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迷宮のドールズ  作者: オグリ
二章
50/88

パーティー戦闘

「なんなんだこの声……」

 ダンジョンを見上げ、ワーキャットのリョータが呆然と呟いた。

「なんでここだけ揺れてんだよ!」

 ゴーストたちが夜な夜な嘆きの声を上げ《夜啼きホテル》と呼ばれたダンジョンから、その声が消えていくと思ったら、今度はそれまでとは違うモンスターの声が聴こえてきた。

 オオオオオオ……と低く地の底から響くような声に、ダンジョンの外にいたワーキャットたちが耳を塞ぐ。

「うぇ……アンデッドスクリームより気持ち悪りぃ……」

 聴覚以上に脳に直接響き、胸の中を掻き毟ってくるような不快な声だ。

「いままでとは違う声みたい……もっと魔力の強い、まったく別のモンスター……」

 紅子も不安げに建物を見つめる。

「小野原くんたち、大丈夫かな……わわわっ」

 よろけたところを蒼星に支えられる。

「あ、ありがとう……」

「もうこれ、レイスじゃないですね」

「私の〈退魔エクスターミネート〉でなんとかなるのかな……」

 使っていた杖は戦闘で壊れてしまったので、予備に持ってきた杖をぎゅっと握り締める。安物の杖より更に性能は落ちるし、すぐにまた壊れるだろう。

「……でも、やってみなきゃ」

 リョータが慌てて止めた。

「待ってください。近づくと危ないっすよ、周りの建物は揺れてないのに、ここだけこんなに揺れてる。ボスやソウさんたちが戻ってくるまで待ちましょうよ」

「でも……」

「リョータくんの言う通りですよ。中の状況も分からないし。待機したほうがいいですよ」

「う……うん」

 蒼星にまで諭され、紅子は小さく頷いた。

 リョータは周りを見回し、苦い顔をした。

「でも、リノちゃんが言ってたスパイって……マジかよ。まさかうちの連中までこんなに操られてたなんて……」

 ストライブを制圧した途端、斬牙のメンバーの数人がセイヤに待機と命じられていたにも関わらず、建物の外に入っていき、とり憑かれたように各所を破壊し始めた。

 その全員を紅子が〈拘束バインド〉で動きを止め、その隙に正気のメンバーが縄で縛って引きずり出した。

 その直後、建物が激しく揺れ出し、揺れと共鳴するように低く唸るような声が響き始めたのだ。

「……あれ? 何してたっけ、オレ……つか、なんで縛られてんだ……?」

 縛り上げられていた男の一人が、呻くように声を上げた。

「あっ! ヒロさん! もう大丈夫なんすか!?」

「……え? なにが?」

「なにって、こっちのセリフっすよ! 合流したと思ったらいきなりホテルん中入って、気味悪りぃ祠みたいなのぶっ壊して!」

「いや、ぜんぜん分からん……」

 叫ぶリョータに、ヒロが縛られたまま首を傾げる。

「何言っても聴こえてねーし、マジ怖かったっすよ!」

「なんかそうしねーといけない気がして……」

「ヒュウガのテリトリーに入ったからだ」

 答えたのは、建物の中から姿を現した青年だった。

 全員身構えたが、男は涼しい顔で告げた。

憑依霊ポゼッションが憑いてたんだ。強制力は弱いが、術者のテリトリー内においては完全に精神と肉体を乗っ取られる。捕えた者の拘束をいまは解かないでくれ。後で除霊してあげるよ。それと」

 そう言い、紅子のほうを見た。

「えっ!? つ、憑いてますかっ? 私っ!」

「……そういう意味で見たんじゃない。君、まだ魔力は残っている?」

「あっ、あります!」

 本当はもうほとんど尽きていたが、紅子は力強く答えた。

(魔法使いの私が、皆を守らなきゃ……!)

 不思議な雰囲気の青年が頷く。

「この後、ダンジョン内にワイト級のアンデッドが出現する。精神体と実体を切り替える厄介なモンスターだ。ソーサラーの力も欲しい。行こう」

 返事も聞かず、再び建物の中に姿を消す。

「あっ、はい!」

 紅子はその後に続き、蒼星も渋々着いてきた。彼の背には木刀を包んだ袋に、キキからくれぐれもと託されたおじいちゃん人形がくくり付けられていた。

『キキちゃん、がんばるんじゃー!』

「……あの、たまに喋るんですけどこの人形……」

 蒼星がげんなりした声で言った。

「そういえば前に、親分人形のお腹を押すと応援してくれるって言ってた。どこかぶつかってるんじゃないかな?」

「……捨てていいですか?」


 建物の中は揺れが酷く、時折灯りが点滅していた。一階フロアが比較的綺麗なのは、ヒュウガたちがたまり場にしていたからだろう。揺れと操られた斬牙のメンバーが荒らしたことで雑然とはしていたが、瓦礫などはほとんど落ちていない。

「きゃっ!」

 時折起きる強い震動でふらついた紅子を、待っていてくれたらしき男が肩を掴んで支えてくれた。

「大丈夫かい?」

「あっ、す、すみません! あの、えっと」

 再びスタスタと先に進み出した青年の横顔を、紅子は遠慮がちに見た。

「なに?」

「前に、お会いしてますよね……?」

「会ってるね」

 無表情で彼は答えた。

「ですよね! 良かったぁ、気になってたんです!」

「仕事で使い分けてるんだ」

「あっ、はい! 魔道士は人を欺くことも必要だってお兄ちゃんが言ってました! あんな変装が出来るなんてすごいですね! それで私もなんかお化粧とか練習したほうがいいかなって……」

「その話は長くなる?」

「あっ、そんなに広がらないです……」

「じゃあやめよう。戦いはまだ続いてるからね」

「はい……」

 紅子は頷き、静かになった。

「いまはハイジと呼んでくれ。空代ハイジ。ソロの冒険者で、霊媒士シャーマンだ」

「私、浅羽紅子です!」

「そう。良い名だね」

「あだ名はこっこです」

「紅子と呼ぶよ」

 階段に辿り着くまでにも、紅子は何度もよろけ、ハイジが支えてくれた。そのたびに「大丈夫?」とか「気を付けて」と声をかけてくれるので、素っ気ない素振りをしていても優しい人なんだな、と紅子は思った。

「ゆっくり進もう。まだそのときじゃないからね」

「そのとき?」

「まだ戦いのときではないということだよ」

「さっきワイトが出るって言ってましたけど、ヒュウガが死んで転生でもしたんですか? 兄はとうとう殺人者に?」

 蒼星が尋ねる。

「いや、そうじゃない。彼らは七川を殺しはしないだろうし、七川の自害も無いと思うよ」

「どうしてですか?」

 今度は紅子が尋ねる。

「強い霊力と魔力を持つ者が強い未練を残して死ぬと、稀にリッチになることがあるという――が、ほとんどの場合はワイトになる。ワイトは自我を保てず狂っている。ワイトになることは、シャーマンにとっては何より屈辱で、死よりも辛いことだからね」

「じゃあ、いまから出るワイトはなんなんですか……?」

 紅子の問いに、ハイジは色素の薄い瞳を真っ直ぐ前に向けながら答えた。

「昇華されることなくこの地で眠りについた魂たち。それらがヒュウガの呼びかけによって、モンスターになろうとしている。〈喚起エヴォケーション〉だ」

「えっと、それって、その地で眠っている魂を、むりやり起こしてモンスター化させる、ネクロマンシーですよね」

「ああ。シャーマン・マジックでは禁忌とされる」

 死したすべての魂が昇華されるわけではなく、現世に留まりアンデッドとなることもあれば、そのまま眠りにつくこともある。それらの魂はやがて魔素や人には感知し得ない地の精霊と化す。

「一朝一夕で出来る術じゃない。七川はずっと呼びかけていたんだろう。ここは魔素濃度が高く、死者と生者の怨念が渦巻く場所だ。今日まで多くの血が流れ、ただでさえ穢れが強い上に、今日の激しい戦闘が起こったことで発動したんだろう。こうなったら止められない。出てきたモンスターを叩くしかないんだ。絶対にダンジョン外に出すな。大勢の死人が出る」

 紅子は息を呑んだ。

「何のためにそんな魔法……」

「そうだね。シャーマンなら誰でも恐怖するんだ。死んで、ワイトにはなりたくないんだ。僕もいずれ死ぬときは安らかに死にたいと思うし、ほとんどのシャーマンはそう考え、そうならないよう心がけて生きる。だが、リッチに転生して不変の存在になろうとする者たちも決して少なくはない。ほとんどの場合は資質が無くワイトになるけどね。ネクロマンサーの多くがアンデッドを生み出す実験に固執するのは、別に世を混乱させたいわけじゃないだろう。己の術を高め、リッチに転生する手段を探し続けているからだ」

「モンスターに生まれ変わるのは嫌だなぁ……ご飯食べられなくなっちゃう」

「それが正しい生者の思考だよ。七川彪雅は三崎誠也との縄張り争いにも固執していたが、いずれぶつかる斬牙との戦いが同時にこの術を発動させる機会になると踏んでいたんだろう。一方的な蹂躙ではなく、自分たちと渡り合える者たちとの、激しい戦闘が必要だったんだ。それが眠っていた魂の攻撃性をかきたてる」

「それが、ワイトになるんだ……」

「たぶんワイトだと思うけど、もっと強力なモンスターがくるかもしれないから覚悟はしておこう」

「もっと強力なって……?」

死神デスとか」

「ひぃぃ」

 アンデッドモンスターの最上位だ。その姿を見た者は必ず命を奪われるというので、その名が付いたという。

「いや、僕も一回しか遭遇したことないから大丈夫だと思うけど」

「一回もあるんですか!? そ、そっか、必ず死ぬこともないんだ……良かった……」

「ワイトでも油断はしないでくれよ。魔法抵抗が高い上に、実体と精神体を切り替える。ダンジョンでコイツと戦うときは総力戦になる。物理、魔弾、魔法、霊術、持てるすべての攻撃を駆使するんだ」

「総力戦……」

「珍しいモンスターだが、高レベル帯ダンジョンでは遭遇しないこともない。冒険者ならここで経験を積むのも悪くはないよ。ダンジョンの中で死ぬシャーマンやソーサラーも少なくはないからね」

「ダンジョンの中で……」

 紅子はぎゅっと唇を引き結んだ。

 ダンジョンで死んだ父の魂も、アンデッドに成り果てたのだろうか。すでに冒険者に討伐されているかもしれないし、万が一出会うことがあっても父と分かることもないだろう。それがダンジョンで死んだ魔道士の末路だ。

 杖を強く握り、紅子は頷いた。

「た、戦ってみます。この先、もっと戦わなきゃいけないんだ……!」

 枯渇しかけていた魔力が、ダンジョンの濃い魔素の中で再び満ちていく。その昂りを受け、紅子の瞳が赤い輝きを持つ。

 ハイジは少女の瞳に宿る輝きに気付いた。

大魔道士の瞳エリクシルアイ……)

 魔力には色があり、それは個人で異なる。普段は分からないが、一番分かりやすく自分の魔力の色を知ることが出来るのは、武器付与エンチャントを使用したときだ。武器がうっすらと、魔力の色を纏う。どの色を持つかは遺伝的要素が強く、古くはその色の名を名付けに使うことも多かった。

 彼女の一族の場合は赤系なのだろう。

 そして、魔力の著しい昂りで瞳が魔力色まりょくしょくに染まる者は、高い魔力を持つとされる。ただそれは、手相でいう運命線が長いものは大物になるだとか、生命線が長いものは長生きするという程度の話だ。実際には魔力の色が瞳に現れやすい、ただの特異体質だとも言う。

 それは大魔道士の瞳エリクシルアイと呼ばれ、冒険者の中ではその瞳の持ち主は珍重され、こぞってパーティーに勧誘される。実力の程度はともかく、いれば縁起が良いような気がするのだろう。

(侍男に、リザードマンハーフに、大魔道士の瞳エリクシルアイを持つソーサレス……君の弟は、君に負けず劣らず、変わってるみたいだね、桜)

 ハイジは黙って進みながら、どこか遠い目を向けた。

 三階まで上がったところで、支えていた紅子の肩を離す。

「ここだ」

 そのとき、上からバタバタバタとキキが降りてきた。

「あれっ? 紅子じゃん!」

「キキちゃん!」

「浅羽!」

 後ろからシオンとリノも降りてきた。

「あっ……ハイジさん! 一緒だったのか!」

 シオンが紅子の姿を見て、ほっとしたような顔をした。シオンの肩や腕部分の衣服は千切れ、血が広がっていた。特に、肩と腕の怪我が酷い。

「小野原くん! 怪我治さなきゃ!」

「後でいい。それより、どうしてここに?」

「これからワイトが出る。おそらくこのフロアに現れるよ。ちょうどいい。戦闘態勢に入れ」

「えー! キキちゃん荷物重いんだよぉ! ポチとコロがさぁ!」

「もう名前付けてる……」

「火事場泥棒みたいだ」

 リノが唖然と呟き、ブラックドッグを押し込んだ網を袋のように背負うキキを見て、蒼星が顔をしかめた。

「特にポチは口ん中めっちゃ怪我してるから早く手当てしてやんないと!」

 さっきは助ける必要は無いと言っていたのに、背負っている間に愛着がわいたらしい。

「ごめん、それはオレがやった」

「てめえかシオン! あんなに一生懸命助けといて!」

「そのときは敵だったからな」

「よくもポチとコロをぉぉぉぉ!」

「うるさい! ギャアギャア騒がないの! 子供か!」

 ハイジが初めて大声を上げ、はっと口に手を当てた。

「しまった、僕が一番大声を出してしまった……」

「この人、笑い取りにきたの?」

 キキが思いきり指を差して言ったので、シオンはその頭をげんこつで殴った。もちろん殴ったほうが痛いが。

 ハイジが真顔で告げる。

「遊んでいる場合じゃない。戦えない者は下がって。戦える者は突入するぞ」

「いまギャグかましたのアンタじゃん」

「キキ!」 

「いいよ。いまのは僕が悪い。それより紅子、この杖を使うんだ」

 ハイジが腰のホルダーから杖を取り出した。三つに分かれた杖だった。一つが二十センチほどあり、連結させるとそれなりの長さの杖になった。先端に魔石が付いていた。それを紅子に手渡す。紅い魔石の深く静かな輝きに、紅子は息を呑んだ。

「あっ……高そう……」

 また壊したら……絶対に弁償できない。

「石の色もちょうど赤だ。君にあげるよ。使い倒して構わない」

「で、でも、こんな高そうなもの……」

「武器を甘く見るな。いいから使うんだ」

「は、はい! ……わわわっ!」

 揺れが激しくなり、上階が激しく崩れる音がした。

「浅羽!」

 天井の一部が剥がれ落ち、紅子の近くに落下してきた。が、シオンが駆け出す前にハイジが腕を引いてくれていた。

 さらに蒼星が素早く動き、背中に背負っていた包みで落ちてきた瓦礫を薙ぎ払った。

「あ、ありがとう……!」

「おい、弟サム! お前戦えるならもっと早く戦えよぉ!」

「いまのは人命救助なんで、モンスターとは戦わないです。……弟サム?」

「しかもいまのでおじいちゃん人形落としてるー!」

『キキちゃんがんばるんじゃー!』

「おじいちゃーん!」

 キキは背負った二匹のブラッグドックを蒼星に預け、ぬいぐるみを拾い上げ、ぱんぱんと埃をはたき、すりすりと頬ずりをする。

「ちょ、重い……どんな力してるんだ……」

「戦わないならポチとコロを連れてってよね!」

「連れてってどうすんだよ……」

「あとで動物病院連れてくの。治療費はおじいちゃんが払うし、後の面倒もおじいちゃんがみるから!」

「おじいちゃんほんとに大事なのか……?」

「動物病院で何とかなるのかしら……」

 蒼星とリノが顔をしかめる。ハイジがもう一度告げる。

「戦わない者はいまのうちに下りたほうがいい」

 まだ激しく建物が縦に揺れた。建物自体が苦しみもがいているようだ。体幹の良い亜人たちや剣の修業をしている蒼星はともかく、紅子はそのたびによろめいた。

「浅羽、オレに捕まれ」

 シオンが手を貸そうとするのをハイジが制した。

「シオン。君は傷が激しくなってるな。戦えるのか?」

「あ……ああ、大丈夫だ」

 また戦力外通告をされるのかと少し身構えたが、ハイジは軽く頷いた。

「なら、戦闘準備に入るんだ。じきに揺れが止まり、直後にワイトが出現する。戦い方は分かるかい?」

「分かる」

「ならいい。君は手数で戦うタイプのファイターだろう。余計な荷物は背負うな。僕も後衛だ。彼女は僕が守る」

「あ……ありがとう」

「この戦いには前衛が必要だ。よろしく頼むよ」

 シオンは少し面食らいつつ頷いた。言い方が冷たく感じられるときもあるが、その時々で必要な判断しか口にしないだけなのだ。

 それに、さすがに高レベル冒険者だ。指示を出すだけで頼もしく感じられる。こんな事態はなんでもないという態度に、安心感を覚える。

「ねえねえねえ」

 キキがトコトコと近づいてきて、ハイジの服の裾をぐいぐいと引いた。

「なんだい?」

「ワイトってさぁ、噛めんの?」

「……そうだね、君は腰の銃で戦おうか」




「ん? お前たち、もうとっくに下りたと思ったら、何をしているんだ」

「アニキ! ソウくん!」

 上階から蒼兵衛と、ヒュウガを担いだセイヤが下りてきた。蒼兵衛から受けた攻撃はやはり重かったようで、ヒュウガはぐったりしていた。意識はもう無いようだ。

「いまから、ワイトが出るんだって!」

 リノが声を上げた。

「ワイトとはまた厄介なやつを呼んだもんだな」

 その元凶を担いだセイヤが呟く。

「とうとう《柊魔刀流奥義・悪霊退散斬》の出番か」

「兄さんの魔力じゃ、発動まで30分かかるじゃないか」

 蒼星が冷たく言い、手にしていた包みを兄に手渡した。

「これ。一応、持っていってやれって。母さんが。たしかに渡したよ」

「うむ。御苦労。ちょっと包みが汚れているのが気になるが」

「普通ありがとうだろ。汚れてるのはさっきちょっと使ったから……」

「寛大な兄は許すが、大事にしろよ」

「ずっと大事に背負ってたよ! んなとこまで来て! 明日テストだぞ!」

「勉強などせずとも、この兄のようになれば良い」

「死んだほうがマシだよ!」

 マイペースな蒼星も、もっとマイペースな兄にはたまらず怒鳴った。

 蒼兵衛は蒼星に木刀を手渡し、代わりに受け取った包みの布を取りさった。中には木刀が入っているものだと全員思っていたのだが、本物の刀が入っていた。

 街中に持ち出したら逮捕だが、いまは緊急事態だ。

「それ、じいちゃんが大事にしてたやつ。母さんにはあげていいって言われたけど、じいちゃんには無許可だから、後でこっそり返したほうがいいよ」

「うむ。ありがたく頂戴するか」

「聞けよな!」

「ところでお前、何故モンスターを背負っているんだ?」

「こっちが知りたいよ!」

「落ち着け、蒼星。お前とリノはオレと下に行くんだ。ここからは冒険者の仕事だ。ハイジさん、みんなを頼みます」

 セイヤの言葉に、ハイジは答える代わりに小さく片手を上げた。

「……と」

 それからセイヤはヒュウガを担いだまま、片手で腰のホルダーを外し、セットしていた武器ごとシオンのほうに投げた。

「シオン、お前大した武器持ってないだろ。それ使え」

 二振りのナイフだった。蒼兵衛の木刀を受け止めた、真っ直ぐな刀身に、三叉のようなかぎがついている。武器を受け止めるのに適した短刀だ。

「ソードブレイカーだ。オレの使い古しでよけりゃ、やるよ。元々、ソウが敵にやり過ぎるとき、止めるために使い出したんだ。斬れ味はそんな良くないからな」

「ほう、名前が格好良いから使っていたんだと思っていたぞ」

「……それもある」

 蒼兵衛の言葉に、セイヤは目をそらしつつ、パタパタと耳と尻尾を動かした。

「まぁ、お前なら上手く使えるだろ。強い攻撃は受け止めるんじゃなく、受け流さないと逆に破壊されるから気をつけろよ」

「ありがとう!」

 武器を手にし、シオンは声を上げた。

 折り畳みナイフでもワイトと戦う覚悟はあったが、もちろん心許ない。ホルダーを腰にセットし、グリップを握ってみると、使い慣れたダガーとは違うが、心強さのほうが勝った。

「いいなぁ……。おじいちゃん、キキちゃんにもなんかちょうだい……」

 キキがおじいちゃん人形を抱え、寂しげに呟いた。

「いや、国重さんもちゃんと、キキのこと考えてくれてるぞ。その人形だってお前には大事なアイテムだろ」

「えー? おじいちゃん、お腹押すと応援してくれるだけだしなぁ」

「おじいちゃん人形に不満持ち始めた……」

 つまらなさそうに呟くキキに、蒼星が呆れた顔をする。

「国重さんはここに置いとこう」

 キキからぬいぐるみを取り上げ、シオンが隅に置く。

「大事なものでしょ? あたし、持って下りようか?」

 とリノが申し出たが、シオンは真顔で首を振った。

「いいんだ。これはキキの役に立つものだから」

 その場にいる全員が不可解な顔をした。

 キキ本人でさえ、

「シオン、なんかにとり憑かれてんじゃないの?」

 と、心配そうに自分たちのリーダーを見上げた。




「あ、そうだ」

 ふと思い出し、シオンはリノに言った。

「リノ。ハンカチ持ってるか?」

「え? うん」

「忘れるとこだった。広げてくれ」

 リノがウエストバッグからハンカチを取り出し、広げる。その上に、シオンはポケットから取り出した、干からびた赤ん坊の死骸を置いた。

「きゃっ、な、なにっ!? 干物っ!?」

 黒ずんだ遺骸を手に、リノがのけぞる。戦闘中にぺしゃんこになったんじゃないかと思ったが、あまりに時間が経ち過ぎて小さく縮みきっていたため、思っていたほど損壊していなかった。

「ごめんな、結局オレが壊して……」

 シオンは黒ずんだミイラに謝った。

「なにっ、なんなのっ!? これっ!」

「赤ん坊の死体だ」

「いやぁぁぁぁ!」

 手放しはしなかったが、リノがぶんぶんぶんと尻尾を振る。

「持って行ってやってくれ。ヒュウガの兄弟らしい」

「うそっ!」

 実験に使って棄てたような口ぶりだったが、それならどうしてまだ手許に置いていたのだろう。ベッドにまで入れて。

 もしかしたら、外道に堕ちようとしたヒュウガが、唯一捨てきれなかったものじゃなかったのかと思った。

 どんな悪党だって、産まれたときからそうだったわけじゃない。彼がいつあんなふうになったかは知らないが、彼が一度は斬牙に身を寄せたのも、赤ん坊の死体を捨てきれなかったのも、セイヤを排除することに拘り続けたのも、すべてヒュウガが目を背けたい、彼自身の弱さだったのかもしれない。それを早く捨て去りたかった。そんな気がした。

「リノ、預かってやれ。後で供養してやろう」

「う……うん。分かった」

 セイヤに促され、リノが小さなミイラをハンカチで包む。そっとウエストバッグに入れて、リノはシオンに言った。

「任せて。大事に連れてく」

「ありがとう」

「気をつけろよ」

「ふっ……誰に言っているんだ親友」

 答える蒼兵衛に、セイヤは心底面倒くさそうな顔をした。

「みんなにだよ。ほんとしつけーなお前」

 長い付き合いでもやっぱり面倒くさいんだな、とシオンはなんだか安心してしまった。




 揺れと嘆きの咆哮が止まった。

 狭い廊下で、紅子とハイジを残りのメンバーが囲むように立つ。

「いきなりくるよ」

 ハイジは告げた後、手にしたワンドを胸の前にすっと差し出した。

「死者の甘言に、我らは耳を貸さない。生者の確かな歩みを、虚ろな魂のざわめきで、止めることは出来ない」

 流暢な詠唱と共に、不快感が収まった。

「〈精神防護ソウルプロテクト〉だ。少しはマシな気分で戦えるだろう。一体とは限らないよ。それから紅子……」

「は、はい!」

 紅子が返事をしたが、ハイジは途中で黙って、シオンのほうを見た。

「……いや、このパーティーのリーダーは君だな。君が指示を出すんだ。僕のことも使ってくれて構わない」

「えっ、……あ、じゃあ、浅羽はモンスターが出現したらすぐに距離を取って、戦闘中は〈拘束バインド〉を使ってくれ」

「うん、分かった!」

「ハイジさん、浅羽の〈拘束バインド〉に合わせて〈呪縛スペル〉を。〈破魔エビルクラッシュ〉で攻撃もお願いします」

「本当に遠慮なく使うね。いいよ」

 高度な術ばかりだが、レベル40を超えるシャーマンには造作も無いだろうと思って言ったのだが、ハイジはあっさり頷いた。

「キキは退魔弾で、浅羽を護りながら戦ってくれ。退魔弾が尽きたらなんでもいいから魔弾を撃つんだ。ワイトの魔法は無詠唱だけど、予備動作はある。魔法を使うようなそぶりを見せたら狙ってくれ」

「おうっ!」

「ワイトは強力な上位種ハイアンデッドだけど、完全な精神体じゃない。物理攻撃も少しだけ効く。蒼兵衛、頼む。アンタなら倒せる」

「うむ。いいぞ」

 いつも通り、自信たっぷりに頷く。彼がモンスターを恐れたことは一度もない。その自信を裏付けるだけの鍛錬を、技を、シオンも信じている。

 ほんの少しでいい。少しでも攻撃が通るなら、彼に斬れないものは無いのだから。

「全力でやっていい」

「うむ。〈柊魔刀流究極奥義・斬牙〉をついに披露するときがきたか……」

「ぶはっ! じ、自分が作ったチーム名を技名にっ!? アイタタタ! は、腹痛てえ!」

「ぶっ……油断しないで、くるぞ!」

 キキが腹を抱えて足をばたつかせ、ハイジも吹き出しつつ声を上げた。けっこう笑ったりする人なんだな、とシオンは印象を改めた。

 揺れの間も絶えずちらついていた電気が消えた。重い空気が流れる。

「あ、明るくなあれ!」

 紅子が杖を振りかざすと、紅い魔石が光り輝く。

 その真上に、昏い色のローブを纏った骸骨の姿が浮かび上がった。

「浅羽、上だ!」

「へっ」

「早撃ち喰らえっ!」

 キキが退魔弾を真上に撃つ。ワイトの姿が揺らめいて消えた。

「気を抜くな、一体じゃない!」

 ハイジが叫ぶ。

 実体とも精神体ともつかないアンデッドが、揺らめいては消える。

「もっかい!」

 退魔弾を撃つが、そのたびにひらりひらりと消える。

「は、腹たつー! ちょこまかと!」

「キキ、ちょっと黙ってくれ!」

 魔道士のローブのように見えるのは、実際は千切れた布きれを纏っているだけだ。ワイトの精神は混濁しているが、生前の記憶から蘇る際、何か身に着けるものを求めるという。

 生への執着の証である、その布の擦れる音を、シオンは聴き分けた。

「三体だ!」

「さ、三体っ!?」

 キキが声を上げた。二体以上同時に出現することの珍しいワイトが、三体。低レベル帯ダンジョンではまず遭遇しない状況だ。

 シオンも初めてだ。だが、少しも恐れはなかった。一人ソロなら逃げるしかない状況だが、あらゆるスキルを持った仲間がいる。

「浅羽、ハイジ、一体ずつ止めてくれ! キキ、二人を援護!」

 シオンはすでに動きながら、セイヤから貰った武器を抜いた。

「一体、オレが引きつける! 蒼兵衛、その間に二体頼む!」

 パーティーから離れ、廊下の一番奥に出現したワイトに向かって駆ける。乏しい灯りの中で、聴覚を頼りに戦う。戦える。

 物理攻撃はほぼ通用しない。無詠唱で魔法を唱える強敵だ。咆哮一つがレイスの〈不死者の叫びアンデッドスクリーム〉を凌駕する精神攻撃となる。だが、いまならハイジの〈精神防護ソウルプロテクト〉が無効化してくれる。

 魔法も、霊術も、魔弾も使えない。

 蒼兵衛ほどの攻撃力もない。

 だけど。

 ワイトが骨だけの指をすっとシオンに向ける。直後に火球が飛ぶが、駆ける速度を緩めず身を低くし、瓦礫が散乱した足場にも関わらず、さらに加速をつける。

「はやっ! こんなとこでよくあんなに走れるなっ!」

 キキが魔弾をセットしながら、感嘆の声を上げるのが後ろで聴こえた。

 跳躍し、浮かんだ髑髏の首許を狙ったが、刃はワイトの体をすり抜けた。実体の無い霊体。その指がシオンをさす。火球が炸裂するのを横に跳んで躱し、壁を蹴って背後に回った。

 何度斬っても、刃はワイトをすり抜ける。攻撃は効いてはいないが、ワイトは目の前をちらつく敵を排除しようと魔法を撃ってくる。

 一体は完全にシオンに引きつけられている。

「紅子、詠唱を」

 ハイジに促され、紅子は小さく頷き、杖を握り締めた。

「敵対者よ、屈服しろ。肉体よ、魂よ、我が支配に下れ。我が魔力よ、縛鎖となれ!」

「傷つき、疲れた魂よ。その心を横たえよ。目を塞ぎ、思考を閉じ、停止せよ。苦痛に目醒めることの無い、暗く優しき世界に堕ちてゆけ」

 後から唱えたハイジの詠唱速度は速く、しかも紅子の詠唱の終わりにぴったりと合わせ、完成した。

拘束バインド〉も〈呪縛スペル〉も術者の魔力で効果が大きく変わる。生半可な力ではいずれも魔法抵抗の高いワイトに通じない。が、紅子もハイジも生半可な術者ではない。二体のワイトの動きが止まり、ハイジが叫ぶ。

「持って五秒だ!」

「ごめんなさいっ! お願いしますっ!」

 本来はワイト一体、数人がかりで動きを止める。それを一人で一体ずつ、完全に止めきった。

「充分過ぎる」

 蒼兵衛が刀に手をかける。

「我よ刃となれ、刃よ我となれ!」

 抜いた刀身に青い光が宿る。魔力の乏しい蒼兵衛が武器付与魔法エンチャントをかけるには、詠唱に数分かかる。時間をかけずに詠唱すると、その効果は一瞬しか持続しない。だがほとんどの敵は、その一瞬で倒してきた。

「柊魔刀流究極奥義――斬牙!」

 剣閃と共にワイトの首を横薙ぎにし、返す刃でもう一体の胴を薙ぎ払う。

「いつも通りただ斬ってるだけじゃん!」

「フッ、そこに気づくとはな……」

「アホかぁ! エセ侍がっ!」

 蒼兵衛の剣は、一体のワイトの首を綺麗に斬り落とした。

 ほぼ霊体のワイトだが、唯一、首に強い攻撃を受けると、かすかに残った生前の感覚が蘇り、死を彼らに想起させるという。すると実体を持ったかのように、ぽきりと頭と胴が離れるのだ。

「とどめっ!」

 首から離れた髑髏に、キキが退魔弾を撃ち込む。ハイジも続けて詠唱する。

「死を恐れぬ不遜な魂よ、還るべき場所を失った魂よ、もはや救いは無い、破滅しろ!」

即時除霊ターンアンデッド〉のような昇華ではない。〈破魔エビルクラッシュ〉はダメージを受けたアンデッドの魂を再生させる間も与えず、完全に砕く。ワイトは完全に死滅した。

「やった!」

「もう一体だ!」

 ハイジの鋭い声に応じるように、狭い廊下の天井を焦がす火球が出現した。

「ひええっ! 火事になるう!」

「させない! 打ち消して!」

 紅子が詠唱を完全に捨て、杖を真上に突き出し、叫ぶ。黒い瞳の周りがぼんやりと赤く染まり、呼応するように紅の魔石が輝いた。

「――消えて! 私のほうが強いっ!」

 大量の水をかけられたように火球が一瞬で消滅した。

「なんでっ!?」

 キキが目を丸くし、ハイジも唖然とした。

「〈反魔法アンチマジック〉だ。にしても、あんな強引に……!」

「あの娘は、緊迫した実戦のほうが案外強い。それに、雑魚戦では火力がでかすぎる。敵が強いほど頼りになる娘だ」

 言いながら、蒼兵衛がもう一体の首を突いた。細い首の骨を正確に、一瞬のうちに二度、三度と貫く、凄まじく繊細で迅速な剣技だ。

「斬牙よりそっちのがすごい技じゃないっ!?」

「これは単なる連続突きだ」

「そっちを斬牙にしろよぉ! ……あっ、弾尽きた」


 戦いの最中なのに、騒がしい連中だ。シオンが何度注意しても変わらない。腹が立って怒鳴ったことも何度もあるし、ソロのほうが楽だと思ったことも数知れない。

 だけど、今は緊張感の無い仲間が、頼もしく感じる。

 相対していたワイトが片手を掲げる。そこから電撃の矢が飛んでくるのを、シオンは素早く躱した。狭い場所なら横だけではなく縦に逃れればいい。強力な魔法を壁を駆け上がって躱し、背後に回る。ただそれだけの動きだが、休みなく動き続ける。

(ワイトはほぼ霊体だ。攻撃も魔法攻撃が主体になる。だけど、魔法を躱し続ければ、必ず物理攻撃をしかけてくる……!)

 そこに至るまで、尽きることのないワイトの魔法攻撃を躱し続けなければならない。

 生きているシオンは当然、だんだんと動きが鈍ってくる。足が重く、息は苦しく、胸が痛い。魔法を避け続ける緊張感が、疲労を倍にする。

 だが、その瞬間まで、待つつもりだった。

 ソードブレイカーを握り締め、懐に飛び込むと、ワイトが右手を突き出した。まるで生きている人間が咄嗟にそうするような動きが、なんだか可笑しかった。

(そうか、ワイトには、こういうクセがあるのか)

 次に戦うときの参考にしよう。そう思いながら、自分を捕まえようとしてか突き出された腕を、シオンは武器を捨て掴み返した。

 ――掴めた!

(実体だ!)

 もう一振りのソードブレイカーを腰のホルダーから抜く。右手でワイトの腕をしっかりと掴んで引き寄せるようにしながら、左手に握ったソードブレイカーの刃で殴りつけるようにして首を跳ね飛ばす。

「やったー!」

 キキが歓喜の声を上げる。

(ダガーより重い……!)

 慣れない武器を左手で扱ったことで、完全に力が乗らなかった。

「まだだ!」

「止まれ!」

 シオンが叫ぶと同時に、紅子が離れた場所にいるワイトに杖を突きつけた。そこだけ時が止まったかのように、ぴたりと動きを止めたワイトから、シオンが離れる。

 すでに駆けてきていた蒼兵衛が、ぐっと足を踏み込ませ、飛び込みながらの突きを繰り出した。

 一瞬でも動きの止まったワイトなど、蒼兵衛の敵ではない。

「〈柊魔刀流究極奥義・斬牙〉!」

「さっきとぜんぜん動き違うけどっ!?」

 首と胴が離れ落ちたワイトを、ハイジが〈破魔エビルクラッシュ〉で完全に消滅させた。

 現れたときはあんなに激しい声だったのに、声も無くワイトはあっけなく消えた。

 片膝をついてそれを見届けたシオンに、蒼兵衛が刀を鞘に収め、手を差し出す。

「リーダー。さっきの攻撃、良かったぞ」

 シオンは呼吸を整えながら、手を借りて立ち上がる。いまになって肩の傷が疼くように痛み出した。

「……オレの攻撃じゃあれが限界だったけど」

 小さく笑いながら言うと、蒼兵衛が返す。

「それは私の仕事だ。全部リーダーがキメたら、それは格好良過ぎるだろう。私はこう見えても、戦いしか取り柄が無いんだ。女にもフラれたし」

「マジでしつこいな……」




 ワイトの出現で揺れは止まったものの、廃墟ダンジョンはいつ崩れるか分からない。戦っている間は気付いていなかったが、外からパトカーに消防車に救急車のサイレンがアンデッドスクリームばりに響いている。

「早く脱出しよう」

 シオンが声をかけると、紅子だけが立ち尽くしたまま動かなかった。

 まともな詠唱無しで、大きな魔法を連発したのだ。とっくに魔力は消耗しているだろう。

「浅羽、疲れたのか?」

 覗き込んだ瞳が赤くなっている。唇が小さく動いた。

「……まだ……」

「え?」

「まだだ……強いもの、怖いもの……ぜんぶ、殺さなくちゃ……」

 握った杖を胸の高さに掲げる。

「浅羽、どうした」

「だめだよ……ダンジョンは怖いとこだから……ぜんぶ、ぜんぶ、片づけなきゃ……」

 ゴオンと音を立て、再び建物が揺れた。残っていた窓ガラスがすべて砕けた。

 宙に浮かぶ髑髏たち。それもまた複数。フロア内にその姿を揺らめかせては消える。

「……今度は、四体……!」

 衣擦れの音から、シオンはフロア内の敵の数を割り出した。

「ひええ、もう退魔弾が無いよお!」

「出てきたものは仕方あるまい」

「本当に、ネクロマンサーの研究にはうってつけの場所だな……僕は残った力を全部使って、動きを止めていくよ」

「頼む!」

 シオンは武器を抜いて、両手に握った。蒼兵衛も刀の柄に手をかける。

「浅羽、お前は――」

「動かないで」

 一番近くにいたワイトを紅子が杖で指し示す。

「止まって」

 静かな声なのに、はっきりとその場に響いた。

 彼女も、もうずいぶん魔力も使っているはずなのに、ワイトの動きが止まった。

(驚いてる場合じゃない!)

 動きが止まったその一瞬に、シオンは飛びかかって一方の武器でワイトの喉を突き、もう一方で付け根から薙ぎ払った。

 いまは、紅子の様子がおかしいなんて考えている余裕はない。

 紅子がはぁと息をつく。もう魔力が切れてきているのだ。けだるげな顔を上げる。

「――あぁ……お腹空いた……それ、もらうね……」

 あんぐりと口を開けたかと思うと、すうううっと息を吸った。それだけで、首を斬られ不安定な存在となったワイトの形が崩れた。いや、吸収されたように見えた。

「げっ、紅子とうとうワイト食べちゃった!?」

 キキがぎょっとし、ハイジが首を横に振る。

「……〈魔力喰いマナイーター〉だ。魔法というより、ほとんど特殊体質に近い……いや、むしろ」

 ハイジがそれ以上の言葉をつぐんだ。

(……天賦の才だ)

「次は、あなただよ、動かないで」

 別のワイトに紅子が杖を向ける。瞳が宝石のような真紅に輝いていた。

 シオンは動きの止まったワイトに斬りつけた。

 豹変した紅子のことは気になる。だが、様子はおかしくても魔法は冴えている。いままでにないほどに。

 それは仲間たちも分かっているようだった。

「みんな、戦うんだ!」

 シオンの声に、全員すでに動いていた。

「――傷つき、疲れた魂よ。その心を横たえよ。目を塞ぎ、思考を閉じ、停止せよ。苦痛に目醒めることの無い、暗く優しき世界に堕ちてゆけ」

 ハイジが動きを止め、蒼兵衛が刀を振るい仕留める。

「レイスまで出てきたぁっ! お前ら気張れよっ!」

 退魔弾の尽きたキキは、ひたすら叱咤激励していた。

「よし、シャーマンの兄ちゃんはここでターンアンデッド発動!」

「……迷い子よ、閉じない環から外れた魂よ、恐れるな。死は誕生。死は眠り。永遠を循環する魂は、ひとときの安寧ののち、また此処で、産声を上げるだろう……だめ、鼻血出そう……」

「気張るんじゃぁぁぁ!」

 集まってきたレイスは霧散したが、ハイジも霊術を使いっぱなしだ。キキに背中をバシバシ叩かれ、よろめく。

「どんなに優秀なシャーマンでも、力が尽きるときは尽きるのよ……」

「しかし、栓が外れたようにアンデッドが湧いてくるな。これではキリがない」

 刀を振るいながら、蒼兵衛が呟く。胴を斬られたワイトが嘲笑うように消えた。

「攻撃が雑になっとるぞぉぉっ!」

「コイツから斬りてぇー……」

 キキに叱咤され、蒼兵衛がぼそっと呟いた。

 たしかに、どれだけのワイトを屠ったか分からない。全員の力が尽きてきている。じゅうぶん時間は稼いでいるし、警察だけでなくアンデッド専門の討伐隊も向かっているはずだ。一度撤退してもいい頃合いだ。

 だが、紅子だけは戦う意思を見せている。

「ダンジョン……こわいところ……こわいものは、ころすの……」

 魔法を発動させたワイトに、紅子は杖を向けた。

「消えて。あなた、嫌い」

 発動しかけた魔法がかき消え、ワイトの動きが止まる。シオンはその首に飛びついて切り離した。

「死んで」

 首の離れたアンデッドが消滅する。

「……す……ごい……」

 シオンは荒い息の中で呟いた。すごい力だ。だが。

 突然ぐらりと傾いた紅子の体を、シオンは駆け寄って支えた。

 すごい魔力だが、とっくに限界はきている。

「浅羽……」

「あ……ぅ、足り、ない……おなか、すい、た……」

 紅子がぼんやりした目で、宙に目線を彷徨わせる。虚ろな瞳は黒い色に戻っていた。薄く開いた唇が震えている。

「もういい。もう空っぽだろ。休んでろ」

「おなか……」

「後で何でも食わせてやる」

「……よ……かった……」

「よくないいいっ!」

 ガクッと首が後ろに倒れ、紅子が気絶し、キキが絶望の声を上げた。

「紅子抜きはキツいよぉ! このシャーマン、ポンコツになってきたし!」

「誰がポンコツよ……先にポンコツになったくせに……」

「ただの弾切れ! キキは元気だよぉ! 大体ゴースト系はリザードマンの専門外っ……あちちちっ!?」

 キキの足許から火が吹き出す。

 慌てて飛び退いたが、衣服に火がついた。

「いやだあ! 火蜥蜴サラマンダーになるう!」

「キキ、転がれ!」

 シオンに言われ、すぐに転げ回って消火しているところに、今度は電撃が飛んできた。

「ぴぎゃー!」

「キキ!」

 最強の亜人族と呼ばれるリザードマンだが、電撃や氷結の魔法攻撃に弱い。紅子を支えながらシオンは叫んだ。

「〈斬牙〉!」

 なおもキキを狙うワイトの首を、蒼兵衛が跳ねる。

「ううう……熱くて、ビリビリ……」

 キキは瓦礫の上でよろよろと転がって火を消した後、ばったりと倒れた。着ていた作業着の背中部分が大きく燃え、布が焼け落ちて、背中に生えた金色の鱗が覗いている。

「お、リザードマンだな」

「ほんと、リザードマンね。しかも珍しいカラー」

 キキの背中を初めて見た蒼兵衛と、完全にキャラが混じっているハイジが驚いたように言う。シオンは怒鳴った。

「感心してないで助けてやれ! キキ、大丈夫か!」

「だ、だひ、じょーぶ……なわけないよおぉぉぉぉぉ! いったあぁぁぁぁぁぁい! あついよぉぉぉぉぉぉ! おじいちゃぁぁぁぁぁぁんっ! うわぁぁぁぁぁぁんっ!」

 顔を上げ、ギャンギャンと泣き出すキキに、蒼兵衛もハイジも、ワイトでさえ動きを止めた。

「うわぁぁぁぁん! ムカつくよぉぉぉぉっ! テメーら、みんなっ、ブッころしてやるあぁぁぁぁぁぁぁっ!」

「クッ、なんて声だ……!」

 蒼兵衛が耳を塞ぐ。ただの泣き声ではない。だんだんと怒りの咆哮に変わっていく。

 現れたレイスたちも再び逃げ去るように、たちまち姿を消した。

「うぉあぁぁぁぁぁぁっ! うぎゃあああアアアアアアアッ!」

「違う、これは〈轟声バジング〉!」

 ハイジが声を上げた。

「ぐがあぁアアアアアアアアッ……! グッガアアアアアアアァッッッッ!」

 小さい体を震わせ、キキが雷鳴のような声を上げる。その様子をハイジが感嘆したような目で見つめる。

「猛り狂ったリザードマンの轟声バジングは、レイスを退散させることさえあるというけど……まさか成体でも無いヒューマンハーフの轟声バジングに、ここまでの威力があるとはね。見直したよ」

「見直してる場合じゃない! キキは狂戦士バーサーカー症なんだ! ああなると見境いが無くなる!」

「ウギャガァァァァァァァァッ!」

 身を低くして唸りを上げたキキが、近くのワイトに飛びつく。

「やめろキキ! また魔法がくるぞ!」

 キキの飛びつきはあっさりワイトをすり抜け、直後に電撃を浴びる。

「キキ!」

「グアアアアアアアアアアアッ!」

 ダメージもお構いなしで、今度は喉めがけて飛びあがる。喰いついた首の骨にキキの牙がしっかりと喰いつき、そのままへし折れる。

「柊魔刀流奥義……っ!」

 最後まで技名を言いきれないほどの素早い突きで、蒼兵衛が頭蓋を砕く。その腕にキキが飛びついて噛みついた。

「おおおいっ!? 何故、私を噛むっ!? 離せクソガキッ!」

「ウゴガガガガガッ!」

「味方だ味方っ!」

「ワイトに噛みついた……そ、そうか、ワイトも噛めるのか……発見だ……」

「ハイジ! だから、感心してる場合じゃねーだろ!」

「そ、そうね」

 ハッとしたようにハイジが頷く。

「――よし、せっかくの狂戦士状態バーサークだ。このまま暴れてもらおう」

 気を取り直し、杖を掲げる。

「無垢なる魂、穢れなき器。現世を憂う英霊よ、ひとときの仮宿に降臨せよ。強き魂、砕けることなき器。その身はいかなる魔も寄せつけず、その心はいかなる哀しみも受けつけない。大いなる力に、猛り、荒ぶり、研ぎ澄ませ!」

 ワイトが生み出した火球を俊敏に避けたキキの体が、突然止まってビクンと震えた。直後、再び咆哮を上げる。

「ガッ……ガァァァァァァァァッ!」

 それまでよりさらに迅く、キキは地を這うように動いた。魔法を撃った直後でわずかに動きの止まったワイトに飛びつくと、すり抜けるはずの霊体にがしっとしがみついて、剥き出しの肋骨に頭を打ち付けた。

「グガァッ!」

 二度、三度と頭突きを繰り返し、ワイトの胸を完全に砕き、首に噛みつきながら頭蓋骨を掴み、そのまま首の骨をへし折った。

「ウギャッ! ガァァッ!」

 一緒に落下し、砕けたワイトの骨を何度も踏みつけている。まるで勝利のダンスを踊っているかのように。

「ギャギャギャギャッ!」

「……なんとむごい……」

 蒼兵衛が顔をしかめる。シオンは目を見開いた。

「な、なんでワイトに普通に攻撃が効くんだ……?」

「憑依術と強化術の複合のようなものでね。低級の憑依霊ポゼッションじゃなく、彼女にゆかりある守護霊を降霊させた。いまの彼女は狂戦士バーサーカーであり、強い霊力で満ちた器でもある。破魔の獣といったところかな……」

 最後に息を切らしたハイジは、額からだらだらと汗を流していた。

「……と簡単に言っているものの、発動条件が厳しくてまず成功しない術なんだが、なんか成功しちゃったわ……」

「軽く言うなよ!」

 けっこう行き当たりばったりだ、この人。シオンは完全に印象を改めた。やっぱりサクラの仲間だ……変わってる。

「どんな条件なんだ?」

 暴れるキキと、もはやどれだけ沸いてもその餌食でしかないワイトたちを憐れむように見つめ、蒼兵衛が尋ねた。すでに刀を鞘に納めている。手を出す必要もないだろう。というか、出したほうが危ない。

「対象者の心身の頑強さ。くわえて、ゆかりある英霊が存在すること。英霊とは強力な戦士の守護霊のことだよ。そして一族が手厚く彼らを奉じていること。宗教は問わない。さらに、これが一番難しい条件だが、邪気の無い、無垢な器であること……つまり、さっぱり何も考えてない状態であればいい」

「なるほど、丈夫でパワフルな先祖がいて、頭からっぽのケダモノゆえか」

「そういうことだね」

「他に言い方あるだろ……でも、キキのおかげで助かった……」

 出現したワイトを噛み千切っては屠っていく。魔法をものともせずに向かっていくが、その魔法すら効いていない。小さな戦車のようにワイトを蹴散らし、噛み千切り、砕き、踏み潰していく。

「グギャアアアアアアアッ!」

 圧倒的な蹂躙に、紅子を抱いたままシオンは喉を鳴らした。

「それにしても……あんなに強くなるものなのか?」

「……どうだったかな……きっとリザードマンの先祖が百人くらい助けに来てくれたんだろう……」

 ハイジが無責任なことを言った。やっぱりあねの仲間だ。




 戦いの後が、新たな戦いの始まりだった。

 すべてのアンデッドを消滅させ、勝利の雄叫びを上げてなお大暴れするキキを、蒼兵衛がなんとか捕まえた。

「グギャギャギャギャ!」

「噛むなっ! 私の腕を!」

 その腕には獲物に喰いついて離さないワニのようにキキが噛みついている。鉄板入りのコートでなければ腕がへし折れていただろう。

「おい、早くなんとかせんか! くそ、紅子のやつ、いまこそ〈拘束バインド〉をだな……!」

「寝ているものは仕方がない。君たちでなんとかするんだ」

 もう一人の術者であるハイジも、すっかり霊力が尽きたらしく、すでに離れたところから他人事のように見つめている。

「キキ!」

 シオンは戦いを見守っていた国重のぬいぐるみを掴み、キキの目の前に持ってきた。

「おじいちゃんだ!」

 腹を押すと、内部に仕込まれた機械から国重が吹き込んだ声を出す。

『キキちゃん、がんばるんじゃー』

「ギギギギ!」

「違ぁーう! 頑張らせてどうする!?」

 鞘に収まった刀をキキに噛ませながら、蒼兵衛が叫ぶ。シオンは慌ててもう一度腹を押した。

『キキちゃん、がんばるんじゃー』

「あれっ……えっと、たしか、セリフが色々あったはず……」

 ダンジョンに必ずぬいぐるみを持っていくキキが、時々退屈しのぎに喋らせているのを思い出しながら、シオンは何度か腹を押した。

『よくやったぞ、キキちゃん! さぁ、おうちに帰るんじゃー』

「……ギ……」

 今度はキキの動きがぴたりと止まる。刀の鞘を咥えたまま、じっと国重人形を見つめている。

「おお、止まった!」

「よし、これだ!」

 もう一度腹を押す。

『キキちゃん! リザードマンの誇りにかけて戦うんじゃー!』

「ウギャギャギャギャー!」

「違ぁぁぁう! 猛らせてどうするっ!? 私の刀がぁっ!」

 鞘をガリガリと噛まれながら、蒼兵衛が叫ぶ。

「んなこと言ったって……!」

「ギャギャギャギャギャッ!」

「クソッ! なんでランダムにしたんだ、国重さん!」

「もう一回だ、もう一回腹を押せっ! 鞘が壊れるっ!」

「こういうときこそエンチャントで硬化させろよ!」

「ふっ、私の魔力などもうすっからかんだ」

「あんだけでっ!? 魔法戦士ルーンファイターなのに!? どんだけ魔力無いんだ!?」

「だから体を鍛えているんだろうが。そんな立派な魔力があったら魔道士になっている」

「ギギギギギギギ!」

「……悪くはないんだけど、いまひとつ締まらないパーティーね……」

 壁に背を預け、ハイジが呟いた。その横では壁によりかかって座らされた紅子が、ぐうぐうと寝息を立ていた。

「……えへへ……これ、美味しいよぉ……」

「……なんて娘だ……」

 寝言を言ってへらっと笑う紅子を、ハイジは得体の知れないものを見るような目で見つめ、小さく息をついた。

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