新たな出発点
「えっ、もう仲間集めたの!? お前が!?」
「そこまで驚くことか?」
両手と片足を上げて、わざとらしく驚く犬亜人に、シオンは嫌な顔をした。
「コミュ障のシオンくんが!?」
「なに? こむそう?」
「虚無僧?」
笹岡が首を傾げる。
「シオンくんの仲間って、虚無僧だっけ?」
「なんだよそれ。ソーサラーと一応ガンナーとサムライだけど」
「なんでガンナーだけ一応付けたの? あとサムライってさぁ……」
「……言うなよ。ちゃんと強いんだ。ほんとに。笹岡さんよりずっと強いんだぞ」
「オイ」
以前、一緒にガルムを討伐した笹岡とは、あれからも時々新宿センターで顔を合わせることがある。最寄りは新宿センターではないくせに、わざわざやって来てシオンを見つけてはいじって帰る。電話もよくかかってくるが、九割がた用もなくかけてくる。お祭り種族ワーウルフと言われるだけはあって、人懐こくて、活動的で、うるさい。
そのときに、自分のパーティーを作りたいと話をしてしまった。それはまだいい。紅子の話をしたのは一番の失敗だった。
「これだから女出来るとよー。前に、『オレは孤高のソロだ。誰とも組まない』って鷲尾に言ったくせに」
「言ったかもしれないけど、そんな言い方はしてない」
すると笹岡が急に真顔になり、がしっと正面から両肩を掴まれる。
「ほんとに? してない? 言いきれる? 命賭けれる? 絶対なんてこの世にある?」
「……し、してねーよ……なんなんだよ……」
「じゃあ言ってないってことでいい? ほんとにいい? ほんとに言ってないんだな? いいんだな?」
「言ってない……はず」
「はず?」
シオンは顔をしかめ、考え込んだ。……言ったっけ? 言ったような気がしてきた……。
「……言ったかも……? しれない……」
「言ってねえよ。真に受けるな、シオン。コイツはからかってるだけなんだからよ」
考え込んでしまったシオンに、蜥蜴亜人の鷲尾が言った。笹岡が腹を抱えアヒャヒャヒャヒャと笑う声がダンジョン内に響いた。
何故か鷲尾が詫びる。
「……すまんな。だがもうコイツには慣れるか縁を切るしかない」
「じゃあ縁を切る」
「慣れてよぉ!」
キャンキャンと笹岡が吠える。無視して鷲尾がシオンに笑いかける。
「でも、またお前と仕事が出来て嬉しいぜ。気になってたからよ」
「鷲尾さん……」
国重といい鯛介といい妹尾衆といい、リザードマンって一名の例外を除き、なんでこんな良い奴ばかりなんだろう。笹岡とパーティーを組めるくらいだから、本当に気が長い。
「でもお前、大丈夫か? 朝まで埼玉にいたんだろ?」
「ああ、うん。ちょっと……仕事でダンジョンに」
無断侵入とは言えないので適当に誤魔化す。仕事の中には内容を軽々しく口外出来ないものもあるので、深くは聞かれない。
「寝てないんじゃねえのか?」
気遣ってくれる鷲尾に、シオンは笑い返した。
「大丈夫だ。戦闘の後で、かえって寝付けなくてさ」
「あるある」
笹岡がうんうんと頷き、鷲尾が呆れたように言う。
「お前はいつもほとんど寝ずに遊び歩いてるだろ」
鷲尾が心配するのも当然だろう。
今朝まで埼玉のダンジョン《ピンクシャトー》で戦っていたというのに、その日の昼には茨城のダンジョンにいる。
埼玉から帰ってきた朝、蒼兵衛が実家に戻ったことでようやく狭い部屋での男二人暮らしから解放され、清々しい気持ちで布団に入った。
……が、まったく眠れなかった。
大きな戦闘の後は神経がひどく昂ぶって、どんなに疲労していても眠れないのだ。傷は紅子の治癒で治してもらったが、他者の魔力が体内の魔素に干渉すると、異質な魔力を自分のものに変換しようと魔素が活発に活動を始める。そのせいで体温が上がって軽く熱に浮かされたような状態になるのだ。
それでも小一時間ほど浅く眠ったところで、笹岡から電話をもらった。
「いまから単日行くんだけど、小回りの利く奴が一人欲しいから、一緒に来るか? いや、ぜんぜん簡単なダンジョン探索なんだけど、依頼主の金払いはいーぜ」
「行く!」
がばっと布団から跳ね起き、シオンは二つ返事で誘いを受けた。
オレって、仕事以外に何も無いな……でも、仕事してるのが一番楽なんだよな。
パーティーでの仕事もいいけど、ソロの仕事も久々にがっつり入れたい気もする。ソロにはソロの利点もあり、自分では受けられないような大きな仕事の空きに入れてもらえることがある。
明日、月曜日だからセンターに行って……あ、そうだ、ハイジと会うんだ。次の月曜って言ってた気がするけど、さっそく明日でいいのかな。それとも来週のことだろうか。ま、いいや。明日、行くだけ行ってみよう。
彼は埼玉での無断戦闘を庇ってくれると言っていたが、実際はどうなるかまだ分からない。
冒険者協会からペナルティを喰らうかもしれないし、稼げるうちに稼ぎたいと思ったのも、今日の仕事を受けた理由の一つだ。
それにガルム討伐のときに知り合った笹岡と鷲尾は、いつものメンバーとは違い、仕事慣れした中堅冒険者だ。仕事明けで迷惑になるかもしれないと一応言うと、「大丈夫大丈夫、よく行ってるダンジョンだから。草取って帰るだけだし!」と言われたので、遠慮なく同行させてもらった。彼らにとっては慣れた採取依頼らしい。
「お、ダンジョンカサカサ虫が交尾してる」
笹岡が天井を這っている虫を、適当過ぎる名で呼んだ。
ダンジョンでよく見かける、シオンの手のひらより大きな魔虫だ。生命力の強い外来種で、日本のダンジョンに昔から住む魔虫を本来の住処から追いやってしまう。
「あいつ、虹ホタル食っちまうんだ。駆除しとくか」
言って、シオンは足のホルダーに差したダガーを抜いた。
「やめとけよ、一匹二匹倒したとこで、そいつらどんどん増えるって」
「それ言ってちゃ増える一方だろ」
笹岡が面倒くさそうに言ったが、シオンはダガーを投げてくっついていた二匹の魔虫を仕留めた。
そういやこういうの、いつもキキが魔銃でやってくれてたな。ダガーを拾い上げ、甲虫の死骸を剥がす。
シオンの腰を見て、笹岡が言った。
「お、武器変えた? それダガーじゃねえのな。変な形してんな」
「ああ、替えてみたんだ。貰い物だけど、せっかくだから使ってみようと思って」
セイヤに貰った二振りのソードブレイカーは、それぞれ腰の左右に差しているが、いままで使っていたダガーより重量がある。
これと、いままで愛用していた六振りのダガーをすべて持ち込むには重いので、四つに減らした。しかしダガーを軽量のものに買い替えれば六つ持てるかな、と思っている。
「なーんか、切れ味悪そーだな」
ソードブレイカーはダガーと同じ真っ直ぐな刀身だが、一つは峰の部分に櫛状の細かい凹凸がついている。もう一つは時代劇の十手のように鉤がついている。
「使ってた人が、これで刀を受けてたんだ。オレにはまだちょっと重いけど、使いこなせたら防御に使えそうだと思って。やっぱ戦闘じゃ囮役になることが多いし、詠唱する仲間の盾になんないとな」
「おーおー、いっぱしのリーダー気取りかよ」
「リーダーだけど」
「ヒュー! 言うねー。これ、なんて武器なん?」
「ソードブレイカー」
「ブフォッ!」
目の前で激しく吹き出され、その唾液をシオンは顔面に浴びた。
「ぎゃはははははは! か、かっけぇぇぇぇぇ!」
「なんだよ!」
「おい、笹岡。やめろ……」
馬鹿笑いする笹岡に、鷲尾が呆れた顔を向ける。
「かっけぇ……っ、ブッ……マジかっけーわー……さすがリーダー……!」
「なんかすげえムカつく」
「相手にすんな。ワーウルフのノリに付き合ってるとすぐに体力と精神を消耗するぞ」
ぽんぽんと背中を叩かれ、シオンは顔を引きつらせつつ頷いた。キキで鍛えられたつもりだったが、相手が年上だと思うとより腹立つ。
「お前、このへんが虹ホタルの生息地ってよく知ってるな」
鷲尾が感心したように言った。
「このダンジョンじゃないけど、近くまで来たことがある。冒険者になりたてのころ、外来虫の駆除をやったんだ」
「真面目だねぇ。んな小さい仕事をチマチマと。たいして金になんないだろ」
笹岡がうんざりしたような顔をする。
「時給1000円くらいだったな」
「やっす!」
「だって、十四歳のときだぞ。ワーキャットのソロで仕事選ぶなんて無理だろ。それだって他の冒険者が当日欠席して、臨時の穴埋めだったんだ」
「それにしてもそんな昔のこと、よく覚えてるな」
鷲尾の言葉に、シオンは頷いた。
「行ったことあるダンジョンや、モンスターのことなら覚えてる」
「それ以外のことあまり憶えないのにな。人の名前とか。俺、しばらく笹山さんとか、竹岡さんとか言われてたぜ。特に犬山さんはないわー。犬に犬って言う?」
「ごめん」
「しっかしダンジョンとかモンスターに関してだけ物覚えいいって、なんか危ない奴だな~」
「そうか? いいことじゃないか?」
「え、自分で言う?」
「なんか、ちょっと雰囲気変わったな。シオン」
鷲尾が笑いながら言った。
「カドが取れたっていうか、よく話すようになったよな」
「あ、悪い。うるさかったか?」
「そういう意味じゃねえよ。どっちかっつーと、やりやすくなった。前に一緒だったときは、早くダンジョンから出たいように見えたからな」
「……そうだったか?」
「俺の勝手な印象だよ。けどよ、いまのお前は仕事を楽しんでるように見えるぜ」
「あ、ごめん。真面目にやってるつもりだったけど」
「いや、ふざけてるって意味じゃなくてだな……いい意味で言ってんだ」
鷲尾はぽりぽりと頭の後ろを掻いた。
「うん。ほんとに、いい意味でだよ。短い間に、ずいぶんいい冒険者になったな」
「そ……そうかな」
気恥ずかしさに耳を動かしながら、シオンは目をそらした。
「やっぱカノジョちゃん出来るとさぁ……でっ!」
あくまでからかおうとする笹岡の尻をシオンは無言で蹴りつけ、かすかな水音を聴きつけ、慌てて先頭に立った。
「あっちから水音がする。水スズラン、生えてるんじゃないか。先行するぞ」
「足許に気をつけろよ。時々穴が開いてて、地底湖に滑り落ちるからな。水棲モンスターに気をつけろよ」
「分かってる」
鷲尾の言葉に、シオンは腰に装備したランタンの灯りを調整しつつ答えた。
「明かり下げるぞ」
明るいに越したことはないが、無駄にモンスターを刺激することもある。
やっぱり、武器がでかくなると体が重くなる。金はかかるが、今後のために出来るだけ小型で軽量な装備を揃えておきたい。
となると、やっぱり金が欲しいな……。
目標があると、がぜんやる気が出る。
「よし、いっぱい採取しよう」
腰からソードブレイカーを抜き、歩き出すシオンの背中を二人の亜人は見つめた。鷲尾は微笑ましげに、笹岡は羨ましげに。
「ほんと変わったなぁ」
「やっぱカノジョ出来るとなぁ……いいなぁ……」
つつがなく仕事を終え、帰りも鷲尾の車で送ってもらった。
車両が大きいのでアパートの前の狭い道までは入れず、駅前で降ろしてもらう。
車があると本当に楽だ。眠っていたらもう家の近くだ。いや、眠れない運転手は大変だろうが。
「ありがとう。あと……ごめん。寝ちまって」
車の中で思いっきり寝てしまったシオンは、申し訳なさげに耳を下げつつ、ずっと運転していた鷲尾に詫びた。
運転席の窓を開けた鷲尾が、声を上げて笑う。
「気にすんな。一日に二回もダンジョン行けばそりゃ眠いだろ。悪いな、家まで送ってやれなくて」
「いや、助かったよ。そのへんでメシ買って帰るし」
「そうか。じゃあ、またな。パーティー組んでも、仕事は誘っていいんだろ?」
「うん。助かる」
「また行こうぜ。お前なら信頼出来るしよ」
「今度は浅羽ちゃんも連れて来いよー!」
笹岡の言葉は無視して、シオンは頭を下げた。
駅前の弁当屋に寄ってから帰ると、アパートの前に管理人のワーウルフ、西沢がいた。レトリーバー似のワーウルフは、せっせとアパートの前の道をほうきで掃いていて、シオンの姿を見つけると大きく手を振った。
「おのたん! おっかえり~!」
「ただいま。それじゃ」
「なんでさっさと素通りすんの!?」
「一日二人めのワーウルフはキツい……」
「手紙、手紙来てたよ!」
「オレに? 電気? ガス?」
「支払いならわざわざ言わないよぉ~! はい!」
「別の部屋の手紙じゃないだろうな……」
いまどき各部屋にポストが無いというのは珍しいんじゃないだろうか。シオンに大事な手紙などそう届きはしないが。見覚えの無い封筒を受け取ると、ちゃんと自分宛だった。
「オレ宛だ」
宛名面の下のほうに差出人のロゴが入っている。
「……あ」
それには見覚えがあった。中を開くとチラシが入っていた。
「冒険者博の案内状だ」
「ああ、最近よくCMでやってるやつ。お台場だっけ」
「そうそう」
〈冒険者博〉――通称〈エクスポ〉は、〈冒険者博覧会〉を略したものだ。
年に一度、初夏に行われ、三日間に渡って、冒険者に関連した様々な企業が出展する。
一般向けに広く冒険者の仕事を知ってもらおうという催しだが、現役の冒険者たちも多く足を運ぶのは、冒険者用の装備、衣服、アイテムを製造する様々な企業も出展するからだ。物販エリアでは、いち早く新作を購入出来る。
「去年行ったんだ」
「なになに? なに買ったん?」
「丈夫な懐中電灯。あと濡れてもすぐ乾く靴下」
「つまんな……」
西沢ががっかりした顔をする。
「来場者アンケート書いたから届いたのかな」
「おのたん、アンケートとか参加するんだね」
「帰るとき、書いてくれって頼まれたから。そういえば住所書いた気がする」
一部の物販エリアでは、武器も売っているので誰でも入れるというわけではない。冒険者証と身分者証が無いと入場出来ない。新作や限定品が手に入るが、買った武具はすべてその場で魔紋と所持者登録をされる。
そこを出るときにアンケートを書いた気がする。協力者の中から抽選でポーション詰め合わせが当たるという文句につられて。
「そっか、そんな時期か」
「行くの?」
「んー、一応。ちょうど装備新調したかったし」
「そっかー。面白いもん買ったら見せてねー!」
「うん」
どうせならみんなも誘ってみるか。浅羽は絶対来るだろうな。物珍しいものを見たら全力で喜んでくれるから、誘い甲斐がある。キキと蒼兵衛は……誘うとうるさいだろうが、誘わないともっとうるさいだろう。ハイジは……誘ったら失礼かな?
そんなことを考えつつ、欠伸をつきながらアパートの階段を上がり、部屋に帰って弁当を広げたら、箸を握ったままいつの間にか寝ていた。
「やぁ。待ったよ」
――あ、今日は女のほうだ。
ハイジと会うなりそう思った。
使い分けているとか言っていたけど、そこには触れないほうがいいんだろうな。触れるなと鯛介も言っていたし。
感情の読みにくい目が、シオンを見据えて言った。
「今日は女のほうだとか思ってる?」
「……いや……」
嘘の下手なシオンは目を逸らした。
「ここには知ってる顔もいるからね」
「……もしかして、それって変装なのか?」
結局、我慢出来ずに触れてしまった。
「そこを話すと長くなるよ。今度にしよう」
「あ、うん……」
しれっと答えられて、もうそれ以上は訊けなかった。
変装なのか事情があるのか趣味なのか謎だが、彼の女装は完璧と言って良かった。
彼はウェーブのかかった茶色のウィッグを付け、黒のサマーニットにロングの巻きスカート、首に薄手のストールを巻いている。
何も知らないと女性にしか見えない。体格も元々細身だから、女性なら少し骨ばってるくらいにしか感じない。顔は別に厚化粧でもなく、元の顔の面影はあるのに、ぜんぜん違う人に見える。不思議と声の印象まで変わる。
一つ気づいたのは、女の恰好してるときのほうが、印象が薄いということだ。
元々鳥亜人は人間から見て独特の雰囲気を持つ美形が多く、ハイジも例に漏れない。女の姿でも美人なほうだと思うが、それだけだ。
だから新宿冒険者センターの前で声をかけられるまで、そこに彼がいるということに気付かなかった。男の姿のほうがよりガルーダらしい雰囲気があったように思う。
他種族が持つガルーダ族の一般的なイメージは、冷静かつ合理的。
神秘的で、秘密主義。
どこか謎めいていて、情が薄い。
そんなふうに言われる。
それは彼らの子離れ、親離れが、他種族に比べて早いことに起因している。ガルーダの子らは四、五歳までに親から引き離され、同類の子供たちと見守り役の大人と共に集団生活を送り、他種族のいない学校に通う。これは日本での話だが、外国だと産まれてすぐ親許から離されることも珍しくないらしい。
それは彼らが子を成しにくい種族で、他種族の血が混ざるとガルーダの特徴を失いやすいためだという。
人間の母親から産まれたリザードマンハーフのキキなどは、見た目こそ人間だが、骨格や内臓の作りは人間とは異なる。体は同世代の子供より遥かに強靭で、リザードマン固有の能力、《轟声》も使え、リザードマンの特徴をかなり色濃く受け継いでいる。
ガルーダハーフはほとんど存在しない。血が弱く、繁殖能力が低く、とりわけハーフの出生率は非常に低い。多くの他種族と子を成せる人間相手でさえ、子供が人間化してしまう。そのため、緩やかに絶滅しつつある亜人種族であると言われる。
しかし何故か、人間化した家系から、突然『先祖返り』と言われるガルーダの子が生まれることがある。「トンビがタカを産む」などと揶揄されることもあるが、ハイジはこの先祖返りにあたると鯛介から聞いている。
ガルーダとして産まれた子は、人間ではなくガルーダ族の習わしに従って生きる。
彼らが家族よりも同世代の若者と生活するのは、幼少期からの他種族との接触を避けるためだ。そんな環境の中、彼らは比較的早くつがいを見つける。
いわゆる、許嫁というやつだ。そんな幼少期を過ごし、外の世界に出たガルーダは、すでに夫婦であることが多いと言われる。
ハイジもそんなふうに育ったのだろうか。
こうして女装している姿を見ると、許嫁がいるようには見えないけれど……。
好奇心が疼いたが、おいそれと訊けることではないし、訊くべきでもない。
最近、色々な人や種族の事情を聞くことが多かったから、以前は無かった詮索癖がついたような気がする。シオンは反省した。
「もっと早く来るつもりだったんだけど、遅くなってごめん……寝坊して。昨日、帰って仕事に誘われて、つい」
「昨日? 体力あるね」
「治癒が効いて……目が冴えてて。体も元気だったし。知り合いから誘われた簡単な仕事だったから」
「そう。桜もよく、戦いの後に興奮が収まらないと言って、仕事を入れていたよ。華奢な体にどれだけのエネルギーがというほどタフで、特に精神力は本当に強い子だった」
口調はこっちが素のようだ。なんとなくほっとした。
「ところで、食事は済ませた?」
「あ、いや。起きて、慌てて来たから」
「昨日の今日で呼びつけたんだから御馳走くらいするよ。そういえば昨日は日曜日だったんだと、後で気づいてね。月曜日に約束したら、次の日になるということを失念していた」
なんか変だと思ったら、曜日を失念してただけか……。
この人、けっこう抜けてるとこある気がしてきた。
「ゆっくり話したいし、食事にしよう。ラーメン以外にしてね」
「じゃあ、オレがいつも行く喫茶店があるんだけど」
「《オデュッセイア》?」
「知ってるのか?」
「僕の登録はずっと新宿センターだから」
「そうだったのか。てっきりサクラと同じ中央センターかと思った」
「最初にここで登録したんだ。自分から仕事を貰いに来ることも今はないけどね。パーティーだからって、センターを一緒にする必要はないだろう。君たちは?」
「えっと、蒼兵衛もいまは新宿に移ってるから、全員このセンターだ」
「そう。奇遇だね」
「そうだな。浅羽に会ったのも、キキに会ったのも、別の仕事で知り合った蒼兵衛とまた顔を合わせたのも、全部ここだった」
言って、古びたビルを見上げる。紅子と再会したのが四月、あれからまだ三ヵ月少ししか経っていないのに、もうずいぶん昔のことのようだ。
「出会いなんて偶然が重なって起こることだからね。特別な存在と出会ったとき、その出会いをことさらに運命的だったと思い込む者もいるけれど、偶然的要素の無い出会いなんて一つも無いわ」
ハイジの言葉に、シオンは小さく頷いた。
良いこと言ってくれてるのに、大事なところでキャラが混ざるのなんとかなんないかな……。
喫茶室へ向う途中、種族と家族と性別については触れないほうが良いと鯛介に言われているので、話題選びには慎重になってしまう。
「今日、目の色違うんだな」
「カラーコンタクト。あんまり好きじゃないんだけど」
本来の色は、目の縁は灰がかった褐色で、中心にかけて透き通った薄い緑になっていく、独特のグラデーションカラーだったが、いまは茶色のカラコンを入れている。
ガルーダの瞳は硝子玉のように美しいと言われる。その目の印象が強いから、カラーコンタクトを入れるのだろうか。
「このセンターには古い知り合いもいるかもしれないから」
「ハイジはいつから冒険者やってるんだ?」
「十歳かな」
「はやっ!」
「いまが二十三だから、もう十三年になるね」
十二歳のキキより上がいた。
「一族が受ける仕事で、ダンジョンに入ることがあったからね。そのために必要だったの。霊力や魔力は子供も大人も関係無い。強い者は強い。無い者には無い。強い力は求められる。だから一定以上の力を持ったガルーダの若者は、早いうちに修行を始める。才能はそれだけでは持ち腐れるだけ。結局は経験こそが財産になる」
「それは分かる気がする」
「もっとも、僕は落ちこぼれだったよ」
「えっ、あんなにすごいのに?」
「やる気も無かったし。ダンジョンは埃っぽいし、かび臭いし、汚れるの嫌いだし、力を使い過ぎると鼻血が出るし。冒険者になんて絶対なりたくなかった。気が変わって、本業でやり始めたのはここ五年くらいだよ」
オデュッセイアの前で、ハイジが足を止め、無表情で呟いた。
「懐かしいな、ここ」
「入ったことあるのか?」
「昔からあるんだよ」
店に足を踏み入れると、ワーラビットのウェイトレスがひょっこりと顔を出した。
「いらっしゃいませぇ~、お二人さまで……あらっ、小野原さま~」
短いスカートからすらりとした美脚を惜しげもなく見せるウェイトレスのミサホは、シオンが冒険者になりたてのころから変わらずここで働いていて、客の顔をよく憶えている。
ふわふわとした髪の中から、垂れた耳が下がっている。
「……って、あら? あらあら?」
ミサホはハイジを見て、マスカラが重たく塗られたまつ毛をぱちぱちと動かした。
「空代さま? お久しぶりです~」
「久しぶり」
どうやら知り合いらしい。この店に入ったことがあるなら不思議ではない。このウェイトレスもたいがい年齢不詳だ。
「冒険者、続けてらしたんですね~」
「バリバリやってるよ」
「そうですかぁ~。では、禁煙席にご案内します~」
会話はそこそこに、心得たようにミサホがにこりと笑い、周りに誰もいない奥の静かな席に通された。
「あの人って、いつから働いてるんだろ」
ミサホが水を取りに行っているときに、シオンは思わず呟いた。
「五年前にはもういたな」
気さくで人当たりの良いミサホだが、客の素性について深く尋ねてくることはない。どれだけ常連になり、雑談くらいは交わすようになっても、店員と客の一線は超えてくることがない。それでいて親切なので、シオンも駆け出しのころは世話になった。一人で緊張して店に入ると、初心者であることをすぐに察して、センター内のことを色々と教えてくれたものだ。
ネットの情報でも、『新宿冒険者センターの初心者はまずここへ行け』と書かれているらしい。
「それにしても、彼女は見た目がまったく変わってないよ」
「ラビットは若く見えるからな」
「ワーキャットが言うことでもないと思うけど」
ガルーダのほうがよっぽど年齢不詳なのに……とシオンは思ったが、言わなかった。
「知り合いを避けるつもりだったのに、さっそく見抜かれてしまった」
この恰好、やっぱり変装なんだろうか。それとも……趣味? 突っ込んではいけないと思いつつ、やはり気になる。でも、無理に訊きだしたいわけではない。いずれ気にならなくなるだろう。
それ以上に気になっていた話を振った。
「あの、ペナルティは」
「ああ、謹慎を免れる代わりに、レベルが50から25まで下がったよ」
「は、半分も!?」
思わず立ち上がりそうになったが、ハイジは平然としている。
「パーティー五人ぶんのペナルティとしてはこんなものかな。レベルなんて協会のさじ加減で簡単に上がるものだし。緊急要請でも無い限り、当分高レベルダンジョンには入らせないための措置だろう」
「ごめん……」
「あれで良かったんだ。七川はいずれああいう行動に出ただろうし、ことが大きくなる前に早く済んで良かったと考えよう。それに僕のレベルだけ高くても、君たちにいきなりの高レベルダンジョンは無理だろう?」
「……無理かな……?」
「無理ね」
きっぱりと言われてしまった。
「まあ、とりあえず選んだら?」
ハイジがシオンの手許のメニューを顎でしゃくる。
「あ、オレ、いつも同じのなんだ」
「保守的だね。桜は新メニューに目が無かったよ」
「知ってる」
「話を戻すよ。まず君たちが目指すところは、僕のレベルに近づくことだな。シオン、君のレベルは?」
「11だけど、早く15まで上げてくれって協会から言われてるから、仕事を重ねていけば上げてもらえると思う。浅羽も冒険者になったのはこないだだけど、もうけっこう仕事をこなしてるし、近いうちにレベルアップすると思う」
「ソーサラーだしね。問題は無さそうだね」
「お水です~。ご注文お決まりでしたらお伺いいたします。小野原さまはいつものカツ定キャベツ大盛りで?」
「あ、うん。カツちょっと減らしてほしい。寝起きで……」
「じゃあカツやめたら?」
ハイジが言う。
「いや、外でくらい肉食わないと……」
「猫っぽくないね」
「よく言われる……。うち、父親が胃腸弱くて……。サクラは肉好きだったけど」
「好きだったね。彼女の握ってきたおにぎりに生焼けの豚肉が入っていて、仲間が腹を下したこともあったな」
「あいつ胃腸強くて。あ……やっぱりライスも少なめで」
「無理するなよ。こっちはコーヒーだけで」
「かしこまりました~」
伝票を置いてミサホが去っていく。
「ハイジ、食べないのか?」
「もう食べてきたから。食べさせられたというか。妹尾家に行ってきて、お参りしてきたんだよ。〈守護霊降臨〉で彼らの一族の英霊を召喚したからね。そうしたら大歓待されてしまった」
「ああ……なんか想像つく。キキはどうだった?」
「コールガーディアンの反動で全身筋肉痛になっていたけど、おおむねうるさかったよ。一緒にお墓を磨いてきた」
「そっか……。あいつ……呪われたりしないよな?」
「大丈夫。急遽彼らの地元で〈偉大なる御先祖様よ、黄々ちゃんを護ってくださってありがとう大感謝祭〉が行われるそうだから」
「え……あ、そっか……そういう家だった……」
祖父母の国重と静音は地元の権力者で、一族のみならず地域の住民に慕われている。二人とも人格者だが、小さくてわがままな孫が可愛くて仕方がない。キキのためなら何でもするだろう。
「本来、成功率が一割以下の術なんだが、成功するわけだよ。レベルの話に戻るけど、あのバーサーカー……キキは特例冒険者だね」
「うん」
保護者、もしくは保護者代理同伴の場合でしか仕事が受けられない冒険者のことだ。キキの場合、保護者は国重、その代理はシオンになる。
「あれは除外として、サムライのほうはどう? 腕は良いけど、面倒臭そうな人間に見えたけど」
「蒼兵衛はレベル8だ。問題を起こしてレベルダウンを食らってる」
「レベルダウン」
「何回か食らってる」
「……彼は、必要かしら?」
女言葉で首を傾げられた。
「ひ、必要だよ……。見ただろ……強いのは強いんだ。変に正義感あって、融通効かないだけで、悪人じゃない。ただ、違反冒険者を見過ごせないたちで……」
「強さだけならリザードマンかミノタウロスを雇うのも有りだけどね」
「でも、オレたちじゃ強さに見合うだけの報酬を渡せないし……その点、蒼兵衛ならタダ……」
「なにもベテランを雇う必要はない。新人でいいんだよ。それでもじゅうぶん彼らは強いからね。強くても若者には変わりないから、同年代のパーティーを組みたがるものだよ」
「あ、そういえばキキもそうだったな……」
「鯛介もそうだったよ。あとは報酬を多めに支払ってあげればいいと思うよ」
「あ、なるほど……あっ、いや、蒼兵衛でいい」
ぶんぶんと首を振るシオンに、ハイジが平淡な目を向ける。
「いま、揺らいだ?」
「その手もあったかと……でもオレ、基本的に自分から誘うのとか、苦手だからな……」
「そうだね。いまのパーティーも、周りが勝手に集まってきたってかんじだ。――まあ、多少問題があっても、あの強さは捨てがたくはある。リザードマンやミノタウロスは強いけど、体格のせいで狭いダンジョンは不向きだから、人間サイズで強いのは大きい。武器付与型だし」
「そうなんだよな」
肉体強化型が圧倒的に多い魔法戦士の中で、武器付与型は珍しい。というか、人気が無い。桜も肉体強化型だった。
武器付与は肉体魔法よりも魔力消費が圧倒的に少ない。蒼兵衛のように魔力が少ない者でも、硬化程度なら簡単な詠唱で発動する。
しかし初級の硬化は『武器を少し丈夫にする程度』の魔法なので、鬼熊のような巨大なモンスターと戦うとなると、長い詠唱と集中が必要になる。
結局、武器が少々硬くなったり、属性を持ったところで、本人が強くなければ意味を成さない。
エンチャントは発動時間も短く、戦闘中に何度もかけ直す暇がないこともある。だからエンチャンターは腕に自信を持つ者が多い。いうなれば、ほとんど戦士なのだ。
ある程度の魔力量があるなら、エンハンサーか、バランスタイプを目指すのが普通だが、エンハンサーは強化に頼り過ぎると、魔力が切れたときに使い物にならなくなる。自らを鍛え上げたエンチャンターはその心配が無い。
「性格がかなり面倒くさそうだったけど、純粋そうではあるし……ああいうタイプは損得ではないんだろうね」
「そうだな。それに、悩みはもう吹っ切れたみたいだし。それよりキキのほうは大丈夫かな? アンタから見て……」
「なにが? 妹尾組のお嬢さんだろう。バックの大きさからいって、本人が少しくらいバカでもアホでも大目に見られるけど?」
「え……そんなもん?」
「そんなもの」
いや、言っていることはかなり辛辣だが。
「それに彼らは元々戦闘種族。人間の親と違って、仕事中に死んでもこっちを恨んだりしないよ」
言いにくいことをはっきり言うなこの人……。
「じゃあ、あの、オレ……は?」
訊きたくないが、つい訊いてしまった。
「君?」
「う、うん……」
「僕、見る目は優しくないほうだと思うけど、聞きたい?」
ガルーダ特有の冷たさを感じる目つきに、シオンは気圧されつつ頷いた。
「聞きたい……。ここまで聞いたら、気になってしょうがない……」
「リーダーとしては落第点」
「う……」
はっきり言われ、シオンは耳を下げた。
ハイジがズケズケと続ける。
「そもそも君が僕から見て完璧な冒険者だったら、こうしてついてやろうとは思わないけど? 言っただろう? 君が桜の弟だから、僕は君を気にかけているに過ぎない。無駄に人が好さそうだし、放っておけないと思ったんだよ」
「そっか……」
「そうだよ。あと、どうせシャーマンは必要だろう」
未熟者のレッテルを堂々と貼られ、薄々分かっていたとはいえ、落ち込むシオンだった。
食事が運ばれてきてからシオンは気になっていたことを尋ねた。
「あの、赤ん坊の死体ってどうしたんだ?」
コーヒーを啜っていたハイジが、トンカツをちら見した。
「食事中だから遠慮したのに、いま聞きたい?」
「あ、うん……大丈夫。……あの死体、供養したのか?」
「ああ。魂はとうに失われていたけど、肉体は還したよ」
「そっか」
なんとなくほっとして、箸を取ったシオンに、ハイジが尋ねた。
「シオン、君は、朽ちた肉体の蘇生方法をどれだけ知っている?」
「え?」
慌てて箸を置く。それを見て、ハイジが言った。
「食べながらでいいけど?」
「いや……食べにくい。続けてくれ」
「そう。なんの話してたかな?」
わりと忘れっぽいなこの人……と思いつつ、答える。
「肉体の蘇生方法」
「そうだ。朽ちた肉体の蘇生方法だったね。――容れ物と化した体に魂を無理やり繋ぎ止め、ゾンビ化やスケルトン化させる。動物や人形に憑依させる。高位のアンデッドモンスターになる。リッチクラスになると肉体と知性を持ったまま転生するしね。……まあ列挙するだけならキリがないほどある。肉体が死んでも、魂を容れ物に繋ぎ止めておくことは可能なんだよ」
急に話が始まったので、シオンはついていこうと必死になった。
「外国では偉大な指導者の遺体を冷凍保存して、蘇生魔法をかけ続けているなんて話も実際にあるし、実際に多くの成功例がある。ただ、生き返ってもまたすぐに死んでしまったり、脳や身体機能が失われたままだったり、自らの魔力と生命力を分け与える術者の負担は、ただ怪我を治すのとはわけが違う。術者が命を落とすこともある」
それでも数多くの研究機関や賢者は、蘇生術を進化させようと研究を続けている。
「強大な魔力は生死をひっくり返すことが出来る。ただし、それには、魔力だけではない、強い意思が必要になる。どんなに魔力が強くても、扱う者にとって思い入れのない相手に対して、それほど強い力が使えるかと言うと難しい。成功したとしてもそれはどこか欠けた不完全な蘇生だ。完全な蘇生に成功した例も記録に残っているけどね。成功させたのはどんな魔道士だったと思う?」
「医者の心得がある治療魔道士だろ?」
「いいや」
ハイジが首を振った。
「母親だよ。――記録に残る完璧な蘇生の成功例はすべて、母親が我が子を蘇らせたものだ」
「母親……」
「中にはそれほど強い魔力を持たない者もいたそうだ。ただ、魔力を生命力のぶんまで出しきった母親は、成功後にまもなく自身も命を落とすことがほとんどだった」
強い魔力と、深い愛。
それらが、完璧な蘇生に必要なものだ。
魔法を扱うのは、圧倒的に男性魔道士が向いているという。
だが、強力な魔法を成功させるのは、女性魔道士であることが多い。
そもそも女性は産み出す存在だからだ。そして、慈しむ生き物である。すべての女性がそうではないが、斬牙のワーキャットたちを多く育てた蒼兵衛の母・ソフィーなど見ていると、母は強しという言葉にも頷ける。
「強い想いが特に魔力の強さを超え、命を削るほどの力を産む。特に母親にとって、子は自分が産んだ半身以上の存在と感じる者もいるだろう。記録に残る完璧な蘇生術の成功者は、すべて女性魔道士なんだ」
「それは分かったけど……赤ん坊の話と、何の関係があるんだ?」
「あの場所は、《喚起》が成功するほど、魔素の強い場所だった。あそこで産み捨てられた赤ん坊は、産まれながらに強い霊力を持ち、遺体にそのままとり憑いた。魔素の強さもそれを助けただろう。あれは魔力の塊みたいなものだった。遺骸そのものが、魔具も同然になっていた」
「魔具……」
「魔石と同じだ。遺骸が、魔石の役割を果たしていた」
食事など完全に忘れ、シオンは話に聞き入っていた。
「あの赤ん坊を媒介に、あの場所において、ヒュウガは強力な霊術を扱った。でも、それはやむなくだったようだ。彼は最初に、蘇生術を試している」
「どうして分かるんだ?」
「遺体を埋めろと彼が言ったから、遺体にまだ何か秘密があるのかと思ってね。埋めずに火葬にしたら、焼いた赤子の遺体の中から鍵が出てきた。ニコねこ屋の連中に調べさせたら、ロッカーの鍵だった。ロッカーは東京にあったんだけど、よく見つけてきたよ。そこから彼が隠していたものが出てきた。それこそ手駒にしていた他チームを脅すための写真や動画のデータ、それに、彼の研究成果だ」
「研究?」
「意外とマメに記録してあったよ。ヒュウガが赤子の遺骸に固執していたのは間違いない。ただ魔具というだけでなく、幼少期の拠り所にしていたのは、本当だろうね。だからこそ実験に選んだ。憑依術ではなく、蘇生術のね。さっき話した、魔力の強さだけじゃない、思い入れこそが重要なんだ。遺骸そのものが魔具だったことから、成功の目はあったと思う。完全な蘇生は難しくても、高位のアンデッドは産み出せたかもしれない」
「けど、成功しなかったのか」
「そうだね。それどころか魔具と化した器と魂が分離してしまった。器の呪縛から逃れた魂は、自らドブネズミに乗り移ったようだ」
ハイジがコーヒーを啜る。コーヒーから湯気は消えていた。トンカツ定食もきっと冷えているだろうが、シオンは猫舌なので問題無い。
「蘇生魔法は、死霊魔道士なら誰もが試す。不自然な話じゃない。……僕が気になるのは、そのすべてが彼の独学とは思えないことだ。それに関しては何も記されていなかったけれど、非合法に蘇生術の研究やアンデッド製造を行っている死霊魔道士は少なくない。アンダーグラウンドに独自のネットワークもあるはずだ。僕はそういった連中を探している。すでに何人かとは接触した。今回のヒュウガも含めてね。だが、僕が追っているものには、まだ辿りつかない」
「追っているもの?」
「もう二年だ」
二年。
それは、シオンにとっても忘れられない年月だ。
桜が死んで、二年が経つ――。
彼もまた、過去に囚われ続けている一人なのだ。
「ハイジ……」
「ねえ、シオン。君は」
シオンの言葉を遮り、ハイジは言った。
「桜の遺体が喰われたのではなく、持ち去られた可能性を考えたことはあるかい?」