと派手かと思ってた。化粧しないの?」

「えー……私は冒険者だし」

「関係なくない?」

 アイカはアイスキャンディーを持っていないほうの手で、髪をかき上げた。腕にキラキラと光る石を繋げたブレスレットをしている。アミュレットかな? 冒険者博でも売っていたけれど、実用性を重視したものが多かったから、あまり欲しいと思わなかったのだ。こういうの可愛いなぁと思いながら、紅子がアイカのほっそりした腕を見ていると、

「学校でモテるでしょ?」

 といきなり尋ねられた。

「も、モテないよ! うち女子高だし……」

「うちも女子高だよ。あの子ってカレシ? ワーキャットの。溺れた子」

 思わずアイスキャンディーを落としかけた。

「かかかかかかかかれしなんてっ!」

 すぐさま紅子はぶんぶんぶんっと首を横に振る。

「違うの?」

「とんでもないっ! 違います違いますっ!」

「じゃあロングコートの男の人? げえげえ言ってた。違うよね。タズサはあの人カッコいいってずっと言ってたけど」

「違う違うっ!」

「あと……もう一人いたよね、ムスッとしてた……あの人、女の人じゃないよね? 線が細いかんじの」

「違うって! カレシなんていないよ!」

「でもパーティーに女の子いたら普通その中にカレシいない?」

「別にそんなの普通じゃないよぉ!」

「そうかなぁ。じゃあ、なんでわざわざ同じパーティー組んでんの? 同じ歳くらいの男の子と一緒って危なくない?」

「そ、そんなことないよっ。小野原くんはいい人で……!」

「そんなわけないんじゃない? こっこちゃんに下心持ってるんじゃない?」

「そんな人じゃないよぉ! 私は持ってますが……」

「下心?」

「少し……」

 紅子がてへへと笑って俯く。アイカは眉をひそめたが、それ以上その話題には触れなかった。

「でもさぁ、ワーキャットってみんなカオ似てない?」

「似てないっ! めちゃくちゃカッコいいよ!」

 がばっと再び紅子が顔を上げる。

「うちらが中三くらいんときにワーキャットばっかのアイドルグループいたよね。なんだっけ。最近観ないけど」

「あっ、私好きだったよ!」

「なんかさぁ、みんな同じ顔に見えたんだけど」

「そんなことないよ! こっこはアオイくんが一番好きだった……」

「ぜんぜん分かんない。あの子、名前なんていうの?」

「アオイくん?」

「アイドルじゃなくて。こっこちゃんのパーティーのワーキャットの子」

「小野原くん? 小野原シオンくん。こっこと同じ歳で、知り合ったきっかけは中学一年生のとき席が隣だったことで、今は冒険者やってて、戦士ファイターでレベル11で、誕生日は九月で乙女座だっていうのが最近分かったの」

「ぜんぜん聞いてないよ」

「だからいつも誕生日占いは獅子座と乙女座二つとも見てるんだ……」

「ふ、ふーん……ごめん、さっきモテそうって言ったの取り消すね。こっこちゃん獅子座なんだ。じゃあ、もうすぐ誕生日?」

「うん! 八月三日!」

「シオンくんはそれ知ってんの?」

「へ?」

「誕生日、教えとけば何か貰えるんじゃない?」

「あああああ……! アイカちゃん、天才……?」

 紅子はがっしとアイカの手を掴んだ。マーメイドの手はひんやりと柔らかく、水餅のようだと思った。

「思いつかなかったの?」

「欠片も思いつきませんでした……しかし思いついたところで問題は、それをさりげなく話題に出す話術がこっこにあるかどうか……」

「大げさね……。あの子に言ってもらえば? タズサが連れてきた、偉そうなゴスロリっ子」

「キキちゃんに?」

「小さい子が言えばわざとらしくないじゃん」

「アイカちゃんは策士ですのう……」

「なにその口調……」

「でも……小野原くんやみんなが私の為に頑張ってくれてるときに、こっこは自分の誕生日をアピールすることに頭いっぱいでしたなんて、あまりにも最低じゃないかな……?」

「それとこれとは別じゃない? 冒険は冒険で頑張れば。ていうか、こっこちゃんの為にみんなで千葉に来たの?」

「あ、うん。魔石を探してて。私、魔道士ソーサラーなの」

 さっきマリやその祖父母に話したようなことを、同じようにアイカにも説明した。

「魔石かぁ。たしかに探しに来る冒険者いるよね。そこらへんにゴロゴロしてるもんなの?」

「う、うん……たぶん……どっかにはあると思う」

「曖昧だね」

「すいません……」

「その話聞いたら、お姉ちゃんなら『手伝う』って言ったんじゃない?」

「うん。言ってもらった……」

「手伝ってもらったらいいじゃない。なんなら、あたしやろうか? バックアップ」

「えっ!?」

「出来るよ、あたし」

 あっけらかんとアイカが言う。彼女はプールの中で鮮やかな青緑色の尾びれをゆらゆらと揺らした。

「ダイバーかマーマン以外に、海中ダンジョンって行けなくない? 探してる魔石、海の中に落ちてるかもよ」

「そ、それは困るよぉ……」

「でしょ? 大丈夫、経験あるから。うちもあんまり裕福じゃないからさ、お姉ちゃんは普段はおじいちゃんのお店手伝ったり、アワビ採ったりしてるけど、冒険者の資格も持ってるし、それを生かしてバックアップの仕事もしてんの。これからは忙しくなる時期。あたしも夏休み中はバイトするよ。お金欲しいし」

「そうなんだ! アイカちゃんも冒険者?」

 同じ歳の女の子冒険者と出会うのは初めてで、紅子はぱっと顔を輝かせたのだが、アイカはあっさり首を振った。

「違うよ。でも資格は一応持ってる。海蝕ダンジョン限定のだけどね。高校生以上のマーマンなら簡単に取れるよ。バイクの免許みたいなもん。みんなそれで夏休みアルバイトしたりしてるよ」

「へー」

「海中ダンジョンには何にも無いけど、探索に来た冒険者の代わりに潜ったり、案内したり、そういうバイトってまあまあお金になるから」

「偉いねぇ」

「高校卒業したら東京に行きたいんだよね。その頃には《お台場アクアリータ》が出来てるから」

「あっ、お台場に作ってるっていう、マーマンの居住区だよね!」

「そうそう。居住区の中に新設の大学も出来るの。マーマンも通えるとこ。そこ受けたいんだ。ちょうど一期生になるし」

「へー。新しい大学かぁ」

 いまは家計が大変なので、大学に行くという考えは無かった。行ったところで、やりたいことも目標も無い。いまやらなければならないことを考えるので、頭がいっぱいだ。

「受かるか分かんないけど、受かったら東京で遊ぼうよ」

「うん! 遊ぼう!」

「アクアリアにいる間は、あたしが案内したげる。しばらくいるんでしょ? 東京の話も聞かせてよ、こっこちゃん」

「うん!」

 アイカがにこっと笑う。

 紅子も初めて出来た、同じ歳の亜人の友達に、満面の笑みを返した。




「――ってわけでさぁ~……まいったよもう、あの女しつこくてさぁ」

「なんだその女性に付きまとわれて困っちゃうモテ男みたいな発言は……」

 げんなりした顔をするキキを、蒼兵衛が顔をしかめ見下ろす。

「リノの奴も毎日キキちゃんの写真送れってうるさいんだよね~。そんなにみんなキキちゃんの水着姿見たいのかな~」

「見たくない。尻尾が貧相なのも、もう分かったしな」

「貧相な尻尾って言うな!」

「何故お前ばかりがモテる? 解せぬ……」

「庶民娘にばっかモテてもなー」

 ふっとキキが目を閉じる。リノやタズサにモテモテ状態なのも、まんざらでも無いらしい。

「奇行が面白いんじゃないの」

「奇行とか言うなハイジコラァ!」

 グワッと大口を開けて威嚇するキキを、ハイジが冷ややかに見つめる。

「で、いつもと趣味が違うみたいだけど? その服は?」

「あー……これは」

 キキは顔をしかめながら、自分の格好を見下ろした。いつものシックなゴスロリファッションではなく、フリルとリボンのたっぷり付いた、淡い水色のシフォンワンピースを着て、頭もベレー帽ではなく、ふわふわのやはりシフォンのリボンを結んでいた。

「……ぜんっぜん趣味じゃないんだけどさぁ……タズサがキキちゃんの服すごく気に入ってたから、しばらく貸してやることにしたんだよ。その代わり、タズサの服着て帰ってきた」

「フリルに埋もれしワニ……」

「誰がフリルに埋もれし美少女ワニじゃあ!」

「美少女とは言っていない。美少女に詫びろ」

「ウガァッ!」

 キキが蒼兵衛にとびかかる。蒼兵衛はその首根っこをぱっと掴み、ジタバタと手足をばたつかせるキキを見て、はははと笑った。

 ハイジはふうと息をついた。

「人の服着て暴れるのやめなよ。蒼兵衛も本気で子供と同レベルのやりとりしてないで、

異性の気を惹きたいならもっと大人になりなよ」

「うむ。姉上の言葉には重みがある」

「本当にこいつぶっ殺してやりたい……僕が強ければ……死んだら覚えてろ。すかさず滅してやる」

 ブツブツと呪い出したハイジも、蒼兵衛の言うことにいちいち腹を立ててしまうあたり大人になりきれていない気がすると、シオンは思った。

 パーティーはいま、ハイジが泊まっているリゾートホテルの庭園テラスにいる。シオンたちが泊まっているホテル〈ボワイヤージュ〉には小さなロビーしかなく、全員でゆっくり話せる場所が無い。その上、宿泊客も同業者ばかりで、あまり大きな声で仕事の話はやりにくい。

 そこで、ハイジのホテルに半ば無理やり押しかけた。そうしようと言ったのは蒼兵衛で、そういうときだけキキもノリノリになり、最悪コンビが結成される。シオンもゆっくり話出来る場所が欲しかったし、正直アクアリアのリゾートホテルがどんな場所が見てみたかった。ハイジは当然嫌な顔をしたが、ホテルに事情を話してくれた。

 ハイジが泊まっている〈フォンターナ・ホテル〉は、他に冒険者もおらず、品の良さげな観光客かビジネスマンしかいないということだった。

 水を引き込んだ美しいウォーターガーデンには、シオンたちが座っている席には屋根があったものの、雨だからか他に宿泊客はいなかった。とはいえ場違いに暴れているキキと蒼兵衛を、いい加減シオンはたしなめた。

「もうやめろ。大人しく出来ないならオレたちのホテルに帰れ」

「嫌だ」

「もうしません」

 ピタリと二人は大人しくなり、蒼兵衛はキキをすっと地面に下ろした。二人はきちんと椅子に座って、テーブルの上に置かれた果物や菓子(なんとサービスだ)にそれぞれ手を伸ばし出す。

「次に遠征することがあれば、私もこっちのホテルに泊まろう。金ぐらいセイヤに頼み込んだら貸してくれるかもしれん。奴は何だかんだ身内に甘いしな」

「キキちゃんもおじいちゃんに頼もう。おばあちゃんには内緒で」

「お前ら……」

 ハイジが怒る気持ちは分かる。シオンはごくりと息を呑み込んで、いったん気を静めてから、口を開いた。

「……でも、マーマンにバックアップが頼めるならありがたい。タダってのは流石に悪いけど、コネが出来たのは正直ラッキーだったな」

「うむ。それもこれも私が水路に君を突き飛ばしたからだな」

 パパイヤを珍しげに眺めまわしていた蒼兵衛が、得意げに言った。シオンはそれを無視した。

「もし安く頼めるなら……一度オレも相談に行ってみる。定食屋だったっけ?」

「うん、《まなみ》ってお店……」

 シオンの言葉に答えながら、紅子ははっとした。

「あっ、い、行くときは私も行っていい?」

「あ、うん。案内してもらえると助かる」

 アイカは紅子がシオンのことを好きなのを知っている。彼女がシオンに何か言わないか心配になったのだ。

 それだけではなく、紅子もまた彼女とお喋りがしたかった。やっぱり冒険の中で、同年代の女の子と話をする機会が無い。アイカは冒険者の苦労も分かっているから話しやすかった。

「彼女たちにとって海中ダンジョンなんて子供の遊び場みたいなものだ。もっとも、深い場所は彼女たちでも危険だろうけど」

 ヤシの実を皮ごと齧ろうとしているキキに、珍獣を見るような目を向けながらハイジが言った。

「マーメイドって戦えんの?」

 キキが実から顔を離して尋ねる。

「手はあるから普通に武器は扱えるし、水と風を扱う魔法を使う術者が多い。なにより肉体強化エンハンスが得意で、優れたエンハンサーが多いのがマーマン戦士の特徴だ」

「そんなことタズサも言ってたっけ。タズサは冒険者になりたいんだって。いつかキキちゃんがパーティー作ったら仲間にしてほしいって言われちゃったよ」

「良かったね、キキちゃん」

「なに紅子、あたしをパーティーから追い出したいの……?」

 キキが眉をひそめて紅子を見る。

 その紅子に、蒼兵衛が言った。

「君は魔石を見つけたら冒険者を辞めるんだろう?」

「え?」

 紅子がきょとんとした顔をする。

「目的を果たしたら、日常に戻りたいだろう。違うのか?」

「日常……」

 紅子は目をぱちくりさせている。思いもよらないことを言われたといった様子だ。蒼兵衛が更に告げる。

「君のような若い人間の娘が、わざわざ冒険者として生きる必要もなかろう。戦いもダンジョンもゴーストも苦手な臆病者だしな」

「うーん、冒険者として生きてくしかない変態人間男が言うと重みが違うな」

 キキはしみじみと呟き、歯型だらけのヤシの実を抱え、今度は頭突きを始めた。

「あ、えーと……どうでしょう」

 へらっと笑みを浮かべた紅子だったが、その笑い方はぎこちない。そうシオンは思った。

「浅羽は……」

 とシオンが言いかけたとき、ゴツゴツとヤシの実に頭をぶつけていたキキがぱっと顔を上げ、ヒビ割れた実を得意げに掲げた。

「割れた!」

 ハイジがパチパチと拍手を送った。

「すごいものを見せてもらったから、追加で何か奢ってあげよう」

「わーい! じゃあトロピカルジャンボパフェ!」

「お、美味しそう……!」

「姉上、私も飛んできたヤシの実を刀で真っ二つに出来るぞ。200キロくらいは余裕だ」

「安心して。そんな状況無いから」

 冷たく言いつつも、ハイジは全員にデザートを奢ってくれた。




「ハイジさん今日なんか優しかったね」

 庭園テラスから雨上がりの夕焼け空を眺めながら、紅子が言った。

「最近思うんだけど、ハイジって押しに弱い気がする」

「いい人なんじゃないかなぁ」

「うん」

 当のハイジはというと、部屋に行きたいとわがままを言い出したキキと蒼兵衛に嫌な顔をしながらも、結局連れて行った。

 残されたシオンと紅子は、そのままウォーターガーデンを眺めながら、特に何をするわけでもなく時間を過ごしていた。

 会話はいつもと同じだ。主に紅子が思いつくままお喋りをし、シオンはそれを聞きながら、紅子が振ってくれた話題について話す。紅子は大げさなくらい大きく頷いたり、驚いたり、笑ったりしてくれるから、話下手なシオンには話しやすい。いつの間にか自分の話ばかりしていたりする。

 紅子は今日あった出来事を話してくれた。マーマン一家の話や、友達になったマーメイドのアイカの話。友達が出来たと嬉しそうな紅子に、自分のことみたいに嬉しくなった。

 紅子が元気だと、シオンは安堵する。

 あまり彼女に辛い思いや悲しい思いをしてほしくない。

 だから、さっき蒼兵衛が言ったことは、シオンも思っていたことだった。

 目的を果たしさえすれば、彼女はもう苦手なダンジョンにも戦闘にも関わらずに済む。

 きっとそのほうがいい。

 だから早く、彼女の探し物を見つけてやりたい。


(それが、茜のかけた魔法だよ。そして、紅子が自身にかけた魔法でもある)


(自分の意思を継ぐように、死の間際に茜は言った。死んでいく兄を目の当たりにしながら、紅子はショックと混乱の中で、その言葉を深く自身に刻み付けてしまった)


 透哉から聞いた話を、シオンはあれから何度も思い返していた。


(紅子なら、魔石を見つけ出せるだろう。それは確実に、どこかのダンジョンに存在する。ただ、紅子自身は、ずっとダンジョンを恐れていた。あの子は、ダンジョンの外の世界が好きなんだ。そして、あそこにはもう戻りたくないと思っていた)


 だとしたら、呪われているのは紅子自身だ。

 死んだ兄の呪縛さえなければ、ダンジョンや冒険者になんて関わり合うことなく、学校に通って、友達と遊んで、穏やかな日常を送れただろう。そして彼女にはそんな生活のほうが合っている。


(あの子は、ダンジョンで産まれたんだよ)


(家に連れて来られたあの子は、すぐに外の世界に馴染んだ。僕たち家族に懐いた。美味しいものを食べて、遊ぶのが好きだった。魔力が強い以外は、普通の子供だった……)


 その話を聞いたときは、ただ驚いただけだった。後から一人で思い返したとき、胸が痛んだ。

 その後発情期が始まり、抑制剤の副作用に苦しみながら布団に包まっている間、昔から嫌なことばかり思い出した。学校時代のこと。桜が死んだこと。でもこの前は、まだ幼い紅子がダンジョンで過ごしていた日々を考え、苦しくなった。あんなところ、小さな女の子が過ごすような場所じゃない。彼女がダンジョンを潜在的に怖がるのは当然だろう。


 だから、紅子をそんなものが無い日常に戻してやりたいと思った。

 だが、蒼兵衛にそうしたいのだろうと言われたとき、紅子はひどく戸惑っていた。

 紅子は冒険者を続けたいと、少しでも思っているのかもしれない。

 しかし冒険者は、いつ命を落としてもおかしくない仕事だ。

 あの強かった桜だって、そうなった。


「キキちゃんたち、遅いね」

 ジュースのストローから口を離し、紅子が呟いた。一日中降っていた雨は上がり、空には夕焼けのオレンジとピンク、それから夜の紫が入り混じっていた。

「二人とも、けっこうハイジさんに懐いてるよね」

「キキはともかく、蒼兵衛はあんなにでかいのに……」

「でも蒼兵衛さんって体は大人だけど、心は子供ってかんじだから……」

 ぜんぜんフォローになっていないことを紅子が言った。そんな奴が強力な妖刀を持ってしまっていいのだろうか、といまも心配の種だ。

「ハイジは、今日ちょっと元気なかったから。キキと蒼兵衛はウルセーけど、おかげでいつものハイジだ」

「ハイジさん、元気無かったの?」

「うん。少しな」

「……お姉さんのパーティーの人に会ったから?」

 遠慮がちに紅子が尋ねる。シオンは小さく頷いた。

「姉さんが最後までどうしてたのか、話してくれたんだ。ハイジもずっと、オレを気遣ってくれてたんだ。でも、聞いて良かった。やっぱりサクラは、オレの姉さんだった」

「……そっか」

 紅子がそれだけ言って、それ以上は何も言わなかった。言えることもなかったのだろう。シオンもそれ以上話さなかった。

「姉さんがオレを育ててくれた。オレと二つしか変わらないのに、オレは姉さんから戦い方も戦う覚悟も、ぜんぶ教わった」

 それがシオンをここまで生かしてくれたし、これからもそうだ。

 その力で、紅子の役にも立てる。

 そして――桜の遺体を捜すことも。

「オレは姉さんを一度も守ってやれなかった。けど、オレは生き続けて、ずっと姉さんみたいな冒険者を目指すよ」

「……小野原くんは、強いね」

「オレを育てた人が強かったから」

 紅子の言葉に迷いなくそう告げて、シオンは雨上がりの夕暮れ空を見た。さっきより夜空が広がって、いくつかの星がきらめいている。

 シオンの目線を追って、紅子も空を見上げ、言った。

「ずっと雨が降ってたのに、綺麗な空だね。なんか……小野原くんとパーティー組んでから、そんなに経ってないのに、色んな場所に行ったねぇ」

「そうだな」

 色んな場所で一緒に夜を過ごした。奥多摩で、神奈川で、埼玉で、今度はここで。

 紅子は暗くなっていく空をじっと見つめていた。

「……私、暗いのは苦手だし、ダンジョンはやっぱり怖いし、戦いになるとおたおたしちゃうし、帰るときはいつもボロボロだけど……でも、そんなに嫌じゃないよ」

「そっか」

 シオンは頷いてから、ぽつりと呟いた。

「……オレは、前より少し怖くなった」

「小野原くんが?」

「みんなと一緒で心強いけど……いなくなったら困る」

 紅子はシオンを見て、しばらく黙っていたが、ぐっと手を握って言った。

「大丈夫っ! みんなが怪我したら、私、頑張って治すよ!」

「……うん。そうだな。浅羽には何度も助けてもらったよな」

「し、失敗しないようには、気をつけるね……」

 シオンも紅子のほうを見て、笑って頷いた。

「いままで、浅羽は色んな人を助けてきたよな。オレも足治してもらったよな。《精霊鉱山》のとき」

「あ、あのときは、パニック起こしちゃって、ご迷惑をおかけしました……」

「でも浅羽のお陰で国重さんは助かったし、ニコねこ屋のレンだってお前に足を治してもらったから、ああやってバックアップやれてる。鬼熊も助けたよな。そういや密猟者も……」

 以前の冒険を思い出す。思えば短期間で紅子はさまざまな経験をした。新人冒険者には過酷な戦いばかりだった。

「でも鬼熊さんは、お母さんを殺しちゃったけど……本当は人間のほうが悪くて……密猟者の人、治して良かったのかなぁ……」

 苦々しい記憶なのか、紅子が顔を俯かせる。

「別に駆除対象のゴブリンだってハーピィだって、悪いことしてるわけじゃない。こっちの都合で増えたら困るっていうだけだ」

「そうなんだけど……そっか……そうだね」

「どうせ誰かがやらなきゃいけない仕事だ。鬼熊だってあのまま放っておけば人里を襲ったかもしれないし、そうじゃなくても密猟者を襲った時点で討伐対象になってた。やっていいか悪いかをいちいち考えてたら、その隙を突かれて死ぬかもしれないぞ」

「ん……」

 シオンの言葉に、ますますしょんぼりとしてしまう。キツいことを言ってしまったかとシオンは反省した。桜の死の真相を知って、余計に言い方が厳しくなってしまったかもしれない。

 紅子は優しい。やはり冒険者には向かないと思う。

「悪意を持って襲ってくるのは、ゴースト系くらいだ」

「ゴースト……やっぱりなんか、ゴーストは慣れないな。他のモンスターは、こっちを見て笑ったりしないから」

 ゴースト系が苦手な紅子が、恐ろしげに言った。ワイトを魔力ごと〈魔力喰いマナイーター〉したことは、本人にはなるべく黙っておこうとシオンは思った。ワイトなんかより彼女のほうがずっと強いのだ。いや、大抵のモンスターなんかよりずっと強い。

 それでも、シオンにとっては紅子は一番に守ってやるべき対象だった。

「浅羽、オレ」

「ん? なーに?」

 ――今度はちゃんと守るから。

 言いかけて、シオンは口を閉ざした。

 紅子は桜の代わりでは無い。

「……明日、おにぎり食べたい。ダンジョンで」

「あっ、だったら、政市さんに作ってもらおうよ! メニューにおにぎりあったし、持ち帰りにしてもらえないかな! 今日はいっぱいご飯食べさせてもらっちゃったし……」

「そうだな。ここにいる間、そこでなるべくメシ食いに行くようにするか」

「うん!」

 紅子がにこにこと頷いた。三姉妹に助けられたが、その家族というマーマンたちもよっぽど良い人たちだったんだろうな、とシオンは思った。

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