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迷宮のドールズ  作者: オグリ
二章
51/88

最高の仲間

 震動していたダンジョンから、いきなり揺れがピタリと止まり、三十分以上経った。

 普段は人の寄りつかない廃ビル街に緊急車両が集まっている。だが、戦闘中のダンジョンには誰も近づけない。

 少し前に、レベル50の凄腕のシャーマンが中に入ったらしい。彼はセイヤが雇ったシャーマンで、冒険者協会からも信頼が高いという。彼がこのダンジョンで戦闘が起こると通報したようだ。

 冒険者が倒されればアンデッドが外に溢れ出る。だが、ダンジョン外にアンデッドの姿はいまだ現れない。

「ソウちゃん……」

 ロープを張られたダンジョンに近づけず、シリンは離れた場所からダンジョンを見上げた。廃ビルにまだ電気が通っているのか、中で誰かが照光魔法を使ったのか、窓からは光が漏れている。だが、どんなに目を凝らしても、そこに人影すら見えない。

 無事に帰ってきますように。

 シリンは目を閉じ、胸の前で祈るように手を組んだ。

 いてもたってもいられなくなって、従業員のユエに車を出してもらい、ここまでやってきた。だが、すぐ後にやって来た警察に、ワイト級のアンデッドが出るから離れるようにと言われた。

 中で夫と友人が戦っていると言うと、待つことは許してもらえた。

「モンスターなんかに、蒼樹が負けるわけないだろ」

 あまりに必死に祈っていたからか、やって来たセイヤが言った。彼は警察とずっと話をしていたが、ひとまず解放されたようだ。軽傷を負ったリノは治療をしてもらっている。

「レベル50のシャーマンが一緒なんだ。それに、シオンたちもな」

「……でも、建物が壊れちゃったら……強いとか関係無いし……」

「上は少し崩れたが、倒壊するほどの揺れじゃない。あいつらならすぐにモンスターを倒して脱出してくるよ。普段からダンジョンを攻略してる冒険者だ」

 シリンは目を閉じたまま答えた。

「セイちゃんに言われなくても、ソウちゃんが負けるわけないなんて分かってるよ……ただ、ちょっと運が悪いとこあるから……転んだり、たまたま落ちてきた瓦礫が頭に当たっちゃったりするかもしれないじゃない」

「……そういうことはあるかもしれねーけど」

「ソウちゃんが強いのは分かってる……分かってて、いつもわたしたちのために戦ってくれるのが当たり前みたいに思ってた……わたし、わたしは、いつかソウちゃんがいなくなるの、嫌だなぁって思ってたの。子供のときみたいに、ずっと三人でいられたらいいなって……」

 祈る姿のシリンは、まるで懺悔をしているようだった。閉じた目尻から涙が浮かび、瞼を開くと、すっと頬に流れ落ちた。

「シリン……それはな」

「分かってる。三人でいられなくしたのはわたしたち。それに、いつまでもわたしたちのために冒険者をしてちゃいけないんだよね……。ソウちゃんのことを必要としてる人は、ずっとたくさんいるんだよね……」

「ああ」

「わたし……本当は、他の人たちにソウちゃんを取られちゃうの、嫌だった……わたしたちのソウちゃんだって、ずっとそんなふうに思ってた……。そのくらい、ずっとずっと、ソウちゃんはわたしのこと、当たり前に助けてくれてたんだ。わたし、何も知らなかった……」

 シリンはごしごしと目許をこすった。

「わたしたちは、ソウちゃんの最高のパーティーじゃなかったけど……でも、ここに帰ってきたときは、おかえりって言ってあげたい。ソウちゃんは強くて、すごく強くて、それが当たり前みたいに思われちゃうから、頑張ったねって、わたしたちは言ってあげなきゃ……」

「だったら、もう泣くな。ソウが気を遣うだろ」

「……ん」

 涙を拭って、シリンは顔を上げた。ダンジョンから冒険者たちが脱出してきた。

 蒼兵衛はキキを背負い、それ以外は特に普段と変わらずのんびり歩いていた。まるでたいした戦闘などしていないというように。だが、白いコートはすっかり汚れ、いつも無造作な髪もますますぐちゃぐちゃになっていた。

「ソウちゃん!」

 シリンは声を上げ、ここだというように手を振った。蒼兵衛がぎょっとしたように目を向け、慌てて髪と服についた汚れを払い、駆け寄ってきた。

「なんで寝てないんだ、君は! 身重のくせに……!」

「えへへ……やっぱり心配で、来ちゃった」

「俺……私のために? 私のことが心配でたまらなくて、いてもたってもいられず?」

「前向きだなー……」

 嬉しそうな蒼兵衛に、背負われたキキがツッコむ。

「おかえりなさい、ソウちゃん」

 いつも通りの笑顔を作って、シリンは言った。

「今日も、すごく頑張ったね。強かったね」 

「フッ……当たり前だ」

「ぶべっ!」

 髪をかき上げながら、背負っていたキキを地面に落とす。

「私は強くなりたくて、強くなったんだ。そんなもの、当たり前だ」

 そうなるまでに彼がどれほど努力したのか、知っている。

 何の見返りも求めず、誰かを守るために強くなった男は、これからも彼女の自慢の友人で、かけがえのない存在だ。シリンは微笑み、涙が零れないように気をつけながら、しっかりと頷いた。




 崩れていく。

 担架に乗せられたヒュウガは、うっすらと目を開けた。

 ダンジョン《ピンクシャトー》は傾いたものの、崩壊にはいたっていない。

 崩れたのは、もっと別のものだ。

「少し……待って」

 呻くようにヒュウガは救急隊員に告げた。

「……少しでいいからさ」

 蒼兵衛に打ちのめされた体は、口を開くだけでも軋むように痛んだ。

 手加減の上手い奴だ。死なない程度に、苛烈に痛めつけてくれた。やはり強い。だが自分ではその強さの半分も引き出せなかっただろう。この器では、霊を操るくらいがせいぜいだ。それもいまは使えない。両手足には魔力封じのリングを嵌められている。魔道士を捕えるときに使う、魔力を抑える強力な魔石が組み込まれたものだ。

 いつの間にか無様に失神していたが、激痛の中で再び目を醒ますと、半壊したダンジョンから冒険者たちが脱出してきたようだった。

 どうやら、自分の術で生まれたのはワイトばかりだったらしい。

 それも彼らに倒された。

 はぁ、と小さく息を吐き出しただけで、折られた肋骨が酷く痛んだ。

「……アイツらと話をさせてくれないかな。すぐ終わるから」

 ワーキャットの少年と、冷たい目をしたシャーマンが近づいてきた。

 ハイジは救急隊員たちに何事か告げた後、冷ややかにヒュウガを見下ろし、尋ねた。

「……高度なシャーマン・マジックは相伝されるものだ。師もなく、独学でここまでのことが出来るとは思えない。〈喚起エヴォケーション〉なんて禁術、誰に習った? 君に術式を教えた者がいるはずだ」

 冷静なようで、怒りを感じさせる口調だ。そうシオンは思った。静かな声だが、どことなく凄みがある。

 だがヒュウガはにっと口を歪め、ハイジではなくシオンを見た。

「……あの干物、捨てた?」

 シオンは首を横に振った。

「いつまでも持ってんなよ、あんなもの……もう魂は無いんだ。空っぽの器は、ただの残りカスでしかないんだよ……」

「その魂を、死んだ器から解放しようとしたのか?」

「……なにそれ……まさか、実はいい奴みたいに思ってんじゃないよな……」

 ヒュウガは笑うが、その顔は青白い。シオンも長く話すつもりはなかった。

「思ってないけど、どんな奴でも、一つくらいは大事なものがあるかと思って。心配するな。ちゃんと供養する」

「……そう。まあ、思いたいなら思えば。じゃあ、静かに埋めてやってくれ」

 シオンはハイジに目を向けた。何か訊きたいことがありそうだったが、彼は小さく首を振った。もういい、というように。ヒュウガが質問に答えるつもりはないと思ったのだろう。

 救急隊員が告げる。

「もういいかい? 行くよ」

 ヒュウガはもういいというように、黙って目を閉じた。


 ――結局、ワーキャットとしても人間としても、シャーマンとしてもソーサラーとしても、半端ものだった。

 ヒュウガは敗北を噛みしめながら、痛みに荒い息を吐いた。

 魔力封じなんてされずとも、とうに力は空っぽだ。何ヵ月もかけて準備した術だったが、失敗に終わった。才能はあっても血統に恵まれなかった。特別な魔術や霊術は先祖が研究を重ね子孫へと受け継がれていく。人ひとりの人生よりも長い時間をかけ作り上げられていく。形だけ真似たところではやはり限界がある。

 くだらない親が自分に残したものの中で、稀少な財産と言えたのは、あのダンジョンと赤子の遺骸くらいだ。

 自分に従った者たちのように、他のオスの強さを素直に認めることが出来たら、違う生き方もあっただろうし、出来たはずだと、あのシオンというワーキャットは言いたげだった。憎たらしいほど真っ直ぐな奴だった。誰もがそんな素直な性根を持っていたらこの世はとっくに平和だ。

(ああ、そっか。ああいう奴が、好かれるのか……)

 自分はこれからもずっと、劣等感という化け物と戦い続け、打ち勝つために誰かを傷つけるだろう。その衝動を抑えきれない。抑える術が分からないし、分かりたくもない。

 物心ついたときから、人間の母親は贅沢な暮らしだけ与えていれば、それで愛情をも与えられるのだと信じていたし、金目当てに母を籠絡したワーキャットの父親は、愛そうとすらしなかった。気分次第で殴られ、泣けば蹴飛ばされ、笑っても馬鹿にしていると謗られた。チンピラの父親が憎くて、いつか殺してやりたいと思っていたが、ヒュウガが成長して力を付けると、逃げ回るようになった。こんなちっぽけで弱い存在を恐れていたのだと思うと、次に憎くなったのは、弱かった自分だった。

 赤子の霊を慰めにしたこと、一時期でも斬牙に縋ろうとしたこと――弱かった自分のすべてを捨て去りたかった。未練の残る生き方をすれば、死んだときその妄執にとり憑かれ、醜いモンスターと化す。高いシャーマンの素質を持つヒュウガは、幼いときからそのことに怯えていた。だから、強さを求めた。

 当たり前のように他者をいたわり、真っ直ぐな目を向けてくる奴は嫌いだ。同じ境遇でありながら、昔受けた傷なんて何でもないというように。だからお前もそうできるだろうとでも言いたげに。

 ヒュウガは唇を噛んだ。血が流れるほど。いま舌を噛み切ったとしても、リッチになれる保証はない。気の狂ったワイトとなり、あっさり打ち倒されるだろう。

 ……まあいいや。まだ先は長い。この先いくらでも力をつけることは出来る。それが何年後、何十年後になっても。




 救急車がサイレンを鳴らし去って行ってから、ハイジがぽつりと呟いた。

「クソガキめ」

 聞かなかったことにして、シオンは尋ねた。

「アイツは、赤ん坊の魂をネズミに憑依させたって言ってた。ネズミが死んだらどうなるんだ?」

「そのまま動く死体リビングデッドになるか、ゴーストになるか、他のものにとり憑くか……霊体を浄化か滅されない限り、どこかを彷徨い続けるよ」

「それって、解放されたことになるのかな」

「僕はそうは思わないが、どう思うかは人それぞれだからね。朽ちた器に縛りつけるよりマシだと思う奴もいるだろうけど、僕ならさっさと昇華するかな。逆に、魂を術で昇華させずこの世に残してやることこそが自然だという考えのシャーマンもいる。その赤子の霊も、いまごろ自由にこの世を謳歌しているかもしれないね」

 そう言って、ハイジはふうと息をついた。

「……なんて、言ってほしいのか? 君は優しいんだな」

「そんなことねーけど……」

「皮肉だよ、いまのは」

 冷たい目を向けられた。かと思うと、その目が細められる。

「……しかしその赤子の遺骸、たしかに大事なものかもしれない。よく入手したな」

「え?」

「それと、崩れた上階からブラックドッグを生きたまま捕獲してきたのも良い判断だ。墜落死していれば、そのままリビングデッド化して、ダンジョン外に逃れていったかもしれない。そうなると市街に被害が及ぶ」

「……いや、何も考えてなかった……勢いで……」

「ただの衝動か」

 なんでも使い捨てるようなヒュウガのやり方にムカついていたのだろう。今回は結果オーライだったようだが。

「なら、次から考えて動くといい」

「う、うん……」

「君の行動を否定はしないよ。様々な状況で、予期せぬ事態や未知のモンスターに会うこともある。誰しも常に完璧な対処を出来るわけじゃない。ときに衝動が活路を切り開くこともある。もちろん逆もあるが、今回は良かった。それがたまたまのラッキーだったとしても、学習して次に生かせばいい」

 後先の考えない行動を罵られるかと思ったが、そうでなかったのでほっとした。ハイジなりにねぎらってくれたのかもしれない。

 彼は、ふうと、と疲れたように息をついた。

「さて、憑霊された者たちもいたな。ああ、面倒くさい。早く帰って体を清めて眠りたいわ」

 イライラするとキャラが混じるのかな……とシオンは思った。




「すげー上のほう半壊だぜ」

「いやよく半壊で済んだよ」

「誰も死んでないよな?」

 緊急車両の赤いランプが周囲を照らす中、斬牙のメンバーはてきぱきと引き上げの準備をしている。深手を負った者は救急車で運ばれたが、軽傷の者はその場で手当てを受け、自分たちの車に乗せて帰る。

 ダンジョンの入り口にはロープが張られ、周囲では冒険者協会から派遣されたシャーマンがアンデッドを警戒している。廃ホテル通りは通りごと封鎖され、緊急車両がせわしなく出入りしている。夜中にも関わらずかなりの野次馬が集まっていた。

「憑霊された者はさっさとこの場から離れて。離れてしまえば特に問題はない」

 そう告げるハイジに、セイヤが尋ねる。

「除霊はすぐにしたほうが?」

「いや、いったんこの場を離れてしまえば大丈夫だ。除霊は出来るだけ体力があるときのほうが早く終わるから、ゆっくり休んで後日でいいだろう。僕も疲れた」

「分かりました。――病院に行く奴以外は、柊道場に行ってくれ。念のため、今晩は単独行動を取るなよ。除霊は明日以降だ」

「代金は君持ちでいいんだったね? 社長。団体割にしとくよ」

「お願いします」

「ま、待ってください! オレたちは辞表を出してきたから、会社には関係ない……」

 リョータが慌てて声を上げる。

「オレは辞表なんて受け取ってねーぞ」

「わたしが預かったの」

 セイヤの言葉に答えたのはシリンだった。

「でも、失くしちゃった。要らない書類と一緒に、間違ってシュレッダーにかけちゃったのかも」

「シリンさん、なんてベタな嘘を……」

 リョータが愕然と耳を下げる。その肩をセイヤがぽんと叩いた。

「悪いな。ベタでも無いもんは無い。いきなりいっぺんに辞められてもこっちも困るから、いま辞めるなんて言わないでくれ。こんな騒ぎ起こしたんだ、しばらく会社も大変だろうけど、建て直すのを手伝ってくれないか」

 ワーキャットたちに向かって、セイヤが深々と頭を下げる。傍にいたシリンもリノも、一緒に頭を下げた。

「あ、頭なんて下げないでくださいよ!」

 当然、嫌だと言う者などいなかった。

 彼らから少し離れたところで、蒼兵衛がその光景を見ていた。

 かつての仲間たちを、何も言わずに黙って見つめる蒼兵衛は、彼らの許へ戻りたがっているようにもシオンには思えた。

「話、まとまった? まだ話あるから、続けるよ」

 しんみりした雰囲気を壊し、ハイジが淡々と告げる。セイヤの傍に大人しく佇んでいるリノを見やる。

「他の者は大したことはないが、彼女は一番強く術がかかっていたから、今晩以降、絶対に目を離さないで。憑霊は解除したけど、後遺症は残るよ。いまは神経が昂ぶっているだろうが、突然強い不安感に襲われたり、悪夢に苛まれたり、不眠がちになるかもしれない。憑依されたときの恐怖の記憶も徐々に蘇ってくるだろう。日中でも精神不安定になることもある。様子を見ながら状態が良くなるのを待つしかない」

「はい。ありがとうございます」

「とにかく周囲のケアが必要だ。親御さんに説明が必要なら僕がしようか?」

「……親に……?」

 リノがセイヤの腕をぎゅっと掴み、ふるふると首を小さく振った。

「いやだ……。うちの親は、どうせあたしのことなんてどうでもいいんだもん。帰りたくない」

「分かってる。オレがちゃんと話し合うから。心配すんな」

 セイヤがぽんぽんと頭を撫でると、リノは顔を上げた。不安げに耳を下げる妹を、兄が宥めすかすように言う。

「オレももう大人だ。おふくろともたまに連絡取ってる。心配することねえよ」

 リノの目がみるみる潤んでいく。

「お、おにいちゃ……ご……ごめんなさい……! あたし、迷惑ばっかかけて、ごめん……ごめんねっ……」

 兄の胸に追いすがり、緊張の糸が切れたのか、わんわんと泣き出す。

「うぐっ……で、でも、き、嫌いになんないで……! おにいちゃん……!」

「なんでだよ。なるわけねーだろ」

 肩を震わせて泣く小さな背中を、セイヤが笑いながら撫でる。

「リノちゃん、今晩からうちにおいでよ」

 シリンが声をかけると、リノはかすかに顔を上げた。シリンが微笑む。

「わたしのこと、助けてくれたら嬉しい。わたし、ただでさえ不器用なのに、いまは体調崩してばっかりだし。一人じゃ、セイヤにお弁当ひとつちゃんと作ってあげられないんだもの」

「……お姉ちゃん……」

「シリンのメシは不味いんだ」

「ぽいなー」

 蒼兵衛がこっそりと呟き、うんうんとキキが頷く。

「素直に謝ったら? 裏切り者呼ばわりに関しては、全面的にリノちゃんが悪いんだし」

 蒼星がリノに言った。

「そういうとこがヒュウガに付けこまれて……」

「わ、分かってるわよ……!」

 リノが顔を赤くし、再びセイヤの胸に顔を埋めた。そのまま、ぼそっと呟く。

「……ごめんなさい」

「わたしも、ごめんね」

「……なんで謝るの?」

「だって、セイヤはリノちゃんの大事なお兄ちゃんでしょう?」

 にっこりと微笑むシリンに、リノがガバッと顔を上げた。

「ちょ、ちょっと、やめてよ! その言い方、なんかあたしが単にお兄ちゃん取られて嫉妬してただけみたいじゃん!」

「え、違ったのか?」

 シオンが思わず声を上げると、リノは顔を真っ赤にして、尻尾をぶんぶんと激しく振った。

「ち、ちがっ……!」

 反論しかけて、結局ぷいっと顔を背ける。

「うっさい! シオンのバカっ!」

「え、なんで?」

 首を傾げるシオンを、仲間たちが見つめた。

「小野原くん、いまのはちょっと……」

「空気読みなよ、リーダーなんだから」

「そんなんじゃ君、モテないぞ」

「え? なんでオレ責められてるんだ?」

 シオンは顔をしかめた。




「――ちょっといいか」

 ハイジがやってきてシオンに声をかけた。

 彼の右手には見覚えのあるハンカチが抱えられていた。リノが持っていたものだ。中には赤子のミイラが入っている。いまはハンカチで包んだ上から数珠のようなものが巻いてあった。

 シオンは仲間たちから離れた。

「この遺骸は僕が供養する。このことは他言しないでほしいんだ。三崎たちにも口止めしてある」

「……さっき、大事なものだって言ってたけど」

「分かってから教える。隠し立てはしないと約束するよ。信頼してほしい。桜の仲間だったよしみで」

 シオンは頷いた。それから、改めて頭を下げた。

「あの……今日は助けてもらって、ありがとうございました。ハイジ……さん」

「もう遅いよ。戦闘中、けっこうハイジハイジって怒鳴られたんだけど」

「すみませんでした……」

「構わない。面白い戦いを見せてもらったしね。ずいぶんと個性的なパーティーだな。個性しかないというか」

「……はい……」

「あのさ、そんなに緊張しないでくれ」

 桜の昔の仲間であり、自分より遥かにベテラン冒険者で、にこりともせずに話すので、彼を前にすると緊張してしまう。

「そんなに僕は威圧感あるかな?」

「……ちょっと……」

「正直な子だな……何故目を逸らす。戦闘中は元気がいいのに、けっこう人見知りだな」

 鳥亜人ガルーダ特有の、硝子玉のような薄い色の瞳に、いちいち品定めされているような気分になるとは言えない。

「桜は逆に、不躾過ぎるくらいだったけど」

「……すみません」

「何故謝る?」

「……姉がいつも、皆さんに暴力をふるっていたんじゃないかと……」

「僕は大丈夫だよ。他によく蹴られていた仲間がいたから。たしかに無茶で無鉄砲で強引で傲慢で不遜だったけど、皆が彼女を尊敬していた」

 ハイジの物言いが少し柔らかくなる。鯛介もそうだったが、姉のことを良い思い出のように話してもらえることは嬉しかった。

「仲間の中では、僕が一番最初に彼女の仲間になったんだ。長い付き合いではなかったかもしれないが、冒険者として、とても濃厚な時を過ごした。そして彼女に選ばれた気すらしていた。自分よりずっと年下の女の子にね。愚かしいと思う。でも、楽しかった。あの頃は。後にも先にも、僕が固定のパーティーを組んだのは、桜に誘われたあのときだけだ」

 かすかにハイジは笑い、シオンを見た。

「戦闘をしていてどうしようもなく、あの頃を思い出したよ。怒鳴られたのも久しぶりだった。堅苦しくしなくていいよ。そのほうが話しやすいみたいだし」

「でも……」

「今回の後始末は僕がやるから、君たちは僕が個人的に雇った用心棒ということにしておくんだ。そうすればペナルティは喰らわずに済むだろう」

「え」

「僕は七川の母親にも雇われていたし、日頃の行いが良いからね、社会的信用もある。事情を話せばほぼ無罪放免だ。冒険者として形式上のペナルティは食らうだろうが、せいぜいレベルダウン程度だ。レベルが下がったくらいで僕の仕事は減らない」

「どうして……」

「君が桜の弟だから。それ以上の理由はないよ。彼女は君を大切に想っていたし、僕も彼女を大切に想っていた。だから彼女の大切なものを僕が守ってやりたいと思うのは、そんなにおかしいことかな? シオン、君の登録センターはどこ?」

「え?」

 いきなり話が変わって、シオンはすぐに返事が出来なかった。

「冒険者センター。どこに登録してるんだ? 次の予定は?」

「新宿……予定は特に決めてないけど……いつも月曜日にはセンターに行ってる」

「分かった。じゃあ、次の月曜日。僕から出向くよ。君たちのパーティーに加えてくれ」

「えっ!? なんで……!」

「君はリーダーだろう。この事態をもっと重く受け止めるんだな。無許可でダンジョンに侵入してこれだけの戦闘をしたんだ。僕じゃなかったら免許剥奪でもおかしくない。僕も相当なレベルダウンは覚悟してるよ。しばらくは中レベル帯ダンジョンに潜ることになるだろうから、壁になる仲間が欲しい」

「えっ!?」

「詠唱中の肉壁になる人員が欲しい」

「な、なんで言い直すんだ……?」

「そのくらいは恩を返して当然じゃない? それじゃ、また」

 と去って行こうとしたハイジが、急に立ち止まった。

「あ、忘れてた。リザードマンハーフの子に、くれぐれも先祖の霊に感謝するようにと言っておいてくれ。怠れば英霊の祝福はたちまち呪いカースとなって振りかかるよ」

「それって、忘れちゃマズい情報じゃ……」

「リザードマン族はそのあたりしっかりしてるからあまり心配していない。普段から先祖を敬う子じゃないと英霊の祝福は発動すらしないからね。僕もさっさと事情聴取を済ませて、すぐに彼らの墓に参らなくては。それじゃ、また」

 再び去って行くのを、シオンは呆然と見送った。

 色々と思うことはあったが、何よりも、ハイジのほうからまた会う機会を作ってくれたことに驚いた。

 そのうえ、自分から仲間になると言ってくれたのだ。

「……うそだろ……」




 仲間のところに戻ると、紅子が笑顔を向けた。

「ハイジさん、何だった?」

「……また会おうって」

 まだ呆然と、それだけ告げる。

「じゃあこれで一件落着……なのかな?」

「あ、そうだ。キキ、毎日先祖に感謝しないと呪われるって言ってたぞ」

 キキは破れた背中を隠すように、国重人形を背負っている。

「感謝? してるに決まってるじゃん。キキちゃんがこんなに可愛く生まれてきたのはご先祖様のお陰だかんね。毎日拝んでるしお供えもしてるし仏様のご飯も食べてるし妹尾家代々のお墓も毎朝お参りして超ピカピカに磨いてるからね」

「え、そ、そうなのか、偉いな……」

「なんで? 当たり前のことでしょ?」

 桜の墓ですらほとんど行かないのに、先祖に感謝したことなど当然無い。ダンジョン生まれのオレの先祖というと、やっぱり野生のワーキャットなんだろうけど……と思いつつ、キキのことを見直してしまった。

「お寺近所だしね」

「やっぱりリザードマンの住職なのか?」

「もち」

 蒼兵衛が尋ねると、大きく頷く。

「寺でかそうだな」

「お墓も大きいよ。そこのお坊さんが犬飼ってるんだけど、よりによってチワワでさぁ。散歩のとき手のひらに乗せて歩いてる……あっ! そうだ、一件落着じゃねえ! ポチとコロはどうした!」

 キキがはっと辺りを見回す。ああ……と蒼星が答えた。

「保健所に連れて行かれたけど」

「ええええええっ!? ど、どうなんのっ!?」

「そりゃ人を襲ったモンスターだから、やっぱり殺処分されるんじゃないかな」

「なんでじゃぁぁぁっ! 命がけで助けたんだよっ!? 止めろよぉ!」

「いや、無理だよ……」

 蒼星の言葉にキキがその場で地団駄を踏む。

「うわーん! やだやだやだやだー! なんだよこのオチィ!」

「さっきまで戦ってたモンスターに何故そこまで感情移入を……?」

「衝動とはいえ、一度助けてしまうとな。こういうオチは後味が悪いものだ」

 蒼兵衛が言い、どうするんだというようにシオンを見る。

「そうだな。この件に関してはオレの責任だ。ごめんな、キキ」

「うっうっ……ポチ……コロ……ぐぎぎ」

 キキは泣きながらシオンの服の裾を引っ張って、何故か齧り出した。

「すぐに処分てことはないだろ。香坂さんに連絡しておくよ」

 携帯電話を取り出し、メールを打つ。

「誰? ほら、キキちゃん泣かないでね」

 紅子が首を傾げながら、ハンカチを取り出してキキの顔を拭う。キキが鼻を啜りながら顔を上げる。

「……うぐ……キメ子のおっちゃん……?」

「ああ、キメラ捕獲のときの、全裸の豚亜人グリンブルか。もはや懐かしいな」

「モンスターの専門家だし、助けてくれるかもしれない。人を襲ったっていっても、よく訓練されてて、命令されてただけだろうし。そういう場合なら処分を免れるケースがあるのか、専門の人に聞いたほうが早いだろ。モンスターの生態研究や保護じゃ有名な人だから、オレ達じゃどうしようもないことでも出来るかもしれないし。処分じゃなく保護してもらえないか、聞いてみるよ」

「早く聞いて聞いて!」

「いま、メールは送った。夜が明けたら電話もしてみる」

 キキに促され、服の裾を破られながら、シオンはメールを送信した。

「君はあのブタ……グリンブルにはずいぶん気に入られていたよな。変な奴に好かれるところあるよな」

「アンタが言う?」

「お前にだけは言われたくない」

「まぁまぁ、二人とも。仲良くしようよ。ひとまず戦いは終わったんだし! 帰って朝ごはん食べよ!」

 紅子が間に入って仲裁する。その紅子を、蒼兵衛とキキがじっと見つめる。

「一番変な奴に宥められたくない」

「まったくだ」

「えっ」

 笑みを引きつらせる紅子の腹から、ぐううと音が鳴った。




 それから何人かは警察に話を聞かれることになったが、シオンたちは驚くほどあっさり解放してもらえた。ハイジの言うように、「彼のサポートとして雇われた」と言い張った。本当にそれでなんとかなった。

 警察のほうも地元の不良たちの事情は充分理解しているようだ。ヒュウガたちがとうとうやったなという様子で、セイヤや蒼兵衛のこともよく知っていた。

 彼らの知り合いらしき中年の刑事は、布に包んだ刀の中身に言及せずにいてくれたうえ、蒼兵衛にこう声をかけた。

「柊。お前、冒険者の仕事ちゃんとやってるのか。いつまでもそんなバカな恰好をするな。冒険者はお前の天職だと思うぞ。だから、不良に関わるのはこれきりにしろ」

「うむ。安心しろゴリさん。これで本当に引退だ」

「誰がゴリさんだ」

 ほんと、誰にでもすぐ勝手なあだなつけるよな……とシオンは呆れた。

「これから少年課の仕事も減るから安心しろ。斬牙はただの不良グループではなく、不良を更生させるボランティア団体に生まれ変わる」

「なに勝手なこと言ってんだ」

 セイヤが顔をしかめる。

「私の素晴らしく冴える頭で考えたんだが、斬牙自体は存続してもいいんじゃないかと思ってな。そのへんでブラブラしている不良ワーキャットたちの受け皿になるだろう」

 蒼兵衛は言って、〈斬牙〉の二文字を背負ったコートを脱ぎ、弟の蒼星に押し付けた。

「え」

「セイヤに代わって、お前が今日から斬牙の二代目リーダーだ。がんばれよ」

「はぁっ!?」

 蒼星の眼鏡がずるっと落ちる。

「ヒュウガと幹部連中が捕まっても、ストライブの残党はまだ残っている。斬牙が存続すれば抑止力になる。どうせ馬鹿なんだしこんなもの外してしまえ」

 ずれた眼鏡をひょいと取り上げる。眼鏡が無いとより似てるなぁ、とシオンは思った。

「一番の馬鹿に言われたくねえよ! そのへんの不良どものために弟が道踏み外してもいいのか!?」

「むしろ内申点がよくなるだろ? ボランティア団体だぞ」

「俺には関係ない!」

 蒼星を無視して、蒼兵衛が朗々と語る。

「ボランティアサークル〈斬牙〉は、ワーキャットの若者のチャラチャラしたイメージを払拭すべく、積極的に街のゴミ拾いや地域のボランティア活動に従事する。イメージアップした若者たちを斬牙引退のあかつきには採用したいという地元企業も出てくるだろう。もちろん〈ニコねこ屋〉に就職の斡旋もあるぞ。メンバーはもれなく柊道場の門下生になる特典付きだ」

「悪くないな」

 ゴリさんが感心したように頷く。

「いやそれをなんで俺に丸投げすんだよ!?」

 埃まみれのコートを嫌がる弟に無理やり羽織らせながら、蒼兵衛はリノに告げた。

「リノ、お前は片腕として二代目を支えてやってくれ」

「ナイスアイディアじゃん! 二代目、がんばってね!」

「がんばるか! ふざけんなよ! 中三だぞ! 受験生だぞ!」

「どうせバカじゃん。赤点ばっかなんでしょ」

 斬牙コートの背中をリノが叩く。蒼星が怒り狂っていたが、おおーとワーキャットたちも、警察まで手を叩いていた。

「二代目がんばれよー」

「似合う似合う。ソウさんそっくり」

「昔のソウちゃん思い出すね」

 シリンがにこにこと言い、その傍らでセイヤは苦笑いしていた。

「たしかに似合うな。丈は直したほうがいいけどな」

「セイヤさんまで何言ってんの!? アンタが止めなかったら誰が止めんだよ!? こんなダセえコート似合ってたまるか! クソワーキャットども!」

「けっこう迫力出るじゃん、さすが二代目」

「二代目じゃねえ!」

 怒鳴り散らす蒼星に、リノが嬉しそうに言った。どんな形であれ、斬牙が残るのは嬉しいようだ。いままでシオンが見た中で、一番子供らしく無邪気な笑顔だった。




「じゃあみんな、帰るか」

 もう今日はみんな帰っていいと言われ、セイヤが告げる。いつしか空は漆黒から深い藍色に変化していた。

 セイヤに寄り添うリノを見てか、紅子が呟いた。

「なんかあたしも、お兄ちゃんに会いたくなってきちゃった」

「甘えん坊だなー、紅子は。おじいちゃん貸そうか?」

「ううん。いいよ。親分はキキちゃんのおじいちゃんだからね」

「んー、そだねー。おじいちゃんもキキちゃんに会いたくなってるだろうから、帰るか」

 キキが背負っていた国重人形をよいしょ、と前に抱え、頬ずりした。なんだかんだ幼いので、そろそろ家が恋しくなっているようだ。

 狂戦士状態のときに噛みついていた人形は首が半分取れかけており、時々こぼれそうになる綿を慌てて詰め直している。

「まったく、シオンがあんなとこに置くから、おじいちゃんまで攻撃喰らっちゃったよ。今度おじいちゃんにも防具を着せてやんないと……」

 ブツブツとキキが文句を言っている。攻撃を喰らわせた張本人だが、狂戦士状態のときの記憶は飛ぶようだ。

 それよりも紅子のほうが気になったが、脱出のときに目を醒ましてからは特に問題なくけろっとしている。

 すごい魔力の持ち主だと思っていたが、今回の戦いでより底知れなさを感じた。

 もっと彼女のことを知る必要がある。

 今日のことは透哉さんに会って話したほうがいい。そして、彼が知っていることをすべて教えてもらおう。いつも忙しそうにしている人で、実際に忙しいのだろうが、なんとなく避けられている気もする。

 魔道士は基本的に秘密主義が多いと草間に聞いたことがある。家に関わることならなおさらそうだ。一族相伝の魔術があることも珍しくはない。

 紅子には知らされず、透哉が知っていることもあるはずだ。

 だが、いまは休みたい。急激に眠くなってきて、シオンは欠伸をついた。

「ありがとう、シオン」

「へ?」

 気を抜いているところに、いきなり礼を言われ、シオンは慌てて振り向いた。

 蒼兵衛が頭を下げていた。

「君たちのおかげで、私はここに戻って来られた」

 いやにかしこまっている。

「まさか、パーティー抜けるとか言い出さないよね?」

 キキが眉をひそめた。

「これ幸いと元鞘に戻ろうとしてんじゃないの。ぜんぜんいいけど」

「えっ、良くないよぉ!」

 紅子が慌てた声を出す。

 蒼兵衛が目を閉じ、一人で勝手に頷く。

「そうだな、たしかに斬牙は私の居場所だと再確信した。みんな私を慕っているし」

「ソウさんってびっくりするほど変わってなくて安心するよな……」

 リョータが呟いた。

「この連中は私がいないと駄目なのだなと改めて感じた」

「早く消えろ」

 蒼星が吐き捨てる。

「シリンを任せるにはセイヤもまだまだ頼りないしな」

「オイ」

 セイヤが顔をしかめる。

「もちろん君たちも私の力を欲しているのは分かっているぞ」

「めちゃくちゃ帰りたくなってるじゃん……」

 キキが呆れ果てた顔をした。

「でも、引きとめないとそれはそれでショック受けちゃいそう……」

 人の良い紅子でさえぼそっと呟いた。

「分かった」

 シオンは動じることもなく頷き、ウエストポーチから一枚の紙を取り出す。

 折り畳まれた紙を広げると、『英会話教室、生徒募集中』と書かれたチラシだった。その場の全員が不思議そうに見つめた。

 シオンがその紙の裏を向けると、流暢な筆文字を全員が凝視した。

「ソウの字だな」

 とセイヤが言い、独特の達筆で解読困難な文字をすらすらと読み上げた。

「『私、十一代目柊蒼兵衛は、以下の約束を遵守することを誓う。貴君らが私の助力を必要とするとき、一切の見返り無く、全身全霊を以って協力すること。なお、この誓約書の有効期限は無期限とする』……」

「血判もある。決して違わぬ誓いの証だって、アンタ言ったよな?」

 シオンはチラシを蒼兵衛の顔前に突きつけた。

「オレにはアンタの力が必要だ。柊蒼兵衛、アンタの強さが」

 蒼兵衛が目をぱちくりとさせる。誓約書のこと忘れてたな、コイツ……とシオンは思いつつ、その誓約書を持ったまま、その胸を拳で叩いた。

「返事は『はい』しか無いからな!」

「あ、はい……」

 思わず蒼兵衛が頷き、紅子はほっとしたように胸を撫で下ろし、キキがべえっと舌を突き出す。

 セイヤがははっと笑った。

「たしかに、そいつの腕っぷしは、オレたちと仕事するだけじゃ勿体ねえ」

 と、シオンに向かって右手を差し出す。

「ソウを頼む。バックアップの仕事があったら気軽に呼んでくれ。タダってわけにはいかねえけど、格安にしとくぜ。もちろんオレ個人で出来ることがあれば喜んで協力する。ガラの悪いワーキャットの間じゃ顔も効くし、埼玉のダンジョンならけっこう詳しいぜ」

「……あ、ありがとう」

 シオンはセイヤの手を握った。

 紅子とパーティーを組み、キキと蒼兵衛という仲間を得て、《妹尾組》と《ニコねこ屋》にパイプが出来た。

 そして、ハイジという高レベルのシャーマンと仕事をする機会も得た。

 ソロのときとは比べものにならないほど、世界が広がってきた。それは単純に嬉しかった。


「……お姉ちゃん?」

 リノが目をしばたたかせる。蒼兵衛の新しい仲間たちを、シリンが少しだけ寂しそうに見つめていた。泣きそうな顔をしていると思ったら、その寂しさを振りきるように微笑んだ。

「良かったね……ソウちゃん」

 彼を自分たちと同じ世界に閉じ込めていてはいけないと、セイヤが思った気持ちがいまはとても分かる。彼の強さが認められ、彼を必要とする者がいる。彼はすごい仲間たちと、自分たちとは出来ない冒険をたくさんするだろう。

 その仲間が自分たちでなかったことは、本当は寂しくて、悔しい。セイヤも本当は同じ気持ちだろう。

 でも、笑って送り出してあげよう。それに、疲れて戻ってくるときもあるだろう。そのときは温かく迎えてあげなきゃ。

 どんなに強い戦士にだって、帰る場所と、羽を休めるときは必要なのだから。




 タクシーの中で、ハイジは遺骸をくるんだ布をそっと撫でた。

 自分のハンカチで、時折鼻を抑える。離すと、少し血が付いていた。

「お客さん、大丈夫? 具合悪そうだけど。窓開ける? ラジオうるさい?」

「いや……」

 選ぶタクシーを間違えた。ワーウルフの運転手はお喋りで、人の気分も関係なくペラペラと話しかけてくる。

「冒険者だろ? 仕事帰り? お客さん、腕立ちそうだねー」

「……そうでもない。見栄を張ってはりきり過ぎて、このざまだ」

 自嘲して呟く。

 短時間に強力な霊術を連発し過ぎた。バッグから滋養強壮剤ポーションを取り出し、飲み干す。

 高い集中とともに、長々と詠唱を唱え、ようやく術を組み上げる。一般的に優秀な術者とは、いかに多彩な詠唱を、落ち着いて、正確にそらんじられるかによる。実際は魔力量なんてそれほど重要視されない。

 詠唱なんて必要としないほどの才能の塊なんて、そうそう出会えることが無いからだ。

 いや、かりに大きな魔力を持っていたとして、限界を超えるとこうして体に負担がかかる。大きな魔力を持って生まれたとしても、それを扱うだけの肉体を持てない。不便な器に自分たちは縛られている。そう、普通は。

「……化け物みたいな娘だったな……」

 小さく漏らしたハイジの言葉を、ワーウルフの運転手が耳ざとく聴きつける。

「えっ、そんなすごいモンスターと戦ったんですか!?」

「まぁね……」

 鼻を押さえながら、ハイジは鬱陶しげに頷いた。白んでいく空を見つめ、戦闘明けで興奮の冷めきらない体から熱を吐き出すように、言葉を吐いた。

「そんなことを思った女に出会ったのは、これが二回目だ」

次回より新章に入ります。

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