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迷宮のドールズ  作者: オグリ
三章
62/88

探索

「――迷い子よ、閉じない環から外れた魂よ、恐れるな。死は誕生。死は眠り。永遠を循環する魂は、ひとときの安寧ののち、また此処で、産声を上げるだろう」

 凛とした声と共に、ハイジが手にした短杖を軽くふっと持ち上げる。

 それはオーケストラの指揮者が、指揮棒をゆっくり振り上げ、ピタリと止める仕草に似ていた。

 その『ピタリ』の部分で、海面から伸びていた無数の白い腕が、一瞬白く輝き、霧散した。

「これで、このフロアは大丈夫だよ」

 静かな詠唱を終えたハイジが告げる。

「もう聞き飽きた呪文だなー、それ」

 失礼なキキの言葉に、ハイジが眉も動かさず答えた。

「僕だって飽きてる。これからもっと聞き飽きるよ」

「だったらさぁ、紅子みたいに『消えろ!』とかに詠唱短縮出来ないの? ハイジだって霊力強いんだしさぁ」

「ソーサラー・マジックとシャーマン・マジックはそもそも系統が違う。ソーサラーの詠唱は集中を助けるもの、シャーマンのそれは祝詞や念仏のようなものだ。死者を昇華させるのには手順というものがある」

「ほうほう」

 したり顔でキキが頷く。

「一歩間違えると怨念を昇華するどころか術者に呪いカースがかかる。シャーマンの死亡原因の二割はそれだよ。除霊をする術者に代償が無いわけじゃない。澱みが自分の中に溜まる。それを昇華する術を知らないシャーマンはいずれ死ぬ」

 海水の入り込んだダンジョン内で、ハイジの声だけが淡々と響いている。しんとしてゴーストのざわめきも聴こえない。

 先ほどまで白い腕が突き出ていた海面も、いまは穏やかだ。

 海蝕ダンジョン《鏡ヶ浦残響洞》の中は、意外にも砂場が多く、波打ち際でも歩いているかのようだった。岩場と海水ばかりなのかと思っていた。広さもそこそこあり、緩やかに下に進んでいくタイプのダンジョンである。ここまでは敵もおらず、探索はそれほど困難ではなかった。ニコねこ屋もこの辺りまでは問題なく探索出来たようだ。

 シオンたちも同じように進んでいくうちに、開けた場所に出た。そこがゴーストの巣窟と化していた。

「ここが、ニコねこ屋が報告してくれたポイントで間違いない」

 シオンがランタンの灯りで報告書を照らしながら言った。

「ニコねこ屋が探索してくれたのはここまでだ。ここまで降りてきたところで、白い腕を見て撤退したと言っていた。ここで間違いないだろうな」

「不気味だった……」

 紅子がほっと息を吐き出しながら呟いた。

 海面から突き出ていた無数の白い手は、ハイジのターンアンデッドで跡形も無く消え失せてしまったが。

 たしかにこれでは、シャーマン無しで探索は不可能だ。

 紅子の灯りがフロア全体を照らしているおかげで、ダンジョンとは思えないほど明るい。

 小さな砂浜に波が打ち寄せている。ダンジョンの中というより、箱庭に入り込んだような気分だ。

「ここは、小さい海みたいだな……」

「なんか、隠れ家ってかんじだよね」

 紅子の言葉に、ハイジが頷く。

「昔はそうだったのかもしれないね。冒険者や、海賊の」

 砂の上には波で運ばれた漂流物が散らばっていた。蒼兵衛が言った。

「今でも入り込んでいる奴はいそうだな。無許可でダンジョンを訪れる奴は無法者と相場が決まっている」

「えええ、もう密猟者とかやだよぉ……」

 鬼熊と遭遇したときのことを思い出したのか、紅子がぎゅっと眉をひそめた。

 いまのところ紅子の様子は普通だ。シオンは安心させるように答えた。

「ゴーストがあれだけいたんなら、誰も入り込んでないんじゃないかな。人間は」

「人間はって言わないでぇ!」

 安心させるつもりが、紅子が杖をぎゅっと握ったまま身を硬くする。

「普通じゃない人間もいるがな」

 ひぃぃと声を上げる紅子に、それこそ人間離れしている蒼兵衛が他人事のように言う。

「小さい海というか、浸蝕してきた海水が溜まって出来たプールと言ったほうが正しいかな」

 ハイジが言うように、海面にはほとんど波が無い。潮の流れも止まっているようだ。

「あそこは探索するのかい?」

 波が打ちつける岩壁をハイジが短杖で指し示した。

 子供一人なら通れそうな亀裂が走っている。

 ハイジがキキに目を向けた。

「ん?」

「それじゃあ、どうぞ」

「どうぞ」

 と蒼兵衛もハイジと一緒にキキを見やった。キキが声を上げる。

「そこ入んの!? さっきめっちゃ腕出てたとこだよ!?」

「失敬だな。僕の〈即時除霊ターンアンデッド〉は完璧だ」

「まずオレが入ってみるよ」

 シオンは海に近づいた。

「うええ、入んのぉ?」

 キキが嫌そうな声を出したが、さっきまで腕が突き出ていた海に、シオンはザブザブと入って行った。

「わっ」

 途中、急に深くなり、ずっぽりと腰まで浸かってしまった。

「ここから急に深くなるな……」

 亀裂の入っている場所まで歩いては行けそうにない。シオンは引き返した。

「ポーチの中濡れちまった……あの亀裂の更に奥に行けそうなんだけどな」

 海水に浸かった亀裂はかなり深そうだ。

「キキの体ならギリギリ侵入出来そうだ」

「あの奥まで一人で行って足引っ張られたらどうしてくれんのさ……」

「わ、私だったら無理……」

 ジト目でキキが睨みつけ、紅子がぶんぶんと頭を振った。

「だから、僕の除霊は完璧だって。ゴーストはもういない。気配もしない。それ以外のモンスターは知らないけど」

「オイコラァ!」

「大丈夫だ、大きな生き物がいるような音はしない」

 シオンは耳を動かし、ワーキャットの高い聴力で、注意深く異音を探った。

「モンスターの気配は無い。ただ、深さは分からないから、ちゃんと体にロープを結んでおこう」

「サメのモンスターとかいたらどうすんの!?」

「ワニ対サメの戦いが見られるな」

「クソザムライがぁ!」

「サメのゾンビもいるんだよ。知っていたかい?」

「やめろぉ!」

「でも、よく考えたらゴーストって脅かすだけで、実際は触れないんじゃ? どうして海でゴーストに足を引っ張られるんだろ?」

 紅子が疑問を口にした。

「簡単なことさ。海の幽霊シーゴーストは街に出るゴーストより基本的に強い。物理干渉してくるものもいる。海で泳いでいてゴーストに足を引っ張られる事故が起こるのはそういうことだ」

「うう、そんなの聞くとますます海で泳げないよぉ……」

「生者に物理干渉出来るというのは、強いゴーストである証だ。だけど僕の除霊は完璧だから。安心してどうぞ」

 キキが顔をひきつらせる。

「それはちゃんとサメのゾンビも除霊してるわけ……?」

「残念だがゾンビにターンアンデッドは効かない」

「ポンコツ霊媒士ィ!」

「案ずるなワニ子。ロープは責任持って引っ張ってやるし骨も拾ってやるぞ」

「殺すなぁ!」

「頼む、キキ。ここはお前しか無理なんだ」

 ギャーギャーと喚くキキに、シオンは真剣に頼んだ。するとキキがきっと顔を上げた。

「……あたししか?」

「ああ。頼りになるのはお前だけだ」

「いま一番頼りになるのは……」

「お前だ」

 ぱっとキキの顔が輝いた。かつて散々クビの恐怖に怯えたキキは、シオンから真剣に頼まれて俄然気を良くした。そして偉そうにふうと息をついた。

「……仕方ないね。キキちゃん水中仕様になるか……」

 背負ったリュックと、ハンマーと槍、銃火器をどすんと降ろし、冒険者仕様にあつらえたロリータドレスを躊躇なく脱ぐと、その下には全身をピッタリ覆うウェットスーツを着ていた。足を覆っているのはいつもタイツだが今日はウェットスーツだったらしい。

 リボンを結んだ頭まで、ウェットスーツでしっかり覆う。

「わはは、似合うぞ! 全身タイツワニ娘!」

 笑って茶化す蒼兵衛に、キキがふんと鼻を鳴らす。

 ウェットスーツは特注なのか、ぴょこんと飛び出した短い尻尾までちゃんと覆われていた。

「おいワニ子、ケツに変なもの付いてるぞ」

「尻尾じゃ!」

 キキは吠え、体にロープをくくりつけると、槍を手に、ザブザブと海の中に入って行った。

「ツーテール・マーマンの獣堕ちってあんなかんじだよな」

 蒼兵衛がぼそっと言った。

 キキが十歩ほど進んだところで、ずるんと小さな体が一気に胸まで沈んだ。

「おわっ、いきなり深い!」

「だから深くなってるんだって。気を付けろよ」

「ええと、明かり増やすね。――あのへんまで飛んで」

 紅子が長杖を手に、生み出した照光ライトの光をキキのほうに飛ばす。光の球は海の上をふわふわと浮いて留まった。蒼兵衛が感心したように言う。

「あれは便利だな」

「待てよ、キキ。これ使え」

 腰まで海中に浸ったキキの傍まで行き、シオンは懐中電灯と、ダガーを一本手渡そうとした。

「亀裂の中は狭いから、槍じゃ泳ぎにくいだろ」

 するとキキが真顔で言った。

「そのライトさ、頭にくくりつけてくんない?」

「え? ――こうか?」

 シオンはポーチから頭部装着用のベルトを取り出し、キキの顎から黒くツルンとした頭頂にロープをかけ、軽量のライトをぎゅっとくくりつけた。頭の上に、ちょこんと懐中電灯を乗せた姿に、

「わはは、ちょんまげ!」

 背後から蒼兵衛の笑い声が聴こえたが、無視してシオンは電灯のスイッチを入れた。

「あ、けっこう明るいなぁ、これ」

 新しい道具の性能に、シオンは満足してそう呟いた。

 冒険者博エクスポで透哉に買ってもらったばかりの新品だ。ここまで紅子の魔法が便利で使う機会が無かったが、けっこう性能が良さそうだ。

「このライト、防水?」

「防水」 

 キキは槍をシオンに手渡し、代わりにダガーを一本受け取った。

「おっ、軽いね。いいダガーじゃん。持ちやすいし」

「だろ。持ち手のところ、透哉さんが加工してくれたんだ」

 良い買い物が出来ると嬉しい。持ち手も丈夫で握りやすいデミ・リンドブルムの牙を加工してもらい、特別仕様になった。

「ピンクじゃなくなったんだ……つまんない。落としたらごめんね」

「……ん……まあそんときは仕方ねーけど、なるべく気を付けてくれ……高かったんだ……」

「ラジャ」

 新品のダガーの持ち手部分をガブリと咥え、キキはどぷんと音を立て、水に一度潜った。かと思うと、すぐにぷかりと浮かんできた。水面から顔だけ出して泳ぐワニのように、小さく折りたたんだ手足を前後にふよふよと動かし、スィーと前に進んでいく。時折プカリと背中が浮かび、尻尾を左右に振ってバランスを取っている。

「わ、独特の泳ぎ方だねぇ」

「やはりリザードマンではなく、ワニでは……」

「泳ぐの上手いね。泳ぎ方はともかく」

 シオンも陸地に上がった。蒼兵衛が握ったロープがしきりに動いているのは、キキが探索していることを伝えている。

 五分ほどして、再びスィーと顔だけ出し、戻って来た。

「なんかあったか?」

「あった」

 咥えていたダガーを離し、シオンに返しながら、キキが言った。

「亀裂の先はけっこうあって、上はどんどん低くなってくんの。天井と海面が近くて、大人だったら息継ぎ出来ないと思う。潜ってみたら、けっこう水が綺麗で、底まで見えたんだけど」

「うん」

 キキが説明している間、紅子がリュックからバスタオルを取り出し、キキの体を拭いていた。それから杖を手に、ぶつぶつと呟く。

「えっと、服を乾かす魔法は……炎熱系の応用で……」

「えっ、ちょっと、紅子! いいよ! 燃えるのはイヤだ!」

「も、燃やさないよ!?」

「アンタが火力間違ったら笑えないもん! 使わなくていい!」

「そんな、ダンジョン内はけっこう涼しいし、風邪引いちゃうよ?」

「消し炭になるくらいなら風邪引いたほうがマシだよ!」

「――それで、底になにがあったんだ?」

 探索の成果が気になるシオンが尋ねると、ああ、とキキが慌てて顔を向けた。

「潜って底までいくと、壁に亀裂ってゆーか、穴があってさ。そこに更に細い道があったの」

「肺活量すごいな。さすがワニ娘」

「リザードマンは内臓が強いんだよ。あれだけの《轟声バジング》が出せるくらいだから」

「もー、ちゃんと話聞いてよ! キキちゃんがんばったんだから。道の奥に、またぽっかり広い部屋みたいなとこがあったの」

「水の底にか?」

「そう。下のほうの壁にまた穴が空いててね」

 全員さすがに黙って聞き入った。

 マーマンでさえ子供でなければ探索出来ない場所だろう。隠し部屋といってもいい。

「んで、そこになんか武器がいっぱい沈んでた」

「武器?」

「マーマン戦士か、海賊のものじゃないか?」

 不可思議そうな顔をするシオンに、蒼兵衛が言った。

 さらにハイジが推論を述べる。

「隠し場所にしても、大人では辿り着けないような場所だ。かつては海に侵食されていなかったのかもしれないね。もう昔の話だろうけど」

「なんか持ってこようかと思ったけどさぁ。さすがに息が続かないし、いったん戻ってきた。潮の流れは止まってるんだけど、わりと深いんだよね。あと、白骨っぽいのも見えた。持ち主かな?」

「白骨の傍から何かパクッてこようとするお前、末恐ろしいな……」

 蒼兵衛が不気味なものを見るかのように、キキを見下ろす。

「その体と武器の持ち主は、もうとっくにゴースト化してるだろうね」

「さっきの手?」

「うーん、どうかな。ああいうのは、すでに個の魂じゃないからね。一つ一つがそれほどの力を持たない、怨念の集合体でね。海で戦って死んだような者の浮かばれない魂は、わりとめんどくさいかんじのアンデッドになってたりするんだよね。このダンジョンのどっかにいるかもね」

「ひいい」

 紅子が身を竦ませる。

「遺失物があるんだったら、センターに報告だけはしとくか」

「あ、ちょっと待って。もっかい見てきていい?」

 シオンの言葉に、キキが慌てて言った。

「取れるモンは取っとかないと。センターが回収屋に依頼したら持ってかれちゃうじゃん」

「いや、きっと誰かのものだし……」

「その誰かはすぐ横で白骨化してたから。気になるモンがあってさぁ」

「魔石か?」

「違うんだけど……とにかく行ってくる。紅子、肉体強化エンハンスして!」

「は、はい! どれがいい? 詠唱はどれがいい? 浅羽式? 森塔式?」

「なんでもいいよ。潜るだけだし……。ただ、リザードマンにはあんまし肉体強化効かないから、強めによろしく」

「じゃあ、長いけど強力な浅羽式で……おじいちゃんのポエムだけど……」

「まだ気にしてるのか……」

 紅子が片手に杖を持ったまま、もう片方の手でキキの体に触れ、肉体強化の呪文を唱える。

「私が触れたところから、私はあなたに力を注ぐ。私の魔力であなたを生かす。あなたは誰より強く、あなたは何より迅く、あなたの心はすべてを怖れない。私の指先から、私の魔力をあなたに注ぐ。それはあなたの心臓から、血、肉、骨、皮、はらわた、魔素のすみずみにまで行き渡る。あなたという魂の器を駆け巡り、満ちて、あなたはひととき、今のあなたを超える」

「よっしゃ、グガァッ!」

 キキが気合いの吠え声を上げる。

「いまの詠唱も浅羽式? 登録はされてない詠唱式だね。浅羽光悦作にしてはずいぶん女性的だし」

 ハイジが尋ねると、

「あ、オリジナルは『あなた』が『お前』だったんですけど。練習してみたら、私にはちょっと『お前』って言いにくくて……」

「なるほどね」

「行くぞオラァ!」

 腕を振り上げながらキキが水に突撃していく。小さな体がどぷんと海面に沈んだかと思うと、すぐにぷかっと頭と背中が水面に出てきた。尻尾をピコピコと動かしバランスを取るという独特の泳ぎ方で亀裂まで泳いでいくと、再び水中の獲物を獲りに行くワニのように海中へと潜っていった。

「うう、白骨に向かって泳ぐなんて、私には無理……」

「うむ。骨ごときワニ子にとってはただの食い物なのかもしれん」

「子供の亜人冒険者って便利なんだよね、こういうところで。一族に鍛えられてるから物怖じしないし」

 以前、キキを仲間には絶対しないと突っぱねていたシオンだったが、あのとき父親がキキを推してくれたことを、いまでは感謝していた。

「アイツが仲間で良かった……」

 そうしみじみ呟いた。



 さっきよりやや時間をかけて、キキが抱えて持ち帰ってきたのは、しっかりと鞘に収まった刀だった。

 侵入困難な場所に沈んでいたのだから、誰にも気づかれず年月が経っていそうなものだが、錆一つついていない。

「見て見て。これだけ、骸骨がしっかり握ってたんだよ、すごくない?」

「それを持って来ようと思ったことがすごいよぉ……」

 キキの体をバスタオルでくるみながら、紅子が泣きそうに顔をひきつらせる。

「ちゃんと貰いますって心の中で言ったし、手も合わせたもん。なんか持って行ってほしそうに見えたんだよね」

「こ、怖い……」

「他のはボロボロだったのに、この刀と、刀の柄を握ってた骸骨だけがわりと綺麗だったの。最近死んだのかな? と思ったら、剣から手が離れたとたんにいきなり崩れて塵みたいになっちゃったんだよ。さすがに泳いで戻るときは、後ろが気になったよ……なんかがじーっと見てるような、尻尾掴んできそうなかんじしてさぁ。振り返らないようにして泳いだけど」

「……ああ、それ、振り返らなくて正解だったかも」

「怖いこと言わないでよ、ハイジ!」

 ハイジの言葉に、キキが急に縮み上がって叫んだ。

「アンタが言うとリアルだからさぁ! 完璧に除霊したんじゃないの!?」

「呪いの類いにはターンアンデッドは効かないんだよ」

「ピャッ!? 呪われたのあたし!? また祭り!?」

「いや、その可能性もあるかなって思っただけ。呪われたかは僕にも分からない。今後、誰も見ていないのに視線が気になるとか、毎日殺される悪夢なんか見るようになったら教えて。対処するから」

「行く前にその可能性に気づいてよぉ!」

「すでに呼ばれていたのかもね……」

「ヒィィ」

 キキではなく紅子が泣きそうな悲鳴を上げた。

むくろから所持品を剥ぎ取るような真似をするからだ。まったく手癖の悪い……」

 と言いつつ、蒼兵衛がキキから刀を取り上げ、しみじみと眺める。

「しかし本当に、海に沈んでいたとは思えないな。美しい打刀うちがたなだ」

「だからちゃんと拝んだって」

「しかしこれは名工の作に違いない……鞘に入っていても分かる」

 蒼兵衛がうっとりと刀を見つめ呟く。そういや冒険者博エクスポで嬉々として刃物の話をしていたなとシオンは思い出した。

「おい、触って大丈夫なのか? それ呪われてるかもしれないんだろ……?」

「……え?」

 シオンが尋ねると、蒼兵衛はふと自分の手許を見た。

「あたしは触っちゃったんだけどぉ!?」

 蒼兵衛が目をしばたたかせ、刀を見た。

「ん? あれ? ワニ子と姉上の話を聞いて、うわーこれ触ったら絶対呪われるから触るまい、と思っていたのに、なんで私これ持ってるんだ?」

「誰が姉上よ」

 言ってからハイジが口許を手で抑える。

「冗談だ、冗談」

 と言いつつ、蒼兵衛が刀を鞘から抜いた。

「……っ!」

 途端、全員がその場から一斉に後ずさった。蒼兵衛だけが抜き身の刀を手に、きょとんとしている。

「……なんだ? お前たち」

「い、いますごいやなかんじした……?」

「したな……」

 キキは四つん這いになって身を屈め、シオンも耳を立て、腰のソードブレイカーを抜いていた。ハイジは顔を引きつらせ、紅子の瞳はうっすら赤く染まっていた。

「蒼兵衛さん、平気なの……?」

「何がだ? なんなんだ、お前たち。普通の刀じゃないか。というか、本当に美しい刀だな。……銘すら無いのか。こんな名刀が海に沈んでいたとは可哀相に。寂しかっただろう」

 薄暗い洞窟内で、いやにギラギラと光る刀をちらりと見つめ、元通り鞘に収める。

 チン、と乾いた音が響いた。一瞬吹き出した『嫌なかんじ』も、何事も無かったかのように収まった。

「遺品ならば後で届ねばなるまいが……妙に愛着がわいてしまうな。せっかくワニ子が拾ってきたのだから、少し使ってみるか」

 刀が好きなのか、ウキウキと蒼兵衛が言う。が、パーティーは誰一人笑えなかった。

「……あれ、呪われた刀だよね? 絶対」

「と、思う……けど」

 キキがボソボソと尋ね、ハイジが訝しげに答える。

「あの一瞬の禍々しさ……妖刀に違いないとは思うから、たぶんどこに持って行っても引き取ってくれないと思う。蒼兵衛は鈍感過ぎて気づいてないけど……たぶん、刀に気に入られてるね」

「ひええっ! キキちゃんが呪われたわけじゃなくて良かったぁ!」

「よ、良くないだろ……待てよ……それじゃ蒼兵衛、どうなるんだ?」

「だから僕も呪いカースは専門外なんだよ。それに武器の呪い……とりわけ日本刀は凄まじく強いんだ。ここじゃどうしようもないし、手放すのも無理だろう。今は様子を見るしかなさそうだけど、それよりも彼が急に錯乱したりしたら、モンスターより不味いんじゃない?」

「マズいに決まってる。そのときは、オレが囮になってる間にみんなは逃げてくれ……多分、五秒くらいで斬り殺されると思うけど……」

「そんなのやだよぉ!」

 不吉なことを言うシオンに、紅子が半べそで声を上げる。

「どうしたんだ、お前たち。コソコソと」

 手に入れたばかりの刀を腰のベルトに差しながら、蒼兵衛はいやに嬉しそうに尋ねた。

「斬れ味が良さそうだし、早く何か斬ってみたいな。あ、殺生をしたいという意味ではないぞ。出来たら硬めの……スケルトンとか」

「危ないこと言いながら、超ゴキゲンなんだけど……とり憑かれた?」

 キキが呆れた顔をハイジに向ける。

「新しい刀を手に入れて気分がいいだけだろう。ああいう鈍感な奴はたまにいるんだ」

 ハイジはふうと息をついた。

「まったく、鬼に金棒というか、馬鹿に妖刀だな……」




 小さな浜辺のようなフロアを少し探索すると、岩場に横穴があった。

「ここ、狭いけど通れるな」

 一番体格の良い蒼兵衛でも通れそうな穴だ。

「リザードマンだったら無理だね」

 キキが言った。

 シオンは念のためダガーを一本抜いて、片手に握ったまま穴の中に入った。するとすぐに滑り台のような急斜面になっていて、うかつに通り抜けようとすると落下してしまうだろう。高さはけっこうあり、地面まで三メートルくらいはありそうだ。

「ロープかはしごで降りたほうがいいな。アンデッドの危険はもう無いし、外にいるニコねこ屋のみんなに来てもらおう」

 ニコねこ屋が持たせてくれたトランシーバーで連絡をした。少し待っていると、リョータとユエとレンが来てくれた。ミナはそのまま入り口で待機しているらしい。

「ソウさん、刀増えてます?」

 リョータがあれ? という顔をした。蒼兵衛が得意げに頷く。

「うむ。縁あってな」

「近寄んないほうがいいよ、呪われるから」

 キキがこそっと言った。はぁ、とリョータは慣れた様子で頷いた。

「死体が持ってたモンでも拾ったんですか? またセイヤさんに怒られますよ」

 さすが付き合いが長いだけあって、ワーキャットたちは蒼兵衛のことを良く分かっているようだ。

「リョータさん、杭はどのへんに打ったらいいんすか?」

「そーだなー、この割れ目がいいかなー」

 岩の間にはしごをかける杭を打とうとしたレンに尋ねられ、リョータが蒼兵衛を見やる。

「ソウさん、杭打つの手伝ってくださいよ」

「何故だ。お前らの仕事だろうが」

「まぁまぁ、ソウさん力強いし頼りになるから」

「まったくお前達は……いつまでも私がいないと何も出来ないのか……」

 と言いつつ、嬉しそうに口許が緩んでいる。ワーキャットたちに頼りにされることがよほど嬉しいらしい。

「喜んでるじゃん。キキちゃんがハンマーで叩いてやろっか?」

 流石に本職のバックアップチームは、テキパキと杭を打ち、はしごを降ろしてくれた。ワーキャットたちの耳に敵らしき物音はせず、一番小柄なレンがスルスルと降りていった。

「OKです。モンスターもゴーストもいません。ここは部屋になってて広いです」

 下からそう声がかかった。落ち着いた口調だが、緊張感もはらんでいた。

「でも、奥には何かいる気がする」

「すぐ行く」

 シオンは答えて、梯子に手をかけた。といっても、ほとんどはしごは使わず、傾斜のある岩の上を滑るようにして下りた。

「小野原くんは身軽でいいなぁ」

 感心したように紅子が呟く。残ったメンバーにユエが告げた。

「長さや重量のある武器は置いて行ってください。ロープにくくり付けて下ろしますから」

「ここ、私けっこうキツキツなんだが……蒼兵衛さんは着痩せするタイプだから、途中でつっかえたらどうしよう」

「一生ここで暮らしたらいいんじゃん? ハマったまま。んじゃ、ねーちゃん、これよろしくね!」

 大量の武器と荷物をユエの前に置いて、キキがはしごに捕まった。ササササ……と素早く下りて行く様は、壁を這うトカゲを思わせる。

「僕も先に行かせてもらうよ。ゴーストがいるかもしれないし」

「あっ、じゃ、じゃあ次は私行きますっ……」

「ゆっくりおいで。慌てると危なっかしいから」

「でしたら私が紅子さんの前に降りますね」

 ユエが優しく告げる。

「紅子さん、杖預かりますよ。ソウさんも、刀差したまま通れないですよそこ」

「汚すなよ」

「汚しませんよ。なんでそう一言多いんですかね」

 リョータの言葉に、蒼兵衛が刀を預ける。彼は妖刀から別段何も感じないようだった。

「呪いの剣の類いは、鞘が封印具になっていることがほとんどだからね」

 ハイジが小声で紅子に告げた。

「それに、呪いのアイテムの中には自ら持ち主を選ぶ物もけっこうある。武器や人形なんかはその傾向が強いんだ。おそらく、刀を抜いたあの瞬間、刀が蒼兵衛を所有者と認めたんだろう。とりあえず蒼兵衛が生きている限り、彼以外の者が触れても大丈夫そうだ」

「そっかぁ……良かったぁ……あ、良くないか……」

「シオンたちが待ってるから行こう」

「あ、そうだった……」

 最後に残った蒼兵衛が、リョータに告げた。

「けっこう狭いぞ……肩がつっかえないだろうか……穴にはまったままここで朽ち果てるのは嫌だ……まだ女性と付き合ったこともないのに……」

「まあ行ってみないことにはなんとも」

「……私が途中でつっかえたら、上から踏んでくれ……優しくな」

「ああ、はい。いっすよ」

「簡単に踏むな!」

「どっちすか! いいからもう、つっかえてから考えましょうよ! 面倒くさいなぁ!」

 上からギャーギャーと言い合っているのを聞きながら、シオンは別の音を探った。

 ワーキャットの聴力の優れた部分は、遠くの小さな物音を聞き逃さないこともだが、複数の音を同時に聴き分けることが出来る。

「おかしな音は無いけど、やな感じだな」

 シオンが呟くと、レンが頷いた。

「今は静かだけど、オレがここに降りたとき、かすかに音が立ちました。水の音かもしれないけど」

 レンの行った通り、下りた場所はまた広くなった。湿った岩と砂ばかりで、普通の地底洞窟と変わりない。

 一本だけ先に進む道があった。その奥から異臭が漂ってくる。シオンは顔をしかめた。

「なんか腐った臭いがするな……」

「餌の食い残しが腐った臭いだろうね。おそらくこの先がモンスターの住処になっているはずだ」

「人間かな? 海水浴客が攫われて喰われてんのかも」

 キキの言葉に、ひっと紅子が息を飲んだ。

「人間を喰っているかはともかく、肉食モンスターには違いない。だが、この場所はまったく荒れていない。先にいるモンスターはここまで来られないんだろう。餌を獲るために奥には別の場所に繋がる抜け穴があるはずだ」

「ここを補給地にしよう。ニコねこ屋にはここで待機してもらって、オレたちだけで先に行こう」

「ここまでの地図です」

 ユエがマッピングした地図を渡してくれた。

「食事をするならアンデッドでは無いか」

 ようやく下りてきた蒼兵衛が、二振りの刀を腰のベルトに差しながらやってきた。

「まあ何が来ても構わん。餅は餅屋、戦闘なら戦闘屋に任せるといい」

 どことなく嬉しそうな蒼兵衛が、普段より好戦的な気がして、シオンはハイジに言った。

「大丈夫なのか……? あいつそこらのモンスターより強いぞ……」

「彼が憑依されたら全滅必至ね。ここに置いて行ってもいいとは思うよ。しかし妖刀に侵されることなく共生するケースもある。興味深くはあるな」

「興味深くない……」

「判断は君に任せる。リーダーだろう?」

「う……」

 シオンは顔をしかめ、しばらく目を閉じて考えた。

 蒼兵衛だけではない、紅子もいつどうなるか分からないけれどね、とハイジは心の中で呟いた。妖刀よりも、彼女のほうが底知れない。埼玉での戦闘で、それが良く分かった。

 腰に差したソードブレイカーに手を当て、シオンは小さく息を吐き出した。

「……パーティー全員で行こう。暴走したらオレが止める。止めきれなかったらハイジは皆を連れて退避してくれ」

「了解」

「進もう。オレが先行する。蒼兵衛はオレの後だ」

「何故だ? 私はしんがりで構わんぞ?」

 蒼兵衛が首を傾げる。本来なら背後からの奇襲を備えて、一番戦闘能力の高い蒼兵衛に最後尾を任せるのだが、今日は事情が違う。

「いいからオレの後ろだ……。その後がキキ、浅羽、最後がハイジだ」

「よっしゃ!」

 キキのほうが紅子より遥かに身体能力は高い。けっこう状況判断も早いし、蒼兵衛が錯乱したとしてもなんとか切り抜けてくれるだろう……多分。丈夫だし。


 しばらく歩いて、シオンは一度全員の足を止めた。

 全員がすでに感じているだろう。濃くなる腐臭と、血の臭い。

「……浅羽、何も感じないか?」

「え?」

「石」

「あ、何も……」

 まあ、探し物がいきなりヒットはしないだろう。

「この先、いるぞ。あっちも気づいて警戒してる。これ以上の探索を続けるなら……いや、ここから一歩でも踏み出せば、もう戦闘になる。撤退するならここだ」

「……もっと先があるの?」

 紅子がかすかに震えた声で尋ねた。シオンは頷いた。

「だったら、私……探したい……」

「分かった。だけど」

 シオンは頷いてから告げた。

「浅羽、戦うってことは、殺すことだ。この前みたいに、とっくに死んでるアンデッドと戦うのとは、違う。大抵の生体モンスターは斬れば血が出るし、叫び声も上げる。苦しんでのたうち回る。それに……」

 それ以上は、シオンは口にするのを止めた。必要以上に怯えさせなくても、戦いを続ける以上は絶対に経験することだ。

 紅子はゴブリンを殺すことも躊躇う。パーティー戦闘ではその一人の躊躇いが、全員の命を危険に晒すこともある。

 厳しいシオンの口調に、紅子は戸惑ったように杖を握り締めた。

「え、えっと……」

「みんな、一つ決めていいか?」

 シオンは前を向いたまま、腰からソードフレイカーを二本とも抜いた。暗闇の奥を睨んだまま告げる。

「浅羽に攻撃はさせない。直接戦うのはオレたちだ」

「よしきた!」

「構わんぞ。素人にバタバタされるのも邪魔だしな」

「妥当じゃないかな」

「浅羽は補助魔法でサポートに徹してくれ。ただし、オレたちが危なくなったら、身を守るための魔法はなんでも使うんだ」

「え……」

「いつでも死ぬかもしれないのが、オレたち冒険者だ」

 顔を引きつらせる紅子に、シオンは厳しい口調で告げた。

「――オレが突っ込むから、蒼兵衛は追撃を頼む。キキは浅羽とハイジを守りながら戦ってくれ。ハイジは、浅羽を頼む」

「僕にあまり物理戦闘力は期待しないでくれよ」

「ああ。浅羽の傍にいてやってくれ。いいか、浅羽、なるべくハイジと一緒にいるんだ。突っ込まなくていい。極力、見ないように・・・・・・するんだ」

 シオンはソードブレイカーを手に、姿勢を低くした。蒼兵衛も腰の刀の柄に手を添え、キキは背中に括りつけた魔銃を一つ、ガチャガチャと音をさせながら両手に構えた。

「え、えっと?」

「すぐに分かるさ。彼の言う通りに」

 戸惑う紅子に、ハイジが静かに告げた。

「魔道士は決してパニックを起こしてはいけない。パーティーの士気に影響する」

 紅子が息を飲んだ。こくりと喉を鳴らす音がシオンの耳にも届いた。それを合図にして、シオンは駆け出した。

 突っ込んだ先で道はすぐに途切れ、崖になっていた。そこに躊躇無く足を踏み出し、岩の斜面を一気に駆け降りる。下は広く開けた場所に繋がっていた。そこに到達する前に、黒っぽい塊が斜め上から飛んできた。

 二本のソードブレイカーを突き出し、斬るでも防ぐでもなく、勢いを殺すように受け止め、そのまま受け流した。

 モンスターはそのままの勢いで壁に激突した。衝撃で首が折れ曲がり、口の端から血の泡を吹いていた。

 それは鳥型のモンスターに似ていたが、上半身が人間の女に酷似している。肩から下が大型の鳥と融合したような、混成獣キメラの一種だ。


「――女面怪鳥の群れハルピュイアイだ!」

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