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迷宮のドールズ  作者: オグリ
一章
6/88

訳ありソーサラー

《新宿冒険者支援センター》の窓口は、その名も《新宿冒険者支援センタービル》というビルの二階にある。

 三階から上は事務所や資料室、冒険者向けのカウンセリングルームなどもあるらしいが、シオンはそこまで足を踏み入れたことは無い。

 ビル丸ごとが、冒険者を支援する為の施設というわけだ。

 そして一階には飲食店と、冒険者向けの装備やアイテムを売る店舗が並んでいる。


《喫茶室・オデュッセイア》は、シオンがよく利用する店だ。

 別にコーヒーを飲むわけではないが、飯がけっこう美味い。

 同じフロアにあるラーメン屋《トカゲ亭》も安いのでたまに行くが、亜人向けの濃い味付けで、店内には亜人の冒険者がひしめいているから、人間の女子と二人でゆっくり喋れるような場所ではない。

 

 センターから出てきたシオンと紅子は、早めの昼食をとることにした。

 紅子の用は終わっているし、そこで別れてもよかったのだが、自分から場所を変えようと言って引っ張ってきておいて、それじゃさよならというのは、あまりに失礼かと思い、シオンは彼女を食事に誘った。


 それに、なんとなく彼女が放っておけない、というのもあった。

 彼女のような一見普通の人間の少女が、せっかく通っている学校にも行かず、慌てて冒険者になる必要があるのだろうか。

 もし、何か事情があるのなら。シオンも一応冒険者だ。力になれることがあるかもしれない。他人に干渉するほど自分に自信や余裕があるわけではないが、このときは自然とそう思った。


「別に、センター内の店じゃなくてもいいんだぞ」

「ううん。このビルのお店に入ってみたい」

「外にある店と変わんないって。普通の店ばっかだぞ」

「みたいだね」

「まあ、亜人向けの店も多いけど」

「どう違うの?」

「味付けが違ったり、座席が広いとか……リザードマンとかミノタウロスとか、身体がでかいのも多いから」

「へー」

 紅子は歩きながら、並んだ店を一つ一つ、物珍しげに眺めていた。

「冒険者になったら、この中で装備とかも買ったらいいのかな?」

「いや、よそで買ったほうがいいよ。このへんのはほとんど定価で、高いし」

「あ、でもあそこ、閉店セールだって」

「ああ、あそこはオレが冒険者になったときから、ずっと閉店セールしてるけど」

「そうなんだ。ネット通販のほうがいいのかな?」

「見て買ったほうがいい」

「通販見てたらね、すごく安いスタッフがあったの。大魔道士の杖だって」

「……やめたほうがいいんじゃないか」

「おうちの倉庫にも何本かあったんだけど、勝手に持って行ったら怒られちゃいそうだし。近所のホームセンターに売ってるかなあ」

「さあ……」

 ソーサラーのことには詳しくないので、シオンは曖昧に頷いた。

 それにしても、中学時代、隣の席だった少女が、まさかソーサラーだったとは思いもよらなかった。



 魔道士ソーサラーは誰でもなれるクラスではない。


 戦士ファイターの強さは鍛錬によって培われる。

 才能があっても、磨かなければ、努力を惜しまなかった凡人に打ち負ける。

 冒険者ならばなおさら、ただ強ければ優れたファイターになるわけではない。

 パーティーの剣であり盾であるという責任感。とっさの危機にいち早く対応できる機転。仲間を守るという覚悟。どんな状況であっても折れない意志力。それらは武器を扱う才能や、持って生まれた身体能力だけで、得られるものではない。


 ソーサラーは違う。

 魔力の有無は努力で覆せるものではない。

 生まれもった魔力の器は、人によって違う。

 魔力が少なくとも、魔道研究に優れた賢者ワイズマンにはなりえる。

 しかしやはり、冒険者としてのソーサラーは、魔法を使っての戦闘や治癒を期待される。

 強い魔法を使うには、豊かな魔力量が必要となる。

 その器の大きさは、それぞれ生まれたときから決まっているのだ。


 魔力の強さは、毎日こつこつと鍛錬して、どうにかなるものではない。

 ただでさえ、ソーサラーは貴重だ。

 そのうえ、彼女がそれなりの魔力を持っているとしたら、冒険者としては初心者であろうが関係ない。

 ソーサラーは、その力を求めるパーティーから、つねに引く手数多の状態だ。

 彼女にそう言えば、喜ぶに違いない。窓口での様子から、彼女がすぐにでも冒険者になって、パーティーを組んでダンジョンに潜りたいのだということは分かる。

 冒険者にさえなってしまえば、パーティーは簡単に集まるだろう。

 しかし、それが必ずしも、良いこととは限らない。

 

 シオンの不安をよそに、色々な店を外から見て回る紅子は楽しげだ。


「わぁ。ここ、美味しそうだね」

「え?」

 よりによって、《トカゲ亭》の前で、紅子は足を止めた。

 別に関係無いが、看板のトカゲという単語を目にしたとき、先日ダンジョンを一緒にしたリザードマン・鷲尾の顔がシオンの脳裏をよぎった。いや、別に関係無いのだが。


 紅子は入り口に飾ってあるラーメンのサンプルを見ていた。

 黒々としたスープやその表面にたっぷり浮かんだ白い油の塊まで、見事に再現してある。

 決して不味くはない。なにより安い。しかし疲れているときは胃にもたれる味である。

「……これが?」

「うん。こういうラーメンって好き。濃い味が好きなの」

 意外だ。

「そうか……でも、けっこう亜人向けだから」

「へえ。小野原くんも食べたことある?」

「まあ、安いから。でも、オレ猫舌だから。空いてるときしか来ないな」

「あっ、小野原くん、やっぱり猫舌なの?」

 何故か一瞬、紅子の瞳がものすごく輝いたような気がした。

「ああ。食べるの時間かかるからな。中、狭いから。混んでたら、もたもた食いづらいだろ」

「けっこう、気遣い屋さんなんだね」

「そうか?」

 外から覗ける店内は、まだ満席ではない。しばらくしたら混むだろうとシオンは言った。


 別の店も覗いてみた。

 女性冒険者を狙ったような店もあるが、入ったことは無い。《スイーツハウス・ぽっぷすらいむ》という店の前を通ったとき、ガラスケースに並んでいるサンプルを一応は見たが、クレープやパンケーキではシオンの腹が膨れそうにない。

 やはり女性は好きなのか、わあ、と紅子はガラスケースの前で、嬉しそうな声を上げた。

「美味しそう! だけど、ご飯じゃないよね」

「そうだな」

「ここも、亜人さん向け?」

「入ったことないから分かんねーけど、多分違うと思う」

「でも、お昼はこういうのじゃないほうがいいよね。小野原くんは甘いもの好き?」

「普通かな。昼メシには食わないけど」

「そうだよね」

 と言いつつ、紅子の目は作りもののパフェに釘付けだ。

「食いたいのか?」

 とシオンは尋ねた。

「うん。あのパフェ、すっごく美味しそう……。でも、こういうのはやっぱり、ご飯のあとだよね」

「え?」

 その何気ない言葉に、シオンは目を丸くした。

 ガラスケースにずらりと並んだスイーツは、結構ボリュームがある。紅子が熱い視線を送っていたパフェなんて、座ったときにテーブルからシオンの胸の高さくらいまであるだろうか。そんな器に、生クリームやフルーツがぎっしりと詰まっている。

 見ているだけで、胸焼けを起こしそうだ。

「あんなの……メシ食ったあとに食うのか?」

「うん。だって、デザートだよ?」

 何もおかしいことはないように、紅子が平然と答える。

 姉もそうだった。夕飯を腹いっぱい食べて、お腹苦しいと言いながら、シオンにコンビニのデザートを買って来るように命じていた。

 甘味が絡むと人間の女は牛亜人ミノタウロス並みの大食漢になるらしい。

「そうか……」

「でも、別のお店にしよ」

 紅子がそう言い、この店の前も離れた。



 結局、いつも行く《オデュッセイア》に落ち着いた。

「ここでいいよな」

「うん」

 シオンの後をついてきた紅子が、こくんと頷く。それから《オデュッセイア》の店内を見渡した。

「普通のお店だね」

「普通の店だよ」

 冒険者センタービル内にあるという以外は、普通の喫茶店と変わらない。

「あらぁ、オノハラ様~。何名様ですかぁ?」

 ふわりと長い茶髪の中に、ロップイヤーのように垂れたウサギの耳をゆさゆさと動かしながら、馴染みのウエイトレスがやってきた。

「なぁんて、見れば分かりますねぇ~、カワイイお二人様、禁煙席にご案内しますぅ~」

 一言余計だが、何も言わなくても勝手に案内してくれた。

「これ、メニューですぅ~」

 ウサギ耳のウェイトレスが、向かい合わせに座る二人の前にメニューを置いた。

 そして意味ありげな笑みを浮かべる。

「オノハラ様が、お友達と一緒なんて、初めてですねぇ~。ふふ、こんなに若い人間の女の子の冒険者なんて、めずらしい~」

「あ、私、まだ冒険者じゃないんです。今日は届けを出しに来ただけで。まだ、審査に通るかは分からないので……」

「あらぁ、でも大丈夫ですよぉ~。お客様、ソーサラーさんですよねぇ~。魔力量が充分ありますからぁ。きっと通りますよぉ」

「えっ、そんなの分かるんですか?」

「ミサホ、兎亜人ワーラビットだからぁ、魔力には敏感なんですよぉ~」

 そう話すミサホの頭の動きに合わせ、長い垂れ耳がふさふさと揺れる。

 ワーラビットの一番の特徴は、やはり長い耳だ。兎の耳といえばピンと真っ直ぐ立っているものを想像しがちだが、ワーラビットの耳は垂れ耳である。

 ワーラビットはあらゆる感覚が鋭敏である。聴力、嗅覚、味覚が優れていることに並び、魔力感知に長けていることでも知られる。

 喋りかたは気が抜けているが、冒険者相手の商売で、見る目も肥えているミサホが言うのだから、紅子の魔力量は充分なものなのだろう。ふうんとシオンは鼻を鳴らした。ワーキャットも鼻は良いが、魔力感知は出来ない。

 そうなると、ますます不安だ。

 本当にソーサラーなら、仲間にしたいというパーティーはいくらでも現れる。

 稀有な能力が、人を惹きつける。

 それは良縁ばかりでなく、悪いものを引き寄せてしまうことも、あるだろう。


「オノハラ様の彼女さんじゃないのも、分かりますぅ~。ふふ、ちょっとぎこちないかんじ」

「えっ」

 と紅子は分かりやすく顔を赤らめ、シオンは顔をしかめた。

「余計なことはいいから」

「はぁい。今日の日替わりランチはぁ、今日のお客さん大ラッキー、デミオムランチですよぉ」

「わ、美味しそう」

 紅子が声を上げる。

「ごゆっくりお選びくださいねぇ~。では~、注文が決まったらお呼びくださぁい。いま、お水をお持ちしますねぇ」

 短いスカートから惜しげも無く足を晒し、ぴょんと跳ねるようにミサホが立ち去った。

「なんか食えよ」

「あ、うん。何にしようかな……」

 シオンが促すと、紅子はおずおずとメニューを開いた。

「うーん、どれも美味しそう……。なんだか、急にお腹空いてきちゃった」

「何でも食えよ。オレが出すから」

「あ、大丈夫! 私、自分のぶんは出すよ」

 紅子が慌てて顔を上げる。

「気にしなくていい。オレが誘ったんだし」

「でも」

「オレも仕事以外で人と話すの久々だし。上が空くまで、時間もまだあるから。付き合ってもらえればそれでいい」

 そう言うと、紅子はますます恐縮した。

「それって、私が邪魔しちゃったからだよね……。これから小野原くん、またあそこに並ぶんでしょう?」

「ああ……それは別に。いいんだよ。しばらくしたら空くだろ。別に急いでねーから。それより、食うもん決めろよ。オレ、もう決まってるから」

「あ、うん。じゃあ」

 と紅子はメニューにちらと目を落とし、またシオンを見た。

「小野原くんは、いつも同じなの?」

「同じ」

「じゃあ、遠慮なく……さっきの、日替わりランチにしようかな」

「うん」

 会話がいったん途切れたタイミングで、ちょうど良くウェイトレスのミサホが水を持って来た。


「お水でぇす」

「決まったから、注文いいか?」

「はいはぁーい。どうぞぉ~」

 ミサホがエプロンのポケットから伝票と、キャラクターのマスコットが付いたボールペンを取り出す。

「おうかがいしますよぉ」

「カツ定と、日替わり。キャベツ大盛りにして」

「はぁい。トンカツ定食と、日替わりランチですねぇ~。ありがとうございまぁす。オノハラ様はいつもので、千切りキャベツ大盛りですね~。うちはマスターが大食らいだからぁ、キャベツもごはんも、大盛りが無料なんですよぉ~」

「わあ、いいマスターさんですね」

 紅子が感嘆したふうに言う。

「はぁい。赤字ギリギリでがんばってるからぁ、がっつり稼いで、がっつりうちで食べてくださいねぇ~。なんとオムライスも、中のごはん大盛りに出来ちゃいますよぉ~」

「わあ、すごーい。じゃあ、私もごはん大盛りで!」

 元気の良い紅子の返事に、間延びした会話をただ聞いていたシオンは、え、と思わず声を上げた。

「お前、食えんのか?」

「え? 食べられるよー」

 ほっそりとしたウエストを、紅子がさする。デザートのパフェといい、その細身のどこに入るのだろう。

「すっかりお腹空いちゃったし」

「まあ、食えるならいいけど……」

「私、けっこういっぱい食べるんだよ。あ、でも、食べるのはあんまり早くないから、時間かかっちゃうと思うんだけど」

「それはいいけど」

 意外な面が多い。そう思っていると、ミサホが言った。

「人間のソーサラーって、燃費の悪い方が、多いんですよねぇ~。カロリーと魔力の消費は、比例してるんですかねぇ。ソーサラーは女の子のあこがれですねぇ~」

「え、そうなんですか?」

 ミサホの言葉は、シオンには初耳の話だったが、紅子も知らなかったようで、へえ、と感心している。

 そういえば人間のソーサラーは、妙にほっそりしてる奴が多い気がする。

 紅子はというと、痩せすぎているということもない。ぱっと見は細身な印象だが、改めてよく見ると、出るところはちゃんと出ている。健康的な体つきだ。

「お客さんも、スタイルばっちりですねぇ~」

「えっ、私ですか? そんなことないです。服の下はお腹ぽっこりですよ。太もも太いし」

「またまたぁ、ほんとにぽっこりしてる人は言わないですよねぇ~。ミサホはせっかく立派なお耳があるからぁ、自前でバニーちゃんできるんですけどぉ、出なきゃいけないとこちっとも出てないから、ムリなんですよねぇ~。歩いてたらよくそういうお店にスカウトされるんですけどねぇ~」

 大きな垂れ耳とふわふわした髪を揺らしながら、ミサホがくすくすと笑う。

「えー、でも、足とか細くて羨ましい……」

 ウエイトレスの制服のスカートから覗く足を見て、紅子が呟く。

「でもぉ、女の子は細いほうがよくてもぉ、男の人はぁ、やっぱちょっとやらかいほーがお好きですよねぇ~。ねぇ~? オノハラ様」

「え?」

 女子の会話についていけていなかったシオンは、急に話を振られ、ぴくんと耳を動かした。

「あ、悪い……あんまり聴いてなかった」

「オノハラ様って、聴いてるような顔で聴いてないの上手ですよねぇ~」

「いや、全然聴いてないわけじゃ……腹が出てる話だろ」

「なんでそこだけ聴いちゃうの!」

 紅子がまた顔を真っ赤にし、悲壮な声を上げる。

「あ、いけなぁい。いくらヒマだからって、ちゃあんとお仕事しないと、またマスターに怒られちゃう~。それじゃあ、お待ちくださいね~」

 と言い、再びミサホが去る。

 そのあと、紅子が真剣な顔でぶつぶつと呟いていた。

「魔法を使うのがカロリー消費高いってほんとかなぁ……でもそれにしては私そんなに痩せてないし……そっか、そのぶん食べてたら意味ないよね……あ、でもでも、もし魔力とカロリー消費が関係あるんなら、ダンジョンに持ってくお弁当は大きくしなきゃいけないよね……でも、杖もあるし、かさばるなあ……」

 うーん、と唸ったあと、あっ、と声を上げた。

「そうだ! バナナとかのほうがあんまり邪魔じゃなくて、腹持ちするかも!」

「……そうかもな」

 そもそもダンジョンに弁当を持っていったことの無いシオンだったが、とりあえず頷いておいた。




「でも、小野原くんが、冒険者になってるなんてびっくりした」

 食事を待っている間、紅子がそう言った。

「そうか? 亜人なんて冒険者になるしかないだろ」

「亜人さんたちは、みんな強いもんね」

「そういうことじゃなくて、職がねーから。特にオレは中学中退だし」

「私、小野原くんは、転校したんだと思ってた」

「いや。あれから学校には行ってない」

「そっか……」

 と紅子が呟く。

 彼女は詳しい事情を知っているのだろうか。クラスは違っても、噂を耳にしたことくらいあるはずだ。

 しかしその話題には、紅子は触れなかった。

「学校を辞めて、すぐに冒険者になったの?」

「いや、しばらくは何も。本当はすぐにでも働きたかったけど、父さんが反対だったから」

「小野原くんは、ご両親ともワーキャットなの?」

「父さんは人間だよ」

「じゃあ、ハーフなんだ」

「いや、本当の親じゃない。本当の親は顔も見たことねーけど、ワーキャットなのは間違いない。父さんがそう言ってたから。オレは父さんに……人間に育てられたんだ。父さんがオレを拾ったときにはもう離婚してたから、母さんはいない」

「そうなんだ……」

 紅子は神妙な顔をしていたが、小学校までの同級生や、近所の者など、多くの人間が知っていたことである。生い立ちを話すことに抵抗は無い。

「オレが学校に行かなくなっても、父さんはすぐに働くよりも、勉強の続きをしろって、オレは家で父さんに勉強を教えてもらってた。そんなに出来なかったけどな。元々、成績悪かったし」


 中学に通わなくなったのは、二年の夏からだ。家で勉強するなら、という条件で父親も認めてくれ、それから学校に行けとは一度も言われなかった。代わりに、毎日宿題を出された。

 自分では辞めたつもりの中学だったが、義務教育だからなのか、卒業の日には卒業証書が送られてきた。

 だから、正式には中退ではなく、中卒にはなるのだろう。一年少ししか行っていないのに、おかしな話だが。

 どちらにせよ冒険者になったのだから、関係ない。


「それから、いずれオレが冒険者になりたいんならって、毎日、戦いの訓練に付き合ってもらった。他にも色々教えてもらったな」

「お父さん、いい人なんだね」

 そう言った紅子の優しい瞳が、やわらかな光をたたえている。

 シオンと父の関係を聞いて、素直に感動したのだろう。

 彼女はまっすぐな、綺麗な感情の出し方をする。


「……ああ。あの人がいなかったら、オレはここでこうして生きてることもないよ」

「だから、小野原くんも優しいんだね」

「そうかな。オレは父さんとは全然似てない。父さんはのんびりしてたけど頭が良くて、ダンジョンのこともよく知ってた。元冒険者で、オレと姉さんは最初、父さんに剣を習った。でも、オレは剣はダメだったけど」

「お姉さんもいるんだね」

「ああ。オレたちが中一のときは、三年だったけど……浅羽は知らないと思う」

 目立つ人ではあったが、さすがに二学年も下だと知る機会はないだろう。運動神経の良さは間違いなく学校一だったと思うが、部活はしていなかったし、学校行事というものをとことん舐めていた。運動会や球技大会で間違いなく人気者になれる能力があるのに、すすんでさぼるようなところがあった。わざと補欠に回ったり、仮病を使って保健室に行っていたようだ。

 自信家だったが、自分の力を誇示することを好まなかった。自分の才能は、そんなところで使うものではないと、決めているかのように。


 シオンは久々に――いや、多分初めて、姉のことを人に話した。

 姉が死んで以来、初めて。


「姉さんは本当の父さんの子で、人間だ。浅羽みたいに、高校に行ってたけど、学校がつまらなかったみたいで、父さんの許可をもらって冒険者になった。父さんが許すほど、姉さんは強かった。本当に強かった。初めて潜ったダンジョンでゴブリンの群れに出くわして、十数体ぶち殺して平然と戻ってきた」


 ゴブリンは魔妖精に分類されるモンスターだ。人間の腰くらいまでの身長だが、子供ではない。顔はみな老人のように皺くちゃだが、老人でもない。彼らに子供や大人というものはない。魔妖精は、亜人のように人間が生み出した使い魔だとされている。

 ただし、生み出したのは、魔道士ソーサラーでなく霊媒士シャーマンで、その命を吹き込むために邪悪な魂を使用したために、人の命令に従わず、野に放たれたという。

 亜人と同じく、その誕生に関しては、あくまで伝承程度の話しか残っていないが、実際に存在している。亜人と違うのは、人間と共存する者はなく、種すべてがモンスターである。


 ゴブリンは性交はしないが、繁殖の手段はあるという。謎に包まれた種である。その生態を知ろうと捕獲しても、人間に生け捕りにされると、いかなる手段を使ってでも自殺をするので、飼育が出来ない。

 かつては、日本にはいなかった外来種で、海を泳いで渡ってきたとか、人間が持ち込んだとか言われているが、はっきりしない。繁殖力がとにかく高く、たびたび討伐依頼も出される。

 他の魔物と同じく、人間に追われ、ダンジョンに好んで生息するが、森に潜んでいることもある。年に数回、地上に現れて人間を襲撃する事件も起こっている。

 二足歩行で歩き、魔獣より知性があり、道具を使うことも出来る。武器を手に人間を襲ったり、殺した者の装備を奪って収集したりもする。

 火を起こしてその周りを囲んだり、料理をする者もいたりと、遠目に見ると、まるで人間が生活を営んでいるような姿に、心を通わせることさえ出来るのではと思う人間もいるが、それは間違いだ。

 彼らに知性はあっても、理性はない。高い知性から道具を使ったり、人間の振る舞いを真似たりもするが、それは彼らの狩りのためであったり、近づいてきた人間を油断させて、殺すためでしかない。


 リーダーを中心に、十数体の群れを作り、行動する。俊敏な動きと、小柄だが丈夫な身体を持ち、執念深く獲物を追う。下手に反撃して傷つけると、群れ全体から執拗に追われる羽目になる。

 一体でもそれなりに手強く、数体いれば、慣れた冒険者でも手を焼く。群れに遭遇したなら、戦うより逃げる選択のほうが賢い。

 ゴブリンの群れは、初心者で対処できるものではない。


 しかし、「襲われたから、全員ぶち殺してきてやったわ」と言う姉の武勇伝は、少しも誇張されていなかった。

 女性誌の付録に付いていたという花柄トートバッグに、ゴブリンから奪った武器や宝石や魔石をたくさん詰めて、持ち帰ってきたのだ。

 それらの戦利品はいずれも黒く生臭い血にまみれ、指輪や腕輪など外すのが面倒だったものは、指や腕ごと切り落として袋に放り込んでいた。


(ただいま! シオン)


 玄関で迎えたシオンは、唖然とした。姉の姿を見た瞬間、あまりのグロテスクさと臭いに、吐くかと思った。

 ポニーテールにした頭からブーツの先まで、全身がぐっしょりと赤黒い血で濡れていた。用意したタオルでは足りないほどのおびただしい血の中にまみれ、彼女は微笑んでいた。

 送り出したはいいもののやはり心配で、ダンジョンのそばまで車で迎えに行った父を、過保護過ぎる、恥ずかしい、と姉はきつく言い捨てたが、父の選択は結果として正しかった。

 これでは、電車やバスには絶対に乗れなかっただろう。


 シオンは姉の怪我を心配し、真っ青になったが、彼女自身は幾つかの擦り傷を作った以外は、すべて返り血だった。

 姉は鉄の臭いをさせながら、おぞましい花柄バッグをシオンに押し付けた。

(いいでしょ? 明日、一緒に換金行ってよね。あ、でもね。これはアンタにあげる)

 と、まるで呪いのアイテムのような血まみれバッグに手を突っ込み、血で濡れて本来の輝きも分からない小さな魔石を取り出した。

(ね、キレイでしょ? これはねー、心を護る石なのよ。ヘタレなアンタにあげるわよ。一緒に行ったヘボソーサラー、ギャアギャア騒ぐばっかりで、クソの役にも立たなかったけどね。長い詠唱して勿体つけて出した火も、ライターで点けたほうが早いわよって感じ。でもうんちくだけは上等だったわ。これはいい魔石だって長々語ってくれるもんだから、貰ってあげたの。まああたしがいなきゃアイツ死んでたから、ちょうだい、って頼んだらくれたわ)

 言い分は分かるが、脅して奪い取ったのだとシオンには分かった。

 ゴブリンの集団を血祭りに上げたあげく、仲間からむりやり奪い取った戦利品は、出所からしてかなり不吉なアイテムだったが、よほど気に入ったのか、姉はごきげんだった。

(あたしの初仕事の成果だしね。明日、なんかに加工してあげるわ。首輪がいいかな。アンタ首輪似合いそうね。そうしましょう。ピアスする男って嫌いだし)

 首輪は、ネックレスのことを言っているのだと信じたいと、シオンは思った。

(一生肌身離さず大事にしなさい。じゃないとゴブリンに呪われるわよ。で、お風呂沸いてんの? あ、これ片付けといて)

 背負った大剣グレートソードを軽々と、玄関先にぽいと放り投げ、血まみれの姉はお構いなしに、ずかずかと家に上がった。

 疲れたー、と言いながら、風呂場に向かっていく。廊下に点々と血の痕を残しながら。

 あとで、父とシオンがこの血の痕を拭いて回ることになるだろう。

 シオンは溜息をつき、貰った心を護る魔石とやらをジャージのズボンのポケットにしまうと、ゴブリンの怨念の声がいまにも聴こえそうな血まみれバッグを下に置いた。そして、しっかり腰を入れながら、姉が片手で放り出していったグレートソードを、渾身の力でようやく持ち上げ、なんとか壁に立てかけた。


「本当に強かった。腕も、度胸も、頭も良くて。何度もダンジョンに潜って、どんどん仕事をこなして、どんどんレベルを上げて、知り合いもたくさんいて、最終的には強い仲間が周りにいた」


 シオンの語る言葉がすべて過去形であることに、紅子は気付いたのだろう。好奇心の強い彼女が、このときばかりは何も言葉を挟まなかった。


「けど、死んだ。あんなに強かったのに、何があったのか分からない。死ぬような奴じゃないと思ってたのに、帰って来なかった。オレは、サクラの……姉さんの死体すら、見てない。ダンジョンでは、よくあることだから」


 話しながら、悲しくなるだろうかと思ったが、口にする言葉は妙に乾いていた。

 ただ、初めて人に語って、桜は死んだのだ、と改めて思い知った。


 紅子にではなく、自分に向かって言い聞かせるように。


「……姉さんは、死んだんだ」


 遺体の入っていない棺だけを火葬しても、実感なんて沸くわけがなかった。

 死んだなんて嘘で、どこかで生きているんじゃないかと思った。

 けれど、一緒にダンジョンに入った彼女の仲間が、生きて戻って来られる状況ではなかったと、はっきり証言しているし、その後の探索でも、彼女の遺品や、様々な痕跡が発見され、そう断言された。

 遺体すら残らないなど、よくあることなのだ。


「オレが、冒険者になる前の話だ。ダンジョンは、そういう場所だし、冒険者はそういう仕事だ」

 シオンは、向かいに座る紅子を、真っ直ぐ見た。


 姉が死んだのは、仕方無い。もう終わってしまったことだ。

 けれど、彼女はこれからの人間だ。

 そして、せっかく憧れの冒険者になっても、初仕事をしたその日に死んでしまうかもしれないのだ。

 この前の、ガルムに殺された冒険者たちのように。


「浅羽は、どうして冒険者になりたいんだ? 家族は、どうしたんだ? 許してるのか? 冒険者になりたいなんてことを」


 彼女の選んだ人生に、自分は関係ない。

 これはお節介だと分かっている。

 それでも、真剣にシオンは問いかけた。




 紅子もシオンの目を真っ直ぐ見返しながら、ぽつりと言った。


「私のお父さんとお兄ちゃんも、ダンジョンで死んだの」

「え?」

 目を見開いたシオンに、紅子は安心させるように、少し笑った。

「冒険者だったの。でも、私は二人のこと、ほとんど憶えてない。おかしいよね。お母さんは私がもっと小さい頃に死んじゃってて、お父さんたちは、ダンジョンにばかり潜ってたみたい。私は小さい頃から叔父さんと叔母さんに預けられてることが多かったの。でも、その日は、おうちで待ってた。それは憶えてるんだけどね」


 紅子は一度、ふうと息をつき、テーブルに頬杖をついた。

 長い黒髪が、さらっと肩に落ちる。

 窓に面した席には、眩しいほどに日が差し込んでいる。

 雲ひとつない良い天気だ。


「あの日は、雨だったな。私は、一人で退屈で、てるてる坊主作ったんだ。二人が雨の日に、ダンジョンに行くときは、いつもそうしてたの。ダンジョンって全部地下にあるって思ってたから、雨がいっぱい降って中に水が入ったら、二人が溺れちゃうって思ってたんだ。一人でヒマだったからね、ティッシュが一箱無くなるまで、いっぱい作ったよ。そういう、つまんないことは、憶えてる」

 少女の目許に、長い睫毛の陰がくっきりと映った。

「私は、5歳か6歳だったかなぁ。叔母さんが作って置いてくれてたご飯が、ラップかけてテーブルに並べてあって、私は一人でずっと、絵本やテレビ観たりお絵かきしたりして、二人を待ってたの。でも、いつまで経っても、二人は帰ってこなくって。次の日の朝に、叔父さんと叔母さんが来たと思うんだけど、あんまり憶えてない」

 それは幼い頃の記憶なのだから、無理もないだろうとシオンは思ったが、彼女は悲しそうに笑った。


「行きがけにね、『こっこ、行ってくるよ』ってお兄ちゃんが言ったような気がするんだけど、顔も、声も、全然思い出せないの。なんでかなぁ。自分の家族のことなのに」


 少し微笑みながら、彼女はテーブルを見つめた。父と兄のことを思い出しているだろう。

 彼女の話を聞いて、シオンも桜のことを思い出していた。


(じゃあね。シオン)

 そう言って、大人の男でも持ち上げられない大剣を軽々と担ぎ。

 仲間の車に乗り込んで行ったのが、最後に見た姿だ。


 忘れることはない。

 声も、姿も、表情も、鮮明に思い出せるけれど、いっそ忘れてしまえればと、何度でも思った。

 だから。


「思い出したくないことも、あるだろ。いくら、家族のことでも。大事な思い出でも。忘れてしまっていたほうが、いいこともある」

 そうシオンは言った。

 同じ喪失を味わった者なら、分かる。

 忘れたいから、忘れた。忘れようとした。それぐらい許されていいだろう。そんなことまで気に病んでいたら、残された者は悲しみに押しつぶされ、生きていくことさえ出来なくなる。


「うん……そうかもしれないね」

 紅子はシオンを見て、やはり微笑んだ。

「それでも、憶えていたら、よかった。二人の顔が、おぼろげにしか思い出せないの。特に、お兄ちゃんの顔は、思い出そうとしても、そこだけ何にも無いの。叔父さんと叔母さんが、残していたら悲しいからって、写真とかも全部捨てちゃったから……お兄ちゃんの友達とかも、全然分からないし、ほんとに、何も分からない。叔父さんたちは、お父さんとお兄ちゃんの話をしたら、怒るし……」

 明るい紅子の声が、小さくなるのが痛々しかった。

 忘れようとしても、忘れられないシオンと、忘れたくないのに、忘れてしまった紅子と、どちらも悲しい。比べられるものではない。

「だから、私が思い出さなきゃ、思い出の中に、お兄ちゃんの顔が無いの。それが、とても悲しいの」

「それが、浅羽がダンジョンに行きたい理由なのか?」

「……そうなのかな。分からない。ただ、ダンジョンには行きたいの」

 紅子が顔を伏せる。長い髪が白い頬を隠す。

「何かを、探しているのか?」

「……うん……そうだね……」

「浅羽?」


 まただ。

 また急に、紅子の目がどんよりと濁った。

 父と兄の話をしているときは、辛そうではあったけれど、その瞳に悲しみと、彼らを思う懐かしさが、表れていた。

 今は、何も無い。

 黒目の大きな瞳は光を失い、塗りつぶされたような漆黒に変わっている。

 そして、その奥から、何か別の色が滲み出てくるような―――。


「浅羽、どうしたんだ?」

「……私、ダンジョンに、行きたいの」

「どうして?」

「どうしても。行かなきゃ。だから、冒険者になるの」

「どこのダンジョンなんだ?」

「……分からない」

「分からないって、お前……」

「でも、行けば分かるの」

「浅羽……?」

「だから、行くの」


 絶対に、さっきまでの紅子ではない。

 そうシオンは思ったが、目の前に居て話しているのは、たしかに紅子だ。

 でも、あんなに朗らかな彼女が、いまは決められた言葉しか言えない人形のように見える。

 彼女のような少女が、人が変わるほどの、それほどの決意で、挑まなければならないダンジョンとは、どんな場所なのだろう。

 しかも、彼女本人にも分からないなんて。

 もっと詳しい話を聞いていいものか、一瞬悩んだ。


「はぁーい。お待たせしましたぁ~」

 間延びした高い声が響き、ミサホが食事を運んできた。

「カツ定食のキャベツ大盛りと~、デミオムランチのごはん大盛り~、お待たせしましたぁ~。アツアツだから、気をつけてくださいねぇ~」

「わあ、美味しそう!」

 と紅子が嬉しそうな声を上げる。

 暗い部屋に電気のスイッチが入ったかのように、その表情はたちまち明るく華やいだ。

 それはもう、シオンの知っている浅羽紅子だった。

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