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迷宮のドールズ  作者: オグリ
三章
64/88

休息日

「ふぁぁ……一日に何個もダンジョン探索するのって疲れるね……」

居住区アクアリア》に戻って来ると、紅子がぐったりと、しかしほっとしたような声を出した。

「むにゃ……ぐぎぃ……」

 一番後ろの席の蒼兵衛とハイジの間で、キキはすっかり寝こけていた。口をもごもごと動かしたり歯ぎしりをしながら、ハイジの膝の上に頭を乗せ、腕を投げだし、蒼兵衛の腹や顔を足蹴にしている。

「セイめ……会社の車くらいもっと広いのにしろ……」

 キキのつま先を頬にめり込ませながら、蒼兵衛が顔をしかめる。

「寝相悪い子……」

 振り上げられる腕を払いながら、ハイジも呟いた。

「疲れてるんですよ。キキさん、子供なのに大活躍だったじゃないっすか」

 リョータが言った。キキのほうが年下だが、「キキちゃん」と呼んで怒られ、それから「キキさん」と呼んでやっているようだ。

「グギャギャ……」

 魔獣の呻き声のような奇妙な歯ぎしりをしながら、キキはぐっすりと眠っている。

 無理もない。今日は海蝕ダンジョンを三つ回ったが、キキは予想以上に働いてくれた。キメラ捕獲で寝こけていた頃を思えば、格段に成長している。

 小さいから狭い場所を探索するのに向いていて、物怖じもしない。体は小さくても気持ちはリザードマンだ。最強の戦闘種族だと信じて疑っていない。自信過剰が過ぎて迂闊なところもあるが。

「今日はさすがに戦い過ぎたな。やたらと肩が重い。いつもはそんなことないんだが、今日はずっしりと、人が一人乗っているくらいの重たさがあるぞ」

 あっけらかんと蒼兵衛が言ったが、誰も答えなかった。何か視えるかハイジのほうをシオンは振り返って見てみたが、彼は完全に蒼兵衛から目を逸らしていた。

 探索中に訊いてみたが、蒼兵衛に憑依霊ポゼッションが憑いているということは無いようだ。強い呪いは魂そのものを縛ってくるから、ゴーストがとり憑くとかそういうレベルの問題では無いようで、蒼兵衛本人が元気なうちは放っておけばいいと言われた。

 今日の紅子は完全にサポートに徹しており、大きな失敗もなかった。ハイジは言わずもがなだ。彼の知識と経験はパーティー全体のレベルを底上げしてくれている。

「……パーティーっていいなぁ」

 夏になって陽が長くなったせいか、日没後も空は明るい。ぽつぽつと小さな星が輝く青紫のグラデーションを眺めながら、シオンは呟いた。隣で紅子が尋ねる。

「小野原くんも時々パーティー組んでたんだよね?」

「ああ、そのときの仕事によって集められたり、人のパーティーに入ることもあったし」

「やっぱり違う?」

「そうだな。即席パーティーはあんまり好きじゃなかった。合わねー奴もいるし……。上手く連携取れないこともあるしな。そんなことないときもあるんだけど」

「結局どっちだ」

 蒼兵衛が後ろから突っ込む。

「まあ……結局メンバーによるんだろうな」

「へぇー……」

 と頷きながら、紅子は眠たそうで、話に相槌を打つのがやっという様子だ。

「寝ろよ。着いたら起こすから」

「ううん。大丈夫……」

 と言いながら、紅子はウトウトと瞼を閉じていった。今までも半日程度で済む仕事はやってきたが、本格的なダンジョン探索をするのは初めてだから、疲れただろう。シオンがそう思っていると、紅子はすぐに寝息を立て始めた。


「やっぱり、明日は雨になりそうですね」

 水上タクシーを降り、ホテルの前で解散する前に、ユエが言った。

「昨日までは予報では曇りでしたけど、今は雨になってますし、空気も生ぬるいですね」

「明日の探索は様子見だね」

 ハイジが言った。その横でキキを背負った蒼兵衛が欠伸をしている。

「ふむ。なら明日は一緒に水上歓楽街に行かないか? 姉上……」

「じゃあお先に。何かあったら連絡ちょうだい」

 蒼兵衛の誘いを無視したハイジは、軽く手を振って隣のリゾートホテルにさっさと向かって行った。

「リョータ……」

「や、行かないっすよ、ボスに怒られるから」

「じゃあソウさん、ナンパ行きます? オレが適当なマーメイドに声かけて……いってえっ!」

 尊敬しているらしい蒼兵衛の為に、レンがはりきって申し出たところを、姉のユエが無言で耳を引っ張った。

 自称〈ソウさんガールズ〉のミナは耳をぴんと立てながら、スマートフォンに何やら懸命に打ち込んでいる。

「明日、お休み?」

 紅子がまだ眠たそうに目許をこすりながら、シオンに尋ねる。

「そうだな。明日はフリーにしよう。今日は戦闘もあったし、浅羽も疲れただろ」

「うん……あ、いや、大丈夫だよ!」

「休むのも大事だ。慣れてないうちは特に」

「……分かった」

「じゃあ、今日は解散しよう」

「すでに姉上だけ解散しているがな」

 寝ながら手足をやたらと動かすキキを、よいしょ、と蒼兵衛が背負い直す。

「なあ、その呼び名、いつまで続けるんだ? ハイジ絶対怒ってるぞ。お前を見る目がすごく冷たいんだけど……」

「なんかしっくりきてしまった」

「知らねーぞ、オレ」

「そんなことを言うなリーダー」

 シオンの呼び名も、すっかり『リーダー』が定着している。シオンは軽く息をつき、ついでに欠伸も出た。

「……オレも眠くなってきた」

 その言葉通り、部屋に戻る頃には眠気がピークに達していた。

「シャワーなら使っていいぞ」

 と蒼兵衛が言ってくれた。

「私は銭湯に行って来る。足を伸ばして湯に浸かれるからな」

「銭湯?」

「マーマンの居住区でも探せば一つくらい銭湯はあるだろう」

「元気だな……。気を付けろよ」

 心配だからついて行ってやりたいところだが、シオンもかなり疲れていた。欠伸をつきながら一応忠告する。

「カップル見つけても因縁つけるなよ……」

「うむ。そのカップル次第だな」

 注意するのも面倒なほど、すぐにでも眠りたかったが、なんとかシャワーを浴びてくると、蒼兵衛の姿は無かった。大丈夫だろうかと少し心配になったのもつかの間、ベッドに横になっただけで眠ってしまった。




 目覚めても、蒼兵衛はいなかった。朝の早い奴だから、どこかでランニングか、公園でイメージトレーニングでもしているのだろう。刀を持たずひたすら刀を構えるポーズだけを取り、目を閉じて脳内で敵と対峙するという――外でやるには中々勇気のいる訓練方法だが、蒼兵衛は毎日それを欠かさない。一時期、アパートに泊めてやっていたときもそうだった。

「放っておいていいか……」

 呟き、シオンはベッドの上で両腕を伸ばした。蒼兵衛愛用のコートはきちんと畳んでテーブルの上に置いてあった。ちゃんと銭湯から戻ってきて、ここで眠ったようだ。

「あ」

 一つしか無いベッドを自分が占拠してしまったことにシオンは思い当たった。床にはやはりきちんと畳まれた寝袋が置いてあった。

 悪いことしたな、と思った。無礼な奴だが、こういうところは気を遣ってくれる。気にしないだけかもしれないが。

 シオンは立ち上がり、カーテンを開いた。予報通り雨が降っていたが、どんな天候でも蒼兵衛の日課には関係無い。趣味は鍛錬と言っていいくらいだから、しばらく帰って来ないだろう。

 時計を確かめると、午前七時だった。他のメンバーはどうしているだろうか。休みと決めた日にも、一応連絡を取り合うものなのだろうかと、シオンは少し悩んだ。

 居住区アクアリアには多くの水路が通っている。排水システムも完璧だろうが、こうも雨が降ると大変だろうなと思った。一昨日、着いたばかりのときに出会ったマーメイド三姉妹のことを思い出した。助けてもらったのだから、連絡先くらいちゃんと聞いておけば良かったと今更後悔する。探索が延期になり、改めて礼を言いに行く良い機会だったのに。ホテルの近くに住んでいると言っていたが、滞在中にまた会うこともあるだろうか。


 そんなことを考えていると、携帯電話が鳴った。

 ハイジだった。

「もしもし」

〈おはよう。今日の予定は?〉

 無駄話もなく、いきなり用件を切り出してくるので、シオンは少し声を上ずらせてしまった。

「あ、ああ、雨が酷くなかったら、一人でダンジョンの下見を出来るだけしてみようかと……」

〈それはバックアップに任せて、僕と一緒に来ないか?〉

「え、どこに?」

〈千葉に僕の昔の仲間がいる。もちろん君の姉さんの仲間でもある〉

「あ、……いいのか?」

〈昔の仲間に会いに行って何か問題でも?〉

「いや、オレが行っても……」

〈会いたがっていたのは君だろう。そう思っていたから誘っているんだけど。僕の勘違いだったのか?〉

「勘違いじゃねーけど……」

 歯切れの悪いシオンに、電話越しのハイジが苛ついたような声を出した。

〈結局どっちよ?〉

「行くよ」

〈だったら最初からそう言ってくれる?〉

「ごめん……気をつける」

 子供のようにシオンはしゅんと耳を下げた。

 ハイジのほうもシオンが気落ちしたのを察したらしく、口調が落ち着いたものに戻った。

〈あ、いや。すまない。僕のほうこそ気が短くて。気を付けているつもりなんだけど〉

「……うん」

〈話を戻すよ。僕の仲間だった皆森みなもりやえという女性に会いに行こう。昨晩連絡が取れたから、君のことを話した。会いたがっていると伝えたら、訪ねて来て構わないそうだ〉

「うん。ありがとう」

〈十一時に水上タクシー乗り場で落ち合おう。昼食は取らなくていい。やえが用意すると言っていた〉

「うん」

〈それと、彼女は館山に住んでいるんだが〉

「うん」

〈蒼兵衛には絶対に言うなよ。水上歓楽街に行きたいなんて言い出されたら面倒だから〉




 ――夢を見ていた。

 暗い、深い所にいる夢。


 でも、不思議と怖くなかった。

 一人じゃなかったから。


「……かぁ……さ……」

「起きろぉっ! 紅子っ! 朝だよっ!」

 布団を思いきり剥ぎ取られても、紅子はまだ瞼を閉じ、むにゃむにゃと口を動かしていた。

「オムライス……おいし……」

「美味しくてもそれは夢だよっ! 朝ごはん食べるよっ! キキちゃんはお腹が空いたんだよっ! 置いてくよっ!」

 祖父母と生活をしているキキの朝は早い。躾けられているので自分のこともそれなりに出来る。昨日のうちにバスルームで洗って干しておいた二人分の洗濯ものが、まだ湿っていたのでドライヤーをかけたり、フロントでアイロンを借りてきてロリータブランドのスカートのプリーツをぴしっとプレスしたり、朝のニュース番組を観ながら大物女優の不倫報道に一人でコメントをつけたり、おじいちゃんとおばあちゃんに電話をしたりと優雅な時間を一人過ごしつつ、しばらく紅子を待ってやっていたが、一向に起きる気配がないので、腹の虫が鳴き過ぎて息絶える前に強硬手段に出た。

「お腹すいたっ! お腹すいたよぉっ!」

 紅子の上に覆いかぶさり、ジタバタと手足を動かす。

「つまんないよぉっ! シオンに電話したら、今日は昼前に出かけるからそれまでダンジョンの下見に行くとか勤勉なこと言うしさぁっ、ハイジは着信無視だし、サムは知らんっ」

「……むにゃ……ライス……」

「『むにゃライス』ってなに!? もういいから、起きろぉ!」

 むんずと両肩を掴み、ガクガクと揺すぶる。それでも紅子は目を閉じ眠っていたが、むにゃむにゃと口を動かし続けている様にキキはゾッとした。

「夢の中までなんか食ってる……すごい食欲……」

「……えへ……ごちそうさま……」

 と呟いて、 ぱちっと紅子は目を醒ました。

「ヒィッ」

 あまりにもいきなり覚醒したので、キキは慌てて飛びのいた。

「小トカゲの丸焼き……?」

「誰が小トカゲの丸焼きだぁ! 夢の中でとんでもないモン食うなっ!」

「あ、おはよう。キキちゃん」

「何事も無かったかのように起きるなっ!」

 ふわぁと欠伸をつき、紅子がうーんと体を伸ばす。

「なーんか美味しい夢見たのに、お腹空いたなぁ」

「ひぃぃ……」

 ベッドから後ずさりながら、キキは得体の知れないものを見る目を紅子に向けた。

 



 じょうろの水を降りかけたような雨は、さあさあとアクアリア全体に降り注いでいた。

「今は大したことないけど、後で酷くなるみたいだよ。千葉って風強いから」

 レンタカーに乗り込み、エンジンをかけながらハイジが言った。

「ハイジ、運転出来るのか」

 助手席でシオンは感心したふうに言った。

「免許があれば誰でも出来るよ。普段しないだけ。言っておくけどペーパードライバーだよ」

 ハイジみたいなイライラしやすいタイプが運転して大丈夫なんだろうか、とシオンは思ったが口にはしないでおいた。

 それよりも気になることがあった。

「なぁ、鯛介さんには言わなくて良かったのか? 前に、やえさんと会うときは鯛介さんに声かけてほしいって言われたんだけど」

「面倒くさいしあいつは煩い」

 ばっさりと切り捨て、ハイジは車を出した。

「仕事に行ってるようだしね。鯛介レベルのリザードマンファイターなら相当高レベルの仕事を受けてるだろうから、しばらくは帰らないだろう。アテに出来ないよ、あいつは。居ないことのほうが多いから」

 48レベルのリザードマン戦士ともなれば、かなり危険な仕事も回ってくるのだろう。

「君は朝からダンジョンの下見をしていたのか?」

「あ、うん。ニコねこ屋に車乗せてもらって。雨のときの様子も知りたかったし。探索中や戦闘中に急に降ってきたりもするかもしれないし」

「そう。君は本当に真面目だな。冒険者に向いているよ」

「だったらいいけど。それしか出来ないし」

「ハーピィの対処は中々良かった」

 ハイジが車を運転するイメージがそれまでなかったが、危なげなく運転している。

「ハイジって、車持ってないのか?」

「持ってない。乗らないから維持費勿体無いし」

「せっかく免許あるのに。車があれば一人でどこにでも行けるし、いちいち人に会わずに済むんじゃないか」

 前に、タクシーが嫌いだと言っていた。かと言って満員電車に乗るハイジというのも中々想像しがたい。そもそもハイジは他者と関わることをあまり好んでいない気がする。

「ゴーストが視界にちらつくときあるからね」

「あー……」

「免許取るとき、霊力の有無は厳しく検査されるんだよ。僕の場合は自分で不可視化出来るから通ったけど。でも極力乗らない」

「なんで取ったんだ?」

「あると便利じゃない。証明証になるし」

「そういうもんか……」

「冒険者証は出したくないんだよね、極力」

「そういや、昔ファイターだったって」

「シャーマンで申請すると色々と面倒だからね」

 霊媒士シャーマンは数が少ない。魔道士ソーサラー同様に申請する者はそれなりに多いようだが、いきなり実戦で戦えるほどの能力を兼ね備えていないことも多い。ソーサラーもそうだが、素養があればそれなりに誰かに師事したり教室に入って基礎を学ぶのが基本だ。だが、魔力や霊力が多少あるというだけで、とりあえず申請してくる者も少なくはない。

 中レベル以上のダンジョンにはゴーストがつきものだから、〈即時除霊ターンアンデッド〉が使えるというだけでシャーマンは重宝される。シオンもパーティーを作るにあたって、それが一番の悩みどころだった。紅子の魔法、キキの退魔弾中心に戦うことも出来るが、いずれは限界がくるだろうと思っていた。ハイジの加入は願ってもない幸運だったのだ。当てにしていいのか分からないが、蒼兵衛も妖刀で戦えるようになった。

 いまの自分たちなら、今まで行けなかったレベルのダンジョンにも挑戦出来るだろう。

「……ハイジ」

「なに」

「ハイジがパーティーに入ってくれて良かった」

「僕には僕なりの、君たちと一緒にいて有益なことがある」

「浅羽のことか?」

「隠れた魔道士一族と繋がれたことだね。今までも数人接触してきたが」

「姉さんのこと……これまでに何か手がかりになることはあったのか?」

 ハイジはいまだにシオンの姉・桜の遺体の行方を捜している。というより、その魂の在処なのかもしれない。

「あるとも言えるし、無いとも言える。独自の研究をしている魔道士にとって、その研究内容は何にも代えがたい宝だ。そういう魔道士に出会ったとして、おいそれと研究内容を教えてもらえることはまず無い。だから正攻法では探さず、アンダーグラウンド……裏の魔道士に当たったりしている。例えばこの前の七川彪雅のような。魔術を悪用するやからだ」

 魔術と霊術、二つの高い能力を持っていた、ワーキャットハーフの青年のことを思い出した。稀有な才能を持っていながら、自分の為にしか使うことをせず、斬牙に固執し、くだらないプライドに振り回された男。

 道を間違えなければ、ソーサラーとしてもシャーマンとしても名を残せただろう。

 それにしても、モンスター以外と戦うことはシオンにとってあまり経験の無いことだった。考えて動く相手との戦いにくさもだが、感情を持って攻撃してくる相手との戦いは何故だか酷くやりづらかった。

「……あいつは、強い魔力と霊力があったけど、独学じゃあれだけのことは出来ないって、前にハイジは言ったよな」

「言ったっけ」

「言ったよ、センターで」

 ハイジは頭が良いはずなのに、仕事以外のことは忘れっぽい。長ったらしい詠唱は幾つもスラスラ唱えられるのに不思議だ。

 魂を別の器に憑依させたり、その地に眠る大量の死者の魂を呼び覚ますことは、いずれも禁術というべき魔術だが、使いたいと思って使えるものではない。

「そうだね。彼には素質はあった。しかし高等魔術というものは基本的に、能力の高さだけで行使出来るものではない。本来、大勢の魔道士が何代もかけて編み出すような術だ。独学で修められたわけはない。ヒュウガに教えた相手がいる。おそらく、普段は自分の能力を隠して生活しているだろう。つまり、表に出てくることは決してない、裏の魔道士だ」

「裏……」

「浅羽一族のような、一見ごく平凡な一族こそ怪しいと思ったほうがいい。死霊魔道士ネクロマンサーは自らを死霊魔道士ネクロマンサーだと名乗ったりはしない」

 桜の遺体が誰かに持ち去られ、実験材料にされているとしたら、そんなことは絶対に許しがたい。どんな顔をしていたのか分からないが、ハイジが気遣うように声をかけてきた。

「大丈夫。彼女のような戦士の遺体が、雑に扱われるということはないよ」

 それが気遣いになっているのかは微妙なところだったが、不器用なりにハイジはシオンの気持ちを考えてくれたようだ。

「……すまない。僕はいつも話し過ぎる」

 ハイジが声の調子を落として言った。

 淡々としたその言葉には、どこか後悔が滲んでいるようにもシオンには思われた。

「やえさんだけが、サクラ……姉さんに最後までついてたって言ってたけど」

「ああ。やえはバックアップとして優れていたが、戦闘能力では僕たちに及ばなかった。だから最後のほうはほとんど、サポーターとして同行していたようなものだ。もっとも高レベルダンジョンになると、サポーターであっても戦闘能力の高さが求められる。やえは機転の利く冒険者ではあったけど、身体的には普通の女性だった」

 たしか、やえの同行についてパーティーは揉めていたと鯛介が言っていた。やえの同行に反対していたのは、現在は行方が知れない夜という男性だけだったようだ。

「それでも、桜はやえを傍に置きたがった。仲間としての情もあっただろうが、桜自身、やえを必要としていたんだ。やえは、とても女性的な女性だったから」

「……どういうことだ?」

「桜も女性だからね。僕らじゃ頼れないこともあっただろう。高レベルダンジョンに数日潜ってみると分かる。どんな熟練した冒険者でも、緊張で精神をやられることは少なくない。女性のほうが閉所には強いと言うが、やえはいつでも落ち着いていた。どんな状況化でもパーティーの面倒をみてくれていた。僕なんかストレスに弱くてすぐ苛々するし……」

「ああ……」

「やえは、いつでも笑っていた。焦ったり、泣いたり、怯えたりすることが無かった。一番弱いはずのやえが、一番精神的に強かった。僕達は彼女に支えられていたよ。深いダンジョンの奥底で温かい紅茶が飲めたときの喜びったら無いよ。くだらないようだけど、本当にそうなんだ。必要無いと思っていたものが、いつも僕達を救ってくれた」

 そんなことを以前キメラ捕獲で出会った探求士スカウトの香坂も言っていた。仕事の後で温かいコーヒーを淹れてくれて、仕事をした仲間たちとそれを飲んで少しくつろぐと、それまでの仕事の疲れや緊張が驚くほどほぐれた。

「彼女は僕達が疲弊してくると、手を握ったり、背中をさすって励ましていた。それもずいぶんとほっとしたよ。誰も口にはしなかったけど」

 運転しながら、ハイジは少し懐かし気に目を細めた。フロントガラスに雨のつぶてがぶつかり、涙のように流れ続けていた。

「別に彼女に欲情していたわけでも恋心を抱いていたわけでもないけど、そうだな、たとえば、母親に傍にいてもらっているみたいな……本能的な安心感かな。母親から産まれてこない者なんていないから」

「サクラは……あまり自分の母さんを知らないんだ。サクラを置いて出ていったから。話もしない」

 それは、聞いてはいけないことなのだと、シオンも何となく分かっていた。幼い頃、自分の母親を恋しがって泣いたシオンを、イライラした桜が思いきり殴り飛ばしたことがあった。

(お母さんなんていなくてもいいでしょ!)

 桜の剣幕に驚いて、シオンは泣くのも忘れてしまった。姉は、母親が大嫌いだった。同じく母親を知らないシオンが寂しくないようにと思っていたのか、いつもべったりだった。

 それは桜も寂しかったのかもしれない。

 いつだってあっけらかんとし、強かった彼女が、母親の話だけはしなかった。

「一度、やえが大きな傷を負ったことがある。倒したと思っていたモンスターから不意の一撃を受けそうになった桜を咄嗟に庇ったんだ。誰も反応できなかったのに、やえは動けた」

 ハイジは抑揚の無い声で、ぽつぽつと語った。

「そのとき気づいたんだ。やえはいつだって、桜のことを一番気にかけていた。僕らにとって桜は誰よりも強い戦士だったが、やえにとってはただ、守ってあげるべき年下の女の子だった。女の子だった桜を一番気にかけて、彼女が傷つかないように常に注意を配っていたんだ。傷は夜がすぐに治したけれど、桜はひどくショックを受けたようだった。そんな桜に、やえは笑ってたしなめていたよ。戦った後で気を抜くのは桜の悪い癖だって。桜は怒られた子供みたいに項垂れてた。そんな桜を見ることって無かったけれど」

「オレも無い」

「やえだけが、桜を叱れたから。やんわりとだけどね。桜には、彼女が必要だったんだろう。鯛介は桜は一番僕に頼っていたと言っていたが、精神的にはずっとやえに支えられていたと思う」

 ガラスに当たる雨がバチバチと音を立てて弾ける。無数の石つぶてのようだった。風が出てきて雨はだんだんと激しさを増していった。




 ホテルのロビーのソファに腰かけて、キキはうんざりと呟いた。

「つまんなーい」

 せっかく初めて来た街を探索しようにも、こうも雨が鬱陶しくては外に出ようという気がおきない。ホテルの朝食は一人千円で食べられるバイキングで、大食いの紅子にはちょうど良かったが、置いてある料理はパンやらスクランブルエッグやらスープやら洋食ばかりで、朝からほかほかの白ご飯に味噌汁、焼き魚を頭からがぶりとやりたいキキには物足りなかった。

「外でなんか食べたいよぉ……」

「予報だと雨酷くなるみたいだよ」

 隣に座っている紅子が言った。彼女はガイドブックを熱心に読んでいた。

「素敵なカフェもいっぱいあるよ」

「カフェなんかで紅子満足出来んの? 大盛りチャレンジの店探しなよ」

「うう……」

「雨なんか知るかっ! キキちゃんは魚が食べたい!」

 がばっと立ち上がる。マーマンの居住区で魚が食べたいなんて叫んでいいのかと紅子はあたふたしたが、よく考えたらマーマンの漁師は多いのだった。

「魚亜人なのに、魚食べるんだよね……」

 テレビでマーメイドの女優が、旅番組で刺身を食べて「美味し~い」とコメントをしていたのを思い出す。それを見て「あ、食べるんだ」と思ったのだった。

「豚亜人だってトンカツ食べるし、ハイジも鳥のから揚げ食べてたよ。こないだ家行ったとき、おつまみに食べてたもん。人間だってオーガが美味しかったら絶対食べるでしょーが。意地汚い種族だもんね」

「ええ……人間とオーガは違うよぉ」

「似たよーなモンだと思うけど。こないだもオーガみたいな人間と戦ったじゃん。ねえ、それより魚! そこらへんの定食屋でいーから、どっかで食べようよぉ!」

 キキがぐいぐいと紅子の腕を掴む。ガイドブックを落としそうになりながら、紅子も慌てて立ち上がった。


 雨の中、二人は《魚亜人居住区アクアリア》の中を探索した。

 運河の中に浮かぶような街は、中心に行くほど陸路が無くなる。しかし観光ホテルが立ち並ぶ一帯は、整備された道がちゃんとある。観光客をターゲットにしたカフェや土産物屋が並んでいる一帯などはそうだ。

「やっぱり、お店の中にも水路があるのかな」

「そうだよ」

「マーマンの人達って、どうやってお店番するんだろう」

「水の中ででしょ。あたしもよく知んない」

 リザードマン一族のキキも、他種族の生活に触れることはそうないらしい。紅子もテレビなどで観るだけだ。

「雨だからどこも店ん中スカスカだね」

 キキはよほど濡れたくないのか、雨合羽レインコートを頭からすっぽりかぶり、長靴レインブーツを履き、更に傘をさして完全防備している。紅子は売店で買った傘だけを差していたが、風が強くなってきていて後悔していた。

「うう、冷たいよぉ……」

「ビショビショじゃん。なんであたしみたいにカッパと長靴持ってこなかったの? 冒険者失格だよ」

「ううう……もうどこか入ろうよぉ」

「キキちゃんは定食屋を探す!」

「火魔法の応用で周囲の雨を蒸発させられないかな?」

「やめなよ! 周りまで燃えるから!」

 バチャバチャと水たまりの水をまき散らしながら、キキはずんずんと進んで行く。

「このへんって特に、すごく雰囲気ある場所だねぇ。雨じゃなければ……」

 水路が張り巡らされた街に、まるで水没しているかのように店が立ち並んでいる。どんなに雨が降っても水位は一定を保っているようだ。尾びれのあるマーマンは水路から店内に入り、人間やツーテールマーマンは水路の上のアーチを渡ってそれぞれの店に辿り着けるようになっている。夏の晴れた日ならば、水面が陽射しを反射させ、キラキラと輝いて美しい水路に、多くのマーメイドたちの姿を見られたはずだ。

「晴れた日に来たかったよぉ……」

「ムム、ピンときたっ!」

 キキが一軒の店を指差した。示し合わせたようにお洒落な店が立ち並ぶ中、一軒だけ雰囲気の違う定食屋がいきなり現れた。小奇麗なカフェと雑貨に挟まれたその店は、余計に外装は古びて見えた。白い壁に雨だれの痕がいくつも染みを作っている。

「一軒だけなんか古いね」

「ここに魚定食があるに違いないっ!」

 キキはずんずんとアーチを渡って行った。

「キキちゃん、足許滑るから気をつけてね」

 引き戸の入り口には営業中の札がかかっている。キキは遠慮なく扉をガラガラッと開けた。

「たのもう!」

 柊道場に出入りしていたときに、この挨拶がお気に入りになってしまったらしい。

「はーい、いらっしゃーい」

 中から女性の声が響いた。

 店内は半分が水に埋まっているように見えた。陸と水場に仕切られていて、店内にプールがあるのだと気づいた。

 聞き覚えのある声だと思ったら、店内で顔を上げたマーメイドは、街に着いたばかりのときにシオンを助けてくれた女性だった。

 ウェーブのかかった長い黒髪を、緩く一つにまとめ、横髪だけが胸元に流れている。優しげに細められた瞳は深い海のような青緑色で、鱗と耳ヒレの色は透き通るようなブルーだ。南国の魚を思わせた。

 たしか、麻梨まりさんという名だった。そう紅子が思い出していると、

「あら」

 とマリのほうも目を丸くした。すうっとプールの中を泳いできて、紅子とキキの前でゆらりと尻尾を揺らしながら止まった。

「あのときの冒険者さんたちね。お店、教えたかしら?」

「あっ、いえ。たまたまです!」

 紅子は驚いた顔のまま、首を振った。くすりとマリが笑う。

「シオンくんはお元気? あれから風邪引いたりしなかったかしら?」

「あっ、大丈夫です。昨日もダンジョン探索して……」

「まあ、大変ね。今日は雨だからお休み?」

「はい」

「女の子二人かしら? ご飯食べに入って来てくれたのよね。どうぞ、好きなところに座って」

 プールに添ってテーブルが備えつけられている。どうやらマーマンが水の中を泳いできて食事を運ぶらしい。

「わぁ、なんか素敵」

「こんだけ水多いと虫わきそう」

「キ、キキちゃん!」

 とんでもないことを言うキキに、紅子が慌てて止めようとしたが、マリは腹を立てるふうもなくクスクスと笑った。

「大丈夫よ。防虫対策はしっかりしてるから。街全体に湿気がこもらないように、街の構造も建物の造りも風の通りをちゃんと設計してあるの。アクアリアでは風道局があって、水だけじゃなく風の流れも管理しているのよ」

「へぇー……」

 紅子が感心したように呟いた。

「気になるなら防虫スプレー使う? アクアリアで売っている地元メーカーの防虫スプレーはよく効くから、お土産に買い込む観光客も多いの」

「あ、だ、大丈夫ですっ」

「あっ、キキちゃん!? キキちゃんだ!」

 店の奥から小さなマーメイドが泳いできた。

「げぇっ」

 レインコートを頭からかぶったままのキキが、顔を引きつらせる。

「タズサ、良かったわね。またキキちゃんに会いたいって言ってたから」

「うんっ。キキちゃん、お店に来てくれたの?」

 タズサは肩下まである茶色の髪を濡れた肌に張り付かせながら、にっこりと笑った。

「覚えてる? 多寿沙たずさだよ」

「お、覚えてるよ……庶民マーメイドでしょ……」

 キキは嫌そうに顔をしかめた。紅子は不思議そうに尋ねた。

「キキちゃん、仲良くしたら? せっかくのお友達……」

「別に友達なんて要らないし……」

「要らないかどうかは、作ってみてから決めたらどうかなぁ」

 紅子が言うと、タズサがうんうんと頷いた。

「人間みたいなリザードマンの女の子って初めて。キキちゃんのお話、もっと聞きたいな。ね、ご飯食べたら一緒に遊ぼうよ」

「ぐぬぬ……キキちゃんをまるでヒマみたいに……」

「つまんないって言ってたからいいんじゃないかなぁ」

 紅子の言葉に、タズサがぱっと顔を輝かせる。

「じゃあ遊ぼう!」

「紅子ぉ!」

「お姉さんもうちにおいでよ。アイカちゃんもいるし」

「アイカちゃんって、もう一人のお姉さん?」

 もう一人、紅子やシオンと同じ歳くらいの、ボブカットの女の子マーメイドがいたことを思い出す。

「アイカちゃんは家にいるの」

「いつもは三人で手伝っているのだけど、今日は雨でどうせお客さんも少ないから、おうちでお勉強してるのよ」

 微笑みながらマリが言った。

「お店の裏に私たちのおうちがあるの。もし時間があるなら、後でいらして。よそから来た人間の女の子とお話し出来たら、きっと気が紛れるわ。あの子はアクアリアの外に出たくて、大学は絶対東京に行くんだって、受験勉強してるのよ。あ、ごめんなさいね。お水も出さないで」

 マリはそう言って、また奥に戻って行った。

「店の裏に家があるってことは、ここはアンタんちなわけ?」

 キキがタズサに尋ねる。タズサはプールのへりに肘をつきながら、笑って頷いた。

「うん。そうだよ」

「ご飯って誰が作ってんの?」

「おじいちゃん。おうちにおばあちゃんはいるけど、もう歳だから給仕は出来ないんだって。うち、お父さんとお母さんはいないの」

 タズサは当たり前のようにそう言った。

「死んじゃったの。海で。シー・モンスターに襲われて。わたしは小さかったから、あんまり覚えてないんだ。そのとき、海で大きな戦いがあったの。たくさんのシー・モンスターやシー・ゴーストが出て、たくさんの冒険者たちが戦って、冒険者じゃないたくさんのマーマンがバックアップについたの。モンスターと戦っていて溺れた冒険者を助けようとして、お母さんもモンスターに襲われて死んじゃった。お父さんも戦って、帰って来なかったんだって」

 悲しい過去であるはずなのに、タズサは何でもないことのように話す。産まれてすぐに両親を亡くしたキキも、両親の死を悲しいと思ったことはない。思えるほどの記憶がさっぱり無いのだ。不在を寂しいと思ったことは幾度となくあるが、祖父母が有り余る愛情で埋めてくれた。

 それに、身近に戦いがある者たちにとって、家族の死は珍しいものではない。シオンも本当の両親はいないし、紅子も両親と兄を亡くしている。

「そっか……大変だったね。お母さん、冒険者じゃないのに……」

 紅子が目を伏せ、人間らしいことを言った。

 タズサは愛らしい顔で微笑みながら答えた。

「わたしたちが住んでる場所を守るためだもの。冒険者でも冒険者じゃなくても戦うのは当たり前だよ」

 マーメイドの少女の言葉に、紅子の表情が困惑交じりになったことにキキは気づいた。戦って死んでもそれが当たり前なんて、人間の紅子にとってはそう簡単に割り切れる話ではないのだろう。キキはどちらかというと、タズサの言うことのほうが分かる。同じような教えの許に育てられたからだ。

「だってわたしたちが暮らせる場所は限られてるんだもの。アクアリアは命をかけて守らなきゃ。おじいちゃんもお姉ちゃんもそう言ってたよ」

 無垢な笑みを浮かべながら、タズサはそう言った。




「着いたよ」

 駐車場に車を停めたときには、雨は少し緩んでいた。

「傘を取ってくれ」

 ハイジに言われ、後部座席にある傘をシオンは二本掴んだ。

 空き地を塀で囲んだ小さな駐車場だった。車を停めた場所の壁に、店の名前が書かれたプレートが貼ってあった。

 滲んだペンキで、《スナック・熱帯魚》と書かれてある。

「この店は……?」

 傘を差して立ち止まっているシオンに、運転席から降りてきたハイジが近づいて、答えた。

「やえが任されているお店だよ。営業は夕方からだから、ゆっくり話せる」

 ハイジが後ろを見やり、目線を向けた先には、小さな店がぽつんと佇むように雨を受けていた。どこか古ぼけたスナックの入り口に、黒い薄手のドレスに、淡いベージュ色のストールを羽織った女性が立っていた。大きく前の開いたドレスの胸許に、ふんわりと柔らかそうな栗色の髪がかかっている。

 どこかで見た顔のような気がするのは、きっと桜の仲間だった頃、姿を見たことがあったのだろう。

「彼女がやえだ。僕のかつての仲間で、桜と最後まで一緒だった、唯一の女性だ」

 屋根のかかった入り口の下、やえはシオンを見て微笑んでいたが、その前に降り注いでいる雨が、その姿を物寂しげに見せた。雨が彼女の代わりに泣いている気がしたのだ。

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