ハーピィ殲滅戦
「は……女面怪鳥の群れって……」
怯えを隠せていない顔で呟く紅子に、ハイジは冷静に告げた。
「女面怪鳥は分かるだろう?」
「じょ、上半身が人間の女の人で、肩から下が鳥の魔物……ですよね……?」
「そう。ハルピュイアとも言う。十体以上の群れで遭遇することが多いから、冒険者は複数形でハルピュイアイと呼ぶこともある。繁殖期は非常に好戦的になるから、なるべく顔を出すな。弱い者を見つけて狙ってくる」
「ひぇぇ」
「ここはハーピィの巣だ。風の流れがある。僕たちが入ってきたのとは別の出入り口があるはずだ」
最深部はドーム状の巨大な空洞となっていた。
「待機しているニコねこ屋に連絡を取ろう。千葉の冒険者センターに連絡してもらうんだ」
ハイジが紅子に告げる。
「あっ、えっと、連絡してもらえばいいんですか?」
紅子は慌ててニコねこ屋から借りているトランシーバーを取り出した。
「そう。そのまま戦闘が終わるまで彼らには待機してもらって、戦闘後にまた連絡を入れると言うんだ。僕達から連絡がなければ、あとはセンターの冒険者に任せるように」
「わっ、分かりました。――ええと、もしもし、聴こえますかっ」
紅子がおたおたと連絡を入れている間、他の三人は戦闘準備に入っていた。
刀の柄に手をかけながら、蒼兵衛が崖下を見やる。
「我々が入ってきた側にはシー・ゴーストが沸いていたからな。わざわざ入って来る者もおらず、悠々と繁殖していたわけだ」
「お宝も無かったしね。妖刀以外」
地面に大きなリュックを下ろしながら、キキが魔銃を地面に並べていく。
「怪鳥とはいえ、女を斬るのは気が進まんな……」
「カップルなら斬れるくせに?」
蒼兵衛の呟きにキキが白けた目を向ける。ハイジが言った。
「女に見えるが雌雄同体だよ。蒼兵衛、奴らと戦うときは極力斬らず、鞘ごと打つといい。数が多くて動きが素早いから、刀が血に濡れたら拭う暇が無くなる。ハーピィは打撃に弱い」
「こいつの斬れ味を見てみたかったが……承知」
頷き、斜面を下りて行く。途中、突っ込んできた怪鳥を、刀の鞘で素早く叩き落す。戦闘以外では何の役にも立たないが、戦闘能力は多くの強者を見てきたハイジの目にも驚くほど高い。妖刀さえ持っていなければ何一つ心配は無いのだが。あれがどういう刀か分からない以上、やきもきしても仕方がない。逆に、どんな刀か知るチャンスだ。そうハイジは思いながら、連絡が終わったらしい紅子に告げた。
「紅子、フロアの中央に光を飛ばせるかい?」
「あ、は、はい!」
「下で戦う連中をサポートしてやるんだ」
「はい! ――内なる大いなる力、脈打つ魔力の奔流よ、輝きとなりて、闇の器に満ちよ。愛し子らを優しく抱擁せよ」
詠唱し、杖を掲げると、ドーム全体がぼんやりと光に包まれた。
「おおっ、電気点いたみたい」
キキが感嘆の声を上げた。
「北條式照光魔法だね。これだけのフロアを一気に照らすのは常時魔力を放出する必要がある。北條式は魔力の消費は激しいが、使い手さえちゃんとしていれば便利なものが多い」
このぐらいで彼女の魔力の器が枯渇することも、もちろん無いだろう。
「これだけで下で戦う者にとってはかなりのサポートになる。ハーピィは動きが素早く、知能もそれなりにある。詠唱を必要とする魔道士とは相性が悪い相手だ。紅子はライトを維持したまま下がっていて」
ハイジは短杖を手に、崖下を見て言った。
「シオンは……戦い方を知ってるようだね」
壁を背にし、突っ込んでくるハーピィをソードブレイカーで叩き落としている。峰に付いた櫛状の溝で、爪を引っかけるように捕らえ、そのまま勢いを利用して壁に叩きつけている。
目も反射神経も良い。それに戦い慣れている。埼玉での戦いもそうだったが、中級レベルで出会うモンスターの対処法はほぼ熟知しているようだ。
「ハーピィ殲滅の基本は『叩き落す』ことだ。壁を背にしているのは、後ろからの攻撃を防ぐ意味もあるが、壁に叩きつけてとどめを刺すためだな。あの武器もいいね」
「ソードブレイカー……ブフッ」
『カッコいい』ネーミングにキキが吹き出す。
「笑ってやるなよ。力の強くないワーキャットでも、あれなら敵の突進の勢いを利用し、最小限の動きで倒せる。武器の形状も受け流すのに向いている。余計な力が入るとすぐ折れそうだけど、上手く使っているな」
――そのくらいは戦えないと、桜の弟という期待にはそぐわないけれど。
「おい、リーダー。君はハーピィと戦ったことがあるのか?」
シオンに追いついた蒼兵衛が、群がってくるハーピィを鞘で叩き落しながら尋ねた。
「ああ、何度か駆除に参加したから」
「そうか。私は初めてだ。姉上の言う通り、このまま殴っていればいいのか?」
「姉……? ああ、ハイジか……また怒られるぞ」
シオンは突っ込んできたハーピィの爪をソードブレイカーの櫛で受け止め、そのまま体を反転させ、後ろの岩壁に叩きつけた。
攻撃をいなしながら、シオンは冷静に説明した。
「ここはハルピュイアイの巣だ。この規模だと五十以上はいる。巣穴にもまだいるだろうし、いちいち斬ってたら返り血で濡れて戦いにくくなる」
「そうか」
「見た目より硬いし、打たれ強いから気を付けろよ。槍が本当は一番いいんだ。駆除には槍を持って来る奴が多かった。剣とは相性が良くないから、硬化使ったほうがいいぞ」
「うむ。――我よ刃となれ、刃よ我となれ」
唯一自在に扱える付与魔法を唱え、蒼兵衛の持っている刀が、鞘ごとぼんやり青く光った。
「〈柊魔刀流・蒼刃剣〉……」
そこまで言ってから少し考え、向かってきた二体のハーピィを鞘で力任せに叩き落してから、はっと思いついたように顔を上げた。
「〈飛墜閃〉!」
「今考えただろ……。なんでいちいち名前付けるんだ?」
「格好良いだろうが」
「そんな理由で……?」
「流派と共に格好良い技の名前を叫んでいれば、『柊魔刀流ってすごいな! 格好良い! よし入門しよう!』って思うだろうが。滅茶苦茶大事なことだぞ」
「ああ、そういう……まあいいや。上半身より爪の破壊を狙ったほうがいいぞ」
「うむ」
飛んできたハーピィをシオンはギリギリまで引き付けて躱し、ソードブレイカーで捕らえ、壁か地面に激突させていく。
実際はアドバイスほど簡単でもなく、飛んでくるハーピィの動きを見切り、爪を確実に捕らえることは、熟練冒険者でも難しい。少しでもしくじれば鋭い爪の攻撃で顔面を切り裂かれる。だがシオンはその動きを見極めている。
「お、小野原くんすごい、攻撃なんてぜんぜん見えないよ……」
崖上から紅子が震える声で呟く。巣穴に侵入され気の荒だったハーピィが何体もシオンに殺到している。倒しても倒してもハーピィは湧いてくる。気を抜けば目を抉られ、ひるめばたちまち全身に喰いつかれるだろう。
「ワーキャットは聴力に長け、反射速度は全種族中トップクラスだ。彼は自分の特性を正しく理解し伸ばしてきたんだろう」
伸ばされたのかもしれないが。彼の師と言うべき存在に。
一体捕らえている間にも、他のハーピィの動きを把握し、すぐさま次の動作に入っている。シオンの強みは経験と、それに基づいた冷静さだ。
「ソロファイターはレベルが上がりにくいものだが、戦闘訓練と実戦経験は充分だ。彼の実力は現在のレベルにプラス5は乗せてもいい」
「キキちゃんだって『レベルすごい』だもんね!」
キキが、数丁の魔銃から一丁を取る。
「冒険者博で散財したおじいちゃんの財力を見ろ!」
「冷気には強いよ。群れているところを狙うなら火炎弾、単体なら雷撃弾か無属性だが、ここは属性重視よりも散弾魔銃タイプがいい」
「おう! じゃあ《サラマンデル》から!」
キキが腰を落とし、火炎弾特化の散弾魔銃を構える。
「キキ、ハーピィ殲滅戦は『待ち』が基本だ。ギリギリまで引き付けて撃つこと。モタモタしてると目を抉られるけどね」
「接近してきたら噛み砕いてやる! キキちゃんの顎はワイトをも砕く!」
ショットガンを構えたまま、ガチガチと歯を鳴らす。
「そうだったね……。でも今の君は後衛を守る防衛線の役割だということを忘れないで。こっちに近づいてきた奴だけ撃つんだ」
「くぅ……待ちは苦手だよぉ……」
「あ、あの、ハイジさん……私はどうすれば……?」
おずおずと紅子も尋ねた。
「魔法を維持しつつ、奥で大人しくしていてくれ。もし、キキがしくじって死んだら、僕では戦力にならない。そのときは撤退してニコねこ屋と合流するように」
「キキちゃん死ぬとか簡単に言うなぁ!」
「でも、みんなをサポートとかしなくても……」
「必要無いよ。〈照光〉だけは切らさないように。いいかい、シオンの言った通り、極力巣の中を見ないように。パニックは禁物だよ」
「ど……どういうことなんですか……?」
「ハーピィは肉食で人を喰う為、危険種認定されている。しかも外来種で、繁殖力が強い。ゴブリンもそうだが、日本では繁殖力の強過ぎる外来モンスターを発見した場合、僕たち冒険者は速やかに協会に報告、可能なら殲滅に努める。シオンは撤退より戦闘を選んだ。つまりすでに僕たちの目的は、探索からハルピュイア駆除に変わっている」
「え、えっと……?」
「理解悪いなぁ、紅子は。今のミッションはハーピィ殲滅! 全滅させるまで気を抜いちゃダメってこと。パニック起こさないでよね!」
穴の外に向けて、魔銃を構えたままキキが言う。
「ハーピィはめちゃくちゃ喰うから、巣に餌をどっさり溜め込むんだよ。餌は外で捕まえてきた動物とか他のモンスターとか人間とか! 獲物の保存の仕方も、喰い方も、めちゃくちゃグロいよ!」
「え……」
嫌な予感がしつつ、気づいてしまったら目が逸らせなくなり、紅子は目を凝らした。崖のいたるところに、突き崩されたような横穴が空いていて、黒ずんだ模様が広がっていた。
だらりと垂れ下がった、腕のようなものが見えた。巣穴に貯蔵された『餌』の一部は、まだ生きているのか時折かすかに動いているものもあった。
「ひっ……!」
「だから見るなって。……助けることも考えなくていい。今は今起こっている戦いにだけ専念するんだ。大丈夫、彼らは強いから、ああはならないさ」
ハイジは淡々とした口調で、しかし紅子を支えるように軽く背を叩いた。
「……最初は誰だって恐ろしいものだよ。そして恐ろしいと感じなくなったとき、しくじって死ぬこともある。いつだってしてはいけないのは油断、慢心、混乱することだ。ベテランも初心者も、自分に出来ることだけをこなすしかない。どんなに敵や仲間との力の差がもどかしくてもね」
「おっ、こっち来るよっ!」
数体のハーピィが、紅子たちに気付いて向かってきた。
「引き付けて――撃て!」
ハイジのかけ声で、キキは素早く引き金を引いた。火炎弾が着弾し、炸裂する。突っ込んできた三体が火に包まれ、動きがひるむ。
「撃ち続けて。見た目より耐久力があるぞ」
「分かってら!」
休まず連続で撃ち続け、全弾撃ち終わると、雷撃銃を手に取る。
「次はこっち試すよっ、《サンダーパイソン》!」
火に巻かれたハーピィたちを、狙撃型の雷撃銃で、一体ずつ撃ち落としていく。
「落とすときは落とすと言え!」
下から蒼兵衛の声がしたが、キキは無視して声を上げた。
「ハイジっ、弾ちょうだいっ!」
「はいはい」
ハイジはキキのリュックから弾を取り出し、火炎銃に込めた。紅子がおたおたと手を出そうとすると、
「わ、私もっ……」
「いいから、君は下がって、照光を切らさないように。キキの弾が尽きたら君の魔法に頼ると思うけど、今は温存していて」
「まだまだいけるよっ! おじいちゃんの財力ナメんな! 紅子は大魔法使っちゃダメなんでしょ?」
「そうなのか?」
「え、えっと、師匠から、大魔法はこの旅の間に三発までって言われてて……」
「そういうことは探索前にメンバーに言っておくように」
「す、すみません……」
「だったら、師匠の言うことは守ったほうがいい。判断は君に任せるけど」
ハイジの口調が冷たく感じられるのはいつものことだが、突き放されているように思えて、紅子は途方に暮れてしまった。
ダメだ、また、指示が無いと焦っちゃう。埼玉のダンジョンでは、自分で考えて少しは戦えた。攻撃魔法が使えなかったから、自分に出来ることに専念したからだ。やれることが少ないと、選択肢も狭くなって、結果的に思考をシンプルに出来たような気がする。
頭で考え過ぎちゃだめ。
魔道士の戦い方。もっと、体で覚えなきゃ――。
ぐっと唇を噛んだ紅子の視界の端に、巣穴から這い出そうともがいている『餌』の姿が見えた。遠目ではっきりとは見えないけれど、細長く黒ずんだ何かが蠢いていて、それは血まみれの腕が岩壁をガリガリと引っ搔いているのだと気づいた。見ないようにとシオンが言ったのは、あのことだったのだ。
「……うぇ……」
「は、吐くなら奥でねっ!」
キキが魔銃を撃ちながら、振り向かずに叫ぶ。
「ご、ごめ……なさ……」
口許を手で抑え、頭を振る紅子に、ハイジが告げた。
「見るなと言っただろう。魔道士の君に戦線離脱されては困るけど、どうしても無理なら、とっととニコねこ屋のところまで戻るんだ」
紅子は吐き気を堪えながら、何度も首を横に振った。
「強情は張るなよ。乱戦になれば戦えない仲間を庇って戦うことは出来ない。力不足だと感じたら自ら撤退するのも心得の一つだ。その判断を、自分でするんだ」
「……わ、わたし……」
「泣き言を聞いている暇も無いわ」
「ハイジ、口調口調」
小声でキキが言う。
「すまない。イライラするとつい」
「うう、イライラさせてすみません……」
「だいぶ慣れたよ。――そろそろ湧くよ」
新しく弾を込めた銃をキキに手渡し、ハイジは片手で短杖を握った。
浸み出した海水がところどころ溜まっている場所から、ぼんやりと人型の影が這い出るように出現した。
それぞれが武器のようなものを手にしている。
「ゴーストファイターじゃん!」
「死んだ戦士の怨念の集合体……ワイトと同様に物理干渉出来る上位のゴーストだ。見てごらん、持ってる武器には地域性があってね。ここのゴーストファイターは槍や銛が多い」
「分析すんなぁ! 早く駆除してよ! シオンと蒼兵衛じゃ不利だよっ」
「分かってる。ゴーストファイターは湧いてから生者を認識して動き出すのに少し間があるんだ。完全に形を取ったら、キキ、一体ずつ退魔弾を当てて注意をこちらに向けて。気を引くだけでいい。ここから〈破魔〉で消滅させるには少々距離があるから、確実に僕の存在を認識させないと」
「退魔弾なら、無属性! 《デス・オア・デス》!」
まだ新品の、黒光りする魔銃を取り出す。
ゴーストが沸いても、シオンたちは落ち着いている。
「戦闘中にゴーストファイターが沸くと、戦う手段の無い戦士たちはパニックを起こしがちだ。だが、そちらに気を取られていると、対峙している魔物に殺されてしまう。中級冒険者にありがちな死因だが、その心配はなさそうだな。キキ、まずシオンの一番近くに湧いた奴からだ」
「がってん!」
キキが退魔弾を撃つ。
「当てたよっ! こっち向いた!」
「――死を恐れぬ不遜な魂よ、還るべき場所を失った魂よ、もはや救いは無い、破滅しろ」
動き出したばかりのゴーストファイターが四散し、消滅する。
その間にも、三体のハーピィがキキたちのほうに向かって来る。
「ええと《サラマンデル》!」
慌ててキキは魔銃を持ち替え、炎弾の連射でハーピィを撃ち落とす。
「すぐに持ち替えて」
今度はハイジがキキに《デス・オア・デス》を手渡し、代わりに受け取った《サラマンデル》に火炎弾を込め、自身の短杖を手にする。
「次は蒼兵衛の右手側にいる奴が動くぞ」
「お、おうっ! あ、外した!」
「落ち着いて。気を引いてくれればいい。深呼吸して」
「すーはー……」
「撃て」
キキが深呼吸し、今度はしっかりと狙いを定めて退魔弾を当てると、すかさずハイジが詠唱する。
「――死を恐れぬ不遜な魂よ、還るべき場所を失った魂よ、もはや救いは無い、破滅しろ」
ゴーストファイターが消滅すると、
「すぐに銃を替えて」
「い、忙しいっ!」
キキが火炎弾を撃ち、ハイジが銃を取り替え、弾を込める。淡々と繰り返し作業のように、ゴースト、ハーピィ、ゴースト、ハーピィと仕留めていく。
「ひぇぇ、弾がどんどん減ってくよぉ。貧乏人に射撃士は務まらないよぉ」
「その通りだよ。だからガンナーは少ない。裕福なら普通は冒険者なんてやらないさ。そのうえガンナーは弾が尽きたら自身で戦わないといけない。というわけで、弾が尽きたらハンマーか槍に持ち替えて、後はよろしく頼むよ」
「ううう、キキちゃん大忙しだよぉ! なんかこっちに来るハーピィたちの数増えてるしっ!」
「シオン達のことを警戒し始めたな」
ハイジが崖下を見やる。
「なんとかあっちが注意を引いてくれればいいんだけどね。期待しても仕方ない。こっちはこっちでやることをやるんだ」
「役立たずの男どもめ!」
戦い通しの二人の背後で、紅子は杖を握って立ち尽くしていた。
ハイジに言われた通り、魔法の光を維持はしているが、全員が連携して戦っている中、自分の判断でどんな攻撃魔法を使っていいのかが分からない。
草間から大魔法禁止と言いつけられたことも、紅子を悩ませていた。強力な魔法を使っていいのは三回だけ――その三回を、どこで使っていいのかが分からない。
逡巡し、結局何も出来ない。
そんな紅子の焦りが、ハイジには手に取るように分かった。
それこそが彼女の師とやらが彼女に与えた課題なのだろう。
使って良い大魔法は三回――そんな雑な言いつけを、どの場面でどこまで守るべきなのか。破るべき場面がきたとしたら、どうするのか。そもそもダンジョン内の戦闘で強力な魔法が使えない状況などいくらでもある。
その場の状況、パーティーの力量、残すべき余力。それらを見極め、使うべきところで適切な魔法を使う必要がある。
咄嗟の状況判断。それは場数を踏んで学んでいくしかない。
ハイジがかつて身を寄せていたパーティーは、それぞれが経験を積み、その上で自ら見出した特性を生かし、戦っていた。
圧倒的な戦闘力、殲滅力、判断力を兼ね備えたリーダー。攻防に優れた屈強な肉体を持つリザードマンの戦士。剣と魔法をバランス良く使いこなす魔道戦士。戦闘補助と後方支援に長けた魔道士。
それぞれが自分の力を見極め、また仲間の力もよく知っていた。
それに比べると、このパーティーはまだ場数が足りない。紅子以外はそれなりに戦いの経験があり、特にシオンは戦い慣れているが、パーティーとしての戦闘経験は圧倒的に不足している。
それだけに紅子が予想外の行動を取ると、あっという間に崩壊しかねない。彼女は自分が、自分で思っているより強力な魔道士であることを自覚していない。
というより、あまりに普通の女の子過ぎる。
こうまでして、普通に育てる必要があったのだろうかというほどに。
ほとんど表の記録が無い浅羽光悦という魔道士。それに浅羽透哉のどうにも胡散臭い雰囲気といい、浅羽という一族がひどく気味悪く感じられる。紅子がこの程度の戦いで臆するような、普通の少女であればあるほど――。
「あー、もう、また来たぁ! どんだけいるんだよ!」
キキがギャアギャアと騒ぎながら魔弾を撃つ。ハイジは弾を込めた銃を彼女に手渡した。
(……それをいま考えても仕方ないな)
紅子の魔法が無くとも、この程度の戦闘で窮地に陥るようでは、シオンが桜の遺体を捜すことなど、とても出来ないだろう。
彼の目的の行きつく先に、もし《敵》がいるとしたら――それは、桜を殺めたほどの相手ということだ。
「おい、リーダー。ゴーストファイターはこのまま姉上達に任せていていいのか? ハーピィ達も警戒するようになってしまったが」
さっきから上では火炎弾が炸裂しっぱなしだ。キキとハイジのお陰で、湧いてくるゴーストファイターを相手せずに済んでいるのは助かるが、向こうがハーピィの注意まで引き付け始めている。
巣穴に留まり、様子を伺っているハーピィは、最初のようにいきり立ってがむしゃらに向かってはこない。
「ダガーを当てたくらいじゃ気を引けない。オレたちもメイン標的をゴーストファイターに切り替えよう。効きにくいけど、物理攻撃がすり抜けるわけじゃない。とりあえず引き付けておけば、キキたちの負担を減らせるし、ゴーストファイターと戦っている隙を見てハーピィがこっちを狙ってくるはずだ」
「うむ。スケルトンならなぁ……」
呟きながら、蒼兵衛は自身の魔力光で青く光る妖刀の鞘を、懐紙を使って汚れを拭い取った。
そして、右手で柄を握ると、抜刀した。
瞬間、身震いするような禍々しい妖気を感じ取り、シオンは思わず身を引いた。
「そ、蒼兵衛……それ大丈夫なのか……?」
「え? なにがだ?」
海に沈んでいたとは思えないほど美しく輝く刀身が、青い光をともなって、より怪しい光を放っている。
「不思議な感覚だ。〈蒼刃剣〉は刀と我が身を一体化とする剣技だが」
「〈硬化〉だよな?」
「いつもより深く刀と繋がり合っている感覚だ。まさに我が刃となり、刃が我となったかのように。私の闘志に呼応しているかのように感じられる」
「ああ……」
妖刀に魅入られてるんだもんな……とシオンは思いながら、口にはしなかった。
「今の私なら、何でもぶった斬れるような気がする。死者の未練さえも――」
蒼兵衛は再び刀を鞘に収めると、腰に下げ、ふらりと足を踏み出した。そのままスタスタとゴーストファイターの許へ歩いて行く。彼はいつも力の抜けたような動きをするが、より肩に力が入っておらず、殺気など微塵も無い。ゴーストファイターが蒼兵衛に槍の穂先を向けても、気に留めず歩いている。
「……〈柊魔刀流奥義・悪霊退散斬〉……いや、〈悪鬼一刀断〉というのはどうだろう……?」
「蒼兵衛!」
槍を構えたゴーストファイターが素早く踏み込む。速く鋭いその突きを、蒼兵衛は体を反転させただけで避けた。直後、ぐっと身を低くし、大きく一歩踏み込んだ。
蒼兵衛の踏み込みは速い。瞬きする間に間合いを詰め、ゴーストファイターの懐近くに潜ったかと思うと、もはやシオンの目でも追うのがやっとな速度で抜刀し、一刀両断に斬り伏せた。
――ゴーストを、だ。
「……ゴーストを斬れる……剣なのか……?」
シオンは唖然として呟いた。ゴーストは霧散し、消えた。
「お?」
斬った当人も目をぱちくりとさせ、刀をまじまじと見ている。
「幽鬼が斬れる刀か――うむ、これは拾い物だ。素晴らしい刀だ。この先の戦いに役に立つ」
「そ、それはそうかもしれないけど……」
シオンは顔を引きつらせた。ゴーストを斬れるほどの妖刀。たしかに役には立つだろう。しかし――。
「そんなもの使い続けて大丈夫なのか……?」
……確実に呪われる気がする。
「使えるものは使ったほうが良いに決まっている。姉上の負担を減らせそうだな。よし、リーダー。ゴーストは任せろ。お前はハーピィをやれ」
「あ、ああ」
言われて、戦いの最中だったと気を引き締め直す。
蒼く輝く刀を手に、蒼兵衛はどんどんゴーストたちを斬り伏せていく。蒼兵衛がゴーストと戦っている隙を狙って降下してきたハーピィに、シオンも地面を蹴って急襲し、二振りのソードブレイカーで叩き落した。
上でキキが撃っている炎弾や雷弾を受け落下してきたハーピィにもとどめを刺していく。
あまりの数の多さに流石に体が重くなってきたが、蒼兵衛が疲れ知らずなのが心強い。言動は痛いが、徹底した食事制限と普段の鍛錬がこういう場面でちゃんと生かされている。
キキの魔弾の援護と、ハイジの存在のお陰でゴーストをさほど気にせずに済む。紅子の魔法で視界もかなり助けられている。
ソロならハルピュイアイ殲滅なんて絶対にしない選択だ。
「パーティーで戦うって、なんて楽なんだ……」
「いや、少し前はパーティーで戦うことに凄くイライラしていたぞ君は」
最後のゴーストファイターを斬り捨てながら、蒼兵衛が言った。
「じゃあ、パーティーが成長したんだ」
「うむ。そういうことだろう。良かったなリーダー」
「それにシャーマンがいるとやっぱり心強いな。キキの援護もちゃんとしてたし、ハイジがついてくれてるからだろうな」
「うむ。ワニ子の判断ではあるまい。何しろあいつは噛むか千切るかしかないからな」
最後の一体が、炎に包まれて落下してきた。シオンは腰に差したダガーを抜き、近づいて首筋に突き立て、喉を掻き斬ってとどめを刺した。
「こいつで終わりだ」
目につくハーピィを全て駆除すると、シオンは近くにあった巣穴を覗き込んだ。
「どうだ?」
「臭い……」
フロア全体に独特の異臭が満ち、分かっていたことだが巣穴はより臭いが強かった。肉塊と化した餌は一部が腐りかけている。元が何だったのか分からないものはまだいい。中には巣穴でまだ生きている餌もいるだろう。もちろん五体満足なものはいないだろうが。
「見ても仕方ない。後はリョータ達に任せよう」
妖刀の刃を懐紙でしっかり拭い取りながら、蒼兵衛が言った。
シオンもウエストポーチから取り出した布で、ソードブレイカーやダガーの刃を拭いつつ、上を見上げる。
「浅羽はパニック起こさなかったかな」
「何事も無かったから大丈夫だろう。姉上もいるし」
「その呼び名さ、絶対やめたほうがいいぞ」
「うむ。自分でもそう思うんだが、なんかしっくりくるんだよな。姉がいなかったから、姉と呼べる人が出来て嬉しいのもある」
「なんでそうなるんだよ」
「しかしなぁ、兄上ってかんじでもなくないか?」
「普通に呼んでやれよ……」
ここで最初の探索は終了することをシオンは決めた。
「ハルピュイアイの巣の中にあったら、センターが雇った回収屋に持って行かれてしまうぞ」
と蒼兵衛が言ったが、シオンは首を横に振った。
「前に浅羽が言ってた。近づけば分かるって。最深部まで来ても浅羽は何の反応もしてない。それが分かったら充分だ」
「それって何メートル以内の話だ?」
「分からないけれど、ここまできて浅羽の魔力感知に引っかからないんだ。このダンジョンは外していいと思う」
今頼れるのは紅子の感覚しかない。その感覚こそが、一番頼りになる 彼女が反応を示さないのなら候補から除外していいだろう。
「魔力感知といえばワーラビットだよな。ワーラビットのバックアップを頼むのもいいかもしれん。ワーラビットは小柄で愛らしい女性が多いし、大柄だが愛らしいところもある蒼兵衛さんと合うかもしれないし、二人の間にはすごく愛らしい子供が産まれるかもしれんぞ」
「資金に余裕が出来たらな」
言いながら、シオンは巣穴の一つに近づいた。
「おい、探さないんじゃないのか」
「いや、ここから呻き声が聴こえた。生きてるかもしれない」
ダガーを抜いて片手に握りながら、巣穴を覗き込む。
しばらくして、返り血を浴びて出てきたシオンに、蒼兵衛が声をかける。
「どうだ?」
「……人間や亜人じゃなくてメロウだった。ハーピィの幼鳥に喰われて死にかけてたから、とどめを刺した。念のため、他の穴も見ていく」
「親切な男だな。巣穴だらけだ」
「上のほうは無理だし、ニコねこ屋が来てくれたら後は任せるけど、もしかしたら生きた人間や亜人が捕まってるかもしれない」
「キリがないぞ」
と言いながら、蒼兵衛も一緒に巣穴を調べてくれた。
「リーダー、さっきの幼鳥はどうしたんだ?」
「駆除した。幼鳥も駆除対象だからな」
「淡々と言うの怖いな……。鬼熊のときを思い出すぞ」
「今度は助けるって言わないのか?」
「うむ。仔熊は可愛いと思えるが、ハーピィはあんまり……」
「そんな理由だったのか……」
「絶対に懐かないしな。鬼熊は可愛かったぞ。実はあの後もちょくちょくあいつらの様子を見に行っていてな」
「はぁ? そんなことしてたのか」
シオンは呆れた声を上げた。
「せっかく野生に帰したのに。人に馴れさせたら駄目だろ」
「うむ。分かってはいたが心配でな。すっかり私に懐いて、私を見ればじゃれついてきてな。相撲を取ってやったりして遊んでやっていたんだが、どんどん体がでかくなってきてな……じゃれつかれたときに首を捻挫して、本気で命の危険を感じて、涙の別れをしてきた」
「本当に勝手だな……でも早いうちに別れて正解だ。二度と蒼兵衛とは関わり合いにならないほうがいいと思う」
「金月に銀月……達者で暮らしていればいいんだが……」
「名前まで……大丈夫だよ。人里にさえ現れなきゃ。それ以外にあのあたりで鬼熊の敵になるモンスターなんていないし」
「銀月が女の子だぞ。紅子が治したほうだ。双子の女の子と男の子だ」
「ふーん……あ、ハシゴ下ろしてくれたぞ。行こう」
上からリョータたちが縄梯子を下ろしてくれた。シオンはダガーを仕舞い、蒼兵衛を促した。
後の処理を全てリョータたちに任せ、ダンジョンの外に出たシオンたちは、とりあえずその場に腰を下ろした。
「お疲れ様で~す」
外で待っていたミナがクーラーバックから取り出したペットボトルを配って回る。
「これはニコねこ屋のサービスですから、お金は取りませんよー」
「へー。助かるな」
「はい、タオルも使ってくださいね」
「ありがとう」
シオンはふうと息をつきながら首許のスカーフを緩め、ミナから受け取ったタオルで汗と返り血を拭った。
「探索のつもりが、ハルピュイアイに遭遇するなんて……かなり体力使っちまった」
呟き、ペットボトルの水をゆっくり喉に流し込む。まず冷たい水で口の中を湿らせ、少しぬるくなってから飲み下す。
「お陰で討伐報酬が出るぞ。探索は外れでも金策にはなったじゃないか」
蒼兵衛が言い、おしるこの缶を開ける。
「それに、この刀とも出会えたしな」
愛しげに妖刀の柄を撫で、珍しく口の端を持ち上げにぃっと笑う蒼兵衛を、仲間たちは眉をひそめながら見つめた。
「絶対呪われたってアレ。ゴーストを斬るたんびに寿命縮んでるとキキちゃんは思う」
「内臓が一つずつ消失するとか面白いかも」
「おっ、いいね、それ!」
「よくないし、面白がっちゃダメですよぅ……」
楽しげに話すキキとハイジを、紅子が弱々しくたしなめる。
「蒼兵衛さん、どうなっちゃうのかな……」
「いずれ死ぬんじゃないかな」
「キャハハハ!」
「ヒィィ! そんなのやですよぉ!」
「冗談だよ。明らかに様子がおかしくなってきたら、何とか呪いの専門家を探すよ」
ハイジがそう答えると、紅子は少しほっとしたようだった。キキはずっと腹を抱えて笑っていたが。
「シオン。一緒に戦っていて、どうだった?」
「蒼兵衛の様子か? 別に普通だったけど……強いのはいつも通りだし。ただ……」
言葉を濁すシオンを、蒼兵衛以外の仲間たちが黙って見やる。
「……あれ、ちゃんと蒼兵衛だよな……? すでに妖刀に乗っ取られてたりしないよな……?」
「ああ、たしかに、そういうのもあるかもしれないね」
「内側から乗っ取られるやつ?」
「ヒィィ」
「おい、なにをブツブツ話しているんだ、お前達。蒼兵衛さんは仲間外れは嫌いだぞ。一人ぼっちにしたら全員叩き斬ってやる」
「ヒィッ……」
「ほら、なんか気軽に斬るとか言うようになってるし……」
「前からあんなモンだったじゃん」
蒼兵衛は機嫌良さげに、刀を腰から抜いた。咄嗟に全員が後ずさりする。
「気軽に抜くなぁ!」
「この刀に名を付けようと思ってな。《残心》とはどうだろう」
「どうって言われても、どうでもいいや」
キキが無下に告げる。
「敵を斬った後も、油断せず心を残し反撃に備える、戦いの基本だが、この刀を握っているとひどく心が澄み渡る。体が自然と次の敵に備えている。どうも私とは相性がかなり良いようでな」
「良かったじゃん、彼女出来て」
「無機物だけど」
「ありがとう、ワニ子、姉上」
「ワニじゃねえよ! リザードプリンセスっ!」
「内臓全部破裂したらいいのに」
いつもの蒼兵衛と変わりないが、やはり心配でシオンは声をかけた。
「蒼兵衛、本当に大丈夫なんだよな?」
「何がだ? 私はすこぶる元気だぞ。顔色が悪いのはそっちだろう」
と、紅子を目線で示す。
ハルピュイアイとの戦闘からずっと顔色が冴えない。
見るなとは一応言ったが、見ないわけにもいかなかっただろうな、とシオンは思いながら、紅子に声をかけた。
「浅羽、大丈夫か?」
「あ、うん! ぜんぜん平気だよ! 一人だけ戦ってないから、体力めちゃくちゃあるし!」
と言いながらも、顔色は確かに悪い。紅子にしては珍しく、お腹が空いたとも言ってこない。
「お腹、空いてませんかー?」
ミナが声をかけると、紅子は力無く笑って頷く。
「空いてます……」
「空いてたのかよ!」
すかさずキキが突っ込む。
「ハルピュイアイの巣を見た後で空腹を覚えるなんて、大物だね」
「食べられるならそのほうがいい」
呆れた顔をするハイジに、シオンは小さく笑って言った。
「けっこうでかい照光使ってくれてたし、疲れただろ。あれ、すごく役に立ったぞ」
「ほんとっ?」
シオンの言葉に紅子がぱっと顔を上げる。そしてまた俯く。
「す、少しは役に立ってたかな……?」
「ああ。魔法でサポートしてくれるなら、ライトが一番ありがたいから」
するといきなり、紅子が目をうるうると潤ませた。そして胸に手を当て、心底ほっとしたように呟いた。
「……よ、良かったよぉ……何していいのか分かんなかったから、小野原くんがいなくてもハイジさんが色々教えてくれて良かった……これからもずっと傍にいて指示出してください……」
「嫌よ! ちょっとは自分で考えなさい!」
ハイジは怒鳴ってから、ハッと口許に手を当てた。その肩を、キキがぽんぽんと叩く。
「無理しないでいいよ……病気は治るけど趣味は治んないってキキのおばあちゃんが言ってた」
「……別に趣味じゃないわよ」
「女装趣味じゃないなら、何故姉上は姉上なんだ?」
訊きにくいことをハッキリ尋ねる蒼兵衛に、その場がシーンと静まり返った。
「そんなことより、少し休んだら次のダンジョンだぞ」
「ええーっ! もうっ!?」
シオンの言葉に、キキが不服の声を上げた。
「疲れたよぉ! 弾少なくなったし、ホテル帰ろうよぉ!」
「そんなペースじゃ滞在中に全部のダンジョン回れないだろ! 次はそんなにでかいダンジョンじゃねーから」
「ごめんねキキちゃん……よろしくお願いします~……」
紅子が申し訳無さそうに頭を下げる。
「はー……しゃーねーなっ!」
「なぁ、話が終わってないぞ。何故姉上は姉上なのか……」
「お前はもうしつこい!」
蒼兵衛の言葉を遮り、シオンははっとハイジのほうを見た。てっきり怒っているだろうと思っていたら、笑っていた。どの辺りがツボに入ったのか分からないが、目を細めて小さく笑っている。
「……本当に、クッソ頭悪いパーティー。あまり気安く近づかないでね。一緒にいたらこっちまで頭悪くなりそうだから」
「笑いながらキツいこと言うなぁ!」
キキが飛びかかろうとするのを、シオンは首根っこを押さえて止めさせた。