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迷宮のドールズ  作者: オグリ
二章
47/88

邪悪の王

 ダンジョンの周りには誰もいなかった。窓からこちらを見ているゴーストがいたが、じっと見つめてくるだけだったので無視した。気持ちの良いものではないが、ゴーストとはそういうものだ。こちらから物理的に干渉出来ないし、向こうも依り代が無ければ干渉出来ない。ただ、気味が悪いというだけで。

 その不気味さを感じる心も、紅子の精神魔法のお陰で強化されている。ゴーストの視線など気にならない。

「登れる?」

 壁を見上げ、小声で紅子が尋ねた。

「登れる」

「縄とか投げるの?」

「要らないよ」

 外壁を通るパイプはいかにも古く、強い力をかけると朽ちてしまいそうだった。二階まではレンガ貼りで、出っ張りの部分につま先だけでも引っかけられれば、自分なら登れると昼に思ったのだ。

 非常階段もあったが、分厚い扉は堅く閉ざされていた。

身体強化エンハンスする?」

「大丈夫」

 シオンは身が軽く、体幹の良いワーキャットだ。十四歳から冒険者をやってきて、他種族や大人では侵入の難しい場所に、率先して乗り込んできた。危険だとか子供だからだなんて言っていたら仕事は来ない。こんな人工ダンジョンくらい、どうということはない。

 相変わらずゴーストたちが啼いているが、そのおかげで多少の物音もかき消される。中にヒュウガたちがいたとしても、ちょっとした音なら騒霊ポルターガイストの仕業だと思うだろう。

 真っ暗な窓が続いている場所にあたりをつけ、そこから侵入することにした。

 都市型ダンジョンは久々だ。正式な仕事ではない不法侵入だが、いまからダンジョンに入るという高揚する気持ちをシオンは抑えきれなかった。精神魔法のせいだろうか。淡々と仕事をしてきたつもりだったが、自分はダンジョン探索が思っているより好きなのかもしれない。少なくとも仲間が出来てから、少し楽しくなった気がする。

 早くこんなことは終わらせて、またみんなで仕事がしたい。

 ポケットからノーフィンガーグローブを取り出して着け、借りている作業着つなぎの上だけを脱ぎ、腰のところで袖を結ぶ。

 それか外壁からなるべく離れて立つと、みんなが怪訝そうな顔をする。

「よじ登んないの?」

 尋ねたキキに外したウエストポーチを渡す。

「駆け上がる。オレが上に行ったら投げてくれ」

「あいよー」

 足裏と指先にぐっと力を込める。姿勢を低くしたまま地面を蹴り、駆け出す。壁際でジャンプし、一階の窓枠に足をかけると、体重が乗りきらないうちにレンガの出っ張りにつま先をかけ、とん、とん、とん、と、壁を蹴るようにして上がっていった。

 二階の窓の下に十センチほどせり出した部分があり、そこに足を乗せると、窓枠に手をかけた。すぐに体を反転させ、外壁に背をつける。

 下にいるキキに目線を向け、投げろ、というように片手を差し出した。

 ととと、とキキが真下まで駆けてきて、ウエストポーチを放り投げる。子供の力とは思えない力強さでポーチが飛んできて、ベルトを掴んでキャッチした。

 その間も、髪の長い女のゴーストが窓の向こうから張り付いてじっとこちらを見ていたが、特に何も感じなかった。最初からいると分かっていれば、ただ鬱陶しいだけのモンスターだ。それにしても髪の長い女のゴーストって多いよな。恨めしげな目でこちらを睨みつけている。死霊レイスという一般的なゴーストモンスターだ。

 ポーチを腰に巻き、中からピッキングツールを取り出す。窓は簡単に開いた。

「入るぞ」

 あんまりレイスがじっと見ているので、つい声をかけてしまった。なんだろうこの気まずさ……倒せないから何も出来ないし、怖くも無い。不法侵入するのをただじっと見つめられているだけだ。

 これが獣ならそこにいても気にならないのに、人間の姿をしてるから気になるんだろうなぁ。そう思っていると、女のゴーストはふっと消えてしまった。

「あ、良かった……」

 ほっとして、思わず呟いてしまう。

 怖くはなくても、いると気になる。だから嫌いなんだよな、ゴーストって。




 窓から顔を出し、ちょいちょいと手招きすると、真下のキキが今度はひとまとめにした縄梯子を放り投げた。そこそこの重量があるはずだが、二階まで容易く届いた。力だけなら自分より強いんじゃないかとシオンは思った。

 縄梯子を下ろすと、まずキキから登って来た。大きな荷物を背負いながら、壁を這うトカゲのように素早く上がってくる。窓まで上がってきたところで補助してやろうと手を伸ばしかけたが、一人でさっさと乗り越えてきた。

「ゴースト、どこ行ったの?」

「消えた」

「マジか。撃ち殺しちゃろと思ったのに」

 腰から下げた魔銃のホルダーに手をかけながら、キキがチッと舌打ちした。アイドルどころか将来が心配だ。

「どうせこれから何体も出て来る。無駄撃ちするなよ」

 続いてリノが登ってくる。ワーキャットらしく動きは機敏で、こちらも補助する必要無く、やすやすと窓から入ってきた。

「すごいこと出来るのね」

 リノは感嘆してそう言った。

「アンタみたいに身軽なワーキャット、うちにもいないわ」

「昔よく練習したんだ。人間や大人が出来ないことをしないと、役に立たなかったから」

「アンタでも新人のころは苦労したんだ」

「ワーキャットのガキだけじゃ雇ってもらえないからな。危ないことも無茶なことも自分からやっていかないと、パーティー組んでダンジョンなんて行けなかったんだ。だからお前の兄さんがやってることは、いいことだと思うよ。せっかく冒険者になったって仕事が無いし、駆け出しのワーキャットはバカにされるからな」

 次に、そこそこ時間を使って紅子が登ってきた。ゆらゆらと不安定に揺れる縄梯子は、登ってくるのにけっこう体力を使う。それに彼女からすれば二階でもじゅうぶん高所だろう。いまゴーストに彼女が驚かされないか、それだけが心配だったが、幸いゴーストは現れなかった。

「もうちょっとがんばれ」

 手が届くところまできたら、シオンは腕を掴んだ。

「大丈夫か?」

「うん……縄梯子って、力使うね……」

「オレの肩掴め。もう少しだ」

 紅子がシオンの肩を掴むと、脇に腕を入れて、引っ張り上げる。蒼兵衛くらい鍛えて体格の良い男なら、やすやすと抱えてやれるのだろうが。

 ようやく二階に上がれたところで、紅子が顔を赤らめながらシオンからぱっと離れた。

「ご、ごめんね、重かったよね……」

「いや、普通」

「そこは軽いって言ってやんなよ」

 キキが突っ込んだ。

 最後に蒼星が上がってきた。が、もう少しというところで、淡々とした声で言った。

「あの、俺の後ろから変な女が上ってこようとしてるんですけど」

「よっしゃ!」

 キキが素早くホルダーからハンドガンを取り出し、嬉しそうに窓から身を乗り出す。直後、哀れなレイスの断末魔が響いた。

「わ、私の後じゃなくて良かった……」

 紅子が胸に手を当て、はぁぁと息をついた。




 シオンたちが侵入した途端、廊下に灯りが点った。

「わっ」

 杖に魔法の光源を作ろうとしていた紅子が驚いて声を上げ、慌てて自分の口を手でふさぐ。

 灯りを点したのはヒュウガたちではなく、ゴーストの悪戯だろうとシオンは思った。どちらにせよ明るいのは助かる。

「きっとゴーストの仕業だ。いつ消えるか分からないから、浅羽、一応〈照光ライト〉は絶やさないでくれ」

「分かった」

 紅子が頷き、組み立て式短杖ロッドの先端の魔石が輝き出す。

 内部は廃墟らしくそこかしこの壁が剥がれ、いたるところにスプレーで落書きがしてあった。床のカーペットは色褪せて剥がれ、瓦礫が転がっているところもあるが、歩けないほど崩れた場所はない。比較綺麗な廃墟と言えた。

「これ、使う?」

 キキが背負っていた大きなリュックを下ろし、中からランタンを取り出す。

「良かったら俺が持ちますよ。非戦闘員だし」

 蒼星が言って受け取る。

「あたしも懐中電灯なら持ってきた。会社のやつ」

 リノが作業着のポケットから小型の懐中電灯を取り出し、スイッチを入れた。小型だがバックアップの会社で使っているだけあって、照光範囲はかなり広い。

 おしゃれに拘るリノは、作業着つなぎの前を開けて着崩し、下にタンクトップを着ている。首には魔石のついたネックレスを下げ、ホットパンツから伸びる足は黒いタイツで覆われている。

 来る前にも打ち合わせをしているが、改めてシオンは告げた。

「全部の部屋を探すのは時間がかかるから、二手に分かれて探そう。オレは一人で上階に行く。みんなはこの二階と、ここに無ければ上に上がってくれ。見つかったらケータイで連絡頼む。音は消しておけよ。オレはまず最上階に行って、下に下りていく。これ以上探索出来ないと感じたらすぐに撤退してくれ。オレのことは放っておいていい。キキ、笛」

「あいよ」

 キキがリュックの中から、ひも付きの笛を取り出す。救助を知らせるときに使うものだ。

「もし、危なくなったら吹いてくれ。緊急用だ」

 シオンはキキから受け取った笛を、それぞれに一つずつ渡した。

「誰かが吹いたら探索は中止して撤退だ。逃げられそうならそのままヒロさんの車に戻るんだ。救援はオレが行く。それからゴーストにいきなり吹くと、相手がびっくりして逃げることもある。危ないときは遠慮せずに吹くんだぞ。ストライブにバレてもいい。吹けばオレが絶対に助けに行く」

「そんなに心配しなくたって大丈夫だって、他はともかくこのキキちゃんはね!」

「お前のことはそんなに心配してない」

 腰に手をあて、胸を反らせるキキの頭を、シオンはぽんぽんと撫でた。

「頼りにしてるぞ。みんなを守ってくれ」

「えっ? ……お、おうっ!」

 キキは目を見開いたあと、ぱっと顔を輝かせた。

「強そうには見えないけどなぁ」

「なにおう!」

 首を傾げるリノに、キキがぐぁっと口を開ける。

 その隙に、シオンは紅子に小声で耳打ちした。

「キキを頼む。危なくなったら国重さん人形を使ってくれ」

「えっ、親分人形? あれ、ほんとに効果あるの? やっぱ、爆弾……?」

「いや、たぶんだけどあれは……」

 紅子の耳にシオンは小さく告げた。うんうん、と紅子が頷いた後、呟く。

「……効果あるのかな……?」

「分からん。けど、国重さんを信じよう」

「使うときがこないといいけど……」

「そうだな。もしものときは、その後のことは頼む」

「分かった」

 紅子が神妙に頷く。

 話が終わるのを待ち構えていたかのように、リノが言った。

「ねえ、シオン。あたしもシオンと一緒に行っていい? 上の階を一人で探すの大変だよ。あたしサポートするから。大丈夫、逃げ足は速いし」

「また勝手なことを……」

 蒼星が呟くが、リノは無視した。彼女の言うことにも一理はあるが、一応シオンは言った。

「上のほうは崩れやすくて危ないぞ」

「あたしはシオンより体重だって軽いし、身軽だよ。ダンジョン探索は初めてだけど、こういう廃屋には小さいころから入り込んで遊んでたし」

「まあいいけど……」

「シオン、強いんでしょ?」

「相手によるよ。オレ、ゴースト処理は出来ないぞ」

 リノがシオンの腕を引く。

「じゃあ魔法が効いてるうちに、早く行こうよ」

「そうだな。じゃあ、くれぐれも無理はしないように」

 



 シオンとリノが階段に向かうと、蒼星がぽつりと言った。

「リノちゃん、ワガママですみません。って俺が謝ることでもないですけど。彼女、悪気は無いんですけど、ワーキャットって自分の欲望に忠実だから」

「え、そんなにワガママかなぁ?」

 紅子の言葉に、蒼星は意外そうな顔をした。

「イラッとしません? ああいうの。」

「なんで?」

「だって貴女、小野原さんの彼女でしょう?」

「えっ、ちちち、違うよ!」

「彼女志望というか……」

「さぁさぁ時間が無いから早く目的の物を探そうね!」

 キキの言葉を遮るように、紅子が言った。

「よーし、キキさんについてこい! 端っこの部屋から行こう」

 トコトコとキキが歩き出す。ショットガン型の魔銃をケースから出してリュックと一緒に背負い、腰のホルダーにハンドガン型の魔銃を二丁、左右にセットしている。装填された弾はすべて退魔弾だ。これをちらつかせているだけで、ゴーストは恐れて近づいてこないようだった。

「うーん張り合いの無い……」

 キキはキョロキョロと辺りを見回しながら、二階フロアの一番端の部屋の前に立った。

「このフロアは八部屋ですね」

 蒼星が静かに言う。

 真っ直ぐな廊下に、左右に四部屋ずつだ。部屋数なんてちゃんと見ていなかった紅子は、慌てて頷きながら言った。

「ほ、ほんとだね。思ったより部屋数多く無くて良かった……」

「一部屋ごとに中が広いんですよ。ラブホだから」

「へぇ」

「ベッドだけの部屋の他に、でかい風呂とかあるんでしょ、きっと」

「そうなんだ。詳しくないからなぁ……」

「俺だって詳しくないですよ。クソ不良じゃあるまいし。明日のテストのことだけを心配してる勤勉な受験生なんですから」

「しっかりしてるね、蒼星くんって」

「兄があんなふうなので」

「ん? ドア、開いてる……」

 キキが顔をしかめる。鍵がかかっていないようだ。蒼星が言った。

「じゃあ鍵がかかってない部屋に大事なもの隠したりはしないんじゃない。そもそもこのダンジョンにあるとは限らないんだけど……つーか絶対無いでしょ。ダンジョン内に隠すとか。ゲームじゃないんだから」

「ごちゃごちゃ言うなっ、突入!」

 キキが銃を構えながら部屋に入る。ランタンと魔法の灯りで部屋を照らすと、ゴーストはいなかった。

 部屋の中央には大きなベッドがあり、埃にまみれていた。床にはゴミが散乱している。窓が閉めきられているせいか独特の異臭があり、蒼星が顔をしかめた。

「うわ、パンツ落ちてる……」

「ほい、軍手。あと要るならマスク」

 キキがリュックから取り出した軍手とマスクを紅子と蒼星に手渡した。自らは額にライトの付いたバンドをハチマキのように巻く。

「よっしゃ! キキちゃんはお風呂場を探すよっ!」

 銃を構え、隣の風呂場に突撃していく。妹尾組で危険な鉱山系のダンジョンに入り慣れているキキは、こういう場所に躊躇が無い。ゴーストも恐れないようだし。

 私もがんばらなくちゃと、残った紅子も蒼星と共に部屋の中を捜索し始めた。

「うわぁ、湯船の中、血がいっぱいついてら」

「ひええ」

 風呂場から聞こえてきたキキの声に、紅子は身を竦ませた。

「話しませんか?」

「え?」

「別にここで話しても大丈夫でしょう。アンデッドスクリームうるさいし。賑やかなほうが低級のゴーストは出ないって言うし」

「あっ、うん! そだね!」

 淡々とした蒼星の言葉に、紅子は納得して頷いた。

 自分より年下の子ばかりなのに、みんなしっかりしてるなぁと紅子は感心した。私もしっかり働かなきゃ。

「……と言っても、俺は会話の引き出しが少ないので、出来たら話題を振ってください」

「う、そーだなぁ……。じゃあ、蒼兵衛さんの話とか……」

「何故」

 嫌そうな声を出した蒼星に、紅子は乾いた笑いを浮かべた。

「共通の話題かなって……えっと、あんまり仲良くないのかな?」

「仲良くなれると思います? 兄にとって俺なんて、夜中にふと何か食べたくなったとき『ちょっとコンビニでパン買って来い』と簡単に言える、そのくらいの存在ですよ」

「パ、パシリってこと……?」

「例えです。ああ見えて体調管理とか食事制限とかには厳しいんで、夜中にパン食ったりはしないですけど。早寝だし」

「そういうことはすごいよね」

「弟を小間使いのように思っているところが?」

「え、いや、自分に厳しいとこが……」

「剣に関してだけですよ。それ以外のところにほころび出てますから。主に人間性に」

「はは……そういえば出会ったころは、酷い人だと思ったなぁ」

「でしょうね」

 でも頼りになる人だとすぐに分かった。それに、悪い人ではない。だから仲間にしたいのだとシオンが言うことに、異論があるはずもなかった。

「蒼星くんはいつも冷静だよね。こういうとこ、怖くない?」

「魔刀流の教えに、『心は常に平静に、清流のようであれ。刃を鞘から解き放つそのときまで研ぎ澄ませよ』というものがあります。精神鍛錬は柊魔刀流の基本とされていますから。幼い頃より祖父と父に連れられ、夜の山中で素振りをさせられていたりしたので」

「すごいなぁ」

「あとは兄のせいです。自分勝手で、なまじ強いものだから無茶がまかり通る。思い通りにならないことがあるとすぐ拗ねる。そのくせ寂しがりで、ああはなりたくないと常日頃思って己を律してきました」

「へ、へぇ……他にもお兄さんがいるんだよね?」

「長兄は物静かな人なので……というか影が薄いです」

「そうなんだ……」


(お兄ちゃんか……)

 紅子の実の兄は死んでしまったが、最後まで仲良くなることはなかった。顔も忘れてしまったのに、彼の自分を見る冷たい目は忘れられない。

 最期に、血だまりの中で息絶える姿も。


「次男の蒼兵衛さんが、おうちを継ぐの?」

「勝手に十一代目を名乗ってるだけですよ。でも蒼雲兄さんは十一代目を継ぐ気は無かったみたいだし、いいんじゃないかな。蒼樹兄さんのほうが強いのは認めてたから。それに柊魔刀流なんて流行らないですから、絶対」

「優しいお兄さんだね」

「あー、まあ、蒼樹に比べたらぜんぜんまともです。だから薄いんですけど。蒼樹のことは好きにさせてやれって、若いうちしか冒険は出来ないんだからって、父親みたいなこと言ってますよ。まだ二十五なのに……」

 それでも、弟のほうが強いことをコンプレックスに思ったこともあるだろう。その上で弟の強さも奔放さも認めてやれる。きっと良いお兄さんだから、蒼兵衛も好きに振舞えるのだろう。

(……私のお兄ちゃんはそうじゃなかった。私のこと、きっと憎んでた……)

 ずっとそう思っていた。魔道士であることに誇りを持ち、真面目だった。紅子が記憶している兄はそんな人だった。戦闘魔道士の家系に生まれ、祖父や父にずいぶん厳しく育てられていたと透哉に聞いた。彼らにただ可愛がられてばかりいた紅子は知らなかった。

 戦闘魔道士とは、今で言う魔道戦士ルーンファイターだ。

(戦闘魔道士は、戦のある時代には傭兵として重宝された。でも今の時代には魔法と戦闘を極めたところで冒険者になるのがせいぜいだ。魔法なら魔法だけに特化したほうが、魔道士としては伸びるんだけど)

 透哉が言っていた。

 兄が魔道士に専念出来なかったのは、ソロでどんなダンジョンでも探索出来るだけの力を、父と祖父が兄に求めたからだ。浅羽家の魔石を探す役目を受け継ぐために。一族以外の者の力を借りる必要が無いように、たった一人で魔石を探す役目を言い渡された。

 熱心に魔法を勉強し、鍛錬を続けていた兄。十歳も歳下の妹より才能が無いことが、どれほど悔しかっただろう。死んだとき、彼は十七歳だった。いまの紅子と変わらない。思い起こせば友人も恋人も無かったように思う。子供らしい遊びを一つもしていなかった。

 紅子はあんなにも、皆に可愛がられて育ったのに。魔法なんか興味も無かった。

 そう考えると、お兄ちゃんが嫌いだったと思うことは、彼に申し訳無い気がした。

(魔石は、私が探すんだ。お兄ちゃんの代わりに。見つけたら、ずっと大事にしよう……)

 ここで埃にまみれているのも、蒼兵衛を仲間にするためだ。彼はダンジョン探索に欠かせない戦力となる。祖父や父や兄のように戦闘の訓練を積んでいない紅子は、やはり仲間の力を借りるしかない。

 部屋のいたるところを捜索したが、それらしきものは見つからなかった。

「次、行くよっ!」

 キキが号令をかける。紅子はしっかり頷いた。




 最上階に辿り着いたシオンとリノは、すぐに探索を始めた。最上階フロアは部屋数が最も少なく、三部屋だった。

「最上階だから高級なかんじね。もうボロボロだけど」

「高層の建物じゃなくて良かった」

「そうね。このへんの建物って低いのよ」

 ワーキャットは夜目が効く。懐中電灯の灯りだけでもさほど苦は無い。

 散らばった瓦礫やガラスを踏まないように廊下を歩く。

 このフロアに入ったときから、何となく嫌な雰囲気がする。ゴーストは相変わらず啼いているが、姿は一切見せてこない。オオオ、と低く響く慟哭や、啜り泣き、笑うような声の中に、時折赤ん坊のか細い泣き声が聴こえる。

 ゴーストの集まる場所には、必ず親玉ボスというべきアンデッドがいる。それがこのフロアにいるのかは分からないが、物理攻撃の効かないモンスターなら撤退して紅子たちと合流するしかない。

 部屋の一つに入ったが、ゴーストはいなかった。それがかえって不気味だったが、探索を始める。

「ねえ、本当にこんなところに写真や動画なんて隠してると思う?」

「さぁ。だが探してくれと蒼兵衛が言ったなら、探すよ」

 朽ちたキャビネットの引き出しや冷蔵庫の扉を開け、ベッドの下を覗く。隠れていたレイスと目が合って少し驚いたが、睨みつけ、〈唸り声グロウル〉を上げると消えた。

「こっちがビビらないと分かると、けっこうあっさり消えるな……」

 ここでの経験は、これからのダンジョンで役に立ちそうだ。

「なに、ゴースト?」

唸り声グロウル〉に気づいてか、リノが顔を向けた。

「もう消えたよ」

「イヤね。気持ち悪い、こんなトコ」

 吐き捨てるように言う。

「こんなとこに証拠なんて隠すかしら?」

「人の手に渡ったら困るようなものは、自分たちの目の届くところに置いておきたいってことは充分考えられる。探すのは無駄じゃない。可能性がある場所は探したほうがいい」

「そうかもしれないけど……どうせヒュウガと戦うんなら、やっつけて締め上げて吐かせたらいいのよ」

「簡単に言うなよ」

「だってソウくんは強いのよ」

 蒼兵衛が帰ってきたことで、斬牙メンバーの士気は明らかに上がった。それほどいままでストライブの蛮行に耐え、歯痒い思いをしてきたのだろう。

 だが、蒼兵衛の不在の間、黙って耐えてきたセイヤの考えは分かる。

 ヒュウガとその幹部たちを見て、ただの不良グループではない雰囲気を感じた。抗争になったらただでは済まないだろうとも。正面からぶつかれば、下手したら死人が出るかもしれない。セイヤはそれを回避し続けてきたのだろう。

 だが奴らを放っておいても、元斬牙メンバーへの襲撃は止まない。

「どっちみち犠牲が出る。耐え続けるか、いっそケリをつけるかしかなかったんだ。抗争になったら斬牙にも死人や逮捕者が出るかもしれないけど」

「そんな……」

「だからセイヤさんは戦わなかったんだ。間違ってないよ」

「でもソウくんなら、きっとなんとかしてくれるはずだよ。だってソウくんは誰よりも強いんだから」

「強いよ。でも相手が本気で殺しにきたら、手加減して戦うのは難しい。ヒュウガはそれを分かってるんだ。いくら蒼兵衛が強くても、モンスターを倒すのとは違う。ストライブの連中を殺しでもしたら、ただじゃ済まない。相手はモンスターじゃないんだ」

「でもソウくんは悪くないじゃない……しつこいのはアイツらで」

「わざとしつこくしてるんだろ、ヒュウガは。セイヤさんも分かってて、相手にするなって言ってたんだ。ヒュウガが斬牙に拘る限りは、ケリをつけてもつけなくても、誰かが犠牲になる」

 不良チームではなく会社を立ち上げた彼らが、ストライブにやり返すことなど出来ない。耐えるしかなかった。かと言って蒼兵衛が戻ってくることもセイヤは望んでいなかった。それは、親友だからこそだったのではないかと、シオンは思う。

 蒼兵衛が鍛え上げた力はそんなことに使うものじゃない。彼は一人でも冒険者として高いレベルの仕事が出来る力があるのだ。桜のように。

「セイヤさんはこんな不良の抗争で、蒼兵衛のことを邪魔したくなかったんじゃないか。あの強さには正直オレだって憧れる。誰だってあそこまで強くなれるわけじゃないし、それだけの努力も出来ない」

 まだ暗いうちから起き出して、何キロも走ったり、部屋が暑くなるまで腕立て伏せなんて、とてもじゃないが出来ない。

「だから、ヒュウガもそうなのかもしれない。羨ましくて、悔しかったのかもな。だから倒したいのかもしれない。自分が勝てなかった斬牙を」

 リノが悔しげに歯噛みする。

「分かんないよ……。なんで、そんなことに拘るのかしら。アイツは親が金持ちで、ストライブみたいな武闘派チームのリーダーなんてやんなくても、別の道だって選べるし、恵まれてるじゃない」

「さぁ。オレにも分かんねーよ。でも自分より強い奴やすごい奴が周りにいたら、自分もそうなりたいって思うのは分かる」

 強い奴は好きだとヒュウガは言った。

 それはつまり憧れなのだ。

 純粋に憧れて終わるか、自らも努力で超えたいと思うか、どんな手を使ってでも倒したいと思うかは、人それぞれだろうが。

 ああ、そうか、とシオンはふと思った。

「……もしかしたら、蒼兵衛がいなくなったから調子づいたんじゃなくて、蒼兵衛がいたころの斬牙と戦いたいのかもな。いままでの嫌がらせは、蒼兵衛をおびき寄せるためだったのかもしれない」

「でもアイツは卑怯だわ」

「そうだな。やり方は間違ってる」

「許せないよ。そのためにあたしたちの仲間はたくさん傷ついた。あたしたちの中にいる裏切り者のせいで、あたしは信じてた人たちを信じられなくなった」

「それは、シリンさんのことか?」

「……みんなよ。兄貴のことだって、信じられなかった。だってみんな、昔から一緒だったのよ。なのに裏切り者がいる。そんなの怖いし、嫌だよ。でも兄貴は何もしない。みんなが傷ついていっても、仕事ばかりして何もしてくれないのよ」

「仕事はしなきゃ生きていけないじゃないか。会社を立ち上げたばかりならなおさらだろ」

「それでも、仲間が傷ついてるのに、怪しい行動を取ったシリンのことを問い詰めもしなかったじゃない!」

 絞り出すような声を出し、リノが頭を振る。

「裏切り者は絶対にいるのに、兄貴はあたしの話なんて信じてくれない! みんなを傷つけて、のうのうと笑ってるそいつを、あたし、絶対許さない!」

「リノ、分かってる。落ち着け。いまはいまやれることをやるんだ」

 感情的になるのは、精神高揚の魔法のせいかもしれない。シオンはリノに近づき、落ち着かせるように背中を撫でた。

 いつの間にか、リノは肩を震わせていた。感極まって泣いているようだ。

「精神魔法のせいで気持ちが昂りすぎてるんだ。ちょっと息吸って吐いて落ち着け」

「……ん」

 ごしごしと目許をこすりながら、リノが頷く。

「ごめん……シオン」

「蒼兵衛がなんとかしてくれるよ」

 上手いとは思えない気休めの言葉だったが、リノはこくんと頷いた。彼らにとって蒼兵衛の強さは絶対なのだ。

「あたし、ヘンだね、こんなときに喚いて……」

「魔法の影響か、ダンジョンの雰囲気のせいだ。初めてのダンジョンじゃ、誰だっておかしくなる」

 こくんとリノが頷く。

「兄貴も、リョータくんやヒロくん……みんなも、いつも……こんな仕事してるんだね。ソウくんも、シリンも……」

 ぐすっと鼻を啜る。

「背伸びしたって、あたしは子供だ……。一人で喚いて、みんなに迷惑かけちゃった……シリンのこと疑って、きっと嫌な子だって、みんな思ってるよね……」

「そんなことないよ。リノは一生懸命だ」

 仲間を想う気持ちが強いのだ。本当はシリンとも仲良くしたいのだろう。

 リノの背中をぽんぽんと叩き、シオンはなるべく優しく告げた。

「この部屋には無さそうだな、次に行こう」



 リノの手を引き、部屋の外に出ようとすると、このフロアに入ってから感じていた気味悪さが増した気がして、シオンは足を止めた。

「……リノはこの部屋の中にいろ」

「え?」

「部屋の外に何か出た。レイスだと思うけど、嫌な感じがする。ただの勘だけど」

 だがその勘をシオンは大事にしている。用心するに越したことはない。

 幽鬼ゴースト系の上位モンスターで思い当たるのはワイトだ。ただいるだけのレイスとは違い、魔法攻撃を繰り出してくる厄介なモンスターで、物理攻撃はほぼ通用しない。ソーサラーやシャーマンがいたとしても並みのレベルでは太刀打ち出来ないほどの魔力を有し、出会ったらまず逃げるしかない。しかし、こんな都市型ダンジョンにはまず出てこないだろう。出ればすぐに封鎖され、討伐隊が組まれるはずだ。

 それ以外なら、倒せないまでもやり過ごすことは出来る。存在さえ分かっていれば、都市内に出てくるゴーストなど脅威でもなんでもないのだ。

「リノ、離れててくれ。まずはオレだけ外に出る。何がいるか分からないから……」

 言い終わる前に、リノがシオンの腕をぐっと引いた。振り向くと、彼女は首に下げていた笛を手に取り、唇に当て、吹き鳴らした。

 ピィィィィィィィ! と高く鋭い音が廃墟の中に響き渡る。シオンはぎょっとして思わず声を上げた。

「リノっ……なんで!」

「なんで? なんでだと思う?」

 グロスの光る唇を笛から離し、くすっとリノが小さく笑った。勝気そうな目がシオンを見上げる。だがその瞳は暗く沈んでいた。レイスのように。

「だって……裏切り者はあたしだもん」


 瞬間、建物全体が震えた。

 震えたように感じるほどに、啼き・・始めたのだ。

 ダンジョンに縛られた無数のゴーストたちが嘆き、救いを求めて叫び、暴れ狂っている。

 それは、上級アンデッドが出現する前兆だった。






 シオンたちが侵入した頃、蒼兵衛も斬牙のメンバーを連れ、《ピンクシャトー》の前に立っていた。

 地元の人間は《夜啼きホテル》の名で呼ぶことのほうが多い、この旧ラブホテル・現ダンションは、夜になるとゴーストが泣くことで知られている。

 ストライブの根城でなかった頃は、地元の不良たちの肝試しスポットでもあった。

「アンデッドスクリーム、エグいっすね」

 リョータが顔をしかめ、耳をひくひくと動かし、言った。アンデッドの泣き声はワーキャットには不快なようだが、蒼兵衛の心には何も響かない。

「俺だって泣きたいほど辛いことがあった……死さえ考えたんだ……」

「……まだ言ってんすか……」

 いい加減、斬牙のメンバーも白けた目で見た。

「そんな失恋くらいで……」

「そんなとか言うな!」

「だってセイヤさんとシリンさんがその、まあ、デキてるのはどう見たってそうだったじゃないですか」

「そうそう、認めてなかったのソウさんだけっすよ」

「女はシリンさんだけじゃないですって」

「なんでそんなに軽いんだお前らは! くそっ、これだからワーキャットは……!」

 ギリギリと歯噛みする蒼兵衛の、『斬牙』の文字を背負ったその背中を、ワーキャットたちが気安くぽんぽん叩いていく。

「まぁまぁ、ソウさんなら女なんかいくらでもできますよ」

「そうっすよ~。オレらだっているじゃないっすか」

「……お前らがいてもなぁ……」

「ヒデーなぁ。オレらだってめっちゃソウさん探してたんすよ」

「そうそう、ソウさんいねーとやっぱ寂しいっつーか」

「……ほんと?」

 ちら、と蒼兵衛が目線を向けると、一斉にうんうんと頷く。

「ソウさんと仲良くなりたいって可愛い子、いますよ。紹介しますよ」

 リョータの言葉に、蒼兵衛がばっと顔を上げた。

「えっ。マジか?」

「マジっす」

「俺と? セイヤじゃなく?」

「ソウさんと。いや、ソウさんは服装なんとかして口さえ開かなければイケてますから」

「そうか……じゃあ服装はなんとかしよう。でも口は開くぞ。……ちなみに」

「ハイ」

「……可愛い?」

「可愛いです。それも一人じゃないっす。ストライブシメたら紹介します」

 断言するリョータの肩を、がっし、と力強く掴む。

「あいててててて!」

「よし、絶対だぞ。約束破ったらお前の尻尾引っこ抜くからな」

「ひええ」

「やりそう……」

「あっ、紹介はしますけど、実際付き合えるかどうかはソウさんが頑張ってくださいよ!」

「分かった。だが、ここまで大事にしてきたんだから、ちょっとやそっとの女じゃ絶対に嫌だからな」

「そんなハードル上げなくても……そこは軽く捨てときましょうよ」

「嫌だ。最初に付き合う女の子はシリン以上じゃないと嫌だ」

「まだ言う!? どうせシリンさん以上の女はいないとかすぐ言い出すくせに……」

「オレらじゃちょっとやそっとの女しか紹介出来ないっすよ……顔は可愛くてもケツ軽い女しか知らないっすもん」

「――じゃあ、オレが紹介してあげようか」

 ギィィ、と古びた扉が軋む音を立て、開いた。

「あれ、自動ドアだったのか?」

「いやぁ、違うと思いますけど」

 蒼兵衛がのんびり尋ね、リョータが答える。その耳は逆立ち、警戒態勢に入っていた。それまでの和気藹々とした雰囲気は一瞬で失せている。

 城を模したホテルは細部まで凝っていた。その入り口もガラス張りの自動ドアではなく、分厚い木製の重厚な扉だった。その向こうに立っている男はそれに手を触れてもいない。

「相変わらず、楽しそうだねソウジュさん」

 銀の混じった黒髪に、黒い耳と尻尾を持った小柄なワーキャットの青年が、低い階段の上から見下ろしながら、愉快そうに口と目を歪めた。

「おかえりなさい。きっと戻ってくると思ってたよ。冒険者になったなら、まずは近場のダンジョンから攻略しなくちゃ。ゲームのセオリーでしょ」

 か細い少年のように見える男は、整った顔を人懐こそうに歪めた。

 その背後には屈強な男たちが臣下のように佇んでいる。全員ではないがストライブの幹部メンバーだ。かつては街中で顔を合わせるだけで殺気立っていたのに、いまは様子が違っていた。静かに自分たちの王の傍に控えている。

 昼間シオンたちが偵察にきたときは、ヒュウガ以外は殺気立っていたと言っていたが、いまは全員、まるで敵意が無いかのように佇んでいる。

「なんか、ヘンですよ」

 リョータが後ろで言った。全員身を低くして、いつでも戦闘に入れる体勢だ。

「黒瀬兄弟がいませんね。それに、奴ら人が変わったみたいに大人しいし……」

「待ち構えていたという具合だな。なるほど、こっちに混ざってる裏切り者というやつか」

「悔しいけど、そうみたいすね……でもオレたちの中の誰が……?」

「そんなことはいまはいい。奴らを締め上げればどうせ分かることだ」

 そう言いきって、蒼兵衛はヒュウガを見た。

「単刀直入に言う。セイヤと斬牙……じゃない、ニコねこ屋に手を出すな」

「うう、締まらない社名……」

 斬牙のメンバーが恥ずかしげに呟く。

「嫌って言ったら?」

 ヒュウガは微笑みながら答えた。

「この町にまたしても俺の伝説が増えることになるな」

「あははっ、シリンさんといい、なんでそんなにセイヤが好きかなぁ」

「ぜんぜん好きじゃない。ただの腐れ縁だ」

「普通の男だよあれは。どうしてアンタみたいな強い人が、あんなつまんない男に拘るのか、昔から不思議だったな。シリンさんだって、それほどの女かな?」

「テメ……」

 仲間たちの顔つきが険しくなるのを、蒼兵衛は手で制した。

「お前の言う通り、アイツらはただのちっぽけなワーキャットに過ぎん。だから俺が……」

 腰に差した木刀に手をかける。

「――守ってやる。ダチだからな。理由などそれで充分だ」

「相変わらず欲が無いなぁ。アンタほどの力があればもっと楽に生きられるのになぁ。オレがセイヤならシリンを捨ててでもアンタを手放さなかったよ」

「そんな趣味は無い」

「アンタがオレを嫌いなのは知ってる。だからアンタを仲間に引き入れようなんて考えたこともないよ。斬牙はさ、ガキだったオレにとってずっと目障りな存在だった」

 それまで人好きのする笑みを浮かべていたヒュウガが、嫌な笑いを隠さなくなった。

「だからさぁ、ぶっ壊しておきたいんだよ、徹底的に。オレの目の前でずっと我が物顔してたお前らを、いつか食い散らかしてやりたいって思ってた。ずっと、ずっとさぁ……」

 亜人の中には時折、ひどく野性の強い者がいる。亜人の本能を強く宿した狂戦士バーサーカー症とはまた違い、他種族と共存し生きていくうちに薄れていった狂暴性を強く持ちながら、それを自覚し、上手く折り合いをつけながら、表向きは社交的に振舞う。だがその体の内に、激しい野性を秘めている。

「なるほど、解散した斬牙に拘るほど、お前は愚かじゃないと思っていたが……」

「あはっ、ソウジュさんに買い被ってもらって嬉しいよ。でもオレは愚かだよ。ガキだった頃に勝てなかったアンタらを潰してからじゃないと、気持ち悪くてしょうがない」

 この男はずっと、自らの野性を持て余しているのだ。それは生来のものだから、改心するとか更生するというようなものではない。

「やはり、話し合いなんて無理だよな」

 そのとき、上のほうから笛のような音が聴こえた。隙間を強く吹き抜けていく風の音にも似ていたが、救助用に使われる笛の音だと、冒険者をやっている者ならすぐに思い当る。

「中で、何かあったのか……?」

「ダンジョンには、トラップが付き物でしょ?」

 ヒュウガがにっこりと笑う。

「それから、モンスターもね」

 蒼兵衛はいつも無表情の顔をしかめた。

「何がしたいんだ、お前」

「言ったでしょ、アンタらを潰しておかないと、気持ち悪いんだよね。仕方ないよ、本来のワーキャットの本能ってやつだよ。アンタやセイヤは別の群れのオスなんだ。見過ごせるわけないだろ? でも長い間オレは弱くて、アンタらは強かった。それってオスにとっては屈辱以外の何物でも無くない? だからさ、消えてほしいんだよ……跡形もなく!」

 ヒュウガが声を張り上げ、敵を迎えるように両手を広げる。その瞬間、建物全体が震えるほどの激しいアンデッドスクリームが起こった。

「うわっ、なんだこれ……っ」

 リョータたちが耐えきれず耳を塞ぐ。魔石で防げるレベルではない。

「こんなの、ガチでヤバいダンジョンじゃねーか!」

「お前ら、撤退しろ! アイツら、もう人間じゃない!」

 声を荒げ、蒼兵衛が仲間たちに告げる。

 ヒュウガの背後に控えていた男たちが、ゆっくりと動き出した。いずれも武闘派で知られたストライブの幹部たちは、瞳を暗く沈ませ、意思の無い人形のような顔つきだった。

「いいや、まだ・・人間だよ。ただ、この人数にオレの完全支配が及ぶのは、夜、この場所限定なんだ」

 ヒュウガが普段の飄々とした口調に戻って言う。

 蒼兵衛は木刀に手をかけながら、仲間たちを守るように足を踏み出した。

「お前、このダンジョンに何をした……ここで、何をしていた!」

「ははっ、アンタでもそんなふうに叫んだりするんだ。嬉しいな。びっくりする顔が見られて。別に、色々と試してただけだよ。まだ駆け出しなんだ、オレ」

「駆け出しだと?」

「そう」

 ヒュウガはいつの間にか、その手に魔銃を持っていた。魔力の無いワーキャットに扱えるものではないが、彼はワーキャットハーフだ。人間の母の資質によっては魔力を持っている。

「母親の人間の血のおかげかな。オレはワーキャットだけど、魔力があるんだ。それに霊媒士シャーマンの資質もあるんだよね」

 口許を歪めて笑うヒュウガは、幽鬼を鎮め、昇華させるシャーマンというより、邪悪な死霊魔道士ネクロマンサーというほうがしっくりきた。

 そして実際に、そうなのだ。

「サムライ対ネクロマンサー……B級映画のノリだな……」

 ここにキキがいれば、「C級だよ!」とツッコミそうなところだ。

 そんなことを考えられるほどには、平静さはすでに戻っている。笑って見下ろしていたヒュウガは身を翻し、建物の中に消えた。残されたヒュウガの取り巻きたちが襲ってくる。

「ソウさん、大丈夫です、オレらもいけます……!」

 激しいアンデッドスクリームに耳を塞いでいたリョータたちが、ようやく慣れたかのように叫ぶ。木刀の柄に手を添えたまま、蒼兵衛は頷いた。

「さて、青春のおとしまえをつけるか。柊蒼樹、友のために参る」

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