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迷宮のドールズ  作者: オグリ
三章
57/88

囚われの血族

 少年は、魔道士というものが嫌いだった。


 名門を自負する魔道士一族の多くがそうであるように、彼の一族もまた、脈々と受け継がれてきた魔道士の血族であることを誇っていた。


 特に祖父、浅羽あさば光悦こうえつは、生まれる時代を間違えたとしか言いようがなかった。

 才能を持ち、その器に多くの魔力を内包し、大魔道士となる素質を備えていた。

 多くの迷宮が未知の存在であった時代とき、才ある魔道士はその圧倒的な魔力で手強い魔物を打ち倒し、困難な道を切り開き、数多の迷宮を攻略した――そんな時代に生まれていれば、偉大な冒険者として歴史に名を遺しただろう。その想いを一番強く持っていたのは、おそらく光悦自身だった。

 巨大迷宮は攻略され尽くし、危険な迷宮は封鎖されている現代においては、ただ魔力が多いだけの男でしかない。その膨大な魔力を世の為に使っていれば違っただろうが、本人がそれを望まなかった。

 己という強力な魔道士を生み出した、その血をより濃く残すことにこだわり、生まれてきた時代を呪うように、魔道士というものに固執し続けていた。


 自分を超える魔力の器を持った娘が産まれると彼は歓喜し、次に考えたことは、こうだった。


 ――この娘にも、娘を超える魔道士を産ませなければ。




 少年は、娘が産んだ、最初の子だった。

 祖父が望むほどの器は持っていなかった。


 失敗作。


 それが少年――浅羽あさばあかねに生まれながらに押された烙印だった。




 茜が九歳のとき、母の真朱まそおが失踪した。

 十二歳のとき、母をずっと探していた父が、幼い妹だけ連れ帰ってきた。

「ずっと離れていたが、お前の妹だ、茜」

 大いなる魔力の器であることを証明するような、赤く輝く瞳を持ち、その魔力の輝きにちなんだように、父は娘を『紅子』と呼んだ。

 失踪中に母が出産し、もう二歳になるという。

 それにしては赤ん坊のように小さく、言葉もままならず、黒い髪は引きずるほど長く、拾ってきた獣のようだった。

(動物みたい)

 それが最初に抱いた印象だった。

 茜は父に尋ねた。

「いままで紅子は、どこにいたの?」

 当然の疑問に、父の香一郎が淡々と答える。

「ダンジョンだ。この子はそこで産まれた」

「ダンジョン? どうしてそんなところで」

「魔素の濃い場所だからだ。普通に出産するには、子供の魔力が大き過ぎると思ったんだろう。母さんは一人で産んで、一人で育てていた」

「母さんは?」

「死んだ。真朱は体が弱かったから、本当は出産するだけでも精一杯だったんだ。よく生きたほうだ」

 父は、疑問に答えてくれているようで、新しい疑問を少年に植え付けるばかりだった。

 わき上がる数々の疑念を、茜はすべて言葉にはせず、父から引き出せそうな問いを選んで、簡潔に尋ねた。

「どうして母さんは、一人で紅子を産んだの」

「父さんが嫌いだったからだろう」

「どうして」

「いずれ話す」

 それ以上、何も教えてはくれなかった。

「紅子は人間ではない。いまはまだ。いずれ人間としての生活になじむだろう。俺には育てられん」

 無骨な父は、彼女を養育する役目を心優しい叔父夫婦に任せた。それに関しては、祖父と諍いがあったようだった。

 誰よりも祖父に心酔し、婿養子となった父が、義父であり師でもある光悦に逆らったのは、後にも先にもそのときが初めてだった。

 

 父は妹を連れ帰ったのちも、何かを探すように迷宮に潜り続けた。


 忙しい父に代わって、少年に魔法について教えるのは、二つ年上の従兄の役目になっていた。

 叔父夫婦の息子で、茜とは実の兄弟のように育った。

「かつて浅羽家に生まれた男は、女を守る戦闘魔道士としての訓練を受けた。そして女は、産むことが役割だった。より多くの女子を。それを守る男子を」

 数年前に同じ歴史を習った者として、透哉は二つ年下の従弟に同じ話をした。

「家長はつねに男子だったけれど、女性を中心に繁栄していったのが、浅羽の一族だ。中でもとりわけ強い力を持つ女子は、ひとりの夫ではなく、多くの男性魔道士と子を産んだ。より強い力を持って産まれた女子が、また同じ役割を持ったんだ。婚姻を結ぶわけではないから、一妻多夫とも少し違うけれど」

「競走馬かよ」

「え?」

「優秀なメス馬に、毎年違う優秀な種馬をつけるってことだろ」

 そのたとえがあまりに的を得ていたので、透哉は吹き出した。

 まだ十二歳だというのに物言いは大人びていて、成人の早い亜人種なら珍しくないだろうが、人間の学校では浮くだろうなぁ、と透哉は苦笑した。

「でも、浅羽に限らず、魔道士一族には珍しいことじゃないんだよ。より強く、優秀な血を残していきたいと思うのはね。どんなに強力な力を持っていても、多くの術を研究しつくしても、人の命は百年と持たない。生きた証を後世にまで残したいと思うことは、ごく自然に考えることだと思うよ」

 透哉の言葉に、茜は吐き捨てるように言った。

「やみくもに力を手に入れたからって、どこで使うんだよ。ダンジョンでモンスターを倒す? 外国行って傭兵にでもなんの? 使い道がなきゃ、強くなっても意味がない」

 話す間、茜はしきりに鼻筋を撫でていた。自分で治癒ヒールしたばかりのへし折れた鼻は、戦闘訓練のさなかに光悦にやられたものだ。優れた戦闘魔道士でもある光悦は、浅羽の男子に相応しい技を茜に身につけさせようとした。相手が子供であっても容赦が無い。茜は物心ついたときから、魔道に、体術に、人心掌握術に、さまざまな訓練を受けてきた。

 まだ十二歳の子供なのに、にこりともしない。従弟が笑った顔を、透哉はもうずいぶん見ていなかった。

 同じ道を辿った身なので、透哉にもその辛さは分かる。ただ透哉の場合は、あまりに平凡な魔力ゆえに光悦に見限られているので、それほど熱心な指導を受けはしなかったし、それを悲しいとか悔しいと思うより楽だと考える人間だった。

 だが、茜はそうではなかった。

 透哉と違い、彼は熱心に魔法を学び続けた。


 魔道士も魔法も嫌いで――受け継がれたその力を疎ましく思いながらも、学ばずにいられない。探求せずにはいられなかった。

 力を持って生まれた以上、得体の知れないものに自身が振り回されるのはごめんだ。

 だからよく知り、制御してやる。

 その力に魅入られ、振りかざす祖父。そんな男にすべてを捧げる父。

 彼らを見ていたからこそ、そう思ったのだろう。

「魔力は、人に過ぎた力だ。人は弱いから、それに簡単に心奪われてしまう。魔力の強さも、人の弱さも、恐ろしいものだと俺は思う。だから、恐ろしいのなら、知れば良いんだ」

 少年は、彼の父に似た淡々とした口調で、そう言った。

 浅羽茜は、そういう魔道士だった。

 魔法と魔道士を憎みながら、誰よりも純粋に、熱心に、魔道を歩んでいた。


「透哉兄さんは、人間は魔道士向きの種族じゃないと思う?」

「一般的にはそう言われてるけどね。魔道の研究、詠唱式の作成においては非常に優秀な種族だよ。それは鳥亜人ガルーダ蛇亜人ナーガ羊亜人フォーンといった魔力を多く有する亜人種に比べて、強い魔力を持つ者が少ない。それを優れた魔道具や詠唱式の工夫で補ってきたんだ」

「うん。結果として、魔道士向きなんだと俺は思う。現代のね」

 大きな器を持っていても、時代にそぐわなければ意味がない。

 祖父の光悦を見ていると、そう思わざるを得なかった。

 彼は義理の息子とともに、とり憑かれたように迷宮に潜り続けている。一族に伝わる魔石を探していると言っていたが、そんなおとぎ話のようなもの、見つかるはずもない。見つけたとして、またろくでもない研究や実験に使うのだろう。

「茜の言う通りだよ。特に近代になると、個人の魔力の強さそのものよりも、産業や文化の発展に役立つ魔道研究のほうが重宝されるようになった。優秀な魔道士たちは時代の波に逆らうことなく杖を捨て、賢者ワイズマンとして魔道研究の分野で活躍し、高度成長時代に多くの功績を遺したんだ」

「きっと、じいさんは、生まれる時代を間違えたんだな」

「そうだね。あれだけの魔道士なのに、時代さえ違えば、どれほどの功績を遺しただろう……。もしくは、その力を賢者として生かすことが出来たなら、現代にも名を遺すことが出来ただろうにね」

「あいつは、時代錯誤なんだよ」

 静かに、蔑むように、茜が言う。

 光悦には強大な魔力がある。いや、それしか持たない。

 ゆえに、彼は尊大で、傲慢で、孤独だ。

 彼が普通の老人なら、子や孫に愛され、穏やかに過ごす余生もあっただろうに。この時代ではダンジョンに潜り続ける、偏屈な老年魔道士でしかない。

 だがその強さは、香一郎のような魔道士を惹きつけもした。香一郎は光悦に心酔し、その思想と理想を浅羽の名とともに受け継いだ。

 その役割は、茜に受け継がれるものでもあった。だから彼は厳しく躾けられていたのだ。

 ただ、紅子の兄だというだけで。

 透哉は彼にひどく同情的な気持ちを持っていた。それは透哉自身、切り捨てられた魔道士だったからだろう。


 彼が妹と初めて会った日、父が少年に告げたこと。彼が息子に頼み事をするのは、最初で最後だった。

 それは呪詛のように、淡々と紡がれた。

「お前の妹、紅子を守ってやってくれ。それが浅羽の魔道士としての、お前の役割だ」

 その人生を妹に捧げろと、父は息子に言ったのだ。





「さぁ、好きなのを選んでいいよ!」

「好きなのをって……僕が選んでいいの?」

「透哉さん、黄々ちゃんにピッタリな銃を見立ててくだされ!」

 キキと国重に引っ張られ、「キキちゃんを助けるすごい魔銃選び」に付き合わされている透哉は、ずらりと展示されている銃を一通り眺めた。

 メーカー渾身の新作。それに見劣りしない過去の良作。改良を重ね続ける定番のモデル。

「なんといっても射手のスタイルによりますよね。軽量の銃で身軽に戦うか、重装備で火力特化するか……キキちゃんは小さいからやっぱり」

「重装備で!」

「えっ。そうなの?」

「リザード戦士に求められるのは殲滅力だからねっ」

「大きくて丈夫で力持ちなのがワシらリザードマン族ですからのう」

 国重のような一般的なリザードマンならそうだろうが、さも当たり前のような顔をしているキキは、同じ年齢の人間の子供と比べても小さいほうだろう。

「リザード戦士と思っていいの?」

「いいの! 見た目は可愛すぎるけど、中身はもうリザードマンの血と肉と骨でパンパンだから!」

 バンと自分の胸を叩く。

「それは強そうだね……」

 見た目が人間寄りのリザードマンハーフは珍しいが、「キキちゃんはすっごく強くて力持ちなの!」と紅子が言っていたから、人間の子供とは違うのだろう。なによりリザードマン族は、その肉体の頑強さを自負している。子供とはいえあなどれば、プライドを傷つけることになる。

「それじゃ、次に魔銃を選ぶポイントだけど、やっぱり射手の特性によって無属性と属性特化どちらを選ぶかだね。予算と装備の重量に余裕があるなら、複数所持が理想かな。キキちゃんは得意魔法とかある?」

「無いよ」

「……無い?」

 小さなリザードマン少女は、何故か偉そうに胸を張る。

「ギリギリスイッチ押すぐらいの魔力しか無いもん」

「スイッチ……引き金?」

「そう、引き金」

「魔銃の引き金が引けるなんてさすが黄々ちゃん、奇跡のリザードマンじゃ! これは母親譲りの魔力なんですぞ!」

 ひょいとキキを持ち上げ、抱きかかえて頬ずりする国重に、透哉は小さく笑いつつ、ふむ、と興味深そうに頷いた。

「……なるほどね。リザードマンは壊滅的に魔力が無いとはいうけど、母親に魔法素質のあるハーフでもその程度なのか……強いんだな、リザードの血って……」

 抱きかかえられていたキキはトカゲが壁を這うように国重の肩によじのぼると、小さな子供が肩車をされるようにちょこんと腰かけ、じろりと人間の青年見下ろした。

「ム、なんか言った? 紅子の兄ちゃん」

「従兄ね」

「ね、こう突いたり殴ったり出来る魔銃ある?」

 国重の上で腕を突き出したり、殴りつけるようなポーズを取る。小さな孫が物騒なことを言っていても国重は平然としているが、彼らは生まれながらの戦士なので、当然のことなのだ。

「あるよ。精密な魔銃は壊れるから無理だけど、精度を捨てて、いざというときの白兵戦にも対応した頑丈な魔銃は、一部のメーカーで作られてる。でも、最初から打突目的なら、ハンマーや槍を買ったほうがいいと思うよ。丈夫さがぜんぜん違うから。弾が入ったままだと暴発の危険性もあるしね。というか最初から殴るなら武器選択に魔銃を選ぶのはやめようね」

「ん、ハンマーと槍だっておじいちゃん」

「新しいハンマーも槍も買おうのう、黄々ちゃんや」

「でも妹尾さん、もう買い物の量がだいぶすごいことになってますよ……?」

 傍に置かれている大量のブランドバッグや箱を見やり、乾いた笑いを浮かべた透哉の肩を、国重は大きな手でがっしと掴むと、ガクガクと揺すぶった。

「しかし透哉さん! 可愛い黄々ちゃんの命を守るためですぞ! 金はまた手に入りますが、可愛い黄々ちゃんの命はこの世にたった一つしかないんじゃあ!」

「……あ、はい……そうですね……」

「ねっ、ねっ、紅子の兄ちゃん、これなにっ?」

 国重の上からキキがショットガン型の魔銃を指差す。

「おお、トカゲさんの刻印が入っておるのう」

「かっこいいじゃん!」

 激しい揺すぶりから解放され、透哉はほっとしたように息をついた。

「ああ……《サラマンデル》だね。火炎弾特化の、そんなに新しくはないモデルだけど、火属性魔法銃の中ではこれ以上進化の余地は無いというくらい完成されてると思うよ。それに属性特化銃を一つ選ぶなら、火属性が一番おすすめだね」

「これにする! じゃあさ、雷撃は? リザードプリンセスが持つのに相応しいやつ!」

「《サラマンデル》を作ったのと同じ、コルチェット社の《サンダーパイソン》かな」

 そう言って、大蛇が銃身に巻き付いたかのような紋様の入ったライフル魔銃を勧めると、キキは露骨にがっかりした顔になった。

「それヘビじゃん。もしかして、爬虫類ってだけで言った?」

「しかし蛇亜人ナーガ族とワシら妹尾一族は旧知の間柄じゃし、ワシは良いと思うのう。ばあさんと新婚旅行で行った出雲で知り合ったナーガの白神さんたちはとっても良い方々じゃったんじゃ」

「年賀状来るもんね。じゃあいっか。それも。氷結はどれ?」

「このまま性能よりリザードっぽさで選び続けていいの?」

「うん。リザードプリンセスに相応しいやつ」

「リザードプリンセスに相応しい逸品をお願いしますぞ!」

「じゃあ……カール&ルドルフ社の《フロストクイーンD2》でいいんじゃないかな。DはドラゴンのDで、散弾の威力を竜のブレスに例えてる。性能も良いよ」

「だってさ、おじいちゃん」

「イカすのう。リザードプリンセスに相応しいのう」

「あとは、無属性もあったほうがいいかな?」

「まあ……汎用性を考えれば、属性特化以外も一つは欲しいところだけどね……でも装備の重量が」

「あっ、あの無属性銃、なんかかっこいい! 《デス・オア・デス》だって!」

 苦笑いする透哉の言葉を遮って、キキが黒光りする銃を指さした。

「《死、もしくは死》……清々しいくらい死んでるね。ディバルド社はいつもデザインが格好いいんだよ」

「だってさ、おじいちゃん」

「ぜんぶ買おうのう黄々ちゃんや」

「でも妹尾さん……お金もですけど、重量が……。小さい女の子にはちょっと無理があるかと……」

「ハッ、そうじゃのう、黄々ちゃん、これだけあると少し機動力が落ちちゃうかのう?」

「いえ、少しではないですが」

 するとキキは、うんと頷いた。

「速さはシオンに譲ってあげてもいいや。こないだ筋肉痛で寝てるとき、冷静にパーティーの戦力を分析してたんだけど……魔法は紅子、霊術はハイジでしょ。攻撃力はちょーっとだけサムが僅差でキキちゃんに勝ってるかもしんないけど、それはタイマンでの話だからね。キキちゃんはまだ小さいから、リーチが足りないのは仕方ないっていうか……」

 ちょーっと、のところで指で小さく輪っかを作って、その中をじっと覗き込む。

「だから……リザードマンに求められるのは、やっぱ圧倒的な蹂躙力かつ殲滅力かなって。だから、えっと、弾切れはもう、ちょっぴりかっこ悪いかなって……」

 だんだんと声が小さくなっていく。

「おお、黄々ちゃん、戦闘に勝利したというのにちっとも慢心をせぬ、もう立派なリザード戦士じゃあ!」

 国重は愛孫の成長に男泣きしているが、キキ本人は国重の頭に顎を乗せ、ぷくうと頬を膨らませながら、憮然と呟いた。

「……ハイジやご先祖様の力を借りなくても、あたしは強いんだもん……」

 そんなキキに透哉は目を細め、言った。

「大丈夫、君ならもっともっと強くなるよ」

「もう強いけどねっ!」

 キキがはっとしたように顔を上げる。

「最強のリザードプリンセスだもん!」

「うん。そうだね。本当に、そうだよ。君にはおじいちゃんやご両親から受け継いだ生まれ持った強さがある。たとえ見た目は似ていても、普通の人間の子供が束になったところで、君には勝てはしない。君たちは選ばれた種族だから」

「えへん」

「照れますのう」

 威張るキキと照れる国重に、透哉は微笑みながら頷いた。

「貴方がたがあの子の味方になってくださって、良かったです」

「えへへー、まあね! じゃあ、おじいちゃんお会計と登録行こっ」

 上に乗せた孫に命じられ、のしのしと去って行く老リザードマンを見送り、さて紅子はどうしているだろうかと、透哉もその場を離れた。




「あっ、これ可愛い!」

 展示品の杖を手にした紅子に、傍らのハイジが冷静に尋ねる。

「可愛さで選ぶ? 機能で選ぶ?」

 ウッと紅子は声を詰まらせた。

「き、機能で……」

「無理しなくていいけど。メインの長杖スタッフはすでに一つ持ってるんだよね?」

「あっ、はい」

「買い替えるの?」

「あ、もうけっこう馴染んでるから使いたいんですけど、この前の携帯杖みたいにいきなり壊れちゃったら怖いから、予備もいるかなぁと思って……」

「予備ならこの前、僕があげたものは?」

「あれ、すっごく良かったです! やっぱり安物とは違うなぁっていうか! でもあれは携帯用にして、メインにはやっぱ一本ビシーッと長いやつが、こう、しっくりくるっていうか……」

 飾られている長杖と短杖を交互に手にし、紅子はうんと頷いた。

「短い杖は、魔力がこもっちゃうかんじがして」

「長杖はいまはもうあまり人気無いけど、魔力が強い者ほどそのほうが使いやすいって言うね。短杖ロッドのほうが素早く魔力が伝導するから好まれるけど、君の魔力の伝導力のほうが勝って、本体が耐えきれなくなるのかもしれない。携帯用は便利だけど、あれも結局、短杖を接続してるだけだからね」

「こうむにゃむにゃ~と長く杖の中で魔力を通して、溜めて溜めて先っぽのほうにギュッ、みたいなかんじが、いいんですよね」

「まぁ……なんとなく分かるよ」

「おうちの倉庫も探したんですけど、ソーサラーの家系なのに、あんまり無くって。うち引っ越しが多かったら、けっこう処分したって、お兄ちゃんが」

「お兄ちゃんって、さっきの?」

「あ、そうです。透哉お兄ちゃんは従兄なんですけど、なんかもう昔からお兄ちゃんみたいだから……。ほんとのお兄ちゃんもいたけど、死んじゃって……」

 展示品の杖を片っ端から握ってみながら、紅子が呟く。

「お父さんはダンジョンの中で、お兄ちゃんは家まで帰ってきたけど、助からなくて」

「そうか……それはお気の毒だったね」

「でも、ダンジョンで死ぬのなんて、冒険者だったら珍しいことじゃないんだなって、最近は思うようになって……。子供のころは、そんな危ない仕事、なんでお父さんたちがしてたのか、分かんなかったけど……」

「魔道士の一族だからじゃないかな」

「え?」

 紅子が顔を上げ、ぱちくりとまばたきをする。

「君のおうちは、脈々と続いてきた一族なんだろう。そういう一族に、いまも探求し続けている秘術や秘宝があっても不思議じゃない」

「うち、ぜんぜん有名な一族じゃないですよ」

「秘術や秘宝を求めていたら、有名になろうなんて考えないよ。歴史に名を遺すような偉大な魔道士を輩出した一族も、もはや名前だけの家に成り下がっているのがほとんどだ。人知れない一族のほうが、いまも黙々と探求を続けているんじゃないかな」

「そうだったのかなぁ……お父さんとお兄ちゃん、魔石を探してたんです。私もそれ、探してるの。みんなにも手伝ってもらって……そのことちゃんと、ハイジさんにも話さないと駄目だって、お兄ちゃんが」

「彼は一緒に探さないのか?」

「仕事があるんです。うち、あんましお金無くて。昔からおじいちゃんとお父さんがダンジョンに潜ってばっかで。あちこち引っ越しもいっぱいしたから。それに、お兄ちゃんは魔力あんまり無くって。魔道士には向いてないんです」

「魔力が少なくても、工夫で補っている魔道士もいるけどね。魔力が少ないから向いてないとは、思わないけれど」

 かつての仲間もそうだったから、と言いかけて、ハイジは僅かに目を細めた。

「……でも、そう割り切れることは、ある種の強さではあるかもしれない。優秀な魔道士一族に生まれたのなら、なおさらね。浅羽光悦という魔道士は、君の祖父かい?」

「あ、はい」

「ネットの検索にはかからなかったけど、図書館で少し調べたら名前があったから。近代の魔道士として」

「えっ、わざわざ調べたんですか?」

「あんなすごい魔力を見せつけられたら、その一族の名前くらい気になるよ」

「そ、そうですか……?」

 紅子は恐縮したように肩を竦めた。

「おじいちゃんが作った詠唱が二つ、魔道士協会公認詠唱式に登録されてるんです。でもそのぐらいかなぁ。昔はお殿様に仕えてたって話もあるけど」

「昔の日本にはお殿様がたくさんいたし、お殿様に仕えてた魔道士も、一時的に雇われてた魔道士もたくさんいるからね」

「それ、お兄ちゃんにも言われました……。死んだお父さんが、よくそういう昔話をしてくれたんですよ」

「どんな?」

「魔石の話。すっごくつまんないですよ」

「それ、話してもらえるなら、聞きたいんだけど」

「オチとかないですけど……。――むかし、むかし、浅羽という魔道士の一族が、お殿様の大事にしてた魔石を奪っちゃいました」

 かつてシオンにも話した昔話を、紅子はそらんじた。

 父が唯一話してくれた、おとぎ話。つまらなくて、ちっとも好きじゃなかったのに、忘れることなく記憶にあるのは、父が何度も話してくれたからだろう。

「浅羽の魔道士たちも、魔石と同じくらいお殿様にとても大事にされていたのに、魔石が欲しくてお殿様を裏切ってしまいました。そして、大きな力を持った魔石を割って、別々の場所に隠しました。深い恐ろしい洞窟の奥深くに、秘密の部屋を作って、魔法をかけて隠しました。――おしまい、です」

 ハイジが顔をしかめていたので、紅子は乾いた笑いを浮かべた。

「あの、オチ無くてごめんなさい……」

「秘密の部屋と言ったね。魔法というのは、幻惑魔法ファシネイションの一種?」 

「いやいや、おとぎ話なんで!」

 ぶんぶんと紅子が顔の前で手を振る。しかしハイジは真剣な顔で尋ねた。

「ダンジョンの隠し部屋……常に人を惑わし続ける……何らかの装置を、そういう秘術を君の一族は持っていたということ?」

「え、えっと、どうだろ……誰も研究とか、ノートとかに書いてなくて。秘密の巻物とかあるかもしれないって探したんですけど」

「口伝だ。秘匿の術なら紙に書いて残すなんて真似はしない。君の父は、おとぎ話という形で君に遺している。おそらく他にもきっと、幼い君に家族が色々と遺したはずだ」

「えっと……わ、分かんないです……私、あんまり昔のこと、憶えてなくて……」

 紅子は笑いを浮かべながらも、しゅんと目を伏せる。それを見て、ハイジは声のトーンを落とした。

「ああ、ごめん……。幼かったなら、仕方ないよ」

「でも、自分の探しもののことなのに、やみくもにしか探せなくて、小野原くんたちに協力してもらってるのに……」

「ダンジョンを片っ端から当たっているということ?」

「あ、はい。関東のダンジョンを、行けるところから……」

「それで次は千葉か……本当にやみくもだね」

「すみません……近くにきたら、ピンときそうな気がするんですけど……」

「そうか。君にしか分からない、君も憶えていない導きが、君自身の中にあるのかもしれないな」

「あっ、ピンとくるなんて、私が勝手に思ってるだけで!」

「いや、それこそが、ご家族が君の中に遺したものかもしれない」

「私の中に……」

「隠された記憶なのか、なんらかの口伝という形でなのか、分からないけれど。君たち一族――もしくは君にしか伝えられていないことがある可能性もあるということだ。でも、僕も憶測で物を言っているだけだから、深く考えないで。考え過ぎて、逆に真実から遠ざかるということもあるから」

「あ、はい……」

「君は君の直感を疑うことはないよ。それこそが正しいのかもしれないから」

 この娘はやはり、『当たり』かもしれない。内心で、ハイジはそう思った。

 現代にも、とり憑かれたように秘術や秘宝を求める魔道士がいないことはない。浅羽一族もたんにそういう連中なのかもしれない。だが、彼女の魔力の強さには惹かれるものがある。近親の中に近代史に名を遺こす魔道士がいることも考えれば、彼女の話にも信憑性が増す。それに、彼女が話したおとぎ話。

「あの、ハイジさん、この後、展示にも一緒行きませんか? せっかくだし」

「展示ね……そんなに興味は無いんだけど」

「せっかく私たちのパーティーに入ってもらったんだし、もっとお話ししたいなぁって」

「これから嫌というほど顔を合わせると思うけど」

 そう言うと、紅子はかねてより聞きたかったかのように、こう尋ねた。

「ハイジさんは、どうして私たちに協力してくれるんですか? あんなに強いのに」

「僕は専門職だから、パーティーがいなければダンジョン探索は出来ないんだよ」

「でも、もっと強いパーティーもあるのにと思って……」

「強くても、利害関係が一致しないこともある。君たちにはシャーマンがいないようだし、僕にとってはシオンは桜の弟だから」

「桜さん……小野原くんのお姉さん、すごい人だったんですよね」

「すごいと言えばすごいけど、いま思えば普通の女の子らしいところもあったかもしれない。あのころの僕は、彼女の強さにばかり目が奪われたけど」

「小野原くんにとっては、すごく大事なお姉さんで、いつもお姉さんの話してて、ああ、仲良しな姉弟だったんだなぁって最初は思ってたんですけど……蒼兵衛さんもキキちゃんも親分も、みんな桜さんのこと知ってて、ほんとに、すごい人だったんだって分かってきて……」

 杖を選んでいるようなそぶりをしながら、心は別のところにあるようだった。紅子は杖を握り締め、えへへ、と小さく笑った。

「そんなすごい人が心の中にずっといるから、小野原くんは強いんだなって。だから私を助けてくれるのかなって。嬉しいけど、助けてほしいけど、すごくいけないことしてる気がする……」

「……彼が好きでやってるなら、いいと思うよ」

 それに、彼自身もダンジョンに姉の姿を探しているのだろうし。とは言わなかった。それを言えば、余計に紅子を落ち込ませそうな気がしたからだ。

「彼は目的があるほうがやる気が出るタイプなんじゃないかな。彼を見ていると、昔の僕を見ているみたいだよ。別に見返りなんてなくても、桜と一緒に冒険するのは楽しかった。あの時間が永遠に続けばいいと思っていた。そういう相手に出会うときもある」

「えっ……」

 紅子が顔を上げ、みるみる頬を染める。あ、言い方不味かったかな、とハイジは慌てて言い直した。

「いや、色恋の話じゃないけどね」

「あっ、いえっ、べつにっ!」

 紅子は頭と手をぶんぶんと振った後、赤い顔のまま俯いた。あれ? 訂正しないほうが良かっただろうか。

「そのくらい大事な仲間が出来ることはある。彼にとって君がそうなのかは分からないけど、利害だけで仲間は集まるわけじゃない。僕も桜……彼女のためなら死んでもいいと、あのときは思っていたよ」

 紅子が再び顔を上げた。とても悲しそうな瞳に見つめられ、もしかして愛する女性を失ったかのように思われたのかもしれないが、別に否定するようなことでもないかと、訂正はしなかった。

 それにしてもまさか、恋愛相談をされるとは思わなかった……。

 秘匿の術を持つ一族の娘。その娘と一緒にいるシオン。

 ハイジは心の中でかつての仲間に語りかけた。

(……君の弟は、おかしなことに首を突っ込みかけているみたいだよ)

 本人がまれに見る強者だった桜の周りに、同じ強者が集うのは分かる。が、シオンの周りには風変りな者ばかりが集まっている。人の好い子だし、それも仕方ないだろう。このも、シオンには全面的に信頼を置いているようだ。というより、恋をしているのか。彼女にとっては自身の強い魔力や、一族の秘宝を求めることよりも、彼と冒険する日々のほうがよっぽど現実的リアルで、大切なことなのかもしれない。

 まだ十六歳の少女なのだ。本当に、普通の。

(秘術を持ち、魔石を追い求める一族の娘……にしては、あまりにも普通の娘だ。普通過ぎるくらいに……)

 それは冒険者をしていた彼女の父や兄が死んだことに、起因しているのか。

 身内が凄惨な死を遂げたことで、遺された家族が魔道士を忌避した。そう考えるのが自然だが、それなら何故いまごろになって、彼女は駆け出しの冒険者をしているのか。

(本人にろくに物を教えなかったのは、あえてそうしたということだろうけど)

 おそらく、彼女が知ってはいけないことがある。この歳になるまで、ごく当たり前の魔道士としての成長をさせてはいけなかった何かが。

 それを、遺された家族は彼女に隠している。

(あの男は、話してくれなさそうなかんじだしな……たぶん、僕には)

 こちらに近づいてきて、にこりと笑った透哉に、ハイジは小さく会釈を返した。





「わぁ、小野原くん、色々買ったね!」

 合流した紅子にそう言われ、シオンは気恥ずかしくなって目を伏せた。気がつけばいくつかの紙袋を提げていた。

「言われてみれば、買い過ぎた気がする……浅羽は? 杖買わなかったのか?」

「うん……なんかしっくりくるのなくて。とりあえずハイジさんが使わない杖をいくつか貸してくれるって」

「そっか。良かったな」

「小野原くんは、武器買った?」

「ああ、ナイフは送ったから……あ、ナイフに巻くテープも買わねーと……でも戻るの面倒だな」

「どうして?」

「気に入った奴があったんだけど、グリップ部分がピンク色のしかなくて……」

「ギャハハハ! ピンク! ここできたか!」

「ププ……いいじゃないか、若者らしくて」

 キキと蒼兵衛に爆笑されたが、無視する。

「そのままじゃ嫌だから、テープでも巻こうと思って」

「ハンドルのカスタムだったらしてあげようか? 素材を取り換えるくらい出来るよ。本数あるなら時間もらうけど」

 透哉の言葉に、シオンはピンと耳を立てた。

「えっ、じゃあ素材を持ってきたら、そっちに換えて貰ってもいいですか!?」

「ああ、いいよ。工場の道具借りてやれるから。木材でも、モンスターの角でも骨でも牙でも」

「昔、サクラが大量発生したデミ・リンドブルムの駆除をやって、家に素材をいっぱい持ち帰って来て。父さんがノコギリで牙を切り出して、ナイフの柄を一つだけ作ったんです。加工が難しかったみたいで、すごく時間がかかってたけど、使いやすくて。サクラが持って行ってたけど、オレもあれいいなぁと思ってて……素材はまだ実家にあると思う」

「デミ・リンドブルムの牙か、触ったことはないけど、たぶん大丈夫」

「そういや、そんな依頼あったっすね」

 鯛介がハイジに耳打ちする。それには答えず、ハイジは透哉に言った。

「それだけの技術があるなら、素材と魔石だけ入手すれば、わざわざ市販品を探さずとも、紅子さんに合う杖が自作可能なのでは?」

「まあ、素材さえ手に入れば。杖に関しては素人工作になりますし、柄の加工は大変なので、買ったほうが早いと思いますけど」

「要らない杖をいくつか持っているので、魔石だけ取り外して、紅子さんの気に入った柄と交換されては。僕にはもう必要の無いものなので」

「いいんですか?」

「合わないと感じたらすぐに売り払ってしまうので、そんなに良いものは無いですし、長杖はあまり持っていないですけど。後日送りますので、好きにしていただいて結構です」

「ありがとうございます。何から何まで」

 頭を下げる透哉を見て、紅子も慌てて頭を下げた。


「じゃあ、オレたちは仕事の準備があるからそろそろ帰るけど、ソウ、お前はどうすんだ? 一人でトラブル起こさずちゃんと埼玉まで帰って来れんのか?」

「いちいち過保護か!」

 キキが愕然とした声を上げる。蒼兵衛はシオンの肩をぽんと叩いた。

「大丈夫だ。今晩の宿は彼に提供してもらうからな」

「えっ」

「えっ、とはなんだ? 少し前までは毎日一緒に飯を食っていたじゃないか」

「やっとそれが終わったと思ったのに……いいけど」

「良いそうだから、明日になったら誰かを迎えに寄越してくれ」

「しゃーねぇなぁ」

 セイヤが息をつきながら答え、キキはますます愕然とした顔をした。

「埼玉くらい一人で帰れよ! ほっとけよこんな奴! なんなんだコイツら!」

「でもソウさん昔、電車で痴漢されている女性を助けようとしていきなり男の腕掴んで関節外しちゃって、そしたら単にイチャイチャしてるだけのカップルで、傷害で捕まったことあったし……」

「あたしは、公園で女の人が襲われてると勘違いして助けに入ったら、カップルがヤッてただけだったってやつが好き」

「ソウさんの剣幕にカップルが繋がったまま怯えて命乞いしてきたやつな」

 ワーキャットたちがゲラゲラと笑う。キキは蒼兵衛に抗議した。

「もう山奥とかで暮らせよお前は! 人里に出て来んな!」

「そんなの寂しくて三日で死ぬぞ」

「心弱過ぎィ! ウサギでももっと強いよ!」

「お嬢、オレらも帰りますよ」

「そうじゃのう。ワシもポチとコロの散歩をせんといかんのう。うちの敷地内でしか遊んでやれん決まりじゃから、決まった時間にはいっぱい遊んでやらんとのう」

「ポチとコロ、おじいちゃんには懐いてるよね」

「ビビッてるんじゃないスかね。自分らより遥かに巨大なモンスターに」

「なんか聞いた名前だな……?」

 なんだっけ、とシオンは首を傾げた。

「みんなは先帰っていいよ! あたしもシオンちに泊まるから!」

「えっ」

「サムがいいんだから、いいよね!?」

「いいけど……」

 バシバシと背中を叩かれ、シオンは顔をしかめた。




「黄々ちゃん、明日迎えをよこすからのう。ちゃんと帰ってくるんじゃよ」

「おばあちゃんに上手く言っといてね!」

「悪いな、シオン。ソウ、迷惑かけんなよ」

「明日迎えに来てくれ」

「紅子さん、また埼玉にも遊びに来てくださいね~」

「はーい。みなさんお気をつけてー」

「バイバーイ、キキちゃん。こんど原宿行こうね!」

 妹尾組とニコねこ屋が帰っていき、ハイジもそのまま帰るのかと思ったが、展示を見て行くと言った。

「ハイジさん、いいんすか? オレ、明日早いんで上がりますけど」

 鯛介が尋ねるとハイジは無表情で頷いた。

「たまには遊んで行くよ」

「そっすか。オレ帰っていいすか? 慣れないヒトばっかの中で寂しくないっすか?」

「子供か」

「アハハ。冗談っすよ。何かあったら、声かけてくださいね。のけものは嫌っすよ!」

 バンバンと軽く(ハイジにとってはかなりの痛みだったが)背中を叩いて、鯛介も去って行った。


 展示コーナーに向かいながら、シオンは全員の後ろを歩いて来るハイジに近づき、そっと声をかけた。

「ハイジ、ありがとう。浅羽の杖のこと」

「ああ、いいんだよ。ダンジョンのレベルが上がるほど、ソーサラーはパーティーの要になるからね。それと、恩を売ってみただけだ」

「恩?」

「浅羽一族にね。まあ君は深く考えなくていい」

「え? うん」

 ハイジが声をひそめて話すので、シオンは歩く速度を緩め、仲間たちから距離を取った。

「合わないんだよ、魔法系同士は。腹の探り合いになるから」

「……誰と?」

 シオンは不思議そうな顔をしていたが、あれはけっこうなタヌキ男だろうとハイジは内心で思った。誰にでも親切な男で、紅子とも親しげで、信頼されている。逆にその人の好さが、本心からなのか、ある程度作った姿なのか、掴みづらい男だ。ワーラビットやナーガほどではないが、ガルーダにも多少の魔力感知能力は備わっているので、魔力が無いというのは、偽りではないと分かるのだが。

「魔道士というのは、色々なタイプがいる。紅子は才能と感覚で魔法を使うタイプだ。だが、強い魔道士と、優れた魔道士は、違うんだよ」

「……どういうことだ?」

「彼は後者だろう。そういう奴は、他人にそう簡単に自分の領域に踏み込ませない。でも不思議と、一度懐に入れた者には――変な言い方だけど、いやに懐くことがあるんだ」

「そんな動物みたいな……」

「僕なりの人物観察でしかないけど、それなりに多く冒険者を見てきたから」

「ハイジ……占い師みたいだな」

「桜みたいなこと言わないでくれ」

 感心するシオンに、ハイジは顔を思いきりしかめた。

 それにしても血が繋がっていないはずなのに、人の懐に入る術には長けた姉弟だ、と思った。無意識なのだろうけど。





 ――兄さんは、紅子が可愛い?


 かつて、茜が透哉に投げかけたことのある問いだった。

 

 紅子は自分を疎ましがる実の兄のことは嫌っていたが、従兄の透哉には懐いた。突然現れた紅子いもうとを気味悪がる茜と違い、透哉はただ、普通の幼子を可愛がるように接していたからだろう。

 祖父は息子である叔父の魔力量に見切りをつけ、その子である透哉にも期待をかけていなかった。魔力の多い娘の子である茜には厳しく、紅子が物心つく前に死んだ。

 透哉は茜に同情的だった。同じ血を分けた孫でありながら、透哉は見限られるという形で自由を得た。紅子は宝物のように扱われた。茜は、ただの後継者だった。祖父と父の役割を継ぐためだけの。


 傍らの少女を見るたびに、あのころの問いを幾度を無く思い出す。


「透哉兄さんは、紅子が可愛い?」

「え? そりゃもちろん、可愛いよ」

 茜に尋ねられた透哉は、にこりと笑って返した。

「兄さんに、あいつはよく懐いてるもんな」

「僕の魔力がゴミなのを見抜かれてるのかもね。コイツは怖くないって」

 ははは、と透哉は笑ったが、茜は笑わなかった。

「兄さんは魔力は少なくても、力のある魔道士だよ。紅子は魔力があっても、それを扱える理性を持てるかは分からない」

「まだ子供だ。小さいんだよ、こっこは」

 やんわりと諭す透哉に、茜は静かに首を振った。

「俺は……あいつを人間だと思ったことはない」

 人に慣れない獣のように、実の兄に敵意を向ける妹を、愛しいとは思えない。

 いや、妹とすら思ったことはない。

「人間じゃないものを、人間らしく育てたとしても、本質は変わらない」

「茜」

「泣いただけで誰かを傷つけることが出来る。このままじゃ駄目だ。あいつはどんどん強くなる。そのうちあいつが誰かに死ねと言っただけで、そいつは死ぬだろうな」


 血を分けたはずなのに、自分とはまったく違う、異質な存在。

 あれは何か、別のものだ。


「あいつは浅羽が……狂った一族が作り出した、魔導子ドールだから」

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